魔法科大学付属第一高校は、「灼熱のハロウィン」が起きた日から十日間の休校を挟んだ後、いつも通りの授業を再開させた。
幸いにも、横浜事変で、第一高校から死傷者が出なかったことが早期再開の要因だろう。
授業再開の初日。
魔法コンペが終わったことで、学内は落ち着きを取り戻したと思いきや、「灼熱のハロウィン」の話題が学内を賑わせ、いつも以上に興奮した生徒が目についた。
それらの生徒を目にする度に、エリカの心が荒んでいく。
修次の葬儀からまだ間もなく、未だ気持ちに整理はつかない。
―― 次兄上が負けるはずがない
―― 次兄上は卑劣な罠にかかったのだ
―― 次兄上が死んだのはあの女のせいだ
修次の死亡時刻は横浜事変の1時間前だと推測されている。
彼は横浜港にある物資倉庫の中から、死体の状態で見つかった。
修次の死体には、胸に大きな穴が空いていて、腕や肩には打撲跡が残っていた。
穴の原因は銃機によるものではなく、手刀によるものだと鑑定された。
死体は彼だけでなく、大陸系の身元不明の男性数人も一緒に見つかったため、倉庫内で戦闘があったのは明らかだった。
本来であれば、海外にいたはずの修次が、横浜で見つかったには理由がある。
横浜事変が起きる前日、彼は帰国申請を出していた。
彼の上官が言うには、その時の彼は酷く慌てた様子だったという。
上官は、帰国申請を受理し、修次は横浜事変の日に帰国した。
しかし、彼が何故、横浜に向かったかは、推測の域を出なかった。
修次が狙われた理由。
修次が敗北した理由。
修次の仇は誰なのか。
エリカは修次の死について、多くを知らない。
気持ちに整理がつかないのは、きっとそのせいなのだろう。
エリカは気持ちに整理をつけるためだけに登校した。
エリカが登校した目的は二つ。
その一つ目の目的を果たすため、エリカは
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
エリカは警察には顔が効くが、軍へのパイプは持っていない。
エリカが
今回、達也の協力のもと、
陳は
特殊工作部隊は、横浜事変での日本魔法協会関東支部への襲撃、並びに、横浜事変の前に起きた
その様々な事件には、摩利の誘拐も含まれている。
次兄上が殺されたのは、あの女が捕まったせいだ。
あの女を囮にして、次兄上を呼び出し、卑怯な手を使って殺したのだろう。
次兄上が正面から闘えば、誰であろうと負けるはずがない。
エリカが修次に抱く想いは、深雪が達也に抱いている想いと似通っている。
エリカと深雪の違いは、世界を滅ぼせる力を持っているか、持っていないかの差。
深雪であれば、世界を滅ぼしていたほどの激情。
エリカはそれほどの想いを抱いているのだが、エリカが出来ることは限られている。
「入れ」
中央をガラスで区切られた部屋に刑務官と一人の男が入ってきた。
男のほうは口元を髭で覆い、将校であったことをうかがわせるような雰囲気を纏っている。
―― こいつが
目の前の男を見て、エリカの頭は沸騰した。
ガラスをたたき割ってもいいと思うほどの力を込めて、陳の顔を目掛けて拳を放つ。
結果は案の定、ガラスにはヒビ一つ入らず、エリカの拳に血が滲んだだけだ。
「エリカさん…落ち着いて…」
エリカの側に立っていた女性士官―
エリカは陳を睨み付けるだけで、会話をする気配が一向にない。
「陳祥山、彼女は貴方たちが手に掛けた
エリカの代わりに会話を始めたのは藤林だ。
陳は、藤林の言葉を聞いても何ら変化はない。
部屋に入ってきた時と変わらず、興味のない目でエリカを見るだけだった。
「妹君は、私に何を聞きたいのだ? それとも私に謝罪を求めてここに来たのか?」
「……彼女の面会目的は、
未だ何も話さないエリカに代わって、藤林がエリカがここに来た目的を話すと陳が如何にもつまらなさそうに鼻を鳴らした。
曰く、修次を狙った動機は、この国の優秀な魔法師を害するという任務に従ったまでのこと。
修次は、大亜連合でも有数の実力者である
彼を排除できる機会があれば見過ごす選択肢はない。
そして、その機会は、修次の恋人を捕虜としたことで訪れた。
「あの女は…次兄上の術式について喋ったっていうの?」
「ああ、『
陳から出た
近接戦闘の魔法師にとって、奥の手を知られるということは、実力が互角同士の戦闘であれば致命傷になりかねない。
やはり、次兄上は圧倒的不利な状況下で闘いに挑んだのだとエリカは理解した。
そして同時に、あの女が次兄上の不利になる情報を漏らしていたという事実も理解する。
「何故…あの女は殺さなかったの…」
「呂上尉に手も足も出なかったからな…脅威になり得ないと判断した…それに慰安の場では随分世話になったから、情が沸いたのかもしれんな」
陳の表情がここで初めて変化した。
口元には笑みを浮かべて、下卑た視線をエリカに向ける。
「エリカさん、摩利さんを責めるのはお門違いよ…彼女は薬物を使われたの…それまではどんなことをされても口を割らなかった…彼女も立派に闘ったのよ…」
摩利は、横浜事変の終息と同時に日本軍によって保護されていた。
第一高校で彼女が捕虜になっていたことを知る人物は数人。エリカはそのうちの一人だった。
摩利が尋問を受けたのは容易に想像がついた。
そして、その尋問が女性の尊厳を踏みにじる行為であったことも容易に想像がつく。
しかし、エリカの推測では、次兄上の不利になることは口にせず、ただ単に囮として利用されたモノだと思っていたのだ。
あの女が捕まりさえしなけらば、次兄上が闘いに挑むこともなかった。
それだけでもあの女を憎むには十分な理由なのに、さらには次兄上を売ったという事実。
エリカの心をドス黒い感情が支配する。
藤林の声は聞こえていなかった。
エリカは、面会終了時刻を待たずして部屋を出る。
藤林も後に続き、後ろから心配の声をかけるのだが、エリカが振り返ることは一度もなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
エリカは学校に着くや否や、真っ先に摩利のいる教室へと向かった。
摩利が横浜事変前に拉致されたこと、そこで行われていたことをエリカは知っている。
そして摩利がすでに退院済であることも。
ただ退院しているからといって、摩利が学校に来ている可能性は低い。
来ていなければ、家に乗り込む覚悟だったが、その覚悟は無駄に終わり、3年生の教室の中に摩利の姿はあった。
エリカは摩利の姿を見ただけで、そのまま何もせずに教室へと戻る。
覚悟は決まった。
放課後、摩利を待ち伏せして一騎打ちを挑む。
場所は千葉の道場がいいだろう。
道場でなら邪魔される心配もない。
エリカは教室に戻ると一人静かに瞑想した。
荒れ狂う激情を必死で抑えて、放課後を待つ。
「エリカ…」
瞑想を開始してから間もなく、気弱な声がエリカを呼んだ。
エリカが瞑想をしていることを分かっていてたのか、呼ぶ声はどこか申し訳なさそうな感情が含まれている。
「何…?」
「いや、ちょっと心配になって声をかけただけなんだけど…」
声をかけてきたのは
それと同時にいくつかの視線をエリカは感じた。
幹比古の他にも、美月やレオもこちらを窺っているのだろう。
それを察して、友人たちが変なお節介を焼かないようにとエリカは話しかけてきた幹比古に向かって笑みを振りまいた。
「心配してくれてありがとう…けど…何か心配されるような事あったっけ?」
「いや、エリカ…今日は一段と気が荒いし、教室に戻ってからは余計に酷く感じたからさ…」
「あぁ――最近、寝付きが悪くてね。ちょっといつもよりイライラしてるのかも…少し休めば元に戻るからさ…今日はほっといてくれる?」
「………そうか…ごめん、邪魔したね…」
幹比古はエリカの返事に納得していないながらも、それ以上は何も言わずにそのままエリカの席から離れていった。
幹比古が言っていた気というのは、殺気のことだろう…
日に日に増していく復讐の炎。
この復讐が向かう先が破滅だと理解はしている。
しかし、この想いに折り合いをつけるためにはあの女と死合するしかないのだ。
エリカは再び瞑想を始めた。
自分は一振りの刀。
あの女を斃すために自身を一本の刀として研いでいく。
この想いに区切りをつけるために、エリカは静かに放課後を待つのだった。