3月22日、午後8時。第2回REAL無差別級グランプリはついに決勝戦の時を迎えようとしていた。
まずは青コーナーから金田陽希が登場する。大きな歓声、しかしブーイングも決して小さくはない。やはり金田はどこまでも『悪役』なのだ。直前でのルール変更要求や達也への挑発も、彼の悪役としての印象をより一層強めていた。
しかし金田陽希は、ブーイングなど全く聞こえないというように真っすぐリングだけを見据えて歩を進める。世間からの人気などどうでもいい、観客を楽しませる必要などない。ただ目の前の試合に勝つ、目の前の相手を倒して自分が最強だという事を証明するのだ…全てをかなぐり捨てた男の悲壮な決意がその瞳には宿っていた。
金田陽希がリングに上がる。すると間もなく、会場に流れる音楽がポップでハイテンポなものに変わる。達也の入場曲だ。
ブーイングが消え、大歓声が湧き起こる。スーパーヒーロー小野達也。彼が負ける姿を望んでいる者は一人もいない。数万の観客は皆、達也が金田陽希を華麗にKOするシーンを望んでいる…それを感じずにはいられない光景だ。
金田陽希と達也の哲学は異なる。陽希が勝利だけを追い求める求道者だとすれば、達也は勝利の中にも美しさを求めるファイターだ。達也は、数え切れないほどのファンが自分の戦いを見てくれいる事を心の底から分かっている。もちろんその中には、女性や子供も多く含まれている事も理解している。だからこそ達也は、そんなファンの期待に応えられるような勝ち方を模索し、実際にそれを体現してきた。
だがこの日ばかりは、達也は美しい勝ち方を目指そうという気持ちを完全に排除していた。というより、美しい勝ち方にこだわれば負けるだろうという事を自覚していた。
自身の調子がどん底の状態にある事は、自分自身が一番よく分かっていた。状態は相手の方が圧倒的に上だろう…だからこそ気持ちでは絶対に負けてはいけない…どんな泥臭い戦い方でもいい…どんな勝ち方でもいい…でも最後に勝つのは絶対に俺だ…と。
奇しくも、金田陽希と達也が胸に秘める決意は全く同じだった。勝ちたい…美しさは要らない…どんな形でもいいから絶対に勝つ…と。
しかし、たった一つだけ違いがあるとするならば。
達也の中には、確かに充希が存在していた。もはや恋人ではなくその声を聞く事はなくなってしまったけど…もう会う事は無いかもしれないけど…充希を『想う』気持ちはやっぱり変わらなくて。
大勢のファンたちに美しい試合を見せようとは思わない。でも充希には…イギリスへと旅立つ充希には、勇気を与えられるような試合を見せたい…それが、今の俺にできる、大好きな充希への唯一のはなむけだから…
そんな思いを胸に、達也がリングに上がる。
リングアナウンサーが両者の名前をコールする。まずは金田陽希、そして続いて達也。34戦34勝34KO、REAL通算17戦17勝17KO。栄光に彩られたキャリアが紹介されて。
両者がリングの中央で向かい合って。また各々のコーナーへと別れて。
ついに、決戦の幕が切って下ろされる。
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試合序盤は、あまりにも静かだった。お互いに間合いを測りながら打撃を交わす。だが共に深く踏み込もうとはせず、慎重に相手の出方を探る。その様子は、第1回REAL無差別級グランプリ決勝で繰り広げられた達也と金田悠希の一戦を彷彿とさせるような光景だった。
この静かな立ち上がりは、お互いの思惑が一致したものだった。金田陽希は自身の要求が通り無制限ラウンドでの試合となる事が決まった瞬間から、この試合が長期戦となるよう志向していた。これまでにも触れたように金田の調整は万全で、スタミナには絶対の自信を持っている。さらに、計量の段階で達也の不調を見て取ったのも金田が長期戦を志向した要因だった。試合が長引けば長くなるほど自分が有利になるというのが金田の見立てであり、実際に試合が始まって達也のフットワークや打撃のキレを間近で感じる事でその思いはより強くなった。達也の動きにいつもの試合のようなキレが無いのは、相対した者ならすぐに感じられる事だった。
一方の達也も、この試合は早い段階では勝負に行くべきでないと考えていた。長期戦は避けたい所ではあるのだが、とはいえ自身の状態を冷静に捉えた時、自ら不用意に攻め込むのはリスクが大きいという結論に到らざるを得なかった。なので決して勝負を焦らず、カウンター一閃で仕留めるような展開を描いていた。長期戦は好ましくないがやむを得ない、スタミナの不安は気力でカバーしてみせる…と。
そして、両者ほとんど組み合うようなシーンも無く、第1ラウンドの10分間が終了した。まるで第1回グランプリ決勝戦のリプレイを見ているような、静かな展開だった。
そして第2ラウンドも、お互いがお互いの出方を探り合うような静かな展開が続く。
そんな中、先にチャンスを掴んだのは達也だった。鋭く踏み込んでの左ジャブがパシン!と金田の顔面を捉えた。
決して致命的なダメージを与えた訳ではなかったが、この試合初めての有効打と言えるような一撃に金田の腰が一瞬落ちる。そこに達也が襲い掛かった。
だが、ここでの金田は冷静だった。
体勢を立て直そうとするのではなく逆に自ら体を倒して、襲い掛かる達也を引き込むようにして仰向けになった。
一見すると達也がダウンを奪って金田の上に乗ったように見える光景に、会場が大きく沸いた。だが実の所は、金田は達也の体に足を巻きつけ、ガードポジションを構築する事に成功していた。こうなると達也が上になっているといはいえ必ずしも有利な体勢とは言えない。金田の足によって動きを制限された中で何とかパンチを落とそうとするが、有効なダメージを与えるにはなかなか到らない。
この時、達也は少しばかり後悔していた。もっと冷静に打撃で行くべきだった、と。あるいは普段の達也なら、ジャブが一発当たったからと言ってこんな風に焦って攻める事なく、じっくりと打撃でのKOを狙ったかもしれない。不調を自覚しているが故に、訪れたチャンスを確実に決めたいという思いが強すぎて、金田のガードポジションに自ら入っていくような悪手に身を投じてしまったのだ。
結局、その体勢のまま有効な攻撃を繰り出す事ができずに、第2ラウンド終了のゴングが鳴り響いた。チャンスを掴みかけたかに見えた達也だったが、結果的にはダメージすら全く与えられないラウンドとなってしまった。
そして、チャンスを活かしきれなかった事以上に、達也にとって深刻だったのは。
「はあ…はあ…ふう……」
コーナーに戻る達也はぜえぜえと肩で息をしていた。
まだほとんど試合は動いていないというのに、懸念していたスタミナ切れは本人の想定よりもずっと早くやって来た。