達也のステップアップ・トーナメント優勝を誰よりも喜んだのは晴香だった。所属選手がREAL出場にする事は、ジムにとって最高の栄誉だ。FAILYの名前が広く認知される事は間違いなく、多額のファイトマネーも期待でき経営的にも潤う。ジムの命運を達也に託した晴香の賭けは見事成功したのだった。
「達也くん、REAL本番も絶対に勝って頂戴ね。信じてるわよっ」
「任せといてください。誰が相手でもぶっ飛ばしてやりますから」
達也もまた、REALへの出場を決めてこれ以上ないほどに上機嫌だった。因縁の相手に完璧な形でリベンジを果たして気分は最高。誰が相手でも負ける気はしなかった。
そして数日後、本大会での対戦相手が通達された…のだが。
「ははあ、そう来ましたか…」
告げられた対戦相手の名前に、達也が何とも言えない反応を見せる。嬉しさとも驚きとも取れない、中途半端な反応を。
パク・チャンミン。28歳。国籍、大韓民国。3年前に行われた夏季オリンピック、テコンドーミドル級金メダリスト。
それが、5月28日に開催されるREALでの対戦相手として告げられた人物だった。
このパクという選手は、日本ではかなり名の知れた人物だった。というのも、3年前のオリンピック決勝で対戦したのが山本という日本人選手だったのだが、この試合の判定が非常に微妙なものとなり物議を醸したのだ。判定負けに納得できない山本陣営は猛抗議したが認められず、結局パクが金メダルを獲得。それだけでも遺恨が残るというのに、あろう事かパクは表彰式の後、授与されたばかりの金メダルを首から提げながら「竹島は韓国の領土」と韓国語で書かれたプラカードを掲げて試合会場を1周するというパフォーマンスを行ったのだ。
この下品極まりないパフォーマンスは日本のメディアでも繰り返し報じられる事となった。折りしもその頃の日韓関係は様々な問題を抱え冷え込んでいたのだが、この一連の出来事は日本人の対韓感情をさらに悪化させた。以降、日韓関係は改善の兆しの無いまま本日に到っており、今ではどの世代の日本人に世論調査をしてみても嫌いな国の第1位には韓国が挙がるといった状態になってしまっている。
そんな両国関係の悪化に一役買ったパクはオリンピック後にプロ転向し、現在はキックボクサーとして主にヨーロッパを中心に戦っている。成績も上々で欧州キックボクシング界の強豪選手の一人としての地位を確立しているだけでなく、これまでREALにも2度参戦し共に日本人選手を相手にKO勝利と、日本のファンにとっては何とも腹立たしい成績を残していた。
「いやあ、さすがREALって感じの対戦相手ですね」
達也は思う。これは今までの試合とは注目度がマジで桁違いだぞ、と。
「…いきなり大変な相手ね」
晴香が言う。達也くんはまだ若くてREALに出場するのも初めてなんだから、もっとプレッシャーのかからない楽な相手を用意して欲しかった、と。
ところが、達也の考えは全く違うようで。
「そうですか?俺は全然そう思いませんけど」
「でも、もし負けてしまった時には相当のリスクを覚悟しないといけないわ」
晴香が言う『リスク』は、REALのリングでパクに敗れた2人の日本人選手が既に体現していた。というのも、REALは演出にもとてもこだわる団体であり、かつてパクが参戦した2試合でも『日韓対決』『日本人にとってのリベンジマッチ』などのフレーズが多用され、ファンのナショナリズムを煽れるだけ煽ったのである。ファンは皆、日本人選手が憎きパクをKOするシーンを期待した。だが結果は無惨なKO負け。返り討ちに遭った2選手は『日本の恥』というレッテルを貼られ、世間から猛バッシングを受ける事になってしまったのだ。
もし達也がパクに敗れようものなら、前記の2人と同様に激しいバッシングに晒される事は火を見るよりも明らかだった。格闘家としての活動に支障をきたすであろう事は言うまでもなく、場合によってはまともな日常生活を送る事すら難しくなる…そんな事態だって考えられるのだ。
「まだ試合を正式に受けた訳じゃないから断る事もできるけど…」
パクとの試合を受ければ多額のファイトマネーが手に入りFAIRYとしては大いに潤うが、結果次第では達也という唯一無二の逸材を潰してしまうかもしれない。晴香にとっては、試合を受けるべきかどうかは簡単に決められる問題ではなかった。
だが、どうしても不安が先行してしまう晴香とは対照的に。
「晴香さん、大丈夫ですよ。ていうか、俺が負けると思ってるんですか?」
「そ、そんな事を思ってる訳じゃないけど…」
と言いつつも、やっぱり不安を隠せない晴香に。
達也は、自信満々に言い放った。
「こんな奴、むしろ普通にオイシイ相手でしょ」