魔王ファリシアを前に、果敢に先手を取ったのはパイレーツだった。
「我が水流を喰らいなさい!」
パイレーツはレイピアをファリシアに向けて突きつける。するとその切っ先から大量の水がわき出し、ファリシア目がけてうねりを上げた。
パイレーツ自身が無敵と誇る三段突きこそが、彼女における必殺の技である。しかしこの状況で選択したのは、水の魔法による攻撃だった。それは様子見という理由もあったが、彼女は無防備なファリシアにえたいの知れない何かを感じていた。
ファリシアがどのような攻め手を秘めているか分からない現状、懐に飛び込むのはまずい。それに魔法による攻撃ならば、他の魔物娘の魔法と相乗効果も期待できる。
だから初手に水の魔法を選んだのは間違いではない。パイレーツはそう感じていた。
しかし、水流を生み出して攻撃を仕掛けた時、慌てて叫ぶリッチの声を彼女は耳にしていた。
「だ、ダメだパイレーツ! 魔法で魔王様と戦うのは無謀だ!」
どういう意味ですか。そうパイレーツが口を動かすよりも早く、彼女はその意味するところの一端を感じる事となった。
「水の初級魔法、フラッドウェイブですか。中々の水流です」
迫りくる猛烈な勢いの水流を前にして、魔王ファリシアは顔色一つ変えず悠然とした態度を崩さない。
水流がファリシアに激突する――その寸前で、彼女の足元から火炎が猛然と噴き上がった。
ファリシアの前面で噴き上がる猛火の灯。水流が火炎の猛りとぶつかりあうや、鎮火させるどころか片っ端から蒸発していく。いったいどれほどの魔力が込められているのか、圧倒的な高熱を維持しているようだ。
「なっ……!?」
これにはパイレーツもあわを食うしかなかった。だが事態の推移を目の当たりにして息を飲んだのは、何も彼女だけではない。今この場に居る魔物娘は全員、ファリシアがしでかした事実に驚愕の色を隠せなかった。
魔物娘は大気に漂う魔力を己の体に取り込み、その魔物娘自身が操れる属性へと変換して魔力を運用する。そして魔物娘が操れる得意属性は基本的に一つだけなのだ。
魔王ファリシアが闇の魔法を得意としているのは明らかだ。彼女は何度かリッチのように己の影を操ってみせた。
なによりあなたは知っている。先ほどあなたを攻撃したのは、間違いなくリッチが使うのと同じ闇の魔法、影の魔槍。
だから、ファリシアが闇の魔法を得意としているのには間違いがない。
だというのに……彼女は今あろうことか炎の魔法を操ったのだ。
取りこんだ魔力を複数の属性に変換する。魔法を使えないあなたには全くピンとこないが、魔物娘たちはその難度を知っていた。
とてものこと、ああも容易く行えることではない。
だから彼女たちはほんの一瞬動きと脳を止めたのだ。
だが、その混乱からすぐさま復帰したものが居た。
「オオォォォオォッ!」
フェンリルだ。彼女は総毛立つような雄叫びを突如上げる。それと同時に彼女の体に魔力が集まり、周囲の空気がしんしんと冷えていった。
氷の魔法によるエンチャント。フェンリルは掛け値なしの全力を出すつもりだ。
深く、獲物に飛びかかろうとする四足獣のように地面へと這いつくばり、フェンリルは力のあらん限りを込め地面を蹴り抜いた。月光の下に、彼女の姿が舞い上がる。
「おぉ、よくもそう跳べるものですね」
ファリシアも目を見張る跳躍で高々と彼女の頭上を取ったフェンリルは、空中で身を捻って鋭い蹴りを放った。
当然、遠く離れた所で放ったその蹴りは当たらない。しかしフェンリルには、自らの動きを魔法を放つための詠唱とする特性があった。
フェンリルの蹴りの軌道にわずか遅れて、次々と幾何学的な紋様が浮かび上がる。
円形に縁どられた紋様は内部に複雑な線を走らせ、力満ちる形を作っている。
設置型魔法の一種、魔法陣。かつてピクシーの群れを駆逐するのに使った氷の魔法である。
「魔氷方陣」
フェンリルが呟くと同時に、蹴りの軌道上に設置された四つの魔法陣が冷え冷えと輝いた。
魔法陣から氷の塊が次々と発射される。フェンリルの魔力が込められた魔氷の連続射出は、さながら氷嵐雨。ファリシア目がけて極寒のブリザードが吹き荒れた。
「氷の中級魔法、魔氷方陣ですか。大した威力ですが……なるほど。先ほど私が消し飛ばしたパイレーツの水流が、魔力を含んだ水蒸気となって漂っていましたか。それを利用して威力を更に増したという訳ですね。しかし……」
ファリシアは、ただ静かに左手を空に向けた。
「この程度の威力では……ふふ、まだまだ」
ファリシアの手の平から、一条の光がはしった。
神気ではない。今の光は、雷鳴の轟。事実光に遅れて轟音が鳴り響いている。
つまり、雷の魔法を使ったのだ。
ファリシアの手の平からはしった一条の光……いや、雷光は、迫りくる魔氷の一粒に当たるや氷のつぶてを破壊しつつ反射し、次の魔氷へと連鎖した。
魔氷へ接触し、破壊し、更に反射して別の魔氷へと向かう電撃の疾走。閃光にも等しい雷鳴の速度で降りしきる魔氷雨の間を次々疾走する雷撃は、そのことごとくを破壊しつくし、ついに大本のフェンリルへと到達した。
「あぅぅぅうっ!」
強烈な閃光と共にフェンリルの体に電撃が迸る。悲鳴にも似た苦痛の叫びを上げた彼女は、そのまま地面へと向かって落ちていった。
「雷の初級魔法、チェインライトニング。術者が込めた魔力量に応じ、狙った対象から次の対象へと次々に乱反射するのが特徴の魔法です」
砕け散り威力を失った魔氷のかけらがファリシアの周囲に降りそそぐ。きらきらと星くずのように輝く氷の雨の中心に、ファリシアは優雅に佇んでいた。その姿は、美しくもあり空恐ろしい。
「ちなみに、魔法の等級はあくまで難度を示し、その魔法の威力をあらわしているのではありません。初級魔法は規模の小さい攻撃魔法が分類され、中級魔法は武器化などの形状変化やエンチャントのような付加効果、また設置型などが分類し、上級魔法は規模の大きい攻撃魔法の他、中級魔法に見られる効果の中から複数以上同時に発揮されれば十分に分類されるでしょう。つまり、余分な効果に魔力を割かない分、初級魔法の方がより威力を高めやすいのです」
とうとうと語るファリシアを前に、あなたのしもべである魔物娘は動けなかった。
分からない。この力はいったいなんだ。炎の魔法に続き、雷の魔法まで見事に操ってみせた。
いったい……いったい、魔王ファリシアとはどのような魔物娘なのだ。
魔物娘たちは誰もがファリシアの強さを知っていた。だが、それはあの恐るべきグリュイエールたちを倒したという事実から察しただけである。
そして実際のところ、かつてファリシアと戦ったランガですら彼女の真の実力を見切ることはできていなかった。それはおそらく、グリュイエールやアルメリアも同様だろう。
つまり……誰も知らないのだ。ファリシアの真の強さを。彼女の真の戦い方を。
魔王ファリシアの……正体を。
そして今まで彼女たちはそれを知る必要など無かった。ファリシアは自由主義。決して魔物娘たちを従えようとはしなかった。
敵でもなく、味方でもなく、しかしだからといって戦うことなど決してない。魔物娘たちのほとんどにとって、ファリシアという存在はそのようなものだったのだ。
今彼女たちは、己の無知と目の当たりにした真実の間で恐怖を抱いていた。
「ふふ……来ないのであれば、私からいきますよ?」
ファリシアは凝然と立ちすくむ魔物娘たちの心理を察しながら、静かに笑った。
彼女は……楽しんでいたのだ。この状況を。恐怖を抱き、それに抗おうとして、しかしじわじわと飲まれつつある彼女たちの姿を。
ファリシアの体に魔力が集う。魔物娘たちは誰もが予感していた。来る。何か恐ろしい攻撃が発動する。
しかしそれを知っていったい何ができるというのか。彼女がいったいどの属性の魔法を使うのか、そしてそれはどのような効果を発揮するのか。何一つ分からないのだから。
驚異の予感を抱きながら、それに抗うすべを見いだせない。それはどれほど恐ろしいことだろうか。
するりと、ファリシアの左手が動いた。小さく握られた彼女の左手がゆるく開かれる。それと同時に、集まっていた魔力が霧散した。
「水の上級魔法、バブルサークル」
ファリシアが艶やかに唇を動かした時、魔物娘たちは周囲に浮かび上がってくる水泡に気づいた。
「こ、これはいったい……」
水の魔法に長けたパイレーツはその現象に疑問を抱く。浮かび上がった水泡からは凶悪なまでの魔力を感じる。だというのに、威力の脅威を全く感じないのだ。
おそらくこの水泡に触れれば泡が弾け、中に詰まった魔力が放出される。だが、だから何だというのだ。それがいったい何の攻撃になる。
そんな疑問に答えるように、ファリシアは再度その体に魔力を集中させ、魔物娘たちの気を引いた。
「あなたたちに一つ教示しましょう。属性魔法というのは、その相性によって威力を増したり減じたりします。中でも相乗効果を増すような魔法の組み合わせを、連鎖反応魔法と言うのです」
まさか、と。魔物娘たちの誰もが思う。
つまり、これは。この周囲を包むように設置された水泡は。
「一つだけ私はあなたたちに願いましょう……どうか、この程度で倒れないでください」
そう言った次の瞬間。ファリシアの体を中心に魔力が吹き荒れる。
ファリシアの体に集った魔力が体内で属性変換されて氷の魔力となり、周囲を包み始めたのだ。
するとどうなるか。魔物娘たちの周囲に設置されていた水泡が、鈍い音を立てて凍てついていく。
そして、中に詰まっていた魔力が氷の魔力と同調し、はじけて混ざった。
「氷の上級魔法、フローズアウラ」
凍った水泡が割れ、その中から氷柱が次々と生え出てくる。突然のことで、パイレーツはその身に迫る氷柱の突端を避けることができなかった。
「ぐうっ……!」
パイレーツに続き、次々悲鳴が上がっていく。ネコマタの、リッチの、すでに瀕死に近いフェンリルのうめき声。
この突然の現象に対応できたのはミズハとリュミスだけだった。彼女たちは冷や汗を浮かべながら、次々突き出る氷柱の連鎖反応攻撃を身を捻ってかわしていく。
パイレーツたちもようやく冷静に判断できるようになったのか、一方的に攻撃されるだけでなくかわしながら氷柱の結晶を攻撃して破壊していった。
だが、魔王とまで呼ばれるファリシアの攻撃がこれで終わるはずがない。ファリシアの体にまた魔力が集い、魔物娘たちは次に迫る脅威の波濤に身を竦める。
「風の初級魔法、エアリアル」
突然強風が吹き荒れる。魔力を含んだ風は凍った水泡とそこから突き出る氷柱をへし折っていき、魔物娘たちを包むように渦を巻いた。
折れた氷柱や氷の結晶を含んだ強風乱舞。渦巻く風はもはや竜巻と呼んでそん色ない。
氷の嵐と化した渦巻く強風の中、魔物娘たちは為すすべなく切り刻まれていく。
「雷の初級魔法、チェインライトニング」
ファリシアの攻撃は終わらない。荒れ狂う氷の嵐の中にチェインライトニングを打ちこみ、電撃が疾走した。
渦巻く強風の中を巡る鋭利な氷の結晶に電撃が当たり、次々乱反射していく。
乱れ狂うように反射を繰り返す電撃の刃。吹き荒れる強大な竜巻。風に巻かれて中に存在するものを見境なく切り刻む氷の結晶。
「炎の上級魔法、クリムゾンブレイド」
ファリシアの頭上に膨大な灼熱が生まれ、それがまるで剣の一閃のように雷氷纏う竜巻目がけて駆け抜けた。
瞬間、内部を巡る氷の結晶が一瞬にして蒸発し、水蒸気爆発を起こした。
竜巻内部で発生した爆発は、風の勢いを餓狼の如く喰い荒らす。強大なエネルギーの波動でここまでの全ての魔法効果を消し飛ばし、後には爆心地だけが残った。
爆熱と轟音は霧散する魔力と共に晴れ、深々と抉れた地面に倒れ込む魔物娘たちの姿だけが残っていた。
先ほどまでの荒れ狂う雷氷嵐が、嘘のように消え去っている。そして残ったのは、虚無と恐怖だけだった。
「……とまあ、このような具合です。もっと規模を増したとっておきの連鎖反応魔法もあるのですが……あなたたちにはまだ早いですね。それで、まだ立てるものはいますか?」
何ら期待してないような、感情のこもらぬ声。しかし倒れ伏す魔物娘たちは、震える足を叱咤しゆっくりと立ち上がっていく。
ネコマタも、リッチも、パイレーツも、ミズハもフェンリルもリュミスも。あれほどの魔法を喰らってなお、まだ体力を残していた。
ファリシアは意外そうに瞳を大きくする。
「手加減はしていましたが、全員が無事だとは思っていませんでした。強くなったのですね、あなたたちも」
魔王の称賛に、だがミズハは苦い顔を返した。
ギリギリだった。まだ体力が残っているのが奇跡とも言える。そして立ち上がれたのは良いものの、戦闘を継続できる者がはたしてどれほどいるか。
フェンリルはもはや限界だろう。すでに一度チェインライトニングを喰らっていたのが痛い。他の皆も、それとほぼ変わらない状況だ。
それでもやるしかないと、ミズハは決意を固める。
勇者であるあなたを守るため、決して負けられない。相手が魔王であろうと……いや、魔王であるからこそ。
「リッチさんが言う通り、魔法戦で勝ち目はありません! リュミスさん、投擲でサポートをお願いします! 私とネコマタさんで仕掛けます! リッチさんとパイレーツさんは後詰めをお願いします!」
言うと同時、ミズハは正面のファリシア目がけて駆けた。悠長に作戦会議をしている暇はない。ファリシアが複数属性を扱えてその攻め手が膨大な以上、臨機応変に連携をして戦うしかなかった。
ミズハにわずか遅れてネコマタが駆け出し、途中で左右に別れてファリシアを挟み込んだ。同時にリュミスが正面を狙って次々と投擲を開始。毒針による正面攻撃とネコマタとミズハによる左右挟撃。いくら魔法に長けるファリシアといえど、これほどの同時攻撃をしのげるはずがない。
「――え?」
そう思っていたミズハは、大鎌を振るった瞬間にファリシアの姿が目の前から忽然と消えたのに気づき、小さく疑問の声を吐いた。
「ど、どういうことだよ! 消えちまった……!」
電撃を纏った強烈な蹴りを放っていたネコマタも同じく、ミズハのように疑問と驚愕を共にうろたえるだけだった。
リュミスの投擲毒針が過ぎ去ってから、ようやくミズハの頭が回りだした。
消えた。ファリシアが居ない。だが……どうやって?
これほどの魔物娘たちがいて、その動きを一切捕捉できなかったなどありえない。なぜだ。なぜ……ファリシアの動きが誰にも見えなかったのか。
「リッチさん! 今魔王様は何か魔法……を……」
この事象の理由を知っているとしたら、唯一リッチだけだろう。ミズハがそう考えを巡らせてリッチの方を見た時、彼女は信じられない光景を目にうつしていた。
「あ……ぅ……」
リッチの掠れた声が響く。それを聞いて傍らにいたパイレーツや他の魔物娘が視線を向けた時、一切例外なく全員が絶句した。
ファリシアは、リッチの背後にいた。
あの一瞬で、どうやって。これほどの魔物娘の目をなぜ欺けたのか。
リッチを除く魔物娘全員の視線を受けとめつつ、ファリシアは背後からゆっくりとリッチに近づいた。
そして手を伸ばし、リッチの喉を優しく撫でる。
「彼女たちに……いえ、勇者にもまだ私の正体を喋っていないようですね、リッチ。あなたのそういう義理堅いところは愛いものですが、今は勇者のしもべです。仲間である彼女たちにも言うべきだと思いますよ。私があなたの魔法の師だからといって、遠慮することはありません」
「……ぅ、く……」
しゃっくりのような声をあげたリッチは、やがて細々とした声で喋り始めた。
「さっきのは……闇の魔法によるテレポートだ……魔王様はそれでお前たちの攻撃を避け、私の背後に現れた」
「そんなバカなっ、ありえません!」
ミズハが狂乱するように叫ぶ。
「闇の魔法によるテレポートは、多大な魔力の集中が必要です! あんな一瞬で出来るはずが……!」
ミズハもまた闇の魔法を操る魔物娘である。だから知っている。闇の魔法によるテレポート。たびたびファリシアが姿をあらわす時に使うあの魔法は、とても一触即発の戦闘で運用できるような魔法ではない。
「だが、魔王様はできるのだ! なぜならば魔王様は……」
リッチの唇がわなわなと震える。
「魔王様の正体は魔女……ウィッチの魔物娘なのだ!」
リッチの告白に続き、魔王ファリシアは艶やかに唇を動かした。
「その通り、私は魔女。ウィッチが魔物娘、ファリシア。こと魔力を使った戦いにおいて、私より優れる魔物娘はいませんよ」
ウィッチ……それがファリシアの正体。
魔力の運用に何よりも長けた魔物娘。だから彼女は複数の属性を操れたのだ。だから彼女は魔力の気配を感じさせることなく魔法を操れるのだ。
魔王……いや、魔女ファリシア。それが全ての魔物娘の頂点に立つ彼女の名前。その正体。
魔王とは、魔物娘の王を意味するのではない。魔力を統べる王。それこそが真の意味なのだ。
魔物娘たちの……そして、力入らぬ体で勝負を見守るあなたの視線を、悠然と受け止めて。
【魔王】ファリシアが、そこにいた。