※この作品はR-18です。

ヒモヒモの実のダメ人間   作:ヤン・デ・レェ

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感想を下さった方、評価をくださった方、いつも本当にありがとうございます。とても嬉しく励みになります。
一応の拙作の完結話となっております。今後はR18と女達との出会い、原作関連を描いていきます。ストーリーは少し描き切った感があるのでR18を中心に五千から一万文字程度で投稿したいと思います。偉大なる原作様を頼りにまた一つ新しいSSを書ければとも考えております。


ヒモヒモの大事件「海公方"クニトリ"後編」

 

 

ジルクの気絶騒動からはや一月。九里は平穏であった。

 

あれからオロチの手のものは人も物も攻めてくることはなくなり、それどころか策略の香りすら漂わせていない。

しかし九里の財政は日に日に苦しくなっていた。それまでは「トキの為」と言って、ジルクの莫大な財産を惜しげもなく使うことができていたがそれも日を追うごとに擦り減ってきていた。

更に状況の安定が寧ろ郷の中の経済を活発にした事で需要と供給の狂いが生じ始めていた。

 

言わずもがな足りないのは供給である。

 

オロチによる侵蝕が止まったとはいえ未だに九里への締め付けが無いわけではない。加えて各郷の豊かな自然資源や広大な農地の殆どが輸出用の武器を生産するための工場の建設により潰されていたのだ。

将軍の支配下にある郷でさえ食料が不足していたのだから、彼ら非支配下の郷に優先的に食料が売られるはずもないのだ。

九里には桃源農園が存在しているが、それだけで賄うことも難しい。民のための備蓄は多ければ多い方がいいのだから。この有事の最中に備蓄を用意するのは当然だが備蓄は捗らない。民からの徴収協力は徐々にだが以前に比べて減る一方であった。

 

大名おでんの不在は民心に強く影響し始めていた。

 

オロチの予想に反して、九里の郷は内側からの崩壊を危惧する事態に陥っていたのである。

 

しかし、オロチの予想が全てに反していたわけではない。こと防衛に関しては傳ジローや錦えもん始め一級品の戦力が揃っており、軍事的な内憂にありがちな仲違いや利権争いは皆無であった。

そして特筆すべきは先日も騒動を起こした公方様ことジルクの存在である。

彼は自分の力を理解していないという致命的な欠点こそあるものの、その力が味方に向くことはないのに対して、敵対者との抗争では無類の強さを誇った。

 

しかし、何故力を理解していない者が切り札のように扱われているのかという疑問は確かにあるだろう。だが、公方様を切り札にと言い出したのは他ならぬ武闘派最強格のアシュラ童子だった。

これも大きく彼の切り札化を助けることとなった。

 

彼はというと危険性を全く理解していなかった。

切り札を何かの事務担当か広報担当だと考えていたとさえ考えられる。

そのため、真っ先に敵前に駆り出されている事に気づかずに真っ先に攻撃され、敵の運が良ければジルクが逃げ帰ってきて赤鞘衆が迎撃し、敵の運が悪ければ攻撃で気絶し白目を剥いたジルクから徹底的に撃滅されるのである。

 

今のところは全て後者が発動しており、赤鞘衆は感謝と畏敬半々の心地であった。

 

さて、このような状況で九里の郷が最も御免被りたい敵の動きとは何であろうか。

 

それは、兵糧攻めや情報封鎖などの絡め手である。

奇しくもこれらは将軍オロチの最も得意とする分野であった。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

去る日、ついに将軍が動き出し九里への最後の一手を下した。

彼は九里の郷の周囲を数里に渡って封鎖し鎖国国家ワノ国にあって情報封鎖による鎖国を強い始めたのである。

今回に関しては敵との距離も離れており、範囲も広く、何より敵の数が錦えもん達赤鞘衆といえども手に余すほど膨大であった。

 

無論、敵も常に封鎖線に張り付いているわけではないが、それはつまり後詰が潤沢にいることを九里の者達へ教えていた。

 

周囲を物理的に封鎖されたことで外部からの情報は、時折敵の包囲網を突き破って九里に辿り着く他の郷からの使者や同心から知らされるのみとなった。

 

九里の、というよりはおでんのブレインとして参謀的な存在でもあった傳ジローはこの状況をかなり深刻であると判断した。

 

今から何を用意しても効果的であるとは言い難く、寧ろ時間をかけた用意などオロチの勢いがさらに強まるのを放っておくことと同じであった。

 

早急に形勢逆転の一手を打ち、敵の包囲の打破と九里以外の郷の解放、そこから全国一斉蜂起によって都を奪回しなければならない。

 

傳ジローに、九里に与えられていた手札はそう多くない。その限りある力をどうにかやり繰りして、または強化していかなければならなかった。

最も信頼している同心は無論のこと共におでんに仕えてきた家臣団、そして主君おでんの養父とも呼べる公方一人であった。そして、次席として白舞の霜月康イエとその家臣、都の大親分として名を馳せる花のヒョウ五郎。

 

この二人のほかに今のワノ国において武士としての矜持を明け渡していない者はいないのも悔しいが事実であった。

 

また、今や反抗勢力の方が劣勢かつ少数派へと回ったのである。相手からの警戒は特筆すべき力を持つものほど強いと考えられた。

 

現状は何もせずに敢えて静観を決め込むべきであるか…というのが九里の中枢で固まりつつあった。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

都に向かう武士の列。一人としてその目に死を意識していない者はない。皆武士として戦い、そして武士として死ぬを良しとした者達である。

 

彼らは遂に仮初の服従を破り、暴君オロチへ一矢報いることでおでんが帰ってきた時に彼が自分たちの仇を打ってくれるようにと決心を固めて打って出た。

 

彼らを率いるのは花のヒョウ五郎であった。彼は都一の侠客の名をもって各地に散らばっていた傘下をかき集めた。

 

一世一代の大博打、ワノ国の光月家への御恩返し、おでんの為に将軍の椅子を奪い返してやろう、美しきワノ国を奪い返せ…そんな各々の信念、譲れぬ思いを持ち寄った彼らは郷や職業までバラバラであったが皆誰もがその芯に刀を宿したモノノフであった。

 

都の端から始まった大蜂起の戦士の行列は城へ近づくごとに膨らんでいく。

 

皆圧政に耐え、圧政を憎み、圧政と孤独に戦っていたのである。だが、その孤独も終わった。彼らは一揆を結び断固たる将軍への反意を示した。

 

なけなしの武器を手に、オロチの座す奪われし城へと彼らは突入した。

 

襲いくる敵はオロチに心を売ったサムライや外海の協力者がオロチに貸し出した奇抜な強者達も含めるとまさに見渡す限りの多勢である。

 

だが、彼らは決して怯まない。彼らは誰一人歩みを止めない。血に沈む者、血を浴びる者誰一人として握りしめた得物を捨てる者はいない。

 

その狂気の如き気迫は、徐々に敵を奥へ奥へと押し込んでいった。オロチの座す広間にまで迷わず進む武士達の勇姿は次なる世代へと受け継がれるだろうと多くのものが思った。

 

優勢への希望が見えてきた。

 

 

その報告は半ば静観への姿勢を片面としていた九里へも届けられた。

 

火急の報は願ってもない吉報である。一方的にやられっぱなしであることを好むものなどいない。それはここ九里においては顕著であった。そして、それはおでんの腹心達もまた同じであった。

 

加勢に参ろう!いざ助太刀を!という声が城下の町の民心からも大きく上がり始めていた。

決めあぐねた傳ジローは、彼の兄貴分のような錦えもんへと視線を向けた。どうすればいいだろう、と。自分一人で決めるには事が大き過ぎる。かと言って協議熟論するには時間があまりに少ない。

 

簡潔な鬨の声が彼らには必要だった。誰もが思った、おでんが居れば、おでん様がいてくだされば…と。

 

焦燥が高まりを見せる城内外。そんな時、新たな一報が入った。

 

「敵が包囲を解き都へと向かっております!」

 

そこからの赤鞘衆の動きは迅速の一言に尽きた。戦支度を数分で済ませると言葉もなく各々の全速力で都へと援軍に向かう敵の背を突いた。

 

これまでの鬱憤を晴らすかのように怒涛の攻勢に出た彼らを前にして敵の軍勢は少しずつだが勢いを落としていき、それに対して九里勢は勢いを増しに増していく。

 

オロチの首は都の仲間へ頼もう。我らはこの援軍を殲滅するのに注力しよう。

 

武士としての誇りと、九里を守るために最善を選んだ彼らに罪はない。故に、包囲部隊の一部が真っ直ぐに九里のおでん城へと向かったことに気づけなかったことは決して責められるべきことではなかった。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

「そろそろだっ!飛び道具の準備はいいなっ⁉︎」

 

「無論だ!いつかの礼に倍で返してやれ!とのお達しだ。」

 

彼らは包囲部隊に紛れていたオロチ直選の精鋭である。彼らはカイドウから貸し出された兵士とオロチの手勢の混成部隊であったが、その連携は極めて高度にまで達していた。

 

彼らは包囲を予定通りに解いた軍勢に向かって直進していく赤鞘衆の姿を確認すると、隠匿場所からすかさず飛び出した。向かう先はおでん城。オロチから与えられた地図に従って行けば問題はない。

 

彼らの主兵装は特注の飛び道具である。毒を仕込み、貫通力を研ぎ澄ました高品質な武器に彼らも気分の上昇を覚えつつ、今回のターゲットの情報を思い出していた。

 

今回の標的はおでん城にいる女子供の計三人。

全員がおでんの家族とのことだ。中々に悪どいこどするな、とはこの部隊に所属している者達の総意であったが、それとこれとは別である。

彼らの上にはオロチがおり、そのさらに上にはカイドウという魔王が君臨しているのだ。

 

無論、彼らとてカイドウの手のものである以上は例の絶対命令については理解していた。しかし、今回の標的はあくまでも「おでんの妻子」であった。彼らは人妻と公方に関係があるなどとは考えたこともないのであった。

 

故に、彼らは何の戸惑いもなく弓を引くこととなった。

 

「もうすぐ門だ!飛び越える用意をしろ!」

 

部隊の班長の声で組み立て式の梯子を使い門を越える。

 

「見張りは捨ておけ!目指すはおでんの妻子のみ!」

 

驚く見張りを無視して、彼らは一斉に城の内部へと侵入した。そこかしこから敵襲を知らせる声が上がるが、それよりも彼らの足の方が早い。

 

「突入だ!」

 

広間を抜けて城の中枢へと踏み込んだ彼らは、さらに奥へと侵食する。おでんの家臣達の部屋を超えた先に一際広い居室を見つけた彼らは耳を澄ませて中の様子を探る。

 

「………子供の声だ…」

 

一人が小声で報告する。

 

名前を確かめろという班長からの指令を待たずして、襖の向こうから大きな声が届いた。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

「ひ、日和ぃ〜〜いっ痛いでござる〜っぶへ!」

 

日和に飛び蹴りを喰らわされたモモの助は派手に吹っ飛び、畳の上で目を回してしまう。

 

「あーあー、だめだよ日和。モモの助は弱っちいんだから…もっと優しくしないとお母さんに怒られるよ〜?」

 

無邪気に追撃をと飛び上がった妹の日和。

彼を抱き止めて諭したのは公方ジルクであった。

 

「え〜!でも母上は兄上と一緒にあそんできなさいって!」

 

生まれた時から側にいる、母からは第二の父と教えられてきたジルクへ日和はぶーたれる。

それを見たジルクは微笑みながら彼女の素直な言葉に素直に返した。

 

「ん〜トキは少し男の子に厳しいんだよ〜。でもな〜トキがママだからね〜、ならまぁいっか!モモの助〜がんばれ〜。」

 

案外サラリと日和に許しを与えてしまったジルク。彼からすればトキによく似た日和にとやかく言うのは少し気が引けたのである。何より彼女はおでんの娘だ。他人の娘をぎりぎり締め付けるのは違うなと彼は考えていた。

 

「えぇー!!そ、そんな〜公方様だけは味方だと思ってたのに〜!」

 

おじさん的な存在であるジルクは大概モモの助にも甘かったが、ヤンチャな日和にはそれ以上に甘かった。

男同士仲間だと思っていたモモの助は、自分への追撃を止めてくれた彼が妹を叱ってくれるものだと期待していたが、あまりにアッサリとした妹の放逐にアゴが外れるくらい驚いていた。

 

「ふふふ…ジルク様は少し甘いからそれくらいで宜しいのです。さぁモモの助、妹に一々腹を立てては立派な武士にはなれませんよ?あなたはワノ国の将軍になるのですから。」

 

子供達と想い人が戯れる様を穏やかに見守っていたトキは、いつもの様に長男モモの助へ武士としての志を持つように諭した。

 

彼女が息子へお前は将軍になるのだと言い聞かせたのと、襖が破られたのは同時であった。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

「覚悟しろ!光月の血め!」

 

襖を蹴破り部屋へと突入した班長が特注の弓を引き絞る。

気合を込めて矢を放つ。彼の照準の先はモモの助が恐怖と驚愕に顔を凍りつかせていた。

 

「公方がいたとは都合がいい!オロチ様からの礼だ!」

 

班長に続き突入した男が構えていた銃の引き金を引く。弾丸が高速で解き放たれた。弾道の先には日和が泣きそうになりながら恐怖のあまり目を瞑っていた。

 

「友の妻子が死ぬ姿を!その目に焼き付けるがいい!!オォォォォォ!!」

 

最後に突入した巨漢が雄叫びとともに強弓で一際太い毒塗りの矢を撃ち掛けた。バシュっ!!という音と共に高速で空を切る矢。鏃は真っ直ぐにトキに向かっていく。

 

「危ない!!!」

 

恐怖により金縛りに遭ったように身動きの取れない子供の元へ残酷にも吸い込まれていく狂矢に身を晒した母トキ。

彼女の声は死すら恐れずに子を守るために自分を奮い立たせるためのものだったかもしれない。

だが、その声は強く透き通った悲鳴として確かにジルクの耳へと届いていた。

 

 

ドス!!ドン!!ドズン!!!

 

 

「⁉︎っな、何だとっ!?」

 

「あっありえん!」

 

「にんげん…な、のか⁉︎貴様はぁぁ!!」

 

着弾のコンマ数秒前に三人の前へと躍り出た影は、一片の破片すら彼女達に届かせることなく全てを受け止めていた。

 

「ジルク…様?」

 

子供達と共に死を覚悟したトキの目の前には全身に重傷を負ったジルクの姿があった。彼の体はブレてはいたが、流石に苦しいのか顔が苦悶で歪んでいる。

トキは胸が締め付けられるような痛みと愛するものに守られたことに深い情動を覚えていた。

父の背中に頼もしさを覚えたのは幼き頃に戻ったようで、少しだけ寂しかった。

だが、彼女の咄嗟の感慨は他でもないジルクによって現実へと引き戻されたことで終わった。

 

「痛いぃぃぃ!!!!体が色々痛いよぉぉぉ!?!?」

 

絶叫である。確かに、痛くない方がおかしいのだ。特大の盲管銃創、毒、矢による深刻な裂傷。仁王立ちでいることが信じられぬほどの重傷を負ったのだから痛いのは当然である。武士として育ったわけでもない彼からすれば尚のこと痛みへの痩せ我慢は不要であった。

彼は目から涙を流しながら自分の体から慣れた手つきで異物を取り除いてゆく。

 

…実の所、彼はロギア自然系の悪魔の実「ウミウミの実」を身に宿しているのだが、彼が十分に使いこなせていないと言うことと、敵の用意した武器が特注の海楼石で練られた物だったために彼はこれほど痛がっていると言うわけである。今の彼は死なずに怪我が無限に治る以外は、痛みに敏感な普通の人間である。

 

「くっ公方様!無事でござるかぁ!?」

 

死んでない!と目を開けたモモの助からは背中しか見えていないが、自分の命が公方により守られたことは状況から理解できた。公方の足元に溜まった膨大な血液は彼から見ても致死量の域であった。

不安と心配から大声で彼に声がける。無論母に抱きついたまま。

 

「も、モモの助の方に向けないかなぁ…ちょっと教育によろしくないかも…」

 

体から最後に突き刺さった一際大きな石弓を引き抜いて畳の上に捨てたジルクは、まだまだ完治とは言い難い肉体の表面的な負傷の状態からモモの助を抱えているであろうトキへとそう伝えた。暗に二人の目を塞いでおけといったのである。

 

「ジルク様〜死なないでぇぇ〜!!」

 

母に目元を塞がれつつも泣きながら懇願する日和の声がジルクの耳に聞こえた。彼は振り返らずに眉を八の字にしながら泣かないでほしいと心配した。安心しろとは言えないけれど、可愛い女の子が悲しみや恐怖で泣くのは見たくも聞きたくもないのだ。

 

「うぅぅぅ〜…しな、死なないと思うけど痛いかなぁ…ひ、日和も見ちゃダメだよぉ!」

 

精一杯の強がりと思いやりを込めてジルクは日和に声がけた。同時にトキの気丈な声が響いた。

 

「………ありがとうございますッ…父さま、私たちには構わず!」

 

感謝はもちろん、申し訳なさも相まって感極まる彼女の声は震えていた。何百年と聞いていなかった彼女からの父親呼びにジルクは嬉しくも寂しくも感じたが、それだけ彼女が取り乱していると言うことも理解した。

 

「だ、大丈夫だよ!トキ!ぼ、僕頑張るから!」

 

彼女の心労を考えた彼は全力で男らしさを示した。彼なりの全力にトキは安らぎと可愛らしさを覚えたが、状況は逼迫していた。

 

三人の襲撃者達が再び武器に矢を番え弾を込めた。

さらに他の部屋を捜索し終わった者達が援軍として現れたのである。

逃げ場は無くなった。

 

場違いに何処までものほほんと穏やかに声を荒げないジルクが立ち塞がったことに少なからず敵三人も思考が止まっていたのである。だが、オロチから先日の騒動の詳細についても聞き及んでいた彼らに慢心はない。

 

そのための、念の為の飛び道具でもあったのだ。

彼らは焦ることなくそれぞれの得物でジルクに狙いを定めつつ、少しづつ包囲を狭めていく。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

燃える城。おでん城の一角、家臣やおでんの家族が暮らす一角は火の海へと化していた。そこで逃げ惑う男たち。誰一人として正気の者はいない。全員が泣き叫びながら、顔中を涙と鼻水と血と涎とでぐちゃぐちゃにして叫びながら逃げ惑っていた。

 

「なっ、なんなんだっ!!なんなんだよおぉぉぉぉ!!!」

 

男たちの後ろから迫る巨大な影。20mはくだらない巨体は彼らを虫のように轢殺するような勢いで向かってくる。

 

「にげろぉぉお!!ひぃぃ!!や!やめてくれぇぇ!!!」

 

班長として真っ先に矢を向けた男は今、狂者の行進の最後尾で巨大な顎に腕を噛み締められていた。小便を漏らしながら泣いて懇願する男を睥睨するような巨大な瞳には感情が宿っていなかった。

 

「グァァァっっ!?!?か、噛みちぎられちまったァァァァー!!おれのッ俺の腕ガァ!!」

 

ブヂリ!と肉を噛みちぎる音と共に班長の男は腕を失った。口の中の異物を早々に吐き出した巨龍は部屋部屋の残骸を巻き上げながら猛烈な勢いでさらなる獲物へと襲いかかった。

 

「やめて!やえでぇぇっっ!!ぐぶぇ!?」

 

逃げ遅れた一人…強弓を得物にしてトキを狙った男…が巨龍の胴体に轢き潰された。汚い挽肉に成り果てた男を気にかけることなく巨龍は強靭なヒレで獲物どもを追い立て、叩き伏せてはまた追い立てた。

 

「班長が潰されたッ!もうダメだ!逃げろ!退けぇー!」

 

腕を失いながらも火の海を逃げていた班長が、彼らが入ってきた城の門のすぐ手前で巨漢と同じ挽肉に成り果てた。

班長の完全な死を目の前には突きつけられた生き残りたちは得物も何もかもを捨てて逃げ去っていった。

 

 

ッーーーーーー!!!!

 

 

超音波の様な雄叫びが空を裂いた。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

巨龍の体が徐々に萎み、人の形と大きさを取り戻した。

 

巨龍の正体はジルクであった。

 

 

あの後、ジルクは慣れない力を使って、或いはその身を盾にして死の脅威からトキ達を守り続けていた。

 

明らかに戦い慣れしていないぎこちなく力任せなジルクに阻まれ一撃はおろか、標的に触れることすらできていなかった襲撃者達は痺れを切らしていた。

 

彼らの手法は徐々に粗雑かつ過激になってきていた。

周辺には九里の兵士が集まりつつあり、都の援護に向かっていた赤鞘の男達も「城に襲撃あり」の報に大返しの勢いで戻ってきたのだ。

 

彼らは逃げ道を失うことも勿論だが、精鋭として仕事を終えることのできないままに終わることが我慢できなかった。

さらには緊張感の無い、まるで戦闘技術の無い素人同然のジルクという男に妨害を受けてそれに手こずらされているという事実にも彼らのプライドは傷つけられていた。

 

故に、彼らは人生最大の過ちを犯すこととなった。

 

目の前の邪魔者と標的を一気に片付ける手段が彼らの手の中にはあった。強力な毒の弾である。生物兵器に分類されるこれを使用した場合失敗すれば彼らも死に瀕するだろう。

しかし、これは強力な上に感染力も強く、確実性だけで言えば他の何にも勝り、かつ彼らは逃げることも容易になると思えたのだ。

 

最終的に彼らはこれを使うことにした。

しかし素人目に見ても毒々しいこの兵器を易々と使わせてくれる様には目の前の敵は見えなかった。

故に、彼らは一計を案じることにした。一斉に男の後ろで小さく肩を寄せ合う女子供に向けて矢を放ち、その矢に手間取る男の背に向けてこの切り札を炸裂させることにしたのである。

 

放て!という班長の掛け声に合わせて一斉に放たれた矢は放物線を描きジルクの後ろのトキ達の元へと突き進んだ。

 

それまで自分にばかり矢が飛んできていたジルクは呆気に取られたがすぐに対応に向かった。

しかし、彼が足に力を入れるのと同時に彼の手足を鎖鎌が拘束したことで彼の挙動は数瞬遅れてしまった。

 

生物兵器の準備が整いジルクの背中に照準が合わせられようとしたその時。

 

 

ッッッーーーーーーー!!!!!!

 

 

声にならない壮絶な悲鳴が城中を突き抜けたのである。

襲撃者達が照準を切って思わず耳を塞ぐほどの超音波の様な悲鳴はその後も数秒間続き、その悲鳴が響いたのと同時に立ち込めた砂煙が辺りに立ち込めて彼らの視界を塞いだ。

 

感染症により確実な死を与えるためには最初の一発を誰かに当てる必要があった為に襲撃者は引き金を引くのを躊躇った。

 

超音波の如き悲鳴は止み、代わりに唸り声が辺りに重く響き始めていた。襲撃者の正面に立ち塞がっていた男は180cmほどと大柄ではなかったが、その男が立っていたはずのところには巨大な影が聳えているのが影のみだがうかがえた。

 

砂煙が消え去った後に現れたのは襲撃者を睥睨する巨神であった。

 

20mを越える海色の強靭な身体には翼と手足のない代わりに巨大なヒレと凶器のような牙がズラリと並んでいる。

 

荒い息を吐いて唸るソレは正に巨大な龍と形容するべき存在感と覇気をまとっていた。

 

襲撃者達を見据える大きく鋭い瞳は虚で感情の色を映していなかったが、背筋の凍える様な強烈な殺意と静かな憤怒を垂れ流していた。

 

かの存在はヒレに何かを包んでいる様だった。

龍がまるで彼らからそれを庇う様にしていた存在が、龍が前に進み出たことで襲撃者達の目にも入った。

 

それは、頬に小さな切り傷を負い微かに血を滲ませたトキの姿であった。

 

何だソレだけかという感情と、何だこの龍は?という呑気な疑問が状況を飲み込めずにいる彼らの脳裏を占領した。

 

彼らの疑問は冷酷な一撃で解消された。

 

巨龍のヒレが目にも止まらぬ速さで近くにいた数名を一閃の下に両断、或いは圧殺した。

 

水気の多い果物を乱暴に踏みつけた様な生々しい音が響き渡るのと共に地獄の再現が開幕した。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

赤鞘の男達は畳の上で眠る公方を囲み、彼の正体や能力の恐ろしい程の強力さを論じていた。

 

彼らは「城は半壊なれど奥方達は無事」との報を受けてからは殲滅戦を再開させた。

都の仲間達とも合流を果たし後一歩のところまでオロチに迫ったものの、最終的には現れた四皇カイドウによって蹴散らされてしまった。

 

おでんの家臣達はヒョウ五郎達を援護しつつ殿の役を何とか全うし、命からがらに九里へと帰還したのだった。

 

彼らは城半壊の報告には半信半疑であったが、帰ってきてみれば確かに城の内側には焼け野原が幾つか見受けられた。

 

如何にもこうにも巨大な龍が現れたかと思えば巨大な雨雲が立ち込めおでん城の真上を覆い、連続で豪雷が賊達を強かに打ち貫き賊達は逃げ惑った。

 

その後も雷は敵に落ち、その都度火災が起こったが直ぐに局所的な豪雨が短時間だけ降っては火が消し止められていたのだ。そこら中の焼け野原はその痕跡だった。

 

生き残った敵は城門へと一目散に逃げていったが直ぐに龍によって駆逐された。そしてその龍がスルスルと萎むとその後には公方様が眠られていたのだと誰もが口を揃えていったのである。

 

改めてトキから同じ内容を語られても到底信じられないものだったが、片時も離れずに公方の側に侍るトキの言葉は嘘を言っている様ではなかった。

 

 

彼女は恐ろしいものを見たと言ったが、その目には熱に浮かされた様な恍惚の火が揺れていた。

その火に勘づくものが一人だけ赤鞘の男の中にもいたが、それは今話すべきことでは無い。

 

 

強情に公方から離れたがらないトキへ子供達と休む様に言い聞かせて退出させてから、赤鞘の男達は眠ったままのジルクを囲んで深刻そうな顔で会議を始めた。

 

議題は無論今回の一大蜂起とその失敗についてである。

 

敵の親玉がどんな存在なのか知る羽目になった彼らは、その強大さに愕然とした。

 

あまりにも力の開きが大きかったのである。

恐怖以上に敵への絶望感や、自分への無力感を味わった彼らの空気は重かった。

だが、目の前には新たに希望が現れた様にも感じられていた。

 

もしもの話ではあるが、公方という存在が本当に天候を自在に操る巨大な龍であったとするならば、彼らの相対することとなった巨悪とも十分に渡り合えるのでは無いか…そんな考えは九人に共通して浮かんできていた。

 

しかし、彼らにはとてもジルクを利用できる気がしなかったし、何より彼のいつもの姿から考えても、本当に龍だったとして、彼がその力を使いこなせている姿は誰も想像がつかなかった。

 

結局、彼らは結論を下すことなく激戦の傷を癒すことを優先として一度解散した。

 

 

彼らは一人として言葉には出さなかったが、皆一様に次の一戦が最期になるであろうと感覚的に感じていた。

 

そして、それが真実であったと明らかになるのはあの男がこの国へ帰ってきてからであった。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

「帰ってきたぞ!!今まですまなかった!!」

 

「今頃お帰りですか!おでん様は薄情者でござる!」

 

帰って早々に平謝りとなったおでん。

代表して罵倒したのは錦えもんである。

彼を見る家臣の目はやはり冷たい。流石に怒ったというのを態度に示しつつも、一同は冷たい目を温めてからおでんの帰郷を歓迎した。

 

おでんの帰国は雷鳴の如き速さでワノ国の隅々まで周知されることとなった。

 

民と侍達は皆、真の正統の将軍が帰ってきたと喜んだ。

 

圧政は先の蜂起の後で一層強まり、この国で武器工場が作られずに済んでいるのは九里だけであった。

 

とはいえ未だに九里が植民地化を受けずに独立自存を保っていられたのはおでんの家臣達の献身と奥方のトキの努力により民心が離れずに済んだこと、そしておでんの不在の間にワノ国の国守として名を上げに上げることとなった公方ジルクが敵には恐ろしい敵として、民には頼もしい加護者として大いに抑止力を発揮したからであった。

 

おでんは家臣と妻、そして公方に頭が上がらないような気持ちだった。

 

彼は果たすべき役目と向き合う覚悟を新たにした。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

城に襲撃者があったと言う話を聞いたおでんはトキに詰め寄った。

 

「私もモモの助も日和も皆無事でしたよ。大事ありません。公方様に守って頂きましたから。」

 

彼女からの報告に胸を撫で下ろしたおでんは一度公方へと頭を下げた。彼はというとトキの膝枕で昼寝中であったが、おでんは気にすることもない。元々おでん以上に自由な男だと彼は知っているからだ。

 

そんなことよりも彼は家族の体が本当に五体満足なのか気が気でなかったのである。彼は息子モモの助と娘日和を其々左右の腕で抱き上げると彼らの体に傷がないか確認し問題ないと分かると安堵の息を漏らしてから、今度は妻トキの体に傷がないか確かめた。

脚、腹、腕などを確かめてから最後に顔へと目を向けると、微かに小さな切り傷の跡が目に入った。

 

おでんはこれで済んだと安堵したが、同時に我慢ならない怒りが湧いた。彼は自らワノ国から出ていき、変化にも気付きながらも旅を選び、大名としての役割をも放棄して自由を選んだ。

 

彼ではトキを守れなかったし、守らなかったのも彼であった。彼は敵、そして自分自身に堪え難い怒りの矛先を向けずにはいられなかった。

 

だが今の彼は帰ってきた。大名として強くあらねばならず、落ち着く必要があったのだ。彼は静かに瞑目し、そして目を開いた。

 

こちらを見つめる瞳と目が合う。いつの間にか起きていた公方の瞳である。彼はお帰りと短く言うと、それっきりまた目を閉じてしまった。

 

おでんは彼からすっかり失望されてしまったのだと感じた。あながちそれは間違いではない。だが彼にも捨てられぬものがあった、それが彼にとって自分の女や家族以上だっただけだ。そんなことをジルクが理解できるはずはない。おでんまた、ジルク持つヒモたる覚悟や矜持を理解できようはずがないのだ。

 

おでんは彼が思っている以上に衝動的に怒りを感じていた。そしてそれを抑えることはできそうになかった。彼は心に決めるとすぐに実行に移した。

 

おでんは刀を脇にオロチへの御礼参りに行って参ると家臣たちに告げると窓から飛び出した。

 

城の最上階から飛び出したのである。

 

突然の乱心は家臣達に甚だしい動揺を与えた。なぜなら落ち着き払っているようにも見えたからだ。しかし、その実は静かに怒りが込みあがり、限界に達していたのだ。

 

家臣達からすれば今の状況から考えておでんの行動がどのようなものになるかなど分かり切っていた。海の外から帰ってきた彼は広い世界を見てきたことだろう。数えきれぬほどの強者と出会い前よりも強くなったことだろう。彼には怒りに埋め尽くされた頭の片隅に不動の自信があった。

 

自分はオロチよりも強い。オロチを倒せる。ワノ国を救えるのだ、と。

 

彼は自分を信じて花の都へと猛進を続ける。横切る郷の人々は誰もがおでんの帰還を喜び、彼の向かう方向を見てさらに声援を送った。侍達は我先にと彼に続く。皆今度こそはと、今こそワノ国を取り戻す時なのだと気勢を炎のごとく燃やしていた。

 

そんな男達とも大きく間をあげて、グングン都へ突進するおでん。彼が進めば進むほどに彼の後方の人集りは膨らんでいった。

 

おでんに続け!真の将軍の戦に助太刀せよ!

 

男達は気勢を上げ、声を上げ、刀を上げておでんに続く。

侍、武士、侠客、チンピラ、ゴロツキ…ごちゃ混ぜの集団は皆おでんに憧れを持つものばかりだった。

 

彼らは雌伏の時とばかりに駆け出したものもいれば、先の蜂起で打ちのめされ自信を失っていた者もあったが、全員が全員おでんが刀を携え都へ爆走しているという話に全てを賭けようと再び奮起した者達だった。

 

どんどんと増えていく彼らの姿は都の城からも肉眼でその人集りが確認できるほどであった。

 

だが、オロチはそれらの光景を目にしても動じることはなかった。彼らがなんだと言うのだ、恐るはおでん一人である。彼奴を殺せば全てが収まる。

 

オロチには客人として都合よく来訪していたカイドウの存在と、傍で琵琶を奏でている黒炭せみ丸という隠し玉があった。もしもおでんに襲撃されたとしても問題は無いはずだった。

 

それに、彼は一人で攻めてくるだろうことは予想されており、城にはこれでもかと兵士を詰めさせてある。オロチの準備は万端であった。

 

おでんが都れ侵入したらしい。

彼の都入りにそこら中から声援が上がる。

 

「頼むぞおでーん!!オロチを討ってくれー!!」

 

「ワノ国を取り返してくれー!!」

 

「あんたに掛かってるんだーー!!」

 

大同小異ではあるが歓声は須くおでんを励まし、おでんに期待していると言う内容であった。耳に入り込む言葉におでんは痛みを覚えずにはいられなかった。彼は本来ならば責められ罵られるのが当然の身であった。

しかし、そんなうつけに全ての命運を頼まざるを得ず、そんなうつけにすら喜んでしまう程にワノ国の民がどれだけの間苦しみ、耐え、そして待ち続けてくれていたのかということを、おでんは心に痛みが走るほどに悔やまずにはいられなかった。

 

だが、彼の後悔はすなわちロジャー達との冒険、待ち続けた彼らへの冒涜、そして何より彼自身の命とも言えた自由を唾棄するかの如き所業に同じであった。故に彼は後悔の念をぐいと飲み込み、ただ今は目の前の巨悪へ向けて更に更に足の回転を上げたのだ。

 

城門はもうすぐそこである。今度はこちらが乗り込んでやろうぞ!

 

おでんは刀に手を按じて息を吸い込むと渾身で抜き放った。

 

巨大な門は斬り倒され、今ここにおでんの孤独な戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

うつけ大名。

 

バカ殿。

 

ワノ国の恥。

 

都から帰ってきたおでんはワノ国中の人々からそう口々に罵られた。

 

家臣達は、彼が都へ向かう道中とは真反対の民からの仕打ちに言葉を失った。何故、何があった…疑惑を解かねばとおでんに詰め寄った彼らに対してもおでんは素っ気なく、如何にも鬱陶しいという素振りで答えた。

 

そのどれもがおでんが変わってしまったような錯覚を家臣達に覚えさせた。と同時に、彼の身に何かが起こったのだと、都でオロチとの間に何かがあったのだと確信するには十分な証拠であった。

 

都から帰ってきた日からおでんは毎日毎日働きもせずに都の城の前で裸踊りを披露した。

 

将軍オロチとその一派にせせら笑われ、投げ与えられる端金を大事そうに貰ってから帰る。卑屈に笑顔を浮かべ、まるで自分から己が武士ではない、侍ではないと証明するように都の支配者達、侵略者達からの罵倒をされるがままに受け入れた。

 

都の人々は始めこそ何かがあるのだと思っていたが一年を過ぎる頃には軽蔑の視線を向けるに落ち着いた。中には支配者や侵略者達に加勢しておでんを口汚く罵る者もあった。彼らの中にも信じ続けるものはいたが、その数は減る一方であった。

 

おでんの心中にはオロチとの取引という名の脅迫が外しようのない枷として存在していた。

 

裸踊りで人質の命を救い、5年間の恥を耐え忍びオロチとカイドウが海の向こうへ消えるのを待つか。

 

人質の命を失い、全面戦争でオロチとカイドウと刃を交えるか。

 

おでんは誰に相談することもなく前者を選んだ。優しさゆえか、将軍の子として生まれた男には自らの決断で民の命を失うことは少しといえども許せなかったのか。

 

何を論じたところでおでんの選択が覆ることはない。

しかし、はっきり言って彼の最大の失念はオロチとカイドウがどうしてここまで力をつけることができたのか、どうして今ワノ国が彼らには支配されているのか…そのことをしっかりと理解していればまた別の方法なり考えなりを捻ることができたはずである。

 

しかし彼は男として、武士としての頑なさを利用されてか彼自身によるものか、味方に、例え妻といえども密約について打ち明けようとはしなかった。

 

彼もまた大きな過ちを冒し続ける羽目となった。彼はそれこそ5年後に強く悔やむことになろう。

しかし、彼は頑なに誰にも打ち明けなかった。孤独と共に戦うことを選んだのである。

 

寄りかかるべき友はいくらでもいたと言うのに。

 

後悔先立つ事もなし。

 

時は既に大きく捻れ波は荒れ狂いワノ国を呑み込むのは時間の問題だ。

 

光月おでんに残されるべき道は最初から一つだけだったのだ。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

おでんの孤独な戦いは早くも5年目に差し掛かろうとしていた。

 

彼の周囲からは人影が一つ二つと離れていったが、それでも側に居てくれる家族、家臣、そして恩人達。彼らは皆おでんが何かを背負っていることを理解していた。例えそれが具体的に何を背負っているかなど関係なかった。

 

時代の寵児であり、世界の海へその名を轟かせ、何倍にも力強く武士としての格を磨き抜いたこの男が、些事に気を留め或いはうつけに豹変したとしても、本当の根の部分が変わることなどないと彼らは皆心の底から信じていた。

主君に尽くす義理もあろうがそれ以上に一人の男の生き様を見届けずに離れることなど、ワノ国に生まれた彼らには出来得るはずもなかったのである。

 

おでんは毎日裸踊りを終えると各郷を周っては変わりないか息災であるかと聞いて回っていた。

 

村や郷に行くたびにバカにされる事もあったが、暖かく迎えてくれるところもあった。決してワノ国の民全てがオロチの様に濁ってしまったわけではないのだ。心ある人々の存在がおでんに戦い続ける勇気を与えてくれていた。

 

しかし、おでんは裸踊りと他の郷を回る以外に仕事らしい仕事はしなかったのだ。

 

彼は大名だ。そしてそれ以前に男であった。カイドウとオロチとの密約を遵守し、少しでも多くの命を守ろうとする気概や良し、そして其れを他人に漏らさぬ事もよし。

 

だが、うつけ踊りに任せて来る日が来ないことを想定しなかったのは光月末代までの遺憾である。

 

来るべき日とは解放の日である。暴力と鉄、そして狡猾な策略より生み出された圧政が、粛々と契約の履行によって跡形もなく消え去ることなど誰が想像できただろうか。

 

おでんは想像していなかった。彼はただ縋るに止まってしまったのである。彼は、悪漢の狡猾な手口により生み出された恐怖が、更なる狡猾によって維持されようとしている事から目を逸らし続けた。

他ならぬ彼らから課された裸踊りに専念することで服従を示し続ける事で。

 

おでんは悩み続けていた。だが、打ち明けることは終ぞできなかった。

そこには間者への警戒があったやもしれないが、しかし何もせずに5年を踊り舞うことで消費したことは免れぬ一つの事実でもあった。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

おでん城。

 

ある日のことである。おでんは無精髭を蓄え、みるからにうだつが上がらない男といった風体であった。

 

そんな男に声をかけるものが一人。ジルクであった。

 

「おでん…」

 

穏やかだが重みを感じる声で彼の名を呼ぶジルク。

 

「…おぉ、なんだか久しいでござるな。公方殿!」

 

もう一年の辛抱だということを自分に言い聞かせたおでんは、自身の心中が漏れ出ぬ様に努めて明るくジルクを迎えた。

 

ゾワリッ

 

「……光月おでん…」

 

珍しく姓まで含んで彼の名前を呼んだ声は「女の声」であった。

姿形に変わりはなく、おでんの正面に座っているのは間違いなく公方である。しかし、その気配は全く異なるものに変貌していた。

 

「……ッ!?」

 

おでんはあまりに大きく、深く、そして重苦しい気配に圧されて反射的に刀を握っていることに気づいた。

深呼吸してから彼は刀にかけた指を一本一本離していった。

彼が本能的に感じたのは背筋の凍る様な、そんな暗い気配であった。彼は5年前に都の城でカイドウとも会っていたが、カイドウから感じた威圧感と今彼が感じた威圧感はモノが違った。

 

底無しの深海に引き摺り込まれる様な圧迫感と戦慄がおでんの全身を覆ったのだ。彼の体は冷や汗でずぶ濡れであった。

 

何故、いや、目の前の存在は何なのか。おでんは勇気を振り絞り公方だと思ってきた存在へと目を向けた。

 

その存在はおでんの目を見据え、そして口を開いた。

 

 

「……倍では済まぬ民が苦しむぞ?………」

 

「…⁉︎⁉︎」

 

 

あまりにも短い言葉だ。しかし、おでんを驚愕させるには十分以上に威力を持つ言葉だった。

おでんは衝動を抑えきれずにその「女の声」へ言葉の説明を求めた。

 

「まて!そ、それはどう言うことだ!!」

 

「…っえ?何々⁉︎どうしたのさ⁉︎…おでん?」

 

おでんは詰め寄り、「女の声」を発する公方の体を激しく揺すった。しかし、帰ってきた声はいつもの男の声であった。

いつもの雰囲気を取り戻していた公方の姿におでんは愕然とした。先ほどまでの威圧感は霧散していた。

 

おでんは暗然としていた。彼は死に物狂いで祈った。どうか、今起きたことが夢である様にと。あの声が自分に語りかけてきたのは単なる幻であると。自分は疲れているのだ、そうでなければまるで…まるで本当に大きな過ちの、その報いが迫っているみたいではないか!…と。

 

おでんは恐ろしさに身を震わせたが、彼の日課の郷周りでは人攫いは無いことは確かだった。それはオロチが約束を守っているということであり、そのまま奴がこの国から出ていけば何の不履行もない…ないのだと自分に言い聞かせた。

 

俯きがちな姿勢を正したおでんは不思議そうに彼を見ていたジルクと目を合わせた。そういえば彼はどうして自分の元へ来たのか、と彼は思いジルクに聞いた。

 

ジルクはそうだったと思い出した様に話し始めた。彼はこの5年間に色々あったね、という話がしたかったのだという。

 

普通ならば非日常の続いた5年であったが、いかんせん確かに平穏ではあった。食糧事情や経済には深刻な禍根が残り続け、またおでんのうつけ踊りに呆れた民との関係も中々に険悪であったとはいえ、である。この5年間は他の出来事に目を向けるくらいには落ち着いていたのだ。

 

そこには言わずもがなおでんとオロチとカイドウとの間の密約が功を奏したというのもあったが、それはつまりオロチとカイドウに暗躍と勢力拡大の時間を与えたということでもあった。しかしこれは後に凄惨な形で突きつけられることとなり、今はおでんの知らない所であった。

 

さて、二人は久しく長話をした。元々仲は悪く無いのだから、話始めれば続くものである。二人の話題は無論この5年間のことだった。

 

「一年目にはロジャーが死んだね。」

 

「…あぁ!!奴は本当に世界一偉大な男だ!俺はアイツと一緒に海を冒険出来たことを誇りに思う…!!」

 

一年目は波乱の年だった。おでんの裸踊りに人々は呆れ果て、オロチは笑う。そして一年が過ぎる頃に、海賊王ゴール・D・ロジャーが死んだ。おでんは泣いたり笑ったりしていた。ジルクはまた少し寂しくなったと感じていたが、新しい時代が始まったことに心を躍らせていた。

 

「2年目は向こうで戦争してたね。」

 

「けしからんことだ!勝手にやってきたと思ったら、ワノ国の宝であるリューマの宝刀を盗むなど!それどころか墓荒らしまで!」

 

2年目はワノ国の鈴後で恐ろしい戦争があった。カイドウ率いる百獣海賊団とゲッコー・モリア率いるゲッコー海賊団による大抗争だった。おでんは変わらず裸踊りに専念していたが、刀神リューマの墓荒らしがあったと聞いた時は往年の偉大な武士の顔を覗かせていた。ジルクはというとトキやモモの助、日和との穏やかな時間を過ごしていた。時折くる嫌がらせの様なオロチの部下を偶然あしらうことに成功する事もしばしばであったが、彼はそれよりも胸に湧いた黒い不安に心を配っていた。

 

「3年目は…」「4年目は…」

 

3年目も、4年目も気味の悪いほど穏やかで波風の無い一年だった。おでんを信じるものたちと、見限るものたちの間に歴然たる開きが見え始めたのもこの2年の間であった。彼についていくという心意気のある者たちが謎の失踪を遂げていった2年でもあったが、おでんは裸踊りにかまけ、そして毎日郷を周り誰一人欠けていないかと聞いて回った。

 

「5年目は…もうすぐ終わるね。」

 

ジルクは言葉に詰まった。彼が何か知っているわけがなかったが、胸騒ぎの根っこが彼に言葉を続けさせなかった。喉に引っかかる違和感や不快感を、彼は吐き出せないまま5年間が過ぎてしまった。時折外海へ出る事もあったジルクだが、常にトキ達のことが心配でならなかった。彼女から気分転換なさってはと勧められて出た航海で、彼が感じた喜びはいつもの半分にも満たなかった。

 

「…あぁ。もうすぐ終わるんだ。」

 

おでんはしみじみと言葉を言い切った。彼にはもはや恥ずべきものなど無かった。誇りよりももっと大切なものを守っているという自信と、なりふり構わぬ覚悟があった。

 

それだけ言葉を交わすと二人は解散した。おでんは静かにジルクの背を見送った。終わりは近い、そうであれ。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

ヒョウ五郎が捕らえられ、反抗した子分たちとヒョウ五郎の奥方が殺された。

 

おでんの目から止めどない涙が溢れた。

 

九里から将軍行列が帰っていく。5年で船を用意してカイドウと共にこの地を出ていくと言っていたオロチは案の定、約定の不履行をおでんに宣言した。

 

その場で噛み付くことすら出来ずに脱力したおでんは泣きながらオロチを見送ることとなった。

 

だが、彼も理解していた。オロチを討ち取って終わりではないことを。その後ろに聳えるカイドウの首を討ち取らねばワノ国の開国は夢のまた夢であると。

 

オロチの高笑いが九里から都まで続いていた。

 

オロチはおでんとは対照的に勝ちを確信していた。醜悪な権力欲はそのままに彼の醜い容姿へ反映されている様であった。彼は高笑いが止まらなかった。これから来る光月の最期の瞬間を目に収めるのが楽しみでたまらないといった様子であった。

 

 

カイドウの元にも約定の決裂は報告された。彼は拡充した戦力の全力を以って光月の最期の反攻を迎え撃つ気でいたが、同時にどれだけ公方を刺激せずに彼らを始末し切れるだろうか、と思案していた。

 

カイドウはオロチにも公方のことはよく言い聞かせてある。だが、いざとなれば何が起こるか分からないのだ。ワノ国が沈むだけならまだしも、百獣海賊団が丸々海の底に潰えることも想定しなければならなかった。

 

カイドウは腹心キングにジルクの居所を決して攻撃せぬ様にと下命した。

 

 

大乱の予感は花の都にまで流れ込んでおり、今か今かと開戦の地響きに耳を澄ませていた。

 

彼らとて決して圧政を好んでいるわけではない。受け入れているわけでもない。両者倒れるなり、あわよくば光月の治世が再び訪れることを心のどこかで願っていた物も少なくなかった。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

「カイドウを討つぞ…」

 

おでんの言葉は彼を信じ続けてきた者たちにとって何より待ち望んでいたことだった。

 

主君と共に巨悪を討ち、故郷へと平和と幸福を取り戻すことは彼らの武士としての性格を強く刺激した。

 

一同心を改めて一つに固め、その一刀に全てを捧げ、これを以ってカイドウとオロチを討つことを誓った。

 

主君おでんと共に戦うのは九人のサムライ達。

 

錦えもん

 

傳ジロー

 

カン十郎

 

アシュラ童子

 

菊の丞

 

雷ゾウ

 

イヌアラシ

 

ネコマムシ

 

河松

 

のしめて九名。

 

「では、行って参る。」

 

彼らを指して後の人々は赤鞘九人男と呼ぶ。

 

別れの言葉は淡々と。

彼らの出立は速やかに、夜の闇に溶け込んで見送られた。

 

城に残るはおでんの妻トキと子供のモモの助と日和。そして、公方ジルクだった。

 

ジルクはトキの側から離れる気など毛頭無かったが、菊の丞の身に何かありゃしないかと心穏やかでは無かった。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

十名の勇者が向かった先はカイドウの牙城鬼ヶ島。

 

「…用意周到過ぎやしねぇか?」

 

「ウォロロ…のこのことやってきたか…お前らの中に裏切り者でも居るんじゃねぇか?」

 

敵の本拠地を前にして、彼らの足は陸の上で止まることとなった。彼らの前には待ち構えていたかの様な敵の不敵な表情と、周到に準備されたであろう数えきれぬほどの敵の大軍がどっしりと構えていた。

 

「光月おでん!!お前の命運もここまでだーー!!」

 

「ギャハハハハ!!ワノ国はもうカイドウ様の物なんだよ!!」

 

「諦めて死んで行け!!」

 

口汚く雄叫びを上げる敵軍の頭上には巨大な竜の姿で彼らを見下ろす四皇カイドウの姿があった。

 

「言葉は不要。いざ、参る。」

 

「ウォロロロロ…サムライの戦を見せてくれよ…」

 

言葉もそこそこに、壮絶なる戦いの火蓋が切って落とされた。誰一人として引かない斬り合い撃ち合い殴り合い…しかし、数の力は偉大であった。

目に見えて疲弊していく男たちは海賊の、いやカイドウの軍勢の厚さと多さに圧倒されていく。

 

オロチはこの場にいなかったが問題なかった。何故なら彼らの狙う首はただ一つ、カイドウの首だけだからだ。

 

だが、その首は遠かった。

 

1時間が過ぎる頃には傷ついていないものなど居なかった。

 

空中で一進一退の攻防を眺めていたカイドウは、ふと視線の先の男の姿が男というより女であることに気づいた。

 

「菊ッ!!大丈夫か!」

 

「ッグ!拙者のことはお気になさらず!まだ戦えます!!」

 

そしてその男女は負傷していた。もしかしたらもしかするかもしれない…そんな不安が胸を焦がし始めたカイドウを嘲笑う様に、今度は本物の女がサムライに加勢したのだ。

 

「おでん様!わだすはくの一のしのぶと申します!幼き頃に貴方とお目見え申し上げたことがございます!この日のためにオロチの近くで忍びとして仕えておりましたが、もはやワノ国は変わらぬと知りました!微力ながら助太刀させて頂きます!!」

 

「おぉ!!かたじけない!!共にカイドウを討とう!」

 

困ったぞ…とカイドウは思った。あの女…確か公方と懇意な筈だ…絶対そうだ。遠目に見ても美人だとわかるしのぶというくノ一が公方と接点が無いわけがないと彼は思った。しのぶの登場で、カイドウにとってこの状況があまり芳しくない事が決定した。

 

早期終決が重要になったのだ。何故か?カイドウは知っているからだ。

 

彼はその経歴上ジルクという存在をよく知っていた。特に、怒った時や気絶した時の彼の状態の変化などについては忘れられようもないくらいに…。

 

まず第一が気絶による無意識の暴走だ。この状態の時、海軍本部将官クラスが出張らねば彼は止まらない。武力が用意できないならありったけの美女か美少年を用意するしかないだろう。

 

次の第二段階は酒による酔いもしくは大切にしている女性の負傷に怒ってで暴走した場合だ。この場合は海軍本部大将か…強いて言うならガープ位の実力者でなければ手に負えまい。四皇といえども全面戦闘は御免被る。

 

そして…最終段階が大切にしている女性の死だ。これはまだカイドウも経験した事がない、というのも第二段階の時点で誰も彼の女に手を出そうとは思わなくなるからだ。仮にもし、この状態になったとしたらと思うとカイドウは冷や汗が垂れるのを我慢できないだろう。

 

恐らく…「海女」が出てくるだろう…とカイドウは考えている。「海女」の存在がなんなのかはカイドウもわからない。だが、ジルクという男の最上級の怒りを、彼の代わりに代弁する存在だと言うことは、とある海賊船での経験から嫌と言うほど思い知っている。

 

カイドウはその「海女」が前に出てくることを危惧していた。アレが出てきて碌なことになった試しが無いからだ。誰が相手でもアレには関係がないのだから厄介だ。

 

カイドウの危惧を察してか否か、キングとクイーンが敵の大将おでんを討ち取るために前に出た。二対一で早急に片が付くかと思われたが、二人の前におでんの家臣たちが割り込んだ。二人の予想を遥かに上回る速さで目の前の敵を斬り伏せた彼らは見事にキングとクイーンを足止めた。

 

「おでん様!カイドウを頼みます!!」

 

「ここはおいどんに任せて行けぇ!」

 

「かたじけない!」

 

すぐに片付けようとした二人の間を、それよりも早くおでんが通過した。

今が勝機と見切ったおでんを援護する形で家臣たちが次々に道を切り開いていく。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

おでんの刃はカイドウに届いた。カイドウの絶叫がこだまする。

 

「グォォォォォォオオオオオオオ⁉︎⁉︎」

 

カイドウの腹に十字傷を刻みつけたおでんは止めとばかりに跳躍した。

 

「「カイドウさん!!」」

 

キングとクイーンの声が重なった。

 

おでんが狙うはカイドウの首。首を落とさねばこの怪物が死ぬとは思えなかった。おでんの渾身の一撃は今今カイドウの首を捉えた。

 

「逝けっ!カイドウ!!ワノ国を返せッッ!!」

 

おでんの声と共に刀が振り下ろされる。墜落し、大地に伸びたまま動かないカイドウはガラ空きの首をおでんに落とされようとしていた…が。

 

「バーリア!」

 

ガギィィィッッッ!!!

 

間の抜けた嗄れた年寄りの声がおでんの耳に響いたのと同時に、巨大な透明の膜がおでわの渾身の一撃を難なく受け止めた。

 

ギャリリリリリリッッ!!!

 

「ふんッぬぅぅぅぅッがァァァ⁉︎⁉︎」

 

力を強めて斬撃を押し込むも、バリアはおでんの怪力すらものともしない。

ついに力尽きたおでんの斬撃は明後日の方向へと飛んでいった。

 

「ウォォ!!!流石はサムライ!水を刺しやがったのは許せねぇが!テメェの負けだ!おでん!」

 

おでんは自身の斬撃の反動で数十メートル飛ばされた。起き上がった彼の前には復活したカイドウの凶相が健在であった。

 

「まだまだぁっ!!」

 

満身創痍のおでんは更に数撃渾身の技を繰り出したが、カイドウの強力な反撃をその都度に浴びせられ、身体中に重傷を負っていった。

 

血が頭から垂れて彼の目を塞ぎ、腕の骨折が彼から刀を奪おうとした。しかしそれでもおでんは攻撃をやめなかった。

 

しぶといおでんと既に余裕を持ち始めていたカイドウの間には埋められぬ戦力差が開きつつあった。

そして、おでんの視線の先には捕縛された家臣たちの姿があった。

 

「ゼー…ゼー…か、家臣の命か、今ここでみんな死ぬか…どちらか選べ!」

 

キングは荒い息を整えながらおでんに選択を迫った。

彼の息が荒い理由は、おでん城から猛烈な勢いで公方が飛び出したと言う報告が入ったため、死に物狂いでおでんの家臣たちを捕縛し、今の状態に持ち込んだからである。

 

ちなみに何故ジルクが走ってきたのかと言うと、簡単に言えば「十人ともお弁当を忘れたからみんなに届けてくる」という理由である。

 

おでんが継戦の決断を下せるはずもなく、ワノ国の行く末を決める戦いはカイドウ側の勝利で幕を閉じた。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

決戦が終わり、カイドウの手によって真っ先に都の牢へと移された赤鞘九人男としのぶ。彼らはそこで光月おでんの公開処刑という悲劇の結末を、我慢できなかった満面の笑みのオロチから聞かされていた。

最初に長たらしく仰々しい罪状を読み上げてから、オロチは牢の中で手が出せない十人を嘲りながらどうやっておでんを処刑しようかと妄想を語り始めた。

 

オロチが妄想を語り始めたのと同時刻、カイドウとキングとクイーンに周囲を固められた状態のおでんは、逃げる事もできずに公方の到着を待っていた。

 

クイーンとおでんを除く二人の大物はソワソワと落ち着きがなかった。

 

「カイドウさん…こいつはともかく家臣には情状酌量の余地ありとした方がいいと思うんだが…」

 

キングがカイドウに提案する。提案というよりはもう決まっていることを確認する様な感じを受けるハッキリとした声音である。

 

「…同感だ。小物が生きてようと死んでようと俺は気にしない…それよりもアイツが顔を出す方が面倒だ…」

 

カイドウもカイドウで顔を顰めるでも賛成を示すでもなく、淡々と事実確認を進める様に答える。しかしソワソワとした雰囲気は消えていない。

 

「…姉御だろ…カイドウさん……」

 

キングが一転して名前を言うのも憚られるといった様子でカイドウに聞く。

 

「あぁ…出来れば穏便に今日は帰って欲しいところだ…」

 

カイドウも同感らしく、公方の来襲に不安が募っているらしい。

何故彼らがおでんにこの話をしたかと言うと、それは本当に互いに確認を取っておきたいくらいには不安だったと言うのと、これからくる公方に対して助けを求めたり、焚き付ける様なことはするな、大人しくしていろというおでんへの牽制の意味があったからだ。

 

 

そして、彼らの待ち人は十個の弁当箱を包んだ風呂敷を両手にして颯爽と現れたのであった。

 

 

「お待たせ〜。お弁当をお城に忘れてたよ〜!」

 

朗らかな笑みを浮かべるジルクは弁当箱を風呂敷を開いておでんに見せながら言った。

 

「か、かたじけない!それは拙者が預かろう!」

 

おでんは自分を囲む三人の巨体に気付いていないのか驚きも恐怖も表情に浮かべないジルクに対して驚愕しつつ彼から弁当箱を受け取った。

 

「食べたら感想教えてね〜。トキか聞きたがってたから〜。」

 

全員が虜囚の身であることを知らないジルクは無茶振りを繰り出した。

 

「そ、そーか!わかったぞ!みんなにもよく言い聞かせておく!」

 

おでんの咄嗟の返答に満足したジルクは踵を返して帰ろうとしたが、すぐ後ろが壁では無く人であることに気が付いた。

 

「「「あ…」」」

 

「…カイ坊じゃん!…それにキングも!…あともう一人…誰?」

 

あまり驚きはしないが、嬉しくないわけではなさそうなジルクの反応に特にカイドウとキングは胸を撫で下ろした。

 

「少し用があってな…ここに寄ったんだ。元気そうで何よりだ。」

 

「えぇ、俺も同じく。旦那と別れてからもカイドウさんの船に乗せてもらってる。」

 

ジルクとの再会に緊張していた二人だが、会ってみれば相変わらずの様子の彼に、カイドウもキングも今の立場を忘れ、微笑みすら浮かべて彼と談笑する。

 

「俺様はクイーン…ッ⁉︎…です!」

 

タメ口で行こうとしたクイーンをキングとカイドウが凄い顔で睨んだため、クイーンは後付け感満載の敬語を使った。

 

いよいよ公方は何者なのだとおでんも勘づき始めたが、今の彼はそれどころではない。どうにかして家臣達だけでも救わなければと頭を回転させていた。

 

その後、再会の嬉しさ半分と気苦労半分でなんとか当たり障りのない会話を完遂したカイドウとキングとクイーンは駆け足で去りゆくジルクの背を手を振って見送った。

 

ジルクの姿が見えなくなった頃、手を下ろしたカイドウはキングとクイーンに疲れた顔でこう告げた。

 

「奴らの今日の夜が決まったぞ。旦那の弁当をオロチに言いつけて食わせてやれ。食い終わったら感想を聞き出しておけ!直接聞きたいと言われたら家臣共だけ釈放して構わねぇッ!!」

 

この日、捕虜十人の夕食はめでたく愛奥方弁当になったとさ。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

処刑の布告は速やかに、ジルクがまだ眠っている早朝を期して発布された。

 

しかしヒトの口には戸が建てられぬとよく言う様に、彼の耳にもこの情報は無論入っていた。

 

これに対してジルクは早朝に都へ向かい、先日カイドウから教えられた屋敷に出向いて「弁当の感想」を聞き出した。

 

カイドウは予想通りに突拍子の無いことを聞きたがるジルクの変わらなさに安堵を覚えつつ、九人男と独房に入れられたおでんの代わりに弁当を食べたしのぶの感想を伝えた。

 

「みんなの口から聞きたいよ。」

 

カイドウの昨日の予想は的中した。彼の口から放たれた以上、直接聞かない限りは彼は納得しないだろう。

結局彼の怒りを買うことで面倒が起こるのを避けたかったカイドウは、全員処刑するのだと喚くオロチを脅して黙らせたカイドウは、ジルクに九人男としのぶを預けて早々に帰らせることに成功した。

 

しかし、これはカイドウの最大の悪手となった。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

「…処刑の日付は今日!拙者達はおでん様を刑場から救い出すために決死の特攻を演じる所存!!」

 

おでん城にて、必死に頼み込む男たち。錦えもんは不甲斐なさを感じたが、自分たちだけでは力が足りぬとジルクに協力してくれる様に頭を下げていた。

 

「親分!どうか!どうかお力添えを!!」

 

傳ジローも負傷の痛々しさが残る姿で拝み倒す。

 

「某らに主君を見捨てる様な真似はできませぬ!どうかお力添えを!」

 

雷ゾウは涙を流しながら。

 

「おいどん達だけでは難しいだ!!頼んます!公方どん!どうかおい達に力を貸して欲しい!」

 

反抗的で誰に頭を下げる様なタチでは無いアシュラまで頭を下げていた。

 

「おでん様を救いたいんじゃ!!この通りじゃがぁ!!」

 

「私からも!何卒!」

 

ネコマムシとイヌアラシは二人揃いで頭を畳に擦り付ける勢いで低頭の姿勢を崩さない。

 

「この河松めはどうなっても構いませぬ!だから、今一度お力を!」

 

河松は元はと言えば母ともどもジルクから助けられた身であった。しかし、今の主君おでんの為にもどうしても力を借りなければと涙を流していた。

 

「…主様…どうか、この不甲斐ない菊めをどのようにしていただいても構いません!拙者達が御恩は必ずお返しします。どうか一度だけ。」

 

菊の丞はその身の上からジルクの手を煩わせてしまう事に強い罪悪感を感じていた。しかしここでおでんを見捨てる様な真似は、侍としての彼の矜持に反する事になった。そして何よりもジルクから育ててもらった恩と、かけて貰った期待に泥を塗る様な真似だけは出来なかった。

 

「公方様!もう明日しか機会はないのです!ワノ国がッ…ワノ国が滅んでしまうのです!どうか!」

 

押しかけの身であるしのぶとてジルクとの関係が深いものの一人であった。元はと言えばオロチから美人局を命じられていた彼女だったがあえなく公方に堕とされたという経緯があった。

彼女はジルクへ事態の深刻さを訴えた。

 

 

一同が頭を下げる中、一人立ったままの男が一人。

錦えもんが気づき声を上げた。

 

「カン十郎!お主も頼む!」

 

「……」

 

だがカン十郎は動かない。じっと黙ったままである。

 

「…カン十郎?」

 

異変に気づいた面々が彼へと声をかけるが返答はない。彼は一分ほどの沈黙ののちに口を開いた。

 

「…何故カイドウやオロチが用意周到に準備できていたか知ってるか?」

 

「⁉︎いきなり何を言う!今はそれどころではないのだ!」

 

錦えもんの言葉は最もである。裏切り者探しと主君の命を救う為の準備、どちらが大切かなど一目瞭然だ。

しかし、錦えもんの言葉をカン十郎は鼻で笑った。そしてゆっくりと語り出した。

 

「愚かなお前達に教えてやろう…裏切り者は、俺だ!」

 

「ッ⁉︎ばッバカな話はよせ!!どうしたのだ一体!!乱心したかカン十郎!!」

 

「落ち着け錦さん!!…カン十郎、その話は本当なのか⁉︎」

 

衝撃の事実をいともアッサリ暴露したカン十郎の胸ぐらを掴む錦えもん。冷静さを欠いた錦えもんを傳ジローが抑え、カン十郎に向き直ってから彼に問い質した。その言葉の意図はなんなのか、と。

 

「…そうだ。とはいえ、俺は情報をオロチに送り続けていただけだがな。」

 

「……!…真だとでも言うのか⁉︎…だがっ!何の恨みがあって!」

 

カン十郎の言葉は淡々としていた。その冷淡な空気に当てられた錦えもんは冷静さを取り戻してはいたが、彼の裏切りを受け入れられずにいた。錦えもん以外の者達も、第一疑問なのが何の恨みがあって裏切るのか、と言う事であった。

 

「恨みならあるッッッ!!」

 

「⁉︎」

 

錦えもんの疑問の声を振り切る様な気迫の籠った声が響いた。そしてカン十郎はこの日まで黙ってきた秘密を語り出した。

 

「…俺の名前はカン十郎…黒炭!カン十郎だ!…お前達は知らないだろう…いや、公方様はご存知あったか。あの日我が一家をお救いくださったのは他ならぬ公方様であったからな…あの日、我が一家は黒炭の名の為に一家惨殺の憂き目に会う瀬戸際であった!!名前、その為だけにだ!何故か!黒炭の名を背負って産まれた事がそこまで罪なのか!」

 

「元々本家筋ではない、舞台役者にならねば食っていけぬ程度の分家に生まれた我が父は、あの大名殺しの罪に連座されるべき事は何一つしておらん!ましてや殺される様な罪を犯したことなどない!父はあの日斬りつけられるまで、本家が起こした罪が黒炭の姓を悪しき言葉に変えてしまったことすら知らなんだ!必死に生きていただけだのに何の咎を責められて死ななければならないのか!」

 

「だから俺は次期将軍だというおでんについて行ったのだ!あの男ならばワノ国を!この国に住む愚かな者どもの考え方を変えてくれるだろうと、そう信じてな!だが…結果はどうだ!大名として不甲斐ないばかりが!将軍となるべきものの勤めも果たさずに海へ出た!あの男はこの国と民を捨てたのだ!」

 

「…おでんに失望した俺に声をかけたのがオロチだった。奴はこの国を悪くしてきたのは光月の一族だと言っていた。我が家族は皆健康だ、それは全て公方様の計らいによる。俺は初め断ろうと思ったのだ!おでんは兎も角公方様には御恩しかないからな…だが、オロチは言ったのだ!あの男がいる限りこの国は変わらん!国の頭をすげ替えねばどうしようもないのだと!」

 

「オロチは俺に約束した!おでんを殺したら自分はこの国を出て行く!そして、ワノ国の将軍の座を公方様へ献上すると!!俺は彼奴の提案に乗った!あの男では最早この国は持たん!一度見捨てた国を心を新たに治めるだと?気のいい話をするでないわ!!俺はこの瞬間のために今日までお前達と共に戦ってきた!!だがおでんのためではない!!全ては公方様に将軍になっていただくためだ!!」

 

「……だが、昨日のカイドウとオロチの言葉でようやく理解した。アイツらは揃いも揃って将軍の椅子を手放す気などなかったのだ!奴らはこの国から出て行く気など毛頭なかったのだ!俺は騙されていた…だが、これが己の信じて進んだ道である事に偽りはない…。」

 

カン十郎の長い長い独白は初めの烈火の如き憤慨から徐々に鎮火していき、最後には悔やみきれないと言った様子の燃え尽きた男の言葉へと変わっていた。

 

彼の言葉が続く限り、誰も彼の独白に口を出すことはできなかった。カン十郎の言葉や考えに同じところも違うところも多少はあったが、家臣である彼らも考えたことのなかったわけではなかったからだ。

 

無責任なおでんへの不満や、国を憂う想い、海へ飛び出したおでんが将軍になることへの不信、国を見捨てたようにも思えたおでんの行動を薄情だと思う気持ち…みな何か一つは抱いた事がある様な話であった。

 

彼は彼なりに苦しんだ末にその答えに行き着いたのだ。周囲の誰もがカン十郎を責め立て罵る真似をしなかったのは、彼本人も気づいていまいが彼の両の眼からは涙が止めどなく溢れていたからだろう。

 

これでおしまいだ、とカン十郎は言うと正座から足を崩す最中だった公方に向き直った。

 

「…この無様を何と弁明致しましょうや!…ッ力足らずのこの身にどうか罰を!!将軍位すら貴方様に献じることのできないどころか、あまつさえ裏切りの咎を背負いましたこの愚か者にどうか罰を!!」

 

カン十郎の心の叫びを聞き届けた周囲は、彼の裏切りの事実を飲み込んだ上で、男カン十郎のために公方による彼への沙汰を見守った。

 

「…将軍の位とか要らないよ…。えーと…カン十郎!面をあげ!」

 

周りの誰もジルクが将軍の位を欲しがっていないことなど知っていた。カン十郎とて彼になって欲しいと願っていただけで彼がなりたいと思っていないことは知っていた。だが、譲れぬものがあったが故に今の沙汰を待つ事態に陥ったわけで、何かしらジルクが言ってやらなければならないのは彼自身にもわかった。

 

「ははぁ!」

 

それっぽく面をあげさせたジルクと、彼に向き直った真剣な表情のカン十郎。そして二人を見守る者たち。息を呑む音が聞こえるほどに静まり返った時、ジルクはハッキリと沙汰を下した。

 

「ゆるす!」

 

「ははぁ!!しかとっ!?えぇ!?」

 

ジルクの堂々とした言葉の勢いに飲まれて了承してしまったカン十郎は、彼の言葉を噛み砕いてから驚愕を露わにした。

 

「聞こえなかった?ゆるす!」

 

カン十郎の驚きを聞き漏らしと判断したジルクは今一度彼への沙汰を下した。

 

「そ!そうではなく!」

 

聞き間違いでないことを理解したカン十郎も彼へと食ってかかる。

 

「えぇいくどい!ゆるす!全部ゆるす!おでんの分もゆるす!僕がゆるすって言ったんだからゆるす!」

 

しかし、ジルクは有無を言わさぬ迫力をここぞとばかりに発揮し、自分への頼んだ覚えもない献身が失敗したことと、ついでにおでんへの不忠も合わせて赦すと言い切った。

 

錦えもんや傳ジロー、最古参の面々は改めてカン十郎への訴追を考えていたが、他の面々はジルクがこういう納め方をするだろうことを薄々察していたのか「公方様の仰せのままに」と言ったっきりだった。

 

周囲の空気を読み一度矛を閉まった錦えもん達は、抑の彼らの目下の問題であるおでん救出へのジルクの協力の可否についての宣旨を待つこととした。

 

少しの間思案したジルクは彼らへ口を開いた。

 

「…救出は面倒くさいかな…」

 

「そっそんな!!」

 

あんまりな返答に錦えもんは言葉を失いかけたが、次に彼の口から飛び出したのは又もや予想の斜め上の回答であった。

 

「でも…まだおでんからトキの弁当を食べた感想を聞いてないんだ〜。」

 

「……へ?」

 

「か、感想…ですか?」

 

呆気に取られて聞き直すが、彼から帰ってきたのは同じ文言である。

 

「うん。感想だよ。まだおでんの感想を聞けてないんだ。アイツは曲がりなりにも可愛い可愛いトキの夫なんだよ?なのにアイツだけ感想も言わないなんて!亭主関白なんて知らないよ!ご飯を作って貰ったんだからお礼の一つも言えばいいのに!!」

 

彼の怒りはカイドウでも、オロチでもなく、愛しのトキから弁当を作ってもらいながら食べた感想どころかお礼の一つも言っていない光月おでんに向けられていた。

 

呆気に取られる家臣たちを他所に彼は続ける。

 

「だから!僕はこれからアイツに聞いてくるんだ!トキの弁当は美味かったのか!どうなんだってね!」

 

公方はそう言いそそくさと準備を始めた。

 

「でででっ!では共に来てくださるのですか!」

 

震える声で錦えもんが聞いた。

 

「君たちがどうするかは君たちの自由さ!あっ!先にトキにお弁当のお礼と感想を自分で伝えてからだからね!」

 

錦えもんの声に振り向いた彼は何故彼らが自分を頼みにするのかわかっていなかったが、行ったり来たりするのは君たちの好きにすればいいと思ったのでその旨を伝えた。

しかし、彼も譲れぬものがあったので必ずトキに礼を言うように言いつけた。遠足の弁当を作って貰ったのだからお礼は言うべきだろう、と。

 

「はっ!はい!今すぐに!いくぞ者ども!トキ様に感謝と弁当の感想報告だ!!」

 

錦えもんの声に威勢のいい「応!!」が帰ってきた。彼らは駆け足で奥方の部屋へと向かった。トキはこの突然の感謝感激雨霰の応酬に驚いていたが、公方様からのお達しとやらに合点が言ったのか「いってらっしゃい」と明るく彼らを送り出した。

 

憂いはない。トキは念のためと城下の人々に避難を呼びかける様家老に伝えてから覚悟有る者たちの背を見送った。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

刑場にて、オロチの長く仰々しい罪状文の読み上げが終わり刑は執行に移されようとしていた。

 

「ウォロロロロ…お前は伝説として語り継がれるだろうよ…」

 

ワノ国を守る明王として招かれたカイドウがおでんへそう告げた。

 

「火をかけよ!!」

 

オロチの声で油で満たされた巨大な釜の下の薪に火がかけられた。

 

「光月おでんを死刑に処す!方法は釜茹での刑!煮えたぎる油で悍ましく死ぬがいい!!」

 

オロチは酒が入り気が大きくなっていた。気の大きさに比例して、ますます無遠慮で聞くに耐えぬ醜声を撒き散らした。

 

死刑執行は宴の余興だと言う様に、おでんのために特設された刑場には、一段高い場所にカイドウとオロチの酒の席が設けられ、豪奢な酒食が所狭しと置かれていた。

 

おでんの死刑を聞き及んだ都の民の人集りが、大路を埋め尽くした。人の壁に遮られて見物が叶いそうもない者たちは我先にと高い建物や上階へと登って身を乗り出した。

 

彼の死刑に対する心境は様々である。悍ましさに目を覆う者、悲しみに咽ぶ者、悔しさを噛み殺す者、物珍しさに目を輝かせる者、迷惑ものが消えると喜ぶ者……人の死は千差万別あれども、見世物となれば一様に最古の娯楽と成り果ててしまうのだと、花の都の内なる声が嘆く様であった。

 

「おでん!何か言い残す事があるか?」

 

刑吏の役割を担うカイドウの部下が彼の言葉を記録しようと近寄った。

 

「…カイドウ!!俺の家臣を舐めるなよ?アイツらは必ずこの国を開国する!」

 

おでんは刑吏には目もくれず、先程から喚き散らすオロチにも目もくれない。

彼は真っ直ぐカイドウを見据えてそう言い切った。

 

「馬鹿にしよってぇぇぇ!!貴様の家族も後から貴様の元へ送ってやる!!」

 

「ウォロロロロ!!!いいぞ!待っていてやろうじゃないか!だがお前を失った奴らに何ができる⁉︎」

 

顔を赤くして癇癪を起こすオロチとは違い、カイドウは上機嫌に笑った。

 

釜の油は温度を上げ始めた。

 

「それでは!これより刑を執行する!!光月おでん!前に出ろ!!」

 

「お前たちの手は借りん!!俺は武士だ!」

 

釜から離れていても茹だる様な熱さを感じる中、おでんはゆっくりと、しかし覚悟を決めた表情で前へ出て行く。

後は入るだけだ。全てが終わり、全てが始まる。

 

ロジャーだってそうだった。俺も次の時代に繋ごうじゃないか!俺の死で!

おでんの心の叫びは形を持って彼の覚悟を示そうとしていた。

 

「俺の命か?欲しけりゃくれてやる!!俺は光月おでん!侍の国ワノ国が将軍家の正統な後継者なり!!花の都よ!天下一の武士の死に様をとくとご覧あれぇッッッ!!!」

 

 

ザバン!!!

 

 

「ッッッグァぁぁぁぁ!!!!!あ"づゔゔぃ"ぃ"ぃ"ぃ"!!!!!!」

 

花の都に「若い男」の断末魔が響いた。

 

「えぇぇぇぇ!!!!!?????」

 

カイドウを含む全てのものが絶叫した。オロチは呆気に取られていたが、辛うじて一足早くに冷静さを取り戻すと、悲鳴の源に目を凝らした。

 

彼の視線の先にはオロチの人生最大の予想外が転がっていた。

 

「えーーーー!?!?どーーしておでんじゃなくて公方が油に入ってるんだぁぁぁ!!!!」

 

「あっづづぅぅぅぃぃぃ!!!!」

 

オロチの驚きは天地がひっくり返らんばかりであった。

そして轟くジルクの絶叫。

 

「公方殿ォォォォォオオオオオオオ!!!大丈夫かぁぁぁ!!!どうして此処にっ!!!俺の家臣を頼んだはずだ!!!」

 

おでんは訳がわからなかった。家臣と家族を信頼する公方に託し、自分は一時代の幕を閉じるのだと納得して、そのために一世一代の大見栄を切って油へ突貫したのだ。

 

だが蓋を開ければ自分はまだ釜に続く木の板の端に居て、全てを託したはずの公方が油の中で見たこともない形相をしている。

 

彼の混乱はそのまま観衆にも伝播しており、「どうして公方様がここに!」や「おでんはどうしたんだ!?」と声が上がっていた。

 

そんな混乱を生んだ張本人であるジルクは目の前で心配そうな顔をしているおでんを発見すると、油の熱さを忘れた様な明瞭でよく通る声を張り上げた。

 

「おでん!!お前!僕の可愛いトキに弁当を作って貰って置きながらこの体たらくは何だぁッッ!!」

 

「お前はお礼を言うこともできないのか!!それに!まだ幼い日和やモモの助を放ってこんなところで褌一丁とはいい度胸じゃないかっ!!変態!!僕はお前をそんな風に育てた覚えはないぞ!!僕の望んだ通りにも育ってくれなかったけどね!!」

 

「おでん!!帰ってこい!!みんな心配してる!僕は何が起こってるかとか!何が良いとか悪いとかなんて知らない!それに興味ないよ!!」

 

「だけどな!!お前はそれでもトキの夫だろう!!僕の可愛いトキが誰かに紹介する夫はお前なんだよ!!僕は悔しいぞ!!例え仮初だろうとッ形だけだろうとッ本当に愛し合っていたとしようともッ!!僕以外の奴がトキの夫だなんて悔しくて堪らないよ!!」

 

「おいおでん!!俺から一つだけ教えてやる!!女を守れねぇ男はなぁ!どこまで偉くなっても玉無しと同じなんだよ!!!お前がトキの夫である限り!お前はトキを守れ!!いいな!!じゃなきゃ俺が"夫"の位も貰う!!!」

 

ジルクは既に満塁ホームラン勝ち越し済みで二周目に突入しているのは秘密である。

 

「義理とはいえ僕だって一応お前のパパだ!!お父さんの甲斐性を見せてあげるよ!!!」

 

おでんに対しての宣戦布告は終わった。

ジルクは最後にそう言い放つと、全身全霊で釜を蹴り上げた。

 

ガッシャーーーンッッ!!!!

 

蹴り上げた先はカイドウとオロチの座席。

先日自らせみ丸を始末してしまっていたカイドウと、その隣に座っていたオロチの体に煮えたぎる油が浴びせられた。

 

「熱いッッッ!!!だが!死なんな!!」

 

「うぅぅぅ!!!嫌な予感がする!嫌な予感がする!!寒い寒いぞ!!」

 

熱さに元から強いカイドウは油を浴びてもピンピンしていたが、オロチは先程から止まる様子がない寒気に見舞われて油の熱さを感じていなかった。

 

釜をひっくり返したジルクはというと、釜と共に飛び上がり運悪く地面へと垂直落下してしまった。

彼は頭を強く打ったが意識を失わず、しかし重度の目眩に見舞われて足元のおぼつかない様子であった。

 

「公方様は生きていらっしゃるぞ!!」

 

突然の雨雲と竜巻、極め付けは突風によって遥か上空に飛ばされ、花の都の方へ流されてしまったジルクを追って都入りした錦えもん達は彼の無事な姿に安堵と歓喜の声をあげた。

 

「錦えもん!!」

 

「おでん様!!」

 

おでんと錦えもんの再会に周囲の者たちもホロリと涙を流したが、すぐに周囲が静まり返っていることに気づいて辺りを見回した。

 

「あっち!あっち!あちちち!!」

 

「あ!あったあった!!水だぁぁ!!」

 

おでん達が目にした光景は大きく三つに分けられた。

一つ目は、震えるカイドウ。

二つ目は、震えるオロチ。

三つ目は、熱さに震えながら「酒樽」を水の入った樽と勘違いして頭から浴びようとしているジルクの姿であった。

 

ザバァァァァ!!!

 

「ッッッ⁉︎やぁッッ!ヤァメロォォォォォオオオオオオオ!!!!!」

 

酒樽を頭上に掲げるジルクのもとへ全速力で駆け出すカイドウ。顔中に冷や汗を垂らして必死の形相である。

 

「嫌な予感がする!!嫌な予感がする!!嫌な予感がするぅぅぅ!!!!!!」

 

子供が怖いものから身を守る様に体を丸め頭を抱えてジルクの方から必死に目を逸らすオロチ。顔は恐怖と悪寒に苛まれた脂汗にまみれている。

 

「ぐぁぁぁ!?水じゃなぃよぉぉぉぉ!?!?じみるぅぅぅぅぅぅ!?!?」

 

水だと思って頭から高度数の酒を被ったジルク。その顔というか身体中には治りかけていた火傷があった。ありったけの酒が激しく沁みるせいで痛みに絶叫をあげた。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

「オメェはよぉぉぉ!!いつもいつも人に暴力ばっかし振るいやがってぇ!!このアホンダラがぁ!!」

 

酒に酔い、絡み酒と怒り上戸が最高潮の状態にあるジルクは聞いたこともないダミ声で怒鳴りながら「手の中」で踠くカイドウを海に勢いよく沈めた。

 

ドブン!!

 

「ゴボボボボッッッ!?!?ごぶぶぶ!?!?」

 

水飛沫とともに海中へ沈んだカイドウは海の魔力と息苦しさから何の抵抗もできずに溺れた。

 

ザバァァ!!

 

「ゲボォっ!げほ!!がはッッッ!?ぐぅぅ…だ、旦那ァもう勘弁ダァぁ…!!」

 

小さな波が立つくらいに粗野に海から引き上げられたカイドウは、息継ぎもそこそこに赤ら顔の海色透明の巨人ジルクへ許しを乞うた。

 

「口閉じとけやッ!?バカたれのカイ坊がこのヤローーー!!?!?」

 

ザッブッン!!

 

「待っ!?…ぅぉぉぉおおおお!!?!ゴポポポポ!?!!」

 

がしかし彼の頼みは聞き入れられず、カイドウはまたしても海中へ姿を消した。

 

 

酒を飲ませるな。女を傷つけるな。

 

カイドウの言っていたことは正しかった。

 

おでんは目を疑った。彼を含む全ての者が目を疑った。

目の前で信じられないことが現実に起きている。

 

ワノ国では明王と恐れられる大海賊カイドウ。彼は四皇の一人であり、百獣海賊団数万名の頂点に立つ総督でもある。

 

そんな世界の海の何分の一かを牛耳る化け物が、海に沈められては引き上げられを繰り返されているのである。

 

カイドウに海を使っての特大の水責めを敢行したのは何と言ってもジルクである。

 

彼の今の姿は体が海色の透明な巨人であった。海から生えるように聳え立ち、透明な腕で掴み上げられたカイドウは反撃もできずに海に沈められた。

 

おでんは漠然と漬物にする前に冷水で扱かれる野菜を思い浮かべていた。

 

ザブンザブンと何度となく高度10から20メートルから力任せに海へ沈められては引き上げられを繰り返しているカイドウは、あれ程恐ろしく最強無敵の名を体現していた時の姿からは想像もつかないほどの疲弊を見せていた。

 

カイドウとて10メートルに届くような巨漢である。しかし、海の巨人と形容するのが正しい酔ったジルクの大きさは50メートルにもそれ以上にも変幻自在に姿を変えていた。

 

しかし、何故か透明なのに顔の頬のあたりが赤く色づいていることだけが不思議であった。

 

カイドウへの折檻は酒樽を被ったジルクが、彼から離れようとしたカイドウの肩をがしりと掴んだところから始まった。

 

「今回は俺は悪くねぇ!」「旦那!頼む後生だ!オレァもう水責めは嫌ダァ!!」「俺は死にたがりだがアンタのやり方はちげぇんだ!!俺は虫けらみたく殺されたい訳じゃねぇ!!」「キング!!急げぇ!!早く船を用意しろ!!もう海公方になりかけてる!!水責めは免れねぇ!!」

 

その硬派な外見から想像もつかないような饒舌多弁を披露したカイドウは、目に見えて巨大化していくジルクの海色透明な巨大な手に鷲掴みにされながら部下へせめてもの指示を出していた。

 

カイドウの発した「海公方」という言葉に当初はピンと来なかったワノ国の人々や百獣海賊団の海賊達も、目の前でカイドウを玩ぶ海色の巨人の恐るべき遊戯を見せつけられ、なるほど確かに海公方だと納得したのだった。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

あれから半刻ほどカイドウで遊んだ酔いどれジルクは鬼ヶ島の方角へ半死半生のカイドウを遊び飽きた玩具のように投げ捨てると、陸地に向かうごとに少しずつ小さくなっていき、砂浜でいつもの人間の大きさに戻ると気を失ったように眠りについた。

 

彼の元へ急行するおでん達を追うものはなかった。

キングとクイーンは慌てながらカイドウが投げ捨てられた方角へ船を進め、観衆は公方様万歳の声を高らかにあげてお祭り騒ぎと混乱を極めていた。

 

この時、おでんの死に様を見ようと観衆に紛れていたある人物が図らずも父親を叩き伏せたジルクに並々ならぬ感情を抱いたとか…。

 

それはさておき、多くの人々が狂い舞う中でオロチの存在を見失っていることに気づけるものはその場に居なかった。

 

オロチは怒っていた。そして恐怖していた。だが、その恐怖と怒りを根絶させるためにと矛を向けた先に居たのは希望を取り戻した男達と眠る魔王ではなかった。

 

その矛の向かう先は、希望と最愛の帰りを待つ女であった。

 

 

ワノ国には前代未聞の危機が迫っていた。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

「ガハッ!!ゼー…ゼー…ゼー…キ…ング!!」

 

「起きたか!!カイドウさん!!」

 

海に落ちることなく、鬼ヶ島に突っ込んで救われたカイドウに寄り添うキング。彼はプテラノドンに変身して一足先に彼の元へと辿り着いていた。

 

「オロチ…の野郎、は何処…だ?」

 

息も絶え絶えのカイドウからの質問にキングはバツが悪そうに答えた。

 

「それが…見失ってしまったんだ…」

 

「何ぃ!?…急げ!…ッ急いでヤツを止めろ!!今度こそ!今度こそヤベェ!!」

 

キングからの返答にカイドウが声を荒げた。キングからの応答を待たずにカイドウは続ける。

 

「オロチの野郎は!旦那の女を始末する気だ!野郎ッ!おでんの家族もあの世に送ってやると息巻いてやがった!!正気じゃねえオロチならやりかねねぇぞ!!」

 

カイドウの焦りに呼応したキングは冷や汗を一筋頬に垂らした。

 

「クイーンも動員してヤツを止める!!」

 

「行け!急げ!俺も直ぐに行く!もしもの時は先制攻撃だ!全軍を出せ!!!!」

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

ゴォォォッ!!パチパチッ!

 

ガラガラッ!!

 

燃え落ちようとしているおでん城が九里を夕陽以上に明るく照らしていた。

 

「頼む!起きてくれ!!公方殿!!」

 

「…もういいのよ、おでんさん。」

 

「トキ様!!そのようなことはッ…!!」

 

オロチの手勢が各地から九里に攻め入った。

一拍遅れでおでん達の元に届いた頃には九里では凄惨な掃討戦が展開されていた。教訓から城に残ったイヌアラシやネコマムシ達の奮戦により何とか敵を抑えることが出来ていたが、戦線が破られるのは時間の問題であった。

 

報せを受けてからは決死の強行軍で九里に戻ったおでん達だったが、先頭をいくおでんの背中ではジルクが眠っていた。

 

おでん達の到着と、おでん城から火の手が上がるのは同時であった。おでん達が包囲戦を展開する敵を外から突破して入城すると、白舞から増援に駆けつけた霜月康イエの助太刀もあり、城の中枢へは敵の手がまだかかっていなかった。

 

だが、ジルクは起きない。彼の身を子供達と身を寄せ合っていたトキに託したおでんとしのぶと九人男達はオロチの指揮により独断で動かされたカイドウの軍勢と、オロチ直属の見廻組との死闘を2時間以上にわたり演じることとなった。

 

だが、敵の数が増えるばかりなのに対して九里の味方は次々と斃れ、傷ついていくばかりであった。

 

2時間と30分が過ぎた頃、遂におでん城の天守へと火矢が浴びせられた。天守は炎上、中枢にも火の手が迫る。

 

火勢轟々止まるところを知らず、燃え広がる火を止めることなど出来ずに、彼らは残り少ない無事な部屋へとトキや子供ら、そして眠ったままのジルクを押し込んだ。

 

敵は燃え落ちようとする城に勝利を確信していたが、未だ悪寒に苛まれる将軍オロチがバカの一つ覚えの如く繰り返し下命し続ける徹底殲滅の名の下に攻撃の手を緩めなかった。

 

思い出の詰まった城は灰色と黒い木炭の塊へと姿を変えていく。周囲は敵に埋め尽くされていたが、尚敵の数は増えている。遠目に人殺しの形相でオロチへ詰め寄る敵将キングの姿が見えたような気がしたが、そんなことは些事であった。

 

 

遂に最後の地まで火の手が届いた。煌々と燃えて熱を照射する焔の揺らめきは、末期の光景にしては如何にも大大名らしい。敵将は狡猾にして悪漢であった。最後に明王が海に弄ばれる喜劇も見物できた。一度は捨てた命なのだ、笑っていこう。

 

おでん達は自分の終着点をここだと定めた。火の勢いが強すぎるために敵が彼らの邪魔をすることは無い。その点だけは退路を奪った炎に感謝していた。

 

どっかと足の裏の泥で汚れた畳の上に腰をおろしたおでん。彼は妻の顔も見納めと考え、彼女の顔を見つめた。

煙に咳き込む子供達を自身の身に抱き締めるトキは、不思議と咳き込む様子もなく穏やかな表情で、火の中だというのに呑気な顔で夢の世界を旅するジルクの頬を慈しみの籠った手つきで何度も撫ぜていた。

 

「…怖くないのか?」

 

おでんの口から出た言葉は案外にも武士らしからぬものだった。くすりと笑ったトキは穏やかに言葉を紡いだ。

 

「えぇ…怖くはありませんよ。」

 

「…そうか。怖くはないか…。」

 

おでんはトキの目がジルクから決して離れないことに気づいた。彼女の瞳は穏やかな、しかし寂しそうな色を映していた。

 

「心配か?」

 

おでんは妻が初めからこの眠り猫に夢中であったことなど百も承知で夫婦となった。だから初めから嫉妬などなかった。何せ時間が違う、年季が違うのだ。10年と満たない時間を共にした程度のおでんが勝つなど夢物語に違いない。

彼はこんな大した女が自分の妻でいてくれたことに誰が何と言おうと満足していた。だから、素直に疑問だった。

そんな大した女の心配事とは一体全体何なのか。

 

「とと様は…孤独な方なの。」

 

「孤独な方?公方殿がか?俺の記憶では何処にいても女に囲まれていたぞ?」

 

トキの言葉はおでんにとって意外であった。だが、トキは構わず続ける。

 

「…とと様は私の母が亡くなると、直ぐに山へ篭って誰からも会わないようにしたの。娘の私とも、ね。理由はすぐにわかったわ。彼は老いないし、死ねない体だったの。」

 

驚愕の事実…とは言えなかった。おでんもよくよく思い返してみれば、ジルクが老いる様子も死ぬ様子も想像がつかなかった。

 

「とと様に私は聞いたの…どうして私を避けるのですかって…そしたら彼は言ったの。自分は愛されていないと生きていけないんだ、と。でも、逆に愛されることがなければ死ぬことができるんだ、と。それを聞いて私は泣いたの。」

 

何故泣いたのか、おでんは聞かずともわかった。しかし、彼女の言うがままに任せた。

 

「とと様を私が愛すれば愛するほど、彼はその死を引き延ばされるの。でも彼が私を愛すれば愛するほど私は彼が欲しくなったわ。だから、ね?おでんさんの生きる時代まで時間を越えたの。」

 

「………」

 

おでんは何も言わなかった。彼女の闇が初めて垣間見えた気がした。

 

「…八百年は長かったわ。でも苦しさは無かったの。何度も何度も妄想したの…私を探して何年も、何十年も、何百年も生き続けるあの人のことを。…だってその間は決してあの人が最期を迎えることはできないの…私があの人の終着点…私はアナタの死…私とアナタの愛が…それこそが私たちの終着点なの。」

 

おでんは何も言わない。彼女の時折見せる恍惚の表情の答えがようやく導き出されたのだ。

 

「俺と夫婦になって幸せか?」

 

だからこそ、おでんは聞かずにはいられなかった。トキは迷いなく言った。

 

「幸せよ?…おでんさんと一緒になったのはね、私なりに彼を諦めるためだったの。…でもね、私の気持ちはそれでも微塵も揺るがなかったわ。おでんさんも子供達のことも愛してる。だから今日まで離縁もしなかったし、あなたを支えてこれたのよ?」

 

けどね、とトキは続ける。

 

「けどね、私にとってとと様は全てなの。愛してるのは当たり前。どれだけ尽くしても捧げても足りないの。…でも、今日が終着点みたい。私ね、死ぬわけにはいかなかったの…彼と死に遂げるために。一緒に生まれてくることは叶わなかったけど…死ぬ時は決してそばから離れないで欲しい。私の最後のわがまま、最初のわがままは彼の寿命を八百年以上延長するのに使っちゃったもの。…とと様も、これくらいなら許してくれるわ…。」

 

トキは語るべき言葉を言い尽くし、おでんへ他の家臣達を集めるように言った。彼女の顔には悔いや未練など無い、晴れやかで自然な微笑みが浮かんでいた。

 

おでんは静かに頷いた。彼の表情もまた晴れやかだった。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

「河松には日和を頼みます。どうかこの子をお守りください。」

 

「母上は!母上はどうするのですか!」

 

「ぅううぅぅッ!!日和様、参りましょう…しばしの辛抱でございます!」

 

河童の河松に娘日和を託したトキは、河松に堀を通っての逃げ道を教えると先を急がせた。泣き出してしまう日和を抱えた河松は涙を枯らして足を早めた。

 

「おでんさん、錦えもん、カン十郎、雷ゾウ、菊の丞、しのぶ。モモの助を頼みます。モモの助、お前は強く生きなさい。武士として、必ずあなたは将軍になるのです。」

 

「はい"っ!母上ぇッ!!」

 

涙を堪えきれないモモの助の頭をガシガシと撫でながらおでんはトキと目を合わせた。

 

「トキ…いいんだな?」

 

おでんは神妙な顔で彼女に問う。トキは笑顔でおでんに答える。

 

「えぇ。いいの。モモをよろしくね。」

 

モモの頭を一撫でした彼女は彼ら六人から一歩離れた。

 

「任せろ!」

 

おでんは曇りのない笑顔で胸を張った。他の家臣達も、モモの助もこれから何が起こるのか分からずにいたが、今生の別れであることを察していた。

 

「二十年後の世界へ貴方達を送ります。必ずこの国を開国しなさい。おでんさん!」

 

トキは顔を引き締めると目の前の七人に強い声音で言い聞かせると、夫の名を呼んだ。

 

「おう!」

 

おでんは威勢よく応える。

 

「息子にも娘にも父親が必要です。母親はもちろん必要だけれど、私は母親失格だからあなたに頼むわ。一度くらい、私のわがままに付き合って下さいね。」

 

トキは悪戯っぽく笑んでからおでん達に手をかざした。

かざしたまま、彼女はふと思い出したように菊の丞へと声をかけた。

 

「…菊の丞…いえ、お菊。二十年後は貴女の番が回ってくるかもしれないわね…精々女を磨くことね…」

 

トキの声や雰囲気は先程までの良妻賢母の風格とは全く異なるものだった。妖艶かつ怜悧な気配を放つ彼女の言葉は、鮮やかに菊の丞への宣戦の辞を結んだ。

 

「…トキ様…後悔されても知りませんよ?」

 

菊の丞は彼女の言いたいことをよく理解した様子で、驚くこともなかったが、主君の奥方に向けるようなものではない凶暴な笑みをニタリと浮かべた。

 

「ふふふ…心配してくれるの?優しいのね…」

 

トキの異変は霧散し、直ぐに大名の妻として彼らに別れを告げた。

 

「さようなら。また会うその時まで。」

 

「あぁ!しばしの別れだ!また会おう!」

 

トキとおでんの短い惜別の言葉が終わるのと共に彼らは痕跡一つ残さずに消えていた。

 

未来へと飛んだ彼らはきっと強くなるだろう。モモの助も大丈夫。父親がそばについているのだから。菊の丞は…まぁ彼、いや彼女もきっと上手くやるだろう。どれだけ綺麗になっているか見ものだ。

 

トキは短い時間を未来へ想いを馳せるのに使うと、この場に残った傳ジローとアシュラ童子とイヌアラシとネコマムシの四人に散り散りに逃げ延びるように言った。初めは渋った彼らだったが頑なに残ると言う彼女の覚悟を曲げることはできず、せめてトキのためにもと直ぐに城から各地へ散った。

 

 

パチパチと燃える城、彼女から最も近いところでは3メートル先まで火の海がトロトロと近づいてきていた。

 

トキは未だ目を覚さないジルクに寄り添うように体を横たえた。彼女は炎の熱に浮かされながらも愛しい男に別れの、そして完成を祝うキスをした。

 

チュ…と控えめな水音が炎の悲鳴に掻き消された。

二人は本当に二人きりであった。

トキは目を閉じた。さようなら愛しい人。おかえり愛しい人。ただいま愛しい人。もうずっと一緒よ?愛しいアナタ……

 

 

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

 

普通、姫が王子に心からの愛情のこもったキスをされて姫が起きることで成立するのがハッピーエンドである。

 

だがよく考えたら、それは洋風の考え方である。

 

ここはワノ国、そしてこの男はジルクである。

 

常識とセオリーなど糞食らえ!!なのだ。

 

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

ドッカーーーーーーン!!!!

 

 

突如として天守跡の真上に巨大な積乱雲が形成され、そこから特大の電雷が落ちたのである。

 

信じ難いことにその一撃の衝撃により城の火災は吹き飛ばされ、見事に鎮火した。まるで天の神様が雨を降らせるよりも蝋燭の火の様に消し飛ばした方が楽に済みそうだと考えたよう。刹那の間に消火が完了したのだ。

 

「だから!さっきから何度も言っているだろう!これ以上の攻撃は許さん!オロチ!貴様はカイドウさんから殺される覚悟があって俺たちの軍を動かしたんだよなぁッッ!!」

 

「………嫌な予感がするんだ!嫌な予感が!!」

 

未だ震え続けるオロチに向けて憤怒を露に攻撃中断を求めるクイーン。オロチは狂ったように震えるばかりで誰の言葉も受け付けない。

空中から影が飛来した。キングである。

彼の元にキングが降り立ち、深刻な面持ちで口をひらいた。

 

「クイーン!!攻撃中断を中断!!総攻撃の準備に移れ!!大至急だ!カイドウさんも向かってる!」

 

「えぇぇ〜〜!?!?今度は何だってんだあ!!」

 

突然の手のひら返しの指示にクイーンは驚いたが、カイドウの急行といい只事ではないことから、何が起こっているのだと訝しがった。キングは何か知っているようで冷や汗を額に浮かべたままクイーンへ告げた。

 

「オロチのバカが"クニトリ"を起こしちまったんだよッ!!」

 

聞きなれない言葉にクイーンは鸚鵡返しに聞き直すが、キングは焦りを隠すこともなく、先ほどから異様な気配を放つ城からも視線を切ることもなく続けて言う。

 

「海公方は第二段階だ!カイドウさんから聞いただろう!!ソレの上だ!第三段階の名前がクニトリだ!!旦那の自我に干渉してどうにか出来るのは海公方までだ!クニトリは海の悪魔…ヒッ!?う、海の姉御ッが旦那の力を代わりに振るうんだ!!!そうなったら!姉御が旦那を傷つけた奴を徹底的に痛めつけるまで戻って来なくなるんだ!!俺もカイドウさんから聞いただけだ!だがあの気配は間違いなく姉御だ!!姉御がでやがった!!」

 

キングは世界の実力者を上から数えて行った方が早い、指折りの強者である。しかし、彼の様子は完全に怯えを示していた。

 

 

ゴロゴロと雷を孕んだ雲の大群が空を駆けるように不気味な速さでワノ国を覆っていく。半径数キロ圏内の全てを覆うその雲の天井の中には猛る獣の唸りを上げながら雷が駆け回っていた。

 

「我が伴侶に斯様な仕打ち、海に沈む覚悟はあろうな?」

 

何時ぞやにおでんが耳にしたのと同じ声がキング、オロチ、クイーンの耳にも届いていた。

 

「あ、あ、あねご…勘弁してくれよ…ッおい!クィーン!全軍に通達しろ!攻撃用意!攻撃用意!落雷と衝撃に備えろォォォォォ!!!」

 

キングは腰を抜かしそうになったがどうにか踏みとどまって指示を出した。悲鳴に近いソレは同様の悲鳴のような指示を量産していく。

 

バケツをひっくり返したような雨がオロチとカイドウの軍勢を打ち据える。暗雲が陽の光を遮り真っ暗闇を生み出した。夥しい雷が暗雲の中で渦巻く。

 

暗黒の中で体を打つ豪雨と時折辺りを照らす雷の音が世界の音を占有していく様であった。

 

そこへ、彼らの最も頼みとするところが現れた。

 

「熱息(ぼろぶれす)!!!!!」

 

ドドドド!!!!

 

青竜の姿になったカイドウによる超高熱の熱線が暗雲を貫き光をもたらした。

 

「カイドウ様だ!!」「おぉぉ!!流石は四皇!!格が違う!!」「勝てるぞ!たかだか悪天候にひるむな!!」

 

下っ端の戦闘員が息巻くのに対して、幹部以上の顔は暗いままだ。

 

「カイドウさん!!来るぞ!」

 

キングの声を聞いたカイドウはわかっているとばかりに身構えた。

 

「うぉおおおおお!!!」

 

「小癪なカイドウの餓鬼がッ!我が伴侶の身を汚す気か!?陽練裂(ひれさけ)!!!」

 

カォンッ!!!

 

女の声が木霊すると暗雲の一部が突風により裂け、雲の向こうに海上が見えた。海上には巨大な水の鏡のようなものが構築されており、鏡に太陽の光が当たった。

鏡に当たった光は海面で反射することなく海中奥深くまで乱反射していった。浅瀬の底に到着した太陽光は何倍にも増幅していたがそこから更に折り返しの反射し続けた。

数百に及ぶ反射を繰り返し、乗算形式でエネルギーを倍加させた太陽光はついに最初に反射した海面の鏡から真っ直ぐにカイドウへと放射された。

 

超高速の熱光線がカイドウに直撃した。

 

「がぁぁぁ!!!!熱いっ!!!」

 

竜の口から煙を上げ苦悶に喘ぐカイドウ。キングの恐れていたことは現実となった。恐るべき反撃が四皇を屠る様は恐るべき幻覚のようだが、その実残酷な現実であった。

 

「ゼー…ゼー…ようやく姿を見せたな!!クニトリ!!」

 

クニトリと呼ばれた存在は、言葉をかけてきたカイドウに何ら恐れも抱くことなく言い放った。

 

「よくもまぁ偉そうなことを言えたものだ!!我が伴侶の慈悲がなければ!貴様のようなゴロツキが大海賊と呼ばれるまでになることもなかったろうに!!」

 

クニトリの姿は理性を保っている龍そのものに、ロギア自然系の力により水の流れを纏った如何にも神々しい姿であった。しかし、その恐ろしさはカイドウがよく知っている。

 

「キング!クィーン!今すぐ総攻撃だ!!」

 

「わかった!!やれ!!」

 

「いくぜーーー!!!」

 

カイドウの掛け声にキングとクィーンは得たりや応で返しすぐさま総攻撃を命じた。

 

数限りない矢弾が天守の跡に眠ったトキを抱えて陣取るクニトリを襲う。

 

矢弾は勿論のこと海楼石で練られた特注である。輸出用も含めて全ての武器をクニトリ討伐のために放出した。

 

第一撃に続き第二撃、第二撃に続き第三撃……終わりなく続く、止めどなく続く攻撃は大国の軍隊であろうとも一刻と掛からずに殲滅することができただろう。

 

しかし、クニトリの前には無意味であった。

 

「ふん!技を弄するまでもない!我が伴侶は慈悲深いゆえ貴様らが海の石ころで作った武器に痛がってやっていたが、我は伴侶とは違う!!そもそも我の力は自然に列する上に、その力は海そのもの!貴様ら凡愚の一つ覚えなどただの石ころと何の変わりもないわ!!!」

 

海楼石の弾薬も鏃も全てがクニトリの纏う水流の鎧に弾かれていた。辛うじてその身に届いたとしても傷を負わせることもできず液体の体に飲み込まれてトキから離れたところへ体外に排出されるだけであった。

 

「まだだ!!」

 

「いやもういい!退け!!かまいたち!!」

 

キングの声を遮りカイドウがぐんぐん前に出た。天守のすぐ真上にまで上昇したカイドウはその体を垂直落下させながら壊風(かまいたち)を放った。

 

「今度はお前か!!我が伴侶の女に手をだそうとは…恥じを知れ!!」

 

壊風に水の体が裂けては再生させながらクニトリは身に纏っている水流の一つをヒレで真上のカイドウに向けて弾き上げた。

 

「水と戯れるがよい!刃乱水路(ばらずし)!!」

 

水流は強力な回転により高速の刃となり空気を文字通りに切り裂きながら直線上のカイドウの鼻面を切り裂いた。カイドウの鮮血がクニトリとトキの頭上に降った。

 

「ぐぁうあぅう!!化け物がぁぁ!!!」

 

墜落したカイドウは竜の身から変身を解き天守に着地した。

着地してすぐに金棒構えたカイドウは渾身の力で未だその龍の頭が真上に向いているクニトリへ攻撃を放った。

 

「ォォォオ!!!雷鳴八卦!!!」

 

「隙を狙うとはますます小癪な!!御神矢雷(おかしら)!!」

 

カイドウの攻撃がクニトリの龍身に直撃する前に、今日一番の天地を揺るがすほどの大雷がカイドウの身に落ちた。

 

「ンガゥァァァ!?!?」

 

ビリビリビリビリビリ!!!!

 

バジジジジジ!!!

 

カイドウの体に落ちた雷は体を貫いた後も城を貫き礎まで到達してやっと止まった。

しかし、カイドウの体に感電を残した雷はその後も水浸しの周辺とカイドウの体を循環し数分にわたってカイドウを電流で焼き続けた。

 

「グォォォォ!!!アバグババババっ!?!?」

 

カイドウは全身から煙と焦げ臭さを立ち上らせ、壮絶な死相を浮かべたまま倒れ臥しそうになっていた。しかし、クニトリはこの場に倒れ込むをよしとしなかった。

 

「っ!まさかここで寝ようなどと考えていまいな!!我が伴侶は美人としか寝ないのだ!貴様のような牛ゴリラが間違っても同衾するなど言語道断だと知れ!!」

 

逆鱗に触れたのかクニトリは怒りに顔を歪めてカイドウをキング達やオロチの軍勢の方へと投げ飛ばした。

 

「キングの坊主にでも介抱してもらうがよいわ!」

 

落ちてくるカイドウを受け取ろうと殺到するキングや他の海賊たちを睥睨しつつ、クニトリは巨大な三叉の槍を水の肉体から取り出して構えた。

 

「介抱してくれる者が生き残っておったらな!!!威斬凪(いざなぎ)ッ!!」

 

クニトリが力強く振るった三叉はその槍先が描いた通りの斬撃を飛ばした。クニトリが切り裂いたのは空気であった。空気中の水蒸気を急激に収縮させ斬撃に変えたのだ。

 

物凄い速さで敵勢に突き進む三振りの水の斬撃には一つ仕掛けが施されている。

 

「⁉︎ギングゥーー!!!ぎをづけろ!くるぞ!」

 

「カイドウさん!!避けられねぇ!!」

 

「クイーーン!!盾になれ!!」

 

「ちょうど三振り!仲良く受けるしかねぇぇ!!」

 

ズゴゴゴッッ!!!!

 

それは、収縮したことで閉じ込められていた熱エネルギーが膨大な熱と衝撃波を放出するということである。

 

「グハッ…!!!」

 

「ウブぅぅ!?…ゴポッ…」

 

「ゴハッ!?ガァ!!」

 

カイドウは焼け焦げた体に更なるダメージを蓄積し、遂に膝をついた。

 

キングは体に深々と焼き切られた斬撃痕が刻まれ血を吹いた。

 

クイーンは衝撃波に吹き飛ばされ全身に火傷と打撲を負った。意識はあるが目を回していた。

 

 

「まだやるか?それとも…この国ごと海に沈めようか!!」

 

まだ闘志が消えないカイドウと、震えてばかりのオロチへの苛立ちはいよいよ憤怒に変わりつつあった。

 

巨大な雲から次々と雷が落ち、遠目に見える海上には恐ろしいまでの巨大な渦が数十も蠢いていた。

 

カイドウの目の前で海上に集結させた百獣海賊団の数百隻近くの海賊船が海の藻屑に今すぐにでも変えられようとしていた。

 

「おいカイドウの坊主?貴様に選択肢をやろう…我の伴侶は寛大だ。少なくともこの地を彼は気に入っておるからな。貴様に問おう、ここで死ぬか?それともオロチ共々今すぐ我の前から失せるか?」

 

「返答やいかにや?」

 

カイドウは海の上と天守上の魔王の姿を見比べてからがくりと肩を落とした。

 

彼に選択の余地は無かった。

 

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

 

「ねぇねぇ、トキ…起きてよ〜!」

 

ジルクはボロボロの天守の上で目が覚めた。彼の隣にはトキ一人が眠っていた。

 

「…ん…とと…様?」

 

トキは目を覚ました。彼女は自分がどうして生きているのか理解できなかった。

 

「ど、どうして?…ここは?」

 

戸惑うトキの様子を不思議がるジルクだったが、彼は珍しく真剣な調子でトキへ告げた。

 

「…ねぇ、トキ?僕ね、君と一緒に死ぬのも良いけれど、やっぱり君と一緒に生きていたいよ。」

 

彼の言葉はあまり要領を得ない。しかし、単純な分なにも考える必要はない。彼は生きることを選んだのだ。

 

「トキ!そばにいておくれ?」

 

トキは父親の明るい笑顔を初めて見た。トキは愛する男が生きようとする姿を初めて見た。トキは彼女の初恋が漸く実ったのだと理解した。もはや迷いはなかった。

 

「はい!アナタ…喜んで!」

 

世界で一番素敵な笑顔で微笑んでから彼女はジルクに抱きついた。ジルクは彼女の体をしっかりと受け止めると、優しく確かめるように抱きしめた。

 

二十年くらい独り占めしてもいいわよね?とトキが世界中の誰かに謝ったのは内緒である。

 

 

 

 

ジルクが辿り着いたのは終着点ではなかった。

彼が八百年かけて辿り着いたのは生きることへの始発点であった。

 

 

 

 

完




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