ヴンダーというお船に私は乗っています。お船なのに空を飛べるすごいお船なのです。えへん。
そして世界と人類を守るために戦っているのです。えっへん。
どうして知ってるのかって、艦長の葛城ミサトさんがそう言っていました。世界とか人類とかはよく分からないけれど…
私は良い子なので、ミサト艦長のお話はいつもちゃんと聞いています。
ある時、お船の中に、透明のお部屋が作られました。何人もの人が一生懸命に作ったお部屋です。外から中の様子が見える面白いお部屋です。その部屋が作られてる途中に、式波たいいがやってきました。たいいは、カッコいい軍人のお姉ちゃんです。お姫様みたいな長い金髪、いつもキリリと口を引き結び、赤い服を着て、片方の目には海賊の船長さんのようなアイパッチをしています。
私はたいいが笑った顔を見たことがありませんでした。でも、その日の式波たいいは違いました。なんだか、笑顔になるのを我慢してるような、ドキドキワクワクを隠してるような表情でした。サンタさんが来るのをいい子にしながら待ってるような感じ。
だから、式波たいいと呼ぶのは、変な感じがして、私は式波さんと呼ぶことにしました。
それからしばらくして、透明のお部屋に、ベッドに寝せられたままの男の子が運び込まれてきました。式波さんと同じくらいの年の男の子です。
お兄ちゃんは戸惑っているようでした。じっと天井を見つめています。何日かすると、ベッドから降りれるようになって、男の子は部屋の外の周囲を見つめています。何だか寂しそうで、哀しそうな顔をしていました。
それからまた何日かすると、式波さんが、透明のお部屋に来ました。男の子と何か口げんかをしているようでした。それから、すごい勢いで部屋を出て行ってしまいました。
「けんかはいけないよ」
式波さんが見えなくなると、私は思わずそう言っていました。男の子がびっくりして、私の方に振り向き、目を丸くしました。
お船の中で、姿を見せると、ほかの人たちもみんなこんな顔でびっくりするのです。
だから、私はたまにしか姿を見せません。
でも、けんかはやめて欲しかったから。
「君は…‥どうしてここにいるの?」
「ずっとここに住んでるの」
「住んでって。ここは戦艦の中だよ。君みたいな小さな女の子が?」
男の子は不思議に思ったようでしたが、それ以上は聞いてきません。私からも質問をすることにしました。
「あのお姉ちゃん……式波さんは恋人なの?」
恋人というのは、お部屋で二人きりでお話ししたり、時々けんかしたりするものだと、大人の人たちのお話で聞いたことがあります。
男の子は首を横に振りました。
「違うよ。そんなんじゃ……。アスカは僕に怒ってるんだ」
「何か悪いことをしたの?」
「何もしなかったから、怒ってるって言ってた」
何もしなかったから怒られるなんて私はびっくりしました。それなら私なんて毎日怒られてしまいます。お船の上に寝そべって、お空を見ながら、一日中、何もしないのは、ぽかぽかして楽しいのに。
それでも、式波さんは毎日、男の子の部屋に来るようになりました。さいしょは少しずつ、だんだん長くお部屋に居るようになりました。私は式波さんが見えない時だけ、男の子とお話しするようになりました。
「式波さん、毎日お部屋に来てくれるようになったね」
「うん、最初は怒ってるだけかと思った。でも、心配してくれているみたい」
「わかるの?」
「うん、微妙な口調や表情でね」
ビミョーというのはほんのちょっといつもと違うことなんだって。恋人でもないのに、そんな事がわかるなんてスゴいと思いました。
「ずっと一緒にいれたらいいのにね」
「アスカにはお仕事があるんだよ。この船を守る大事な仕事なんだ。僕には何も出来る事がないから、アスカを待つしかない」
確かに、式波さんが透明のお部屋にいるときに呼び出しの「ほうそう」が入り、慌てて出て行く事が何度もありました。最近は怒ってばかりでもなく、あの、クリスマス前のサンタさんを待つような表情でいる時も増えたのに。私だったら、サンタさんの前にお仕事だなんていやだなあ……。
でも、式波さんはとっても真面目なので、ちゃんとお仕事をサボらずに出掛けていきます。
「アスカは偉いんだ。とても強くて……優しい」
いつも、男の子はそう言っています。
私は男の子と式波さんの「かんけえ」が気になって、メガネをかけたお姉ちゃんにききにいきました。お船の中で、私を見ても、一人だけびっくりしなかった女の子です。
「それでね、いつもお部屋でお話ししてて、それからお仕事になると、そのお姉ちゃんが出掛けていくの」
私は式波さんの名前は出しません。ぷらいばしいの問題があるからです。メガネの女の子は言いました。メガネがキラリと光ります。
「大人になったら、男の子と女の子は同じお部屋で暮らすようになるんだよ。そしてどちらかがお外で仕事をして戻ってくる。だから、その男の子は女の子のダンナさんだね」
話はかしこいお姉ちゃんに聞いてみるものです。簡単に二人の「かんけえ」が分かってしまいました。あの男の子は式波さんのダンナさんだったのです。
「あ。でも、その子たちが恥ずかしがるかもしれないから、今の話はしないほうがいいよ」
こころえた!と私はうなずきました。このお姉ちゃんが前にそういう言い方をしていたからです。ちよっとカッコいいよね?
それから、式波さんのダンナさんの部屋に戻ると、式波さんは居なくて、式波さんのダンナさんの顔がなんだか暗くなっていました。
「きもちでも悪いの?」
「……最終決戦が近いんだ」
「さいしゅうけっせん?」
「悪いやつらとの戦いだよ。たくさんの人が、けがをしたり、亡くなったりするかも知れない」
「ダン……お兄ちゃんも戦うの?」
ダンナさんは首を横に振りました。
「僕ではなく、アスカが戦うんだ。本当は逆でなくちゃいけないのに」
「毎日お仕事に行くのは、ふつうは男の子の方だから?」
「え?」
「式波さんちは、女の子の方がお仕事に行くおうちなんだと思ってた。だからそうなんじゃない?」
「……ありがとう。そうか、ここはアスカのおうちなのか。君にはそう見えるんだね」
見えるも何もそうなんです。ダンナさんには私のような小さな子どもでも分かることがわからないみたい。ふしぎだな。
それからしばらくは皆がそわそわ、バタバタとし始め、式波さんもあまりダンナさんの所に姿を見せなくなりました。
でも、さいしゅうけっせんの前の日、夜遅くに式波さんはやってきました。いつもの赤い服ではなく、白い服を着て。
「最後だから、後悔はしたくない」
そう言って式波さんはダンナさんに近づくとキスをしました。それから二人は服を脱いで裸になりました。もう、子供が見てはいけないと思ったので、私は姿を隠しました。
◆
艦長の葛城ミサトさんの声がお船の中に流れています。
「残念ながら、南極決戦は我々の敗北に終わりました。もはや、我々人類に人類補完計画に抗するすべはありません。尊い命を数多失っておきながらの、この結果、全ての責任は私の作戦指揮にあります。慚愧に耐えません」
お船のあちこちですすり泣く声が聞こえます。みんな腕に青いバンダナをしていて、バンダナを握りしめたまま、床に座り込んで泣く人も居ます。
「……しかし、我々の希望が完全に潰えた訳ではありません。我々は抛擲していた種苗と、地球の各村の生存者を回収ののち、11光年先のRoss 128bという可住型惑星を目指す事になります」
ミサト艦長の横で、赤木リツ子博士が「地球の衛星軌道上を離れた人類に、遠隔で人類補完計画発動の情報が瞬時で伝わる筈がない。もし伝わるなら、量子テレポーテーション以上の物理的情報の伝達であり、あらゆる物理法則に反するわ…」とブツブツ言っています。むずかしいお話はわからなかったけど、どうやら、地球を離れれば、みんなは助かるみたい。
「本船は、第四世代型超光速恒星間航行用超弩級万能宇宙戦艦ヱクセリヲンの準同型艦として建造されたものであり、主機損傷ののちも、最大で光速の30%での航行が可能です……我々人類は新たな地球を目指すことになります」
その後、三十分ほどして、透明なお部屋の前にミサト艦長が現れました。ダンナさんは真剣な顔をして、ミサトさんを待っています。自分の首の所に付けているオシャレな「ちょーかー」に手を当てて、ダンナさんはミサトさんの持つ小さな機械を見つめています。
「アスカは無事なんですか?」
「ええ、彼女は無事よ。だけど、アナタにはけじめを付けてもらわないといけない」
「……本当に良かった。それだけ聞けば満足です。覚悟は出来てます。僕はニアサーの、父はフォースの責任がある。僕ら親子は人類への大罪人ですから」
そこに式波さんが駆け込んで来ました。
ミサトさんの前に立つと、ダンナさんを守るようにその前に立ち、ゆっくりと首を横に振ります。
「アスカ……良かった。本当に生きていたんだ、良かった……」
式波さんは一瞬だけ、ダンナさんの顔を見て、ミサトさんと話を続けます。
「今更、血の贄は必要ないでしょ。人類はもう十分、血を流し過ぎた」
「それだけじゃない。シンジ君を処分すれば、これから一人の人類の命を救うことが出来る」
「は。冷たい方程式を気取ってる場合?……こいつ、もう一週間も食事をしてないのよ」
そして、お部屋の中のトイレに向かって顎をしゃくります。
「配給食料は勿体ないけど、全部捨てさせてた。作戦終了まで隠しておきたかったから」
「……そう、シンジ君はアナタと同じになったのね、アスカ」
「すみません、ミサトさん」
ミサト艦長が機械を操作すると、ダンナさんの首のちょーかーが外れました。
「人類でなくなったアナタに、私たちが掣肘する権利は何もない。自由にしなさい。地球の覇権を争ったヒトとシト、私たちはアナタたちと刺し違えるように遂に敗れたけれど、最後の矜持を以て、アナタたちを遇します」
ミサト艦長はなんだかホッとしてるようでした。
「僕はアスカといっしょに行きます」
それから、式波さんとダンナさんはきつく、きつく身体を抱きしめ合いました。
私はその時に初めてわかったの。今、ダンナさんは本当に式波さんのダンナさんになったんだって。
◆
それから、式波さんとダンナさんは透明のお部屋でずっと過ごすようになりました。お話しをしているときでも、していないで背中合わせにそれぞれの好きなことをしている時でも、とても幸せそうでした。二人は透明のお部屋に素敵な花柄のカーテンを付けて、夜寝るときは、カーテンを閉めるようになりました。透明のお部屋は二人のお部屋になったのです。
私は式波さんがほとんどずっとそばに居るので、ダンナさんとはずっとお話しできませんでした。
それからしばらくたってからのことです。式波さんが長い時間、お部屋を外す事がありました。私はダンナさんとお話ししました。お久しぶりの挨拶をすませた後、私は聞きます。
「式波さんは?」
「ブリーフィングなんだ。僕とアスカの新しい仕事が決まったんだ」
ダンナさんはとても嬉しそうでした。
「Ross 128bはハビタブルゾーンの中にあるけど、何もしなくても直ぐに人類の生存に適する環境にあるというのは楽観的見通しで、とても可能性が低いらしい……要するにそのままでは住めないんだ」
「それじゃ、みんなこまっちゃうね……」
「うん、だから僕とアスカの出番なんだ。僕らはもう年を取らないし、食料がなくても生きていける。放射線や熱や冷気にも耐えられる。だってヒト型のシトみたいなものだからね」
「それが二人のお仕事に役に立つの?」
「うん、二人で最初にRoss 128bに降り立つ。一世代では無理でも、何世代かかければ、軌道上のヴンダーのひとたちを呼び寄せられる環境は必ず作れる。僕とアスカには時間が幾らでもあるし、人手がたりなければ、一時的に生殖機能を復活させてもいい」
と、いってダンナさんは少し照れ笑いをしました。
「それって赤ちゃんを作れるのね!」
「うん、ミサトさんも反対はしなかったよ」
「でも、式波さんとダンナさんは星にみんなが呼べるようになったらどうするの?」
初めて、私はその人をダンナさんと呼びましたたが、その人はちょっとだけ驚いて、笑っていました。とっくに自分でもそのつもりだったのでしょう。
「ヒトとシトは一緒には住めない。もう世界が違うんだ。だからその後は─ヒトの世界の行く末を見届けたら─僕らは別の世界に行く。宇宙でも星でも僕らはどこでも住めるから」
「寂しくない?」
「うん。ずっと、アスカが一緒だからね。家族も殖える。僕らは宇宙の終わりまで、壊れない。それはもう人間の世界とは違うんだ。永遠だけど、でも、孤独じゃない。ずっと二人だから」
「良かった」
めでたしめでたしの絵本を読み終わった時のように、私はほっこりしました。
「綾波も、ありがとうね……ずっと僕らを見守ってくれて」
「あやなみ?」
「君の名前だよ。僕のずっとずっと大切な人だった。でも、僕にはもっと大切な人が出来たんだ」
私はとてもポカポカしました。自分の名前を思い出せて、ずっと待っていたセリフを聞けたんです。
「だから、そろそろお別れかな。ありがとう、母さん」
「式波さん……ううん、アスカちゃんとずっと仲良くね」
シンジ……式波さんのダンナさんの名前が、とても大切な人の名前だったと思い出して、私は泣きました。
それから、私はシンジにもアスカちゃんにも会っていません。
だから、この後の話は、何千年も何万年も経って、風の噂で聞いた話。
2
人類の母星《ヴンダー》の創世神話には一定のパターンが見られる。即ち、一対の男神と女神が人類が棲めるようにこの星の環境を形作ったというものである。
彼らは超人格的な創造主というより、かなり人格的なある種の神人として描かれている。時には、使徒とか、
そして、男神が大きな失敗をし、旧世界を滅ぼし、その配偶者たる女神が登場して、男神を時に叱りつけ、尻を蹴り上げて(滑稽めかした神話で男神が狂言回しになるのは一つの定型である)、世界に調和を取り戻すという話が非常に沢山見られる。
これは男性原理と女性原理の相克だとか、古代の女系制の反映だとか様々に言われる事もあるが、筆者としてはもっと素朴に、古代の聖王とその配偶との歴史的エピソードの反映と見ることも可能ではないかと考えている。あまりにも、その人間性や関係性が実に迫っているからだ。
例えばこんなエピソードがある。
ある時、村人が男神に、誓願をし、太陽の恵みを乞うた。男神は願いに応え、太陽を寄越したが、そのまま放置していて、酷い日照りになった。村人は女神を呼び出し、女神は洪水を呼んで男神にお灸を据えた。村人は、男神が妻たる女神に叱られ、尻に敷かれる様を見て、散々に笑った……
これなどは、おそらくは力のある古代の王と、それをしばしば窘めていた賢い王妃の歴史的実話が反映されたものと見ることが可能であろう。
そして、筆者は、次のエピソードがとても好きなのだ。
ある時、男神と女神は地上が人類に満ち、安らかに収まったのを見て、旅立ちを決意した。二度と戻らない旅路である。男神と女神はその血族である眷属たちを全員引き連れ、夜空に高く飛び立った。
紫の輝線と赤の輝線が惑星を一巡りし、夜空を駆けた。その瞬きが地上の人々にこう告げた。
─サ・ヨ・ナ・ラ
地上の人々は皆、これに感応した。これまでの彼らの慈愛に感謝し、男神と女神と彼らの子孫の神々たちの長い深淵への旅路の末が安らかならんことを祈った。幾億光年の星辰の彼方で、永遠に滅びない二つの魂が堅く堅く結ばれたままでいることを願って、長い長い祈りを一晩中、捧げた。
その祈りが通じない筈があるだろうか?