――人智統合真国 シン――
この異聞帯に到着したカルデア一行は、まず最初に少人数での現地調査を行うことにした。調査の目的は2つある。
1. 異聞帯の王に関する情報を集める
2. コヤンスカヤの毒を解毒する方法を探る
こちらの目的に合ったサーヴァントを検討した結果、静謐のハサンとナイチンゲールが選出された。静謐は毒を用いた暗殺術を身に着けており、毒に関する知識は豊富にある。当然、解毒や薬物の知識も豊富であり、道中、立香の解毒や、症状を緩和する薬物のヒントを掴めるかもしれないということで選出された。一方、ナイチンゲールが選出されたのは、ひとえに立香の体調を危惧してのことである。道中、万一立香の体調が悪化した場合に、すぐに治療を受けられるように、治療専門の彼女が選出された。方針を決めた一行は、早速、2人を霊基グラフを用いて召喚し、立香とマシュも合わせて4人で調査に向かった。シャドウボーダーは目立つため、森に隠して、ダヴィンチやホームズで居留守を守る。
立香達4人は、人の住処を目指して森を進んでいく。森を歩いている途中で、静謐があることに気付いた。
「マスター、この森は少し変です」
「動物が全然いないこと?」
立香も森の様子には違和感を感じていた。動物の鳴き声が全然聞こえず、姿も見えない。
「それもあります。でも、それだけではありません。この森には、人に害をなす可能性のある植物がまったくないのです」
身近な植物でも有害なものは、意外に多い。今歩いている森の温度環境で、有害な植物が全く育たないなどということは有り得ないはずだ。もしこの状況が、異聞帯の王によって作られたものであるならば、王は異聞帯の自然環境をも支配する強大な力を持っていることになる。まだ見ぬ異聞帯の王の力を想像し、立香は気を引き締めた。
「ミス・ハサン。私にもこの森の異常性は分かります。この地には一刻も早い治療が必要です」
「落ち着いて、婦長。まずは病状の調査からだ」
ナイチンゲールも森の様子に違和感を感じており、逸る気持ちを押さえられない様子である。立香はナイチンゲールを宥めて、彼女が先走らないように注意を促した。全ての病を断つという彼女の理念は、時に彼女の暴走を引き起こしかねない。一行がしばらく歩き続けると、森を抜け、広い道に出た。この道を進めば、異聞帯の住民に会える――そう思われたとき、不意にサーヴァント反応のアラートが鳴った。付近にサーヴァントが現れたのだ。身構える立香達の前に現れたのは、クリプターのリーダー、キリシュタリアが使役するランサーのサーヴァント、カイニスだった。自慢の鉾と盾は霊体化して、軽装になっている。
「カイニス…!」
「なんだ、テメェらもこの異聞帯に来ていたのか。この異聞帯の王の首を狙って来たのか?」
身構える一行に対して、カイニスは軽い口調で話しかけてくる。戦闘する意思はなさそうだ。立香達は構えを解くと、異聞帯に訪れた理由を話す。
「そうかよ。ま、せいぜいがんばれ。生きていたらそのうち相手をしてやるよ」
カイニスは立香が話し終わると、興味なさげに言葉を告げて、その場を去ろうとする。カイニスとの交戦を避けられて安堵する立香だったが、ナイチンゲールがとんでもない発言をする。
「お待ちなさい、ミス・カイニス。あなたには、治療が必要です」
「…テメェ、今なんて言った?」
「治療が必要だといったのです、ミス・カイニス」
「……気が変わった。テメェら、覚悟しろよ?」
先ほどまでとは打って変わり、カイニスから激しく殺気が溢れ出す。カイニスは、女性の身であったためにポセイドンに犯され、そのトラウマから男性になることを願った過去がある。願いが叶ってからは、男性であることを誇りに、横暴に振舞いながらも、王として果敢に生きてきた。
このため、カイニスは女性扱いされることに何よりも激しい怒りを覚えるのだ。
一方、ナイチンゲールは、カイニスが女性の体でありながら、男性として振舞おうとしていることから、カイニスが何らかのトラウマを抱えていると考え、心の治療しようとしていた。また、彼女はカイニスの体が、女性では持ち得ないある秘密を抱えていることも見抜き、そちらも治療が必要と判断していた。
カイニスの様子から、話し合いは不可能と判断した立香は、やむを得ず各サーヴァントに戦闘態勢を取らせる。静謐はダガーを構え、マシュはオルテナウスを起動した。ナイチンゲールも徒手空拳の構えを取り、カイニスの"治療"を開始しようとしている。
「く…」
立香の額に緊張の汗が流れる。人数の上では有利とはいえ、カイニスへの勝算があるとはとても思えなかった。こちらは暗殺が専門の静謐に、治療が専門のナイチンゲール、そしてシールダーのマシュである。正面からの戦闘を得意とするカイニス相手は分が悪い。何とかマシュにカイニスの攻撃を防いでもらい、突破口を探らなければいけない。
3人に囲まれてもカイニスは顔色一つ変えることなく、指を鳴らす。
「テメェら如きの血でオレの鉾を汚したくねぇ――テメエら如き三下、素手で十分だ!」
そう叫ぶと、カイニスが獣のような身のこなしで殴りかかってきた。そのあまりの速さに、立香はカイニスの姿を見失う。カイニスの最初の標的は静謐だった。
「死ねオラァ!」
野蛮な掛け声と共に、静謐めがけて叩き込まれた拳を、割って入ったマシュが盾で受け止める。
ガァンッ!とハンマーでもぶつけたかのような音が響く。その衝撃に腕がしびれ、マシュは盾を離しそうになる。力を入れて踏ん張り、どうにか離さずにすんだ。カイニスが2撃目を入れる前に、静謐とナイチンゲールが左右からカイニスを攻撃する。静謐はダガーでカイニスの腹部を狙って切りかかり、ナイチンゲールはカイニスの手首の関節を外そうとした。しかし、ダガーは鋼鉄のような肌に阻まれ、手首は岩のようにびくともしない。
「な…!?」
「オレにそんな攻撃が効くかよ!」
攻撃が通用せず、驚く2人をカイニスが襲う。まずは、片手で静謐の頭を掴み、無造作に地面に叩き付ける。脳震盪を起こしたのか、静謐の動きが止まる。続けてナイチンゲールの手首を掴み返し、ハンマー投げのように振り回して勢いをつけ、木に向かって放り投げた。ナイチンゲールの体は凄まじい速さで木に叩き付けられ、衝撃でナイチンゲールは一瞬、意識を失う。
「イヤァ―ッ!」
「はっ! おせぇよ!」
気合を入れてマシュが盾で殴りかかるが、片手で受け止められてしまう。無防備になったマシュの鳩尾に、カイニスの蹴りが突き刺さる。その威力にマシュは思わず盾を手離し、悶絶する。
「残るはテメェだけだな」
「いか…せない」
「…待ちなさい」
カイニスが立香を視界に捉え、近づこうとすると、意識を取り戻した静謐とナイチンゲールが立ちはだかる。2人とも先ほどの攻撃でダメージを受けていたが、闘志は揺らいでいない。マシュも腹部を押さえながら立ち上がる。
「何度来ようと同じことだ! テメェらじゃ相手にならねぇよ! いくぜ、オラァッ!」
吠えるように叫ぶと、カイニスが再び殴りかかってくる。マシュは再度カイニスの打撃を防ぐが、カイニスはお構いなしに盾の上から乱打を浴びせる。その嵐のような猛攻に、静謐もナイチンゲールも手が出せない。全体重をかけて踏ん張るマシュだったが、じりじりと後ろに押されていく。マシュが必死に踏ん張り、踏みとどまろうとすると不意にカイニスの乱打がやんだ。次の瞬間、マシュの盾が横に流された。カイニスが足払いで盾を横にずらしたのだ。正面からの攻撃に備えて踏ん張っていたマシュは思わずバランスを崩す。無防備なその体にカイニスの拳が叩き込まれる。悲鳴を上げる間もなく、マシュの体が糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。辛うじて息はしているが、完全に意識がない。カイニスが止めを刺そうと足を振り上げる。そうはさせまいと、静謐とナイチンゲールが割り込んだ。静謐は自らの手に切り傷をつけて、猛毒の血液が付着した掌底を、カイニスの露出した腹に叩き込む。静謐の毒は草木を枯らし、サーヴァントですら損傷する。しかし、カイニスに毒が効く様子はなかった。
「その程度の毒、効かねぇよ! オレを止めたきゃヒドラの毒でも持ってきな!」
「えっ…?」
毒の効果が全くなく、驚く静謐を捉えると、カイニスは激しい頭突きを喰らわせた。首から上が吹き飛ぶような衝撃で静謐は昏倒してしまう。次の瞬間、ナイチンゲールがカイニスの腕に飛びついた。上腕を股で挟み、腕ひしぎ十字固めで関節を破壊しようとする。カイニスの腕一本に全身の力で挑むナイチンゲールだが、カイニスの腕を伸ばしきることができず、技が極まらない。
「少しは面白い技を使うじゃねーか」
カイニスは不敵に笑うと、力任せに腕を振り回し、ナイチンゲールを床に叩き付けた。激しい衝撃に見舞われながらも、ナイチンゲールは手を離さない。舌打ちしたカイニスが今度はナイチンゲールの片足に嚙みついた。肉が切れ、骨まで歯が食い込む。さらに空いている方の手で反対側の足を持ち、途方もない握力で握ると、強引に足を開かせた。このカイニスの行動に、遂にナイチンゲールは手を離してしまう。無防備になったナイチンゲールに、カイニスの拳が雨あられと降り注いだ。鋼鉄の意思を持つ女傑といえど、肉体の限界は越えられない。肋骨が折れ、内臓が破れると、遂にナイチンゲールも意識を手放してしまった。