―充希―
足を棒にして説明会や面接を歩き回った甲斐あって、いくつかの企業から内定を頂く事ができた。
でも、せっかく複数の企業から内定を頂いても、1社を除いて残りは辞退する事になる。
内定を辞退しない企業…つまりは来春からの勤め先は、東紅(とうべに)商事に決めた。
日本を代表する五大総合商社の一つ。社員の平均給与は30代前半でも1000万円を超え、就職先として学生からの人気も高い。
私としても、就職活動を始めた当初から第一希望グループだった企業だ。だから内定が出た時は、素直に嬉しかった。
「よく分からないけど、東紅って凄いデカい企業なんだろ?凄いじゃん!さすが充希だよなあ」
就職先が無事に決まった事を電話で告げると、達也はまるで自分の事のように喜んでくれた。凄い、さすがだと、これ以上ないくらいに褒めてくれた。
もちろん嬉しかった。でも、正直言って、恥ずかしさの方が大きかった。
だって達也は、私よりもずっと凄い事を成し遂げ続けているから。
達也は今や『時の人』だ。子どもからお年寄りまで、みんな達也が大好き。誰からも愛されるスーパースター、それが達也だ。
そんなスーパースターに、ただ就職活動を終えただけで凄いと言われるのが、恥ずかしい。
思えば達也は、昔から私の事を凄い凄いと言ってくれていた。ピアノが弾けて凄い、速く泳げて凄い、100点ばっかり取ってホントに凄い、と。ピアノも水泳も単に習ってたからに過ぎないし、成績にしても…まあ、成績はそこそこ良かった方かもしれないけど。
でも今は、私が達也に褒められるのなんて、全くのお門違いで。
達也は、私なんか及びもつかない、とても高い所に行っちゃったから。
「じゃあさ、近い内に2人で充希の就職記念パーティーしようぜ」
「え…?」
「最近全然会えてないじゃん。でもこれからはまた普通に会えるようになるだろ?」
達也とは、もう暫く会えていない。私は就職活動で忙しかったし、達也は格闘技とか芸能活動とかで私以上に忙しいから…あと種付けも。
でも、仕方ない。
達也はもう、私とは活躍するステージが違う人になっちゃったから。
「前に充希と会ったのってマジでいつだっけ?」
達也がそんな事を聞いてくる。本当にいつだっただろう、思い出せない。
「私は毎日達也を見てるけどね。テレビで」
「はは、就活で忙しい時にウザかっただろ」
どうしてだろう、あんなに近くにいたはずの達也が。
今はもう、とても遠い所に行っちゃったような気がして…
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REAL8月大会の対戦カードが発表された。
REALは真夏の8月に開催するイベントを大晦日に次ぐ規模の大会と位置付けており、例年注目の試合が多く組まれる。だが今年の対戦カードには、本来主役となるべき人物の名前が含まれていなかった。
達也が不出場となった理由は、端的に言うと条件面で折り合えなかったからである。現在の格闘技の主流は総合格闘技であり、REALとしては達也に総合格闘技ルールで試合をして欲しいという希望が強かった。
だが、それに待ったをかけたのがFAILYだった。
FAILYにとって、達也は他の何にも代えられない宝物のような存在。ジムの名声を高め、莫大なファイトマネーをもたらしてくれる唯一無二の存在なのだ。達也を勝たせる事、言い換えれば達也を負けさせない事がFAILYにとって最も重要な命題であり、達也を総合格闘技のリングに上げるのはリスクが高いと考えるのは至極当然の判断だった。
結局折り合えないまま、達也はREAL8月大会の出場を見送る事になった。だが達也は、正直に言うと不出場となった事を喜んでいた。なぜならこの頃の達也はルール云々以前に、格闘技に対して気持ちがあまり向いていなかったのである。
だがそれも無理はない。今の達也は、国民的ヒーローという地位と一生困らないほどのお金を得てしまったのだから。元々「最強の男になりたい」のような目標があった訳じゃない達也にとって、今の地位はもう十分過ぎるほどに十分な高みにあるのだ。だから次の試合に向けて厳しい練習を重ねようという気が湧いてこないのも仕方がなかった。
まあ、言ってしまえば典型的な燃え尽き症候群だ。とはいえそんな精神状態で試合から遠ざかったままでは、本当に格闘技から気持ちが離れてしまう。それを避けるためにも、達也は9月1日に開催される『knock out』に出場する事になった。達也にとってはかつて主戦場としていた大会に、およそ1年半ぶりの凱旋である。
ちなみに、ファイトマネーはREALの数百分の一だった。だがこの試合に関しては達也のモチベーションを繋ぎ止めるための調整試合という意味合いが強く、また達也にとっては自身が駆け出しの頃にお世話になった『knock out』に恩返ししたいという気持ちもあり、ファイトマネーなど本当にどうでも良かった。
スーパースターが超格安ファイトマネーで参戦してくれるとあって『knock out』は歓喜した。そして、このチャンスを逃すまいと達也の出場をこれでもかと宣伝した。提携している動画サイトも、当日の全試合を無料放送とする事を決めた。
そして注目の達也の相手は、何とつい先日17歳になったばかりという現役の高校生に決まった。名前は松岡京介、今年の7月に『knock out』が独自に開催した『キックボクシング甲子園』という大会で優勝した期待の若手である。
大抜擢の人選だった。だが決して奇抜ではなく、考えられた人選であるとも言えた。現状『knock out』全体を見渡してみても、達也と互角に戦えそうな選手は存在しない。そこで白羽の矢がたったのが若手選手だった。若手の有望選手を達也に挑戦させるという構図をつくり、ファンの注目を引こうと考えたのである。
試合の前日会見、達也に挑戦する事になった松岡は「自分のような未熟な選手が小野選手のようなレジェンドと試合ができるなんて夢のようです」「小野選手の胸を借りるつもりで思いっきりぶつかりたいです」と謙虚な発言を繰り返した。だがインタビューで何より印象的だったのは発言の内容よりも、松岡がガチガチに緊張してしまって嚙みまくりで何を言ってるのかよく聞き取れなかった事だった。これには隣で聞いていた達也も、思わず苦笑してしまうほどだった。
しかし、松岡が緊張してしまうのも無理はなかった。というのも、彼は達也を心から尊敬し、憧れていたのだ。その証拠に『knock out』の公式ホームページにある松岡のプロフィール欄を見てみると、尊敬する選手は『小野達也』となっている。達也のように強くなりたい、いつの日か達也のようなスーパースターになりたい…その一心で毎日必死に練習を重ねていた。
対してスーパースターの達也はさすがに慣れたもので「自分はまだレジェンドって言われるような歳でもないと思ってるんですけど…」と報道陣を笑わせながら、「自分より年下の選手と試合するのは初めてなんでちょっとやり辛さはありますけど、見てくれる人に楽しいと思ってもらえるような試合にしたいと思います」と模範的なコメントで会見を締めくくった。
試合当日、会場は超満員だった。チケットが売り切れたのは『knock out』史上初めての事だからそれだけでも凄いのだが、観客席の光景はもっと凄かった。というのも、あちらこちらに若い女性だらけなのである。達也を応援する手作りのボードや横断幕も客席のあちらこちらに掲げられたその様子は、格闘技の会場というよりまるでアイドルのコンサート会場のような雰囲気。達也人気の凄まじさをまざまざと見せつける光景だった。
そんな異様な雰囲気の中で試合は進んでゆき、客席は普段とは全く違う盛り上がりを見せた。達也効果は抜群で、興行的には『knock out』史に残る大成功を収める事はほぼ間違いなかった。
ただ、そんな大盛況の裏で、人知れず『knock out』の関係者は慌てふためいていた。
この日の主役、達也が待てど暮らせど会場に姿を現さないのである。
もし試合時間になっても達也が現れなければ、イベントは一転して大失敗…それどころか暴動が起きるかもしれない。スタッフは達也と連絡を取ろうと何度も電話を試みたが決まって不通、そうこうする間にも試合は進行し続けた。
実は、この時。
信じられない事に、達也は種付けの真っ最中だった。