※この作品はR-18です。

種付けファイター達也くん   作:minnie_remon

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7-9 連覇へ向けて ~調整試合~

 12月の初旬に開催された『knock out』。その第1試合は「スペシャルワンマッチ」と銘打たれ、『knock out』の全試合を中継する筈の動画サイトでも放送されない、会場に足を運んだ観客にのみ提供される文字通り特別な試合であるという事が同団体のホームページ上にて発表された。つまりは第1試合にネット配信無しのスペシャルな試合を行うから、ファンの皆さんぜひ会場に足を運んでくださいね、という宣伝である。この時点で対戦カードは伏せられたままだった。

 しかし、元より集客力の乏しい『knock out』がその程度の告知を行った所で、観客が増える訳もない。当日の客入りは普段と全く変わらなかった。つまりはガラガラである。

 だが、スペシャルワンマッチに達也が現れた瞬間、少ない筈の観客から大きなどよめきが起こった。誰も想像していなかったスーパースターの電撃参戦、達也が『knock out』のリングに上がるのは松岡京介戦以来実に2年3か月ぶりの事である。

 実は、達也の出場が最後まで伏せられしかも動画配信も無かったのは『knock out』が仕掛けた戦略ではなく、達也自身の強い希望によるものだった。言うまでもなく『knock out』は達也の出場を大々的に宣伝したかったのだが、達也としてはむしろこの試合をできるだけ目立たないように行いたかったという意向を持っていたのだ。

 なぜなら、この試合は達也にとってはあくまで大晦日に備えた調整試合であり、大勢の観客に見せるようなものではないと思っていたのだ。もっと言えば…言葉は悪いかもしれないが…見せる価値の無い試合である、と。

 この試合の目的が達也の調整だというのは、試合のルールが1ラウンド:キックボクシング(3分)、2ラウンド:総合格闘技(5分)というミックスルールで行われる事からも明らかだった。『knock out』はあくまでキックボクシング団体であり、これまで総合格闘技の試合を行った事は一度もない。しかも達也は、対戦相手の選定に関しても『knock out』運営に自身の希望を伝えていた。「体格が自分と同等以上で、総合格闘技の経験に乏しい選手」というのが達也の希望だった。体格はともかく総合格闘技経験の乏しい相手を希望するのは達也らしくないようにも思えるが、これもまた、この日の試合を完全な調整試合と位置付けている事の証左だった。いずれにしても一方の出場者が主催者に対戦相手の希望を伝えるなど前代未聞で、まさに何から何まで達也のために組まれた試合と言えた。

 しかし『knock out』としては、達也の参戦希望を断るという選択肢は無い。達也の望むような条件を満たす選手を見つけ出し、この日のスペシャルワンマッチが実現した。

 達也の相手を務めるのは、中堅のプロレス団体に所属する覆面レスラーだった。「ミスターM」というリングネームで活動しておりこの日もそのようにコールされたが、客席の中にその名前を聞いた事のある者は皆無だった

 そして達也の名前がコールされる。観客は拍手を送りながらも、まだ半信半疑といった雰囲気だった。本当にあの小野達也なのか…と。

 両者がリングの中央で向かい合う。

 体重はミスターMの方が10kg近く重かった。だが不思議な事に、体が大きく逞しく見えるのは達也の方だった。そう見えるのは達也の長い足と腰の位置の高さも要因としてあるのかもしれないが、何より全身を覆う筋肉の付き方が全く違った。ミスターMはいかにもレスラー体型だったが、達也の肉体は格闘マンガのキャラクターのように鍛え抜かれており、美しさを通り越して恐ろしさすら携えている程だった。まだ試合は始まっていないというのに、どちらが強いのか、どちらが男として「格上」なのかはその肉体を見比べただけで誰の目にも明らかだった。実際にミスターMも、後のインタビューで達也と向かい合ったこの時の心境を次のように述懐している。

「小野選手の体を間近で見た瞬間に、これは勝てないと思いました。どうやって鍛えればこんな体になるのだろうかと。自分は今からこんな化け物と戦わなければならないのかと思うと、正直めちゃくちゃ怖かったですよ…」

 

 そして開始のゴングの後にリング上で繰り広げられた光景も、この試合は達也にとって調整に過ぎないという事がハッキリと分かるものだった。

 第1ラウンドはキックボクシングルールだが、達也はほとんど手を出さなかった。ミスターMの正体は達也にも明かされていなかったが、彼が打撃系の選手でない事は繰り出される攻撃を見てすぐに分かった。その技術は拙く、構えも未熟。達也がその気を出せばあっという間に眠らせる事は簡単だった。

 だが達也は、徹底して手を出さなかった。ミスターMの攻撃をかわし、いなし、ガードする。

 そしてそのまま、第1ラウンド終了のゴングが鳴り響いた。

 達也がこの第1ラウンドでテーマとしていたのは、相手の打撃を見切るという事だった。相手がボクサーやキックボクサーといった打撃系の選手でない事はすぐに分かったが、そういった選手の打撃の方が逆にパンチの軌道や打ち出しのタイミングが不規則で避けにくいという事もある。実際この試合でも、ミスターMの繰り出す攻撃はかなり不規則だった。

 しかし達也は、その全てを難なく見切ってみせた。被弾はゼロ、まず最初のミッションは完了である。

 そして次はいよいよ、自分の今の実力を確認するラウンドだ。

 ルールが総合格闘技となる第2ラウンド、開始早々にミスターMは果敢にタックルを仕掛けてきた。ミスターMは打撃に全く不慣れな上に試合前に達也の恐るべき肉体を目の当たりにして、第1ラウンドでKO負けしてしまう事を半分覚悟していた。だがその第1ラウンドで、達也は全く攻めて来なかった。この流れなら、グラウンドに持ち込む事さえできればもしかしたら大金星も有り得るんじゃないか…そう思い俄然元気を取り戻していたのだ。

 しかし達也は、そんなミスターMの思惑を察知していたかのように、いとも簡単にタックルを切る。さらに第1ラウンドとは打って変わって鋭くシャープな打撃を見せ、じりじりと追い込んでいく。

 そして、ガードが下がった瞬間を見計らって…

 

 ――ズドンッッッ!!!

 

 超速の勢いで繰り出されたハイキックが、覆面の上から正確に顎を打ち抜いた。その瞬間にミスターMの意識は途切れ、その場に崩れ落ちた。もちろん、達也は倒れたミスターMに追撃を加えようとはしなかった。

 試合はあまりにもアッサリと終わった。結果こそ2ラウンド2分台の決着だったが、実際は秒殺。達也のキャリアにとっては特に意味のない試合、プロデビュー以来の連勝記録と連続KO勝利記録が31から32に伸びた、ただそれだけである。

 だが、調整試合としての意味は確実に有った。自分の現在地をハッキリと確認する事ができたし、何より狙い通りにハイキック一撃でKOできたのは大きな収穫だった。スパーリングでは相手にハイキックを全力で打ち込むような事はさすがにできない。この日の最大のテーマとして達也が掲げていたのは、ハイキック一撃で相手を失神させるという自身の必殺技の威力とその感覚を再確認する事だったのだ。

 そういう意味においては、この日はローキックを全く打たずにいきなりハイキックでKOしたのも当初の予定通りだった。ローキックは相手に無用の苦痛を与えてしまう。この日の相手の正体は知らされていなかったが、おそらくは本来なら戦ってはいけないような格下の選手なのだろう。実力が違い過ぎるのは明白なのだから、せめて極力痛みを与えずに楽にしてあげないといけない、またそういう勝ち方ができないようでは本番でも勝ち抜けない、そう思っていた。

 試合を終え自らの現在地を確認した達也は、自身の充実ぶりを実感せずにはいられなかった。ガラガラの『knock out』のリングで秒殺勝ちを続けたのはもう5年も前の事。当時も自分はそれなりに強い選手なんだと信じてリングに上がっていたが、今の自分なら、もしその頃の自分と戦っても秒殺勝ちできるのではないか…そんな風にすら思えた。実際に達也の体は、5年前に比べて一回りも二回りも大きく逞しくなり、体重も20kg近く増加していた。もちろん、増量分は全て筋肉であり、体脂肪率はむしろ低下した。筋肉が付けばスピードが落ちると言う者も一部にいるが、それは全くの誤りだ。上質な筋肉がパワーだけではなくスピードの源にもなるのは、100m走を9秒台で駆け抜けるスプリンターの筋肉隆々とした肉体を見ても明らかだ。19歳でプロデビューした達也も既に24歳、20代中盤という肉体のピークとも言えるような年齢を迎え、その体はもはや完成の域に達していた。弛(たゆ)まぬトレーニングの果てに、達也はついに日本最強の男に相応しい、日本最強の肉体を手にするに到ったのだ。そこらのプロレスラーなどもはや達也の相手にならないのは当然だった。

 ここまで強くなれるとは思わなかった…それが試合を終えた達也の正直な実感だった。充希にお灸を据えられてからというもの、己の強さを過信してはいけないと強く強く心に刻んではいるけど、それでも客観的に見て、少なくとも第2回REAL無差別級グランプリ出場者の中に自分より強い者が存在するとは思えなかった。

 

………………………………………

 

 試合は終わった。だが、ここから繰り広げられた光景に、観客は心の底から驚く事になる。

 何と達也が、何を思ったのか、気を失ったまま倒れているミスターMの元へとしゃがみ込んで。

 隠れた素顔を観客に晒すべく、その覆面を剝ぎ取ったのだ。

 

 仰天の行動にまた観客がどよめく。覆面の下から現れたのは達也と似たような歳と思われる若い顔だったが、その正体などもはやどうでも良かった。まるで敗者に鞭打つような無慈悲な行為を達也が行った事に、観客は皆、我が目を疑う思いだった。

 とはいえ達也も、決してこんな行為をしたい訳ではなかった。だが、これも契約に含まれていた事だったのだ。ミスターMは中堅のプロレス団体に所属する覆面レスラーだという事は先ほど書いたが、実は彼は、今日の試合をきっかけに覆面を脱ぎ、以降は素顔で戦う普通のレスラーとして活躍したいと考えていたのだ。なので自分が負けた際には小野選手自らの手によって覆面を剥ぎ取って欲しいと試合前に希望し、達也もそれに了承していたのだった。

 だが観客は、そんな事情など知る由もない。あまりにも非情に映るこの行為を、観客は驚きをもって受け止めるしかなかった。もちろん達也も、観客の驚きはヒシヒシと感じていた。あるいは自身の行為によって不快感を持つ観客も少なくないだろう、という事も。

 しかし達也は、約束通りミスターMの覆面を剥ぎ取った。それはある意味では、自らの調整試合の生け贄となってくれた名も無きレスラーへの感謝の印であり、同時に自身のキャリアと人気に傷がつくような行為を経てまでも、何が何でも大晦日にはグランプリ連覇という偉業を為し遂げたいという強い思いの表れでもあった。

 

 だが、物事は何がどう転ぶか分からないもので、達也に敗れて覆面を剥ぎ取られたミスターMは、これを機にリングネームを本名の森田賢(もりたさとし)に改め、素顔のレスラーとして快進撃を始める事になる。プロレスの世界では実力以上に知名度というものが何より大きな武器になり、さらに言うなら飛躍する為には何かしらのきっかけが極めて重要になる。達也に覆面を剥ぎ取られたという事実は無名だった森田の知名度の上昇に大きく寄与し、同時に団体内での存在感を大いに高める事となった。というのも、この試合の実態は達也の秒殺勝ちだったとはいえ、正式リザルト(結果)は2ラウンドKO決着である。1ラウンドKO勝ちが当たり前の達也を相手に1ラウンドKO負けを免れたという事実は、その試合映像が無い事も相まって森田の評価を大いに高めたのはある意味必然だった。達也相手に1ラウンド耐え凌ぐなんて素晴らしいじゃないか、テコンドー金メダリストも柔道金メダリストもボクシング世界チャンピオンも大横綱も達也には1ラウンドで敗れ去ったのに、と。ミスターM改め森田とはどんなプロレスラーなのかと、所属するプロレス団体には彼見たさのファンが急増した。

 そして数年後には、森田は日本でも指折りの名レスラーとして名を馳せる事になるのである。

 

………………………………………

 

     ―充希―

「えっ…私がですか?」

 最初にその話を聞いた時はとても驚いた。だって、あまりにも唐突だったから。

 頂いたのは、来年春からの海外赴任の話。

 勤務地は…イギリス。

「現地に駐在してる西田くんが近々帰国する予定でね、優秀な若手を送って欲しいという事なんだよ。そこで君を推薦しようかという話になってね」

「でも…どうして私なんですか?」

「高倉くんは英語も堪能だし、仕事ぶりも素晴らしいからね。それに君は海外志向も強かっただろう?」

「仕事ぶりはまだまだ全然だと思いますけど…」

 でも、海外と繋がるグローバルな仕事がしたいというのは小さい頃からの夢だった。だから英語も勉強したし、総合商社を志望したのもそのためだ。一度は日本を離れて生活してみたいという思いもある。さすがに海外に永住したいとまでは思わないけど…

「まあ、いきなり海外となると言うまでもなく生活環境はガラリと変わるから、すぐには決められないだろう。ゆっくり考えて、年明けぐらいまでには結論を聞かせてくれないかな」

「…分かりました」

 ありがたい話だと思う。私の能力が評価されている事も嬉しく思う。

 でも、即答はできなかった。いつかは海外赴任の話があるかもしれないとは思っていたけど、それはまだずっと先の事だと思ってたから。

 それに、来年の春からイギリスで生活するとなると、必然的に失わなきゃいけないものもあるから…




個人的には7章で好きな回は7-4(充希が達也にキツい言葉をぶつける回)と今回です。
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