「はぁ、ヒマねぇ……」
白いプラグスーツ姿のアスカが、寝そべりながら、空中にプカプカと浮かんでいる。
人類補完計画発動から、Ross 128bに人類が到着するまで43年、アスカとシンジが惑星改造に着手してから156年、遂に人類が生息するのに問題ない環境が完成し、軌道上のヴンダーから、惑星"ヴンダー"への移住が開始されて、34年。
時に、新世紀233年のことである。
「ヒマなら掃除とか、手伝ってよ……」
「やだ」
「ハァ……」
即答するアスカに、シンジは溜め息をついた。自分たちヒトの形をしたシトは、歳を取らない。新陳代謝もほぼなく(但し、何故か髪だけは伸びる)摂食も飲酒も出来ないし、眠くもならない。だから、アスカの何もする事がなく退屈だ、という気持ちも分からないでもない。だが、周囲の環境が勝手に綺麗になるわけでは勿論なく、埃やゴミは溜まる。服も汗や垢が出ないから人間の時ほどではないが、もちろん汚れる。シンジにとっては今、掃除と洗濯だけが有意義な日々の仕事であった。
空中に浮かんでいるアスカは、もう眼帯をしていない。かつて使徒をそこに封印していたのだが、自分自身が、シトになってしまっては最早意味がなかった。
アスカは掃除をするシンジのお尻をそっと撫でる。
「ひゃっ!」
「ま、セックスの愉しみだけは残されているのが救いか」
「……アスカ。その無計画性が、今の状況だと思うんだけど」
と、冷たい目をしたシンジが周囲を見るようアスカに、促す。四方に壁がなく山頂の眺望が見事な大広間には、大小様々の男児女児が散らばって、めいめい静かに遊んでいる。
「アスカ、今、僕たちの子供が何人か、覚えてる?」
「え、そ、それはもちろん……二十一?いや、二十二?あ、違うな……そうそう、二十三よ!」
部屋の中には十数人が居たが、外で遊んでいる子供も居るだろう。
「全然覚えてないじゃないか。……二十六人だよ」
「だって……覚えられないわよ、もう」
どうやら人間だった頃と、妊娠確率はそう変わらないらしく、ヒマにあかせて、日がな一日セックスをしていたりすると、どんどん妊娠してしまうようだった。孕んだ後は人間同様、十月十日を経て、生まれてくるが、妊娠、出産の痛みや苦しみはなかった。結果、ポコポコと子供が増えてしまっている。
シンジは、壁に貼った「きちんとしよう、家族計画」という手製のポスターを指差した。大きいその見出しの他に、「ちゃんとつけよう、避妊具。いきなり襲わないでね」「エッチばかりでなく夫婦の会話も大切に」「つけないですると、赤ちゃんが出来ます!」とか書いてある。ほぼ全部が、シンジからアスカへの(殆どまともに取り合ってもらえていない)切ない要求だ。
「何度も言うけど、ちゃんと読んでね。避妊具を里の人たちに奉納してもらうのは恥ずかしいんだから。そうまでして貰ったものは、ちゃんと使ってもらわないと困る」
「う゛う゛う………だって、つけない方が気持ちいいんだモン……」
「アスカっ」
真っ赤になって言い訳にもならない抗弁をするアスカを、シンジは軽く叱った。
(子供が出来るような事ばかり求めておいて、結局世話はこちらに回す、アスカは少し無責任だよ……)
アスカも最初のうちは物珍しさもあってか、生まれた子供の世話を甲斐甲斐しくしていた。しかし、授乳が必要な訳でも、排泄を行う訳でもない。殆ど泣き喚くことさえなかった。目を離しても死ぬ事は一切ない。そうと分かると、なんとなくバカらしくなり、以後はシンジに任せっきりにしている。そのシンジも時々、子供と一緒に遊んでやったり、お話をしてやるぐらいで、手の掛からない事は人間の子供の比ではなかった。
アスカは思う。
(結局は群体生物であるヒトとの違いなのかしらね……個別に閉じていて、他者を必要としない)
一つ不思議なのは、子供の成長である。新陳代謝がない以上、成長という概念もない筈だが、日々大きくなっていくのは事実であった。どうやら、周囲の概念を取り込むたびに、大きくなっていき、ある程度になるとそこで若々しい姿のまま、固定化されるらしい。
(ある種の情報生命体なのかもしれないわ)
とまで考えても、我が子の事ながら、どこか醒めていて、アスカにそれ以上の関心はなかった。すでにアスカの家族観の有り様も、ヒトだった頃から微妙に変容している。
話を切り替えようと、アスカは子供たちを見回した。
「にしても、最初に生まれたときは正八面体だの、目玉焼きみたいなのが生まれたらどうしようかと心配したわ」
「あはは……アスカは本気で心配してたね」
「笑い事じゃないっつーの」
幸いなことに、子供たちは皆、アスカやシンジと同様にヒトの形をしており、アスカに似ている子や、シンジに似ている子、両方に似ている子や、そうでもない子まで、様々だった。その点は人間と同じだ。
「そりゃ……自分とアンタとの子供だから、可愛いは可愛いんだけど」
「だったら名前ぐらいはちゃんと付けてあげても」
「名付けは任せてるでしょ」
「僕が付けたのは、全く覚えてくれないからなあ」
まだ、シンジの掃除は終わりそうもないし、お小言も続きそうなので、アスカは顔をしかめて、空に浮かぶのを止めて、部屋を出る。玄関でプラグスーツの足につっかけを履いて、外に出る。振り返って改めて見ると、がらんとしているが、巨大な家だった。いくらシトでもこんな家を建てられるわけもなく、里の人間たちが神様の住まいとして汗水垂らして建ててくれたものだった。いわば、神殿だ。この星を人間が棲める世界にしてくれた御礼という訳だ。
しばらく山道を歩く。人里離れた山の高みに、神々は住まう。人間がなかなか来れないからだ。その方がアスカにも心地良かった。人間たちを見れば、自分たちがヒトだった事を思い出してしまう。永遠より刹那を生きる彼らをきっと羨ましいと思ってしまう。だから、人間にはあまり会いたくはない。
崖の縁に腰掛ける外見、十四、五の少年を見て、ギクリとなったのはそのせいだったかも知れない。むろん、ヒトではなかった。アスカによく似た、白皙の美少年といっていい。
「誰……だっけ?」
「……あなたの十一男ですよ。酷いな、お母さん」
「あ、そうそう。んー……トーイチローだったっけ?ジュウイチロウだったっけ?」
「もう適当だな……お父さんにしか関心無いんですか」
「まあ有り体に言えば……シンジ以外の男にはさほど……」
「ネグレクトすれすれの事を言いながら、父親との事で子供にノロケないで下さい」
「ネグレクトなんて言葉、よく知ってるわね」
実際の関係は母親と息子でも、端から見れば、同じ年格好の美少女と美少年の組み合わせに見える。
─そういえば、この子は、ヒトの世界が好きで、里にもしょっちゅう行っているらしかった。そこでヒトの世界の言葉を覚えてくるのかも知れない。
「ま、あんたたちには手が掛からないからね。シンジは手が掛かるのよ。だから可愛いの」
「……お母さんは、お父さんのどこが好きなんですか?」
「んんん?ど、どこって急に言われても……」
「正直、別に顔だってパッとしませんよね。お母さんはかなりの美人だと思いますが。それなのに一緒になって二百年以上も経つのに、未だにイチャイチャしている。子供たちは皆、結構、不思議に思っています。……もっとも、子供たちの殆どは美人のお母さんより、パッとしないお父さん派ですが」
「あなた、考え方がかなりヒト寄りじゃない?アタシたちに顔の美醜なんて関係ないと思うけど」
「心とか、魂の形とかですか?シトだって、そんなもの分かりませんよ。他人の気持ちなんか……」
「ハハァン。あんた恋でもしてるのね」
少年はその鎌掛けに、ピクリと顔を引きつらせた。図星のようだった。
「お母さんに遠慮なく、相談してみてもいいのよ?トーイチロー君」
「結構です。お母さんにまともな恋愛能力があるとは思えません。捕まえてるのがあのお父さんですから。それから僕はトーイチローじゃありません」
むむむ、と名前を思い出そうとするアスカを尻目に、少年は立ち上がった。
「自分の事は自分でします。もう子供じゃありません。僕は十四ですから。確か、お父さんとお母さんが出会った歳ですよね?」
「あ、そうなんだ。じゃあ、参考まで、お母さんとシンジとの馴れ初めを教えてあげよっか♪」
「男子としては、母親のそういうの、あんまり聞きたくないんで、思い出話はお父さんとだけしてください」
「ああ、お母さんを
「もういいです」
少しだけ頬を紅潮させると、少年はスタスタと足を早めて、山道を下っていく。
「へんなやつ」
アスカは腕を組んで、口をへの字にしたまま、少年の後ろ姿を見送る。
(好きな子って、里の子しかいないよね。ヒトの女の子を好きになってしまったの?)
ヒトとシトは違う。人と神との交わりは哀しい結末を迎えるだけだ。
……そんなのアンタが傷付くだけなのに。
アスカは、そこで初めて、自分の事のように、わが胸がチクリと痛むのを感じた。