近頃、2Bが気になる。
表情は以前と変わらず、いつもクールで感情を表に出さない。ハルタは彼女のことをかっこいい女性だと思っていたし、口数少なく任務に従事する姿を見たことから生真面目な性格なのだろうと認識している。
そのイメージは変わっていないのだが、最近になってどこか違和感を持つようになっていた。
気付けば2Bに見られている気がするのだ。目元を布で隠しているため、彼女の目を見ることはできないのだが、目を向けると視線が合うのを避けるように顔を背けられる。
以前なら見られなかった行動だ。何か変化があったとしか思えない。
ここ最近、ハルタ自身に大きな変化はなかった。彼にできることと言えば、アンドロイドに約束された平和な毎日を過ごすことのみである。
彼が何かをして2Bの機嫌を損ねたとは考えにくい。少なくとも本人に自覚はなかった。いつも通りに過ごしていたはずなのだが、と不思議に思い、何が悪かったのだろうと心配になって考え込んでしまう。それくらいには彼女に異変を感じ、放っておけなかった。
一度気になり始めるとだんだん不安になってきて、考えずにはいられなくなる。
「2B、何かあった?」
「何もない」
本人に尋ねてみても何も言われない。しかし挙動を見てやはり変化を感じる。
答える一瞬、確かにハルタを見ていたはずなのに、パッと顔を背けられてしまった。嫌われたとしたのなら納得がいく。顔を見るのも嫌なのだろうか。でも任務を与えられているから傍を離れられない。そう考えると、ああなるほどと、気分が沈むのを感じながら理解した気になる。
受け入れたくはなかった。でもそうなったとしても仕方ないとして、ハルタは落ち込む。
「え? 2Bがハルタを嫌いなのかって?」
一人で納得してしまう前に、試しにその意見を聞いてもらおうと9Sに話してみる。彼は朗らかで笑顔を見る機会が多く、おしゃべりが好きだ。なおかつハルタに対して心を開いている。素直な感情をぶつけてくるのは普段の姿だと知っていた。
2Bとの付き合いはハルタよりも長いし、どう思っているのかを言ってもらおう。そうして確認してみると、何を言っているんだ、とあからさまに呆れられた。
「2Bはハルタを嫌ってませんよ。どうしてそんなこと言い出したんですか」
「だって、避けられてるのかなとか、思ったりして」
「どうしてそう思うんですか?」
「なんか、顔を逸らされる気がして」
「ははあ、なるほど」
9Sは何かを察した様子で頷く。
不安そうなハルタがふざけているとは思い辛く、冗談ではなさそうだ。がっくり肩を落としてしまうほどショックを受けているのだろう。もう以前のようには話せないのかもしれない、そんな不安が感じ取れた。
日頃、アンドロイドがあまりにも優しく、ともすれば過保護とも思える態度で彼に接するため、あまり知られていないのかもしれない。傍に居ることの多い9Sは知っている。
ハルタは一人になることを拒んでいる。みんなに囲まれて、一緒に生活していることを心から喜んでいて、他者に必要とされなくなることを恐れていた。本人が不安を吐露したことがあるからこそ知っている本心だ。
9Sにしてみれば、2Bがハルタを嫌うなどあり得ない話なのだが、拒まれることを拒む彼は冷静さを失うくらい怖がっているらしい。
呆れはするが、見捨てようとは思わない。
笑いかけた9Sはハルタの隣に座り、顔を覗き込むようにして言い聞かせた。
「大丈夫。2Bは嫌ってるからそうしてるわけじゃありませんよ。ただちょっと、僕やみんなも含めてですけど、長く人間と関わってこなかったからどう接すればいいのかわからないだけです」
「どうって、そんなの、普通にしてくれれば」
「その“普通”がわからないんですよ。僕らは人類のために生み出されたのに、人間と会うことを許されなかった。会ったこともないのに人間のために働いていたんです。だから、突然人間と一緒に暮らすことになって、まだ戸惑いも多いんですよ」
「……9Sも?」
「ええ。少なからずありますよ。例えば自分の変化とか」
初めて知った事実だ。そうなのか、と呟いて、ハルタは周囲を見回す。
レジスタンスキャンプで生活しているアンドロイドたちはハルタに対して親切だ。異様なほど彼を気にしているとも言える。
放置された木箱の上に座って、何気なく話しているだけの彼を気にする個体は多く、目が合うと笑顔で手を振ってくれる。手を振り返すハルタはそんな環境を気に入っていて、もちろん個性や性格の違いはあると知っているが、できれば2Bにも同じようにしてほしいと思うのだ。
何も気にする必要なんてないのに。
そう思うハルタは彼らのことを理解しているとは言い難い。
生み出されてから何年経ったか、知らないからだろう。彼らの前に現れたハルタの存在はまさに奇跡と言う他なく、宗教の概念は捨て去って長いとはいえ、神にも等しい。
「俺はただ、仲良くしてくれればそれでいいのに」
「2Bも仲良くしたいと思ってますよ。ただちょっと素直になれないだけで」
「え? そうなのか?」
「きっとそうだと思います。恥ずかしくて照れてるんですよ」
そうなのだろうか。そうだと嬉しいのだが。ハルタは少し考える。
人間関係についてのあれこれは得意ではなかった。考えてみれば、アンドロイドにも性格や個性は当然あるわけで、みんなが自分の思い通りに動くわけがない。
たった一人の人間としてちやほやされ過ぎて、何かを見失っていたのかもしれない。
自分を諌めたハルタは、そうかと呟いた。
「そうだったら嬉しいけど……うーん。俺にできることってあるかな?」
「何もしなくていいんですよ。ハルタが健康に生きてくれていれば、僕らはそれだけで嬉しいんです。2Bだってきっとそうですよ」
「でも、それってなんか、役立たずというかお荷物というか……俺も役に立ちたいなって」
「役に立ってます。立派に。ハルタは僕らの希望なんです。ただ生きてさえいれば、それで、僕らが生きる理由になるんです」
9Sは迷いなく言いきった。
その言葉には、極度の依存と、妄信的とさえ言える信頼がある。
捉えようによっては狂気にすら感じられるのだと気付かぬまま、ハルタは平然と聞いていた。
「そんなものなのかなぁ……なんでってわけじゃないけど、仕事して、お金を稼いで、恋愛してなきゃだめだって、だめな人間だって思ってたんだ。でもここで俺は、仕事もしてないし、お金も稼いでないし、恋愛っていうのは微妙だけど……何もしてないなって思って」
「何もしていないことは悪いことですか?」
「そう、思ってた」
「僕らにとっては悪いことじゃありませんよ。ただ生きているだけでいいと思います。命はそれだけで意味があるものでしょう?」
「そうなのかな……」
ハルタは、表情をなくして、その様子は無。
何を考えればいいのか、わからない。彼の中から思考が消え失せる。目の前にある景色をぼうと眺めて、何に注目するわけでもなく、口が動かなくなる。
そもそもどこで得た価値観だっただろう。かつての記憶は。以前の自分は。なぜ強迫観念のようにそう思っていたのだろう。
自分には価値などないと、どこで思ったのだったろう。
わからなくなって、逃げるように思考を捨てる。これで何度目だったろうか。
レジスタンスキャンプの端を歩くデボルとポポルを見つけた。
軽く手を振ると振り返してくれる。ほっとして笑みを浮かべた。
何にしても、2Bに嫌われていないのならそれでいい。
思考を放棄したことで安堵を取り戻し、肩の力が抜けたハルタを確認して9Sが微笑む。やはり彼が笑っていないとアンドロイドたちが安心できない。