※この作品はR-18です。

種付けファイター達也くん   作:minnie_remon

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 もちろん、心の真ん中にぽっかりと開いた穴が完全に埋まった訳ではない。

 それでも、達也は再び立ち上がった。心の穴を埋めるのではなく、心に穴を携えたまま、また前に進む事を決意したのだ。

 その決意は、トレーニングに復帰して早々の達也の姿にもしっかりと表れていて。

「みんなに迷惑をかけて、本当にすまなかった」

 香菜の試合の翌日、数日ぶりにジムに姿を現した達也は、まずメンバーのみんなに向かって深く頭を下げた。

 そして、こう続けた。

「また俺が少しでもやる気の無い姿を見せたら、遠慮する事なく言って欲しい」

 もちろん嫌な顔をする者は一人もいなかった。誰もが達也の復活を歓迎した。FAILYのメンバーにとっても達也は誇りであり、尊敬する存在であり、何より共に戦う仲間なのだ。

 その日から、達也はハードなトレーニングを再開した。金田陽希との決戦まで3週間を切っていた。

 だが、気持ちだけでは100mを9秒台で走れないのと同じように、落ちる所まで落ちてしまった体の状態を元に戻すのは、気持ちだけでは到底不可能だ。何せ達也の体重は、昨年の大晦日と比べて15kg近くも落ちているのだ。ロードワークではすぐに息が切れ、ミット打ちにも以前のような力は無く、スパーリングでも相手を圧倒する事はもはや不可能。それどころかイキのいい若手選手とのスパーリングでは逆に押し込まれるようなシーンも少なくなかった。

 だが、スパーリングで若手にどれだけ打ち込まれても、もう達也の心が折れる事はなかった。むしろ自分の現在地を教えてくれる若手に感謝する思いだった。

 今の自分は決して強くない。状態は最悪と言っていいだろう。でも、それが何だというんだ。むしろスパーリングを左手一本で圧倒して、本番の試合でもアッサリと秒殺してしまうこれまでの方が異常だったんだ。人間誰しも不調な時はある、そんな事は当たり前だ。でもだからこそ戦うんだ。調子の良い時だけリングに上がって、勝てると分かっている相手をKOする…そんなものは戦いでも何でもない。自分の弱さと向き合って、自分よりも強大な相手に立ち向かうからこそ戦う意味があるんだと。思えば昔からそうだったじゃないか、石井幸三選手に挑戦した時も、パク・チャンミン戦も、金田悠希戦も、勝てる保証なんてどこにも無かったじゃないか、と。

 今の自分がもはや金田陽希よりも弱くなってしまっている事は、達也自身が誰よりもよく理解していた。でも、それでも良いと思った。ずっとまともに練習していないだけでなく食事すらまともに摂れていなかったのだから、弱くなってしまうのは当たり前だ。だが、弱い事は罪ではない。己の弱さに負けてしまう事が罪なのだ。弱い自分を認め、弱い自分に恥じる事なく、弱い自分が持てる全てを力をぶつけよう…3週間後に控えた決戦は、金田陽希との戦いであると同時に、自分自身の弱さとの戦いだった。

 だから達也は、決戦の日までに本来の強さを取り戻す事を諦めた。というより、本来の強さを取り戻すには3週間という時間はあまりにも短すぎて到底不可能だった。とはいえもちろん、勝つ事を諦めた訳ではない。己の弱さと向き合いながら強者と戦う策を模索する、それこそ現状の達也が取りうる唯一の術だった。

 

 

 一方。

 達也が弱さと向き合いながらも必死に前へ進もうとしていたのと同じ頃、金田陽希もまた、決戦へ向けてじっくりと己の牙を研いでいた。

 絶不調の中から光を見出そうともがく達也とは対照的に、金田陽希の調整は順調そのものだった。昨年大晦日のトーナメントでは組み合わせ抽選の運に比較的恵まれた事もあり、1回戦も準決勝もほぼノーダメージで勝ち上がっていた為に疲労は全く残っていない。まさしく絶好調、早く試合がしたくてたまらないとウズウズしているような状態だった。

 また、金田陽希が所属するジム『Klash』にとっても、来たるべき決戦は何としても勝たなければならない大一番だった。

 というのもKlashは国内でも最大規模を誇る老舗であり、これまで総合格闘技の世界において多数のトップ選手を輩出した超名門ジムなのだ。REALの草創期は、Klashが主たる選手供給ジムとしてその大会運営を支えた程である。だがREALの人気拡大は同時に総合格闘技そのものの人気を高めると共に新興の格闘技ジムの勃興を誘発し、ひいてはKlashのような老舗ジムの影響力低下を呼び起こすという皮肉な事態を発生させる事になってしまったのである。現にここ数年、Klashはトップレベルと言えるような選手を輩出できてはおらず、格闘技界における「忘れ去られた存在」のようになってしまっていた。

 そんな状況においてKlashが目を付けたのが金田陽希だった。陽希が兄の悠希と全く異なる信条を持ち、また兄弟仲も決して良好ではない事を見て取ったKlashは、三顧の礼を持って陽希の移籍を実現させた。そして、名門ジムの威信をかけて陽希に最高のトレーニング環境を提供した。専属のコーチを置き、栄養学に基づいた適切な食事を提供し、さらには名門の力を駆使して国内外を問わず豊富なスパーリング相手を用意し、マッチメークにも慎重を期した。それらが奏功したのは、移籍以前は黒星も目立った陽希の成績が移籍後は全て白星となっている事からも明らかである。名門ジム復活の使命を託されて、大金を投じられて育成されたエリートファイター、それが金田陽希なのだ。

 とはいえ言うまでもなく、金田陽希は決してジムの力だけで強くなった訳ではない。確かにKlashから提供されるトレーニング環境は最高でそれこそFAILYとは比べ物にならないが、しかし陽希がREAL無差別級グランプリの決勝まで勝ち上がれる程に強くなった最大の要因は、一にも二にも本人の努力に他ならない。実際、陽希のトレーニング量は凄まじく、それは昨年後半の絶好調だった頃の達也に勝るとも劣らなかった。最高の環境と血の滲むような努力、陽希がトップファイターの地位に上り詰めたのは必然なのだ。

 決戦に向け、陽希の調整は最終段階に入っていた。スパーリングでは本番を想定してキックボクシング上がりの打撃系長身選手が何人も集められたが、陽希は仮想達也として集められた選手たちを文字通り圧倒した。キックボクサーたちは専門である筈の立ち技の打撃ですら押し込まれ、グラウンドに持ち込まれるともう勝負にならなかった。何人ものキックボクサーたちが締め落とされ、あるいは関節を極められタップを繰り返した。

 

 

 両者がそれぞれの調整をこなしながら、1日、また1日と時は過ぎてゆき…

 3月19日(木)、ついに両者の計量の日を迎えた。

 REALでは試合前日に計量が行われるのだが、今回の決戦に関しては試合3日前のこの日に計量及び両選手の試合前会見が行われるという事が前もって決まっていた。達也と金田陽希の試合は第2回REAL無差別級グランプリ決勝戦という位置付けであり、体重に制限は無い。なので計量に大した意味は無いので早い内にさっさと済ませてしまいたいという金田サイドの要望を達也が快諾し、REAL運営もそれを認めた事によって、異例の3日前計量が実施される事になったのである。

 

 この計量及びその直後に行われた会見の場で、試合の行方を左右する『事件』が起こる事になる。

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