5月28日。
国内最大の格闘技イベント、全てのファイターが憧れる夢の舞台、REAL開幕。
その幕開けとなった第1試合は、女子選手同士による総合格闘技ルールの試合だった。どちらの選手もまだ20歳前後と若く、ビジュアル的にも可愛らしい容姿だ。REALは女子選手を容姿で選定しているのではないかという噂があるが、それはあながち嘘じゃないのではと思わせるマッチメークだった。
試合は、実績的に不利と目されていた方の選手が終了間際に腕ひしぎ逆十字を極め、見事に一本勝ちを収めた。第1試合から早くも番狂わせ、この日の嵐を予感させる波乱の幕開けだった。
前半戦は試合時間が短めに設定されている試合が多く、順調に進んでいった。際どい判定があり、逆に壮絶なKO決着もあった。その度に超満員の会場が沸き、興奮は徐々に高まっていった。
そして第9試合、ついに本日最大の注目と言うべき試合がやってきた。達也が国民の期待を一身に背負って、四角いリングに上がる時が。
小野達也vsパク・チャンミン。まだこの後にも3試合を残しているが、実質的にはメインとも言える一戦である。事実、数日後に判明したテレビ中継の視聴率は、この試合が最も高かった。
この時、テレビの放送では視聴者の心を煽る映像がこれでもかと流されていた。試合直前の選手紹介VTRではオリンピックでの疑惑のシーンやかつてパクがREALのリングで日本人選手をKOしたシーンを振り返るだけでなく、パクのこれまでの挑発的な発言、さらには野球やサッカーなど他の競技での日韓戦における印象的なシーン等がいくつも流された。一方、達也の紹介VTRでは、高校時代に空手で圧倒的な成績を収めている事と、プロ転向後いまだ全試合KO勝利を続けている期待の若手選手である事が強調して紹介された。前日会見での強気な発言は編集が間に合わずVTRには組み込まれなかったが、それでも「金メダリストvs期待の若手」「空手vsテコンドー」「日本vs韓国」「日本人にとってのリベンジマッチ」と、視聴者の感情移入を誘う対立軸が強烈に強調されていた。
加えてテレビ中継の画面では、リングに日の丸と太極旗がデザインされているように見えるCG加工がなされていた。ちょうど前の試合が日本人選手とアメリカ人選手の試合だったがそのような加工はなされていなかったのだから、まさしく因縁の日韓戦という構図を煽るための仕掛けである。
国歌斉唱。達也は胸に手を当てながら目を閉じ、君が代を小さく口ずさむ。
荘厳な音楽に心を委ねるようにして、精神を集中させる。……勝つ。絶対に勝つ。国民の期待に応えてみせる。そして充希を――
演奏が終わって、拍手と歓声が巻き起こる。目を開け、キッと相手を睨みつけて。
そしてついに、ゴングが鳴る。
3分5ラウンド、運命の15分間が始まる。
だが、先に結末を少しだけ述べると。
決着には、そんなに長い時間を要さなかった。
割れんばかりの歓声とは対照的に、試合の立ち上がりは静かだった。両者共に相手の出方を探るような立ち上がり。踏み込まず、距離を取って遠目からジャブを交わす。
普段の達也なら自ら仕掛ける所だが、さすがに今回ばかりは慎重に相手の様子を窺った。デビュー以来全ての試合で1ラウンドKOを続けているが、そんな記録の継続は眼中にも無かった。それどころかむしろ、連続1ラウンドKO勝利という記録をちょっとした重荷にすら感じていた。だからまずは静かに1ラウンドを消化して記録をわざと途切れさせよう、そうする事で2ラウンド以降を冷静に戦える…そんな展開を描いていた。
慌てずに、冷静に戦う。何より怖いのは、ハイキック等の致命的な一撃をもらってしまう事。特にテコンドーをバックボーンに持つパクは蹴り技が得意だから十分注意しないと…そう警戒しながら、達也はしっかりと距離を取って対峙する。
そうこうする内に、早くも試合開始1分が経過した。ここまではお互いにダメージの無い、静かな展開だ。それは達也にとっては思い描いていた展開でもあった。やっぱり向こうも慎重になるよな…と達也は間合いを測りながら相手の精神をも図る。
試合開始1分20秒過ぎ、達也はこの試合初めてハイキックを打ってみる事にした。空手家時代から数え切れないほどのライバルたちをKOしてきた、達也の必殺技だ。とはいえ今回は、決してダメージを与える事を目的としてハイキックを打とうとした訳ではなかった。言わば牽制、飛び道具を見せておく事で相手に警戒心を持たせておこう、という程度の。
だが、普段ならフィニッシュを狙って繰り出すハイキックをジャブ代わりに用いた事自体が、ある種の隙でもあった。
パクは、その瞬間を虎視眈々と狙っていた。
達也の右足が大きく上がった瞬間に合わせるように距離を詰め、大振りの右を繰り出す。
「なっ…」
それは達也がほとんど想定していなかったカウンターだった。しかも片足立ちの不安定極まりない体勢では、避けきる事は難しく。
「ぐっ……!!!」
パァンッッ!と乾いた音が響いて達也の顔がのけぞる。プロになって初めての、まともな被弾だった。衝撃で口の中が切れ、血の味がじわっと舌に乗る。
しかし、このクリーンヒットは、始まりに過ぎなかった。
連打を避けるよう、達也が咄嗟に顔面を両手で覆う。しかしその反射的行動もまた、パクの読み通りで。
両手は顔面をガードしている…つまりはがら空きとなったボディを狙うように、パクの2発目が飛んできて…
―――ドンッッッ!!!!!
「かはっっ………!!」
顔面への打撃でガードを上げさせてからの、ボディへの強烈な一撃。見事な、教科書通りの上下へのコンビネーションに、達也の口が開いた。
そしてそのまま、力無くその場に崩れ落ちた。
「くぁぁぁっ…あぁぁぁっ…」
腹部を両手で押さえながら、苦悶の表情でうずくまる達也。その様子を、パクが勝ち誇った表情で見下ろす。
たった2発でのダウン。しかも、10カウントで立ち上がる事が難しそうなのは誰の目にも明らかな、確かなダメージの伴うダウン。
悪夢のような光景に会場が…いや、日本中が凍り付いた。