2月某日。
とあるカラオケルームに、人の姿が二つ。
「ふう…」
男が、ひとつ息をついた。孤独を携えたような、静かなため息を。
「はあ……」
もうひとつ、男が息をついた。どこか疲労感の入り混じる、重いため息を。
「ふう…はあぁぁ……」
またまた、男がため息をついた。まるで深呼吸のようにも思える、深いため息を…
「って、何疲れた顔してんのよっ!」
いつになく元気がない(ように見える)彼氏に喝を入れるように充希が言った。そのツッコミとタイミングを合わせるようにように、ポップなアニソンがタイミング良く部屋に流れ始める。♪こっちのが~アツイよワッショイ!!と…
「そりゃ疲れるっての。死にそうな程忙しいんだぜ」
「じゃあ家に帰って寝てたらいいじゃない。私だって暇じゃないんだから」
「冷たい事言うなあ…」
まあ、達也ほどではないとはいえ、充希は充希で忙しいというのはその通りだったりする。というのも就活シーズンがついに始まってしまい、最近は毎日のように企業の説明会や就活関連イベントを歩き回っているのだ。
「で、何なのよ。こんな所に呼び出して」
「いや、場所はどこでも良かったんだけど」
そう、別にカラオケでなくても、顔の差さない個室ならどこでも良くて。
「充希、あけましておめでとう」
「…は?」
「いや、今年初めて会うだろ。だからちゃんと新年の挨拶しとかないと」
「はいはい、あけましておめでとうございます」
もう2月も後半なのだが、2人が顔を合わせるのは何とこれが今年初めてだった。同じ大学に通う恋人同士だというのに2か月近くも会えていないという事実が、お互いの忙しさを如実に表していた。
「で、何の用なのよ?」
「いや、別にこれといって特別な用は無いけど」
「はい?」
「用も無く彼女に会いたくなったらダメなん?」
「ん…」
思いもかけない一言に、充希は照れくさそうに。
「…達也もたまにはいい事言うじゃない」
「まあ、用があるっちゃあるんだけど」
「あんのか!!」
「え…あったらダメだった?」
充希の強い口調に達也は幾分たじろぎながら。
「突然だけどさ、俺、ちょっとカッコ良すぎるだろ?」
「は…?」
「だって今や俺、みんなから愛されるヒーローだぜ?そこらのアイドルなんかよりも余裕で俺の方がモテるじゃん?」
「達也…今自分がとってもイタい事言ってるの分かってる?」
呆れた表情の充希。だが達也が言っている事はあながち嘘でもなかった。現在の達也の人気は凄まじく、若い女の子からの人気はトップアイドルをも凌駕してしまっている。例えば先週発売の某週刊誌が掲載した「女子高生3000人に聞いた、彼氏にしたい有名人ランキング」では、ジャニーズアイドルや若手イケメン俳優を抑えて達也は堂々の1位、しかも2位に大差を付けてぶっちぎりの1位だった。
ちなみに、同じ週刊誌に掲載された「男子高校生に聞いた、なりたい顔ランキング」でも、達也はやっぱり1位だった。しかも、やっぱり2位に大差をつけて。やっぱり人気を得るには、実力だけではなく顔もめちゃくちゃ重要な要素だという事だ。
「充希は日本中の女の子が彼氏にしたいと思ってる男と付き合えてるんだぞ。もっと喜ばないと」
「もう黙った方がいいよ。ホントにイタ過ぎだから」
「でも、人気者には人気者の苦労もあるんだよなあ」
そう言って達也は自らのカバンを開けて。
「ほら、これ見てくれよ」
「は?」
中から現れたのは、カバンをぎっしりと埋め尽くすチョコレートだった。
2月の半ばという時期を考えれば、その入手経路は説明するまでもなくて。
「言っとくけど、これでもジムに送られてきた数十分の一なんだぜ。しかもいまだに大量に届くっていうんだから、食べきれる訳ないっつーの」
「へー、良かったじゃん。しばらく食事には困らないね」
だが、大量のチョコレートを見せ付けられた充希は、どこか冷めた顔で。
「で、これがどうしたの?さっきからモテアピールして楽しい?」
「…怒ってる?」
「怒ってない!」
いや絶対怒ってるじゃん、と達也は思いつつ。
「いや、実は好きなだけ充希にあげようと思って」
「は?私に?」
「俺一人じゃ食べきれる訳ないから」
「私と二人でも食べきれる訳ないでしょっ」
「まあ、そりゃそうなんだけど…」
こりゃ機嫌損ねたかな…そう思いながら達也がそっとカバンを引っ込めようとすると。
「分かったわよ、私もいくつか貰ってあげる。彼女だし…仕方ないし…」
「仕方ない?」
「彼氏がバレンタインで貰ってきたチョコレートを食べる系女子になってあげるって言ってるのっ」
「…何じゃそりゃ」
「しょうがないじゃない、達也だけじゃ食べきれないんでしょ」
「別に無理に貰ってくれなくてもいいんだぞ。どこかの施設にでも寄付するし…」
「いいから貸してっ」
「お、おいっ」
充希がカバンをひったくるように奪い取って、チョコレートを自らのバッグへと入れ替える。
その様子を見て達也は思った。何だかんだ言いながら結構取るじゃねーか…と
結局充希は、自身のバッグをチョコレートで溢れさせてから、カバンを達也に返した。
「それで、チョコレートをくれるっていうのが今日の本題?」
「いや、これはどっちかっていうとツカミであってだな」
「ツカミって、いつからそんな芸人みたいな言葉使うようになったのよ」
「就活の調子、どうなのかなと思って」
「え…?」
「いや、最近はあまり電話もできてないじゃん。だから心配になってさ」
「心配って、保護者じゃないんだから」
そう言いながら、充希は小さくため息をついて。
「まだ本格的には始まってないから、何とも言えないよ」
「やっぱ大手を狙ってんのか?」
「というより、商社関係を中心に回ってる感じかな」
「そっか。充希は昔から、グローバルな仕事がしたいって言ってたもんなあ」
昔を思い出すように達也が言う。海外で仕事してみたいとも言ってたっけ…と。
「でも、今の所は俺の方がグローバルに活躍してるかな。何たってもうタイ・ベトナム・フィリピン・インドネシア・アメリカ・韓国と6か国の人物と仕事したからな」
「仕事って、ただ試合しただけじゃないの」
実は種付けでは台湾の女性とも絡んだ経験のある達也だったが、そんな事は言わずに。
「まあ、冗談はさておき」
達也はぽんと充希の肩を叩いて。
「充希なら絶対うまくいくから、気楽にやればいいと思うぞ」
「はあ…いいよね、就活しない人は気楽で」
「あのな、俺がどれだけのプレッシャーを抱えて大晦日の試合に臨んだと思ってんだ」
「ん…」
達也の言葉に、充希がちょっとバツが悪そうな顔をする。
それを見た達也も、逆に「しまった…」と思いながら。
「あ、いや…就活はまた違うプレッシャーあるよな。それこそ人生かかってるし」
「はあ、達也を見てたら自分がどんどん情けなくなっちゃうよ…」
と、充希が小さくため息をついて。
「あーあ、達也がとても遠い所に行っちゃった気がする」
「何言ってんだよ、ここにいるじゃん」
「あ、そういえばさ」
ふと何かを思い出したように、充希が聞いた。
「大晦日の試合、何で靴履いてたの?」
「…よく気付くなそんな事」
「気付くよ。だって達也の試合はいつも見てるから」
「充希って昔から、友達が髪切ってきたらすぐに気付くタイプだったもんな」
でもさすが充希だな…と達也は思う。いくら毎試合見てくれてるったって、シューズの有無なんてまず気にしないだろ…と。
「実はあの試合は、シューズを履くように俺から申し入れた」
「何で?足取られても簡単に倒れないようにするため?」
「まあ、それも少しはあるんだけど」
さすがの充希でも分かる訳ないか、と達也は思いつつ。
「充希は、あの膝蹴りは狙い通りか偶然かどっちだと思う?」
「狙った」
「……」
まさかの即答に、達也は一瞬言葉を失って。
「…ど、どうして偶然じゃないと思うんだ?」
「だって達也は入念に準備するタイプだから、あんな大事な試合でノープランだったなんて考えられない」
「…ふむ」
さすが俺の事をよく分かってらっしゃると、達也はちょっぴり感心しながら。
「あの試合、金田が低いタックルに来るのは分かってた。打撃じゃ圧倒的に俺に分があるからな」
「うん」
「でも試合終了までずっとタックルをかわしきるのは無理って事も分かってたし、タックルに捕まったら俺の負けって事も分かってた」
「捕まったら、やっぱり達也でも勝てないの?」
「残念ながらな。となると俺が勝負をかけるのは、金田がタックルに来る一瞬しかない」
「…そうだね」
「だから俺は、金田の1回目のタックルは敢えて迎え撃たずに避けたんだ。金田が左右どっちの足に、どのくらいの高さでタックルに来るか確認したかったからな」
「そこまで考えてたんだ…」
「野球で言うなら、1球目は見逃して2球目をジャストミートしたって所かな」
「その作戦は分かったけど、靴はどこに関係あるの?」
「充希なら、靴履いてるのと裸足と、どっちの方が勢いよくタックルできると思う?もしくはどっちの方が下半身を踏ん張って膝蹴りできると思う?」
「……なるほど」
そう、ややもすれば偶然にも見えるあの膝蹴りは、緻密な計画によって組み立てた積み木の最上段。
シューズの着用も、前日会見での発言も、試合開始早々のジャブの連打も、1度目のタックルをかわしたのも。
全ては、相手を自分の望む方向に動かすため…より速く正確なタックルを引き出すために撒いた餌だったのだと、達也は告げて。
「言っとくけど、ここまで教えてやったのは充希だけだぜ」
「そうだったんだ…何て言うか…凄いね…」
「お、ようやく充希も俺の凄さに気付いた?」
鼻高々の達也に、充希はうんと頷いて。
「いつもヘラヘラしてるくせに実はそんな事考えてるのが凄い…」
「…何じゃそりゃ」
一転、ガクッと転びそうになる達也。
「ま、まあ…何にしても大晦日の試合のおかげでたっぷりファイトマネーも手に入ったし…だから金で困ったら遠慮なく俺に言えよ」
「何、突然のお金持ちアピール」
「彼氏が彼女に金出すのは当然だろ?それに就活は金がかかるって話だし」
という達也の言葉に、充希は少しばかり寂しそうに天井を見上げて。
「大丈夫、今の所お金には特に困ってないから」
「俺としては充希が困ってるかどうかに関係なく出してあげたかったりするんだけど…」
「気持ちだけ受け取っとく」
と、軽く受け流して。
「でもありがと。何だか元気出た気がするよ」
「お、そりゃ良かった」
「うん、私も達也みたいに頑張らなきゃいけないなーって思ったよ」