「こっちで合ってんのかな、ほんとに」
「まあ、車の向かった方角ってだけじゃ、何ともねえ」
翌日、朝の早い内から私たちは車で乗り出していた。まず向かったのは、犯人のバンが向かったと思しき郊外に向かってだった。
昨日の住宅街からは車でほんの20分ほど。同じ市内ではあるものの、山際ということもあって驚くほど緑が多い。辺りに立ってぐるりと首を巡らせても、目に映るのは田畑と疎らな民家、そして向こうの方に扁平な山が見えるばかりだ。時折見える家屋も、半分近くは人の手が入っていないもののように思われた。色褪せながらも夏場に誇った趨勢の名残を強く留めた、塊のような雑草に半分埋もれているようなあばら家が珍しくない。
しかし、何の当てもなく探すには広すぎる。 そもそもが、ただ車が向かった先の方角というだけに過ぎないのだ。何かがあるという確信がある訳ではない。
「くねくねはいるかしら」
収穫が近いのか、一部の畑には冬場とあっても根菜の葉が青々と列をなして茂っている。亜嵩はそれをどこか楽し気に見ているのだが、
「なんもねえな。ほら、行くぞ」
私は先を促した。
次に向かったのは、先ほどの郊外地から目に付いていた丘のような標高の低い山だった。こちらも、別段何かの心当たりや予感があった訳ではない。疎らだが背の高い樹木が林のように立ち並ぶ様に、何かを隠すのに絶好のスポットではないかと当たりを付けたまでだ。
斜面の際に、都合よく車の止められそうな空き地があった。もしかしたら、近所の住民もそのように使っているのかもしれない。農道から轍の目立つ獣道が空き地まで繋がっており、そのスペースも車1台であれば余裕をもって切り返せるほどの広さがあった。
緩やかな斜面は舗装こそされていないものの、歩きやすく踏み固めた獣道が上に向かって伸びている。
目算では頂上まで30分も掛からないだろうその道のりを、私はたっぷり1時間近くかけて登った。概ね亜嵩のせいである。
「あ、キノコ」
「動くんじゃないよ!」
体重を預けるのならば、せめてじっとしていてもらいたいものだ。
さかのぼること30分ほど前、私と亞嵩の間に以下のようなやり取りがあった。
「ヒールじゃ山道なんて登れないわ」
「じゃあ車で待っといてくれ」
「あら、4つの目できちんと確認した方が良くはなくて?」
「……靴取りに戻るか?」
「あら、時間が惜しいんじゃないのかしら?」
ああ言えばこう言う。
「肩車しようか?」
「子供じゃないのよ?」
「じゃあおんぶとか」
「悪くないけど、シバケンちゃんの首に負担が掛からないかしら?」
落としどころを測る折衝の果てあらぬ結論が出ることはままあるが今回がその良い例で、結局私は亜嵩を両腕で捧げ持つようにして運ぶこととなった。所謂お姫様抱っこである。
「ものすげえ疲れるんだけど」
「あら失礼ね。気のせいではなくて?」
何度か地面に降ろしては肩に担ぎかえ――その度に文句を言われたが――ようやく頂上に辿り着く頃には息が上がり、二の腕ははち切れそうになっていた。
「ありがと。後でマッサージしてあげるわねえ」
涼し気に言う亜嵩に、悪態を返す余裕もない。
登頂と胸を張るにはささやかに過ぎる登山、その頂上に待っていたのは樹木のない開かれた空間と、薄いトタン屋根の寂れたあばら家だった。塗装は所々は剥がれ錆が露出しており、とても人の手が入っているようには見えない。壁にはツタの葉が張り付いていて、正面玄関と思しきドアは開け放たれたままだった。せっかくここまで来たが、この有様では外れだろう。
息を整え、「一応中見てみるか?」と目顔で問う私に、ようやく自らの足で立った亜嵩は相変わらず何を考えているのか分からない顔で頷く。
開け放たれたドアから用心しいしい中に入るが、目に付くのは今にも腐り落ちそうな天板の家具たちと、窓から差し込む陽光を受けて光を放つように舞う埃の群れだけだった。当然、人の気配もなにもない。
「出ようか」
下りもまた大変な労力があったことは言うまでもない。ともあれ、何の収穫もなく、私たちはこの田園風景を去ることとなった。
「なあ、ちょっと考えたんだけど」
車内でコンビニのサンドイッチを頬張りながら、亜嵩に水を向けた。
「なあに?」
「犯行に使われたのは銀色のバン。大まかだけどやってきた方向と向かった方向は分かってて、向かった先は空振り。なら次は、やってきた方を取りあえず当たってみねえか?」
「死体遺棄事件の現場は後回しってこと?」
「時間がないのは分かってるけどさ」
時間が誘拐事件の解決可否に関わる重要なファクターであることは今更言うまでもない。であれば、警察署で得られた情報は取りあえず後回しにしてしまっても良いような気がしていた。死体遺棄事件は被害者の安否だけに焦点を当てるならば『もう終わった』事件である。現在進行形で進んでいる誘拐事件に関する情報収集が先だろう。それに、人の記憶はすぐに曖昧になったり、別の思い違いに置き換えられてしまう。聞き込み情報を募るのなら尚更、そちらを優先すべきだった。
「まあ、いいけれど」
相変わらず、亜嵩はにべもない。
バンの足跡を遡るような形――これも殆ど当てずっぽうにすぎないのだが――で辿り着いたのは、またも住宅地だった。とはいえ誘拐の犯行現場のようなお屋敷の立ち並ぶ高級住宅街ではなく、ごく一般的な中流階級のそれだ。昔からこの地域に根差しているのだろう。昔ながらの長屋建て集合住宅やカーポートが間口を半ば以上塞ぐ一軒家が軒を並べていて、それらが面する道路は幾度も部分補修を繰り返され、継ぎはぎのようなアスファルトの濃淡と凹凸が目に付く。
気の利いたパーキングなどは当たりに見当たらず、私は電信柱に寄せて遠慮がちに車を停めた。夕刻にはまだ少し早い時間、車を降りるとどこからか子供たちが外で遊び回る声が聞こえてくる。
インターフォンを鳴らし、あるいは庭作業中の住民に声を掛け、目ぼしい情報がないか地道な聞き込みを続ける。いぶかし気な視線やあからさまな無視も珍しくはないが、『私立探偵』と書かれた名刺に目を輝かせ訊いてもいないことをペラペラと捲し立てる手合いも、実は同じくらいいる。意味のある情報を汲み取るのは、地道で忍耐の要る作業だ。
当たりを引いた、と感じたのは5件目だった。総白髪の上品な老婦人で、買い物帰りのところに声を掛けたのだ。どうやら今日は近所のスーパーの特売日らしく、肩に掛けたエコバッグは膨れあがり長ネギが斜めに飛び出していた。
ちょっとごめんなさいね、と彼女は玄関に入り、上がり框にバッグを置いたのだろう、すぐにもう一度出てきた。妙なことに、代わりに小振りの巾着袋を手に持っている。
「ええと、銀色のバンだったかしら、3日前のお昼ぐらいに、ええ」
似たような色や車種のものはいくらでもあるだろうが、引っ掛かるものがあった。だからこそ、「よく覚えているな」と感じたのだ。
「代行業者っていうのかしら。昔は万事屋とか何でも屋なんて言ってたけど、たまにこの辺りにも来てくれるのよ」
「代行業者、ですか」
「可愛らしい牛のステッカーが窓の下あたりに貼ってあるんだけど、3日前に見た時には剥がれちゃってて、丁度ステッカーの形に日焼けの痕がくっきり残っていたものですから」
だから覚えてたのよね、と老女は得意げな笑みを浮かべた。
「もしかして、乗ってる人間を見ましたか?」
「ええ、ええ。帽子は被ってらしたけど、金髪の長ぁい髪の毛だったわ。背もこぉんなに高くて」
「もしかしてその男、前歯が欠けていましたか?」
「さあ、そこまでは……」老女は首を傾げた。
「私が見たのは、その人が車に乗って発進する時なの。タイヤを鳴らして凄い速さで走り出して……ねえ、こんな住宅街だっていうのに、危なっかしい」
そう言って、当時を思い出したのか眉を顰めた。
「そうですね。この辺りは子供も沢山いるみたいですし」
「そうだわ、これ」
老女が差し出したのは、先ほど手に持って出てきた巾着袋だった。大きさは掌に乗る程度で、麻生地の無骨な造りだった。
「金髪の人が落としていったのよ。本当は警察に届けようかと思ってたんだけど、貴方探偵さんでしょう? 預かって下さらないかしら」
正真正銘例の事件に関わるものであれば、もののついでに良きに計らってくれと託せる程度のものでは無い筈だが、そこは知らぬが仏である。私は彼女の気が変わらないうちに「ええ、喜んで」と努めてさり気なく受け取った。
「中をちょっと見てみたんだけど、粉の入ったビニール袋でしたわ。いやだ、危ないお薬だったらどうしましょう……」
「仰る通り、確かに警察にお届けしますよ。ただ、中を見ただとか拾っただとかは余り言い触らさない方が……犯罪に関わっているなどと思われてもお嫌でしょう」
軽く脅し付けると、老女は目を丸くしてぶんぶんと首を縦に振った。こういう手合いの口に戸を立て掛けるのが難しいことは、よく知っている。これで少しでも時間稼ぎが出来れば良いのだが、まあ時間の問題だろう。
とっとと持ち帰って、つぶさに見てみることにしよう。
私は黙って傍らの亜嵩と視線を交わし合った。
警察に届けるのは、その後でも遅くはない。
言い訳をするならば、少なくともこの時点においては、この証拠品を素直に届け出るつもりはあった。
『念の為、不可視化したものはこれを振りかけ、確認する事。まさしく置いたその場所に』
事務所に帰ってから開けた巾着袋の中から出てきたメモ書きである。
この謎のメモと小振りのビニール袋に入った白い粉をコーヒーテーブルの上に置いて、私と亞嵩は腕を組んでに睨めっこをしている。
「なんだこりゃ」
「何かしらねえ」
メモは簡素な明朝体で印刷されたB5サイズ程度のもの。紙質はありふれたコピー紙のようで、四つ折りの痕が残っている。
白い粉のほうは、末端の売人が捌く覚せい剤の様な小分けのパケットよりは内容量が些か多い。それが2ヶ。小麦粉よりは粒が荒いようだが、これが何なのか舐めて確かめてみる気は起きない。
「試しに何かに掛けてみる?」と亜嵩。
ビニール袋はチャック付きのもので、少しずつ出しては都度閉められるようになっている。
ものは試しと少量を指で摘まみ、飲み終わった紅茶のカップにさらさらと振りかけてみるが、やはりというか何も起きない。
「紅茶に入れて飲んでみる?」
「バカ言え」
ただ、気になる品であることは確かだ。即日警察に持っていくのは止めて、しばらく手元に置いておくことにした。
うーん、と両手を上げて背筋を伸ばすと、肩甲骨の辺りがごきごきと鳴った。すでに日はとっぷりと暮れていて、窓の外はすっかり暗くなっている。今日はもう上がりだ。
「続きは明日だな」よっこらせ、と膝に手を当てて立ち上がる。
「ご飯にしましょう」亜嵩も倣って立ち上がる。
「どっか食いに行くか?」
「シバケンちゃんちが良いわあ」
「またかよ。まあいいけど」
いつもの事である。
「で、何が食いたいんだ?」
「今日はブリシャブの気分ねえ」
「はいはい。じゃあ帰りにスーパー寄ろうな。この時間なら割引のやつがあるだろ」
ええ~、と亜嵩が口をとがらせた。
「魚屋さんでちゃんとしたのを買いなさいよう。折角沢山お金貰えたんだから」
「はいはい」
言わずもがな、この日も亜嵩は私のアパートに宿泊した。