まず計量を行ったのは金田陽希だった。昨年の大晦日から2kg増えていたが、外見はむしろ大晦日の時よりも無駄な肉が削ぎ落とされているようにも見えた。まるでサイボーグのような究極の肉体に、集まった報道陣からは思わず感嘆の声が漏れた。
しかし報道陣が驚いたのはむしろその直後、達也の体を見た時だった。
達也の体は、どう見ても細くなっていた。もちろん一人の男として見た時には素晴らしい体なのだが、少なくとも昨年の大晦日にボビー・サップと死闘を演じた時に比べると、明らかに頼りなく映った。それは決して錯覚ではなく数字の上でも明らかで、体重計が示す達也のウエートは昨年の大晦日に比べて10kg以上も軽くなっていた。
報道陣からざわめきが起こる。どうしたんだ小野は…3か月足らずで10kg以上も落ちるなんてどこか悪いんじゃないか…ボビーサップ戦で負った怪我が実はまだ治りきってなくて、満足な調整ができなかったんじゃないか…と。
直後に行われた会見では、当然のように達也の状態に関する質問が相次いだ。「ボビー・サップ戦で負った怪我は癒えたのか?」「大晦日の試合の後は暫く入院していたという事だが調整はうまくいったのか?」「体重が大きく減っているのは意図的なのか?」と。
だが、達也の口からネガティブな発言が出る事はなかった。「調整は万全」「体重を絞ったのは予定通り」と繰り返し、さらには「グランプリ優勝を返上して自分との試合を要望した金田陽希選手には敬意を表しますけど、試合後にきっと彼は自分の判断が間違いだったと後悔する事になると思いますよ」と、達也にしてはやや挑発的な発言まで飛び出した。
とはいえ実際の所は、万全には程遠い状態なのは言うまでもない。達也らしからぬ挑発的な発言も、自身の不調を悟られたくないという思いがふんだんに込められてのものだったと見るべきだろう。と同時に、王者の誇りに懸けて、不調を跳ねのけて絶対に勝つんだという強い気持ちがこもった発言でもあった。
一方の金田陽希には、兄の悠希に関する質問が多くぶつけられた。「兄の悠希選手は小野選手に連敗し道場破りにも失敗したが、この試合は金田家にとってのリベンジマッチと捉えているか?」「試合への秘策を悠希選手から伝授されたのか?」など。どこまでも兄の悠希と関連付けられるその様子は、隣で聞いていた達也ですら少し気の毒に思う程だった。
だが陽希は特に嫌そうな表情も見せず、報道陣の問いに淡々と答えていった。その様子は慣れたもので、会見などさっさと終わらせてしまいたいという思いが滲んでいるようにも見えた。
と、ここまでは普通だった。達也の体重が大きく落ちているという驚きはあったにせよ、会見そのものは到って平凡で特筆すべきコメントは語られなかった。
しかし、一通りの質問が終わって、最後に試合への意気込みを両者一言ずつ求められた際に。
金田陽希の口から飛び出した発言に、その場は騒然とする事になる。
「今回の試合、自分が勝つにはKOかギブアップしかないと思っています。REALのジャッジが小野さんを判定負けにするとはとても思えませんから」
その発言の瞬間、報道陣からどよめきが起こった。しかし陽希は気にせず続ける。
「昨年の大晦日の試合、正当なジャッジなら小野さんはボビー・サップ選手に判定負けでした。それは小野さん自身が一番分かっていると思いますけどね。そういえば第1回のグランプリの決勝でも、小野さんは審判に目で合図して試合を終わらせましたよね。審判にいくら払ってるのか知りませんが、八百長だけはやめて欲しいですね」
そして、次の一言に報道陣が大きくどよめく事になる。
「だからもし小野さんがOKしてくれるなら、自分としては第1回大会のようにレフェリーストップ無し、さらには判定決着無しで延長無制限の完全決着ルールで戦いたいと思ってるんですが」
そう言って、挑発するようにニヤリと笑いながら達也の方を見て。
「まあ、小野さんが審判に払ったお金は無駄になっちゃいますけど、どうですか?」
強烈な挑発だった。誤解の無いよう言っておくが、陽希は兄の悠希と違い、対戦相手に対して無用な挑発をするような男ではない。金田悠希の弟という立場のためにファンからは悪役と見られがちだが、実際は兄と違って常識人であるという事を報道陣はよく知っている。だからこそ、陽希の口から飛び出した強烈過ぎる挑発は驚き以外の何物でもなかった。
しかも陽希は、ただ達也を挑発するだけでなく、試合の大幅なルール変更まで要求したのだ。それも、レフェリーストップも判定も無く延長無制限というデスマッチのようなルールを。
報道陣の注目が、今度は一斉に達也に集まる。もう、試合に向けた意気込みを語るような雰囲気ではなくなっていた。
この時の達也の心境はというと、陽希に対して少なからず嫌悪感を抱いたのは事実だった。審判を買収しているだと、言いがかりも大概にしやがれ、と。
だが同時に、陽希の勝利に対する強い気持ちを感じたのも事実だった。というよりむしろ、そちらの方が嫌悪感よりも遥かに大きかった。というのも、その発言が陽希自身にとって大きなリスクになる事は明らかだったからである。
達也は世間から愛されるスーパースターだ。それはすなわち、達也を貶めようとする者は世間の敵として認知されるという事と同義である。言い換えれば陽希は、自身が兄と同じように世間からの嫌われ者として大きなバッシングを受ける事を承知の上で、「達也が審判を買収している」などという誹謗中傷に近い挑発を口にしたのだ。
誰であれ、周囲から嫌われたいと思う者などいる筈がない。自ら嫌われ者となる事を覚悟してまで精神的な揺さぶりをかけてきた陽希に対し、達也は敵ながらあっぱれと思わずにはいられなかった。この男は本気だ…人気者になりたいなんてこれっぽっちも思っちゃいない…敵役の汚名を被ってでも俺を倒そうとしている…と。
だからこそ達也も、ここで後ろを見せる訳にはいかなかった。
自分の調子が全く戻り切っていない事は分かっている…試合が長引けば長引くほど、自分に不利になるのは百も承知。
…だが。
「そこまで言うんなら受けて立ちましょう。完全決着ルール、望む所じゃないですか。お兄さんと同じように病院送りにしてあげますよ」
報道陣から「おおおおっ!」という歓声が上がった。
この瞬間、達也と金田陽希の試合は総合格闘技というスポーツの範疇を逸脱し。
男と男の決闘となったのだった。
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―3月21日(土)―
試合前日の夜。
達也は、一人でスマホをじっと眺める。
そのメールを見るのは、今や試合前の大事なルーティーンで。
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遅い時間にゴメンね。
いよいよ明日だね。頑張れっ!
試合前に大きく深呼吸してみるとよいかも…
応援してるよ。ファイトっd(^^*)
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もう4年も前にもらったメール。でも、シンプルな文面がくれる暖かさは、今もずっとあの時のままで。
何度見返しても、じんわりと力が湧いてきて…
思えば、達也を突き動かしてきた原動力は、いつも充希だった。充希に認めてもらいたい…充希にカッコいい所を見せたい…そんな想いがあったからこそ、ここまで戦い続ける事ができた。逆に言うと、充希という存在がいなければ、ここまで強くなる事は不可能だっただろう。
だが、もう充希は達也の傍にはいない。悲しくても、それが現実。
でも、だからこそ達也は思う。だからこそ…だからこそ明日の試合は絶対に戦い抜かなければならない…戦い抜いて…勝たなければならないんだ、と。充希がいなくても俺は大丈夫なんだと伝える事こそが、人生の新たな一歩を踏み出そうとしている充希を快く送り出す事に…ひいては…充希の幸せを願う事になる筈だから…
だから、己の強い決意を示すように。
最後にして初めて、その特別なメールに、『返信』を選んで。
――充希、今まで本当にありがとう。
沢山迷惑をかけて本当に悪かった。でも、最後にもう一つだけ、わがままを言わせて欲しい。
明日の試合、全力で戦うから…充希が見てくれると信じてる。