遠目に見たことがあったとはいえ、改めて連れ出されてみると、その土地は想像を超えていて、あまりにも寂しく、雄大だと思う反面、違和感を感じずにはいられない。
天に向かって伸びるいくつものビル。朽ちて壊れて、利用する者がいないせいでひどい状態のまま放置されており、修復されることは今後もないのだろう。かつては均整のとれた形にされたのだろうコンクリートは歪な形で、至る所に苔や植物が根を張り、大自然と人工物が入り混じる奇妙な光景となっている。
美しいとも思うが、壊れてしまったという印象も否めない、異様な風景。
誰もいない町の中に立ったハルタは、自身の記憶と照らし合わせるようにして辺りを眺めた。
町というのは、本来は人が大勢いて、24時間営業しているコンビニがあって、数こそ違えど外を歩けば人に出会うのは当然で、町として機能している場所をそう呼ぶのではないだろうか。
誰もいない、人間が死に絶えた土地を眺めて、不思議な気分を味わう。かつてはそこにも大勢の人がいたのだろうか。想像してみるのだが、あまりにもあちこちが壊れていて、正しく想像することすら容易ではない。以前の姿よりも今の姿の方が気になった。
何が起こったのだろう。ここにいた人はみんな死んでしまったのだろうか。
想像力を働かせるも、答えを得ることはできない。結局それは彼の身勝手な妄想でしかなくて、そこに立って歴史を知ることはできないのだ。
「ここにも以前、人間がいたんでしょうか」
ちょうどそんなことを考えていた。振り返ると少し離れた位置に9Sと2Bが立っている。
声を発したのは9Sで、ハルタの様子を見てにこりと微笑む。
安心させようとしているのかもしれない。彼はいつも優しい。
町を見ていたハルタは彼らの方へ体を向けて、誘われるように9Sを見る。
「僕らはこの景色しか知りません。人間がたくさんいて、ビルも店も機能していて、賑わっている様子を見たことがない。この景色から想像していたんです。今も人間が生きていたなら、どんな風に生活していたんだろうって」
「9S。任務には集中して。余計な思考は邪魔になるだけ」
「すみません。でも、やっぱり気になって」
2Bが叱責する声を飛ばすが、9Sは苦笑して謝り、今後二度とやらないとは口にしない。
町だけを眺めていたら漠然とした不安を感じたものだが、視界の中に彼らがいれば不思議と安心できるものだ。ハルタはいつも通りの二人のやり取りに笑みをこぼした。
「俺が覚えてるのは、町にたくさん人がいて、車も走ってて、夕方もあったし夜もあった。正直今でも信じられないけど……夜がなくても案外生きてられるものなんだな」
常に日が出ているのは不思議で仕方ない。雲で隠されることはあるものの、少なくともこの世界に来てから夜を見たことはない。それでも町の中には動物が暮らしているのが目に見えて、見たことがないほど成長した植物も息をしている。
怖いとは思わない。土地が違えば景色が違うものだ。荒廃していてもアンドロイドはハルタの味方であり、彼らがいれば大丈夫だと信じている。
寂しげな土地で人間はもういないかもしれない。けれどハルタは安心していた。
アンドロイドがいるおかげで寂しくはないし、彼らがいたから生きていられる。きっとそれでいいのだろう。そう思うしかない。
ここでの毎日は平穏そのもの。穏やかで危険の一つさえない、静かな時間が延々と続き、時間の変化こそ気付きにくいが変わらない毎日を送っている。
どうしてここにいるのかとか、そんな思考はやめてしまった。
帰る場所などわからないのだし、ここにはアンドロイドたちがいる。だからそれでいいのだ。
「ハルタが暮らしていた場所、できることなら見てみたいですね」
「そうだな。俺もよく覚えてないんだけど」
手掛かりは唯一、彼の体に残されている。
左手首にある傷跡。裂傷は刃物でつけられたものだっただろう。詳しく覚えてはいないが、位置が気になる。
ハルタの表情が本人の意思とは無関係に歪んだ。
時折ノイズのように走る映像。見覚えがあるのに鮮明には思い出せない。色彩が失われた灰色の景色は、過去に自分が見たものなのではないか。つまり、この世界に来る前、やはり自分は人がたくさんいる場所にいたのではないか。
鋭い頭痛が走る。
咄嗟に頭を抱えた時、9Sが駆け寄った。彼の体を支えて優しく声をかける。
「ハルタ、大丈夫ですか? 深呼吸して」
「あ、ああ……大丈夫。ありがとう」
背中を撫でながら声をかけられたことで落ち着くことができた。深く息を吐いてハルタは冷や汗を拭う。悪寒が走り、嫌な感覚が残っているとはいえ、ひとまず問題はなさそうだ。
過去について思い出そうとするとそれを拒むかのように頭痛がする時があった。その話を聞いていた9Sは彼の過去を詮索しようとはせず、過去が何であれ、ハルタを守ることは変わらないのだと彼に告げている。従って普段は思い出そうとすることがない。
すでに廃墟とはいえ町を見たせいだろうか。自然にどこかの光景が浮かんできた。あれはいったいどこだったのだろう。
思い出そうとする自分を律して考えないようにする。心配する9Sに笑いかけて安心させ、珍しく動揺した2Bには改めて大丈夫だと伝える。
「フゥ……平気だよ。たまにあるんだ。気にしないで」
「たまに? メディカルチェックでは問題がないって聞いたのに」
「いや、大したことじゃないからさ」
ハルタは笑顔でそう言うのだが、9Sもまた笑顔で応えながら、このことは記憶に留めておこうと決める。
最優先は彼の生存。地上に残った唯一の人間を死なせてはならない。アンドロイドはそのために他の全てを犠牲にするだろう。
そうとは知らないハルタは9Sの安堵を確認して背筋を伸ばした。
考えなければ異常は起きないはず。辛くならないように、と言われているのだから、そうしておこうと心に決めたはずだ。改めて自分に言い聞かせる。
再び辺りに目を向けて、深呼吸して心を落ち着けた。
ハルタは傍にあった瓦礫に腰掛け、ぽつりと呟く。
「俺に何があったのか、どうしてここにいるのか、わからないことはあるよ。でも今はそれ以上に嬉しいんだ。友達ができて、みんなに支えられて、一緒にいられて。それがすごく嬉しい」
「僕らも同じ気持ちですよ」
「だから、何もわからないままだし、これからわかる時がくるのかさえわからないけど、このままみんなと一緒にいられたらって、そう思うんだ」
にっこり笑ったハルタに対して、嬉しそうに9Sも口元を緩ませた。
2Bはぴくりとも表情を動かさないとはいえ、顔はきちんと彼の方を向いていて、無視をしているのではなく真剣に耳を傾けているのがわかる。ただ口数が少ないだけだ。
「僕らも同じ気持ちです。言わないけど2Bだってそう思ってます」
「わ、私は、別に……」
「素直になりましょうよ2B。ハルタのこと心配してるでしょ? 言わなくても伝わることってありますけど、言った方がもっと伝わるんですから」
そう言われてもごにょごにょと声は小さく、2Bがハルタに言うことはなかった。
仕方なさそうに笑って9Sが視線を戻す。
まるで彼女を助けるように、軽快な音楽が木霊する。遠くから聞こえてくるそれは彼らの知り合いが発しているもので、ハルタがにこやかに辺りを見回した。
「エミールだ。いないと思ったけどわかりやすいな」
「せっかくだから挨拶していきましょうか。一人で退屈してるでしょうし」
「うん、そうだな」
立ち上がったハルタを連れて、9Sが先導して移動を開始する。
2Bは何も言わず、少し距離を置いて後ろから追いかける形で同行した。
心配しないはずがない。
世界広しと言えど、地上にはもう、人間はハルタしかいないのだ。
もしも彼が死ぬとしたら。想像するだけでもぞっとする。その感情はアンドロイドとして生じているのか、それとも2Bという個体が感じているのか。彼女自身にもわからなかった。