―達也―
さらさらと、風の流れる音が聞こえる。
言葉が出てこなかった。ずっと一番近くにいた存在だったのに、これまで数え切れないほど色んな話をしてきたのに、もう一度会いたいとあれだけ願ったのに…
でも、いざ目の前に現れると、自分でも情けなくなるぐらいに言葉が出てこなくて…
「ま、まあ…とりあえず、こっちに座る?」
やっとの思いで言葉を絞り出しながら、ベッドの端に腰掛ける。
すると充希は、ゆっくりとこちらに近付いてきて。
何も言わないまま、ちょこんと俺の左側に座った。
(あ…)
ふと、懐かしい感覚に捉われる。
並んで座る時はいつも俺が右側で、充希が左側。いつからそうだったかなんて全く思えてないけど、気が付いた時にはもうそれが当たり前になっていて。
それはこうして、言葉が無くてもやっぱり同じで…
「…イギリス、まだ行ってなかったんだ」
何か喋らなきゃ…そう思いながら、とりあえずそんな事を言ってみると。
「うん。もうすぐだけどね」
「そっか…」
また会話が途切れてしまって、風の音が聞こえ出す。
その風の流れに乗るように、充希の甘い香りが左側からふわっと鼻腔をくすぐって。
「私…達也に謝らなきゃいけない」
沈黙を破ったのは、今度は充希だった。
ただ、その言葉の意味が、俺には全く分からなくて…
「謝る…?」
すると充希は小さく頷いて。
「だって…達也がそんな酷い顔になっちゃったの、きっと私のせいだから…」
「はい…?」
やっぱり、その言葉の意味が分からなかった。確かに今の俺は包帯グルグルで酷い顔だけど…
でもそれは充希のせいである筈もなくて、単に俺が弱かったから、ただそれだけの事だから。
「いや、謝るのは俺の方だよ。充希を裏切って…その…本当にごめん」
許して欲しい、と後に続ける事はできなかった。だって、そんなお願いをする資格は、無いから。
でも充希は、小さくかぶりを振って。
「ううん、達也は何も悪くない。私がいけなかったの、私が…達也に嫉妬して…」
「嫉妬…?」
「達也は私なんかとは住む世界が違う人になっちゃったのに、私がそれを認められなくて…達也に酷い事をいっぱい言って…」
「何言ってんだよ…一緒の世界に住んでるじゃん」
「そんな事ないのっ…どんどん凄い人になっていっちゃう達也を、私は心の底から祝福してあげられなかったからっ…達也が遠くに行っちゃうのが寂しかったからっ…」
「………」
「だからっ…もう私なんか、達也の傍にいちゃダメなんだなって…」
「………」
その言葉を聞いていて、何となくだけど、分かった。
充希に嫌われてしまったと思ってたけど、きっと、そんな事はなくて。
俺が、充希から離れて行ってしまってたんだと。
「本当にごめんなさい…私が一方的に別れを切り出したりしなかったら、達也はきっと、試合であんな死にそうな思いをする事はなかったのにっ…」
「いや、それとこれとは話が別だけどさ…」
「そんな事ないよ…あの日の達也は、いつもの達也とは全然違ったから…」
「…やっぱ分かる?」
「分かるよ…達也の試合はずっと見てきたんだもん」
「そうだよな…」
そりゃ充希の目はごまかせないよな…と思う。
だから間違いなく充希は、あの日の俺の状態が最悪だった理由も分かってしまっていて。
「私、試合を見てて涙が止まらなかった。どうしてギブアップしてくれないの、このままじゃ死んじゃうよって…」
「そっか、ついに充希を泣かせてしまったか…」
何故だか分からない…もしかしたら感情として何かが決定的に間違っているのかもしれない…けど。
充希が涙を流してくれたと聞いて、あの時ギブアップせずに耐え続けて良かったと…そう思えて。
それは、つまり…
目指していた所に、俺はやっと辿り着けたんだと思えて…
「決めた。今日限りで格闘技を引退するよ」
「えっ…?」
突然の引退宣言に、充希が驚いたようにこちらを見る。
だから俺も充希の方を向…こうと思ったけど、やっぱり恥ずかしいから真っすぐ前を向いたまま。
「充希が傍にいてくれないと、俺はあんな殺し合いみたいな試合しかできないし、それに…」
続きを口にするのは、少しだけ躊躇いつつも。
「空手を始めた時に立てた目標も、ついに達したみたいだから」
「目標…?」
「ああ、思ってたよりずっと長くかかったけど」
「達也が空手始めたのって…女の子にモテたかったからだよね…?」
「女の子にというか、正確には充希に、だな」
「…は?」
きょとんとした充希の顔が、左目の端に映る。
「そ、そんなの言った事無かったじゃない。前聞いた時も、女の子にモテたいからだって…」
「そりゃ、充希の前で恥ずかしくて言えるかよ」
「っ…」
また一瞬だけ、静寂が訪れる。
「ま、まあその…充希をこれ以上泣かせる訳にもいかないし…それに勝てば勝つほど充希からどんどん離れて行ってしまうってんじゃ、続ける意味なんて全く無いから」
「ダメだよ…達也はみんなのスーパーヒーローなんだから…達也を応援してるファンは沢山いるんだよ」
だから引退なんてしちゃダメ、と充希は言うけど。
「確かにファンのみんなには悪い気もするけど…でも、俺にとっては1億人のファンより充希ひとりの方が大事だ」
「や、やめてよそういう事言うのっ…」
「よし、決まり。格闘技は引退っ!という訳で…」
今度は、恥ずかしさを押し殺しながら、体ごとくるりと充希の方を向いて。
包帯グルグル巻きの痛々しい顔で、しっかりと充希と目を合わせて。
「新しい人生は、充希と一緒に歩きたい。だから…結婚しよう」
「えっ…」
また、静寂が訪れる。
今度の静寂は、少しばかり長くて…
「どうして…」
ゆっくりと、充希が静寂を破る。
「どうして…私なの?」
「そりゃ、充希の事が好きだから」
「どうして私じゃないとダメなの?達也ならもっと素敵な女性をいくらでも選べるのに…」
「…それは俺を買いかぶりすぎだって」
「教えて、どうして私じゃないとダメなの?」
「だから、充希の事が好きだから…」
「…そんな曖昧な答えじゃ納得できない」
「え、ええ…?」
思いもしていなかったの逆質問に、思わず戸惑ってしまう。
何せ、涙を流しながら「こちらこそよろしくお願いします」みたいな感動的な展開を期待してただけに…
「えっと…まあ、やっぱり充希は可愛いし、女性として凄く魅力的だから…」
「私なんかより、高橋ひかりちゃんの方が可愛いよ…」
「い、いや…ていうか高橋さんとはもう会ってないから…というか充希の方が普通に可愛いし…そ、それにほら、充希はめちゃくちゃ頭良いじゃん、だから人として凄く尊敬できるっていうのも…」
「私なんかより、T大王の鈴木ひかりちゃんの方が賢いよ…?」
「…何で突然T大王が出てきたのか分かんないけど、その人とはそもそも知り合いじゃないし…そういえばほら、前に充希、俺を叱ってくれただろ?あれで俺、改めて分かったんだよ。本気で俺の事を俺を想ってくれるのはやっぱり充希だけなんだって」
「それは…」
「だから…えっとだな…」
そう、もっと分かりやすく言うならば…
「何て言うか…俺の事を『達也』って呼び捨てで呼んでくれるのは…充希だけだから」
「っ…」
それは不意に出た言葉だったけど、言った自分が「本当にそうだよな…」としみじみ思ってしまう。
俺の事を呼び捨てで呼んでくれる女の子は、充希だけ。おそらくは、充希の事を呼び捨てで呼ぶ男も…
「分かった…達也」
すると充希は、呼び捨てで俺の名前を呼んでくれて。
「その代わり、私からも一つだけ言わせて」
「え…あ、ああ」
「達也はカッコいいから女の子にモテるのは当然だし、少しくらいの浮気なら大目に見るけど…」
…え、大目に見てくれるの?…っていやいや、浮気する予定なんて全く無いけど…っ!
「私は…達也がどれだけ凄い人になっても…達也の三歩後ろを歩くような女にはなりたくない。私は…ずっと達也の隣を歩きたいっ…!」
光が、部屋に注ぐ。
遠い遠い場所からやってきたその光は、俺と充希を等しく平等に照らして――
「ああ。死ぬまでずっと、一緒に並んで歩こう」
さらさらと流れる風に乗るように部屋へと迷い込んだ桜の花びらが一枚、ひらりと俺の太ももに降り落ちた。
もしかしたらこの花びらは、神様からの祝福のプレゼントなんじゃないかな…ふと、そんな事を思った。
いや、絶対にそうだ、そうに違いない。
充希と二人で歩む人生には、困難も多く待ち構えているかもしれないけど。
でもその先にはきっと、沢山の祝福に包まれた幸せな未来が待っている筈だから。
…そんなお話。
本作を読んで下さって本当にありがとうございました。本作はこれにて完結です(気が向けばしれっと追加で何か書くかもしれませんが)。お気に入り作品登録・感想・コメント・評価を心よりお待ちしておりますので、ぜひともよろしくお願いします!
そして、実はお気に入りユーザー登録者様限定でおまけシナリオを公開しております。充希とのベッドシーンや『幻の6章・キングハーツ編』など、泣く泣く本編からはカットした未公開シーンやボツシナリオをいくつか公開していますので、読んでみたいという方はその旨を活動報告へのコメントか個別メッセージにてお伝えください。
最後に、読者の皆様へアンケートを1問だけ用意しておりますので、お答え頂ければ幸いです。
本作で最も面白かったのは何章でしたか?
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1章(knock outで連戦連勝)
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2章(はじめての種付け)
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3章(パク・チャンミン戦)
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4章(金田悠希第1戦)
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5章(スーパースターとして連勝街道)
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6章(第1回GP/金田悠希2,3戦)
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7章(充希に怒られる/サップ戦)
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8章(金田陽希戦)