[むうう]
[日本の朝はやはり味噌汁と、ご飯ですなあ]
四谷さんは相変わらず五代家に居候している。
[ああ、お構いなく、お代わりは自分でよそいますので]
とても人の家に居るとは思えないくらいにノビノビとして、避難生活を心からエンジョイしていた。
しかし、正月も明け、一刻館の仮復旧の目途が付き、四谷さんとも後1週間程度でのお別れとなるのは五代君たちにとって幸いであった。
でなければ、“死ぬまで”四谷さんは居つくであろうから。
響子さんは母律子の言葉がいまだに頭から離れない。
『もうそろそろいいんじゃないの?』
『音無の家に義理立てするのは』
『あんなボロアパート今時の人は誰も住まないわよ』
亡き音無の義父の意思を継ぎ、守り通してきた一刻館ではあったが、響子さんは正直そろそろ重荷に感じてきていたのも事実であった。
悪い風に考えれば、音無家に嫁に行ってからずっと今日まで、音無家の影を追って生きてきたのだから。
報酬もほとんど無いに等しいし本当にボランティアに近い。
一刻館の管理に割く時間が有れば、もっと別なことが出来るのは間違いがない。
夫の五代君や娘の春香ちゃんの世話というよりも一緒に過ごす時間が増える。
自分にとって何よりも大切なことは何なのかを考えれば結論を出すのは簡単なはずだ。家族水入らずの時間こそが貴重なのは火を見るよりも明らかで明白だ。
自分はもう既に17年以上も前に””音無響子””ではなくなり””五代響子””になったのだから・・・。
ただ、そんな思いや感情とは別に、一刻館の建物の耐用年数は限界を遥かに越えている。
早急に決断をしなければならない。
響子さんの悩める日々は続く・・・。
~一方、賢太郎君を当てにしていった一の瀬夫妻~
賢太郎君は賃貸のアパートに一人暮らしをしていたが・・・。
[いや~ホントにこの子ったら、道理で家の方に顔を出したがらないと思ったら・・・]
[“ラーメン屋辞めてただなんて!”]
[母ちゃん情けないよ!]
一の瀬さんも訪ねてみてビックリ!
賢太郎君はなんと、勤めていたラーメン屋を辞め、現在はフリーター生活をしていると渋々母に告白したのであった。
[管理人さんたちには賢太郎は近いうちに自分のラーメン屋を出すって自慢したのに]
[この子ったら・・・]
嘆き悲しむ母。
父は相変わらず一言もしゃべらない。
[いいじゃないか、どんな生き方しようが俺の自由だろ?]
[突然人のアパートまで押しかけてきてその言い草はなんだよ!]
[狭い所に泊めてやってるのによ]
突然押しかけてきた両親に文句の一言も言いたい賢太郎君。
実は賢太郎君はもう半年以上も前に、勤めていたラーメン屋の社長と、賢太郎君が独立後開店する店の経営方針などを巡って対立。
独立が暗礁に乗り上げてしまっていたのだ。
その後も話し合いを持つものの両者の溝は埋まらず、最後は社長と喧嘩になってしまい、仕方なしに店を追われるように辞めざるをえなかったのだ。
もちろん独立の話も立ち消えとなり、今の賢太郎君は、近くのイタリアンレストランチェーン店でアルバイトをして、生計を立てていたのだった。
ただでさえ両親を煙たがり、一刻館に顔を出す事すら珍しい賢太郎君だったが、ラーメン屋を辞めたことを知られたくないがために、
店を辞めて以降は一度も一刻館に顔を出さず、極力両親と接する事を避けてきたのであった。
[別に俺の人生だ、ほっといてくれよ]
[俺は母ちゃんも知ってると思うけど、進学したかったんだよ、大学とか専門学校に!]
[だけど・・・父ちゃんの稼ぎが悪いの知ってたからよ・・・バイト先のラーメン屋にそのまま勤めたんだ]
[それを辞めたからって、文句言われる筋合いはないよ・・・・・・父ちゃんにも、母ちゃんにも]
賢太郎君の言う通りかもしれない。
一の瀬夫妻は自分の息子の辛い胸の内を知り、言葉に詰まってしまった。
[すまなかったな・・・賢太郎]
寡黙な父がただ一言、“すまない”と目の前で頭を下げた。
[父ちゃん・・・]
その姿に賢太郎君も思わず心打たれ、涙ぐんでしまった。
[賢太郎には満足な暮らしをさせてやれなくて母ちゃん、悪かったと思うよ]
[でもねえ、父ちゃんも母ちゃんも、誰よりも賢太郎を大事に思ってるんだよ!]
一の瀬さんも賢太郎君の事を心配しない日はなかった。
いつも呑んだくれているようでも、賢太郎君の事は必ず頭の片隅にあったのだ。
[あんた、これからどうするんだい?]
一の瀬さんは今後の賢太郎君が心配でならない。
[そうだなあ、母ちゃん]
[貯金はそれなりにあるけど今はアルバイトだけだから、このまま行けば目減りするのは間違いないし・・・]
[と言って、俺、ラーメン屋しか知らないし、不景気だから他の定職もなかなか見付からなくてさ]
[それで今のアルバイトを続けながら、もう少し様子を見ようと思ってるんだ]
賢太郎君はラーメン屋で働いてたお陰である程度の貯金はあると言う。
だから当面の生活に支障はないけど、このままでは先細りだと危機感を募らせている。
しかし世の中は不景気の真っ只中。
転職市場は非常に厳しいのが現実だった。
[他のラーメン屋なんか探してみたのかい?]
[お前もそれなりの経験者だし、それなら手っ取り早く仕事見付かるんじゃないの、賢太郎?]
ポツリと漏らした母の言葉。
しかし、賢太郎君は・・・きっぱりと反論を断言する。
[もうイヤだよ、ラーメン屋はイヤだ!]
[あんな自分勝手で向上心の欠片も無い社長の元で我慢して働いてたのは、いつかは独立して自分の店を持てると思ってたからさ!]
[ようやく念願叶って自分の店が持てると喜んでたら・・・味やら経営方針やら、細かい事に口出し始めてよ]
[俺は元々自分の働いていた店のラーメンはそんなに美味いと思ってなかったから、率直に自分の意見を社長にぶつけたら、社長切れやがって]
[独立話はパーになっちまったのさ]
[自分一人の自己資金で店出すのは厳しかったから、自分の店を持つ事はスッパリと諦めたんだよ]
[もう正直・・・ラーメンはあんまり見たくないね・・いくら今の世の中がラーメンブームでもね]
賢太郎君はアルバイトから長い事勤めていたラーメン屋に、かなり長い事我慢に我慢を重ね蓄積された不満があったらしく、
それが賢太郎君の独立話のときに噴出して、社長との関係が崩れたと言う。
賢太郎君はそんな事があった関係から、ラーメン屋なんかでもう二度と働きたくないと、で母に告白した。
[そうかい・・・そんな事があったのかい・・なら賢太郎の生きたいように生きな]
[父ちゃんも母ちゃんも、賢太郎がこれから先の人生、どんな道を歩いていこうが黙って見守ってるからさ]
賢太郎君も気づけば三十を越えていた。
その間にも様々な見えない苦労もあったであろう。
自分の息子の歩んできた辛い道のりに、いつもは絶対に泣き顔は見せない一の瀬さんも、少しばかり涙腺が緩んでしまったようであった。
[まあ、あれだ、一刻館もかなりボロくなっちまったようだし]
[二人とも居たいだけここに居ろよ]
[こんな狭いとこでよかったらさ]
長い間、親子の間にそびえ立っていた高い壁が音を立てて崩れていった。
一の瀬さん親子3人は厳しい境遇に置かれながらも、心だけは温かい冬を過ごそうとしていた。
・
・
・
~一刻館にて~
[おお~~い、そっちは平気か?]
[だいぶ形になりました、親方!]
“トントン”
“カンカン”
一刻館の修理も大詰めを迎え、急ピッチで作業が進んでいた。
それでも響子さんの表情は冴えない。
やはり付け焼刃の修理では、またこの前のような事が起こる可能性が大きいからだ。
犯人もまだ捕まっていないようだし、また同じような事件が起きたら、今度は全焼してしまうかもしれない。
いや、それだけならまだしも、近隣の家にまで燃え移るような事があったら洒落にならない。
そんな事になったら、賠償騒ぎにまで発展してしまう。
修理は後2~3日中には完了するというので、響子さんは一の瀬さんと四谷さんに通知して、修理の件はとりあえず一件落着となった。
翌日、響子さんは思い立って、とある家を訪れていた。
[こんにちは、お義姉さま、遅くなりましたが、あけましておめでとうございます]
[あらあら、響子さん、こちらこそ]
[そうね、言われみれば今年初めてなのよね]
響子さんが訪れていたのは音無家だった。
[何か先日は郁子がいろいろとご迷惑を掛けてしまったようで]
[年末年始、珍しく長い事ここ(実家)にいたんで、そんな事を話してましたわ]
会う早々、郁子の母(義理の姉)が深々と頭を下げた。
[あ、いえ、気にしないで下さい]
[郁子ちゃんはあたしにとって妹みたいなものですから]
[そんな可愛い大事な妹のことを心配しない姉はいませんわ]
去年、郁子ちゃんの所で響子さんが一泊した事を郁子ちゃんの母は知っていたのだ。
年末年始も顔を出したようだし、
郁子ちゃんは今、何とか元のペースに戻って生きているようで響子さんも一安心だ。
[それで・・・今日はご相談があって来たんですが・・・]
ついに響子さんは本題を切り出した。
[なあに、響子さん?]
[あの、その、ですねぇ・・・]
[一刻館を音無の家へお返ししようかと思いまして]
響子さんはついに、一刻館を音無家に返したいと義姉に申し出てきたのだ。
[あら、そう・・・そうなのね]
[勿体無いから、更地にして売り払っちゃえばいいのに・・場所は悪くないから、そこそこのお金にはなるでしょ、きっと]
[響子さんは惣一郎みたいな男と結婚したばかりに、音無家からは迷惑掛けられっぱなしだったでしょうから、惣一郎とお父さんが残した遺産か生命保険金と思って、遠慮なくお金を受け取ればいいのよ]
[あたしたちも今はあたしと主人の二人きりだし、一刻館を預かっても重荷にしかならないし、やっぱり売り払う位しか頭に浮かばないわ]
[現実的にあのままだと住人が集まらないでしょ?]
[だから選択肢としては改築か、取り壊して売り払うかの2択しかないわね]
[とにかく、煮るなり焼くなり好きにして頂戴、響子さん]
[お父さんも・・・きっと本望だと思うわ]
義姉の反応はというと、“響子さんの好きにしていい”。
この一言だけであった。
取り敢えず、どんな風にしようが、誰も文句は言わないと。
[あの一刻館はね、響子さん]
[先代のおじいちゃんからお父さんが譲り受けた物なの]
[それを本当は死んだ惣一郎が受け継ぐはずだったんだけど]
[でも惣一郎はあなたと結婚して半年足らずで・・すぐにこの世から居なくなってしまったから・・・受け継ぐ人を無くしてしまった]
[お父さん、響子さんの事、本当に気にいっていたし・・・惣一郎がすぐに死んでしまった事で、響子さんが千草家に帰ってしまうのが淋しかったのかも知れないわね、きっと]
[だから一刻館の管理人の仕事をあなたに任せたのかもしれないわ]
元義姉は、一刻館にまつわるエピソードと、一刻館の管理人に響子さんを任せるまでの顛末を話してくれた。
[でもね、響子さん、過去に、思い出に縛られちゃダメよ]
[形ある物は、それこそ建物なんていつかは滅びてしまうんだし、人もいつかは生涯が長い短いはあるけど、必ず死んでしまうのよ]
[だから響子さん]
[一刻館を壊す事がお父さんとの約束を破ってしまう、なんて固い考え方、捨てなさい]
[あなた、とても生真面目で責任感が強い人だから、尚更・・・ね]
義姉の指摘は見事なまでに的を得ていた。
響子さんもだいぶ以前から、一刻館の処遇について悩んでいた。
しかし、亡き義父が残してくれた一刻館を、簡単に人手に渡したり、建物を取り壊す事に、そして一刻館を閉める事に対して、とても罪悪感みたいな物を感じていたのだ。
[響子さん、“今のあなた”を大事にしなさい]
[あなたという女性を大切にしてくれている優しい旦那さんの五代さんと可愛い一人娘の春香ちゃんが大事なあなたの家族なんだから、ね?]
音無家からの帰り際、義姉が残してくれた言葉が響子さんの胸の奥に刻まれた。
・
・
・
“ブルルルル~~ン”
“バタン!”
“カツカツカツカツ・・・・・”
響子さんはその足で、音無家の墓を訪れた。
まだ年が明けたばかりで、陽だまりは暖かいけど、陰のある所に立つと、ひんやりと寒さが身に染みる。
春になると桜が満開になるのだが、まだまだ花が開くには季節が違いすぎる。
“カツカツカツカツ・・・・・”
墓地内を少し歩くと、音無家の墓はあった。
ここに惣一郎さんも、音無の義父も眠っている。
響子さんは音無家の墓前で手を合わせ・・・。
こう語り掛けた。
[お義父さま、惣一郎さん、お元気ですか?]
[あたしは幸いありがたいことに元気でやっています]
[五代と再婚して産まれた娘の春香も今年でもう17になります]
[月日の経つのは本当に早いものですね]
[今日は一つ、ご報告に参りました]
[お義父さまからお預かりした一刻館なんですけど、もう何年も前から建物の痛みが激しくて、何か手を打たなければならなくなりました]
[何とかその場しのぎの修繕はして参りましたけど、流石にもう限界で]
[それで・・・、あたしも悩みに悩んだんですけれど・・・今の古い建物を取り壊して、新しい一刻館を建てようと思います]
[建物は新しい物に生まれ変わりますけれど・・一刻館の名前は残しますし・・あたしも管理人を続けますので、どうかお許し下さい、お義父さま]
[あたしはいつまでも、あなたの“娘”ですから]
[これからも、変わりゆく一刻館を見守っていて下さい]
響子さんは音無の義父と亡き夫である惣一郎さんに自分の思いを語り、これからも一刻館の管理人で居続ける事を墓前で約束をした。
[惣一郎さん・・ここで、あなたの墓前であの人が・・五代があたしと再婚する直前に誓ってくれた言葉・・・まだ覚えていますか?]
[あたしがあなたを・・惣一郎さんを思う気持ち・・・愛情と記憶を消せないでいる、あたしの心を・・・それがあたしという女だからって・・だから惣一郎さんをひっくるめてあたしを・・響子を貰いますと誓ってくれたあの言葉・・・]
[本当にそのとおり、あの人は・・五代はあたしの気持ち・・心をずっと大切に宝物の様に大事にしてくれて・・あたしの身も心もずっと愛して・・慈しんでくれています・・・今までも今日もこれからも・・・]
[ですからあたしが再婚できるようになるまで・・・心配をお掛けしましたけれど・・五代と一緒になってから本当に・・・嬉しさと幸せしか感じていません]
[あの人が・・五代が居る限り、あたしは・・響子は幸福なままですから・・・心配して頂く必要はありませんけれど・・・・どうかこれからも・・そっとあたしたち夫婦を天国から見守っていて下さいね]
[また・・・あの人と・・五代と挨拶に参りますので・・今日はこれで失礼致します・・惣一郎さん・・・・]
響子さんは惣一郎さんへ、嘘偽りのない言葉を語り掛けて冥福を祈る。
風の無い晴れた冬の午後、お線香から立ち上る煙は真っ直ぐに空へと吸い込まれて行き・・・
響子さんは家路へと着くのだった。
以下、次回