1月28日(土)、達也はプロ12戦目のリングに上がった。
相手は4戦連続でタイの選手だった。昨夏の石井幸三戦以来、日本人選手に避けられるという構図はずっと続いており、東南アジアから格下の選手を呼ぶ以外の選択肢は見つかっていなかった。
となると試合の結果は言うまでもない。達也の1ラウンドKO勝利である。この日はハイキックではなくミドルキックを横っ腹にクリーンヒットさせ、その一発で相手はもう立ち上がる事ができなかった。
試合後のインタビューで達也は「実は今日は寝不足なんです。だから早く帰って爆睡したいです」と言って観客を笑わせた。だが、そのセリフは冗談ではなく本心だった。というのも達也は昨夜も種付けに臨んでいたのだが、女性側の都合が急に変わってしまい種付け開始時間が大幅に遅れてしまったのだ。日付が変わって暫くしてから始まった種付けは深夜3時過ぎまでかかってしまい、また運悪くこの日の試合は開始時間が早く、結局4時間程度しか睡眠を取れずに試合会場入りしなければならなかったのだ。
それでも終わってみれば1分そこそこで楽勝。こうなってはもう、キックボクシングと種付けのどっちが本業なのか分からない。実際にこの頃の達也は、キックボクシングは二の次で種付けの方に重きを置いた体調管理に努めている程だった。
しかし、そんな達也の意識を一変させる事態が、まもなく訪れる事になる。
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「え…REALに?」
「そう、素晴らしい話でしょっ!」
晴香が興奮気味に続ける。
「REAL本大会への出場権を懸けたステップアップ・トーナメントへのオファーが届いたのっ!」
「マジっすか…!?」
その話を聞いた瞬間、達也の頭は一瞬真っ白になった。
REALとは日本で断トツの知名度を誇る格闘技のイベントだ。世界中の強豪選手が集い、試合のレベルは言うまでもなく最高峰。大会は年間5回程度開催されるのだが、そのほぼ全試合をフジテレビ系列が生中継で全国放送。視聴率は軒並み高く、特に毎年大晦日に開催される大会の視聴率は例年30%を超え、今や紅白歌合戦と肩を並べる年末の風物詩となっている。この国で格闘技を志す全ての者にとっての夢の舞台、それがREALなのだ。
「もちろん、オファーは受けるわよね?」
「当然ですよ、出ない訳ないですよっ」
どれだけ連勝を重ねてもすまし顔の達也だが、この時ばかりはさすがに興奮を隠せなかった。ついに自分が全国の舞台に立てる…それを思うと嬉しさを抑えられなかった。種付けを第一に考えがちだったのはどこへやら、達也の心は早くもステップアップ・トーナメントへ、さらにはその先にあるREAL本大会へと向いていた。
ステップアップ・トーナメントへの出場が決まってすぐに、達也は玲奈に種付けのペースを以前の週1ペースに戻したいと申し出た。とはいえ完全休養ではなく週1回は続けたいと言う辺り、種付けへの気持ちはしっかりと残っている何よりの証拠なのだが…
「まあ、これも達也くんの価値をさらに高めるための投資と考えるしかないわね」
事情を聞いた玲奈は意外にもすんなりと快諾した。達也のここまでの種付けの実績は素晴らしく、ペースを落としたいという希望くらいは受け入れざるを得なかった。
間もなく、ステップアップ・トーナメントの詳細が確定した。出場者は23歳以下の日本人選手4名。キックボクシングルールの試合でトーナメント戦を行い、優勝者には5月末に開催予定のREAL本大会への出場権(対戦相手未定)が与えられるというものだった。
だが、その出場者の名前に、達也は驚かされる事になる。
なぜならその中に、達也が高校時代最後のインターハイ決勝で戦った相手…つまりは達也が失神KO負けを喫した因縁の相手の名前があったのである。
しかもトーナメント表によると、達也はその選手と1回戦で当たる組み合わせになっていた。
もちろんこの組み合わせは偶然ではなく、REAL運営が意図したものだった。REALとしても『knock out』のリングで1ラウンドKO勝利を続ける達也にはひそかに注目しており、特に実力者の石井幸三に完勝したのを見て、近い内にREALのリングに上げたいと考えていたのである。なのでREALの意図としては、今回のステップアップ・トーナメントは達也に課す『本大会出場への最終試験』でもあった。
いずれにしても、対戦相手を知って達也のトレーニングにはさらに身が入った。かつて敗れた相手、しかも高校生活を締めくくる最高の舞台で…充希と約束した試合で、失神KO負けという屈辱を味わう事になった因縁の相手だ。もうリベンジする機会は無いと思っていた相手…達也が燃えない訳はなかった。絶対にあの日の借りを返す…100倍返しにしてやる…と。
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数日後。
FAILYのジムに、見慣れない顔の選手が集っていた。その数、ジャスト10人。日本人選手だけではなく、東南アジア系の顔をした選手もいる。
彼らは皆、達也のスパーリングパートナーとして集められた選手たちである。今回、晴香は親交のある他ジムに協力を仰ぎ、各選手に十分な日当を与えるという条件まで付けてスパーリングパートナーをかき集めたのだ。
小規模ジムのFAILYにとっては、言うまでもなく大きな支出だ。達也が優勝してREALに出場する事になれば莫大なファイトマネーを得られるが、もし負けてしまえば今回のスパーリングに要した費用の回収は不可能に終わってしまう。FAILYにとっても達也のステップアップ・トーナメント出場は大きな賭けだった。
もちろん、達也もそういった事情は理解していた。だからこそ、スパーリングにも気合いが入った。入りすぎて、スパーリングパートナーを壊しかねない程だった。
「ダメっ、達也くんストップ!」
猛攻を加える達也を、レフェリー役の晴香が自らの体を入れて止める。直後、スパーリングパートナーは力無くその場に尻もちをついた。
「達也くん、やり過ぎよ。調子がいいのは嬉しいけど、それ以上やると相手が再起不能になっちゃうわ」
「あ、すみません」
と一応は謝りながらも、達也に申し訳なさそうな様子は全くない。むしろまだまだ殴り足りないというくらいの表情で。
「よし、じゃあ次の奴!さっさと上がって来い!」
達也が普段の柔和な様子からは想像できないような強い口調で言う。が、誰も積極的にリングに上がろうとはしない。
だが、それもその筈。達也の強さは圧倒的で、スパーリングの内容は全て一方的、1ラウンド持たずに強制終了という展開がずっと続いていた。かつてデビュー2戦目で相手を殺しかけた反省から試合では『優しく』勝つ事を心がけていた達也だが、この日は全く容赦なし。猛獣のような勢いで連打を浴びせ、スパーリング相手を次々に戦闘不能へと追い込んでいた。
そんな惨劇を見せられ続けては、集められた選手たちが震え上がってしまうのは当然と言えば当然。彼らはしっかりと日当を受け取っているにもかかわらず、達也の強さに怖れをなしてなかなかリングに上がって来ようとしなかった。
「ったく、誰か俺をぶっ倒してやるってぐらいに気合いの入った奴はいねーのかよ?」
挑発するように言うが、やはり誰一人としてリングに上がって来ない。それを見て、達也はため息交じりに。
「晴香さん、せっかく俺のためにこれだけ集めてくれたのに、これじゃ練習になりませんね」
「そうね、ごめんなさい」
「いや、謝らなきゃいけないのはアイツらですよ」
リングの外で怯え切った表情の男たちを哀れむように達也が言う。今日は10人もの選手と繰り返し何度でもスパーリングができると聞いて張り切っていた。100人組手ならぬ100ラウンドスパーリングに挑戦してやろうかと思っていたのだが、蓋を開けてみるととんだ肩透かしである。
「これじゃバイト代泥棒ですよ。腹立つんで、今から俺が改めて一人ずつぶっ飛ばしますよ」
「達也くん、お願いだから少し手加減してあげて…」
結局、7人の選手が達也と拳を交えるものの全員1ラウンド持たずにストップ。残り3人はリングに上がる事なくバイト代を返上して逃亡してしまった。達也にとっての収穫は自分の調子の良さを確認できた事と、相手に連打を浴びせる感覚を久しぶりに思い出した事ぐらいだった。
そして、ステップアップ・トーナメントの日は、あっという間にやってきた。