疑惑の夜から数日。
響子さんの心中は穏やかならぬものがあった。
~一刻館~管理人室の昼下がり~
自宅で朝洗濯機を回してベランダに干すか乾燥機に掛けてから一刻館に来る今日この頃。
昔のようにここで洗濯機を回して洗濯をする事もほとんど無くなった響子さん。
それでも今日はとても天気が良く、管理人室で自分が着る衣類などを、昔から使っているお馴染みの洗濯機に掛け、のんびりと日向ぼっこなどをしていた。
[ふぅ]
しかし出るのは溜め息ばかり。
四谷さんから聞いた話がどうにも頭から離れない響子さん。
夫の態度もどこか変でおかしい。
そう考えるととても憂鬱な気分になってしまう。
[どうしたんだい?管理人さん。溜め息なんて吐いて]
そんな響子さんを見て一の瀬さんが声を掛けてきた。
[あ、いえ、何でもありません]
はっと我に帰り笑顔でそう答えた響子さん。
[四谷さんの言うことなんてさぁいちいち間に受けていたらキリが無いよ]
そんな響子さんを元気付けるように一の瀬さんは言った。
[べっ、別に気にしてなんかはいませんけど・・・]
[全く嘘が吐けない人だねえ。管理人さんは]
そう言うとしばし無言のふたり。
“ゴトンゴトン”
洗濯機の回る音だけが辺りにこだまする。
[実はさ、あたしも見たんだよね]
[何をですか?]
しばらくの沈黙の後、一の瀬さんが話し始めた。
[旦那の五代君が他の女性と逢っているのをさ]
やはり四谷さんの話は嘘ではなかった!
一の瀬さんの一言に思わず表情が強張る響子さん。
[ひ、人違いじゃあないですか?一の瀬さん?]
事実を受け入れたくない。
響子さんのそんな必死な思いがこの一言に現れていた。
[間違い無いね。ありゃ五代君だよ]
[あたしが駅前の馴染みの酒屋に酒を取りに行った時、見たんだよ]
[喫茶店で誰かと話している五代君をね]
一の瀬さんも四谷さん同様五代君を見掛けたと言った。
[黙ってようとも思ったけど、近所の奥さん連中もちらほら目撃してたようだからさぁ、いずれ耳に入ると思ってさ]
実は一の瀬さんも四谷さんとそんなに変わらない日時に五代君を見掛けていたのだが、響子さんのことを思い黙っていたようだった。
[そう・・・ですか・・・]
響子さんは諦めにも似た表情を浮かべた。
ここまで言い切られたら事実を受け入れるしかないと。
[それで、その、相手の女の人はどんな人でした?]
響子さんはぐっと覚悟を決めて一の瀬さんに聞いた。
[それがねえ、ちょうど店の死角に入ってて五代君の顔しか見えなかったんだよね]
[残念だけどさ]
四谷さん同様、一の瀬さんも相手の女性の顔ははっきり確認出来なかったと言う。
[だけど・・・どこかで見たような感じのする人だったよ]
どこかで見たような人。
確か四谷さんも同じような事を口にしていた。
という事は、一刻館の住人とも面識がある人物なのだろうか?
そうなると人物はかなり限られてくる。
“一体誰???”
響子さんは相当に困惑していた。
~それから更に数日~
響子さんは遂に意を決し、五代君が勤める”しいのみ・保育園”に張り込んだ。
“あの人の職場を見張るだなんて・・本当はこんな事したくないけれど。もう・・・しょうがないわよね。”
そう無理矢理自分に言い聞かせる響子さんだった。
五代君と結婚する前にも何度か訪れたことがあるし結婚後にはそれこそ挨拶だけでなく夫の忘れ物や急に必要となった物などを届けに行ったことが結構ある。
だから同僚である保母さんたちとも多少は面識があるし、だが今回は逆に面が割れていることが邪魔となるので余りすぐ近くには寄れないのが響子さんにはもどかしい。
それに響子さんは保母さんたちを何となくしか覚えていないが、彼女たちからすれば”五代君の奥さん”は忘れようにも忘れられない美貌の女性なので目立つ場所では夫の職場に来ていることが直ぐに判明してしまうであろう。
”あんな綺麗で優しそうな美女を五代君がよくぞ捕まえたわね~”から始まって"不釣合いなカップルだね~信じられない!”とか”美女と野獣じゃなくて姫君と下僕”とか”それを言うなら女優と新米マネージャーじゃないかな?”と
その他にも色々と言われ放題で比較されればされるほど落差が激しく、挙句の果てには”折角の見目麗しき女性なのに勿体無い”とか”旦那が五代君じゃぁちょっと奥さんが気の毒過ぎて可哀想かな”とも五代君が居ないところでは散々に囁かれていた。
五代君夫妻の間には愛娘の春香ちゃんが居ることは当然職場でも知れ渡っているのだが、その春香ちゃんも職場訪問するたびに言われるのが”可愛いわね~ママに似てて良かったわね~”はマシな表現で、直接言わずに陰では”ホントにパパに似なくて幸運だったわね”とか
”家では奥さんどころか娘さんにも頭が上がらなそうね、五代君は”とか”小さいうちは気付かないかもだけど、大きくなったらパパって冴えないな~くらいは言われそう”とか相当に好き勝手言われてしまっている。
だが五代君の名誉の為に言うならば、女性がほとんどの職場で数少ない男性である五代君が格好良いかどうか、見栄えが良いかどうかで世間話のネタにされているだけであって、職場での仕事振りには熱心で真面目で誠実なことは誰しも承知している。
紆余曲折があって巡り巡って辿り着いた保父という仕事に情熱を持っているし唯一といっていい長所である手先の器用さで小さい子供に喜んでもらえる折り紙や人形などを作って一緒に優しく遊んでいる姿は無くては成らない存在と一目だって置かれているのである。
とその時。
“ピリリリリ~♪”
響子さんの携帯の着信音が鳴った。
[何よこんな時にもう!]
携帯に怒りをぶつける響子さん。
[はい、五代ですが]
気を取り直して電話に出る響子さん。
[あの・・・五代君の奥さんですか?]
聞き慣れない声の主は女性だった。
“もしかして例の女の人かしら?”
一瞬、緊張する響子さん。
[ええ、そうですけれど・・あの、どちら様でしょうか?]
声を少しだけ震わせながら恐る恐る尋ねる響子さん。
[私、しいのみ保育園の保母で黒木です]
声の主は五代君と一緒に勤務する保母の黒木さんからだった。五代君の大学の先輩でもあるし、その縁で元々響子さんとも面識がある。
[あ、あの、どうしてこの番号が?]
突然の電話に驚きを隠せない響子さん。
[五代君から、いえ、ご主人から番号を何とか聞きまして]
[それであの・・・どのようなご用件でしょうか?]
主人から番号を聞いたと言う黒木さん。
それにしても何故彼女は響子さんの携帯に?
[実は・・・もしかしたら奥さんもお気付きかも知れませんが]
[最近、五代君、どうもちょくちょく他の女性と逢ってるようなので]
ああ、何てことかしら。
保育園の同僚の保母さんにも知られていたとは。
思わず眩暈を感じてしまう響子さんでした。
~その日の夕方 時計坂駅に程近い喫茶店~
[すいません。突然お電話差し上げて]
[いえ、お心遣いは嬉しいですわ]
店内には響子さんと黒木さんの姿があった。
[五代君、いえ、ご主人の様子がちょっとこの頃おかしいと思ってたので]
[無理やり理由をこじつけて彼から奥さんの電話番号を聞いて]
黒木さんは五代君と例の女性が密かに逢っているのを黙って見ていられなかったのだろう。
多少なりとも五代君と響子さんの不器用で紆余曲折どころか艱難辛苦な恋物語を知っているので黙って見過ごせなかった様子。
響子さんにも自分の活動する人形劇クラブに何度か出演してもらった縁もあるし、五代君たちの結婚式直前にもお祝いと称して二人の恋物語を題材にした創作人形劇を余興で披露したくらいだからだ。
そのストーリーとは・・お姫様の響子さん(くるくる巻き毛)、貧乏人だが正直者な五代君(ツギハギだらけの衣装)、お金持ちでキザな三鷹さん(眩しく光る出っ歯が目立つ)、頑固者で怖い響子さんの父親(海賊みたいな風貌)などなど現実の人物を少々大げさにデフォルメして
登場する人形を製作しボロボロな衣服を纏った五代君が就職に苦労しながら職を得て、ライバルの三鷹さんが別の女性と結婚して脱落し、必死に結婚の承諾を得てハッピーエンドになるという五代君と響子さんの実話を面白おかしく再現したもので一刻館の住人たちには
大受けであったが、主人公役の五代君にとっては、ちょとばかり面白くない展開(内容が、ではなくリアルな再現が・・いささか悲惨な形で繰り広げられたので)であった。
黒木さんにとって一応は可愛い後輩に当たる五代君が憧れの女性である響子さんと結婚するのに相当に苦労し何とか実現したのに・・結婚後も仲良く暮らしているのを見聞きしていたのに、その五代君が別の女性とだなんて信じられなかったし心配したのだ。
それで適当に理由を並べて響子さんの携帯番号を五代君から聞き出したようだ。
[ふふ。私もアパートの住人からその噂は聞いていますわ]
もう半分開き直りの響子さん。
[それで黒木さん。私にどうしてこのお店に来るように電話下さったんですか?]
黒木さんは響子さんに夕方この喫茶店で待ち合わせしようと電話してきたのだ。
[それにはですね、実は深い理由がありまして]
“いらっしゃいませ~”
喫茶店のドアが開いた。
[奥さん、アレを見て!]
突然黒木さんが店に入って来た二人の男女を指差した。
[!!!!!]
言葉が出なかった。
“こ、こずえさん!間違いない!”
この頃主人が暇を見付けてはコソコソ逢っていた女性は・・・・何と、10年以上前に職場の先輩と結婚して名古屋に移り住んでいたはずの・・・・、
七尾こずえちゃんだった・・・。
予想だにしていない出来事。
あまりのショックに声を失う響子さん。
夫が今目の前で会っている女性が・・あの・・学生時代のGFであった、こずえちゃんだなんて・・・。
信じたくない。
だけど、自分の視線のわずか先には・・・。
その現実の世界が広がっている。
二人ともこちらに気付く気配は無い。
何やら深刻に話をしている。
[あの・・・奥さん。声を掛けましょうか?]
見兼ねた黒木さんが響子さんに言った。
[いえ、いいんです。今日のところはこのままそっとしておきましょう]
夫を詰問する勇気が無いのか、それとも・・・。
そう言うと二人に気付かれないよう響子さんは席を立った。
“ありがとうございました~”
喫茶店を後にする響子さんと黒木さん。
[あの・・・もしかして私]
[余計なことをしてしまいましたか?]
申し訳なさそうに黒木さんが言った。
そんな黒木さんを見て響子さんは。
[いいえ、そんな事ありませんわ。とても嬉しかったです]
と答えた後、
[ただ、あたしは主人を信じていたいし、それに・・・]
[“あの人”とは、昔・・・色々とあったから・・・]
そう独り言のように呟いた。
七尾こずえちゃんと響子さん・・・別に面と向かって敵対した訳では全くない。例の八神とは状況がいささか異なるのだ。
五代君が実は響子さんをデートに誘おうと色々映画のチケットを入手したりと走り回っていた時に・・先に手を打たれて三鷹さんとのドライブに響子さんは出掛けてしまったのだ。
そして手持ち無沙汰でトボトボ歩いていたらバイト先の同僚で年下の女性、七尾ごずえちゃんと路上で遭遇し意図せずに、折角のチケットが無駄にならないように映画とか食事に・・デートのようなことをして過ごしたのがGFとなる切っ掛けとなったのだ。
それ以来、頻繁ではないが一緒に食事したり遊びに行ったりするだけの本当に文字通り”女性の友達”だったのが、こずえちゃんなのである。
五代君はバイト先であまり気に留めていたわけはないのだが、こずえちゃんは五代君を気に入り、意識し始めて・・それまで丸眼鏡を掛けていたのをバイト料でコンタクトレンズを購入し以後は眼鏡を掛けなくなった。
つまりはこずえちゃんの方からアプローチしたのだが五代君は響子さんのことが物凄く真剣に好きであったので、こずえちゃんにはキスすらしようとはせず清い交際でしかなかった。
だが、こずえちゃんの家庭に食事に何度も招かれなど傍目には交際しているとしか思われない関係が何年も、そう5年近く続いていた。
一見、五代君と響子さんの仲を邪魔する存在に見えたが実は・・・なかなか進展しない非常にもどかしい二人を、特に響子さんに己の気持ち・・五代君への感情を再確認させる存在であったのだから運命の歯車はどう転ぶか分からない。
結局最後にはこずえちゃんは職場である銀行の先輩男性と結婚することとなり五代君の目の前から消えて東京から名古屋へ夫の転勤で引越し、接点は無くなった筈であった。
本来であれば嵐のような修羅場が繰り広げられたであろうが偶然が味方し、こずえちゃんは五代君が本当に好きな女性が誰かを知らずに別れたのだ。
だから五代君が実はこずえちゃんと清いGFとしてだが付き合う前からずっと響子さんに憧れていて好きであった事実は知らないままなのだ。
そして五代君が現在では響子さんと結婚し娘を授かり幸福な家庭を築いていることは知らない筈、であった。
それから数日間、響子さんはこずえちゃんの事について何も知らない素振りをした。
夫を信じていたいから、だから・・・。
自分の方からきっと打ち明けてくれるだろうと思っていた。
しかし、何か夫の方から話してくれそうな素振りは全くない。
表面上は今までと殆ど変わりない普通の夫婦生活を送っていたが・・・。
夜にベッドで五代君からいつものように夫婦の営みを求められても敢えて拒絶などせず響子さんもその都度応じていた。
何か変わりはないか確認もしたかったせいもあるが・・・これまでと同じく深い愛情を感じることは出来たが特に何も変化などは感じなかった。
半脱ぎではなく、響子さんの美麗な裸体を堪能したがって優しく脱がされて毎回その都度全裸にやはりされてしまったし・・・
響子さんの髪の毛や太ももや乳房などの感触と香りを楽しんで愛撫に移り、挿入も無理やりではなく潤ってからであったし、
ピストン運動では相変わらず逞しくて激しく・・五代君だってまだまだ老け込む年齢では全然ないので・・射精する時も膣内に直接注ぐのはちゃんと響子さんを感じさせて絶頂へ導いてからであった。
性行為の後始末もこれまでどおり丁寧に優しく響子さんの性器を綺麗に拭き取ってくれてたので本当に変化などは無かったのだ。
響子さんによる五代君の性器をお掃除フェラしている時も喜んでくれて頭や髪の毛を優しく撫でて褒めてくれていたから・・・。
性行為が全て終わってからのお休みのキスも十分に愛情を感じさせてくれるものであった。
ほぼ2日に1回のペースも変化は無く、自分が響子さんを抱きたいから求めてセックスをしているんだという表情と態度に溢れていたし・・何かを誤魔化す為に義務的にしているなどとは・・とても浮気をしていて他の女性に気が移っているとは全然思えなかった。
それなのに・・・。
“どうしたらいいの?”
自分自身、押し潰されそうな思いが駆け巡る。
例の喫茶店での出来事から1週間経ったある日。
もっとも前日夜の営みでは舌を絡めた接吻の後で最初に響子さんから、内心で((本当に浮気していないか、検査するわよ))と呟くと・・五代君のイチモツを響子が舌で先端から付け根までをしっかりと舐めて深々と口腔に含んで味と匂いを確かめたのだ。
((うん、いつもと同じで・・あなたの味と匂いしかしないわ))と確認することが出来て、ほっと安堵した響子さんに対して・・始めから積極的なご奉仕をしてくれた妻に喜んだ夫としっかりと激しく都合三度も繋がったのであったが。
一瞬だが少しばかり暗くて深刻な表情を見せた響子さんを五代君は内心で((響子はとっても朗らかだけど少しだけ寂しがり屋だからなぁ・・おれはいつも傍に居るのに・・よし、今夜はおれが常に居る存在なのを分かって貰おう!))と考えてくれて、
今宵はじっくりと時間を費やして響子さんを可愛がる方針で臨んだ成果が三度の射精に繋がったのである。
昨夜は夫に目一杯、本当に腰が抜けてしまうほど大切に愛されて満足させてもらえたので、普段であれば何の心配も無く家事や一刻館の管理に専念できるのであるが・・やはり疑惑の現場を直接目撃してしまっていることもあり気持ちは決して晴れない。
あんなに心を込めて愛撫したりキスしたり、逞しく激しく交わって全て終わった後でも凄く大切に労わってくれた夫の態度からして妻である響子さんを目に入れても痛くないほど大事にして愛してくれているのは、これまでの様子と全く同じで何にも変化など無かった。
恥ずかしい格好や台詞を求められることはあっても、お互いに気持ち良くなって性的欲求を満たそうと考えていてくれていて、響子さんに対してこれまで痛かったり苦しかったりするようなことは一切求められたことなど無く皆無だ。
だからこそ響子さんも安心して夫婦の営みでは身も心も五代君に委ねることが出来るのだ。
あまり機会が持てないのが残念だが夫婦一緒に入浴だって本当は毎晩だってしたい。五代君も響子さんの美麗な女体を洗いたいし、響子さんだって五代君の逞しい肉体を洗ってあげたいのだ。
それ故それが可能な時はとても幸せを感じて一緒に身体を洗い合っていて・・そのまま性行為にまで発展するのが常だし、肉体的にも精神的にもその際はとても満足が出来る。お互いに隠す箇所など何も無いという事実を改めて認識が出来るから。
ずっと一緒に暮らしていて夫婦愛に満ち溢れた家庭という自負があるし、五代君は元々生き方がとても不器用で妻の目を誤魔化して浮気など出来る人間ではない。
それなのに・・どうして?・・どうして今更こずえさんなんかと何度も秘密に会ってたりしたの?・・・そう考え始めると、もう他のことなど頭には入らない。
だから響子さんの足は自然と・・・夫の職場である”しいの実・保育園”へと向かっていた。
昼下がりの、しいの実・保育園。
響子さんは遠巻きに子供達と戯れる夫の姿を眺めていた。
不思議とその姿はいつもと何ら変わらないものだった。
内心とても複雑な感情で愛する夫の働く姿を声も無くずっと見詰めている響子さん。
五代君が大学を卒業しても就職に失敗し、社会人としても浪人生活を送り足掻いていたが・・糊口を舐めるためにバイトで働いていた保育園の仕事に興味を持ち悩んでいたところ
響子さんから”ぴったりですよ、保父さんの仕事が”と明るく心からの笑顔で励まされて、情けない自分に自己嫌悪していた五代君の心を、本来であればきちんと就職をして響子さんに正式に交際を堂々と申し込みをしたかったのに出来なかった情けなさを癒してくれてた。
その後にそのバイト先すら経費削減の影響で職を失い・・色々と本当に辛酸を舐めたが何とか響子さんと本当に恋仲となり国家試験にも受かって保父となり就職し結婚して・・・だからこの”しいの実・保育園”は夫の職場であるばかりでなく
響子さん本人にとっても色々と思い出深い場所であった。
それ故に先程からの彼女のその眼差しは優しさと共に懐かしさ、そして夫に対する愛しさと現在感じている悲しさが混じり合うものであった。
と、そこへ黒木さんが出て来て何やら五代君に話し掛けた。
しばらく真剣な表情で黒木さんと話をしていた五代君。
黒木さんが指差した方向を見て納得したように、隠れるように様子を伺っていた響子さんの元へとやって来た。
[黒木さんがちょっと二人だけで話をして来いってさ]
響子さんがここに来ているのを女の勘で鋭く察知した黒木さんは、五代君にあの女性との事をきちんと説明するように促したようだ。
当ても無く歩き出す二人。
その歩く姿は長年連れ添った夫婦なのに二人とも何となくぎこちない。
普段であればごく自然に腕を組んだり寄り添ったりして仲睦まじくも落ち着いた雰囲気を醸し出している仲の良い五代君たち夫婦なのに・・・。
[・・・知って・・・たのかい?]
響子さんの顔色を伺うように五代君は切り出した。
[・・・少なくとも・・・あたしは・・・全然知らなかったわ]
[だけど・・・四谷さんとか一の瀬さんとかが見掛けたみたいよ。あなたが他の女の人と逢っているって・・・]
[それが・・・・よりにもよって・・・・・・こずえさんだったなんて・・・]
少しばかり声を震わせ、響子さんは俯き加減に言った。
[そうか・・・]
それから先は上手く言葉が見付からない五代君は黙り込んでしまった。
非常に気まずい雰囲気。
木立の中を歩く二人・・・。
小鳥がさえずり・・・木漏れ日がやけに眩しい。
[でも・・・響子の考えてるようなやましい事は何ひとつないよ!]
[じゃあどうして今まで黙ってたの?]
[やましい事がないのにどうしてコソコソ隠れるように逢うの?]
[あたしひとりが置いてけぼりじゃない!]
五代君は必死にこずえちゃんとは何もないと弁明するが・・・響子さんの耳には届く筈も無い。
[あたしたち・・・夫婦・・・よね?・・・結婚して15年・・16年以上の・・・]
僅かな空白の後、響子さんが呟いた。
[もちろんそうだよ、響子。何を言って・・・・・・・・・]
“”!!!!!!””
泣いていた。
大粒の涙が響子さんの頬を伝った。
色々な思いがないまぜになって・・・溢れ出した。
そんな妻、響子さんに掛ける言葉の見付からない夫、五代君。
結婚する時に、五代君は響子さんに誓った。
“””泣かせるようなことは絶対にしません”””
と。
その誓いを・・・初めて破った。五代君は破ってしまった。
[ねえあなた・・・あたしはあなたしかずっと見ていないわ]
[隠し事だって・・・あたし出来ない女ですから・・・]
[音無響子だった時のことも全て含めて隠し事なんて無いわ・・・それなのに・・・ひどい・・わ・・]
響子さんの頬を伝う涙は止まらない。
[いや、響子。おれだって君しかずっと見ていないよ]
五代君は更に必死に響子さんを宥めるが全く心に響かない。
[じゃあどうして?・・・他の女の人・・・こずえさんと黙って会ったりしてたの?・・・どうして?]
[あたしはあなたの妻ですから・・・だから駄目・・・駄目・・・嫌よ]
((こずえさんを抱いた体であたしを抱いていたの?こずえさんを何度も愛した体であなたはあたしを何度も抱いたの?))
((そんなの嫌!嫌、絶対に嫌よ!耐えられないわ!))
((昨晩だって・・あんなにいっぱい愛してくれたのに・・あたしにあんな恥ずかしい格好をさせて・・破廉恥な台詞を何度も言わせて・・挿入だけじゃなくて射精のおねだりまでさせて・・・))
((””あん・・もう焦らさないで・・あなた、お願い・・・もう一度・・嵌めて・・ね?””・・””ああ、もう・・だ、だ、駄目!・・くぅ・・い、一緒に・・ねえ?””・・あんな露骨な台詞を口走ってしまって、あなた以外には絶対・・とても聞かせられないような言葉を・・・))
((射精された直後の余韻を感じてうっとりしているのに、あなたったらイチモツを引き抜こうとするんですもの・・”あぁ・・んん、まだ・・抜かないで””って表情だけじゃなくて、昨晩は言葉にしたから・・もう一度・・ううん何度も奥まで、ぐっと突っ込んでくれたわよね?))
((下の口にも上の口にもたっぷりと精液を注ぎ込んでくれたのに・・・。あれは嘘の気持ちからなの?あなたがあたしに””響子の口に出すよ・・全部飲み込んでんでくれ!””って望んだから・・乳房を鷲掴みして揉みながら言うから・・昨日も全てを飲み干したのよ))
((あたしたち二人の夜の営みって・・お互い大好きだから・・愛し合っているからこその営みでしょう??・・全て終わった事後に””今日もとっても気持ち良かったよ””って褒めてくれて、また両方の乳房にいっぱいキスして跡を・・キスマークだらけにされちゃったのに))
((下着をパンティだけでブラはしないでって言ったりして・・生乳の感触を味わって眠りたいなんて甘えるから・・・ノーブラで寝巻きを着て抱き合って、あたしたち寝たじゃない。いつもそんな風に甘えたりするけど、その分思い切り可愛がってくれてたじゃないの?))
((一昨日だって・・明かりを消してくれなくて、あたしに大股を開かせてじっくり観察させてくれって言うから・・あんなに近くから凝視され続けてたら恥ずかしさが増すのよ?・・いくらいつも見られてるとは言ってもね))
((じっくり舌先と指先で弄られて愛液が滲んで止まらなかったし・・あなたったらあたしの性器の香りが芳しいって露骨に言いながらイチモツを屹立させて・・今回は最初から挿入して楽しもうよ・・何て言いながら差し込んで腰をのの字みたいにくねらせるから一緒になって))
((そのうちあたしも夢中になって・・喘いでしまったし・・でも自分だけじゃなくてあたしも満足させようって優しく逞しくね・・愛情を感じ取ること出来たのに・・・気持ち良いのと幸せだから・・嬉し涙も少しだけ目蓋に滲んでたのを気付いたでしょう・・あなた?))
((あんなにいつもあたしを可愛がって凄く愛してくれているのに・・それなのに・・・何故なの?・・・どうして?・・性行為・・性交渉・・夫婦の営み・・セックス・・言い方は違っても内容はみんな同じ・・いつもあたしたちベッドで行っているわよね?))
響子さんの頬を流れる大粒の涙は洪水のように勢いは止まらない。
[あたしがあなたを好きだから・・あなたもあたしを好きだから・・愛し合って・・結婚して・・・今でも愛し合っているのよね?]
[あたしたち赤の他人なの?・・違うでしょ・・掛け替えの無い夫婦でしょう!・・違うとでも言うの?・・あなた?]
夫である五代君を邪心無く一途に愛するからこその響子さんの魂の叫びに圧倒されてしまい・・その血を吐くような感情を露わにした彼女の表情に己も泣かされそうな気持ちになる五代君。
説得をする為に、妻の心を落ち着かせる為に自分も言葉を発したいのだが・・何も・・何も・・情けないことに出て来ない。彼に今出来ることは・・否、何も出来ない。ただただ無力に立ち尽くすだけだ。
その昔、お互いに好きだったのに恋愛状態に成り切れずママゴトのような微妙な、ぬるま湯のような関係であった頃、数え切れない痴話喧嘩を小さな誤解などが原因で散々一刻館で繰り広げて来た。
だが今回は明らかに違う。次元が違うのだ。
既に夫婦となり子供も育み、ずっと一緒に暮らしてきたのだ。二人の繋がりは・・絆は・・精神的にも肉体的にも・・あの頃とは比べようも無く頑丈だ。だが何故に頑丈なのかは二人とも相手だけを愛し続けていることが絶対的な条件だ。
その絶対的に必要な条件が途切れた時、すなわち否定されるとしたら・・怒りの大きさは比較など出来るものではない。
彼ら夫婦は結婚してもうすぐ17年目だ。
愛し合っているのは何も夜における営みだけではない。結婚する前から続けて作ってくれている愛妻弁当。それだけではなく毎日の朝食と夕食、全てが響子さんの愛情が篭った手作りだ。贅沢な高級食材などなく家庭的な料理内容だが常に美味しいのは勿論、
最高の調味料である深い愛情が感じられて・・五代君はいつもいつも箸の勢いが止まらない。
眩しいくらいに健康的な響子さんとて生身の人間だ。過去に体調を崩してしまい料理を用意できないことも極稀にだが有った。そんな日にはコンビニなり持ち帰り弁当なりを五代君だって買って娘と食べる。だが不特定多数の為に作られた食事と、夫と娘の為に腕によりを掛けて
手間隙を掛けて響子さんが作ってくれた料理とは比較にならない。寝込んだ妻が全快するまでは気を遣わせない為にも言わないが、元通りに健康を回復した暁には”響子の手料理が食べられなくて寂しかったし参ったよ。力が入らないんだ”と普段の妻の仕事振りにお世辞抜きで
感謝の言葉を述べていた。それが本音で本心だからだ。響子さんも口では”あら、本当かしら?”と軽くあしらうがにこにこと上機嫌な表情から心底嬉しいのは明らかなのだ。
無論それだけではない。洗濯だってそうだ。保父という仕事だから背広やワイシャツはあまり必要としない分、普段着が仕事着となるので本当に毎日欠かさず洗って干してアイロン掛けが欠かせない。下着や靴下の消耗品も傷みが早くなるので切らさず新しく用意されているのは
家計をやり繰りする響子さんが夫の為に最優先で用意しているからだ。掃除もそうだ。五代君にだって出来そうだが、ズボラで神経質さが無いから無意識で散らかしてしまっていることが時々あるも・・響子さんが綺麗に片付けているからこそ快適な住まいとなっているのだ。
そう、五代君が職場でも、それ以外の場でも恥を掻かないように気を配って尽くしてくれている響子さんが居ればこそ、社会人として通用している部分は物凄く大きい。
そんなことは指摘されるまでもなく、愚問ですらないと大見得を切って言える自信など五代君には流石に正直なところ無い。
古風な女性特有の自然な佇まいで本当に極々自然に無意識に近い感覚で日々愛する夫の五代君の為に尽くしてくれている響子さん。
ありがたいし申し訳ないとの自覚は十分有る。有るからこそ、五代君は自分で出来る可能なこと・・響子さんの傍にいて寂しい思いをさせないように大切に優しく接していくこと・・それはこれまで何とか怠り無くやってこれたが・・・彼女だけを愛する、彼女だけを恋愛感情の
対象となる女性として見る、そう、響子さんだけを・・・その最も大切なことを疑われるような行為など絶対に厳禁な筈なのに・・・今回、五代君の行動には大いに疑問符が付く。そうそれは誰あろう、自分でも・・・すべきではないとの心の警告は瞬時に浮かんだ。
だが・・・愚か者では表現が足りないくらい馬鹿なことをしでかしてしまっている。自分の愛する響子さんがどんな女性なのかを誰よりも良く知っていて理解している五代君が、彼女が最も許せないと思ってしまうことを・・絶対に踏んではならない虎の尾を踏むような、
神経を逆撫でするような、愚劣と言われても反論できないことをしてしまっていた。
果たして五代君は響子さんに謝罪するなり弁解をするなりして許しを得ることが出来るのであろうか?お詫びの品物などは全く無意味だ。お金は確かに生活する上で大事である。だがお金があれば誰でも買える物質には元々価値を余り見出していないのが彼女だ。
だからこそお金だけでは左右されない気持ち・感情・心が何よりも大事なのである。結婚指輪を購入する資金すら自分では用意できていなかった五代君からのプロポーズを受けてくれた響子さんである。五代君が社会人1年生で稼ぎも低いのに結婚してくれたのだ。
それは何故なのか考えるまでもない。ただただ響子さんを愛する気持ち、自分よりも大事で大切にする気持ち、響子さんの悲しい・・未亡人という過去を不器用でも包み込んで、亡くなってしまった夫の記憶を思い出を忘れられなくて、五代君に申し訳無くて、
涙が流れてしまった響子さんの脆い繊細な心を美しいと思うからこそ、愛していると言葉でも行動でも、それらは不恰好であったろうし非常に不器用なことは間違いない、それでも真摯に訴えて、好きです、愛していますと言えるのが五代君という男だからこそ響子さんも・・・
五代君のことを好きになって心から愛してくれて5年の歳月を経て恋人になってくれたのだし、そして生涯の伴侶として結婚をしてくれたのだ。
本当に果たしてどころか・・・誠実なお詫びの気持ちを伝えていくことが・・・それだけでなくて許しを請うことが・・・その結果として響子さんが心から許してくれることが可能なのか?
((あたしはあなただけの女なの、だからあなたはあたしだけの男・・・あたしを抱いていいのはあなただけ!・・あなたが抱いていいのもあたしだけ!))
((・・・あたしたち夫婦なんだから当たり前でしょう!・・絶対に・・・絶対にね・・この一線だけは譲れないわ!))
そのまま五代君を置いて一人で響子さんは・・・無論、目を真っ赤に泣き腫らしたままで・・だが誰も寄せ付けない雰囲気のまま足早に歩いて帰宅してしまい・・・・。
~それから数日後・・・響子さんは愛娘の春香ちゃんを連れて・・とうとう結婚して以来初めて家を出て行ってしまった~
以下、次回