あなたのしもべである魔物娘たちは、誰も動けなかった。
ウィッチ。魔物娘たちの中で何よりも魔力の扱いに長ける存在。魔女にして魔王、ファリシア。
その意味するところを本能的に悟り、彼女たちは動けなかったのだ。
ファリシアはそんな魔物娘たちの畏怖の視線を受けながら、静かに微笑した。
髪留めで纏めていた金髪を彼女はゆっくりとほどく。艶やかな黄金の光条が夜空に煌めいた。
整った美しい顔立ちと、それまで長い金髪を後頭部で纏め上げていた居住まいによってボーイッシュな雰囲気を纏わせていたファリシアだが、こうして髪を解いてみると印象が一変する。
解かれた長い金髪は夜の風にゆるくなびいてきらきらと輝き、あどけない少女姿に似つかわしくない妙な色気が匂い立つ。
それは余りにも恐ろしく、そして美しい姿だった。この瞬間という時を支配するかのような、圧倒的な存在感がそこにはあった。
「どうやら、私の正体を知ってあなたたちは本能的に悟ったようですね。私には、決して勝てないと」
リッチの背後に居たファリシアが突如足元から伸びる影に包まれ、一瞬にして姿を消す。
闇の魔法によるテレポート。事態を見守るあなたを含め、この場に居る誰もがそれを察し、慌ただしく視線を巡らせる。
そして、誰もが同時にある一点に視線を集中させた。
魔物娘たちと、奇襲によって体力を失い立つことすらできないあなた、そして精魂尽き果てたランガとミコト姫。その三点の延長線がちょうど交わる地点に、ファリシアはいた。
この場の支配者は私だ、と。そう主張するかのように。
ファリシアの体を中心にして、先ほどまでとは比べ物にならない程の魔力が渦巻き始める。
「そう――魔物娘では決して私には勝てない。魔力を糧にして力を発揮するあなたたちでは、私には絶対に。その証拠を、今から見せてあげましょう」
ファリシアがするりと左手を空に掲げた。するとその手の平に膨大な魔力が集まり、凝縮され、黒点が現れた。
「魔物娘は魔力を体内に取り込み、得意な属性へと変換して運用する。つまり、大気に漂う魔力そのものをそのまま運用することは誰にもできないのです。ただ一人、この私を除いて」
ファリシアの手の平に生まれた黒点に、更に魔力が集まっていく。
いや……違う。魔力が集まっているのではない。あの黒点は、周囲の魔力を取り込んでいる。
そして周囲の魔力を糧にしてその規模を増大させ、歪みのように大きく成長していく。
「魔法とは、魔力を扱うための法則。そのままでは扱えない魔力を属性変換し操るための法。しかし魔力を属性変換する際、そのエネルギーはいくらかロスをしてしまう。魔法とは、魔力の非効率な運用方法なのです」
ファリシアの手の平から生まれ、周囲の魔力を喰らい成長する黒点。それは彼女の小さい手の平を大きく超す直径となり、まだまだ規模を増していく。
「ならば、魔力をロスなく扱う効率的な方法とは? そう、魔力そのものを操るしかない。そしてウィッチの魔物娘である私はその『すべ』を心得ているのです。魔力を操る『すべ』を」
やがて、ファリシアの手の平から黒点が空へと打ちあがった。
空へと上がる黒点は、ファリシアのはるか頭上で静止し、更に周囲の魔力を喰らい取り込んでいく。
それだけではない。魔力を喰らいながら、魔力を放出している。圧倒的な暴圧を伴って。
「こ、これは……そんなっ! 魔力が奪われるっ!?」
パイレーツか、リュミスか、それともミズハか。誰かが驚愕のままに叫んだ。あるいは、魔物娘たち全員の叫びだったのかもしれない。
成長し球体となった黒点は、魔物娘たちの体内の魔力すらを奪っていく。
魔物娘たちが例外なく膝をつく。誰もが呻いていた。誰もがその黒点がもたらす現象に苦しんでいた。
黒点は魔力を奪い喰らうのみではない。更に魔力を発し、ある現象を引き起こしていた。
――重力波動。黒点は魔力を糧に成長し、周囲に重力の迸りを放ち続ける。その一生を終えるまで、永遠に。
「魔術――暗黒天体・魔性星」
それは星だった。夜空の下に生み出された漆黒の星。魔力の恒星。周囲の魔力を喰らい、重力を放ちながら黒く輝く暗黒天体。
それが魔王ファリシアにのみ許された魔力を操る『すべ』。魔術、暗黒天体(テネブリス)・魔性星(エクスティウム)。
この魔術が発動した以上、魔物娘たちに抗うすべはない。ただ力を奪われ、そして重力に押しつぶされ、抵抗もできずに敗北を迎える。
まさに魔王の名にふさわしい術。魔女にして、魔力を統べる王にして、魔物娘たちの頂点に立つ者。
【魔王】ファリシア。いったい誰が彼女に勝てるというのか。グリュイエールも、アルメリアも、ランガも。誰もこの魔術の前には太刀打ちできない。
だが、ただ一人、彼女に対抗できる者がこの場に居る。
そう――あなただ。あなたは魔力を操れない。魔物娘と違い、魔力を糧に力を発揮しているのではない。
この魔術を前にして最小限の被害ですむのは、勇者であるあなた、ただ一人である。
あなたは立ち上がる。暗黒天体・魔性星を前にして。放たれる重力の波動に押しつぶされそうになりながら、体力を失った体で。
このままでは全滅する。それだけは避けなければいけない。
なにより、何も出来ず魔性星の圧力に押しつぶされそうになっている魔物娘たちを救うためにも。
体力を大幅に失い力が入らない体だというのに、なぜか他者を守ろうとすると不思議と活力が戻る。
それはあなたが勇者だからだろうか。それとも……ただの底意地がもたらす現象か。
あなたの手には、神気の剣。あなたの意気に呼応してか、刃が淡く光り始める。
剣に神気が満ちる。あなたに意気がみなぎる。
斬る。今ここで、魔王ファリシアを――倒す。
あなたは疾走した。魔王ファリシアに向かって、一直線に。
近づけば近づくほど魔性星が放つ重力の影響が増していく。一歩を踏みしめるたび、土の地面に深く足がめり込んだ。
それでもあなたは走り続ける。重力の波動に屈しそうになりながら、膝をついて頭を垂れそうになりながら、それでも必死に。
魔王へ。ファリシアへ向かって。
「ああ――あなたのそういうところが好きなのです。女神が仕掛けたくだらない定めの過程を、唯一あなただけが楽しませてくれる」
決死の攻撃を仕掛けるべく重力波動の檻に向かって疾走するあなた。その姿を見て、ファリシアは嬉しそうに微笑んでいた。
まるで慈しむかのように。それでいて憐れむかのように。
あなたは、そんなファリシアに向け、渾身の剣を振り下ろした。
神気放つ剣を。無防備なファリシアへ向かって。
――斬った。そう確信を抱く。
抱きながら、しかしあなたは現実を受け止めて驚愕を隠せない。
神気放つ剣は、渾身の剣撃は、ファリシアのはるか手前で止まっていたのだ。
まるで見えない壁に阻まれたかのように。
「魔力障壁。魔性星に一番近い私がなぜ何の影響もないのか不思議に思いませんでしたか? その理由がこれです。魔力そのものを操り、私の周囲を防護させています。私の操作下における魔力は魔性星に取り込まれることもなく、重力波動を防御し続けるのです。そしてそれは、その他の攻撃も例外ではありません」
動かない。ファリシアの手前でぴたりと止まった神気の剣を引き戻そうとしても、ぴくりとも動かなかった。
まるで、見えない手で掴み止められているように。
事実、あなたの剣は掴まれていた。ファリシアの操る魔力によって。大気に漂う目に見えない魔力がファリシアに操作され、剣の周囲を固定化しているのだ。
ファリシアの左手が、ゆっくりと神気の剣に触れた。剣はいまだ神気を放ち続けている。それなのに、一切の戸惑いすら見せていない。
「あなたもランガも、一つ勘違いをしています」
ファリシアの指が、神気の剣を掴んだ。
「私は、神気の剣など恐れていない。考えてもみてください。使徒ツキヨミは、私には絶対に勝てないと悟っていたのです。そんな彼女が残した遺物を用いて私に勝つなど……不可能ですよ」
神気の剣にヒビが入る。剣を掴むファリシアの指先から、強大な魔力がそそがれているのだ。
圧倒的な魔力が神気の剣を包み、圧し、負荷をかけていく。瞬く間に刃はヒビ割れ……あまりにもあっさりと砕け散った。
「私がなぜミコト姫に剣の破壊を頼んだのか。そしてそれがかなわず私自らこうして手を下すのか。ふふ……ただの忠告です。女神の使徒の遺物? くだらない。神気などに頼っている様では、私に勝つことなどできません」
剣が砕け散ると同時に、魔性星が膨張した。限界まで魔力を喰らいつくした魔性星は、一生を終えた星が迎えるのと同じく、それまで喰らった魔力を放出しながら爆発したのだ。
重力の風が強烈に吹き狂う中で、あなたはファリシアの声を聞いた。
「勇者に……いえ、あなたにふさわしい剣はすでに見出したはずです。次は、それを用いて戦うといいでしょう。……どうか、私の期待を裏切らないでください」
吹き荒れる重力の風が止んだ時、ファリシアの姿はどこにもなかった。
あったのは、戦闘不能となり倒れ伏す魔物娘たちの姿と、重力を伴う衝撃破によって気を失ったランガとミコト姫。
そして、かろうじて体力を残していたあなただけ。
一夜の戦いは、こうして終わった。
体力が残り意識を失っていないあなたにとって、これは絶対的な意味での敗北とはいえない。
しかし、明確な敗北であった。ファリシアに通じると、そう信じていた神気の剣は砕け、あなたのしもべたちは手も足も出なかった。
これを敗北と言わず、何と言うだろう。
だが、忘れてはいけない。
敗北の先に、遂げるべき勝利の道筋は続いているのだ。
あなたはこの結末に呆然としながら、ファリシアの言葉を思い返していた。
あなたにふさわしい剣。それは神気の剣などではなく……きっと。
暗かった赤黒い夜空が、ゆっくりと日の光に染められていく。
夜が明けはじめていた。