※この作品はR-18です。

COC「同居人」リプレイ   作:又左衛門

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 翌朝、凄いことになった寝癖を直しメイクに格闘する亜嵩を貧乏ゆすりでじりじり待ついつもの一幕を挟み、向かったのは大堂から聞き出した情報である遺棄事件の現場である。やはり一次情報を当たって良かった思うことのひとつは、情報の解像度と正確さだ。特にこういった事件ではマスコミに対して敢えて一部の情報を不自然に伏せることが珍しくない。『真犯人だけが知り得る情報』の存在が、今や非インテリ層がすら声高に叫ぶ国民の知る権利を制限してなお捜査に利することは、これもまたよく知られた事である。

 そして、この場所もまたそうだった。

 快速列車の止まらない小振りな駅舎の構内にある男子トイレで、3件目の死体は見つかっている。一番奥の、今は使用不可と印刷されたコピー紙が貼られている個室だ。鍵は掛かっていない。ここで、全身の生皮を剥され段ボール箱に詰められた女性の遺体が見つかった。

 ドアをそっと引いてみるが、当然の事ながら中には何もない。床のタイルが余所余所しい光沢を放つばかりだ。

 何か手掛かりになりそうなものがないか藁にも縋る想いできたのだが、淡い期待は裏切られた。

 後ろから覗きこむように見ていた亜嵩が、「粉、掛けてみる?」と言った。

「粉?」

「ええ、あの巾着袋の。シバケンちゃん、持ってきてるんでしょう?」

 確かにそうだ。ジャケットの内ポケットから、ビニールのパッケージを取り出し、改めてしげしげと眺めまわす。

『念の為、不可視化したものはこれを振りかけ、確認する事。まさしく置いたその場所に』メモにはそうあった。まさかな、と一笑に付したい自分もいる。その一方で、もしそれが本当なら、と興奮に似た何かを覚える自分もいる。

 わずかな逡巡の後私はパッケージを開け、粉をひとつまみ、ゆるりと大きな円を描くように床に撒いた。

 変化は、劇的に表れた。

 粉が床の湿り気に溶けると同時、線が浮かび上がった。動脈血を思わせる真っ赤な線が、刷毛で塗ったように。

 それは、乱暴に描かれた1本の矢印だった。個室の入口から見て右上、概ね1時の方向を差している。

 それを見て、私の心拍数は一気に上がった。後ろで、亜嵩も息を呑む気配がある。

 矢印は5秒かそこらで掻き消えたが、しばらくの間私も亜嵩もその場を動くことが出来なかった。

「……見たよな?」

 幻や白昼夢ではない、その筈だ。

「矢印……だったわねえ」

 亜嵩の口調も呆然としたそれだ。だが、それを聞いて私はようやく身体を動かすことが出来るようになった。

「この方向に何かあるのか?」

 壁の向こうを凝視するように睨みつける。当然の事ながら何も見えない。

 亜嵩を押しのけるようにトイレの外に出て、矢印が示していた方向を目で追った。

 線路、そして反対側のホーム、その更に向こうは1階にコンビニの入ったテナントビル。

 駅舎を走り出てそちらに駆け出した。コンビニを冷やかしテナントを見回り、更に向こう側の路地裏を歩き回ったが、何の成果も得られず、私は舌打ちした。あの矢印は何なのだ?

 ひとり路地裏で苛立ちを募らせることしばし、息を切らして亜嵩が追いついてきた。

「ねえ、他の現場にも、行きま、しょうよ」

 ひとりにしないで頂戴、と駄々を捏ねる亜嵩の言葉に、私は少し冷静さを取り戻した。

 もしかしたら、他の現場にも同様に、何か隠されたメッセージがあるかもしれない。

 

 結局、その日1日を費やして他の発見現場を回り、手当たり次第に粉を掛けてみた。

 果たして、全ての現場で赤い矢印が浮かび上がったのだ。

 狭い路地の電信柱には8時の方角を示す矢印が。

 自然公園の奥にある森の木立には、10時。

 路上に置かれたワンコイン自販機の側面には、5時。

 出てきたのは、それだけだ。

「一体何なんだよ……」

 帰り付いた事務所で、私は頭を抱えていた。一番最初のトイレ以外は地面に垂直な面に書かれていたことから、どうやら矢印は単純な方向を差しているのではないらしいということは分かった。だが、それが何だというのだ?

「地図に描いてみたらどうかしら?」そうぽつりと呟いたのは、亜嵩だ。

 雷に打たれたように、私は再起動した。

「てっきり分かってて、敢えて避けてるのかと思ったのだけれど」

「うるさいよ。俺は頭脳労働担当じゃないの」

「シバケンちゃん、貴方もう少し本を読んだ方が良くてよ」

 昔の探偵小説とか名作の宝庫なんだから、とご高説を垂れる亜嵩を無視し、インターネットで県内の地図を適当な縮尺に合わせプリントアウトした。

 その地図に、手書きで点を打っていく。

 まずは遺体が発見された4か所。そして、それぞれの場所で見つかった矢印の箇所。

 それらすべてを書き終えたとき、私の手は興奮に震えていたと思う。まさか、そんなことが。自分の陳腐な発想を必死で否定したいのに、現実がそれを裏切っていく不思議な感覚。

「第1の被害者がここ……そう、次はここ」

 亞嵩の目も真剣だ。

 遺体発見場所は、それぞれが地図上に大きく描く図形の一部だった。

 その図形は、五芒星。

 矢印が示すのは、上を北とする一般的な地図の図法に則った「五芒星の書き順」だった。

 4つの点はそれぞれ正五角形の頂点であり、それらの点から矢印の通りに次の点に出発し、次の点からまた次の点へ……それを繰り返すことで、地図上に巨大な五芒星を描くことが出来る。

 いや、真実、今まさに描こうとしているのだ。

 ここに、5つ目の点を加えれば、五芒星は完成する。

 それは恐らく、いや間違いなく、鬼嶋凛の殺害と彼女の遺体によってだ。

この図形を描き切ることによって何が起きるかは分からない。何かの呪いの類かもしれない。

 だが確かなのは、何かが起きると確信してこの一連の事件を起こしている変態野郎がいるということだ。

「亜嵩、今日何日だ?」

「9日よ。誘拐から、大体80時間と少し」

 亞嵩の発言は、私の意図を正確に汲み取ってのそれである。誘拐事件において被害者の生死を分かつデッドラインと言われているのが、96時間。もうあまり時間は残されていない。

 苛立ちとともに、5つ目の点を地図にプロットした。

 そこは奇しくも、「何もない」と一度は評した、あの田園地帯だった。

「行くぞ。着替えとけ」

 

 昨日の日中に見て取った通り、街灯もろくにない田舎の風景。日が暮れてしまえば光源は殆どなく、宛ての無い捜索に成果は期待できない。ましてこの月の無い深夜である。農道に車を停めてライトを切れば、心細くなるほど濃い闇に包まれる。しかし地図のお蔭で調べるポイントはかなり絞り込めたし、事件の核心に近づいているという興奮に近い感覚が、脳に強い覚醒作用をもたらしている。

 そのせいか、「それ」は驚くほどあっさり見つかった。

 蔦に半ば覆われたあばら家と、その傍らにブルーシートを被せられた農機。いや、農機ではない。半分以上の確信をもってシートをめくった中にあったのは、銀色のライトバンだった。左側のフロントバンパーの一部が破損している。間違いない。

 平屋のあばら家に灯りは無く、人の気配も感じられない。

 だが、それと意識してみれば、鼻につく微かな臭いがあった。

 私はそれを確かに嗅いだことがあった。凄惨な殺人事件のあった現場で、孤独死を迎えた老人の住んでいた賃貸物件で、消毒や清掃を経ても最後まで残るあの臭い。蛋白質の腐り落ちる臭いだ。

 亜嵩も心当たりがあるのか、鼻に皺を寄せている。私は行くぞと言う代わりに、顎をしゃくった。

 扉に、鍵は掛かっていなかった。油の足りていない蝶番の軋む音が、暗闇の中輪郭も確かに響き渡り、私は思わず身を竦めた。

だが、何も起きない。誰何の声も悲鳴も、何も聞こえない。ここには誰もいないのだろうか?

 しかし油断はできない。用心しいしい、私はマグライトで周囲を照らした。

 光の環の中に浮かび上がったのは、なぎ倒されたような机や棚。私の中の何かが、言葉にならない違和感を伝えていた。これらは、朽ちて自然に倒れた訳ではない。作為的な何かがある。何かを隠している。

 ライトを口に咥え、慎重に机をどかした先にあったのは、蝶番と金枠で縁取られた床下点検口だった。取っ手の金具が半回転して飛び出るタイプだ。だが、点検口にしては一回り大きい気がする。これは本当に点検口か? なら何のために隠した?

「ねえ、ちょっと」亜嵩のささやき声が思考を遮った。

「何だ」私もささやき声で返す。

 着替えろ、という私の指示に亜嵩は素直に従っていた(とはいえ、私の目の前で着替えるのは勘弁してほしい)。いつものドレス姿から一新、今は暗い色のダウンジャケットにカーゴパンツ、足元はトレッキングシューズといういで立ちだった。全身同じ高級ブランドで統一している辺りに亜嵩らしさが見え隠れしていると言えるかもしれないが。

「これ、見てよ」

「だから何だよ」

 苛立ちもあらわにそちらを見る。

 亞嵩がびっくりしたような顔で見ているのは、棚板の割れた本棚だった。2段目から下は無残なものだが1段上の段だけは無事で、そこにはハードカバーが1冊だけ横向きに置かれていた。背表紙には何も書かれておらず、手に取ってみると本革で装丁されたものと分かる。小口は、ない。それは表紙と背表紙だけで、中身は全て抜け落ちていた。何故亜嵩はこんなものに注意を促したのか。表紙にはくすんだ金文字で『Thaumaturgcal Prodigies in the New-English Canaan』とあった。直訳すれば、ニューイングランドの楽園における魔術的驚異……

 とたん、足元の竦む感覚があった。理由は定かでない。亜嵩に視線をやったその時の私の顔は、きっと見物だっただろう。

 ごめんなさい、と言いながらも亜嵩はどこか納得したような顔をした。もしかしたら、彼女も同じような感覚を抱いたのかもしれない。

「なあ、あそこ」

 亞嵩を咎めだてることはせず、私は先ほどどかした机の下にライトを向けた。

「点検口?」

「俺も思ったが、にしちゃでかい。床下じゃなくて、地下に続いてるんじゃねえか?」

 開けてみるぞ、と断って、取っ手を引っ張り出し上に引いた。

 思っていたほどの抵抗はなく、戸はあっさりと開いた。

 開いた瞬間、確信したことがふたつあった。

 ひとつは、この下に地下室があるということ。光の環に浮かび上がるのは床下の土ではなく、古びたコンクリートの階段だった。

 もうひとつは、臭いの発生源が地下室だということだ。戸を開いた瞬間、形を持ったような悪臭が鼻腔を直接刺激した。

 思わず、肘の裏で鼻を塞ぎ亜嵩の方を仰ぎ見た。亜嵩も思い切り顔を顰めて鼻を摘まんでいる。

 この下に何があるか、嫌でも想像は付く。だが、ここで引き返す事は出来ない。意を決して、階段に足を踏み入れた。

 下るにつれますます臭いはひどくなるが、それもやがて慣れた。鼻が馬鹿になっているのだ。

 それよりも不快なのは、真夏の蚊柱もかくやという密度で飛び交う蠅だった。手で追い払うどころではない。でっぷりと肥った数千匹数万匹もの成虫が飛び交い、服や皮膚や髪に衝突し、行きつ戻りつする羽音はそれぞれがドップラー効果を伴い巨大な混沌そのものともいうべき唸りをもって耳を聾した。

 階段を一歩降りるごとに、空気が湿り気を増した。階下に降りる頃には星明りも遠く、頼りになるのは手元のライトだけ。それも蠅が纏わりつくように常時光の中を飛び回っており、正常に視界が確保できているとは言い難い。

 やがて階段は終わり、目の前に分厚い鉄の扉が立ちはだかった。縁を巨大なリベットで留められ、所々塗装が剥げ落ち錆びた地肌が覗いている。分厚いと分かるのはわずかに手前側に開いて厚みを覗かせているからで、蠅たちはこの隙間から出てきているのだ。

 体重を掛けて取っ手を引き開け、恐る恐る中を覗く。

 予想した通り、そこには死体があった。それは恐らく男性の遺体で、ひどく腐乱していた。露出している肌は黄色い脂肪の粒が見えているか紫色に変色して既に液化を始めているか、白い骨が剥き出しになっている箇所もある。表面が蠢いて見えるのは、隙間なく蛆が涌いているためだ。顔面から眼球はとうに無くなり、そこから蛆が塊となってぼとりと落ちた。

 舌はまだかろうじて残っていたが、それは切り裂かれた下顎から伸びていた。生前、拷問を受けたのだろう。海外のマフィアが好んで行うこのような古い拷問を、先輩記者からかつて聞いた事がある。勿論目にするのはこれが初めてだった。

 見るな、と亜嵩に言おうとしたが、声にならなかった。私をして、とうにこの場に飲まれている。

 必死で視線を切ったその先に、作業台があった。随分と大振りで、端に万力が取り付けられている。

 その上には女性の死体があった。

 死体というのは正確でないかもしれない。顔を覗き込んだ時、半ば開いた瞼の向こうに見えたのは机の天板だった。

 それは、皮だった。

 顔があった。髪があった。胴体があり、四肢がそろっており、更によくよく見てみれば、所々の継ぎ目に縫い合わせた跡があった。剥いで、防腐処理を施し、型紙から起こして縫い合わせた、それは一枚のドレスだ。傍らには、これを作り上げるのに使ったのであろう、鋸やナイフやペンチに似た工具が無造作に置かれていた。どれも薄汚く汚れている。使用済みだった。

 ここが地獄でなくて何だというのか。嘔吐を我慢したくなかった。今すぐ大声を上げて逃げ出したかった。

 亜嵩は後ろでどうしているだろう。吐いても逃げても、責めるつもりは毛頭ない。

 だが、亜嵩はさすが亜嵩だった。口元を押さえながらも、気丈にあたりを物色し、手掛かりになる何かを探している。

 そう、ここには犯人はいない。そしてこの皮の持ち主は、恐らく鬼嶋凛ではないはずだ。犯人は間違いなく同一人物、であればこの場所に何かがあるはずだ。警察への通報はそれを探してからでも遅くはない。少なくとも、いまここに横たわる彼らにとっては。

 私も、ようやく我に返ってあたりの様子を覗った。

 そこは地下室としては存分な広さで、地上と同じほどの床面積はあるのではないかと思われた。階段に続く扉以外はすべて打ちっぱなしのコンクリートで覆われており、ここで何が起ころうが、地上に声や音が漏れることはないだろう。

 壁際には、スチール材の簡素な本棚がひとつきり。並んでいるのは、医学書や手芸の実用書など。ああ、彼はこれを読みながら実践したのだ。

 それらに混じって、1冊の大学ノードがあった。端は捲れて角は丸くなり、日常的に繰り返し手にしていた事が窺える。

 亜嵩が読みたそうにしていたので、私も手に取ってみた。

 それは日記だった。日付は7月から始まっている。

「妙な本を手に入れた」というくだりから始まり、「願いをかなえてくれる」「すべての女を味わいたい」「無貌の神」といった言葉が頻出していた。ちょうど一月に一回、女性を狙っては犯し、殺して皮を剥ぐ過程が、稚拙な感情の吐露とともに綴られていた。それぞれの動機も、声がうるさかっただの見た目が気に入らなかっただの、愚にもつかないものだ。

 私はページを繰る手を早めた。亜嵩は傍らで食い入るように紙面を見つめている。

そして日付は最新のものに近づく。12月6日。3日前だ。

 そこには「あの精神科医の娘を攫う。儀式の最後にはこいつを捧げる」とあった。

 どうやら、鬼嶋医師と日記の持ち主は過去、患者とカウンセラーという関係であったらしい。「見透かすような態度が気に食わない」という記述があった。

 つづく12月9日、いよいよ今日だ。いや、もう日付は回っただろうか。

「すべての準備は整った。あとは目を描くだけだ。捧げるだけだ。中心で、無貌のあいつに会う為に」

 次のページには何もない。何も書かれていない。当たり前だ。

 だが私の目の前で、白紙であるはずのそのページに真っ赤な文字が浮かび上がった。

 

「俺の日記を読むな」

 

 今度こそ、我慢出来なかった。日記を放り投げ、亜嵩の肩を叩き尻を押すように階段を駆け上がり、地上へまろび出た。

 あばら家の外、亞嵩は肩で息をしながらも文句は言わなかった。私も、膝に手をつき息を荒げ、餌付きそうになるのを必死で堪えていた。

「行こう」

 やっとの思いでそれだけを言った。亜嵩の返事を待たずに車に向かう。

 車の中には地図がある。筆なかば、五芒星を描きかけた地図が。

 『後は目を描くだけ』『中心で』

 ようやく私は理解しかけていた。この男がしようとしていることを。

 それはこの市中に大きく描く魔法陣で、それも確かな超常の力を持っている。

 『中心』。地図とそこに描く五芒星は穴が開くほど見た。その中心にあるのは、あの妙に平らな山であり、その頂上の小屋だ。

 私たちは入れ違ったのだ。

 毒づきながら、亜嵩が助手席のドアを閉めるより先に、アクセルを踏み込んだ。

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