ヒモヒモの0〜伝説のヒモ夫〜
「大海賊時代」
処刑台の上で海賊王ゴールド・ロジャーが遺した言葉によって、前代未聞の新時代は幕を開けた。
海賊王は最期の時まで自由であった。
世界へ解き放った「ひとつなぎの大秘宝」"ONE PIECE"
人々は熱狂と共に"この世のすべて"を追い求めて、母なる大海原へと飛び出していった。
人々は海賊王から自由を受け継いだ。
だが、大海賊時代の主役は大海原で自由を謳歌する海賊たちだけではなかった。
それは、背中にそれぞれの正義を背負った者たち。海賊を悪として、世界政府の名の下に正義を掲げる海軍である。
大海賊時代とは、人々が自由を求めて海へと歩み出した自由と冒険の時代であり、正義の海軍と悪の海賊が互いの理由のために熾烈な争いを繰り広げた戦いの時代でもあったのだ。
そして、未来への自由を切り開く変革者たちの時代でもあるということは、まだ多くの者が知らない。
そんな時代にあって、数々の超人的な伝説が囁かれる中、その中でもとりわけ眉唾物として扱われる伝説が一つ。
その伝説の名とは、「伝説のヒモ夫」である。
誰が言い出したか、
曰く、男であり、ヒモであると。
曰く、どこからともなく現れて現地妻を作っては再び旅に出る流浪の男であるとか。
曰く、男も女も見境のない色好きらしいとか。
曰く、それどころか老いも若いも気にしないとか。
曰く、大した男前とも優男だとか。
曰く、迫られると弱いらしいとか。
曰く、元は奴隷だとか。
曰く、天竜人にも粉をかけたとか。
曰く、大海賊を嫁にもつとか。
曰く、海軍の大物を嫁にもつとか。
曰く、曰く、曰く、いわく、いわく…。
まごうことなき曰く付き。
男の正体や如何に、と人々は謎の大色魔の姿を想像しては、嘘か真かと笑い合いながら語らうのであった。
この海の上で、この男以上に自由な男もいないだろうと。
海賊も海軍も、それどころか世界政府も関係ない。
まさに、まさに、天下一のヒモである。
ある時、自分の元で身を固めないか、と男の旅立ちを寂しがる誰かが泣きながら男に心中を伝えた。
その時、男はこう答えたという。
「そこに僕を養ってくれる誰かがいると言うのなら、僕は例え氷河の中でも、海の中でも、マグマの中にだって進むよ。」
「養ってくれる誰かの元こそが、僕の帰る場所だからね。」
男はそういうと、暫しの別れを告げる口付けてをして次に現れるであろう愛する者の元へと帆を張った。
男の名は定かでは無い。
が、人々は口々に言った。
"ストリング"
それこそが、伝説のヒモ夫の名だと。
〜〜〜〜〜
とある海の上
僕はいま、ウ○コを漏らしている。
待ってくれ。これには深いわけがあるんだ。
トイレに間に合わなかったんだ。
ま、まだだっ!通報は待ってくれっ!よりくわしく説明しよう。…僕は誰に言ってるんだ?
僕は今日、お昼から浜辺近くに船を浮かべて昼寝をしていたのだけれど、気づけば沖どころかだいぶ遠くに流されてしまっていた。
そこに突然の便意が襲ってきたんだ。
とても、そう…とても我慢できるような距離ではなかったんだ。
急いで陸を目指すか、早々に放たれなければならない状態。
なりふり構わずに、小舟の上を慎重に、それこそ慎重に、何の衝撃も与えまいと努力しながら移動したんだ。
遠くで何故だか大砲の轟音が聞こえたような気がするけれど、僕はそれどころじゃなかった。
今すぐに解き放つ必要があったんだ。
非常識だって言いたいんだろう?
だけど!僕も流石にここで、着衣でしていいモノでは無いことは分かっていたさ!
だからと言っては何だけれど、周りは全て海。
するべきことは一つだった。
魚に処理してもらおうと思って舳先に腰掛ける形で、海へと背中を向けた矢先に、事件は起こったんだ。
ズボンに手をかけた瞬間に目の前で突然僕の体を轟音と衝撃が襲ったんだ。
そしてその反動で僕の体は力んでしまった。
あ°!!!!
…何という事だろう。
開放感に気分が盛り上がることはなかったよ。
盛り上がったのは僕のズボンだけだった。
虚しいなぁ…。
まぁ、これが理由というわけさ。
虚しさに浸りつつ、僕は遠い目で轟音の震源地へと意識を移した。
目に映ったのは案の定、海軍と海賊の船の砲戦風景だった。強いていうならば、海軍が海賊の船を沈めたところだった。
視線を切って自分の身を鑑みる。
漏らしてしまったことは事実だ。覆すことはできない。
諦めてそろそろこの現実逃避から脱し、早々にSiriの惨事の始末を付けなければ、と思い立った。
さて、まずはズボンを脱いで……
僕はズボンに手をかけ直し、覚悟の上で……その後のことは語るに忍びないね。
なんてことないさ。そう、なんてことない。
魚が捨てたズボンとパンツに群がってきたのはいうまでもない。
…流石にそれを獲って食べる気は起きなかったよ。
お腹も減ってないし。
この時の僕はSiriの惨劇を始末するのに必死だった。
だから気づけなかった。
目の前まで巨大な影が迫ってきていたことに…
〜〜〜〜〜
はぁ…何故こんなことに。
これでは家に、というより妻の元に帰れないじゃ無いか。
流石にウン○を漏らすような男を養いたいとは言ってくれないだろう。
ウ〜ン…じゃなくて、うーむ…どうしたものだろうか。
僕は今悩んでいる。
僕がシモの処理に夢中で接近に気づかなかった巨大な影の正体はさっきの軍艦だった。
くっ、なるほどな!確かに、昨日の夕飯は矢鱈と精のつきそうな物が多かった!いや、いつもかな?まぁ今そのことはいい!問題は確かに臭かったかもしれないということだ!
海軍の意図…異臭の危険物を海に投棄した不審者への尋問…を覚悟した僕は半裸になるのも厭わずに上衣を腰に巻き付けた。
こ、これで最低限の尊厳は守れるはずだ!き、きっとダイジョーブ!う、うん。そ、そのはず!…守れる、といいなぁ…。
そんな僕の不安をよそに、数隻の軍艦の中から、一際特徴的な一隻…「鶴」の一文字が入った軍艦が僕の乗る小舟に接するくらい近づいてきた。
海兵の姿が見えたところで、僕は意を決して声を張った。
先手必勝である。
「ぼ、僕はこの海に生きるものとして!その正当な権利を行使したまでなんだ!」
「えっ⁉︎」
返ってきた声は僕の予想に反して女性の声だった。
それも、どこか懐かしい声。
僕は記憶を頼りに久しく会えていなかった、僕の可愛いあの子の名前を口に出していた。
「つ、つーちゃん⁉︎」
〜〜〜〜〜
あの後、僕は軍艦に上げてもらい昔よりも凛々しくなったつーちゃんに事情を説明してもらった。
それによると、どうやら単に一般人の無事を確認するために軍艦が向かってきたらしい。
被害があったら謝罪を、そんな感じでつーちゃんも代表者として甲板にいたところに、僕の斜め上からの回答があったというわけだね。
加えて、僕のつーちゃん発言が周囲の海兵の動揺をよんで、つーちゃんがこの場は預かると申し出て、今は軍艦のつーちゃんの私室でお話ししてるというわけね。
「な、なるほどね〜!なーんだ。よかったよかった。尋問されるかと思っちゃったよ。あはは〜。」
僕は照れ笑いをしてしまったが、それがいけなかったのか、つーちゃんの顔が少し険しくなったのに気が付いた。
しまった…また何かしてしまったのだろうか。あ、まだ再会の挨拶を済ませていなかったね!ごめんね。ここは素直に再会を喜ぶべきだよね!
「挨拶がまだだったね。ごめん。久しぶり!つーちゃん。40年ぶりかな?ずっと会えなかったから寂しかったけど、君が元気そうでよかった!昔より凛々しくなったね!僕は昔の可愛い君も大好きだけど、今の君も凛としてて綺麗で大好きだよ!」
僕は思いの丈をそのまま伝えた。
すると、彼女は鳩が豆鉄砲を食ったような表情のまま綺麗な顔を真っ赤にしたと思ったら、今度は怒りで顔を真っ赤にするとぐーで殴られてしまった。凛々しいね、がいけなかったのだろうか。
表情が忙しないのは変わらないね。
昔も忙しそうだったけど、今も忙しそうだね。
昔は叱られることはあったけど、殴られたことは一度もなかったからびっくりだ。何がいけなかったんだろう?
つーちゃんは、一度船窓の外に目を向けて深呼吸してから、僕に今までのことを話し始めた。
〜〜〜〜〜
なるほどね。僕は探されていたのか…。
つーちゃん曰く、40年前の彼女の任務に僕が同行した際、新世界の海上で嵐の最中に僕が忽然と姿を消したことを悔やみ続ける40年だったらしい。
死んでいるに違いない、とは理解できる。けれど、納得はできなかったという。
だから、まだ30代だった彼女はその後の40年を独り身で貫いた。結果として彼女は海軍内で以前にも増して実力者として栄達して行ったけど、どうしても僕に会いたくていたという。
「僕はとっても愛されているんだなぁ。」
しみじみとした僕は彼女に満面の笑みを向けてそう言い、もう一度殴られるかと思いきや、慈しみが籠った手で頬を何度も撫でられることになった。
照れたので、僕も負けじと「ま、僕も愛しているけどね!」と言うと、彼女に今度こそもう1発食らうことになった。
積もる話が40年分あるのは確かだけれど、彼女は表情を引き締めて僕に、「今度はアンタの事情を教えておくれ」と言った。
困ったな、上半身半裸の理由を聞かれても…○ンコを漏らしたからなんて言えないよ…でも、嘘はつきたくない。
「ねぇ、つーちゃん…僕のこと絶対嫌いにならないって約束してくれる?」
僕なりの覚悟とケジメ…。どう、かな。きっと今の僕の顔は不安一色だろう。そんな情けない僕に向かって、つーちゃんは優しい顔で僕に言った。
「40年ぶりにアンタを見た時、アタシが何を思ったかわかるかい?…よかった。自分が、今日まで生きてて本当によかった。また会えた。怒りとかそんな気持ちはこれっぽちも湧いてきやしない。不思議だね。…だけど、心底アンタに惚れちまってるのさね。さっきの言葉。40年ぶりの再会の挨拶を笑顔で、殺し文句までつけていわれて…本当はアタシも泣くべきなんだろうけど、嬉しくって年甲斐もなく胸の奥が疼いたよ!全く!はぁ…アンタは全く変わらないね…。だから心配は無用さ。」
それ以上の言葉は要らない。
そんな雰囲気を纏った彼女はそこで言葉を切った。
僕は嬉しかった。だから、話すことにした。
「つーちゃんありがとう。僕も決心がついたよ。」
僕が笑顔でそう返すと、彼女も僕に悪戯っぽい微笑みでこう返した。
「なぁに、安心しな。たとえアンタが小便大便漏らしたって、アタシがアンタを嫌うことなんかありゃしないよ。」
「…つーちゃん、ごめん。」
僕はそっと目を逸らした。
…その後、なんやかんや一悶着あったけど、どうやら誤解だった模様。
何でも、彼女が気になっていたの僕が何故あそこにいたのかよりも、どうやって40年の間を生き延びたのかだったらしい。
…なんだ、僕の身に何が起こったのか教えてくれと言うから、てっきり漏らした話をしろってことかと思ったよ。
よかった〜。…よくはないけど。もう話しちゃったし。
話終わる前に、呆れ顔だったけど、優しく全身洗濯してもらったから体はスッキリしたからラッキーと言っていいのか…何か大切なものを失った気がするよ…。
そんなこんなで、僕は一先ず彼女に保護されることになった。保護というよりも扶養下に戻ったって感じだけどね。
これからのことを相談したところ、この軍艦は進路を海軍本部に向けており、今日中にも帰還するらしい。嬉しいかい?とつーちゃんに聞かれたけれど、嬉しいかというと微妙な気分だなぁ。
何でって?そりゃぁ…ねぇ、つい今日の朝まで「海賊」のヒモとしてのびのび暮らしてた身としては、少し肩身が狭い気分だよね。
…それに、今年中に少なくとも既に二回くらい行ってる気がするし…どっちかというとその周囲の街に滞在しただけだけど。
…この話をしたら今度こそ問い詰められそうだから黙っとこ。
「海軍本部かぁ。元気にしてるかな?アイン達とは一緒にいたし…何ならヒナちゃんとは少しの間同棲してたしなぁ…たしぎは大きくなってるかなぁ?あぁ!あとはコワモテ三人衆か?あの子らは元気にして…⁉︎」
振り返るといい笑顔のつーちゃん。
この後小一時間、本当に何をしてたのかを問い詰められましたとさ。ちゃんちゃん。
〜〜〜〜〜
そういえばあの人はホントに困ったヒトだったね、昔から。
あの人との…ジルクさんとの出会いは今から60年近く昔のことだったね。
当時のアタシはまだ海軍に入隊したての、16そこらのヒヨッ子新兵の一人だった。
何も知らないアタシの前には高い壁が立ち塞がった。
女だということもあったろうけど、正義と平和、その執行者たる海軍とそのさらに上の連中の汚さはアタシの志を幾度も迷わせたもんさ。
そんな時、任務で上陸した島で同期の三人とはぐれたことがあった。
敵を甘く見ていたのかもしれないし、単に実力不足だったのかもしれない。両方もしれないね。
アタシは負傷し、重い体を引きずって壊れかけの小屋に身を潜めた。自分が優秀であることを誇ってはいなかったものの自覚していた分、この時の傷は余計に痛む気がした。
まずは生き延びて仲間と合流しようと思ったが、実際にはうまくいかない。安全を確保して何か作戦を立てなければ、そう思って気配を探ると目の前に男が立っていた。
あの人だ。
男は私に対して空気を読まない明るさで語りかけてきた。
「こんなところに何しにきたのさ?ここは最近物騒なところだよ。僕もこの前なにもしてないのに撃たれたり切られたりしたもの。でも、今朝方に海軍の船が来てたから少しは落ち着くのかもね〜。うーん。でも、君みたいな可愛い子がいたらやっぱり危ないよね。うむうむ。港まで案内するよ?」
「な、何をいきなりいうかと思えば!見ればわかるだろう?アタシがアンタの言ってる海軍だよ…情けない話だけどね?アンタは海賊かい?それともお人好しかい?どっちでもいい…お人好しなら早いうちに逃げな。そろそろ追手が来るはずだよ。」
信じることはできない。だが、どうにも違和感がないほどに濁りのない声音や瞳に、急かされたような声が出てしまった。
けれど、男は気を悪くした感じもなく、随分と遅い反応だがアタシの怪我に気付いて声を上げた。
「け、怪我してるじゃないか⁉︎こ、これは大変だ!えーと、えーと…ぼ、僕が運ぶよっ!さぁ!い、くよっ!」
「だっ、だからいいと言ってるでしょう!降ろしなさいな!」
無理くりといった具合に背負われてしまった。
海兵としてのプライドもあって暴れてみるものの、案外にもこの男は力が強かった。
歩き出した男の背中から逃れようとしながら、色々と情報を引き出そうとしてみると、男はよく喋る。よく喋るが、重要な情報は特になく、逆にこちらの好物や、恋人は居るのかなどと聞いてくる。自分の方が答えられなくなってしまう始末だった。
結局、抵抗虚しくといった具合に背中に収まって、おぶさられたとき独特の縦揺れに、それまでの疲れも相まって眠りかけた時、ふと思いつきで何者なのかと声をかけてしまった。
すると、それまではのほほんとした返しが多かった男からしっかりとした、男らしい、低めの声で返答があった。
「ヒモだ」
何を言っているのかわからなかったが、思考回路に油が刺される前に瞼の重さに屈してしまった。
微睡に落ちる瞬間、男の優しげな「おやすみ」の声が聞こえた。
〜〜〜〜〜
次に目が覚めたときは夜だった。
瞼を開くと男はまだ進んでいた。
疲れないのか、と聞くと。
ダイジョーブ、と答える男。
身体の痛みに顔を顰める回数が減っていることに気づき自分の身を見下ろすと、身体の汚れは清められ、包帯が巻かれていた。女の羞恥心は健在らしかった。
無言の中に不服を混ぜると雰囲気を察したのか、男は「見ちゃった。ごめん。」と言った。
体を見たことに謝ったらしい。別に構わない、と答える。
男は前を見たままに、綺麗だった、と付け加えた。
顔が赤くなってしまった気がしたので、もう一度寝ることにした。
起きている人間よりも、寝ている人間の方が重い。
それで許す事にした。
〜〜〜〜〜
翌朝、目を覚ますとはぐれた三人の顔が間近にあった。
「よっしゃー!おつるちゃんが目を覚ましたぞぉ!」
「肝が冷えたな…。」
「心配した甲斐があったというものだ…無事でよかった。」
思い思いの言葉で心配してくれたことがわかった。
ガープは他の仲間にもアタシの復帰を伝えてくると向こうに行った。
アタシはゼファーとセンゴクに向き直って言う。
「心配かけたね。もう大丈夫だよ。あの人はどこだい?お礼を言いたいんだよ。」
嘘はない。体はスッキリとしている。何より、今は礼を言いたかった。だが、三人の反応は悪い。
「……」
「…男の人だよ。アタシを手当てして、ここまで安全に運んでくれた人さ。」
二人は目を逸らしていたが、帰ってきたガープは何でもないことのように言い出した。
「あぁ!昨日のヤツか!面白いヤツだったよな!俺たちも引き留めたんだけどよ、なんだっかな…あぁ、そうだ!」
ガープの話によると、彼は「僕には待ってる人がいる。悪いけどもう行かなくちゃ。その可愛い子にはお大事にねって伝えておいて。」といって、早々にどこかへ立ち去ってしまったらしい。
お礼を、センゴクが申し出るものの、逆に安全に港まで戻る道を教えてもらって今に至るらしい。
三人は港の手前で遭難状態だったらしい。出来心でガープの勘に従うからそうなるのだ。だが、お陰様でアタシは無事だった。案外意味はあったのかもしれない…。それはさておき、彼が向かったのは目的の海賊のアジトのある方角だったらしい。
アタシは彼の身の安全を願った。
〜〜〜〜〜
3日後、予定より2日も早く目的の海賊を壊滅させることができた。
彼を見つけることは意外にも簡単だった。
木製の檻に入れられていたところを保護した。
海賊のアジトの周りで武器も持たずにウロウロしていたので、見回りの海賊に捕まったらしい。
そして、彼は本当にヒモだった。不思議なことに、軽蔑の念が浮かぶことは全くなく、素直に彼が無事であることが嬉しかった。
思えば既に絆されていたのかもしれない。彼は常に場違いなほどに優しい顔と声で笑った。
結局、アタシは彼を海軍に招くことにした。
招くと言っても保護の延長、いわば客人として招いたのだ。
他の三人も彼には興味があったと見える。
四人で彼に事情を聞くことになった。
彼の話は驚くべきものだった。
何でもこの島の近くでつい最近まで恋人と暮らしていたそうな。
恋人の名前はグロリオーサ。
元々は女性しかいない島の長だったらしく、そこでの重責を投げ出してしまったことを深く悔いていたという。
彼…彼の名前はストリング・D・ジルクらしい。ジルクは元々、そのことを深く心配しており、向こうに一緒に住む覚悟があることを以前から伝えていたのだが、彼女は一週間前にジルクを二人で住んでいた家に一人残し、どこかへ行ってしまったのだという。
ジルクはすぐに彼女の故郷にいる"恋人"にデンデン虫で確認を取ったが、まだ島には帰っていないらしく、まだ近くにいると考えて手当たり次第に島を探して回っていたらしい。
そんな中、彼が上陸して探し回っていた島が偶然にもつる達が上陸した島で、さらに偶然にも三人とはぐれた手負のつると出会い、手当てし、三人の元へ送り届けて再び捜索を始めたところで海賊に捕まり、3日後の今こうして四人と話している。これが彼の話の顛末らしい。
「三人に会えてよかったね。それで、悪いんだけど…」
話終わった彼は申し訳なさそうに四人組にお願いをした。
「船が欲しい、か。勿論、その程度なら海軍だから問題ないと思うが…」
「え〜!ここに残れよー!そうだっ、お前も海軍に入れよ!」
「私たち四人を助けていただきありがとうございます。恩返しになるかはわかりませんが、もう少し滞在されては?私たち四人は歓迎します!」
ゼファー、ガープにセンゴクの三人は三者三様に好意的な態度を示した。
しかし、ここで不穏な空気を含んだ発言が飛び出す。
発信元は常に冷静沈着なはずのつるであった。
「アンタはヒモなんだろう?」
ギクリ、本来ならば男の反応はこれだろう。
だが、この男は違った。
「あぁ。僕はヒモだ。僕は誰かに生かして貰って生きてきたんだ。」
悪びれることなく。堂々と。優しく穏やかな微笑を添えて。男は言った。
「…どうしてヒモなんかでいたいんだい?アンタ…本当は無能でも非力でも無いだろうに。」
つるはなおも聞く。心の底から彼の答えが聞きたかった。どうしても、男の姿が情けない男の姿には見えなかった。自分を助けた男はとても優しく、逞しく、それでいてなんとも特別な雰囲気の男だったから。この男もDだ。ガープと同じDを名前に持つ男だ。
「僕は常に誰かに寄り添える人間でありたいんだ。常に誰かの味方でいたい。」
疑念ではなく、確認のためにつるが問うたのを彼は気づいたそぶりを見せることはなかった。だが、はっきりとそう言った。先程の微笑とは違う、今度は照れ臭そうな満面の笑みだった。
「誰でもいいのかい?」
つるは最後に聞いた。
「僕は僕を必要とする誰かを選り好みしないよ。僕は常に誰かを必要としているからね。グロリオーサのことも変わらず愛しているよ。でも、僕は迫られると弱くてね。グロリオーサにも、他の娘の元で暮らしてる時に迫られたんだ。今でもその時の娘とは愛し合ってるし、グロリオーサも相手も納得してくれた。何より、彼女は彼女なりのケジメをつけたんだってことは僕もこの一週間でわかったよ。また彼女には必ず会えると思うからね。」
「罪な男だね…。なら…」
「!おつるちゃん?まさかっ」
「アタシにしときな。アタシがアンタを養うよ。」
「「「……(あんぐり)」」」
「喜んで!今日からよろしくね?つーちゃん!」
〜〜〜〜〜
その後、彼は海軍の軍属として働き始めた。
ヒモだけど働きたく無いわけじゃ無いというのだ。
アタシは自分がどうして彼をヒモとして迎えようと思ったのか最初はわからなかったが、一年もたたないうちに理解した。
彼はとても普通だったのだ。
穏やかで、優しくて、上品では無いが下品では無くて、思いやりがあって、羞恥心もある、常に初々しいと言うかそんな眩しさがあった。
だからといって男らしさが無いわけでは無い。体は細身だが極めて強靭に見えたし、肩を抱かれたり、背負われたりすれば、彼の肉体はとても魅力を覚えずにはいられない何かがあった。
声は低すぎず高すぎず、まさに普通の声。声音は優しく、しかし明瞭でアタシの好みだった。
料理はうまく無かったが、音痴でも無い。他の才能も目立つものはなく、別段に器用ではなかった。
ただ一つ、ヒモを結ぶのは本当に、冗談抜きで美しい手際で、恐ろしく正確に、かつ素早く結べた。
彼曰く、自分はヒモヒモの実を食べたと言うのだ。
アタシはつい笑ってしまったが、彼はエヘンと胸を張っていた。可愛いらしいところも彼の魅力の一つだろう。
…アタシは、気づけばジルクさんの魅力を一つ一つ丁寧に数えるように頭に浮かべていた。
毎日が楽しかった。初めは海兵の寮、次は小さな戸建て、出世して仕事が忙しくなると海軍本部の私室、時には任務先の宿屋や軍艦の居室。いつでも二人だった。彼は暇な時は、他の女の元へ行ったりもしていたが、そんな些事を気にする暇もないほど充実していた。
アタシ達が実質的に離れず一緒に過ごした個人的な時間は、1日1日数えれば1年くらいだろう。彼との暮らし自体は15年近く続いたにもかかわらず、だ。
なのに、丸々15年以上の時間を一緒に過ごしたような心地だった。
彼と一緒にいると、気を使わずに済んだ、彼は常に誰かの味方でいたいという言葉通り、何があってもアタシの傍に、苦しい時も悲しい時も…ただただ寄り添ってくれた。
それに、彼との15年の暮らしの間、これといった悲しみや苦しみは驚くほどに無かった。
彼は実に罪な男だった。常にふらふらとしているように見えて、一番側にいて欲しい時には必ず側に来てくれるのだから。とことん彼に惚れ抜くのに、そうそう時間はかからなかった。きっと彼は無意識なのだろう。
だが、彼は男が一番頼もしく見える、そんな時ばかり確り頼もしくなるのだ。ずるい、そう思う。
あの時だって、彼が軍属として厨房で演習組の料理を作った時に偶然食中毒が起きて、一つ二つ上の問題児組が代わりに組み込まれたお陰で、ゼファーが腕を失う以外は誰も死なずに済んだじゃないか。
演習組、もといゼファーに悪いといって、やらなくていいとゼファー本人から言われてたのに頑なに譲らなかった彼の家での家政夫の真似事だって、あのまま家にいたら賊に襲われてたはずの彼の妻子を、ジルクさんが勝手に連れ出して街で遊んでくれたお陰で二人とも無事だったからねぇ。
ジルクさんはきっと気付いてないだろうけど、アンタはきっと運命に愛されているだよ。だから、アンタのそばにいると皆んな幸せになってしまうんだろうね。
おかげで平穏な15年間だったよ。だからか…正義よりも、平和と癒しを味わうことに夢中になっていたのかもしれない。
15年目のある日、彼はアタシの任務に同行した。
当時少将だったアタシにとって、その任務はさほどの困難ではないと考えられた。
だが、結果的には嵐によって軍艦が転覆する事故が起きた。
アンタは居なくなってしまった。
そして、今日、また会うことができた。
40年離れて、アンタがどれだけ特別なのかよくわかったよ。
アタシにとってどれだけ大きな存在だったのか。どれだけアタシがアンタに惚れ込んでいたか、ね。
アンタは、「全く変わらない」ね。
外見も、声も、仕草も、匂いも、気配も。
そして、アンタと「繋がった」アタシも、本当はもう70のいい年寄りだってのに、40前で止まってるみたいに若いままだよ。40前、と言っても20の時も30の時も…アンタと会ってから随分と若いまま変わった気がしないけどね。
きっとアンタのおかげなんだろうね。
はぁ〜アタシはアンタに何処までも弱いみたいだよ。
"おさらい"してみると、やっぱりアンタしか居ないと思っちまうね。捨てたと思ってた女も、こうも老いなきゃ誰かに捧げたくなるもんさね。
本当に、ずるい、罪な男だね。
アンタが戻ってきてくれて、アタシは心底幸せだよ。
愛してるわ、貴方。
〜〜〜〜〜
とある女しかいない島。
「ニョン婆!そ、それは真か⁉︎真なのであろうな⁉︎」
女帝は吼える。
「間違いにゃいにょ!」
婆…と呼ばれた妙齢の美女も吼える。
「ハァァっ!…全く、罪なお人じゃ…妾を放って、言伝も残さずに他の女の元へ行くなどっ!!」
女帝は覇王色の覇気を周囲に放出し、場の空気を張り詰めさせた。
「美しい故に全てが許される。世界一の美女たる妾をっ、妾をこうもぞんざいに扱うとはッッッッ!!!今日という今日は!許さん!許さんぞ!!!」
女帝の怒髪天を衝かんとする様に、彼女の妹達は口々に言う。
「ああっ!おいたわしや、姉様!ついにお目覚めになられたのですね!」
「あの男もこれでよく学ぶでしょう!絶世の美女たる姉様こそが真の、唯一の伴侶であると!いいえ!あの男には過ぎたものでしたのよ!」
二人の姉想いの姉妹は敬愛する姉に口々いう。
「「さぁ!姉様!準備は整っております!今こそあの男に離縁状か正式な婚姻の儀を執り行うよう迫ってやりましょう!!」」
二人の声に呼応したかの如く最も大きな影が絶世の美女たる女帝から発せられる。
周囲の近衛は気を失うまいと足を震わせながらも耐える。
女帝の号令は今発せられるのだ!!!!
「でもぉ、そんな逞しくて、自分勝手な所も愛してるからぁ!!!やっぱり妾できないっ!!!」
…ベタ惚れだった。
「いつもにょこと…とはいえ、ジルたんへの盲目度にゅ日々磨きがかかっている気がするにょ…。」
「ね、ね、ねぇ様⁉︎また、なのですか⁉︎あれは悪い男に決まっています!!」
なだめるサンダーソニア。
「しかしぃ…そ、そうは言ってものぅ〜。」
体をくねらせながら渋る女帝ハンコック。
「そ、そうです!!あの男のやったことを思い出してみてください!あの男は!よりにもよって女帝であり最も美しい美女である姉様をっ、よりにもよって現地妻扱いですよ!!」
畳みかけるマリーゴールド。
「そうです!その通りです!どうするのですか!あの男にとって、今の姉様は都合のいい女ですよ⁉︎」
トドメのサンダーソニア。
「はぅっ!!げ、げ、現地妻⁉︎現地妻ということは妾の他にも女が⁉︎じ、女帝すら都合のいい女にする男…!ジルク様、なんて悪い男!…では、妾は、妾は……ブツブツブツブツ」
ハンコックは深刻な顔で二人の妹の言葉を反芻する。
サンダーソニアはマリーゴールドと二人で目を合わせると、静かに心の中で「やったか」と呟いた。
「ジルク様の!都合のいい女!…」
ゴクリ!
二人の妹達は生唾を飲み込んだ。
「な、なんと素敵な響きじゃ!クッ!意地悪なジルク様が魅力的過ぎて!都合のいい現地の女である妾は逆らえぬぅ!はぅ!」パタり…
今死んでも本望、そんな幸せそうな達成感に満ちた表情でハンコックは鼻から血を垂らして自爆した。
「あぁ!姉様が失神なされた!」
「は⁉︎鼻血⁉︎鼻血を出しておられる!誰か!誰か袱紗を!」
「はぁ〜、ジルたんにょ妄想で自爆するとは…蛇姫の盲愛もかんがえもにょ、か。」
姉妹の息ピッタリのコンボは確りクリティカルヒットしていた。もちろん、彼女らの思惑とは真逆の方向に、であるが。
ハンコックと、彼女を介抱するためにサンダーソニアとマリーゴールドも退出した玉座の間にはニョン婆が一人残っていた。
彼女は周囲に人がいないことを確認すると、緩む口元に手を当ててクスクスと笑った。
「流石は、歴代女帝を4代連続で恋煩いに堕とした男だにょ。…5代連続に記録は更新だにょ。」
ニョン婆…いや、グロリオーサは愉しげにそう呟くのだった。
恋はいつでもハリケーンであった。