それは、恒星間航行船となった戦艦ヴンダーの船内での事だ。ネルフによる人類補完計画の阻止に失敗した人類は、地球を棄て、新天地である系外惑星、地球から11光年先にあるRoss 128bを目指し、船は虚空を往く。最大船速である光速の30パーセントに到達すると、特殊相対性理論に基づき、船内時間は外界の時間より5%ほど縮む計算だが、大きな影響ではなかった。とりわけ、もはや年を取らないアスカとシンジにとっては。
ある日、アスカは、第三村からの避難者の住む居住区画を訪れた。あらかじめ聞いていた区画を最短距離でめざす。
だんだんと赤ん坊の泣き声が近付いてくる。
「─ヒカリ」
アスカの目の前の視界に、懐かしい旧友が、十四年成長した姿で飛び込んできた。
「アスカ……アスカなの」
赤ん坊を抱えたその女性の顔が、驚き、そして明るい笑顔に変わっていく。
「無事だとは聞いていたけど。また会えるなんて……。良かった。怪我もないのね……本当に良かった」
「ヒカリは背が伸びたわね。それに、とっても幸せそう」
「そうね、うん、ほんとうに幸せよ、ありがとう」
「その子が、ヒカリと鈴原の子供なの?」
「うん、ツバメよ」
「抱いてみてもいい?」
「ええ」
にっこりと頷いて、ヒカリはそっとアスカに子供を手渡す。
「女の子よね」
「うん…」
「これ、鈴原似なの?ヒカリなの?」
お猿さんのような顔の赤ん坊の顔は、アスカにはどちら似なのか、判然としなかった。
「うーん、まだ分からないかな。それに赤ちゃんの顔ってこれからすごく変わるのよ」
「へー……」
「変化してるの。成長してるのね」
その言葉は、変化も成長もしない身体となったアスカの胸にチクリと痛い。果たして、シトの身体で産む子供はどうなるのだろうか。
「赤ちゃんって、抱っこするのがちょっと怖いな」
「初めはそうよね。でもすぐ慣れるものよ」
「ヒカリは凄いな。ちゃんとお母さんしてる」
「アスカだって、きっと─」
そこで、十四の少女の姿のままのアスカに、ヒカリは思わず口をつぐむ。彼女がふつうに母親になれるのか、ヒカリには分からなかった。
「気を遣わなくても大丈夫。アタシとシンジの間でも子供は作れるのよ。ヒトとは違うかも知れないけど、家族は作れる」
「そう、そうなの。それは良かった……」
ヒカリはほっとして、それから微笑む。風の噂で、二人のことは伝え聞いていたが、アスカの口からそれを聞かされ、喜びもひとしおだった。
「碇クンとのこと、本当に良かったわね。おめでとう」
「ありがとう、ヒカリ」
「私は、アスカと碇クンも必ず結ばれるって信じてから……本当によかった」
「アタシの気持ち、ヒカリも知ってたの?」
アスカは、その事に少し驚きを見せる。
「女の子なら分かるわよ」
「……それもそうか」
「アスカはすごく素直だから……碇クンの作ったお弁当をとても大切そうに食べていた。そんな女の子の気持ちが分からない男子って本当に不思議よね」
「全くよ。身の程知らずの贅沢者もいいところ」
そう言って、ヒカリとアスカは吹き出すように顔を見合わせて笑った。
「アイツ、色々どんくさいから、尻叩いてるけどね。時間がたっぷりあるから、ちったぁマシな男になるよう教育してみるつもり」
「アスカ、幸せそう。初めて見たかも。そんな優しい顔」
「そうかしら?」
「やっと普通の女の子に戻れた感じ。今がいちばん素敵よ。そして愉しい時だと思うわ。頑張ってね」
「うん、がんばってみる」
アスカはヒカリに対する時、とても素直だった。
しかし、すぐに腕の中のツバメに視線を落とす。赤子はご機嫌なのか、母の親友に向かってダーダーと笑いかける。
「でも子供を作るかどうかはまだ決めてない。やっぱり怖いし」
「そう」
「アタシもシンジも親になる覚悟はまだないんだ。特にシンジはまだ中身も十四歳だしね」
「碇クンは、あの頃のまま、なんだね」
「うん。だから、今はまだアイツがアタシの子供みたいなものなんだ。そのうち、十四の年齢差なんて誤差になるだろうけど─アタシたちには時間が幾らでもあるから」
「はやく、二人の時間が追いつくといいわね」
そう言って、ヒカリはまた微笑んだ。
◆
「ただいま」
「あ、お帰りアスカ、どこ行ってたの?」
「ヒカリのところ。無事だったって話は確か前にしたわね」
「洞木さん?元気そうだった?なんだか懐かしいなぁ」
「まーね。アンタも会ってきたら、鈴原とか相田とか。ヒカリたちと同じ区画にいるみたいよ。確か、仲良かったでしょ?」
ミサトにDSSチョーカーを外されて以降、シンジの監禁と禁足は解かれている筈だが、シンジはどこにも行こうとはしなかった。ずっとこのカーテンだけ付けた、透明の部屋の中に居る。
「……僕はいいや。今更会わせる顔もないし」
シンジはまだニアサーへの自責から完全に立ち直ってはいない。友人が生き残ったという話は嬉しいが、その家族はどうだろう。とても顔を見て、話せる自信がなかった。
「……会えば喜ぶと思うけどな」
「みんな、二十八歳なんでしょ?気後れするよ……僕だけが成長してないんだし。アスカは会ったの?」
「アタシが会ったのは、ヒカリとその赤ちゃんだけ。男連中はアンタに任せるわよ」
我関せずといった調子でアスカは肩を竦める。もとより、シンジを通しての間接的な付き合いだけの男子たちには特段の懐かしさもない。なるべくヒト─とりわけ昔の知り合いには会いたくないというのがアスカの本音だ。だからシンジの気持ちも分かる。
「赤ちゃん?それってトウジの……」
アスカを見上げて物問いたげなシンジに、軽く頷く。
「ツバメって言うんだって。女の子だった」
「へぇ、委員長とトウジに子供かぁ。びっくりししちゃうな……」
「アンタにとってはほんの数ヶ月前に別れたばかりなんだものね」
「うん……みんな大人になってるんだな」
シンジは感慨深そうに呟いた。そんなシンジがアスカには少しだけ寂しげに見える。
「その……アンタにはアタシがいるから。いつまでも、一緒だから。べつにもう大人にならなくてもいい」
「うん、そうだね……ありがとう」
アスカは床に座り、シンジと手を繋いだ。
「だから、これからの事をふたりで考えていくべきね。もうアタシたち同士しか頼れないんだから」
「これからの事……」
「ヴンダーに乗せてもらってはいるけど、アタシたちはもうヒトじゃない。彼らの故郷を滅ぼしたシトに限りなく近い生命体になった。人類にとっては潜在的な敵性生命体ね」
「そんな……僕らは元々人類じゃないか」
「
(アタシたちの子供たちが生まれたら、それは元々人類ではないのよ。それを皆がどう思うのか……どう考えるのか)
アスカは一人、憂いを強くする。
「え?」
「……とにかく、ヒトとシトは本質的に相容れない、地球という星の覇権を賭けて争った種属なんだから……それが現実よ。でも、アタシたちはここに居る。居心地悪い居候身分だけど、それを続けさせてもらうには、アタシたちはヴンダーの人間たちの役に立つ仕事を見つけなければならない。エヴァはもうないんだから」
アスカの弐号機も、マリの八号機も、ヤマト作戦で大破、作戦区域に遺棄されていた。二人はエントリープラグ射出によりパイロットだけ脱出に成功したのだ。そして、初号機も、ヴンダーの動力源である主機にされてしまっている。
「……役に立つ仕事……」
「ま、それはおいおい考えるとして。一応、アタシにも腹案が無くはないし。取り合えずは、いずれアタシたちも仕事をしなくちゃねってこと。頭の片隅に入れておいて」
「うん……」
シンジは頷いた。アスカはそれから少し緊張を緩めて、咳払いする。少しだけ頬が朱色に染まる。
「それと、籍の話」
「籍?」
「正式に結婚するって話」
「ええっ、だって、僕はまだ十四歳だよ!」
「生年月日から数えれば、アタシと同じで二十八でしょ」
「そう言われれば、そうか……」
「アタシはちゃんとした関係にしたいの。だらだら曖昧な関係のまま、あんたと肌を重ねたりはしたくない」
「……うん」
まだ、シンジとアスカは三回ほどしかそういう行為をしていなかった。アスカが関係を進めるのに慎重なのをシンジは理解して、無理に求めたりもしていない。
「もちろん、もうとっくに役所も戸籍もない、そもそも人間でもない。でもヴンダーは乗員管理システムを拡張して、移住惑星での住民管理の為のシステムを準備中なの。そこにアタシたちのデータも入れることは可能だって」
「うーん……それってどんな意味があるんだろう」
「別に大して意味はないわ。単に男女の結合の社会的承認ってだけ。このヴンダー内を社会とすればね」
「……結婚式とか、するの?」
「出来ないし、したいとも思わない。さっきも言ったようにアタシたちは人類にとっての潜在的な敵性生命体だもの」
「僕のことを恨んでるクルーや避難者も多いだろうね……」
「アンタのせいじゃない、と言ってあげたいけど、残念ながらそうは思ってくれないでしょうね。だから式とかはなし。そもそも、そういうのアタシ、嫌いだしね」
と、アスカはクールに割り切って見せる。
「そう、なんだ……」
「……ま、そういう訳だから、あんたに異存がなければ、籍を入れて終わり。めでたくアタシたちは夫婦ってことよ」
「……異存なんてあるわけないよ」
「こないだ結ばれたばかりなのに、結婚なんて早いとか……思わない?」
「ううん、早い方がいいよ。僕はもうアスカと離れたくないから」
「だったら、これも片付いたわね。担当のマヤに言っておくわ」
アスカは、安堵の表情をうかべた。
「最後の話は……」
とアスカはそこで、言葉を切り、しばらく言いよどむ。
「あの、アンタも……その……子供が欲しかったりする?」
「え……い、いきなりそんな事言われても。それってアスカと……って事だよね」
「当たり前でしょ、他の誰と作るつもりなのよ」
「ご、ごめん。いきなりでビックリしたから……」
「そういう事はもう何回かしたでしょ……」
アスカは頬を染めて、俯く。
「うん……」
「リツコに相談したら、シトでも生殖細胞を賦活化すれば、後は普通に子供は作れるんだって。だから、夫婦になるんだし、いずれ……」
「でも、僕はまだ中学生だし……アスカは子育ての自信、あるの?」
「そんなもの……あるわけないでしょ」
「だったら、急がなくてもいいんじゃないかな」
「一応、アタシの中身は二十八歳なのよ。年取らないから、別に年限がある訳じゃないけど」
「……うん」
「って急に言われても困るわよね。まあ考えておいて。子育ての本でも船にないかしら」
「あ、マリさんが艦内データベースに、地球からごっそりコピーしてきた電子書籍や映画やらの書庫があるって言ってたよ」
「あんた、アイツに逢うのは大概にしなさいよ」
一度どうしても、姫のワンコ君に会わせろと言って聞かないから、シンジに紹介した事がある。それからどうも、度々シンジの様子を見に来ている気配があった。
「向こうから来てくれるんだ。アスカのいない時に限ってだけど」
「アイツめ……」
意地悪っぽく笑うマリの姿が、アスカの脳裏に浮かんだ。
「マリさんも、僕らと同じシトなんでしょ?」
「……そうらしいわね」
「だから、シトの身体の事とか教えてくれるんだ」
「な、な、なんどぅえすってぇ!アンタ、まさかアイツに貞操を奪われたの、奪われちゃったのかぁ!」
「て、ていそう?いや、よく分からないけど、色々話をしてもらってるんだよ」
中学生のシンジには言葉の意味がよく分からないようだが、アスカは、ひとまず安堵する。
「は、話……本当にそれだけ?」
「う、うん」
「エッチな事とかしてない?」
「するわけないだろ!」
「……良かった。あのね、シンジ。あの女がヘンなモーション掛けてきたら絶対逃げるのよ」
「わ、分かったよ」
「後ね……アタシの
「そ、そんな事しないよ」
◆
それから、アスカは頻繁に出掛け、忙しく立ち働いている様子だった。特に「新しい仕事」については、喧々囂々の議論があるらしい。シンジは留守番ばかりで、その日もそうだったが、ある日、彼も呼び出される事になった。ブリッジからの指示で、会議室に行くよう指示されたのだ。学生服姿でシンジは部屋を出た。
(なんだろう。アスカでなくて僕を呼び出すなんて)
もう戦闘はない。エヴァもない。だから剣呑な話ではないと思うのだが、シンジはこの一年あまりの経験で、呼び出される事にあまり良い記憶がない。余りにも、多くの出会いや別れがあった一年だった。そして、彼の外の世界ではいつの間にか十四年が経過し、地球が滅び、こうして生き残りの人類で恒星間移民の旅路に就いている。
出会い……そう。葛城ミサト、綾波レイ、そして、彼にとって最も大切な出会い、式波・アスカ・ラングレー。中には、もう会えない人もいる。もう一度会いたかった人もいる。だが、そうした未練を地球に残して、奇跡の名前を冠する船は宇宙を翔ける。
(なんだか、夢みたいな話しだ。エヴァが全てを変えて、僕は今ここにいる)
そう思うとある種の恐れも生じて、しかし、それでも、気力を振り絞って、シンジは歩みを進める。
「この部屋か……」
シンジがドアの前に足をふみだすと、自動扉が微かな音をたてて、開く。
文金高島田のかつらを被り、さらにその上に角隠しを被った和装の少女が多くの人々の間に立っている。眼帯の少女の姿は一瞬でシンジの目を惹きつけた。アスカだ。
「これって……」
「アタシは式なんて要らないって言ったのよ。でもヒカリたちがきちんとした方がいいと言って。かつらや着物も貸してくれた」
部屋に入ってきたシンジを見つけると、アスカは少し言い訳がましく説明する。
洞木ヒカリとおぼしい女性が、アスカの傍らで花嫁の介添え人のように和服を着て立ち、シンジに微笑みかけた。
「かつらはともかく白無垢はサイズが合わなくて。色打掛の代わりに、私の中学時代の着物を着てもらったの。……素敵でしょ、アスカ」
ヒカリが一歩後ろに下がり、赤い花柄の着物を来て、アスカは気恥ずかしそうに立っている。
「うん、アスカ……綺麗だ」
「日本人のシンジに嫁ぐから、この方が良いって、思ったんだ」
「ありがとう、僕の所にお嫁に来てくれて」
アスカは頬を染めて、黙って頷いた。
「碇クン、おめでとう」
「洞木さん……ありがとう」
そして、精悍な顔つきとなった青年が二人近付いてきて、がっしりとした手でめいめい、シンジの肩を叩く。
「おめでとうさん、シンジ。……良かったな。」
「めでたいなぁ、碇。本当に素敵な嫁さんだな」
トウジ、ケンスケ、懐かしい旧友たちが、十四年成長した顔でシンジを出迎える。
「トウジ、ケンスケ……二人とも元気そうで…!」
「お前もな」
「こうしてまた再会できるとはな」
永遠の少年とかつての少年たちは口々に再会と無事を祝した。青年二人の屈託のない笑顔を見ると、シンジが感じていたうしろめたさや気後れはあっという間にほどけていく。近況を尋ねると、トウジは医者を、ケンスケは何でも屋というトラブルシューター的な仕事をやっているという。
「お医者さんか……凄いな」
「ほんの真似事や。ほんでも需要はいくらでもある。ワシは移住先に着くまで、本格的な医学の勉強をやり直す積もりや。時間はたっぷりあるさかいな」
「……やっぱりトウジは凄いな」
「お互い頑張らんとな。綺麗な嫁さんを養わんといかんからな」
「うん」
「張り合いはあるで。娘が生まれたから、ワシももっと頑張らんと、と思うてる」
「あ、そういえば……ごめん、お祝いが遅れて。おめでとう、トウジ」
「ありがとさん、今日は預けてきてるが、今度
「うん、本当に可愛いんだろうな」
二人の顔を足して2で割る想像に、シンジも自然に笑みがこぼれる。
「ケンスケはこれからどうするの」
「難しいところだな。地球を離れて、この船上では俺のサバイバルスキルも活用しにくい。まあ、電機関係の勉強は続けて見る積もりだ。後は、これは笑うかも知れないが」
「何、教えてよ」
「俺はドキュメンタリーを撮ってみたいと思っている」
「ドキュメンタリー……」
「地球と人類の滅びと再生の記録さ。幸い、ここには第一級の当事者が揃っている。新天地での人類にとっても、有益な資料になるはずだ」
「ケンスケも凄いな」
「……トウジも俺も、本当に凄いのはお前たちだと思ってる。俺たちが生きてるのは碇たちのおかげさ」
「でも僕は、世界を救えなかった」
「たかだか中学生だぜ?それに運命を託した時点で、世界は彼らに文句を言う資格を喪っている。それに勝敗は兵家の常さ」
「ありがとう、ケンスケ」
「というわけで、いずれ、碇たちにも取材させて貰いたいな」
「うん、その時には喜んで」
ケンスケも大人の男として成長著しいとシンジは羨ましく思う。
「一度会っとるんかいな?ワシの妹のサクラや」
トウジに紹介され、ドレスで正装をした二十歳前後の女性が、頭を下げる。
「ご無沙汰してます、碇さん。鈴原サクラ少尉です。この度は……おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
関西弁風のイントネーションの標準語で、サクラは丁寧にお祝いを述べる。
「式波大尉とご結婚なされるとは、碇さんも隅に置けませんね。ヴィレでは難攻不落の式波大尉と言われてたんですよ」
「え?難攻不落って、誰かアスカに交際でも申し込んだんですか」
と、その情報にはシンジも内心穏やかではない。
「いえ、そもそも話しかけても殆ど会話をしてくれないんですよ、とりわけ男性には。命令の伝達や必要最小限の情報のやり取りはしてくれますけどね、後はずっとゲームしてるし。だから彼女とまともに話しが出来て、交際して、結婚までこぎ着けた碇さんは、どんな女たらしなのかなって、興味が湧いたぐらいです」
「そうだったんですね……て、僕は、ただの中学生ですよ!女たらしだなんて」
シンジはとんでもない誤解に抗議する。サクラは笑って冗談ですと話を畳む。アスカの周囲とのコミュニケーションの状況に、シンジは中学の時と同じだな、と思う。シンジと二人きりの時のアスカはとても明るい少女だが、見知らぬ第三者への警戒感が強く、シンジ以上にコミュニケーション能力が低下してしまうのだった。
(僕は、アスカを明るくしていけるんだろうか)
だが、それは今や懐疑や不安ではなく決意に変えていくべきだ、とシンジは改めて思う。
「さ、シンジ君も主役なんだから、アスカと一緒に真ん中に」
促す女性の声の方を見ると、声の主は伊吹マヤだった。そして青葉シゲル、日向マコトといった昔のネルフの面々もドレスやスーツ姿でそこに顔を見せていた。そして、部屋の片隅のパーティションの裏で、マヤの手渡した紋付羽織袴に着替えさせられた。
いくらか大き過ぎる紋付きに着替え終わって、アスカの待つ部屋の真ん中に出ると、「おめでとう」と口々に拍手を受け、シンジとアスカは皆からの祝福を受ける。
「みんな……みなさん……」
そして、眼鏡の学生服の少女が、二人に歩み寄る。真希波・マリ・イラストリアスだ。
「姫、わんこ君、おめでとう。ようやくこの"時点"に辿り着いたんだね。感慨深いにゃ……ま、これからもナカマとしてよろしく」
と言うのは、同じ不老のシトとしての連帯感の表明だろうか。それとも旧エヴァンゲリオンパイロットという意味でのナカマなのだろうか?アスカは、
「別にシンジはよろしくしなくていい、てかアタシのいない所で二人が会うの禁止!」
と返す。
マリは「ちぇー」と口を尖らせる。
そして、バイザー姿の艦長と副長のリツコもその場には居た。
「
とリツコは頷いた。
「有志でごくごく内輪の式を催させてもらうことにしたの。急遽準備をしたから、サブライズパーティみたいになってごめんなさい」
リツコによれば、ヒカリがブリッジクルーの旧ネルフメンバーに連絡を取り、彼女を中心に大急ぎで話しを進めたのだという。持つべきものは親友ね!とアスカはしみじみ言った。
そして、ミサトはバイザーを外して、一歩シンジに歩み寄る。
「……シンジ君」
その表情はシンジが驚くほど優しく、かつてシンジが知っていたミサトのものだった。
「今までつらく当たって……いいえ、つらい思いばかりさせてごめんなさい。でも、私は、アスカとシンジ君、あなたたちと一緒に暮らしたあの日以来、今日のこの日の光景を見られるのを夢見て来たのかも知れない」
そこにはシンジの知らない十四年間を重ねた万感の想いが込められていた。
「アスカ、おめでとう……とっても綺麗だわ。怒るときは怒っていいけど、でも、シンジ君に優しくしてあげてね。そして、シンジ君。これからもしっかりね。アスカをいつでも支えてあげて頂戴」
アスカとシンジはミサトの言葉に黙って頷くと、お互いに向き直った。
「シンジ。アタシ、式が嫌いだって言ったの、嘘をついてた。端から諦めてたから、そんなもの嫌いだし要らないって思おうとしてたの。アンタを諦めようとしてた時と同じよ。でも諦めなくて良かった」
アスカが手を差し出し、シンジはその手を握る。
「アスカ……僕はまだ十四歳の中学生だし、こうやってみんなが助けてくれないと、アスカに対して何もしてあげられない。……でも、それを卑下するのは止めようと思うんだ。アスカが選んでくれたのが僕だから。アスカに僕だけしかあげられない幸せをあげられると信じて、頑張るつもりだよ」
「それでいい。アンタにしては上出来よ」
そして二人は手を繋いだまま、正面に向き直った。
「本日は、私たちの為に……ありがとうございます」
初めての共同作業として、二人で一緒に頭を下げた。
◆
あれから二百数十年の月日が流れた。
あの式の席上に居た人物は、旧エヴァパイロットの3人を除いてもう誰もいない。しかし、目を瞑れば、昨日のことのようにシンジには彼らの顔が思い浮かぶ。
本当に素敵な人たちだった─僕の大好きな人たちだった。
彼らはもう居ないが、彼らの子孫はまだ続いてる筈だ。それが自分たちシトとは異なるヒトとしての永遠、なのだろう。刹那を繋ぎ続けて紡ぐ永遠。それはちょっとだけ羨ましく眩しい、シンジたちにはもう手の届かないものだ。
そして、生き残りのうちの2人が住まう、惑星ヴンダーの山上の部屋で、シンジは本物の永遠を生きるパートナーに向かって言った。
「なんか昔はさ、アスカのほうがしっかりしてたよね」
「ん、何のこと?」
ぷかりぷかりと宙に浮かびながら、娘のナガナミに借りた漫画を読んでいた白プラグスーツ姿のアスカは、洗濯物にアイロン掛けをしていたシンジと目を合わせる。シンジは先ほどまで少し仕事の手を止めて、物思いにふけっていたようだ。
「いや、船の方のヴンダーで一緒になりたての頃とか。頭が良くて、格好良かったし、結構リードしてくれてた気がする」
「だって、うちは姉さん女房だから。二十八と十四だから一回り以上違う」
「そう言われれば。もうそんな感じもしないけど」
「見た目が変わらないから、そう思うのよ。アンタは今でもお子ちゃまでしょ」
「そうかなぁ?アスカだって、時々子供っぽいじゃないか、エッチの時とか」
その言葉にアスカはすっと、目を細めると、手の中の漫画を寝台に放って、空中からシンジの上に飛びかかった。
「エッチっつーのは、大人にしか出来ないのよっ!」
そう言いながら、アスカは笑っている。平常心と書かれたTシャツを着たシンジの身体をあちこちくすぐり始める。
「ちょ、ちょっと、くすぐったいよ」
「ほら、十四歳年上のアタシを『お姉ちゃん』と呼びなさい!」
「い、いやだよ。恥ずかしい……」
「だーめ。呼ぶまでくすぐるのやめない」
「も、もうしょうがないなぁ。……アスカお姉ちゃん、これでいい?」
「もっと上目遣いで」
「アスカお姉ちゃん……」
「うーん、良いわね。今夜のプレイはその方向で行くか……」
「アスカは、もう……そんなのばっかりだね」
とシンジはやや呆れ顔である。
「……シンジ」
「何?」
しんと静まり返る夜の自室で、アスカは、真剣な顔になって、宙に浮かぶのを止め、床に降り立った。
「アタシ、シンジとじゃなきゃ貰えない幸せをちゃんと貰ってるよ。他の人だったら絶対貰えなかった幸せ」
「うん……」
「アタシ、シンジと一緒だと自分がそのまま出せるんだ。取り繕わない自分、というのかな」
アスカの表情はすこし真剣だ。
「ふざけたり、怒ったり、小ばかにしたり、罵ったり、冗談を言ったり、エッチな事をしたり、甘えたり……シンジとだったら、自分が一番自由で居られる気がする。ありのままというのかな」
「それは僕が怒らないから?」
ううんとアスカは、首を横に振る。
「アンタ結構怒ってるジャン。そうじゃなくてね─」
アスカは、自分の中から言葉を探すように目をしばし瞑る。そして、ゆっくりと目を開いてから、続きを言った。
「怒っても。アスカだから─しょうがないなぁってどこかで思ってるでしょ。それがアタシにはすぐ分かる。そういう所かな」
「あはは、僕の諦めの良さかも知れないね、それ」
「割と良い話をしてるんだから、そこはもうちょっと格好、つ・け・ろ」
とアスカは、シンジの頬をつねる。
「でもま─アンタは良い……わよ。当時のアタシが一番欲しかったものだから、満足してる。幸せ、だよ。妥協や逃避しなくて本当に良かった」
「ありがとう、僕にとってはアスカの幸せが一番の幸せだよ。アスカが笑ってると一番嬉しい」
「じゃあ、アタシたちは宇宙で一番幸せなカップルね、きっと」
「今日はアスカともっとお話ししたいな。朝までずっと話さない?」
シトになった二人に、睡眠は要らない。それは最初哀しいことに思えたが、悪いことばかりではない。そう、何事も悪いことばかりではない。
シンジは残りの洗濯物を手早く畳んで片付けるとアスカに言った。アスカもシンジの横に座り直して、二人は手を繋ぐ。
「いいわよ、─まるで、ビフォア・サンライズね」
「それは?」
「アタシが前に観た映画でね─」