これは三年前、シンジとアスカが絶賛夫婦喧嘩中だった時の話である。
(やっぱりアスカに似ているな……)
というのがいつ見てもシンジの脳裏に浮かぶその子の印象だ。金髪に近い髪の色や薄い肌の色、少年というよりは少女といってもいい柔和な顔付き、アスカと同じくやや垂れ目な目許。まだ三歳の少年は、パッと顔を明るくすると、見つけた両親の居るところを目指して、短い足を動かして、てけてけと歩いてくる。
「あら、ハナちゃんだわ」
アスカもそれを見つけて、ニッコリと笑顔になる。二人の末っ子に当たる少年は、シンジとアスカの十二男、ハナヅキといった。老いることも死すこともないヒト型のシトとなった二人が、二百年以上の歳月の間に二十人以上も儲けた子供の名前を覚えるのが大変苦手なアスカであったが、流石に産んだばかり─シトの時間感覚ではついこの間─の末っ子の名前は覚えていた。
彼はシンジたちを見かけると、いつも人なつっこい笑顔を浮かべ、
「父ちゃま……母ちゃま」
と近寄ろうとするが、多くの場合、シンジは目を逸らしてしまう。
「あー……ほら、お母さんに……」
などと見かけたアスカにバトンタッチして逃げることも度々だった。子煩悩なシンジにしては珍しい。仕方なくアスカも
「ほーら、ママでちゅよ、ハナちゃん」
と言って、子供に抱っこや頬ずりなどをしてやるから、この子に関しては二人の子供に対する接し方が逆転していた。
今日もそうやって近付いてきたので、アスカはひとしきり、抱っこをしてやった後、うしろからやってきた上の子たちにハナヅキを託した。
「バイバーイ、ハナちゃん♪」
「バイバーイ」
シンジはボーッとしてそれを見送っている。
「……ったく、アンタ、まだ
「だって、あの子は僕のじゃなくて、アスカだけの子供だから」
とシンジは拗ねるように俯いて言った。アスカは、シンジの肩に手を回す。今日のアスカはシンジと同じくなぜか第壱中の制服姿だった。制服姿の写真は残ってるので、アスカも気に入っているのか、それを参考にして里で縫製、奉納してもらったものだ。
「まーだそんな事言ってる。まるでアタシが浮気したみたいなヘンな言い方しないでよ……人聞きの悪い。アンタとの子供に決まってるじゃん。子供に罪は無いわよ」
と、アスカはシンジの頬を指でつつく。
「理屈ではそうだけど納得出来てない」
「シンちゃん、よっぽどあの子が出来た時のことが悔しかったのね」
むろんアスカが断言したように浮気をして出来た子供などではない。れっきとしたシンジとの子供だが、シンジが同意して作った子供ではなかった。
「僕はずっと、もう子供は要らないって言ってたよ」
「でも、現に出来ちゃったんだからしょうがないじゃん」
「僕はずっと抵抗した」
「それなら、どうして赤ちゃんができたのかな?うふふ。……シンジ君もよっくわかってるはずだけど」
アスカはニヤニヤと笑ってシンジを見る。
「そ、それはアスカが無理矢理……」
「あらぁ、それって威張って言うことなのかしらね?アンタ、一応男なんでしょ?」
そしてシンジの耳元で小声になって、
「その証拠に、付くもの、付いてるんだしね。……それで、女に力づくでヤられる方がどうかしてんのよ」
「そんな言い方、ひどいじゃないか……」
ふふんとアスカは鼻で笑う。といっても、シトに男女での顕著な膂力の差はないのであるが。しかしその、彼女にしてみれば他愛のないからかいと笑いにシンジは傷付いていた。
シンジが避妊を要求しても、アスカは応じず、ほとんど毎日のようにシンジと強引に関係を結んだ。その結果、出来たのがハナちゃんことハナヅキだった。だからシンジには二人で作った子供という意識が薄いし、被害意識も強い。それからというもの、アスカとシンジの仲はどうもギクシャクしている。
「とにかく、出来ちゃったという事実を率直に受け止めなさいよ。……作るつもりのなかった子供なんて世の中には幾らでもあるんだから」
「それは避妊に失敗したとかそういう場合でしょ……アスカは僕の意見や意志を無視して、子作りしてるんだよ?僕の身体を一方的に利用して。そして、今でも毎晩そうしてる……」
現在進行形で、アスカが自分独自の家族計画を勝手に推し進めていることが、このところのシンジの鬱屈の原因だった。まるで、アスカに夜の玩具にされているようで悔しかった。
「……それがアンタが不貞腐れ続けている理由?いい加減、機嫌直しなさい、ねっ?夜の
と、アスカは夫婦の間で通用する甘やかな隠語で性交を表現し、手を差し伸べるが、シンジはその手を反射的にはねのける。アスカは、はねのけられた手を信じられないものを見るように見つめている。
「……あのねぇ、シンちゃん。それはないんじゃないの。それが愛しい妻に対する態度?」
「……だって」
と、シンジは明らかに拗ねている。
(本当にこいつ、ガキね……ま、十四も年下だからしゃあないか)
アスカは気を取り直し、俯くシンジの背中に両手を回して、ぽんぽんと背中を叩いてやる。一回り以上、年上の姉さん女房として、包容力を見せてやる時だと思った。
もっとも端から見ていると、二人とも制服姿であることも相まって、中学生の初々しい男女カップルが抱き合ってるようにしか見えない。
「少しは落ち着きなさいっての。夜の生活について不満があるなら、ちゃんと夜になったら聞くから。何も昼間に喧嘩しなくってもいいでしょうに」
「夜に聞くって、どういう風に……?」
シンジは上目遣いで、僅かな希望を込めてアスカを見る。
「そりゃもちろん、お布団の中で。ゆっくりじっくりアンタのアタシへの恨み辛み話を聞いてあげるわよ」
「そ、それじゃ、いつもの通りじゃないか。どうせそうやって優しくする振りして、すぐに
シンジにはそういう状況で、アスカに抵抗し続ける自信が全くない。アスカと結婚してからというもの、自分が夜の誘惑やら快楽にまるで抵抗力がないことを知って、自己嫌悪に陥ること、度々なのだ。
(そんな事になったら、いつもみたいに流されるに決まってるよ……僕はもうイヤだ)
「だってアンタ、そんなに昂奮して、世界で一番愛するはずのアタシに敵意と不信感をむき出しにしてるのよ。そんなの、ちゃんと
「……」
とアスカは説得するが、シンジはアスカに抱きしめられたまま、無言でかぶりを左右に振った。
「はぁ、またいじけちゃってるのね。どうしたらいいんだろ、こういうの。毎晩の
「な、どうしてそうなるんだよ!」
「こ、こら暴れるな」
「い、いやだ」
駄々っ子のようにアスカをふりほどこうとするシンジを押さえ込みながら、アスカはさらにきつく抱きしめる。
「アンタがそうやってイヤイヤ子作りしてるから、夫婦仲に亀裂が走るのよ、もっとアタシの子作りに協力しなさい。受け身でいいから!」
「う、受け身なのがイヤなんだっ」
「もう一々五月蠅いわねえ」
アスカはシンジを抱きしめたまま口を吸った。
「……や、やめ……」
「うるさいっ、もっとキスしてやるっ」
アスカは小鳥が餌をついばむように、何度も何度もシンジの唇を吹いたてる。
「今後も、あんまり、うるさいとキスをしまくるわよ」
シンジはへなへなになり、力が抜けて座り込んだ。顔が真っ赤になっている。
「アスカ……」
「思い知った?あんまりアタシを舐めるんじゃないわよ」
「ごめん……なさい……」
「ごめんで済めば警察は要らないわよ」
体を離し、ふんとアスカはそっぽを向き、夫の唾液に濡れた口元をハンカチで拭う。
「……でも僕は不安なんだ」
「何が?」
「たぶんこんなこと聞けば、またアスカに怒られるだろうけど……アスカにとって、僕は子作りや快楽のための道具なのかなって……」
「はあ?……ふんっ、アンタがそう思うのなら、そうなんでしょうよ」
アスカは、遂に冷淡にシンジを突き放す。その蒼い瞳にはなおも、アタシを信じられないの?という想いが籠もるが、俯くだけのシンジはその瞳を見ることはない。シンジはうずくまって、下を向いた。
「どうしてちゃんと否定してくれないんだよ……」
「いい加減にしなさいよ。アンタあたしの夫でしょ。バカなんじゃないの」
いつも自信を持って妻に向き合っていないから、こういう下らない不安を持つことになるのだ。アスカは爪を噛んで、それから、舌打ちをする。それが、シンジには決定的な拒絶のように聞こえて、先にアスカへの拒絶の言葉を吐き出してしまう。相手から拒絶するよりも、自分が拒絶した方が、まだしも傷付かないように錯覚出来るから。
「……アスカなんか嫌いだ」
「あー、そうですかそうですか。でも夜の義務は夫としてキチンと履行して貰うからね」
と、アスカは、シンジの手首を掴み腕を引っ張り上げて再び立たせると、無理やりシンジの顔を上げさせ、蒼い瞳で睨み付ける。
「そんなの……アスカがシたいなら……いつもみたいに無理やりすればいいでしょっ」
涙混じりの声で、シンジは反論した。
「じゃ、遠慮なく。今晩もそうさせてもらうわ。また夜に寝室で会いましょ」
冷たくそれだけ言って去ろうとするが、ふいに方向転換し、つっと近づいたアスカはシンジの頬にキスをする。
「待ってるからね……王子様」
「……」
アスカはそっとシンジを抱きしめると、その後は無言で去っていった。
シンジは地面を見つめて俯いたままだった。
◆
(アイツ、何か勘違いしてるんじゃないの)
アスカは山道をそぞろ歩きながら、考えている。
確かに自分はいつも些か強引にシンジと寝ているのかも知れない。家族計画についての夫との相談も不十分だったのかも知れない。男のプライドを傷つけるような歪な夫婦関係の結び方をしているのかも知れない。でも、シンジの事を変わりなく好きなのだ。シンジにはそれが何故分からないのだろうか。
それにちっぽけな男のプライドで、ハナヅキを忌避するのも間違っている。経緯はどうあれ、自分の息子ではないか。
(でも……ちょっと、やり過ぎたのかな)
二人の夫婦喧嘩はこじれだすと長い。今回の喧嘩はかれこれ三、四年ほどこんな感じでいる気がする。シトのタイムスケールと考えれば、そんなものかなという感じもするが。
(ううん、シンジから謝ってくるならともかく、別に仲直りなんか出来なくてもいい。だって毎晩のように身体と身体は繋がれてるんだから。シンジだって、アタシの身体に溺れてるうちに、不安もなくなって、機嫌は良くなる……はず。そうやって可愛がってやれば、けっきょくは仲直りするのと同じ事よ)
しかし、なぜかアスカの気持ちは収まらず、道端の小石を蹴飛ばすと、石は崖の壁面にぶつかって、コロコロとそばに転がった。
◆
シンジも夫婦の寝室─アスカとシンジの自室はそれしかない─の片隅に座り込み、考えている。
(何が王子様だよ……僕の言うことなんか聞いてもくれないくせに)
そして、アスカにキスされた唇、片頬にそっと手を当てる。
(どうして喧嘩をしてるのに、キスなんかするんだろう。何考えてるんだよ)
アスカがそうした理由がよく分からず、でもその王子様という呼び掛けの優しい響きがいつまでも耳に残っている。
(アスカがまた新しい子供を欲しがっているのは知っていたけど)
確か男女の数の差が気になるとか、ラグビーチームがどうのこうのとか、他にも色々と言ってたっけ。シンジにはバカバカしい話に聞こえたが、それをちゃんと聞いてやらなかったのが悪かったのだろうか。
(でも子供を際限なく殖やすわけにはいかないよ)
シトである自分たちには食料が要らないとはいえ、衣と住にはコストがかかる。大部分を里の民の奉納で賄っているとはいえ、それはヒトにとっての負担だ。土木工事や運送、配達などで、シトとしての力を貸しているが、与える量より貰っている量が多いのは事実で、それがシンジには気掛かりだった。与えるより奪う方が大きくなれば、ヒトとの軋轢は加速し、やがてこの星を出て行く日もそれだけ早まる。シンジにはまだ、ヒトの側で暮らし、ヒトと共に生きることへの未練があった。
(もっと里での仕事、増やさなくちゃいけないな。それに家の増築ぐらいは自分で出来るようにならないと)
「そうすれば……アスカの望みも叶えられる……?」
だけど、夜の生活で、アスカに主導権を握られ続けているのは嫌だった。
アスカがシンジに対して、一方的に想いをぶつけて成し遂げるという夫婦生活は─末子の子作りをアスカが一方的に始めた頃からだから、もう四年ほどそうなのではないか。
(こんなの、男らしくないよ……でも、アスカが男らしくさせてくれないんだ)
ゆうべもそうだった。
アスカがシンジの首筋を甘噛みながら言った。
「ね、今晩も繋がろうよ、シンジ」
「……あ、あのいいけど……ゴ、ゴムは付けてよ」
「もう無くなった。というか、キライなのよね、シンちゃんとの接触感が薄れるし……」
「だったら今晩は止めてよっ!明日、里で貰ってくるから」
「知らんぷい」
アスカは全裸になって、勝手にシンジの布団の中に潜り込み、足元から徐々に頭に向かってせり上がってくる。シンジもパジャマを少しずつ脱がされ、彼の身体に擦れる柔らかな女体の丸みや凹凸に陶然となる。
「お願いだから、やめてっ……子供がデキたらどうするんだよっ」
「まるでシンジの方が、女の子みたい。可愛いね」
シンジの服を脱がす衣擦れの音、抵抗する身じろぎ、しかし抵抗を封じる為の耳元への巧妙なる愛の囁き。
「シンジ、シンジ……。こんなにも愛してるのに、アタシと繋がってくれないの?とっても気持ちがいい事なのに……」
「ううっ……」
「シンジがしてくれないなら、いつものようにアタシからしちゃうよ……シンジがどうしてもイヤだったら、終わるまで目でも瞑ってるか、天井の滲みでも眺めてて……どうせすぐ終わるんだから、ね?」
どうせすぐ終わるという言葉に、軽侮と揶揄を感じつつ、シンジは目を瞑る。どうしてもイヤなわけではないのだが、情けない自分を見たくない、という気持ちが先に立ち、目を瞑ってしまうのだ。
そうして、シンジは、アスカの白い指に導かれ、源泉の入り口にあてがわれ、繋げられる。屈辱的な事に、律動さえも妻であるアスカが支配する。
事が終わると、アスカにいいようにされた自己嫌悪でシンジは泣きたくなる。すると、何かを察したのか、シンジの上にかぶさっているアスカが頭を撫でてくれる。それで、少しシンジの心は落ち着く。でもこんなの変だと思うと、胸がざわざわしてたまらなくなる。アスカに抱きついてしがみつく。涙をこらえる。
「気持ちよく、なかった?」
耳元で囁くアスカの声は思いのほか優しい。だからシンジは素直に横に首を振る。
「気持ちは……よかった……よ」
そしてその自分の台詞に情けなくなって、そのまま泣き出してしまう。
「ほら泣かないの、シンジ。どうしたの?」
「だって、だって、こんなの……」
「ん、こんなのって?」
「せ、せめてっ……避妊はしてよっ」
涙混じりの抗議にアスカはシンジの耳たぶを噛んで、拒絶を告げる。
「だーめ。はむ……はむっ。シンちゃんの子供、まだ作るの。だから……二回戦、始めるわよ」
もうシンジの拒絶は弱々しい。抵抗しても無駄ならアスカの好きにすればいい、と思ってしまう。そして、抵抗の如何に関わらず男の機能は反応する。アスカとの結合を遂げさせてしまう。別にそれが全然嫌ではないことが、シンジには口惜しかった。