ランガが攻撃に転じたその瞬間、彼女がまずしたことは、ただ走るという行為だった。
しかし、全体重を乗せるような重い踏み込みは、今や見る影もない竹藪の堅い地面に深く食い込み、その圧倒的な膂力から放たれる疾走はミコト姫の目にうつらなかった。
それはもはや一陣の風と違いはない。ミコト姫は左側面から鋭く翔ける強風を感じ、それと同時に左肩に貫くような衝撃を覚えていた。
「なっ……」
斬られた、と思うよりもなお早く。ミコト姫の体は斬撃の威力によって軋みを覚える。 だがミコト姫を真に戦慄させたのは、その威力ではない。遅れてやってくる痛みを感じている刹那に、彼女は背後に気配を感じていたのだ。今まさに、目の届かぬ背後を取って一刀を振りかぶるランガの気配が。
攻撃の気配を察したところで何の意味もない。なぜならミコト姫は今ようやく左肩を斬られた衝撃で体勢を崩したところなのだから。ランガが肩を袈裟がけに斬ったのと背後を取ったのは、ほぼ同時であった。
無防備なミコト姫の背に向かって、無慈悲にもランガの愛刀髪薙による重い一撃が叩き込まれる。
その瞬間、ようやくこの場に流れる時間は己の役割を思い出したのか、ミコト姫の体は一刀の衝撃によって前方へと吹き飛んだ。
「あっ……ぐぅっ……!?」
ミコト姫は地を転がり、土煙を激しく舞わせていた。背に受けた一刀の衝撃はその体を鋭く貫き、転がる彼女の体はやがて止まる。しかしミコト姫は低く唸るだけで立ち上がろうとしない。いや、立ち上がれないのだ。
「ふん、存外呆気ないのう」
その様子を見て、つまらぬとばかりにランガは嘆息した。あまりにも呆気ない結末。だがもしこの場に他の者がいたとして、ミコト姫の醜態を嘲笑できるのはランガをおいてほかにいない。
誰ぞ知ろう、先ほどの二連撃はランガの本気の一刀にして、石火初音の崩しである。鍛錬系では正面に斬りこむ初音だが、崩しでは左右のどちらかに駆け抜けつつ斬り、更に背後を取って追撃をも加えるのだ。
ついに見せつけた流派石火の真髄だが、驚くべきは精細な技以上に放った斬撃の威力である。その威力は通常状態のランガと比べて数倍を超えて余りあった。
斬撃の威力をそれほどまでに飛躍させたのは、ランガが今使っている魔法の助成によるものだった。今ランガの体を淡く取り巻く薄黄色の魔力の残滓は、彼女が本気で戦う時だけ纏う竜鳴気の証である。
竜鳴気とは、土の魔法による肉体強化である。ランガが得意とする魔法は土属性であるが、これは火や雷、闇といった他の属性魔法と比べて攻撃手段に一歩劣っていた。
しかし、こと自身の能力を底上げする強化魔法において、土の魔法は他の魔法を圧倒すると言っていい。
魔物娘は本気を出す際、己自身に魔法によるエンチャントをほどこす者がいる。フェンリルが数度見せている本気状態で周囲に氷の結晶が浮かぶのは、彼女が自分自身に氷の魔力によるエンチャントをほどこしているからだ。グリュイエールの周囲に常時炎が取り巻いているのも、火竜である彼女にはオートで炎のエンチャントがかかるからである。
己自身にかけるエンチャントは、その魔法属性や魔物娘の戦闘スタイルによって強化の方向性が多少異なる。件のフェンリルなら己の速度を更に増し、氷の結晶を浮かべることで対敵に体温低下のデバフをかけることもできる。グリュイエールの場合は、周囲を取り巻く炎を用いてより円滑に炎の魔法を扱える効果があった。
では、ランガの場合はどうか。ランガの土の魔法によるエンチャント竜鳴気は、フェンリルやグリュイエールのとは違い、特殊な効果はほとんどない。己自身の身体能力を底上げする。ただそれだけに費やされている。
ひたすらに身体能力を強化する。その他一切の不純物が混じらない竜鳴気は、しかしその強化倍率が凄まじかった。
竜鳴気の特性は二点。一つは竜鳴気にそそぐ魔力量が許す限り強化率を上げるという点。そしてもう一つは、己自身にかかる身体強化の倍率を部位ごとに細かく調整できるという点。
前者の意味する恐ろしさは語るまでもない。ランガは自身が操りきれる魔力量の実に八割を竜鳴気に費やし、彼女本来の強さを数倍にもはね上げているのだ。
後者。部位ごとに倍率を調整できるという特性に関しては、これはもう技量優れるランガにしか扱いきれぬ要素となっていた。
部位ごとの身体強化の倍率を変えられるということはすなわち、踏み込む一瞬だけ足を強化し続く疾走の初速を大幅に増したり、相手を斬る瞬間のみ振るう腕から刀身までを強化し斬撃の威力を更に上昇させることができる。
しかし現実として、一触即発のめまぐるしく状況が変わる真剣勝負の最中、ほんの一瞬の強化率変更を行うなど空想の域でしかない。はたして誰が斬り合いの中でそこまで精密な魔力の運用を可能とするだろうか。
ランガはそれをやってのけるのだ。たゆまぬ鍛錬がついにそれを可能とさせ、元来攻撃という分野では劣っていた補助よりの土の魔法を、彼女だけが最強の魔法として運用できる。
すなわち竜鳴気とは、オーガの魔物娘ランガの真体にして真相。己自身すらを一つの武器と化して運用する、効率を追求する石火の理念を体現した姿なのだ。
これこそが、グリュイエールやアルメリアをしてライバルと称させる、ランガの本気である。
ランガをここまで強くさせたのは、この二人の存在が実に大きかった。ランガの体系化した剣技、魔法は、その実全てが対グリュイエール、対アルメリアを想定しているのだ。
竜鳴気もまたそうである。小柄な体に火竜の力を秘めるグリュイエールに匹敵するため、ランガはこの魔法を生み出したのだ。
更に竜鳴気は解除する際、尋常ではない量の土の魔力が一気に解放され、周囲に鋭い衝撃を浴びせることができる。つい先ほど二度に渡ってミコト姫を吹き飛ばした技がこれであった。ランガはこれを妖鳴破と呼び、恐慄・華風凛を相殺する対アルメリアを想定した技としていた。
ライバルである強力な魔物娘二人を倒すために練り上げられた技と魔法。それを前に、ただの人であるミコト姫がどうして耐えられようか。痛烈な剣撃を二度浴びて地に倒れ伏せる彼女は、しかしゆっくりと立ち上がろうとした。
「まだです……まだ、私は……」
先ほどの一刀ですでに体力を大幅に失い満身創痍のミコト姫。立ち上がる彼女の足は小さく震え、ようよう体を支えているだけであった。
しかしそれでもなお彼女は焔の燐火剣をランガに突きつける。彼女の目は、燐火剣の青白い焔を写しこんで爛々と燃えていた。
「勝負はまだここからです! あなたが本気になったとあれば、それを超えることこそが我が本懐! このまま終わらせたりは、しないっ」
ミコト姫は刀身を体側に立て切っ先を天に向ける八双へと構えた。強気な発言に呼応してか、彼女の体の奥底から魔力が大きく吹き上がる。
いまや魔王のしもべとなったミコト姫はその力を大幅に増しているが、この魔力量はそれだけではない。ランガに勝つため、小柄な体を魔水晶のような器と見立て、ファリシアの魔力がそそがれているのだ。
それでも人の持つ器はもって生まれた大きさを超えたりはしない。いくらファリシアの魔力が強大で底知れなくても、器の底は知れている。吹き上がる魔力量は、明らかにランガの纏う竜鳴気の魔力より劣っていた。
しかしランガはミコト姫の意気を見て笑った。嘲笑っているのではない。むしろ気に入ったとばかりに会心の笑みを浮かべたのだ。
「いいじゃろう。気が済むまで付き合ってやろうぞ。儂の本気の技、その身で味わえるだけ楽しむといい」
「……! 舐めるなっ!」
子供のわがままに付き合う親のような言いぶりに、ミコト姫もさすがに激昂を覚えた。怒声に続いて燐火剣・朧の怒涛の連撃を打ち放つ。
「ほれほれ、どうした」
居つきを無くす纏綿と降りしきる雨のような連撃を、だがランガは事も無げにかわし続ける。いや、避けるのみならず、一刀を避けた拍子に手首を斬りつけていた。
これこそが石火篝の崩し。鍛錬系では相手の剣筋を見切り、それに対応した効率的な運剣をもって体の末端を斬る篝の剣だが、崩しでは相手の一刀を避けつつ同時に斬りつける。そうすることで全く同時に斬撃を放ちつつもこちらの剣だけが当たるという、対敵にとっては悪夢のような状況を生み出すことができる。
「ぐっ、うぅっ! そ、そんなバカな……!」
ミコト姫も今まさに悪夢を見せられ戦慄していた。仕掛けた瞬間にランガも同時に仕掛け、しかしランガには一刀が当たらずこちらだけ斬りつけられている。息も詰まる斬り合いの中、これを悪夢と思わない剣客など誰がいようか。
たまらず一歩退いて距離を取るミコト姫。しかしランガは間髪入れず詰め寄ってくる。
「どうした、威勢のいいことを言っておいて、もう逃げの一手か?」
「だまれぇっ!」
明らかな挑発に自制することすらできないのは、追い詰められている証拠でもあった。しかしそんな現実は認めないと、ミコト姫は再度一気呵成に斬りかかる。
「くくっ、これを使うのも久しぶりじゃな」
ミコト姫が閃めかした一刀は、ランガの愛刀髪薙によって難なく阻まれた。その時ミコト姫は己の目を思わず疑った。
一刀を撥ね上げられる時、刹那閃いたランガの愛刀は、その鉈状刃ではなく元の刀へと変形していなかっただろうか。
しかしそれは錯覚だったとミコト姫は思い直した。なぜなら一刀を撥ね上げてから間髪入れず翻ったランガの髪薙が重く腕を打ち据えた時、その刃は鉈状になっていたのだから。
ランガはミコト姫へ斬りつけた勢いのまま、居つきを無くすようにくるりと回転。その勢いのまま髪薙の一刀を再度ミコト姫へ叩き付けようとする。
「意趣返しのつもりですか!」
居つきを無くして纏綿と続く連続切りをランガは次々と放つ。この動きは明らかに朧であるとミコト姫は察し、己の技を当然のように使いこなすランガへ畏怖と怒りを覚えた。
だが同じ朧の剣であるならば、その剣筋はミコト姫も理解している。朧の剣はいわば海原のさざ波に似ていた。押しては引き、また押しては引くさざ波めく動きに翻弄されず対応すれば、いずれ連撃の切れ目がやってくる。
その瞬間を狙おうと、ミコト姫は一刀にて朧の連続切りを迎えうつ。一つ二つ三つ。回転を交えながら勢力を増す連撃を受けながら、しかし彼女は妙なものを感じていた。
「なっ……あっ……!?」
ミコト姫は段々と連続切りに対応できなくなっていたのだ。数度受け損じてその身に重い一撃を喰らってしまう。
だがなぜ。ランガが竜鳴気によって身体能力を増しているとしても、己の技である朧を見切れない道理はない。
その理由を、切れ目ない連撃の最中に煌めく刃をようやく瞳にはっきりとうつして理解する。
一刀を振るう合い間に、刃が素早く変形している。ランガが一刀を打ち放って、ミコト姫に迫る一秒にも満たない時間の切れ目に、その刀身が次々と切り替わっているのだ。
ランガは連続切りの最中、髪薙の鉈状刃と通常の刀身を瞬時に切り替え、変化する重心とそれに対応する体捌きによって剣撃の速度と軌道をわずかに可変しているのだった。
目もくらむ剣光の文目の中、ほんのわずかとはいえその剣筋と重心が一瞬にして変化していては、相手は見誤って受け損じるのが道理である。
そのうち受け太刀すらもできなくなり、ミコト姫はなますのように切り刻まれていった。
だがその身に浴びる剣の雨よりもなおミコト姫に衝撃を与えたのは、己の技をあっという間に昇華させたランガの手並みにあった。
己が学び、誇りを持つ剣技をこうも簡単に真似され、あまつさえ独自の工夫まで加えている。怒りが頂点を極めた時、思わず笑い出しそうになる心地をミコト姫は初めて味わっていた。
その笑いを必死に飲みこみ、怒りのまま剣を振るいそうになる己を律し、ただ一刹那の隙をミコト姫はとらえる。
そう、朧の連続切りがいつか迎える一瞬の隙は、たとえランガといえど消し去ることはできなかったのだ。
この時この瞬間を待ちわびていたミコト姫が、どうしてこの隙を見逃すことができようか。
「くらえぇっ!」
それまで溜めていた焦熱の激昂を口から迸らせ、刀身が激しく燃える燐火剣・不知火の薙ぎ払いをランガの胴へ叩きつける。
だが……ミコト姫は何ら手ごたえを寄こさぬ不知火の一刀を認識して、いつの間にか目の前のランガがその姿を消失しているのに気付いた。
斬ったはずだ。斬ったはずなのに……ランガはそこに居ない。
いったい、いつの間に。いや、それよりもどこだ。どこに居る。混乱を極めるミコト姫は、頭上に煌めく星くずを目の端にうつし、ふと顔をあげた。
ランガは空に居た。ふわりと空中に舞い上がり、ゆるく一回転している最中だった。不知火にて斬りつけた一瞬に彼女は竜鳴気の踏み込みで空に逃げたのだ。
ミコト姫はついに必勝の機をとらえた。足場のない空中に逃げたのならば、身動きは一切取れないはず。空中こそが死地なのだ。
不知火の薙ぎ払いを翻し、ミコト姫は一転鋭い切り上げを放った。空に浮かぶランガ目がけて、ついに燐火剣が本懐を遂げる。
その、刹那に。ミコト姫は我が目を疑う光景を目にしていた。
空中で半回転して今や逆さまとなったランガの足元に、何か、煌めくものがある。目を凝らしてよく見てみると、それは砂だった。
頭上に逃げたランガに気づいた切欠にもなった星くずの正体はその砂なのだと理解した時、ミコト姫の総身に戦慄がはしり抜ける。
ランガは土の魔法で生み出した砂を空中での足場としていた。空中で逆さまになった体勢のまま、強く砂を踏み抜いている。
ミコト姫の切り上げとすれ違う形で、空から地へ向けて疾駆するランガの剣撃がはしった。その一刀がミコト姫の首根に強く叩きつけられる。
一瞬の隙を見いだし、渾身の一刀を放つ石火夜月。それに生み出した砂を足場にして空中歩法を可能とする土の魔法空踏みを組み合わせた、ランガの秘剣である。
対敵を中心にして己を公転する月と見立て、相手の首を空中から深々と斬る。その際の流れる剣光は、さながらこぼれ落ちる砂のよう。ゆえにその名は秘剣月之砂。
月之砂を放ったランガはミコト姫と背中合わせに着地し、振り向きもせず変形刀髪薙を背に担いだ。
完全に決着はついた。物言わぬランガが態度でそう告げるように、ミコト姫はどさりと崩れ落ちる。
秘剣月之砂による一撃は、竜鳴気による強化に加え、首を斬る瞬間に妖鳴破も打ち放って威力を瞬間的に数十倍にも上げている。まさにランガの秘奥の一刀であるそれは、グリュイエールやアルメリアに対する切り札でもあった。
「こんな……こんな、はずでは……」
もはや体力も尽き、地に崩れ込みながらうわ言のように繰り返すミコト姫。ランガは彼女に振り返り、その小さな手を差し出した。
「儂の秘剣も見せてやったのじゃ。これで気が済んだじゃろう? さあ、立て。ファリシアなどの甘言にそそのかされるよりも、儂と共に剣を探求しようではないか」
ミコト姫は顔をあげ、差し出される手をじっと見つめた。
彼女の手が一度伸び、しかしランガの手に触れあう直前でぴたりと止まる。
「ふ……ふふ……」
ミコト姫の口から漏れたのは、自嘲だった。
「なんて……なんて哀れなのでしょう。今の私ならば勝てると思っていた。技を補う最低限の力さえ得られれば勝てると、私は奢っていた。ですが結果は、手も足も出ないどころか、見せる必要もない剣技をあえて繰りだされるとは……は、はは、くははは」
「……み、ミコト?」
狂ったように笑うミコト姫に、さしものランガもたじろいだ。
ミコト姫は笑いながらランガの手をはねのけ、ゆっくりと立ち上がる。もはや体力は尽きそんな力などあるはずがないというのに。
「秘剣まで見せたのは、そこまで私が無様だったからですか? それほどまでに私は哀れでしたか? 彼我の力量すら見抜けぬ小娘へのはなむけとでも言いたいのでしょうか」
「ミコト、何を言っておる……」
ミコト姫の異常な様子を見て一歩近づきかけたランガは、ぴたりと動きを止めた。彼女の本能がなぜか告げている。これ以上近づくなと。
「私にあるものはこの剣だけだった。技量だけならばあなたにも負けないと、それだけが支えだった。でももういい。あなたに勝つためならば、技すらも捨ててしまおう」
青白く燃える燐火剣の焔が消えていく。ミコト姫は一刀を鞘に納め、刀を鞘ごと投げ捨てた。
刀を捨てると同時に、ミコト姫の前に闇の渦が現れる。その渦は大きく広がり、そこから剣が這い出てきた。
その剣の歪な形状を見て、ランガの瞳が大きく見開いた。見間違うはずがない。あれこそはまさに、かつてランガが作り魔王に奪われた、魔水晶の剣。ファリシアの魔剣だ。
ミコト姫はためらいなくその剣を握った。すると歪な刀身が赤黒く輝き、尋常ではない量の魔力が吹き上がる。
それはまさに魔王ファリシアと見紛うほどの甚大な魔力量。あっという間におぞましい気配が周囲を満たしていった。
「な……なんじゃと!? こ、こんなことが、あるわけないっ!」
ランガは思わず呻いた。ミコト姫がファリシアの魔剣を貸し与えられていた事以上に、そこから溢れ出る魔力量が彼女を狼狽させていた。
いくらファリシアといえど、己と同程度の魔力をそうやすやすと他者に貸し出すはずがない。しかも今ミコト姫が纏う魔力、つまり剣に込められた絶大な魔力量は、かつて戦った時のファリシアの魔力よりはるかに多かったのだ。
その意味するところは……かつてランガを敗北に追いやったあの魔王は、ファリシアは、その実力の半分も見せていなかったという事となる。
そのことを理解して、ランガは怖気のあまりカチカチと歯を噛み鳴らした。勇者にグリュイエールとアルメリア、そして己自身が加わればファリシアに勝つ目はある。ほんの数分前そう思っていた彼女の幻想は、あまりにも儚く打ち砕かれたのだ。
そして壊れた幻想の先にあるのはどうしようもない現実だった。ファリシアが今まで見せていた実力は、全力の半分にも満たない極々一部。このように簡単に貸し与えられるほどに微々たるものだった。
ほの暗く底の見えない穴を覗き込んだ時、多くの者は得体の知れない恐怖を覚える。しかし真の恐怖とは、穴の底を確認した時にこそあるのだ。
「さあ、ここからが本当の闘いです」
強大な魔力を纏いながら剣を構えるミコト姫。ランガにはその姿が、かつて戦ったファリシアと重なっていた。
敗北の味が脳内に蘇る。ランガはきつく歯を噛みしめて、大きく呼気を吐きだした。
「オオォォオッ!」
変形刀髪薙を再度引き抜き、渾身の竜鳴気を纏って斬りかかる。全身全霊、呵責ない初手の石火初音。
目もくらむ速度の斬りこみを、だがミコト姫は……。
「ぐああぁあっ!?」
左脇を抜けようとするランガよりもなお速く、ただ力任せに斬りつけていた。ランガの驚愕の声が垣間響き渡る。
迎撃されたランガの体は大きく宙に浮いた。しかし彼女はくるりと回転し土の魔法空踏みを発動。空中に砂の足場を作り出し体勢を整え、一刀を構えた。
「はあぁぁぁっ!」
そのまま一刀が届かぬ遠い間合いで、ランガは大きく振りかぶって斬り下ろす。それと同時に竜鳴気を瞬間解除。その際に放出される土の魔力を剣に乗せ打ち放つ。剣圧により妖鳴破の衝撃に指向性を伴わせて魔力の刃と化し、遠距離斬撃を放ったのだ。秘剣月之砂による裏技である。
だがミコト姫は軽く魔剣を振り、そこから溢れる魔力によって妖鳴破による魔力の刃を軽々と打ち弾く。
「ふふ……どうしました。先ほどよりも余裕がないように見えますが」
ミコト姫は、砂を足場にして空中にたたずむランガへ悠然と笑いかけた。
ランガはただただ静かに、這い寄ってくる敗北の足音を聞き続けていた。