長い石階段を上った先、ミコト姫が住むお社の庭園で睨みあう四人がいた。
ゴシックドレスに身を包み艶やかな長髪が青白い肌を彩る、一見無垢な少女にも見える魔物娘リッチ。
そしてリッチと似てはいるが委細の意匠がまた微妙に違うゴスロリ服に身を包んだ少女、ナイトメアのミズハ。ツインテールに結ばれた先の髪は縦ロールになっていて、息づかいに合わせてゆるく揺れ動いていた。
そんな似た格好をした魔物娘たちが油断なく見つめる先には、一見奇妙な取り合わせの二人がいた。
一人は露出も大胆なビキニアーマーを着用し、長身の体が隠れるほどの大盾を軽々と片手で持っている。今や魔王のしもべとなった、王都のパラディンである。
そしてもう一人は素朴なスカート姿のエルフの少女、リーシャ。特徴的な長耳よりも、その手に持つ怪しい気配漂う書物に目を引かれてしまう。
勇者のしもべと魔王のしもべ。対立する両陣営は互いの得物を手に、出方を探るよう警戒しあっていた。
パラディンはちらと己の背後へ視線を流し、忌々しげにため息を吐く。
「勇者には先を行かれてしまったか。ここで足止めをしろとの事だったが……まあいい。魔物娘の助力無しでは今の彼女には勝てないだろう」
「あら、それはどうかしら?」
パラディンの分析に冷たい言葉を響かせたのは、あろうことか彼女の味方であるはずのリーシャだった。
さしものパラディンもリーシャの態度には白い目を向けざるを得ない。彼女は呆れたように口を開く。
「お前……絶対勇者の肩を持っているだろう」
「さあ? そんなこと無いと思うけど?」
「いや! そんなことある! 先ほども勇者を攻撃しなかったではないか!」
「あれはその隙にあの魔物娘たちの攻撃を受けると判断したからよ」
「その攻撃は私が全て食い止めれば問題ないだろうが!」
「……絶対に食い止められるという保証はないわ」
「パラディンである私の防御を信じてないのか!?」
相方を全く信用していないリーシャの態度に、対面するリッチはここぞとばかりに唇を歪める。
「ふん、あの二人どうやら上手くいってないらしいな。ここはチャンスだぞミズハ。私がパラディンに攻撃を仕掛けて食い止めるから、その隙にお前があのエルフの娘を倒してしまえ」
「……ごめんなさいリッチさん。それはできません」
「えっ!? なんで!?」
リッチの提案に頭を下げて断るミスハ。リッチは訳が分からないとばかりに驚きのけ反った。
「リーシャさんには思うことがありますので……できれば私は攻撃したくないんです」
アルメリアを相手にしたあの静寂の森での戦い。勇者を庇ってアルメリアの前に立ったリーシャの姿はミズハの記憶にも新しい。
エルフの国を守るため、そしてエルフたちのため、魔王のしもべとなってでも戦ったリーシャという少女。元々他人を明るくしたいと願う心優しい魔物娘であるミズハが彼女を攻撃できないのは、いわば当然の帰結だった。
思わず頭を抱えるリッチに、ミズハは一層申し訳なさそうな顔をする。それを見られていたのか、パラディンは哄笑をあげだした。
「はははは、どうやらお前たちもうまくいってないようだな」
「なに自分たちをたなにあげている! うまくいってないのはお前たちもだろうが!」
思わず声を荒げるリッチに、パラディンは不敵に笑った。
「分かってないな。私たちの仲が良かろうが悪かろうが、やることは一つ。お前たちの足止めだ。その目的が共通なら、互いの仲などどうでもいいのさ。だが、お前たちはどうだ? うまくいっていない仲で、魔王様の魔力により力を増した私たちを倒せると思っているのか?」
パラディンの体から溢れた強力な魔力が、渦のように周囲を取り巻いていく。彼女が言う通り、魔王ファリシアの魔力により、かつて勇者と戦った時よりもはるかに力を増しているようだ。
それはリーシャも同じだった。暗い輝きを秘めるミスコリデ変異書を片手に強力な魔力を漲らせる今の彼女は、アルメリアに手も足も出なかった時とは確実に違う。
借り物の魔力とはいえ、貸し出した相手が一流ならば借り受けた者もまた一流となるだろう。ましてや、二人はあのファリシアのしもべなのだ。
「言っておくが、私は攻撃はいまいちでも防御の腕は右に出るものがいないと自負している。お前たちの攻撃など、全て私の盾で受け止めてやろう」
「……不本意だけど、私もやれるだけのことはやるわ。楽に勝たせるつもりは無いから、勇者のためにも舐めてかからないことね」
パラディンは大盾を構え、リーシャは魔法書に魔力を込めるばかりで、どちらも功勢にはうつらない。それもそのはず、二人の役目は足止め。そのためにリーシャは呪法アルツ・ググツを用い、アイやクロナを使って勇者が召喚できる魔物娘の戦力を削っていたのだ。
「お前たちを……いや、リーシャが操る魔物娘と戦っている奴らも含めて、誰もこの先には進ませはしない。それが魔王様のご用命だからな。勇者の加勢ができると思うなよ?」
「ふん……」
失笑するかのようにリッチが鼻で笑う。
「バカめ、加勢に行かせないのはこちらの方だ。魔王様の部下にして弟子でもあるこの私をごまかすことはできんぞ。魔王様自身が操る魔力と他者に貸し与えた魔力では、絶妙に気配が違う! というか魔力の運用方法が全く違う! 魔王様はもっとこう……魔力を操った気配すら感じさせん! つまりこの先に居るのは魔王様ではなく、貴様たちのように魔王様のしもべとなった者のはずだ! 何者かは知らんがな!」
的を射ていたのか、パラディンもリーシャも押し黙った。リッチはここぞとばかりに意気揚々と声を張り上げる。
「いいか、貴様らを縛る魔王様の呪いはカース・テスタメントという名の魔法! そこのエルフの娘が持つミスコリデ変異書にも記されている魔法だ! この魔法はしもべとなった者に術者が魔力を貸し与え一時的に強くすることができるが、それはしょせん他者から借り受けた魔力! その力を完璧に扱うことは困難なのだ!」
パラディンは、ちらとリーシャに視線を送った。
「そうなのか……?」
「そうね、概ね当たっているわ。よく知っているわねあのリッチ」
ミスコリデ変異書をぺらぺらとめくるリーシャは、指摘された魔法の記述を発見したのだろう、興味深げに内容を読んでいた。
「ふふ、驚いたか! 私は昔、魔王様から借りてそのミスコリデ変異書を読破しているからな!」
高らかに笑うリッチは調子よく続ける。
「この先にいる何者かはお前たちよりはるかに多くの魔力を借りているうえ、結構上手に魔力を扱っているから正直びびっているが、お前たちは別だ! うっとうしい光も炎もない夜の中、この私がお前たちに負ける道理はない! 私の貴重な全力を見せてやるぞ!」
リッチの体に魔力が集中していく。弱点となる光も炎もない夜の中、彼女はついに真の力を発揮しようとしていた。
「私がお前たちを逆に操ってやろう! さあ喰らえ! 呪法アルツ・ググツを!」
リッチが叫ぶと同時に、彼女の体から魔力が発散され、同時に赤黒い魔力がこの場に漂いだす。それは地面に沈み込んだかと思えば、急にパラディンとリーシャの足元から湧き上がってきて、彼女たちの体を纏い始めた。
しかし、赤黒い魔力はしばし二人の体の周りを這いまわった後、突然消え去ってしまう。
「あ、あれ……?」
得意気に発動した魔法が不発に終わり、リッチは呆けた顔で首を傾げた。
するとリーシャがぺらりとミスコリデ変異書をめくり、淡々とした声を響かせる。
「……ミスコリデ変異書第七ページ。呪法についての注意書き。すでに呪われている対象を新たに呪う時、呪いの相性によっては上書きをすることができない。特に自発的、強制的を問わず、他者との契約を代価とする呪いの上書きは困難。自発的契約呪いの代表としてカース・テスタメントが、強制的契約呪いの代表としてアルツ・ググツがよくあげられるとの事。つまり、カース・テスタメントを受けている私たちをアルツ・ググツで呪い返すのは不可能ね」
リーシャが言い終わるや、しばしの沈黙がこの場を包み込んだ。
「……本当に読んだんですか?」
沈黙を破いたミズハに、リッチは大慌てであわあわと腕を振る。
「よ、読んだけど細かいところは忘れていただけだ!」
そんなリッチに呆れたのは、対立するパラディンもだった。毒気を抜かれたとばかりに彼女の肩の力が削がれる。
「忘れるか、普通。魔法に詳しくない私でも重要な情報だと分かるぞ。あのリッチ……魔王様は注意しろと言っていたが、ただのアホなのではないだろうか」
「ぐぐぐぐぐっ……!」
パラディンに言い返すことができず、リッチは地団駄を踏んでひたすら唸るばかりだった。
その様を見てパラディンは得意げに笑う。
「ふん、やはりなんてことはない。この様子では楽に足止めできそうだ。……っ!?」
言いながら、パラディンの目が驚愕に見開く。ほんの一瞬、笑いを漏らしてミズハから視線を逃した隙に、彼女の姿がその場からかき消えていた。
唸る風切り音と脳内に響く警鐘に導かれ、パラディンは反射的に大盾を右後方へ向けた。
耳を覆いたくなる鈍い音が響き、大盾に衝撃がはしる。その圧倒的な威力に押されるまいとパラディンは下肢に力を込め、大地に食い込むほど足を踏ん張った。
パラディンの大盾に叩きつけられたのは、ミズハの大鎌だった。一瞬目を離した隙にミズハは驚愕の速度と体捌きによってパラディンの背後を取り、その凶悪な大鎌によって暴威を振るったのだ。
大盾と大鎌で鍔ぜり合う二人。パラディンは低く呻きながら唇を歪めた。
「な、なんだこの力と速度は……! き、貴様、そんな格好と可愛い顔で油断させておいて……ば、化け物か」
防御においては右に出るものが居ないと豪語するパラディンをして、ミズハの暴威は冷や汗を超えて心胆すらが底冷えする一撃だった。もう少し反応が遅れていたら為すすべなく一撃で倒されていたであろうことは、当事者のパラディンが誰よりも理解している。
「この格好は趣味です。別に油断させる意図はありません。そして私は確かにリーシャさんに攻撃をする気にはなれませんが、あなたは別ですよ」
鍔迫り合いながら力を込め、大鎌の切っ先で大盾を押しこんでいくミズハ。いつしか彼女の瞳からは優しげな色合いが消え、アイドルである仮面を纏い始める。
「……先ほど私を化け物と言ったわね。そう、人は起きながらにして夢を見るわ。ならば夢と現の境目に悪夢を見ることも珍しくはない。私を化け物として見てしまうその悪夢、この大鎌にて刈り取りましょう」
「ぐっ……!」
突然の口調の変化にパラディンは気を取られる暇すら無かった。彼女の基本戦法はその大盾によって攻撃を受けとめ、カウンターの形で大盾を突きだすバッシュを決めダメージを与えるというもの。突然の攻撃とはいえ、今回もミズハの大鎌を受けた拍子にバッシュを決めるつもりだった。
しかして、凝然と大鎌を受けるに留まっている。あまりの威力と押しこむ力に、カウンターを差し込む隙を見いだせなかったのだ。
ここで強引に大盾を突きだしても勝機は見込めない。おそらくその拍子に大鎌の力を抜かれ体勢を崩される。そうなれば続く一撃を防ぐことはできない。
だからといってこのまま鍔ぜりあっているのも問題だった。渾身の力を込めているのに、大盾はじわりじわりと押しこまれていく。これではいずれ体の際まで押しこまれ、体勢が崩されることだろう。
ならば大鎌に込められる力を抜く形で大盾を引いて逆に体勢を崩しては……その考えをパラディンはすぐさま打ち捨てた。彼女の脳裏にはミズハの驚愕の速度がまだ残っている。おそらく大盾に込める力を抜いた瞬間、ミズハは好機と見て必殺を期した大鎌の一撃を振るうだろう。
押しても引いても持しても敗北が見えている。だが、パラディンはこの窮地でにやりと笑った。
「面白い……! 根比べなら負けんぞ……!」
下肢に再度力を込め下半身を安定させ、腕に力を込めながらも複雑な力の動きに反応できるよう上体からは余分な力を抜く。
この状況を覆す当てがあった訳ではない。ただ、この追い込まれる窮地が彼女を喜ばせていた。
パラディンの選択は待ち。元来が足止め目的の彼女は、ミズハの力量を認めたうえでこの膠着状態が一番時間を稼げると判断したのだ。
先の見えない根比べ。じわじわと押しこまれ近づいてくる敗北。徐々に疲弊していく精神。大盾の向こうから感じる圧倒的なプレッシャー。一秒ごとに近づく敗北が体の芯を冷やし、筋肉を痙攣させる。
そう、これだ。圧倒的な力による一撃を食い止めるこの快感。暴威に対し、全身全霊を持って防御に費やすこの瞬間。これこそを求めていた。
王都のパラディン。誰ぞ知ろう、彼女が大盾による防御に秀でるパラディンとしての道を目指したのは、ただ強力な一撃を受けたいからであった。
ぶっちゃけ彼女はマゾだったのだ。
そんなことを知るよしもないミズハは、大鎌を叩きつけている向こうでにやにやと笑うパラディンに警戒心を抱いていた。
何かこの状況を打破する策があるのか……ミズハがそう考えるのは当然で、彼女は必然うかつな進退を避け鍔ぜり合う形を続行する。
ぎりぎりと歪な音を立てて大鎌と大盾が鍔ぜり合う奇妙な光景。その決着はある程度見えていたが、この場にはまだ見えない勝敗に揺蕩う二人が居た。
ミズハとパラディンがこうして戦っているのだから、必然としてリッチとリーシャが矛を交えることとなった。リッチは隣りで起きている妙な鍔迫り合いを横目にしながら、リーシャへ不敵な笑みを見せる。
「残念だったなエルフの小娘よ。ミズハの手にかかれば楽に負けられたというのに……私が相手では、否応なく魔法の競い合いになるぞ。そしてっ! こと闇の魔法にかかればっ、このリッチがエルフの小娘に負ける道理など無いのだ!」
鋭く声を響かせて指先をびしりと突きつけるリッチに、リーシャはバカバカしいとばかりに嘆息した。
「それはどうかしら。さっきから見ているとあなたちょっとアホっぽいし、この魔法書と魔王様の魔力があればそこそこ良い勝負ができると思うけど?」
「なぁっ!? だ、誰がアホだっ! ならば私の実力を見るがいい!」
リッチはブーツの踵で一度強く地面を叩いた。すると彼女の影が突然膨れ上がり、地面を這ってリーシャ目がけて迫りゆく。
「喰らえっ! 闇の魔法、影の魔槍を!」
リーシャのすぐ足元へと到達した影から、次々と闇で出来た槍が突きあがる。影の槍はあっという間にリーシャを覆いつくし、したたかに彼女の体を攻撃していた。
「きゃぁっ!」
たまらず悲鳴を上げたリーシャは、為すすべなく影の槍により突き上げられ、弾かれたように後方へと転がった。
「ふふっ、どうだ! これが真の闇の魔法だ!」
勝ち誇るリッチの声をうっとうしげに聞きながら、リーシャはゆっくりと立ち上がる。スカートのはしを手で払ってから、彼女はリッチを鋭く睨んだ。
「……今のはかなり効いたわよ。これはお返し!」
リーシャはそう叫びながら、先ほどのリッチと同じく踵で地面を一度叩いた。するとリーシャの影が膨れ上がり、リッチ目がけて伸びていく。
同じ魔法による意趣返し。それを目の当たりにして、リッチは嘲るように唇を歪めた。
「バカめっ! 影の魔槍は相手の足元から闇の槍を突き上げさせる魔法だが、術者の魔力量によって威力の段階がある! 低レベルの魔力では針、高レベルの魔力では槍、そしてより高度な魔力では魔槍となるのだ! エルフの小娘程度の影の魔槍など、細い針程度が精一杯だろう! つまり避けるまでもない!」
高らかに笑いながら、足元へ影が到達するのを悠然と見過ごしたリッチ。彼女の足元から次々と影の魔槍が突きあげてくる。
しかし闇の槍の大きさ、太さは、先ほどリッチが使った時と相違ない。それを目の当たりにして、リッチはアホみたいに大口を開けた。
「あ、あれ? 針どころかちゃんと槍ではないかこれ……のわーーー!」
避けるまでもないと余裕をかましていたのだから、当然リッチの総身は闇の槍で次々と突き上げられる。
リッチは情けない悲鳴を上げながら先ほどのリーシャと同じく後方へと吹き飛ばされ、べちゃりと地面に墜落した。
「ぐ、ぐぐぐ……な、中々やるではないか……」
「……あなた、正真正銘のアホなの? 今の私は魔王様の魔力で強くなってるって、あなた自身理解していたじゃない。それに魔法書の補助もあるし……」
リッチの情けない状況を見て、リーシャは本当に困ったように肩を落とした。リッチの言う通り、出きればミズハの手にかかりたかったところである。そうなればリッチのこんなアホな言動に付き合わされることもなかった。
そんなリーシャの心の内を悟ったのか、リッチは唸りながら立ち上がる。
「うぐぐぐぐ……調子に乗るなよエルフの小娘! こうしてダメージを喰らったのはわざとだ! 貴様との格の違いを教えてやるためにな!」
「……格の違い?」
またアホなことを言っているとリーシャは白い目を向けたが、すぐに彼女の瞳は驚きに染まった。
リッチにも劣らないリーシャの影の魔槍。それをあれだけ豪快に直撃したばかりだというのに、リッチはいつの間にかそのダメージを全て回復していたのだ。
「見たか、これが夜の私だ! 夜に闇が落ちている間、私は自己再生能力を有する! 貴様の攻撃など何度喰らっても問題ないということなのだ!」
「……」
「ははははっ、絶望して声も出ないか!」
「違うわ、驚いて声が出なかったのよ。あなた、アホだけど勇者が召喚するだけあって、やっぱり強いのね。でも……」
リーシャの持つミスコリデ変異書が、暗い輝きを放ちだす。今彼女はミスコリデ変異書にありったけの魔力を込めだしていた。
「あなたみたいなアホっぽい魔物娘にむざむざ負けたりしたら、これから先どういう顔で勇者に会ったらいいか分からないわ! 勇者には悪いけど、全力で勝たせてもらうわよ!」
リーシャの意気に呼応してか、ミスコリデ変異書の暗い輝きが一際強くなる。彼女はミスコリデ変異書のある一つのページを開き、ぶつぶつと詠唱を開始した。
「……ほう? まさかエルフの小娘め、あの魔法を使うつもりなのか?」
リッチは腕を組み、その様子を面白いとばかりに傍観する。
詠唱を終えたリーシャの瞳が、カッと見開かれる。同時にミスコリデ変異書から赤黒い魔力が強く放たれ、リーシャの周囲を取り巻いた。
「ミスコリデ変異書の力を完全解放するわ! さあ、喰らいなさい! 灰の贖い、ミスコリデ!」
リーシャが告げると、周囲に溢れていた赤黒い魔力が大地に沈み込み、彼女の足元を中心にリッチを巻き込む範囲までの地面が一気に赤く輝いた。そして赤黒い魔力が地面から天を目指して強烈に吹き上がっていく。
灰の贖いミスコリデ。これは大地を呪い、赤黒い魔力を吹き上がらせて多大な継続ダメージを与える、ミスコリデ変異書における禁忌の魔法だ。
術者どころか敵味方区別なく巻き込み多大なダメージを与えるこの呪法。まさに呪いの代価とも言える、無差別攻撃魔法であった。
ミズハやパラディンすらを巻き込んで庭園を赤黒く染め上げる、ミスコリデの呪い。その渦中にあって、術者であるリーシャですら苦しげに呻くこの継続大ダメージの中、なおリッチは不敵に笑っていた。
「なるほど、この魔法による継続ダメージなら私の自己回復を上回ると読んだか。しかし残念だったな、この程度では私の体力は削りきれんぞ」
「そんな……! これでもダメなの……!?」
「夜の私を倒したいなら、弱点をつくか自己回復などお構いなしな強力な一撃で攻撃するべきだったな。もっとも、ミスコリデ変異書にはそのような攻撃魔法は記されていないのだが。……ただ一つを除いてな」
リッチは地面から吹き上がる赤黒い魔力に全身を彩られながら、たんっと踵で地面を叩いた。
すると彼女の足元から伸びる影が一気に膨れ上がり、リッチを中心に全方位へと伸びていった。
灰の贖いミスコリデ。その魔法で呪われ赤黒く発光する大地の部分全てをリッチの闇がすっぽりと覆いつくす。すると地面から立ち上っていた赤黒い魔力は消え去り、辺りはまた夜の暗闇が包み込んだ。
「これは……ミスコリデを無効化したの!?」
「いいや、違うぞ。ミスコリデ変異書確か第二百五十七ページ! 呪法における超特殊例! 灰の贖いミスコリデを使用中に、己の影を闇と同化させ自在に操る魔法メリストリア・リッチにより呪った大地を覆われると、ミスコリデにより吹き上がる魔力が抑えつけられ、やがて抑えられる魔力は暴走を起こし大地を巻き込む破壊現象を引き起こす! このような作用を連鎖反応魔法と呼ぶ!」
リーシャは慌ててリッチに言われた通り第二百五十七ページを開く。しかしすぐに彼女は白んだ目でリッチを見た。
「……ページ、違くない?」
「……はへ?」
リッチが情けない声を出した瞬間、大地を覆う影が膨張し、抑えつけられていた赤黒い魔力が溢れだした。
魔力暴走。リッチが言った通り、吹き上がる魔力が闇で抑えつけられたことで大地に溜まり、やがて限界を迎えて破裂するように強烈な吹き上がりを見せたのだ。
庭園の地面からお社の石畳までに亀裂が走り、その合間から勢いよく赤黒い魔力が吹きだしていく。その勢いは割れた大地を深く抉って空高くまで浮き上がらせ、圧倒的な破壊現象を引き起こしていった。
当然リッチとリーシャもその破壊現象に巻き込まれ、総身を吹き上がる魔力で赤く染め上げながら宙を舞い、やがて舞い上がった土塊や岩石と共に地面へと追突した。
魔力暴走によってお社の敷地内に広がる庭園は見る影もなく、いたるところがひび割れ、抉れ、さながら地割れのような崩壊後が残っていた。
そんな中で倒れ込むリーシャとリッチ。やがてリッチはむくりと起き上がり、勝ち誇った声を響かせた。
「……ぺ、ページは違ったが、言っていることは当たっていただろう? 私は本当にミスコリデ変異書を読破しているのだぞ」
リッチはあの破壊現象に巻き込まれながらも、驚異的な自己回復能力で体力を残していたのだ。
リーシャもまだ気を失っていないのか、どうにかして立ち上がろうと必死に手で地面をついて上体を持ち上げようとする。だがやはりあれほどの崩壊現象に巻き込まれては無事ではなかったようで、彼女は力なく地面に倒れ込み、最後の力で仰向けとなって夜空を見上げた。
「はぁ……こんなアホみたいな戦いで負けただなんて、本当に顔を合わせづらいわ」
言いながらくすりと笑って、空に浮かぶ月を眺める。かつてこのように空を見上げた時、悔しさと惨めさのあまり目に涙すら浮かべたリーシャ。しかし今この時、どこか清々しく彼女は微笑んでいた。
顔を合わせづらいといいながら、勇者の顔を夜空に浮かべる。どちらにしろ自分は最善を尽くし、魔王への義理は果たした。今後憂いなく勇者に顔を合わせられることを、彼女は素直に喜んでいたのだ。
そんな満足げなリーシャを見下ろしながら、リッチは苦い顔をする。
「なんか……勝った気がしないのだが……」
釈然としないリッチではあったが、見事リーシャとの魔法の競い合いで勝利した形となった。
一方、鍔ぜり合っていたミズハとパラディンの方はというと、リッチによって引き起こされた破壊現象によって彼女たちも為すすべなく宙に浮かび上がり、決着をつけるべく刹那の戦いに挑んでいた。
赤黒い魔力が周囲を包む中、吹き上がる魔力で体を浮かび上がらさせ、土塊や岩石までが舞い上がっている。
その中で鍔迫り合いから解放されたミズハは、驚愕の体術で次々と浮かぶ岩石を足場に舞い飛んでいた。
一方パラディンは、ちょうど足場に良い土塊にしっかりと足をつけ、ミズハの攻撃をしのごうと全神経を張りつめさせていた。
舞い飛ぶミズハに、大盾を構えるパラディン。こんな破壊現象の中で岩石を足場に軽やかに身をひるがえすミズハは、泉を舞う妖精か、はたまた運命を司る死神か。パラディンは戸惑いなく後者と答えることだろう。
すでにミズハの動きをパラディンは目で追えなくなっている。それほどまでに凄まじい速度で舞い飛ぶミズハから、刹那、強烈な殺気が漏れ出た。
それを感知したパラディンは、反射的に大盾をひるがえして背後を向いた。ミズハは背後から奇襲してくる。それが防御に秀でた彼女の判断だった。
結果的に、彼女の判断はある意味正しかった。ミズハはパラディンの背後から岩石を踏み抜き、確かに勢いよく彼女に向かって跳んでいたのだ。
しかし、狙っていたのが違かった。ミズハがその大鎌を振りかざして叩きつけたのは、パラディンが立つ土塊だったのだ。
大鎌の切っ先が驚くほど簡単に土塊へと突き刺さり、圧倒的な威力によって振り抜かれる。すると土塊には亀裂が入り、呆気なくその形を崩壊させてしまっていた。
「なんだとぉっ!?」
足場を失い、落下しながら体勢を崩してしまうパラディン。足を踏ん張る地面もなく、盾を構えることもできず、彼女は再度舞い飛ぶミズハの姿をただ目にうつすことしかできない。
岩石を足場に、身を捻って大鎌を構えて迫りくるミズハの姿。何も出来ず敗北を待つばかりのパラディンは、その美しい姿に思わず見入ってしまった。
すれ違いざまにミズハの大鎌が叩きつけられ、パラディンの体が勢いよく地面へと衝突する。彼女はそれきり立ち上がらなかった。
魔力暴走の崩壊現象も収まり、パラディンのすぐ近くに着地したミズハ。体力は尽きたが意識まではまだ失っていなかったパラディンは、無意識に呟いた。
「まるで……妖精だな」
「いいえ、私はアイドルよ」
噛みあわない言葉を交わせ、ミズハは大鎌を消し去った。
こうしてミズハはパラディンに、リッチはリーシャに、無事勝利を納めることとなった。
しかしミズハは憮然とした顔でリッチの方へと歩み寄る。
「……リッチさん、さっきの魔法はいったい何ですか?」
「ああ、あれはわざと魔力暴走を引き起こしたのだ……って、なんだその怖い顔は!」
「……さっきの魔法のせいで服がボロボロになりました」
リッチはしげしげとミズハの全身を眺めた。確かに、彼女の可愛らしいゴスロリ服のあちこちが破けてしまっている。スカートなどスリットが入っているかのように避けてしまっていた。
魔力暴走による破壊現象はミズハにも深いダメージを与えており、特に彼女の衣服はその威力に耐えられなかったのだ。
「これ、お気に入りだったのに……」
それで怒っているのか、と理解したリッチは、慌ててミズハをなだめる。
「す、すまなかった。こ、今度一緒に買いに行こう、な? 私もボロボロになったし、新しい服欲しかったし」
「……わーい、リッチさんとお買い物ですね。約束ですよ」
機嫌を直したのか、にこりと微笑むミズハ。リッチはほっと息をついた。なぜかミズハは怒らせない方がいいと、リッチの本能が告げている。
こうして、後に残してきた魔物娘たちの戦いは全て決着がついた。後に残るのは……あなたの戦いだけだ。