2-1 怪しげな女の子
―達也―
『knock out』で1、2を争うと目されるような実力者に完勝したというのに、自分への注目度が増したような雰囲気は全く無かった。取材が来る事も無ければ、試合を伝える記事もほとんど無し。世間のキックボクシングへの関心の低さを感じずにはいられなかった。
ただ、「停滞したキックボクシング界を俺が盛り上げてやるぜ!」なんて気持ちには全くならなかった。それどころか、キックボクシングはそろそろ潮時かなとすら思い始めていた。誰からも注目されないリングで戦い続ける意味を見出せなかった。ファイトマネーも安いし。
うん、やっぱりもう辞めよう。熱心に誘ってくれた晴香さんには悪いけど、このままキックボクシング続けるよりも普通の大学生に戻った方が楽しそうだ。だいいち最初から、飽きたらすぐやめるつもりだったし。
と、自分の中で結論を確定させた所で、頭を次のテーマに切り替える。現状、俺の身に迫っている最大の問題は、もうじき始まる前期課程の試験だった。これまでは充希がノートを貸してくれてたからそこそこ単位を拾えてきたけど、今回はどれだけ頼んでも貸してくれる気配無し。このまま試験期間に突入すれば、ヘタすりゃ単位全滅なんて悲惨な結果も考えられる。
「ていうか、大学とキックボクシングの両立ってのが最初から無理に決まってるんだよな…」
そう、そもそも俺の学力では勉強一本に絞っても単位取得は容易じゃないんだから、キックボクシングと両立なんてハナっから無理に決まってる。そういう意味でも、キックボクシングはもう辞めるしかないだろう。
と、その時。
「…独り言ですか?」
右側からぽつりと女の子の声が聞こえたから、振り返ってみると。
「うおっ…!?」
すぐ隣の席に女子が座っていた。しかも、めちゃくちゃ距離が近かった。
「独り言ですか?」
またぽつりとそう口にする。
「…俺、独り言なんて言ってた?」
「無意識でしたか。ま、独り言なんてそんなものですが」
「……」
無性に恥ずかしかった。初対面から5秒でこんな恥ずかしい思いさせるとはこの女…
「って誰だよ自分!」
思いっきりツッコんでしまった。女子に声を掛けられる事自体は別に珍しくもないけど、こんな声の掛けられ方はさすがに初めてだったから。
「ふむ、『お前』ではなく『自分』と言う所に好感が持てますね」
すると謎の女子は、また小さく何かを呟いたかと思うと。
「申し遅れました。私はこういう者です」
そう言って、女の子は名刺を差し出してきた。
「HFP…悠木未華子…?」
HFP(Happy Family Project)理事、悠木未華子とそこには記されていた。
「小野達也様でいらっしゃいますよね?」
「…そうだけど?」
何で名前知ってんだよ、と思っていると。
「本日は達也様を是非ともスカウトしたいと思って参りました」
「はあ?スカウト?」
「HFPでは現在、優秀な男性スタッフを探しておりまして、達也様は見事、我々の眼鏡にかなったのです」
「悪いけど宗教勧誘はお断りだから」
怪しさ満載だったから、適当にあしらう事にする。妙に上から目線だし、そもそも何でいきなり名前で呼んでんだよ。
「宗教勧誘ではありません。私どもHappy Family Projectはその名の通り、幸せな家庭づくりを通じて幸せな社会づくりの実現を目指した非営利団体であり…」
「はいはい、頑張ってね」
可愛い女の子だなとは思ったけど、これ以上話を聞くべきじゃないと俺の直感が告げていた。怪しい輩には近付かず、近付かれたらすぐに離れるに越した事はない。
という訳で、席を変えるべく立ち上がろうとした、その時。
「話を聞いて下されば、達也様が落としそうになっている単位の方は私どもが面倒を見させて頂こうと思っているのですが」
「…何だって?」
「達也様が昨年1回生時に取得した単位は32単位。これは2回生終了時の足切りラインである60単位にギリギリのペースです」
「う…」
そう、西都大学では卒業するために150単位を取得する必要があり、その4割となる60単位を2回生終了時までに取得できなければ、その時点で留年となってしまうのだ。
「ところが達也様は、今期の単位を満足に取得できる見込みではないようですが」
怪しげな女子(未華子ちゃんだっけ?)が残念そうな表情で言う。馬鹿にされてるようで腹が立つ表情だったけど、でも確かに彼女の言う通りで、このまま充希の助力が得られなければ近い将来俺は留年決定…
「…って、何でそんな事まで知ってんだよ!」
すると未華子ちゃんはしたり顔で。
「達也様の事は徹底的に調べさせて頂きましたから」
「……」
怖かった。本気で怖かった。
ここで話を聞かずに逃げ出したら、いつかもっと怖い目に逢わされるんじゃないかと思うくらいに怖かった。
「…分かったよ、話は聞いてやるよ」
「ありがとうございます」
「そのかわり、今言った単位の話忘れんなよ」
「もちろんです。私どもにかかれば、単位の100や200ぐらい何て事はありません」
さすがに200もいらねーけど、と思いつつ。
「実は現在、HFPでは優秀な男性スタッフを募集しておりまして」
「それはさっき聞いた」
「申し訳ございません。どうせ聞き流されたものと思ってました」
そう言いつつ、全然申し訳なくなさそうな表情で。
「ですので、本学内にて素質の有りそうな優秀な男性を探しては、こうしてお声を掛けさせて頂いているのです」
「ふーん。で、何で俺がそのターゲットに?」
「端的に申しますと、私どもの眼鏡にかなったからでございます」
…全く答えになっていなかった。
「疑問に思う点はいくつかあるかと思いますが、その辺りについては後ほど、私どもの代表から直接ご説明させて頂きたいと存じます」
「あ、そう…」
後ほど代表から、と言われてげっそりと気が重くなった。これはかなり時間を取られそうだぜ…
「ただ、この段階で私からこれだけはお伝えしておこうと思うのですが、私どもが達也様に求めたいものは、たった一つだけでございます」
「へえ」
「それは、達也様の…『種』です」