あなたはお社の縁側に腰掛けながら、暮れゆく空をじっと眺めていた。
縁側から覗く庭園には幾重にも深くヒビが入り、激闘の後を伺わせる。
あの戦いからすでに一日が経過していた。
魔王ファリシアが姿を消した後、事態の収束を察した占い師やお社で起きた異変を察知したホムラの民人が駆けつけてきて、あなたは彼女たちと共に気絶したランガとミコト姫、その他敗北して気絶した者たちを運ぶことにした。
お社の一室で彼女たちを介抱した後、あなたも激闘の疲労で寝込んでしまい、ようやく起きたのがつい数時間前。
家臣を持たないミコト姫は自分をお飾りだと自嘲していたが、こうしてお社に異変が起きれば心配して駆けつける民人は多い。温泉旅館の双子女将にユキやトモカと言った見知ったヤトメ少女たちの姿もあった。
あなたは何も知らないホムラの民人たちに、今回の件は全て魔王によって引き起こされた、とだけ説明した。ミコト姫が魔王にそそのかされ彼女の手先となった、などとわざわざ言う必要は無いと判断したのだ。
もしそのことを他者の口から言ってしまえば、それは彼女の迷いとそれによって見出した物を汚すことになる。なんとなくあなたはそう思っていた。
また、リーシャやパラディンは魔王に操られていただけで今は何の危険性も無い。責任は自分が持つ。あなたはそう説明して彼女たちの介抱も頼んでおいた。
そうして、ようやく事態の後始末が終わった。残されたのは激闘の後と、激闘を彩って体力を全て失い昏睡する者たちだけ。夕暮れ時なのでお見舞いに来たホムラの民人も去り、お社は静寂を取り戻した。
たった一夜の出来事だったが、その影響はこの荒れ果てた庭園よりもなお深い。
一夜の戦いに勝利者がいるとすれば、ただ一人。そう、魔王ファリシアだ。
あなたもまた敗者の一人だ。絶対的な敗北こそ遂げてないものの、結果として神気の剣を失ったのだからそれは敗北と言うしかない。
いや、それだけならどれほど良かった事か。
ファリシアにすら通じると思っていた神気の剣。それによる渾身の一撃も、彼女にやすやすと防がれた。
何も出来ずに負けたのならまだしも、あの時持てる最大の力を発揮してなお通じなかったのだ。あなたに訪れる敗北感が根深いのは、このせいなのだろう。
しかし、得た物もあった。迷いに迷い、だが最後にはランガとの対決で何かを見出したミコト姫のように。確かに得た物ならばあったのだ。
それは、あのファリシアに今度こそ通じるかもしれない、か細い勝利への道筋。見えない細糸を掴むように、あなたは拳を握った。
「……おはよう。隣りに座ってもいいかの?」
不意に聞こえた声にあなたは顔を上げる。
いつの間にやら隣には、ランガが佇んでいた。どうやらもう目が覚めたらしい。比類なき魔物娘だけあって、回復力も相当なようだ。
あなたが頷くと、ランガは静かに横に座った。
共に縁側で肩を並べ、茜色の空を見る。しばしの沈黙は苦ではなかったが、やがてランガは口を開いた。
「すまんな、儂らを介抱してくれたのじゃろう?」
あなたはあれからの事の経緯を軽く説明する。
「そうか、ホムラの民人がのぅ……」
ランガはどことなく頬を緩ませていた。幼い顔つきに似合わないそれは、母性とも言うべき感情にもたらされた物だろうか。ミコト姫との関係性からすれば、十分にあり得ることだった。
「アイとクロナも先ほど目を覚ましておる。儂もまだ本調子ではないので、二人に夕食を作るよう頼んでおいた。ミコトと魔王のしもべの二人はまだ目を覚ましておらぬようじゃな。自分の力量を超えた力を扱ったのじゃ、単純に体力を失うよりも疲労は深いのじゃろう。ま、目を覚ましたとしてもしばらく動けないじゃろうな」
ランガの報告を受け、あなたは小さく頷く。
そうだ、まだ全てが終わった訳ではない。ミコト姫もパラディンもリーシャも、いまだ魔王のしもべのまま。彼女たちにかけられた呪いを解くには、あなたが彼女たちを抱かなければいけないのだ。
しかしそれは少し先の事。あなた自身まだ体力を完全に回復しきれてない上、当の本人たちが昏睡状態では行為に及んでも互いの疲労が濃くなるだけだ。
それよりも先に、あなたはランガに伝えなければいけないことがあった。
それこそが、あなたが掴んだファリシアに勝利するための細糸。勝利へと続く軌跡だ。
それを伝えようと口を開きかけた時、ランガに先を制される。
「すまなかったのぅ」
唐突に重苦しく謝られ、あなたは面食らう。
「ファリシアに言われた通りじゃ。使徒ツキヨミの遺物を使った剣でファリシアに勝つなど……道理が通らぬよ。そのことに気づけないとは、儂も耄碌したとしか言えぬな。いや、儂の目も神気の輝きにくらまされたという訳か。しかし、儂の目も覚めた。ミコトを相手にしたお主の戦いっぷりを見たおかげでな」
あなたは微笑するランガの横顔を見つめたまま、黙って先をうながした。
「お主に相応しい剣がどういうものか、ようやく儂にも分かった。もう一度、打たせてはくれぬか? 勇者にではなく……お主にこそ相応しい剣を」
ランガがあなたの目をじっと見つめる。あなたは視線をそらさず、静かにうなずいた。
深く言葉をかわさずとも、通じ合うものがある。ミコト姫を相手に即興で息を合わせて同じ剣を振るったあなたとランガならば、それは容易い事だった。
ランガもまた、あなたと同じく道を見出したのだろう。ファリシアに勝つための細い道筋を。
ならばこれ以上あなたから言うことは無い。ランガは次こそ完璧な剣を作ってくれるに違いない。この世界でただ一人、あなたにだけ相応しい剣を。
「……ふん、しかし忌々しいな。儂ともあろうものが、ファリシアに諭されるなど」
不快そうに嘆息するランガ。あなたも少しばかり同調する思いがあった。
そう、ファリシアが仕掛けた昨夜の戦いは、あなたを邪魔するためではない。むしろ忠告だと彼女は言っていた。
彼女は最初から分かっていたのだ。神気の剣などで自分に勝つことなど不可能だと。それを理解させる為にミコト姫をそそのかしてまで剣を折りに来た。
だが……分からない事が一つだけある。なぜファリシアはわざわざその事を証明しに来たのか。しかもあなたにトドメの一撃を与えず姿を消した。
戯れか、それとも……。
思えばランガとの会話の最中に不自然なことがあった。あの冷静なファリシアが垣間見せた強い感情の発露。
絶望、としか形容できない彼女の嘆きが、確かにあなたにも聞こえていた。
この世界はしょせん鳥籠なのだと。ファリシアもまた籠の中の鳥なのだと。
いったいそれは、どういう事なのだろうか。ランガはファリシアの言葉の意味とそれに伴う感情がなんだったのか、理解できただろうか。
聞いてみると、ランガは渋い顔を返した。
「……分からぬ。あやつの心が読める者など誰もおらぬよ。しかし……少々引っかかるのは事実じゃ」
ランガは深く考え込むようにうな垂れた。
「そう……そうじゃ。何かを忘れている気がする。いや、思い出せないと言ったほうがこの感覚に相応しいか。ファリシアが口にした『彼女』とは……」
あなたが怪訝な表情でランガを見つめると、彼女は考え込むのを止めてあっけらかんと言い放った。
「……分からぬ! というか何か引っかかるのじゃが何が引っかかってるのか全く理解できん。なんじゃろうなぁこの感覚」
……もしかしてボケてしまっているのでは? あなたが思わずそう呟くと、ランガはすぐさま肩で小突いて来た。
「儂はまだぴちぴちじゃぁ!」
ぴちぴちな女子がするとは思えない肩での強烈な突き上げを、胸に数度入れられる。あなたはたまらず謝った。
「全く……ふぅ、少し会話しただけじゃがさすがに疲労が濃いな。儂はもう一度休んでくる」
さしものランガと言えど、精根尽き果てるまで戦った後に魔王の魔術を受けた後では、そう簡単に全快はしないようだ。
立ち上がってあなたに背を向けるランガは、歩みの途中で一度振り返った。
「明日には十分回復しておるじゃろうから、剣の鍛造を開始する。なに、神気の剣ほど時間はかからぬから安心しておれ」
そう言ってランガはまた背を向けかけ、突如思い出したとばかりに声を出した。
「そうじゃ、ミコトの目が覚めたら会いに行ってくれぬか? あやつもお主に一言詫びたいじゃろう。それとな……」
ランガは少し逡巡したようだが、すぐに口を開いた。
「あやつは一度道を誤ったが、お主との戦いを経て真に正しき己の剣に気づけた。儂一人ではミコトの助けにはなれなかったじゃろうよ。だから、その、な……」
ランガは困ったように額から生える角をかく。
「あー……ありがとう、な」
照れたように頬を染めたランガは、顔を隠すようにしてすぐに立ち去った。
……確かに、ランガはまだまだ少女とも言えるかもしれない。少なくとも、その内面のどこかは。
夕暮れ時は去り、すっかり夜が訪れている。昨夜とは違う、穏やかな夜だ。
あなたはその中に食事へ呼ぶアイの声を聞き、立ち上がった。
今はまず休もう。次の戦いまで。
……魔王ファリシアと決着をつける、真の戦いまで。