~亡くなった母 律子のマンション~
響子さんの父が死んで一人になってしまった後も、頑なに自分の意志を貫き通し、律子が守ってきた“城”だった。
律子の死後、簡単な室内の整理は響子さんや五代君たちで行ったが、大きな物はほとんど手付かづのまま、残されていた。
今日もまた母の思い出に浸りに響子さんはやって来た。
“整理”なんて口実に過ぎない。
まだ完全に心の傷は癒えていなかった。
[あたし、このマンションにお邪魔するの初めてだけど・・]
[素敵なお部屋よね、おばさま]
室内を響子さんと簡単に掃除し終えた郁子ちゃんは、辺りを見回して言った。
[じゃあ郁子ちゃんがもらってくれる?]
[住んでくれるのなら、お家賃も何も要らないわ]
[春香がもう少し大きければ、春香に住まわせてあげたいんだけど、まだ高校生だし]
響子さんは郁子ちゃんの一言を聞き、冗談交じりに言った。
[やだ、おばさま、あたしには勿体無いわ]
[こんな立派なマンション]
[あたし今のアパートで十分満足よ]
まさかそんな答えが返ってくるとも思ってなかった郁子ちゃんはびっくりしてしまった。
[そうよねぇ・・・]
[一人で暮らすにはちょっと広過ぎるわよね・・・]
[やっぱり売りに出すか、親戚の方にお譲りするしかないわね]
[淋しいけれど]
やはり響子さんとしては、自分が生まれ育ち、惣一郎さんの所に嫁ぐまで暮らし、
そして、父と母の思い出が染み付いている、この“家”を手放してしまうのが限りなく寂しいのだ。
“出来るなら他の人に手渡したくない”
そんな感情が響子さんの心の奥にはあった。
だけど、今住んでるマンションを引き払って、家族3人ここに住むわけにもいかない。
まだ住宅ローンの支払いも済んでいないのだから当然だ。
[ここもそうだけど、おばさま]
[一刻館改築するんですって?]
[ええ、3月中には今の建物取り壊して、新しい世代の人に住んでもらえる建物に建て替えるわ]
[もう風呂無し木造で、玄関もトイレも共同の作りじゃ人が集まらないし・・]
[何より建物の修繕に手間もお金もかかってる現状があるから]
響子さんは郁子ちゃんに聞かれ、溜め息混じりに一刻館を改築する事を説明した。
[そうなの]
[時代の変化って残酷なのね]
[あたしは、今の建物趣があって好きだけど、やっぱり住むとなると、不便なのは確かだわ]
[だけど、改築したら住んでみたいな、新しい一刻館に]
郁子ちゃんは改築後の一刻館に興味があるらしい。
[ふふふ、郁子ちゃんが今住んでいる所には叶わないかも知れないけど、郁子ちゃんが住んでくれるのなら大歓迎よ]
[それじゃお世話になろっかな?]
[一刻館に]
郁子ちゃんは近い将来、一刻館に住む事を響子さんと約束した。
[郁子ちゃんが入居してくれたら、あたしも安心だし楽しいな。ずっと会えるしね]と響子さん。
[うん、それはあたしも。管理人室に入り浸りになりそうだけど・・あ、でも何かあったらもちろん手伝うわよ。管理人代理としてね]
[うふふ、助かるわ。・・・将来あたしの次の管理人って郁子ちゃんだったりしてね?]
[あはは、どうかな?おばさまみたいにしっかり出来るかどうか分かんないけどね]
郁子ちゃんと響子さんの将来を見据えた話は尽きない。
~一方その頃賢太郎君~
[チーフ、宜しくお願いします!]
[こちらこそ、宜しく!]
賢太郎君は正社員の話を承諾し、チーフとしてレストランで働いていた。
きっかけは郁子ちゃんだった。
郁子ちゃんが偶然やって来たあの日、賢太郎君は郁子ちゃんのテーブルに料理を運んだ時、少しだけ会話をしたのだが、
[賢太郎君、このお店で働いてるんだ?]
[う、うん、“チーフ”としてね]
[ええ!?]
[凄いじゃない、賢太郎君!]
[い、いや、まあね、ハハハ!!!]
[まあ、大した事ないけどさ]
賢太郎君は郁子ちゃんの前でカッコつけたいばかりに、まだ正社員にもなってないのに“チーフ”だと言い切ってしまった。
だが、そのお陰で、賢太郎君は決心する事が出来たのだから、郁子ちゃんに感謝である。
~郁子ちゃんはその日の夜、五代君の所にお邪魔して夕食をご馳走になっていた~
[わあ、春香ちゃん少し大人っぽくなったんじゃない?]
[おばさまの若い頃にだんだんと似てきたわ]と郁子ちゃんが春香ちゃんににこやかに話し掛ける
[そりゃ丁度伸び盛りの年頃だもの、成長もするわ、ねえ・・春香?]と響子さんも相槌を打つ。
[またあたしを子供扱いして、ママったら]
[春香ちゃん彼氏とかいないの?]
[いませんよ、だってママと同じ女子高だもん!チャンスないもんね]
[あ、じゃあ惣一郎おじさまのように冴えない教育実習生に引っ掛かっちゃうかも?]と郁子ちゃんがなかなか際どい発言をする。
[いや、それだけはイヤ!]
[あたしはイケメンの人じゃないとイヤなの]
春香ちゃんはきっぱり断言。
[それなら安心だわ、春香ちゃん]
郁子ちゃんは頷いてしまう。
[酷いわね、郁子ちゃん]
[それじゃあたし、男の人を見る目がないって事?]と響子さんも明るく突っ込む。
[アハハハハハ!!!]
賑やかに五代家の夕食は進んでいた。
そんな中、五代君は女3人の会話には入っていけず、黙々と箸を進めていた。
もっとも内心では生意気にも((Girls TalkじゃなくてLadies Talkだよなあ・・でも平均年齢が高いから(44+35+16=95÷3=約32歳だから・・Elder Women Talkとも言うべきかな?))などと命知らずなことを思っていたりする。
口が裂けてもそんな冗談は絶対に言えないが・・・。無論だが表情にも出したりは決してしない。普段から女性二人に囲まれて生活していると、その辺の注意深さは十分に養われているのだ。
色んな話題で盛り上がる中、春香ちゃんは郁子ちゃんにさり気ない質問をした。
[そう言えば郁子さんはまだ結婚しないんですか?]
この質問に今まで盛り上がっていた場が一瞬“シ~~ン”となった。
[そ、そうね、春香ちゃん、いい質問ね]
[なかなかあたし、いい人に巡り逢えなくて]
[別に理想とか高い訳じゃないんだけどね]
[でもあたし、結構な歳だから、もうもらってくれる人いないかも?]
思わず“”な・・なかなか痛い所を突くわねこの子・・・響子おばさまの娘なのに””と、顔が引き攣った郁子ちゃんだったが、適当な言葉を並べて春香ちゃんの質問をかわした。
[まあでも、あたしも主人と・・五代と再婚したの27の時だったから、誰かさんが優柔不断なせいで知り合ってから6年以上も過ぎて・・だけど]と響子さんが助け船を出して旦那の五代君に視線と話題の矛先を向けると・・・。
[いやあのそれは・・その、うん。おれが全面的に悪いんだけど、その、響子のことが好き過ぎて面と向かってしまうと、あの頃はその・・ホントに何にも言葉が出て来なくてね]
五代君は少々バツが悪そうに口篭りながら何気に惚気を言う。
[当時はその・・まだ学生だったり就職浪人してたりで自信が無かったからだけど・・・でも結局それは関係が無かったんだ]
[確かにプロポーズ出来たのは保父に就職できた後だったけど・・恋人になれた時って試験にもまだ受かってなくて・・・情けないけれどもアルバイトで糊口を凌いでいたから]
[響子がそういう一般的な世間体で・・・価値判断をしない女性だからこそ結婚みたいな一大事を実現できたんだけどね]
最初は優柔不断な面を見せるも、流石に年の功で続けては堂々と発言をする五代君。だが立派なお惚気が満載の発言である。
[ま~たパパったら臆面もなくお惚気を言うんだから・・郁子さん、うちのママとパパの発言には気を付けとかないと口の中の物、噴き出しちゃうわよ]
春香ちゃんはジト目で五代君と響子さんを嗜める。
[うふふ、お惚気じゃないわよ。年齢なんてあんまり関係無いから・・だからまだまだ平気よ、郁子ちゃん]
特に考えもなく響子さんは郁子ちゃんを励ました。
[あ、ありがとう、おばさま]
そしてデザートの時には再び五代君から何と響子さんへのプロポーズ秘話を教えてもらった。
実は1回目の時はプロポーズと理解してもらえなかったという失敗談であった。
遠回しに結婚して下さいの意味で『おれ、響子さんの味噌汁が飲みたい』と言ったのだが、深読みしてもらえずに本当に・・・味噌汁を・・しかも残り物を出されたこと・・・。
ただし、実はその時に最初は緊張の余り言い間違えて『俺はあなたにみそしれる』とか何とか意味不明の言葉を発言してしまい、それが原因なのか響子さんに全然分かってもらえなかったので
次の機会では正々堂々と申し込んで了承してもらったなど、笑いながら教えてもらった。
郁子ちゃんも笑ったが((本当に口に何か入っていなくて良かった))とは思ってしまった。
響子さんも懐かしいのか思い出しながら優雅にくすくすと楽しそうに笑っていた・・・愛する夫の逸話だからか嬉しそうな微笑みが輝いていた・・・。
しかし春香ちゃんだけはこめかみに指を押し付けながら苦笑いを浮かべて『笑いたいけど笑えない・・頭痛い・・・』と少々呆れて溜め息を吐き『よくあたしが生まれたわよね、そう思うでしょ?郁子さん』と話を振られてしまった。
そんなこんなで最終的には逆に響子さんと五代君に色々と励まされ、その日は帰宅した郁子ちゃんだった。
時計坂への駅へ向かう夜の道、
“結婚かあ・・・・あんまりこれまで意識して来なかったけれども・・・”
”確かに独身で一人だと気楽でいいけど・・・結婚してあんな風に旦那さんと子供と楽しく笑いながら食卓を囲んで暮らせたら・・響子おばさまみたいに素敵な家庭を築けたら、大変なこともあるだろうけどやっぱり幸せな気持ちになれるんだろうなぁ・・・”
”家族と一緒に生活していたら寂しいなんて思う瞬間すらないんだろうな・・それに旦那さんの五代のお兄ちゃんってやっぱり・・・優しいなあ・・視線とか表情が違うもんな。あんなに優しく嬉しそうに見詰めて話してくれるんだもん・・奥さんだったら誰でも嬉しいよ”
”信頼って言うのか・・う~ん・・・お互いに大好きだっていうオーラみたいなの満載だなぁ・・流石に大恋愛って大げさだけど・・壁を一個一個乗り越えて夫婦になれた嬉しさって実感できれば・・・幸せしか感じないだろうなあ・・・・”
郁子ちゃんは“結婚”という言葉を思い返していた。
思い返せば郁子ちゃんもいつの間にか三十歳の大台を越えていて35歳になっていた。
響子さんの仲介もあり、私生活や仕事の方は、最近だいぶ落ち着いてきたが、なかなか良い男性に巡り逢えなくなっているのも事実で、
実は郁子ちゃんは両親に“見合い”を勧められていた。
両親にここの所迷惑をかけていた事もあって、郁子ちゃんはこの見合い話を受けようかと思い始めていた矢先・・・。
“ピロンコリンロンロ~~ン♪”
郁子ちゃんの携帯が鳴った。
[もしもし・・・・・]
[あ、賢太郎君!?]
電話の主は賢太郎君からのものだった。
以下、次回