郁子ちゃんの心は揺れ動いていた。
それは両親からの見合い話。
郁子ちゃんは以前、自分の会社での不倫問題で・・両親や周囲の人たちに迷惑を物凄く掛けたという事実と、30歳どころか35歳という、
独身女性にとってはかなりの大きな山を越えてしまった焦りとが重なって、その話を取り敢えずだけれども試しに受けてみようという気持ちに傾きつつあった。
実はその相談に郁子ちゃんは響子さんに乗ってもらいたかったのだが、実の母親を闘病の末に亡くしたばかりの響子さんはまだ彼女自身の心の整理が着いていない状況だったので、
自分の話を切り出すのを止めて、響子さんの聞き役に徹する事になった。
“そんな微妙な時の賢太郎君からの電話だった。”
[もしもし、賢太郎君?]
[うん、・・・お通夜で少し顔を合わせて以来ね]
[賢太郎君お仕事ですぐ帰っちゃったけど]
[・・・・え?]
[今度の土曜日?]
[うん、いいけど・・・]
[分かった]
郁子ちゃんは賢太郎君としばらく取り留めも無い会話をした後、どうやら何か約束をして電話を切った。
~週末の土曜日~
[ごめんなさい、待った、賢太郎君?]
都内繁華街の駅付近で二人は待ち合わせした。
[や、やあ、い、い、郁子ちゃん]
[ほ、”“ほんにうとう””に来てくれるなんて、思ってなぁ、なかったよ]
賢太郎君はえらく緊張した様子。
呂律が回らずに奇妙で変な言葉遣いになってしまっている。
[あはは、ヤダ、賢太郎君、おかしいよ~!]
郁子ちゃんはその場でお腹を抱えて大笑い。
賢太郎君は郁子ちゃんに電話番号を教えてもらったので、“映画でも見に行かないか”と誘っていた。
もちろん最悪の場合として“玉砕”覚悟で。
別に映画じゃなくても何でも良かったのだが、取り敢えずきっかけが欲しかったのだ。
[いや、まさか、郁子ちゃん誘ったら来てくれるなんて思ってなかったから]
ところがあっさりと郁子ちゃんは“OK”したので、誘った本人が一番ビックリしていたのだった。
[ふふふ、あたしも今日は特に予定もなかったし、賢太郎君と久し振りに色々とお話もしたかったしね]
郁子ちゃんはとてもニコニコとしていた。
それを見てホッとする小心者の賢太郎君。
二人は映画館へと歩き出した。
[で、今日のオススメは何?]
[うん、この前封切りされた話題のSF作さ]
[ちゃんと前売り券買ってきたんだぜ]
[ほら!・・・・・・・・・・・・・・・]
[アレ?]
[おかしいなあ???]
郁子ちゃんはどんな映画を見るのか賢太郎君に尋ねたところ、賢太郎君は前売りを買ってあるSF最新作だと張り切って言ったのはいいが、
何やらポケット辺りをゴソゴソと・・・。
[あ、あれ?]
[あははは・・・]
[家に忘れてきたみたいだ]
何と家に大事なチケットを忘れてきてしまったらしい。
がっくりと肩を落とす賢太郎君。
“しまった!”
“郁子ちゃん怒って帰っちゃうかも”
賢太郎君は冷や汗満タン。
恐る恐る郁子ちゃんを見たが・・・。
[あはは、何か五代のお兄ちゃんみたいよ、賢太郎君]
郁子ちゃんは五代君みたいだと、不愉快な顔をするどころか笑ってさえいる。
[五代のお兄ちゃん?お兄ちゃんみたいって・・・]
[いや、それって喜んでいいのかな・・・?]
[俺?]
複雑な表情の賢太郎君。
[響子おばさまから聞いたの]
[結婚する前からね、五代のお兄ちゃん、必ず“”ここぞ””という所で、ほぼ間違い無く思いっ切り”“外してくれるのよ”"って]
[初めて二人で食事の約束した時もね、大失敗。居酒屋の””豆蔵””と喫茶店の””ま・めぞん””なんて紛らわしい店の名前を伝えて行き違いになっちゃって、3時間以上も五代のお兄ちゃんたら喫茶店の方で一人で寂しく待ちぼうけ]
[響子おばさまも店の名前を勘違いしてしまって悪いことしちゃったと思ったんだけど、冷静に考えれば誘ったのはお兄ちゃんなんだから誤解しないように店の地図とかチラシを渡すべきよね・・ほんと筋金入りのドジなんだから]
[でもね、そういう間抜けなのかも知れないけれど・・ちょっぴり頼りないけれど男の人として可愛らしくて憎めない所が“”好き””なんだって]
[そんな失敗があったけれども・・・だけど・・そこから始まったのよ。とことんドジだけど真剣そのものな五代のお兄ちゃんと、とっても素敵な女性の響子おばさまの恋物語は]
[そして6年も時間が掛かったけれど、結ばれて結婚して・・今でも周囲の人が凄く羨む相思相愛の仲良し夫婦なんだから・・・]
[そんなね、評判だけじゃなくて食料品の買い物に出掛けるだけで”デートみたい”じゃなくて”デートそのもの”って二人とも断言してるから本当のハッピーエンドだよね?]
[もっとも娘さんの春香ちゃん曰く”私だけ本当に蚊帳の外”とか”真冬でも暑苦しくてストーブが不要”とか”真夏なんかは高温過ぎてクーラーが無いと熱中症”ってね・・]
[ストレートな表現で例えてくれたんだけども、普段から両親の日常でのホントにすっごい仲の良さに呆れてるらしいけどね。この間しっかり色々と聞いちゃったから、例えじゃなくて真実なことにあたしも納得だけど]
[だからね、あたしも嫌いじゃないよ・・]
[“”そういう人””]
郁子ちゃんは“”意味深””な発言をした。
郁子ちゃんから見ると、五代君と賢太郎君は、どこか似ている雰囲気があるように見えるのだろう。
その後二人は映画館で賢太郎君が新しく券を買い直し、無事に映画を見て、遅めの昼食を取り、そしてそのまま少し移動して、海の見える公園へと来た。
海の見える公園のベンチ。
二人は仲良く座り・・・。
[いや、郁子ちゃんごめんよ、本当に]
[とても情けない所を見せてしまって]
何はともあれチケットの失態を平身低頭に謝る賢太郎君。
[それはもういいのよ、映画もちゃんと見れたんだし・・かなり面白かったわよね、SFなのに笑える場面が多くて・・・コメディ映画みたいに爆笑しちゃった]
[お昼も賢太郎君の連れて行ってくれたお店、美味しかったわ、とても。流石にお料理に詳しいわよね]
[それより、本当に賢太郎君とは久し振りね]
[この前賢太郎君のいるお店で会ったのが、何年振りだったかしら?]
[うんと、そうだねぇ・・・]
[管理人さんと、五代のお兄ちゃんの結婚式の後は・・・]
[郁子ちゃんを全然見掛けなくなったし、俺も高校卒業後はあそこ(一刻館)出たから・・]
[もう15年位は経つのかな?]
郁子ちゃんと賢太郎君は約15年ぶりの再会という事になるらしい。
[そうね]
[賢太郎君とは、よく五代のお兄ちゃんと勉強したの覚えてるわ]
[あたしが高校に入ると、五代のお兄ちゃんも家庭教師することが出来なくなっちゃって、何故か一刻館にも足が遠のいたなあ・・・]
懐かしそうに昔を振り返る郁子ちゃん。
[いや、俺は恥ずかしながら正直言うと、実は勉強なんてホントどうでもよくて・・]
[郁子ちゃんに会うために勉強を口実にしてたんだよなあ・・・]
賢太郎君は長い年月を経て、実はあの当時は勉強することが目的ではなく、郁子ちゃん目当てで5号室に遊びに行った事を告白した。
[ええ!?]
[ホントに?]
[やだ、賢太郎君いつからお世辞が上手くなったの?]
突然の一言に照れ笑いする郁子ちゃん。
[い、いやあ、お世辞とか全然そんなんじゃなくて、あの時の郁子ちゃん、とっても輝いてて眩しかった]
[俺よりも年上で、でもとても優しくて。小学生の生意気なガキを弟みたいに思ってくれて・・賢ちゃん、賢ちゃんって呼んでくれてね]
[郁子ちゃん次いつ来るのかなぁ・・・何て、いつも思ってたよ]
[あ、今も郁子ちゃん全然変わってないよ、とってもその・・・]
[あの頃よりも・・・・]
[綺麗だよ]
[バカ]
[賢太郎君突然何を言い出すのよ、恥ずかしい]
[あたしもう今年で35よ?]
賢太郎君は照れながらも郁子ちゃんに“”綺麗””だと言った。
それを聞き、顔を赤らめ恥ずかしがる郁子ちゃん
[・・・うん、それはそうなんだけど・・事実として・・何年経っても歳の差だけはどうしたって縮まらないよね]
[でも・・ずっと俺の中で、郁子ちゃんはいつも理想の女性だったんだ]
[五代のお兄ちゃんがずっと理想の女性だった優しくて綺麗な管理人さんに恋してたように、俺もまだガキの頃、幼いながらも郁子ちゃんに恋心に似た・・・]
[何か憧れのような気持ちがあったんだな]
賢太郎君は初めて会った時から、郁子ちゃんに淡い恋心をずっと抱いていた。
[そう言ってくれると嬉しいわ、賢太郎君]
[何となく運命めいたものがあるのかもね、あたしたちには]
[30歳を過ぎてもお互いに“独身”でいる事も・・ね]
[だけど賢太郎君はその間、良い人に巡り逢えなかったの?]
郁子ちゃんも嬉しそうに意味深な言葉を色々と続けてくれる。
[う、痛い所を突いて来るなあ、郁子ちゃん]
[俺、学生時代は“憧れの郁子ちゃん”より良い人に出会えなくて、特に誰とも付き合ったりしなかったんだけど・・・]
[社会に出たら職場の人とかと付き合ったりしたよ]
[それで、つい最近、3年以上も付き合ってた女の人と別れたんだ]
賢太郎君は自分が最近別れた人も含めて、何人かの女性と付き合った事を話した。
[郁子ちゃんの方はどうなの?]
賢太郎君は郁子ちゃんの事を聞き返したが・・・。
[うん、まあ、適当にね]
と郁子ちゃんは・・・・
それ以上語ろうとはしなかった。
やはり前の会社で不倫して大騒ぎを巻き起こしてしまったことなど異性にそうそう言えるものでもない。それはある意味当然であろう。
響子さんに打ち明けられたのは同性ということと、元おばという信頼できる立場の女性であったからだ。
そうして楽しい時間は過ぎ、あっという間に二人の別れの時間が来た。
[今日はとても楽しかったわ、賢太郎君]
[俺も久し振りに楽しかったよ、郁子ちゃん]
[あの、もし良かったら、また誘ってもいいかな?]と少し照れながら話す賢太郎君。
夜の繁華街のターミナル駅。
賢太郎君はまた郁子ちゃんに逢いたいという意思を伝えたが。
[ごめんさない、あたし・・・]
[近いうちにお見合いするの]
[あ、あたし向こうだから]
[サヨナラ、今日は本当にありがと]
郁子ちゃんは唐突に見合いをすると告げ、人混みの中へ消えて行ってしまった。
衝撃の告白に、呆然と立ち尽くす賢太郎君。
楽しかった時が一転、何も見えない闇の中。
((郁子ちゃん・・嘘だろう?・・・お見合いって何なんだよ・・・))
((やっと・・・初めてデート出来たのに。昔の夢が叶ったばっかりなのに・・・・俺やっぱり郁子ちゃんが好きなんだって自覚出来たのに・・・・))
((賢ちゃんって呼んでくれてた郁子ちゃんと・・またデートしたいって・・・もっともっと話ししたかったのに・・・これで終わりなんて・・あんまりだよ))
~~ 二人はやはり結ばれる事なく終わってしまうのだろうか? ~~
以下次回