ハルタは今の生活を気に入っていた。
家はレジスタンスキャンプから少しだけ離れた位置に建てられている。以前から活動しているレジスタンスの拠点が機械生命体に感付かれ、仮に攻撃を受けた時、ハルタが巻き込まれないようにと警戒しての判断だった。かといって驚くほど離れているわけでもなく、ハルタが自らの足で歩いて疲れない程度の距離にある。いつでも彼に会えるようにという大多数の意見であった。
キャンプに近いおかげで頻繁に客が来る。家へ訪れるアンドロイドはハルタとの会話を求めて、一緒に遊ぼうと誘って、何かしらのお土産を持ってくる者もいた。
みんな一様に友好的な態度であり、彼に対して怒りをぶつける個体はいない。アンドロイドは一人も欠けずに彼の味方だった。
レジスタンスキャンプにいるアンドロイドだけかもしれない。アネモネはそう言い、暴走して集団を離れた個体も少なくないのだという。全てのアンドロイドを信用してはいけないと強く言い聞かせられていた。
現実はそう甘くないと告げられていた一方で、ハルタは心配していなかった。
ただの人間に過ぎないハルタが一人で生きていくには、今の地上はあまりにも危険だ。舗装された道は壊れ、いつ倒壊してもおかしくないビルが並び、人間にとって脅威になりかねない野生動物はそこら中に居る。
そういった理由で一人で外に出ることは一度としてなかった。本人もそれとなく理由を察しているため希望せず、護衛がつけられるのは当然となっており、一人で勝手に出歩くなときつく言い聞かせられていた。
ハルタは全てのアンドロイドにとって唯一の希望なのだ。貴重な生きた人間を失うのは自身が壊れることより恐れており、用意周到に準備をして、彼の命だけは守ろうと努めている。
そうした努力を知っているからこそ、ハルタは無茶をしなかった。外に出る時は2Bや9Sがいる時に限り、家に来るアンドロイドは快く迎え入れて、賑やかで落ち着いた毎日を過ごす。
ただ生きるために生きる。
それがアンドロイドのために決めた、彼なりの誠意と決意だ。
今日も今日とて、来客があった。気付けば毎日誰かに会っている。特別なことはないけれど寂しくない毎日で自然と心も軽くなっている。気付けば退屈する暇さえない。
扉を開けると9Sと2Bが立っていた。ハルタは笑顔で受け入れる。
「やあ」
「こんにちはハルタ。今いいですか?」
「いいよ。ちょうど一人で暇してたとこだ」
快く室内へ招き入れて、先にハルタが椅子に座ると二人も気遣わずに腰を落ち着けた。
何よりもハルタを優先するせいか、ハルタが座らなければ彼らが座ることはない。逆転することのない上下関係に思えて、友達を望むハルタはそれを望んでいなかったが、頑なな態度に折れて先に座るようにしている。
習慣とは恐ろしいもので、徐々に行動が変化しているのは自分でも理解していた。
「ここでの生活は慣れました?」
「うん。みんな良くしてくれるし、辛いこともないし、楽しいよ。むしろ俺だけ何もしてないのが申し訳なくてさ」
「申し訳ないなんて、思う必要はありませんよ。僕らが好きでやってるんです」
「そうなのかな。どうも悪いことしてるような気がするんだ」
不承不承という顔をするハルタだが、そこまで気にすることだろうか。
9Sは優しげな笑顔で彼に言う。
「ハルタは僕らと話してくれるじゃないですか。いつ訪ねても快く迎えてくれて、一度も追い返されたことありませんよ。それがどんなに僕らを助けているか」
「でもあれは、俺だって楽しいし、仕事って感じじゃないし」
「仕事じゃなくても、ハルタが僕らと一緒に楽しんでくれていることが有り難いんです。これからもお願いしますね」
「うん。それはもちろん」
ハルタは笑顔で頷いた。その返答を聞いて9Sだけでなく2Bもまたほっとする。
「あ、飲み物がありませんね。淹れましょうか?」
「いいよ。それくらい自分で――」
「私がやる」
端的に言って2Bが立ち上がった。リビングに併設されたキッチンへ向かい、以前に他のアンドロイドから教わった手順でお茶を淹れようと作業を始める。
ハルタのためなら必要な物はなんでも集められた。彼が知る物とは違うかもしれないが、人体に害を及ぼさない葉を採取し、本人の口に合う物だけを残している。彼の飲食に必要な物は数々研究されており、徐々に室内が充実しつつあった。
頼まれていないのに自発的に動き出した2Bを見て、ハルタは苦笑してやれやれといった感じであるものの、9Sは笑みを深めた。
コンビを組んで任務に就いているからこそわかったのだ。
「2B、変わりましたね」
「えっ、そ、そうかな?」
「間違いありませんよ。以前は感情を持ってはいけないってよく注意されたんですけど、最近はそう言われることもなくなりましたし、何より2B自身が感情を持つことを許容しているような気がするんです」
「あー……そ、そうなんだ」
「ハルタが何かしたんですか?」
「してない! いやぁ、俺は、何も……!」
慌てふためくハルタには悪いが、9Sはすでに事情を知っていた。
誰に聞いたわけでもない。それでもわかるのだ。何せ彼自身もアンドロイドで、ハルタと接しているだけでアンドロイドと話している時とは異なる感情を覚えていて、相手が男性ということで、女性型アンドロイドの様子がおかしくなっているのは気付いているから。
2Bだけではない。デボルとポポルの双子も、アネモネも、それ以外の女性型も、みんながハルタを前にすると様子がおかしいのだ。
「ありがとうございます」
「へ?」
「ハルタを見つけてから、キャンプの雰囲気が明るくなって、みんなはいつも楽しそうに作業をしていて、僕も2Bと前より仲良くなれた気がするんです。もちろんハルタに出会えたことも本当に嬉しいんですけど、あなたがいるだけで、何もかもが上手くいっているんです」
「いや、そんな……俺は何も」
謙遜ではなく、本当に困っているのだろうと思う。ハルタは自分が役立たずなのではないかという気持ちを捨て切れず、感謝されればされるほど、何もしていない自分が不甲斐ないと責めてしまう癖があった。落ち込む必要なんてないのに表情が曇ってしまう。
納得してもらうまで、何度となく言う必要があるだろう。けれどいつまでも話を引っ張って困らせておくのも申し訳ない。
2Bが温かいお茶を淹れ終えて、ハルタの前にカップを置き、椅子に座ったところで9Sは敢えて話を変えた。
「また近々、パスカルの村に行きましょう。また来てほしいと本人も言っていましたし、ハルタさんは元気ですかって連絡があったんです」
「そうだな。あそこでもすごくお世話になっちゃって」
「優しいですからね。パスカルも含めて、あの村の機械生命体は」
9Sが同意した直後、不意にハルタの表情が変化した。
落ち込んだ様子ではない。気分を害したわけでもなさそうだが、ふと笑みが消えて、考え込むように視線を天井へ向けた。
声のトーンが変わったのを察して、不思議と二人は身構えた。
「でもさぁ、最近よく考えるんだけど、地球には人間が俺しかいないんだろ?」
「ええ。人類は月に避難したんです」
「じゃあ俺も月に避難させられるのかな? そしたら、寂しいな」
「……そうですね」
以前から察していた。
機械生命体、或いはそれらを使役するエイリアンが現れたことにより、人類は地球を離れて月へ避難したのは大昔のこと。地球に人間がいるという報告はすでに月にいる人類とアンドロイドにも伝えられているはずで、ハルタが月に行くことになってもおかしくはない。
レジスタンスキャンプを離れることになれば、当然キャンプにいるアンドロイドは寂しがる。次にいつ会えるかもわからない。きっと悲しむだろうとハルタも理解していた。
おそらくそれを拒んでいるのだ。みんなが悲しむことはしたくない。
「地球にはいないけど、人間はまだ月にたくさんいるんだろ? だったら俺一人くらいここにいちゃだめなのかな」
「それは……僕らもそうしてほしいですけど、僕らに決められることじゃありません」
「機械生命体ってのがいなくたって、どうせ俺には寿命があって、みんなより先に死ぬんだし、いつ死んだっていいから好きに――」
「そうはさせませんよっ!!」
突然の大声にハルタは肩をびくつかせた。
ハッと我に返った9Sは自分が立ち上がっていることに気付いた。ついさっきまで座っていた椅子がひっくり返って倒れている。
ハルタの表情を見ると罪悪感を覚えた。衝動的に叫んでしまったことを後悔する。
それはアンドロイドにとっての本能のようなもので、同意していた2Bは静かに呟いた。
「9S。落ち着いて」
「は、はい……すみませんハルタ。驚かせるつもりは」
「いや、別に……ちょっとびっくりしただけだしさ。ごめん」
彼が謝る必要はないのに。罪悪感はさらに大きくなる。
椅子を立てて座り直し、ふぅと息をついて、9Sは改めて冷静に自分の気持ちを吐露する。
「死なせたりしませんよ。ハルタがいたことで研究は急速に進んでいます。子孫を残すだけじゃなくて、寿命を延ばす方法だってきっとあるし、生き続けることはできますよ。僕らが見つけてみせます」
いつになく真剣な声を聞いて口を挟めず、ハルタは真剣な表情で受け止めた。
「だから、自分が死ぬのを受け入れるようなこと、言わないでくださいよ……」
「あ……ご、ごめん」
上手く言葉が見つからなくて、ハルタはただ謝ることしかできなかった。
そんなつもりじゃなかった。じゃあどんなつもりだった? ふっと頭の中に疑問が浮かぶが自分でも答えはわからない。
そうなのだ。言われなくてもわかっていなければいけないことだった。
自分が死ぬことを受け入れるのはよくない。いつ死んでもいいなんて思っちゃいけない。
9Sの言葉が深く胸に突き刺さった。
改めて死ぬのはよくないことだと自分に言い聞かせて、ハルタはようやく2Bが淹れてくれたお茶に手を伸ばして、少し飲んでみるのだが、今は不思議と味がわからなかった。