公式記録:10ラウンド0分44秒、達也のKO勝利。
つまり正味の試合時間は90分44秒、ラウンド間のインターバルを含めた総試合時間は109分にも及んだ。まさに格闘技史に残る死闘だった。
それを象徴するように、試合後は両選手共に病院への直行を余儀なくされた。
以下、試合翌日に両陣営から発せられたコメントである。
金田陽希
「まず、今回の特別ルールでの試合を受けて下さった小野選手に心からお礼を言いたいです。小野選手はこれまで私が戦ってきたどの選手よりも強く、素晴らしいファイターでした。そんな小野選手と2時間近くも戦えた自分を誇りに思います。
小野選手のグランプリ連覇を祝福すると共に、また戦える機会があれば今度こそ小野選手を超えられるようこれからも頑張りたいと思います」
小野達也
「不細工な試合をお見せして申し訳ありませんでした。特に最後の第10ラウンドにおいて、失神した金田選手に打撃を加え続けてしまったのは自分の未熟さ故であり、恥ずべき行為だったと反省しています。金田選手には日を改めて直接謝罪したいと考えています。
また、目標としていたグランプリ連覇を達成できた事は素直に嬉しいですが、今回の試合は内容的には私の完敗であり、勝利という結果は単に運が良かっただけだと思っています。
今回のような試合を繰り返さないよう、さらに強くなれるようこれからも精進します。応援ありがとうございました」
第1回グランプリとは全く異なる、お互いを称え合う清々しいフィナーレだった。歴史の証人となった全てのファンは、勝者の達也だけでなく敗者の金田陽希にも大きな拍手と賛辞を送った。
そして、全てが終わって。
達也は病室のベッドにいた。試合には勝利したものの全身の複数箇所を骨折するなどダメージは深刻で、当面の間は絶対安静が言い渡されていた。
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―達也―
試合後、沢山の人から祝福と称賛の言葉を頂いた。おめでとう、達也くんは本当に凄い、達也くんこそ最強だ…と。感動しました、最後まで諦めない姿に勇気をもらいました、私もツラい時には達也さんの姿を思い出して頑張ります…ファンからのそういった声も沢山届いた。
もちろん、嬉しくないと言えば嘘になる。俺の戦う姿が誰かに少しでも勇気や感動を与えられたのならば、そんな嬉しい事はない。
でも今回ばかりは、本音としては…複雑だった。
今回の試合の本当の勝者が誰なのか、それは自分自身が一番よく分かっていた。「勝てたのは運が良かっただけ」というお馴染みのコメントも、今回ばかりは100%本心だ。
あの第9ラウンドは自分の力で凌ぎ切った訳ではなくて、単に時間に救われただけに過ぎない。ラウンドがあと1分長ければ俺はもう立ち上がれなかっただろうし、そもそも金田がもっと早いタイミングで締め技に来ていれば、俺は確実に締め落とされていただろう。これは有り得ない仮定だけど、もしあれが喧嘩だったら俺は殺されていた…とも。
何より、あそこまで一方的な状況に追い込まれたなら、潔くタップしなければならなかった。今回の試合の本来あるべき結果は俺の9ラウンドKO負け。本来なら第10ラウンドは存在してはいけなかった。
だからこそ、「最後まで諦めない姿に勇気をもらいました」というようなファンの言葉でさえ、逆に俺を責めているようにすら感じられた。負けを認めろよ、往生際が悪いぞ、と。もちろんそんな意味で言ってくれてる訳じゃないっていう事は、分かってはいるんだけど…
でも、俺は本当に往生際が悪くて…
(充希は、俺の試合を見てくれたかな…)
フラれてからもう2か月も経つというのに、俺はまだ、心の穴を埋めきれないままでいた。諦めなきゃいけない、吹っ切らなきゃいけないと何度も思ったけど、でも、どうしても忘れられずにいる。
あれ以降、充希からの連絡は一度も無い。もちろん、充希が俺の試合を見てくれたかなんて分かる筈もない。
だから、俺にできる事は、ただ信じる事だけ。
充希はきっと、俺の戦いを見てくれたんだと。力の全てを振り絞って戦ったあの日の試合が、新たな一歩を踏み出そうとしている充希に、ほんの少しでも勇気を与えられたんだと…
ただ、信じるだけ…
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4月になった。
新しい年度。多くの人が人生の新たな扉を開き、新たな一歩を歩み出す、新しい季節。
でも俺は、ずっと同じ気持ちを抱えたまま、同じベッドの上で、昨日と変わらない一日を過ごす。
病室の窓を開けると、暖かい日差しと涼しい風が優しく頬を撫でる。
もう充希はイギリスに旅立ったんだろうな…透き通るような青空を眺めながら、ふとそんな事を思う。新しい暮らしには慣れたかな…言葉や文化の違いに苦労してないかな…変な男に付きまとわれてないかな…なんて。
寂しい。
充希が向こうで西洋人の彼氏をつくって、そいつと結婚してハーフの子どもを産んで…そんな未来を想像すると、猛烈に悔しくて、寂しかった。
でも、俺にはどうする事もできない。充希には充希の人生があるから…俺との決別を選ぶのは、充希の自由だから…
だから、願わなきゃいけない。
充希が選んだ人生に、俺のいない人生に、幸せが訪れる事を…。
(ちょっと、寒いかな…)
4月になったばかりの風は優しいけど、まだ幾分肌寒い。
窓を閉めようと、ゆっくり起き上がる。
その時、だった。
風の流れが、一瞬だけふわっと変わったのは。
「ん…?」
病室の扉がゆっくりと開くのを感じて、振り返ってみる。
すると…
「…………え?」
一瞬、時が止まったような気がした。体の痛みも肌寒さも、不思議なぐらいに何も感じなくなって。
だって、そこにいたのは、もう二度と会えないと覚悟していた…
「充…希…?」