~郁子ちゃんと賢太郎君が結婚の約束をした日から一週間経ったある晴れた日の午後~
[あ~、緊張するなあ・・・]
賢太郎君は郁子ちゃんとの結婚の許しをもらいに行くため、これから音無家へ向かう途中だった。
本人の意思は確認したものの、彼女の両親が自分をどう思うのか?
賢太郎君はここ数日、不安で夜もなかなか寝付けないほどだった。
~ほどなく音無家の玄関先~
[こ、こんにちは、は、初めまして!]
[い、一の瀬賢太郎と申します!]
郁子ちゃんの母を前にして、大緊張の賢太郎君。
[あらあら、いらっしゃい]
[そんなに緊張してどうしたのかしら?]
にこやかに応対に出たのは郁子ちゃんの母。
[よく来たわね・・・賢太郎・・・・君]
郁子ちゃんも今日は実家へと戻り“臨戦大勢”で、賢太郎君を出迎えた。
[昨日からお父さんが出張で残念だわ]
和やかなムードで当り障りなく音無家の春の縁側で話をしている3人。
[もう桜・・・咲いてるのね]
郁子ちゃんが見上げる先は、音無家代々の桜の木。
今年もまた見事に桜の花を咲かせていた。
[あたし・・・この桜を見て育ってきたのね]
小さい頃からを思い返しながら、郁子ちゃんは桜の花を見つめていた。
[そうね、この桜はこの家の歴史を見守ってきたのよ]
[亡くなってしまったおじいちゃんにおばあちゃん・・・]
[それに・・・]
[若くして突然この世を去った惣一郎と、惣一郎があっけなく死んでしまったお陰で、駆け足のようにこの家を去っていった響子さん]
[春夏秋冬・・・・・]
[どんな時もこの家を見て来た桜なのよ]
郁子ちゃんの母も懐かしそうに桜の木を眺めていた。
郁子ちゃんの母が桜を見つめて思い返すのは、この家が賑やかだった頃の事。
親や姉から見ても少し変な所があり、まったく女性に興味がないのではないかと思われた惣一郎さんが、信じられないことにある日突然とても可愛らしいお嫁さんを連れてきた。
そして、そのお嫁さんはあっという間に音無家の太陽になった。
明るくて、優しくて、綺麗で・・・家中が暖かい笑いに包まれていた。
犬の“シロ”も家族に加わり、音無家はさらに賑やかになったのだが・・・。
~そんな賑わいも長くは続かなかった~
惣一郎さんが突然この世を去り、響子さんも犬を連れてこの家を去り、大学に入ると郁子ちゃんも家を去りそして・・・。
音無の義父は病に倒れ、この世を去った。
それからは火の消えたように寂しくなった音無家を、この桜は黙って見続けてきたのだ。
[さて、あなたたち、用件は何かしら?]
[ただ“遊びに来た”って訳ではないんでしょ?]
突然郁子ちゃんの母は郁子ちゃんと賢太郎君を見て言った。
[いや、あの、・・・・・その]
前日自分の部屋で何度も“練習”したのに、いざ実戦となるとカチカチに緊張してしまい、“お嬢さんを僕にください”と切り出す事が出来ない賢太郎君。
“チョット、しっかりしてよ!”
“何の為に今日ここへ来たの?”
真横にいる郁子ちゃんは、賢太郎君に“がんばれ”とアイコンタクトを送った。
[あ、あ、あ、あの・・・!]
賢太郎君が根性を入れて言葉を発しようとしたその時!
[賢太郎さん、郁子のこと、宜しくお願いしますね]
郁子ちゃんの母が、賢太郎君の前で正座し、深々と頭を下げ、自分の娘をお願いしますと言った。
[・・・・・・・・・・・・・・・・]
郁子ちゃんの母の予想だにしていない行動に、呆気に取られ言葉を無くしてしまう二人。
[あたしは郁子の選んだ方なら間違いはないと思ってます]
[郁子から失礼ながら、賢太郎さんの事は色々と伺いました]
[あなたが郁子よりもふたつ年下だという事、お仕事の方も最近転職されたばかりで、まだ安定されていない事も]
[でもね、そんな事は取るに足らない事だとあたしは思います]
[それよりも、何より一番大切な事は・・・]
[郁子と賢太郎さんが結婚して良かった、幸せですと心から言える事]
[食べるだけなら、世の中どんな仕事でもあるでしょうし、住む所に困ったら、この家、今はあたしとお父さんだけだから・・]
[あなたたちが突然転がり込んできたとしても、全然構わないのよ]
[だから・・・]
[そんな“些細な事”は気にしないで、とにかく、一生懸命に二人で生きていって欲しいとあたしは願ってます]
[本当に・・・ただ、それだけでいいの]
[何であたしがこんなこと言うかって言うとね・・・]
[昔・・・弟の惣一郎がね、まだ若くて・・・]
[結婚したばかりの響子さんを残して逝ってしまったのを見てるから・・・・]
[あたしは・・・余計にそう思うのです]
郁子ちゃんの両親はもう郁子ちゃんを賢太郎君の所へ嫁がせる覚悟を決めていた。
郁子ちゃんの両親が結婚を承諾した大きな理由。
それは、惣一郎さんが若くして突然死に、嫁いできたばかりの響子さんが、悲しみに暮れる姿を目の当たりにしているので、郁子ちゃんが望む一番幸せな結婚をして欲しかったから。
だから社会的地位や収入より、何よりも娘が愛した人の元に嫁いでもらいたかったのだ。
[あ、いえ、その・・・]
[ありがとうございます!]
[俺、俺、一生懸命、]
[郁子さんを幸せにしてみせます!]
賢太郎君は郁子ちゃんの母と、郁子ちゃんの前で、高らかに“幸せにする”と約束した。
~~二人は遂に、全ての障害を乗り越える事が出来た~~
~同日夕方 一刻館~
一号室
[母ちゃん、郁子ちゃんだよ!]
[俺の・・・お嫁さんになってくれる人だよ!]
郁子ちゃんと賢太郎君は、再会してから初めて二人で一の瀬夫妻の元へやって来た。
[ふつつか者ですが、これから宜しくお願いいたします]
[お義父さま、お義母さま]
[止めてくれよ、郁子ちゃん]
[あたしらにそんな言葉使うのさ]
[とうちゃん、かあちゃんで十分だよ]
郁子ちゃんの“お義父さま、お義母さま”と言う言葉に、珍しくも恥ずかしそうな表情を見せる一の瀬さん。
亭主はただじっと笑ってその光景を見ていた。
[まあ、そんな事はどうでもいいや]
[あんたら、結婚式とか、新婚旅行とか、結婚後の費用はどうするんだい?]
一の瀬さんはふたりの結婚資金の心配をしていた。
[う、うん、何とかなるよ]
[俺もまだ少なからず貯金はあるし、郁子もある程度貯めてたみたいだから]
[二人合わせれば費用は捻出できると思うよ]
賢太郎君は少し強がって言ってみたものの・・・。
[本当にそれでいいのかい、あんたたち?]
[結婚式とかで貯金全部はたいちまう訳じゃないだろうね?]
[それに郁子ちゃんは結婚後も今のように勤めるつもりなのかい?]
[賢太郎はサービス業だから、勤務時間もマチマチだし、休みだって郁子ちゃんの会社のように土日祝日という訳にはいかないんだろ?]
[それだったら、結婚したってお互いすれ違いばかりで、結婚する意味がないんじゃないのかい?]
[だけど母ちゃん、生活の事考えるとさあ・・・。]
[あたしは、今の仕事辞めたいと思ってるんです。]
[早く赤ちゃんも欲しいし。]
[お互いが顔も合わせない家庭ってやっぱりイヤですよね?]
[でも、ある程度収入がないとこの先不安もあるし・・・。]
一の瀬さん、賢太郎君、郁子ちゃんの思惑が複雑に交じり合う。
[行き着く所やっぱり金か]
[まあ、郁子ちゃんには、あたしらのような貧乏生活は送ってもらって欲しくないしね]
[義理の母の一人として]
[だから・・・]
[コレ、持ってきな!]
“パサ”
一の瀬さんは何かを二人の前に投げた。
[何だい、これ?]
それを拾い広げてみる賢太郎君。
[えええ!!!???]
[家にこんなお金あったの?]
賢太郎君はそれを見てビックリした。
そう、それは貯金通帳だった。
中身はいつも貧乏が絵に描いたように似合う、一の瀬夫妻とは思えないような金額が記載されていた。
[ああ、いくら貧乏ったって、父ちゃんも一生懸命稼いで来るんだ]
[そこから地道に少しずつ貯めて]
[あたしらや賢太郎に何かあった時の為にね]
[賢太郎を大学には行かせてやれなかったけど、その分結婚資金位は出してやろうと父ちゃんと決めてたんだ]
[あたしらはもう父ちゃんの田舎に行くんで、このお金の必要はないから、仮に賢太郎が結婚しなくても、この通帳は置いていくつもりだったのさ]
[とうちゃん、・・・かあちゃん・・・]
[それでまあそこそこの式挙げて、新婚旅行行くくらいの足しにはなるだろ?]
通帳には息子に対する、一の瀬夫妻の愛が溢れていた。
[ありがとう、大事に使うよ]
自分の事など考えてくれていないと、ずっと思っていた賢太郎君は、母の温かい思いやりに、ただただ、感謝し、涙ぐむのであった。
~~それから数日後 晴れた日の春の午後~~
賢太郎君は音無家の墓を訪れていた。
墓前で線香に火をつけ、花を手向けて。
[初めまして]
[一の瀬賢太郎と言います]
[今度、郁子さんをお嫁さんに頂く事になりました]
[その時、管理人さん・・・]
[いえ、惣一郎さんの奥さんだった響子さんから・・]
[惣一郎さんが結婚する際に、奥さんに贈った大事な指輪を譲って頂きました]
[惣一郎さんは幸せでしたか?]
[管理人さんとの結婚生活は?]
[・・・すいません、聞くだけ野暮ですよね、幸せだったに決まってますよね?]
[先日音無の家で、惣一郎さんと管理人さんの写真、見させてもらいました]
[とても、とても・・・・お二人とも・・・・]
[幸せそうでしたよ!]
[僕と郁子は、お二人の意思を継いで、幸せになりたいと思います]
墓前の惣一郎さんに向かって郁子ちゃんとの結婚の報告と、惣一郎さん、そして響子さん夫妻の宝物だった指輪への感謝の気持ちを伝えていた。
“サク・・・・”
[どうしたの、賢太郎?]
[お仕事は?]
その時、郁子ちゃんが姿を現した。
[ああ、チョット理由つけて遅くなるって言ったよ]
[郁子はなぜここに?]
驚く賢太郎君の問いに、ニッコリとただ微笑み返す郁子ちゃんは、同じく賢太郎君の横で墓前に手をあわせ・・・。
[おじいちゃん、惣一郎おじさま]
[今日は結婚のご報告に来ました]
[二人とも、あたしが30を過ぎた辺りでダメかときっと思ってたんでしょうね?]
[少し遠回りしてしまったかもしれないけど]
[とても素敵な人にまた巡り逢えたのも、惣一郎おじさまと・・・]
[響子おばさまの、思い出の指輪があたしの所にこうしてあるのもきっと・・・]
[おじいちゃんと、おじさまの想いなのかもしれないですね]
[幸せせになります二人で]
[あたし・・・]
[あなたに逢えて、本当に良かった]
郁子ちゃんは墓前の音無の義父と、惣一郎さんに語りかけると、賢太郎君の手を取り、互いに見つめ合い言った。
どこまでも抜けるような春の空。
頬を撫でる柔らかい風。
ピンクの桜の花びらが絶え間なくふたりに降り注ぎ、幸せになれと祝福しているかのよう。
そんな二人の美しい姿は、20世紀から21世紀へと時は流れてゆくけれど、
響子さんと五代君が愛を誓った18年前と何ら変わらないものだった。
まるで二人がここに、想いを残して行ったかのように。
桜のアーチに見送られながら、ふたりは墓前を後にした。
以下、次回