公爵家次期当主好色物語 作:ルペッタ好き
サイラオーグ・バアルの母、ミスラは七十二柱の名門の一柱ウァプラ家の娘として生まれた。
多くの者にかしずかれ、大切にされ、何不自由なく幼少期を過ごし。名門中の名門、バアル大王家当主の第一夫人として嫁ぐまで、姫と呼ばれて暮らして来た。
当然のことだが、そうして育ったミスラのプライドは大変高い。旧き魔王たちも亡くなった大戦、その後の内戦の混乱、その中で多くの貴族家が消え、七十二柱が
そんなミスラだが、結婚当初はこれからの生活にある種の期待を持っていた。漠然とした憧れのようなものだ。だが、その自身ですらハッキリと言葉にできなかった期待感が満たされることはなかった。
夫となったバアル家当主がミスラに求めたのは、バアル家の次代を産むことだけ。獅子とも称され身体の操作を特性とするウァプラの姫は、産まれてくる子の強さだけを期待されて過ごした。何百年と。
ミスラから見てバアル家の現当主の夫は、異母姉であるグレモリー家夫人ヴェネラナに強い対抗心を持っているように思われた。
バアル家最強の女性と呼ばれ『滅殺姫』などという物騒な二つ名と数多の武勇伝を有していたヴェネラナは、バアルの当主となることを望まず気に入った男のところへと嫁いで行ってしまったのだ。
『強さ』が尊ばれる悪魔の、異形の世界。ましてや戦乱の時勢、ヴェネラナが望めばバアル家の当主になることは容易かったはずなのに。彼女はバアルよりも、グレモリーを選んだ。
そこにどんな理由があったのかは分からない。分からないが、ミスラの夫はそのことによって大王家の一族から常にヴェネラナと比較されるようになった。
「ヴェネラナだったならば」「あの滅殺姫が継いでいたなら」そんな声が夫に圧し掛かり、結果として現当主は自身の主張や意見で判断を下せなくなってしまった。何事も先例に倣い、先代や初代に代表される先達の意見を聞いてそのまま実行するような男になった。自らの功績を誇ることが出来ない代わりに、自身の失敗の責任を強く責められることもない。そんな道を選んだのだ。
そのヴェネラナが、バアルの「滅び」の申し子ともいえる存在を産んだ。サーゼクス・グレモリー、内戦の動乱の中でその才覚を示し、旧き魔王の血族を軽々と打ち破って魔王ルシファーとなった最強の悪魔。悪魔の中の規格外、超越者。
プライドと体裁を守り、表向きを取り繕うことだけには強くこだわる夫。彼は口にこそしなかったものの、ミスラやもう一人の夫人にサーゼクスを越える子を求めていたのだろう。
幾百年の時が過ぎてもそれは変わらなかった。やがてミスラと夫との間に待望の子が出来た。腹の中に子を宿しているその間だけは、夫はミスラに気を遣ってくれていたように思う。
それがミスラにこれまでのどこか冷たい関係の変わる切っ掛けになるのではないか、そんな期待を抱かせた。
そうして、確かに関係は変わった。望んだもの、漠然と期待していたものとは正反対の方向へと。
ミスラは後にサイラオーグと名付けられる長男を最初に見たときの、夫のあの目が忘れられない。サイラオーグは魔力量が極端に少なかった。赤子として見ても、その感じ取れる魔力の量は下級悪魔のレベルにすら届かないほど低かった。
息子を抱くミスラに夫がかけた言葉は「欠陥品」であった。子も、その母も。
バアル家の中にあって、ミスラは蔑まれるようになった。息子には聞かせていないが、あるいは夫の方に問題があったのではないかと口論となったこともあった。
やがて、多くの悪魔の子供がその血に宿る魔力の特性を現す頃になっても、サイラオーグにバアルの証である「滅び」が現れなかったので、ミスラの立場は息子ともども底辺に落ちた。
ちょうどその頃のことだった、あのグレモリー家に嫁いだヴェネラナの第二子、次男であるリヴラクス・グレモリーのことが知られ始めたのは。生まれたときから純血の悪魔としても大きな魔力を持ち、その成長速度は規格外。既に魔王級に至っているという。
幼くして、すでに旧きルシファーの魔力を超え、バアルの血筋の証である紫の瞳と「滅び」を宿していると。
誰からその話が出始めたのかは分からない。いつの間にか、バアル家の中にリヴラクスを引き取って跡継ぎとするべきではないか。そんな話が流れ始めた。
他家の子を、それも兄がルシファーとなっているため当主を継ぐであろう立場の次男を引き取るなど、普通ならば出来ない。だが、大王たるバアル家にはそれを可能とするだけの権勢があった。
そのことを聞いたミスラは、既に屈辱の中にあった自身がさらに深く屈辱の沼に沈んでいくのを感じた。
そこに追い打ちをかけるように、夫と第二夫人の間に子が生まれた。次男マグダランだ。
マグダランは並みの子だった。他の純血の子と大差のない普通の貴族の子だ。マグダランが生まれたこと、そしてリヴラクスに人間の魂と『赤龍帝の籠手』が宿っていることが判明し養子の件は消え去った。
ただ、バアル家の始祖であり、今も実質的な支配者であるゼクラム・バアルはリヴラクスを可愛がった。わざわざ政治的な工作をしてまで教育係となることをグレモリー家に了承させ、自ら魔力の扱いを教え込むほどに、彼を特別扱いした。サイラオーグにも、マグダランにも、現当主であるミスラの夫ですらそのような扱いを受けたことはない。
第二夫人がそのことに惑乱し、夫が渋面を作る中、ミスラとサイラオーグはバアル領辺境地域へと追いやられることになった。
ミスラだけならば、実家に戻ることも出来た。しかし、夫はサイラオーグを「家の恥」と呼び、外に出すことを許さなかった。ミスラだけが実家に帰っては、残された息子がどのような目に遭わされるか分かったものではない。嘲笑を浴びせられ続ける生活ならばまだ良い方で、幽閉、最悪の場合には意図的に
ミスラにはもはや、貧しくとも息子と二人で夫の目に留まらず、気に障らない、それでいてバアル家の支配する辺境の地へと向かうことしか許されていなかったのだ。
その際に、ヴェネラナからグレモリー家で母子を引き取ろうと提案があったようだが、現当主が「他家に嫁に出た者が口を挟むな」と激怒し、それが認められることはなかった。
辺境での生活は、貴族の令嬢として育ったミスラには厳しいものだった。実家からの支援は夫に遮られて届かず、嫁入りの際に連れてきた使用人たちへの給金すら払えない。
逆に、本来雇うはずの者たちが働きに出て、ミスラとサイラオーグの面倒を見てくれているような状況だ。情けなくて涙と嗚咽をこらえられなくなる。
そんな日々がしばし続き、唐突に終わりを迎えた。
「初めまして、ミスラ叔母様。リヴラクス・グレモリーと申します」
母であるヴェネラナから預かったという援助を亜空間に仕舞って、彼はミスラの前に姿を見せた。バアル家初代ゼクラム・バアルに頼んで目こぼししてもらったと言って。
下着は一番良いものを。
急にリヴラクスがやって来たと聞かされ、ミスラは着替えを急いでいた。他家の者に情けなく、みすぼらしい姿は見せられない。
かつては全て任せていた着替えなども、今では自ら行うようになっていた。そんなところに人手を割く余裕はない。
服は、どうしたらよいのか。この服は前に着た。あれは以前褒められたが、だからといって同じものを何度も使うなんてできやしない。
ああ、どうして予定と違う日に急にやってきたりするのだろう。
ミスラがリヴラクスと初めて会った頃、彼はまだ子供だった。妙に大人びたところもあるが、その姿は確かに小さな少年のもので、それでいて途轍もない恐ろしさを秘めている。そんな子供だ。
初代バアルが特別視するのも理解できる。実際に相対すれば、その魔力とオーラの波動を敵意に変えて己に向けられたくはないと芯から思わされてしまう。あの大戦の折に悪魔・天使・堕天使の三陣営すべてに甚大な被害をもたらした赤龍帝ドライグの力を使っていない時でさえそうなのだ。
もしヴェネラナがいなかったら、夫は違っていただろうか。もし彼女がもう少し凡庸であったなら。あるいは彼女の次男がそこまでの力を示していなければ、初代バアルから特別に扱われるようなことがなければ。自分とサイラオーグの扱いは違っていたかもしれない。
その頃、ミスラの中には、ヴェネラナとリヴラクスへ向けたある種の恨み、嫉妬のような感情があった。それは今も僅かに残り、心の奥底に根付いている。
だが、それを血色の髪と滅びの紫瞳を持つ魔王のような少年に見せるわけにはいかない。何故なら、今のミスラとサイラオーグの生活を支えているのは彼が運んでくるヴェネラナからの援助だからだ。養われていると言っていい。
「ミスラさま。リヴラクスさまがお見えになりました」
自室のドアの外から声がかかった。早い。サイラオーグの話では、もう少し時間を置いてからということだったはずなのに。
「少し待ってもらって、それから」
「承知いたしております」
慌てて着替える。いつものように時間をかけて選んでいる余裕はなかった。
「お久しぶり、と言うほどでもなかったですか」
「ええ、ごきげんよう。リヴラクスさん」
来客用の一室に向かうと、アラビアンとでも言えばよいのか、エキゾチックな装いの少年が当然のような顔をして使用人たちの歓待を受けていた。
ウァプラ家からバアル家へ、そしてこの辺境まで付き従ってくれた使用人たちもまた、それを当たり前として行動している。
それは別に良いのだ。使用人たちの給金を支払っているのは、彼の母親で、彼がそれを運んできてくれなければ困るのだから当然だろう。一度に多くの資金を……とも思うが、それは許されていないらしい。
生活に必要な分だけ、というのが初代バアルの認めた範囲のようだった。
「ミスラさん、いつものですが、彼に渡しておきましたので」
そう言って、リヴラクスは執事に目を少しだけ留め、すぐにミスラへと向き直った。
いつも、じっとこちらの目を見つめてくる子だ。出会った頃からそうだった。変わったのは、彼のその背丈と雰囲気。
「ええ、ありがとう。ヴェネラナさまにもお礼を伝えておいてください」
「はい……おや、もしかして少しお疲れでしょうか?」
言われて、何かおかしかっただろうかと考えていると、彼の手がミスラの頬に触れていた。
「失礼、髪が……」
顔のすぐ近くに、血の紅と紫水晶の色合いがあって、ドキリとする。慌てていたせいか、ほつれた髪が頬にかかっていたらしい。
それを直す彼の手が、頬から耳、そして首筋をそっと撫で、最後に鎖骨に触れるようにして離れて行く。ゾワリと不快ではない何かが、ミスラの後頭部を震えさせた。
「ごめんなさい。慌てていたものだから……サイラオーグからは、もう少し遅くなると聞いていたのよ」
「すいません。早くお会いしたかったもので」
勘違いしそうなセリフに、ミスラの首筋がうっすらと朱色を帯びた。
まただ。また、じっと見られている。なにかたまらなくなって、ミスラは彼から視線をそらした。
子供と大人の中間。少年から青年へと移り変わる時期。そんなごく短い期間だけが持つ妖しげな雰囲気が、彼から漂ってくるように感じてしまう。
私は何を考えているの。いくら……もう、ずっと、ないからって……。
「何を言うのよ。それでサイラオーグはどうしたの? 一緒だと聞いていたのだけれど」
「ああ、サイラオーグでしたら、今日は遅くなると伝えてくれと言っていましたよ。静かな場所で一人になって考えたいことがあるそうで」
「考えたいこと……そう」
『滅び』も魔力も、ミスラはサイラオーグに悪魔としての評価に直結するものを何一つ与えてやることが出来なかった。そのせいで悩みも苦しみもあるだろう。考えることも同じだけ。
ウァプラの獅子の血に賭け、身体を鍛えてみるように伝えたことが功を成し始めていることだけが幸いだった。その分、息子が家にいる時間は減ってしまったけれど。
「鍛錬にはどうも、山に籠るのが良いらしいのです」誰から聞いたのか、いつぞやサイラオーグがそう言っていたことを思い出す。それが誰かなんて明白だ。
サイラオーグは、この従弟に対して恐ろしく素直なところがある。相手が
ただ、息子がそうであることを仕方がないことだとも、ミスラは考えていた。
物心付いたころから実の父親に疎まれ、親類一同からも蔑まれて来た子だ。辺境に来れば今度は平民からも虐めを受けた。そんな息子と唯一マトモに話をする親類は、この従弟だけだったのだ。しかも、その従弟の運んでくる援助によって、ミスラもサイラオーグも、使用人たちも生活している。
プライドをへし折られ捻じ曲げられてしまったミスラのような大人ではなく、まだ真っすぐなところのある子供のサイラオーグがそれに恩義を覚えるのは当たり前だろう。
「ミスラさん……?」
ふわりと頭の中が霞んだようになって、気が付くと彼に抱えられていた。数年もすれば追い抜かれるだろう彼の背丈はまだミスラよりも低く、もたれかかるような姿勢になっている。
「なに、を……」
霞が晴れると、今の状況に羞恥が巻き起こる。頬を染めたミスラは彼を突き飛ばすようにして距離を取ろうとして、よろめいた。
「本当に具合が悪そうですね」
身体を支えられながら、本気で心配する声を鼓膜が拾い、彼の纏っている香りがミスラの鼻腔をくすぐった。
こんなの、いつ以来かしら……?
夫とはサイラオーグを身籠って以来、触れ合っていない。息子が生まれてからはいがみ合うことしかなかった。かけられる言葉も、酷いものばかりだった。
「最近、少し……」
近頃、ミスラはふと気づくと眠ってしまっていることが多くなっていた。疲れているのかとも思ったが、それにしてもおかしい。きっちりと眠って起きたすぐ後でも、ふと意識が遠くなっていることがある。
「あっ……」
と気付くと抱えあげられていた。膝裏に彼の手が回されて持ち上げられ両足を床から離されてしまうと、自然とミスラの腕は彼の首に回って自身の身体を支えようとしていた。
身体がカーッと熱くなって、不意に襲って来ていた眠気が吹き飛ぶ。
なに、この……。
「実は、ゼクラムさまから言伝を預かっています。少し二人で話がしたかったのですが……寝室は?」
ミスラの方へと寄ってこようとしていた執事にギリギリ聞こえる程度の声量で、彼はそう言った。ギクリと足を止めた執事は、場所を訊かれて彼をミスラの寝室へと先導していく。
「少し横になった方がいいでしょう。いくつか話すことがあるだけですから」
男の手で抱えあげられ、寝室へと運ばれている。この状況に、ミスラは胸の鼓動は激しく騒ぎ出していた。眠気の代わりに、別の霞がかかったようになり、気持ちがざわめく。
「こちらです」
執事が扉を開いて頭を下げる。それに鷹揚に頷くと、彼はミスラを室内へと運び込んだ。
「分かっていると思うが」
「私は何も聞いておりません」
見聞きした貴族の秘密の事情に口を挟まず、口外もしない。出来た執事は頭を下げ、扉を閉めた。
「もう、大丈夫だから……おろして」
カチリと鍵のしまる音がした。魔力で動かしたのだろう。続いて、結界が室内を覆った。莫大な魔力にものをいわせた、術式的には簡易でありながら非常に強固なものが。
息子は別として、ミスラは長いこと男に触れていない。世の中には、下卑な輩に身を任せて愉しむ貴族女性もいるというが、ミスラのプライドはそんなことを受け入れられなかった。
夫に対してどうこうではなく、この辺境の地にはミスラがそれを許せるような相手がいなかったのだ。バアル家では夫に冷たくされ、こちらに来てから出会う男は使用人と、平民の中でも特に下賤な辺境の田舎者ばかり。とてもではないが、相手になど出来ない。
「実は、叔父上がサイラオーグを手放すことを認めました」
「ねぇ、なにを……」
仰向けにベッドに寝かされたミスラの顔のすぐ近くに、彼の顔があった。鼻と鼻が触れそうな距離だ。
お互いの吐息の音が聞こえる。
息が荒くなってる……? わたしも……。
「ですから、ミスラさんたちをグレモリーで引き取ろうと考えています」
「それ、は……でも、サイラオーグは、バアルの当主に……」
夫と同じ、息子と同じ、紫の瞳が見下ろしてくる。
「それは本当に、サイラオーグの望みですか?」
「だめ、だめよ……」
見下ろす瞳との距離が一気に近づき、唇を奪われていた。抵抗しようともがくが、魔力で強化しているのかビクともしない。
何度か軽く触れるだけのキスを繰り返され、
「俺は貴女が欲しい」
彼が以前来た際に、しきりに褒めていた服の胸元を開かれていく。
「ああっ、やめて……なに、をするの」
露わにされた胸をじっと見られていた。彼は薄く笑みを浮かべると、そこに指を這わせてくる。
「こんな下着をしていたんですね」
下着越しに敏感な先を男の指でこすられている。そのもどかしく、久しくなかった官能がミスラの肢体をわななかせた。
恐怖ではなく、それは興奮によるものだ。じわりと、触れられてもいないのにミスラの両脚の間の布に染みが浮かび始めていた。
欲求不満な雌獅子、猫科なのでキャッツの壱
ミスラさん家の使用人:
ウァプラ家からついてきて、辺境までお供してきた忠義者。一年ほど賃金未払いどころか外で働いて得たお金でサイラオーグ母子を養う。
が、現在の彼らの給料はグレモリー家のヴェネラナさんが支払っている。