公爵家次期当主好色物語 作:ルペッタ好き
深夜。エルメンヒルデは駒王学園理事長邸の厨房にいた。
エプロンを身に着けてコンロの前に立ち、チョコレートを溶かしているところだ。
冥界の屋敷にも設備はあるが、そんなところでこの作業をするのは恥ずかし過ぎる。
エルメンヒルデは料理をしたことがない。血と紅茶しか口にしない吸血鬼には縁のないものだからだ。
だから知り合いの料理に詳しいと語っていた者に相談したのだが、その相談相手は恐ろしいほどの上級者だった。手本として見せられた完成品の出来栄えは素晴らしいものの様に
初心者では正直ついていくことが出来そうになかった。レシピ通りではなく、そこにオリジナリティを加えてこそなどと言われても味見も不可能なエルメンヒルデには難し過ぎる。塩と砂糖を間違えるなんて、ベタなことをしてしまいそうなのがエルメンヒルデなのだから。
ならばメイドにでも味見をさせてはどうかと考えもした。
だが、どうして使用人風情に自身の初料理を食べさせることなどできようか。あり得ない話だ。
エルメンヒルデは自身のドジっぷりを一応理解している。凝ったことをしようとすれば、必ずどこかで躓くだろう。
お手本のような綺麗な品を完成させることは困難極まるに違いない。
失敗作を渡すなどあり得ない。恥をかきたくはないのだ。といって、他の誰かに食べさせたいとは思えない。
考えた末の結論は──無難に行くことだった。
余計な材料は加えない。溶かして型に流し込み、形状を変化させるだけ。この程度ならば問題ないだろう。
味を確認することは出来ないが、加熱と冷却の工程での変化程度であれば問題ないと本にも書かれていた。購入した材料の大半が無駄になってしまったが、そんな物は猫にでもくれてやればいいのだ。妹猫は大食いの甘党なので、喜んで食べてしまうことだろう。
「完成ですね」
しばらくすると、そこには出来上がった大きなハート形を眺めるエルメンヒルデの姿があった。
流し込もうとして躓いてこぼしてしまった物、ラッピングの際にへし折ってしまった物は密かに処分する予定だ。無難にことを進めたおかげで、失敗は二度ほどで済んだらしい。
いそいそと転移魔方陣を展開し冥界に帰還したはずのエルメンヒルデは、グレモリー城内を慎重に歩いていた。ここで転んで壊すわけにはいかない、と。亜空間にでも仕舞いこめばいい話なのだが、そのときの彼女はそこまで頭が回っていなかった。
いざとなると……なんだかとても恥ずかしい。吸血鬼がこんな物を用意するなんて、おかしな話だ。笑われてしまうかもしれない。
やっぱりやめておこうか。いや、でもここまでしておいて捨てるなんて……。
メイドに確認した目当ての人物がいると思われる部屋に向かうエルメンヒルデの頭の中では、退こうか進もうかと思考がグルグル。それでも彼女の足はゆっくりとそちらへと向かっていた。
その様子をハラハラしながら見守るエルメンヒルデ付きメイドたちを引き連れながら。
どうして自分は、こんなにおかしくなってしまったのだろう。
周囲を確認し、足元に気を付け、ラッピング済みのチョコレートをしっかと握りしめながらエルメンヒルデは想う。
ああ、きっとそれはあの三日間のせいなのだろう……と。
それは、エルメンヒルデ・カルンスタインが吸血鬼の国から連れ出され、悪魔の国に着くまでの三日間の出来事。
魔力による転移を用いれば一瞬で済むところを三日。
その一瞬と三日の差分は、彼女に『悪魔の駒』を埋め込んだ紅の悪魔リヴラクス・グレモリーによって、エルメンヒルデが躾けられていた時間でもある。
「どこへ連れていくつもりですか?」
自身の手を引くリヴラクスへと向けるエルメンヒルデの声は、厳しいものだ。
血に酔ってしまった末の行為。それに後悔が無いと言えば嘘になる。
一滴。たった一滴彼の血を口にした瞬間、これまで味わったことの無かった癖のあり過ぎるその味の虜になっていた。そして、無意識にこの食料を自分のものにしようとエルメンヒルデは魅了の魔眼を行使してしまったのだ。
それでこの男を言いなりに出来ていたのなら良かったが、魅了を受けたリヴラクスはただただ欲情した。
その上この男は、かつて白き毒龍アルビオン・グウィバーの恐るべき『減少』毒を振り払ったという赤き龍の帝王の『譲渡』の力を行使し、エルメンヒルデが仕掛けた魅了を彼女自身に返してさえきたのだ。
神滅具『
エルメンヒルデの魅了によって情欲を滾らせその気になってしまった男と、自身の放った魅了の視線を跳ね返されて逆に魅了されてしまった女。その結果が、エルメンヒルデ・カルンスタインの転生悪魔化だ。
血の味に酔って理性が飛んでしまい、そのせいで交渉相手に攻撃ともとれる行動をとってしまった。そこから返り討ちにされて悪魔の下僕になってしまうなど、大恥もいいところ。
今のエルメンヒルデはそんな自身を情けなく思っていた。
「悪魔の国への正式な入国には手続きが必要だ。その準備期間の間、この島で過ごそうかと思ってな。出会ったばかりでお互いのことも良く知らないのだから、話し合うこともあるだろう」
この男は強引だ。エルメンヒルデの手を強い力で握ってぐいぐいと引っ張っていく。
魅了の影響下であったとはいえ既に了承済みで下僕になってしまった身の上なので、それも仕方がないことではあるのだけれど。自分で仕掛けてしまったことの結果だ、文句も言えない。
女尊男卑社会のカーミラ派吸血鬼社会で生まれ育ったエルメンヒルデにとって、こういった扱いはある種新鮮なものではあった。
女が上に立って判断・決定し、男はそれに従って補佐に努める。そんな社会しかエルメンヒルデは知らなかった。
無言のうちに自分の決めたことに従えと伝えてくるこの男の態度に、反発すると同時に何かそれとは違う心の動きを覚えてしまっている。そのことをエルメンヒルデは自覚していた。
「ですから、
自身の行動までも勝手に決められてしまう。そのことはもうこうなってしまった以上構わない。転生悪魔となり、この男の眷属となり、下僕の身分となったのだ、そのことについては受け入れるしかない。
ただ、説明ぐらいは欲しいものだ。なぜ、こんなにも暑い場所を歩かされているのかぐらいは教えてもらってもいいはず。
リヴラクスに手を引かれ、エルメンヒルデが歩いている場所。そこは年中無休で霧に覆われ、太陽光を避けて生きて来た吸血鬼にとっては大変暑い場所だった。
「別荘だ。この島は、前に海遊びをしようと思って購入した島でな。俺の別荘があるんだ。冥界行きの列車の準備が整うまで、そこで過ごす」
赤道付近の常夏の島。昼間には青い空に白い雲が流れ、サンサンと太陽光が降り注ぎ、しょっちゅう豪雨や暴風が襲ってきて流れる水だらけになる。そうでなくても、周辺は海流渦巻く海、海、海。
生い茂る植物たち。やかましくギャーギャーと鳴き声が樹々の間に響き、息をひそめて潜む動物の気配、我関せずと生を営む昆虫たちの立てる微小な活動音。
リヴラクスに連れられてエルメンヒルデが転移させられた場所は、吸血鬼にはまったく縁のなさそうな場所だった。今が夜でなければ、エルメンヒルデは全身を布で覆って歩かなければならなかったところだ。昼間だったら日光がヤバイですよ。
説明を聞くと、ここは元々は無人島だったようだがリヴラクスが購入した後に整備されたらしく今ではビーチもあれば森の中に道もつけられている。人間には認識できないように結界も張られているらしい。
「あっ……」
足元は土道だが、別にそうデコボコとしているわけではない。それなのに、エルメンヒルデは転びかけた。
彼女の手を引いていたリヴラクスは、そこをすかさず抱き留める。
「エルメは案外甘えてくるな」
さっきからこうなのだ。もう何度も転びかけて、その度に抱き着くようにして支えられてしまっている。
それがどうやらリヴラクスからはエルメンヒルデが甘えているように見えるらしく、いちいち喜ばれてしまっていた。
「べ、別にわざと転びそうなふりをしているわけではありません!」
「いや、それはさすがに……ああ、土道を歩いたことがないのか? もしかして」
エルメンヒルデは基本的に屋内暮らし。街に出ても舗装されたところばかりを歩く身分だ。とはいえ、土を踏んだことぐらいはある。
単にこの吸血鬼はよくコケるだけだ。何もないところでも。
「それぐらいはあります。これは……そう、貴方が手を引くから、バランスが悪くなってしまっているからです。逃げたりはしませんから、離してください」
「ん? そうか」
自分から要求しておきながら、あっさりと手を離されると何やら残念な気持ちになってくるから不思議なものだ。
エルメンヒルデはお嬢様気質なので、ワガママなところもある。
(私の手を取れる男などそうはいないのですから、もう少し惜しんでも良いでしょうに)
何故か湧き上がって来た不満を、エルメンヒルデは頭を左右に振って追い出そうとした。
一度寝たくらいで、何を絆されかかっているというのか。すでに『駒』を入れられてしまっている以上、関係は良好なものの方が良いのだからそれで困るわけではないのだけれど。
「思っていたよりもみすぼらしい建物ですね」
その後も何度か転びそうになりつつ、どうにかたどり着いた仮の宿は貧相な代物だった。
いわゆるコテージだ。一般庶民からすれば十分すぎる代物だが、吸血鬼の真相カーミラ女王の血を引く最高峰の名門カルンスタイン家のエルメンヒルデには相応しくない。
エルメンヒルデにとっては不本意なことだが、彼女の『主』となった悪魔の名門グレモリー公爵家次期当主リヴラクスにもそれは言えること。
貴族たる者、身に着ける品から所有する物件まで、その家の格に合わせたものが求められる。それは品位において吸血鬼に劣るとはいえ、似たような貴族制度を維持している悪魔でも同じはずだ。
「まぁ、このぐらいの方が雰囲気が出るからな。それにこの島全体が庭の一部と考えれば、そこまでみすぼらしくも感じないだろう?」
そう言って島の面積を聞かされると、なるほど悪くないように思われた。吸血鬼の国は面積が狭いので、むしろ広すぎるとさえ感じてしまう。
悪魔の住まう冥界の面積は地球表面と同程度とのことなので、その辺りの感覚が吸血鬼とは違うのだろう。
「なるほど、庭の一部、壁はありますがガゼボのようなものですか」
ガゼボとは西洋風の庭園に設置される壁がなく屋根と柱だけがあるような日除けを兼ねた休憩設備だ。屋根の下にテーブルや椅子などが置かれていることも多い。
日光と縁のない吸血鬼の庭園には、日除けは設置されないいけれど、エルメンヒルデは知識としてはそれを知っていた。
「冥界の太陽は魔力で生成した造り物だから、エルメが光を浴びても問題ないはずだ」
「ええ、それは知っています。偽物とはいえ、少し楽しみですね。なんでも空が紫色なのだとか──」
そんな会話をしつつ、エルメンヒルデは何気なくその建物の中に入った。
建物の内部も木材が剥き出しだ。これまでのエルメンヒルデの生活圏にはなかった風情がある。
どうやら電気も通っているようで──どちらも闇を見通せるので必要ないが──電灯も点けられるし、人間のような食事をしないエルメンヒルデには関係ないが冷蔵庫も稼働していた。
「俺はそこまで吸血鬼について詳しく無くてな。軽く調べた程度だ。だから、まずは情報交換といかないか? 文化や生態も違うだろうから、その辺りをすり合わせておきたい。事前に連絡して整えさせておく必要もある」
「そうですね──」
吸血鬼は多様で有用な特性を所持する一方で、弱点も多い。そしてそれらを保有するために人間とは異なる生活習慣も多い。
話してみると悪魔は人間と似通った生活様式のようで、やはり吸血鬼とは異なっている部分が多いようだった。
たとえば、血と紅茶しか口にしない吸血鬼はトイレに行かなかったりする。仮にリヴラクスが吸血鬼の国に滞在することがあった場合、吸血鬼貴族用の区画にはトイレがないので、いちいち食糧係(餌となる人間)用の区画まで移動しなければならなかっただろう。
「ああ、そういうこともあるのか……。他の眷属にもトイレに行かない娘はいるが、あちらは岩でも鉄でも概念でも完全消化だから少し違う……か?」
何それ怖い。岩や鉄でもバリバリ食べてしまい、それを完全に消化しきってしまうから排泄必要なしの眷属だなんて……この男、一体どんな眷属を引き連れているのだろうか。
エルメンヒルデは恐れ半分、興味半分でこれから眷属仲間となる同僚について訊ねた。
「悪魔、それも上級悪魔……貴族が多いのですね」
現在の眷属構成を聞いてみれば、そう悪くないように思える。下品で下劣な者と同列に扱われることがないようで少し安心した。特に忌々しい人狼がいないというのが良い。
かつての大戦以降、悪魔は『悪魔の駒』によって節操なく他種族を自陣に取り込んでいると聞いていたので、少し心配していたのだ。
毛深く獣臭く卑しい人狼たちは吸血鬼にとって長年の宿敵。
エルメンヒルデはあの畜生種族から転生悪魔となった者がそれなりの数いると聞いていたので、場合によっては人狼と並んで生活しなければならないのだろうかと考えていたのだ。
「人狼は苦手か」
男は考え込むような顔を見せる。
「苦手ではなく嫌いなだけです。眷属に迎える予定でもあるのですか?」
だとしたら問題だ。悪魔と堕天使は冥界で長年小競り合いを続けてきているはず。その堕天使の血を引く娘を眷属に迎えている男だ。
人狼と仲良くしろなどと言われる可能性もある。
「いや、眷属ではないが……どうしてもダメか?」
「どういうことですか?」
聞いてみると、どうやら彼の後宮で働いているメイドの中に狼男の子孫がいるらしい。
毛や臭いが苦手というわけではなく、これまでの種族的対立関係による好き嫌いの問題なので、顔を合わせなければなんとかなるだろう。
「そういう話か。分かった、配置について考えるように言っておこう」
この男、噂よりは話が通じるようだ。一夜の過ちのせいで今後長く付き合っていかなければならなくなってしまったエルメンヒルデは、それを確認してホッと一息。
ただし、女好きについては噂通りだったらしい。
眷属の構成、後宮の存在、そこに勤めるメイドたち……話しぶりからかなりの数の女に手を出していることが分かる。
現に今も──。
「ところで、いい加減離れてくれませんか?」
このコテージについてソファに腰を下ろして話し始めて以降、リヴラクスはずっとエルメンヒルデの隣に座っている。しかも、自然に腰に腕を回して身体を寄せられている状態だ。
断わりもなく男からこんなことをされるなんて、エルメンヒルデはこれまで経験したことがない。
「いいな……、やはりエルメはその顔が似合う。話すのは明日でもいいか。日もあることだしな」
リヴラクスが身体をエルメンヒルデ方へと向ける。腰に回された腕に力が入って、「離して」と言った言葉とは逆に引き寄せられる。
頬に片手を添えられると、エルメンヒルデのツンと尖った耳に朱がさした。
「そう嫌がるな。分かっているだろう?」
エルメンヒルデはすでに眷属、下僕にされてしまった身の上だ。行為を拒否出来ないと理解してはいる。
ただ、どうにも男性が主体になる形が受け入れがたい。あちらが『王』で、こちらは『兵士』と分かってはいるのだけれど。
「あっ……ちょっと……」
思わず顔を逸らして迫る唇を避けると、首筋に吸い付かれた。音を立てて吸われてしまう。さらに何か硬く尖ったものが、チクリとした刺激を……首に犬歯を立てられ、軽く噛まれている。
後頭部から腰に掛けてゾクゾクとしたものが奔り、エルメンヒルデはブルリと身を震わせた。
「俺はお前が『はぐれ』にならないかと心配していてな」
ソファの上で押し倒された。男の体重が伸し掛かってくる。強い力で身体を抱え込まれ、顔を無理矢理上向かされる。
「『はぐれ悪魔』になどなりません。よほど扱いが悪いのでなければ、あり得ない選択です」
悪魔社会の説明の中で『はぐれ悪魔』についても聞かされていた。主を裏切り逃走した転生悪魔は──ほとんどの場合において処分される。お尋ね者とされて追い回され、いずれ殺されるのだ。
『悪魔の駒』によって種族の変わってしまったエルメンヒルデは、もう吸血鬼の国には戻れない。その上で悪魔からも『はぐれ』て追われ暮らす放浪生活など考えたくもない。
まともな待遇を受けている者が取るとは思えない行動だ。
「それは良かった。なら、存分に愛し合おう」
「くっ……このッ。結局こうするつもりじゃないですか!」
受け入れなければ『はぐれ』そうと言って犯し。受け入れたらそのまま犯される。
この男はエルメンヒルデがどう言っても彼女と交わるつもりなのだ。
「お前の望みを叶えてやるだけだ。もちろん俺の欲もな」
「何を言って……あっ、血……」
リヴラクスが自らの唇を噛み切った。傷口から滲み出た
あの味。脳髄が蕩けるような。エルメンヒルデを狂わせる魔性の紅。
その味わいを覚えてしまったエルメンヒルデの舌は勝手に動いて、自分の唇を舐めていた。
「ああっ、この味……これ、ダメになってしまう……」
すると、吸血鬼の深紅の瞳がこの極上の獲物を自分のものにしようと輝き始めてしまう。
このままでは、またおかしくなってしまう。お互いに魅了し合って失敗したアレの二の舞だ。
(また、この男に好き放題されてしまう。目を、目を閉じないと……)
「はんっ……んっ、ちゅっ……」
頬を染め、唇を唾液に濡らし、瞳を閉ざした蒼白の美貌を持つ華奢な元吸血鬼。
悪魔は彼女の上に覆いかぶさると、唇を重ね始めた。
血は拒めない。
遅れたうえに導入までですが、次回は『(濁った)ホワイト(に染め上げる)デー』。