―西都大学キャンパス:達也―
「よお充希…って、えぇっ?」
俺が声を掛けた瞬間。
充希はさささっ、と逃げるように小走りで立ち去ってしまった。
「…何で?」
全く訳が分からなかったけど、とりあえず追いかける。
すると充希が向かったのは、西都大学が誇る10階建ての学術情報資料館(要は図書館ね)の地下1階という、俺が1度も足を踏み入れた事のない場所だった。
周囲に学生の姿はない。大量の本に囲まれた静かな場所にひっそりと佇むように用意された長机、その一席に腰掛けた充希は。
「で、どうしたの、達也?」
「いや…どうしたの?じゃなくてさ」
何事もなかったかのような表情をしれっと向けてるけど。
…あからさまに、俺から逃げたよね?
ひょっとして避けられてる?まさかさっきの場所で他の男と待ち合わせしてたとか…?みたいな心配が頭の中を駆け巡るけど。
「だって、達也と一緒にいるとこ誰かに見られたら面倒じゃない」
と、充希の弁。
実は俺と充希が付き合っている事は、周囲には誰にも言ってない。というのも充希と付き合うと同時に俺が全国的な有名人になってしまったものだから、付き合ってるとあまり言いふらさない方がいいんじゃないか、という話になったのだ。
俺としては交際を堂々と公言したい気持ちが強かったんだけど、充希がどうしても秘密にしておきたいと言うから仕方ない。まあ、実際に俺の人物像を取材しようとメディアの関係者らしい連中が大学まで取材に来たなんて話もちらっと聞いたりしたから、充希が俺と付き合ってるって事がバレると怖い目に遭うんじゃないかと感じるのも凄くよく分かる。
そんなこんなで、大学で充希と話す時はあまり目立たないようにってのを心がけなきゃいけないという、寂しいキャンパスライフを余儀なくされていて。
「でも、こんな所まで来る事はない気もするんだけど」
ちなみに、充希を見つけた場所から図書資料館までおよそ200m。ちょっとしたジョギングに付き合わされた感覚だ。
それに、こんな人気(ひとけ)のない所で密会してるのをもし見られたら、その方が変な噂が立つ気もするけど…
「達也は自分がどれだけ人気者か分かってないの」
ピシャリと言われて、俺の負け。
「というか何しに来たのよ。最近全然顔出してなかったんじゃないの?」
「何しにって、俺、れっきとした西都大生なんですけど…」
まあ確かに、最近は大晦日に向けたトレーニングに本腰を入れてるから、大学の方はそっちのけになってしまってるのは事実だけど。
「最低でも週に1回ぐらいは充希に会っとかないと精神が持たないし」
「……」
充希が顔をしかめる。
…え、今のでも怒られるの?
「ま、まあ、出席だけで単位取れそうな講義はやっぱ取っておこうかなと。留年はカッコ悪いじゃん」
「出席だけで単位取ろうっていうのも十分カッコ悪いけどね」
…ド正論。
「というか、メールでもくれれば出席ぐらい私が代わりに取っててあげるわよ」
「お、マジで?」
ちょっと信じられない一言だった。マジメが取り柄の充希の口からこんな言葉が出てくる日が来ようとは…
とはいえ、付き合い始めてぐらいから充希は優しくなった…というか丸くなったように思うのも確かだった。一時期貸してくれなかったノートもまた貸してくれるようになったし。
ひょっとしたら、ようやく俺を見直してくれたのかな…なんて思ったりして。
「それより、大晦日の試合はどうなったの?」
「ああ…」
突然、話を変えられる。
「試合するかしないかまだ決まってないって言ってたけど」
「まだ決まってないけど、ほぼ確実に試合をする事になると思う」
「それはやっぱりREALで?」
「もちろん」
「そうなんだ、凄いね…」
「まあ、まだ確実に決まった訳じゃないけどな」
とはいえ、大晦日の試合はほぼ決まったも同然だった。
あとは金田サイドが、俺が出した『ある条件』を吞むかどうかだけで。
「相手はもう決まってるの?」
「ん…」
どう言おうか、迷う。
なぜなら、金田悠希という名前を出したら、きっと充希は不安になるだろうから。
「まあ、ほぼ決まってるんだけど、契約上誰にも言っちゃいけない事になってるから」
「そう…」
「あ、いや、別に充希が誰かに言いふらすとか思ってる訳じゃないぞ。ただ、ほら、やっぱそこはプロとして公私混同しちゃいけないっていうか…」
「うん、分かってる。ゴメンね」
…マズい、無駄に変な空気にしちゃったな。
「まあ、どうせ近い内に発表されるから、嫌でもすぐに知る事になるって」
「うん、楽しみにしてるよ」
…楽しみにしてる、か。
あんまり楽しみにして欲しい相手じゃないんだけどなあ…
「まあ、試合の方はそんな所でさ」
今度は俺から話題を変える。
「今日放課後、空いてる?」
「どうしたの急に?」
「いや、一緒にご飯でも行けたらなと思って」
「…練習は?」
「たまには体を休めるのも必要だからな。息抜きも兼ねてデートしたいな、なんて」
「私とのデートは練習の息抜きついでなんだ」
「間違った。充希とデートしたいから今日は練習をサボる」
「……」
充希が度々見せる、自分のターンでの不意の沈黙。
不機嫌そうな表情が伴ってる事が多いけど、今回は決してそうではなくて。
「高いフレンチとか行ってみようぜ。おかげさまでファイトマネーはそこそこ貰ってるし」
と、畳みかけるようにもう一枚カードを切った、その時。
「…ん?」
ポケットの中でスマホがブルブルと震える振動音が、静かな空間に響いた。
「メール?」
「みたいだな」
「確認したら?大事なメールかもしれないし」
「悪い」
電話じゃなくてメールの時点で緊急性なんて皆無なんだけどな…そう思いつつ、スマホを取り出してメールを確認する。
発信元は、晴香さんだった。
そして、その内容は…
「…なるほど」
要約すると……大晦日の試合、正式に決定。
明日、契約書にサインする事になるから、内容を今晩一緒に確認できないか――
「ゴメン、充希。ちょっと急用ができた」
「…そう」
「だから…その、さっきの話、やっぱ無かった事に…」
「……」
また少しの無言。今度は、全くの無表情で。
「無かった事も何も、そもそも私は元から行くなんて言ってないじゃない」
「ゴメン。ホントマジでゴメン。この埋め合わせは絶対にするから」
「だから、達也は別に穴なんか開けてないって」
「…あ、あと今日の4限目の金融論の講義、俺の出席も頼むな」
「はいはい」
「恩に着る!じゃあまたな!」
充希とデートできなかったのは残念だったけど、仕方がなかった。
大晦日は、細かいルールが勝敗を分けるような、紙一重の試合になるから。
だから試合のルールは、隅から隅までしっかりと確認しておかなきゃならないから。
………………………………………
「………はあ」
大量の本に囲まれた静かな静かな空間に、とっても大きなため息が漏れた。
それはそれは、恐ろしいほどの不機嫌さに満ち溢れたため息だった。
ギュッと歯を食いしばって。目の前にある長机を蹴り上げたい衝動を抑えて。
ふうっ、と気持ちを落ち着けるような深呼吸の音が小さく聞こえた直後。
充希が、ぽつりと呟いた。
「誰があんたの出席なんか取るか…っ」
自分、こういうほのぼのとした回が好きなんです