恋姫†無双 ~漢ノ朱儁ココニ有リ~ 作:黒影
「駄目だ、また破られたな」
目の前の戦況に、一刀は苦笑いしながら呟く。
「あなた達の動き、悪くなかったわ。もう一息ね」
そんな一刀に言葉をかけたのは、楼杏(皇甫嵩)である。彼女は現在、一刀の軍を相手に調練を重ねていた。いや、どちらかと言えば、調練を重ねていたのは一刀の方だった。楼杏の軍を相手に軍の調練を進めていたのだが、何度やっても楼杏に勝てないのだ。
個人の武だけならば、一刀の方が楼杏よりも明らかに勝っているだろう。それでも、軍での演習となると一刀が毎回負けていたのは、単純に兵の特徴の違いによるものであった。一刀が生まれた朱家は華南の揚州に位置しており、一刀が朝廷に召し出された際、当然ながら連れて来た兵は揚州出身の若者ばかりであったのだから。
そもそも、華南は川や水場が多い上に、揚州は海に面している地域である。戦となれば水戦ばかりで、華北のように騎馬戦での戦いは殆ど無い。だから、雄大な長江が流れる華南ならともかく、平原が広がる華北では揚州兵の強みが全く活かせないのだ。
一方、楼杏は涼州出身であり、彼女が率いる兵は当然、異民族との騎馬戦に慣れた涼州兵ばかりである。だから、平原での戦いとなれば楼杏の方が有利なのは当たり前だった。そのため、一刀は楼杏との調練を繰り返すことで、揚州兵に平原での戦いの訓練を積ませようとしたのだ。
「やっぱり、楼杏の軍は強いな。勝てる気がしない」
「あら、一刀さんの軍も、すごく調練が行き届いてるわ。あとは騎馬戦に慣れるだけね」
それにしても、見れば見るほど楼杏の調練は勉強になる。相手に合わせて陣の変形をする際も、兵たちが機敏に動いて無駄が無く、何より楼杏自身が堂々と采配を振るっていて、見ていて気持ちが良い。これだけを見ても、楼杏が極めて優秀な指揮官であることが窺える。自身にも妥協を許さず、普段から凛とした雰囲気の楼杏が、一刀は素直に格好良いとさえ思っていた。
その楼杏が、一刀の目の前で乱れていた。
「もう無理よぉ~! このまま狭い家でお婆ちゃんになって、一生一人で生きていくんだわ……ふぇぇ」
「ええと……これはどういう状況?」
一刀が偶然通りかかった酒場の前で楼杏が乱れていて、それを風鈴が介抱している状態だった。普段の凛とした雰囲気からは想像もつかない楼杏の荒れ具合に、一刀は開いた口が塞がらない。
「うふふ、ちょっと酔っちゃったみたいね」
状況を聞けば、風鈴が最近元気が無かった楼杏を誘って、珍しく酒場に入ったことが事の発端らしい。メインは食事だったようだが、そこで出た酒によって、楼杏は酔ってしまったらしい。
「楼杏がこんなになるって、飲ませ過ぎじゃ……」
「そんなに飲んでない筈ですけどねぇ。まあ、色々と吐き出せて良かったんじゃないかしら」
風鈴が苦笑いしながら言う。
「一刀くん、申し訳ないのだけど、楼杏さんを家まで送ってあげてくれないかしら。私じゃ楼杏さんを抱えるのは無理だから……」
「いや、それは構わないんだけど……」
「いいわよ別にぃ、一人で帰れるもん……っ!」
「おっと!」
楼杏はそう言うものの、足取りがフラフラしていて、見ていて危なっかしかった。何かに躓いたように倒れそうになる楼杏を、とっさに一刀は支える。この様子では、どう考えても一人で帰るのは不可能だろう。
風鈴によると、楼杏は最近元気が無かったとの事だが、一体何が楼杏をここまで荒れさせたのだろうか。その答えは、一刀が偶然酒場に来る少し前までさかのぼる。
*****
「ぅぅ……私は寂しいのぉ……将軍だなんて偉そうにしてても、戦以外何もできない……男性の事も一歩踏み出せない、何の取り柄の無い女なのよぉ!」
「え、ええと、楼杏さん……」
「仕事に生きるったって、本当は恋をしたい……理想の男性と結婚したいのぉ!」
「楼杏さんはまだ若いし、美人だもの。すぐに見つかるわ」
「無理よぉ! 風鈴先生が持ってったくせに……もう見つかりっこないわよぉ!」
風鈴の慰めも逆効果だったようで、楼杏が余計に荒れる。相当な泣き上戸のようで、風鈴も手が付けられない状態だ。
(……やっぱり、楼杏さんも一刀くんの事が好きだったみたいね)
楼杏が最近元気が無かった原因は、これなのだ。一刀と風鈴が結ばれた事が、楼杏を落ち込ませていたのだ。
もちろん、先を越されたからと言って、楼杏は風鈴を恨んでいる訳ではない。風鈴が一歩踏み出せたのに対し、自分は全く踏み出せなかっただけ。それは彼女自身も理解している。ただ、一歩踏み出そうにもどうして良いか分からず、そのうっぷんが出てしまっただけなのだ。
「ふぇぇん、一刀さぁんっ……かじゅとさぁん……」
(あれま、これは重症ね……私が一肌脱がないといけないかしら)
風鈴は一刀の事が本当に好きなのだが、楼杏も一刀を好きというなら、一歩踏み出す手助けをしようと考えていた。なぜなら楼杏にも幸せになって欲しいから。
「……ただ、どうしたものかしらね」
目の前で突っ伏してえんえん泣きじゃくる楼杏を見て、風鈴はため息をついた。