時は昭和62年、西暦1987年の夏である。まだ携帯電話もインターネットも無い時代。家庭用ビデオデッキの普及率も上昇し始めたばかり、レコードがようやくCDに切り替わりつつある時代である。
25歳の若者である五代裕作が新米保父として勤務する、しいの実保育園では年1回恒例の大勢の園児達によるお泊り保育が行われるのは例年8月初旬、猛暑の季節だ。
園内で数少ないというか園長以外で唯一の男性である五代君は保安上からも泊り込み必須要員である。
その為にこの日ばかりは朝ではなく昼からの出勤で翌朝まで少しばかり仮眠する時間以外は宿直勤務のようなものだ。
五代君が6年以上も恋焦がれた最愛の女性である響子さんと数え切れない痴話喧嘩や紆余曲折な恋愛を経て、遂に無事結婚して4ヶ月目を迎えるが新婚生活で初めて夫婦別々の場所での就寝となる。
「ねえ、五代君。今夜の泊り込みって自宅じゃ奥さんが一人きりで心配じゃない?」
大学時代からの先輩である同僚の保母・黒木さんから休憩時間に問われる。考えてみれば彼女とも結構長い付き合いだ。ほとんど強引に彼女がいた人形劇クラブに勧誘されて詐欺同然に入部させられて以来だから年月で言えば5年を超える。
「え?まあ、心配は心配ですけど・・・」と五代君は頭を掻きながら返答する。
一緒にお茶を飲んでいる他の同僚達からも散々に突っ込まれ始める。
「そうよねえ、五代君からしたら。あ~んな綺麗な奥さんだもの。可愛くって仕方ないんでしょ、同じ女から見ても羨ましいくらいだからねえ?それこそ文字通りの器量良しだし」と1年先輩の保母が突っ込んでくる。
「ほんとほんと。結婚式の写真見せてもらったの結構前だけど、あたしゃたまげたよ。びっくりしたよ。あんな目鼻立ちがすっきりしたさ、何だっけ、容姿端麗とか八面玲瓏?普通さ、あんな美貌の女性いないよ滅多にさ」と最年長の同僚も冷やかす。
「写真だけでも驚いたけど、この間さぁ五代君の忘れ物届けに来たでしょ奥さんが。実際に本人に会ったら声が出なかったわよ。上品で優雅でさぁ、慎み深くて奥ゆかしいというか大人の女性なのに純真可憐だし健気で可愛らしいとかさ、ホント反則でしょ」
「よく口説けたわね?本当にどうやったのか知りたいわ・・ま、出会ってから結婚まで6年掛かったのも頷けるけどね。言ってみれば素人が人類未踏の最高峰を艱難辛苦の末に登攀するのに成功したようなもんだからね」
響子さんへの賛辞は止まることが無いのは五代君にとって照れ臭いが内心ではデレデレと嬉しさが溢れている。その代わりに自分を比較しての酷評が下るのも元々己への自己評価は高くないので全く気にならない。
本当に自分のような平凡どころか大して甲斐性も無い、どちらかというと不運なことが多かった単に若いだけの男が捕まえられるような平凡な女性ではないのは確かだ。
現在も住んでいる一刻館という古いアパートの管理人をしている五代君の新妻である響子さんは感嘆の溜息が出るような美貌の女性でまさしく掃き溜めの鶴か白鳥かといった存在であることは疑いの予知は無い。
自分としては出来る限りの全ての愛情を響子さんに捧げているつもりではあるが、妻である響子さんからの夫である五代君への愛情は間違い無く自分が想像する以上に大きいのが大変にありがたいと同時に正直に言えばまだまだ申し訳の無い気持ちで一杯だ。
常に空いた時刻に素晴らしく素敵な妻である彼女の為に俺は一体何が出来るんだろうと自問自答して考えてはいるが、今の所なるべく一緒に傍に居て一緒の時間時刻を過ごすくらいしか実現していないのが自分でも、もどかしく情けなくて悔しい。
もっともそんな五代君の気持ちや心情を響子さんはとっくの昔に理解して気付いてくれているのだが。・・それでも消極的な一見控えめな謙遜する考えや行動は宜しくない、とは自覚している。彼、五代君は響子という女性の夫なのだから。
*実際に昔、真剣に悩んだことは何度もある。彼女は、響子は本当に素晴らしい女性だ。疑いの余地など全然何も無い。おれにとってではなく、彼女にとっておれという男は相応しいのか?・・そんな悲しい疑問だ。
*響子はとっても・・物凄く綺麗な美しい女性であるだけでなく内面も上品で優しくて朗らか、慎み深いのに堅苦しくなくて他人の世話を焼いたりするのも躊躇わない、信じられないくらい魅力的な女の人だ。それは全くの事実なのであるが、それに対して俺は無力で平凡な男だ。
*自己嫌悪に陥り、響子のことを好きなのはともかく恋人になって欲しいと訴えることは身の程知らずなのではないかという内心での大きな葛藤。おれが響子を好きになればなるほど、それは大きくなっていって苦しかった。
*でも、そんな謙遜めいた言葉を響子に面と向かって幾ら言っても彼女は・・悲しそうな表情を浮かべるだけだったろう。
*その昔、まだ恋人同士になれていない時・・おれが響子のことをまだ”管理人さん”としか呼べず、響子もおれのことを”五代さん”と名前でしか呼んで貰えなかった過去にもしも・・・謙遜や遠慮、折れた心で『おれは管理人さんには相応しくない』などと言ってしまったら・・・
*『五代さん・・あなたがあたしのことを褒めて下さるのは嬉しいけれど・・・あなたはどうなの?五代さんは、あたし・・響子という女のことをどうしたいの?・・・五代さんはあたしを愛してくれないの?』
*彼女は・・響子は恐らくは涙すら浮かべて悲しげに尋ねたであろう。ただし言葉ではなく表情で、眼差しで・・・その気持ちを瞳の中に浮かべて・・涙と共に・・。おれと響子、二人だけの間で通じる心でだ。
*だからだ。おれが好きな女性を選ぶのは響子の意思ではない。俺の意思だ。おれが好きだから本気で大好きだから愛しているから響子にその愛する気持ちを訴えて伝える。
*そして響子がどの男性を選ぶのか、それを決めるのは勿論おれではない。響子自身の意思で決めて選ぶんだ。
*そして結果として、おれが響子のことを掛け替えの無い大切な愛する女性として訴える本心に対して・・彼女は・・響子は本心で応じてくれたのだ。おれのことを愛する男性として。だからこそ、おれは彼女と・・響子本人の承諾を得て結婚をして夫婦となったのだ。
*もっともそれには長い歳月を必要としたが今更それは済んだことである。((もっと早く恋人になれていればとは思うことはあるけれど・・煩悩多き凡人として))大事なことはおれが響子をずっと大切な女性として、妻として愛していくことだ。そう考えて生きている。
*『おれは響子のことがずっとずっと大好きで、今こうして正真正銘の夫婦になれて物凄く嬉しくて幸せなんだ』おれは本音を常日頃から言葉でも行動でも示す。
*『ええ、あたしも・・裕作さんのことが・・あなたのことがずっと前から好きだったの。・・本気で大好きだったの。・・・だから今、あたしも女として・・とっても幸せよ』響子もおれに言葉で日々の立ち振る舞いではっきり示してくれている。
*別におれの評価をするのはおれじゃない。全て他人だ。他人がどう思うのか自由だし、どうしようもない。ただ、おれが響子を愛するのと同じく響子がおれを愛してくれるから、おれたちは夫婦なんだ。
*だからおれは自分のことをどう評価されても気にはしない。気にするのは今後おれが、どう響子を本気で愛していけるのか、ただそれだけなんだと結論付けている。
「まあ、あたしゃ昔から知ってるけどね。五代君が学生の頃からね。電話で話したら上品で綺麗な声の女性だなって思ってたら初めて会った時びっくりした。あんまり見目麗しいんでね、奥さんが。ああ当時は恋人だったのかな」と黒木さんも響子さんへの評価はすこぶる高い。
「はは、ありがとうございます。皆さんの高い評価は帰ったら家内に・・奥さんに伝えておきますよ」と五代君はにやけた表情を隠そうとしてほとんど隠せずに同僚達に応じる。
「家内とか奥さんとか・・・これが洒落にならないくらいに美人でスタイル抜群でさぁ胸までもあ~んなに大きいもんね~。ボインでご立派だし!五代君、キミは自覚してるのかね?奥さんに亭主関白で偉そうにしたり踏ん反り返る権利など何も無いよ!」
保母たちからの冷やかし攻撃は本当に容赦が無い。
「いやいや、そんな。おれ、そんなことしませんよ、絶対に、ホントですよ」
五代も必死(??)に弁明する。そんな五代君に先輩の黒木が冷静に詰問する。
「五代君、奥さんが心配ならさ何か配慮とかしてるの?気持ちだけじゃなくて行動も大事だよ。うちの亭主(人形劇クラブの元部長)にも普段から言っているけど何もしないは言語道断、それだけ」
黒木からの一刀両断な発言に五代君も応じて答える。
「ええ、ですから今日は折角だから実家へ里帰りを提案しましたよ。幸い東京都内で遠くないですしね。結婚してから初めてだから良い機会だと思って・・」
五代君は自分の発案に胸を張るが、残念ながらそれほど高くて良い評価は得られなかった。
「へえ~・・・まあ、実家で五代君のぐうたら亭主振りを嘆かれて明日から帰って来てくれなくなったりして?」
「そうそう、思わず墓穴を掘ったんじゃない、五代く~ん。君ってさ、女性にあんまし気が利かないからねぇ・・釣った魚に餌をやらないんじゃなくて、あげられなくてさ」
「もう勘弁して下さいよ、そんなことばかり言われたら仕事にならないですから」と五代君は女性陣には勝ち目無しと見てそそくさと逃げを図る。
「・・まあ、それ位にしといてやろうよ。この間先週かな?時計坂商店街で見掛けたよ。二人で仲良く手を繋いで買い物してたでしょ。五代君は当然として奥さんも凄く楽しそうだったな・・・幸い今の所は見放されていないんだからしっかりやんなさいよ」
「ええ、はい。ああでも見掛けたんだったら声掛けてくれれば良かったのに」と五代君。
「いやあこっちもちょっと用事が有って急ぎだったし。ま、一緒に食材買ったりしているうちは夫唱婦随じゃないけどいいんじゃないの?」
黒木さんからフォローではないが励ましに近い言葉を得てほっとした五代君は休憩室を逃げるように後にする。
「・・・ちょっと黒木さん、それホント?熱々でラブラブだったの?」と毒舌の先輩格が尋ねる。
「うん、まあ本当に物凄く仲良さそうだったし・・最初は手繋いでたけど荷物が多くなって両手が必要になったら腕を組むようになるのがなかなか自然だったしな。ただあれで五代君がもうちょっと男前で格好良かったら、かなり絵になるんだけど」と黒木さん。
「誰が見ても不釣合いなカップルで・・しっかり者で絶世の美女と頼んないダメ男の新婚夫婦か・・・でもいいな~私もさっさと結婚したいわ」
「でもまあ、五代君も夜だけは結構どころか相当強いかもよ。若いのだけは確かだしね・・冗談抜きでほんとに強そう。それにそこしか挽回できないし」
「子作りに張り切ってるのはそうかもね。まぁ~頑張るのは当たり前でしょ?あんなに文字通り別嬪さんで綺麗な女性が奥さんなんだからさぁ・・・」
五代君の見栄えへの酷評は相変わらず手厳しいままである。(確かに別にハンサムではないが温和で人畜無害の優しそうな青年の風貌なのであるが)
もちろん保父としての仕事振りの評価とはまた別物だ。責任感を持って子供たちには上からではなく子供目線で話して自然に常に誠実に接する態度は皆も認めるところである。
熱心な仕事ぶりの一端を紹介すれば彼は園児達の為に自作の絵本を披露することがある。物語は他愛も無い簡単な話、だが手書きのイラスト付きで指先が器用な五代君が作るとちょっとした出来映えだ。
園児達に受けることもあれば外すこともあるが、まあそれもまたご愛嬌だ。
イラストでは大体が男女二人の組み合わせで老人夫婦、若夫婦、恋人、親子、兄弟姉妹の時もあるが男のモデルは五代君自身、女性のモデルは響子さんだ。
別に絵本作家ではないから毎日ではない。時々であるが自作の絵本の作成に五代君は妻の響子さんに内容やイラストについて意見を求める時がある。
そんな自分の保父という仕事に熱意と愛情を持って取り組む五代君を見詰めて会話していると響子さんも時間が経つのを忘れてしまう。
そんな自分には何の得にもならず儲けにもならないことに誠実に向き合って頑張る五代君を見守るのが響子さんは大好きなのである。
イラストの女性は響子さんがモデルと分かっているので、もうちょっと可愛くても子供っぽくてもいいかな?と意見を言ったりすると五代君から「ありゃ?ごめん、響子・・画力が足りなくて。じゃあこう変えたほうがいいかな?」と嬉しそうな返答がいつも返って来る。
絵本の台詞も言い方を工夫して平仮名で分かりやすく言い換えたり、言葉にして言ってみたりもする。時として五代君と響子さんの寸劇のようであり微笑ましい光景が二人の小さな愛の巣である管理人室で繰り広げられる。
そんなお人好しな保父さんが五代君なのである。
だがその仕事への評価は別にして、単純に職場で一番年下で新米なのに既婚者で新婚、おまけに奥さんが女性視点で見ても唖然呆然してしまう美人ということで冷かされて玩具みたいにからかわれている存在なだけだ。
もっとも奥さんである響子さんが慎み深くて美しい女性であるだけでなく毎日の愛妻弁当などで周知の事実だが、とても女子力の高い家庭的な女性であるのが同僚からすれば今でも信じがたいことなのだ。
五代君夫妻の組み合わせに関する、その第三者視点での評価は概ね一致している。
『嘘でしょ』『有り得ない』『信じられない』『勿体無い』『不釣合い』などである。
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保育園で五代君が胸を張って考えを披露したとおり、新妻の響子さんが心配であるのと折角だから実家への里帰りを五代君が提案し、響子さんもこの日は一刻館の管理人室ではなく実家に泊まることとなった。
響子さんの父親は勿論大喜びで大歓迎。母親の律子さんも娘の結婚生活振りを聞きたがっていて親子三人水入らずの今晩を楽しみにしていた。
実家での夕食はご馳走が並び響子さんも楽しく両親と歓談していた。
「響子、裕作くんはお前のことを結婚してからも・・ちゃんと大事にしてくれているのか?」と父親が尋ねる。
「うん、もちろんよ。結婚する前も優しいな、大切にしてくれているなぁって思ってたけど・・結婚してからもね、もっと優しいしホント凄く大事に大切にしてくれるの」
響子さんは本当に嬉しそうに微笑んで父親に返答する。
「そうか・・・だけど偉そうにしたりとか亭主関白な言い方とかしてないか?お前を呼ぶ時とかな」
父親はあくまでも心配顔で尋ねる。
それに対して母親の律子さんが少々呆れて夫に横から口を挟む。
「それ、あなたが言いますか?ねえ、響子」
「ふふふ。ううん、全然ないわ。呼び方だって去年の今頃はまだ裕作さんはあたしのこと『管理人さん』って呼んでて、冬に恋人になった時から『響子さん』って名前になって・・今は『響子』って呼び捨てだけど、別に威張る素振りとか亭主関白じゃなくて
あたしの夫として自覚しなくちゃっていう決意表明みたいなものだから、『響子』って呼ばれると『俺、頑張るよ』って、あたしにだけじゃなくてみんなに宣言してくれているみたいで嬉しいの」
響子さんは父親がグラスに注いでくれた冷たいビールを美味しそうに飲みながら、とっても楽し気に夫の五代君の家庭での振る舞いを語る。
「そうか・・まあ、それならいいが・・」
父親の心配は尽きないが別に深刻に心配しての質問では無論無い。
色々と質問したいのは父親だけでなく母親の律子さんも同様だ。
「それよりも響子、裕作さんって保父だから出張も無いだろうけど残業で遅くなったりとか、まあ接待も無いでしょうけど遅く遊んで帰ったりとかしてない?男ってねえ、ま、お父さんもだけど何か理由付けたり、言い訳探して遊んで帰るのがとにかく上手いのよね」
「おい、母さん・・・」
母親の律子さんは父親のことを混ぜ込んで響子さんに五代君の仕事帰りの行動を伺う。
「え、うん、それはほとんど無いわ。残業って言うかそれに近いことはあるみたいだけど極端に遅くなることなんか無いし、あっても必ず連絡くれるわよ。それに大体が同じような時間帯に帰って来てくれるし、お酒飲んで帰って来るなんてほぼ無いから」
響子さんから五代君の凄く模範的な帰宅振りを聞き、安堵する母親。
娘の幸せそうな新婚生活を表情や言動からも把握できて両親も一安心ではある。愚痴や不満でもあれば聞くつもりだったので遠慮なく言ってもらいたがったが取り越し苦労な様子なので安堵できている。
そうして今宵の宴も進み、暑い夏ということもあって父親だけでなく響子さんもビールのピッチがかなり上がる。
「響子、裕作くんも下戸じゃないのは知ってるが家でいつも晩酌とかするのか?」と父親は相変わらず詮索を止めない。
「え・・飲む時もあるけど、そんなに飲まないわよ。別に、毎日ビールだって飲みたがらないし。それにアパートの住人達の宴会に巻き込まれない限り酒量も多くないから、大丈夫。前々から酒乱どころか嫌いじゃないけど、そんなにお酒好きな人じゃないの」
響子さんにとって隠すまでのことも無い五代君のことで本当の話なので気を楽にして答えていく。
「んまあ、お父さんとはホント偉い違いね。禁酒も禁煙もしない人がタバコは吸わない、付き合い酒くらいしかしない立派な娘婿にどうのこうの言っちゃ駄目よねえ?」
母親の律子さんは夫には案外どころか、かなり容赦が無い。日頃の夫への不満もチクリと入れることを忘れない。
「あい、母さん。わしはだな、裕作くんが家計を考えずにだな、響子のやり繰りに甘えとらんかがちょっと心配でな」
「そんな、それくらい自覚するわよ。裕作さんもね、あんたと違ってかなりの相当な愛妻家タイプだし何をそう心配するのかがもう、ほんと呆れますよ」
両親は二人して意見を対立させるが、いつもの調子で別にケンカではないので響子さんも聞いていて全く不快ではないし別に嫌ではない。
「もう、お父さんも心配しないで。裕作さん、本当にお仕事も頑張ってるし、あたしにもずっと優しくて凄く大事にしてくれてるから・・・あたし達夫婦も一刻館で水入らずの生活楽しんでいるからね、本当に大丈夫」
響子さんもニコニコと上機嫌で新婚生活の状況を続けて報告してくれているので両親もほっとした表情で食事が進んでいく。
「ねえ、響子。新婚状態だって落ち着いてきただろうけど、裕作さんと出掛けたりしてるの?ま、地道に暮らしてるだろうけど結婚したからってデートも何も無しじゃ味気無いでしょ?」と母親が問う。
「う~ん、買い物くらいは一緒によくするけどデートはね・・ほんのたまにかなぁ。ま、泊りがけなんて贅沢はね、敵だから。いいの今は」
響子さんは悟りを開いたような表情で答えを述べる。別に贅沢な生活をしたいから五代と結婚したわけではない。好きな異性と一緒に暮らしたいから意中の彼である五代裕作と言う男性と恋愛して結婚したのである。
たまのデートといっても響子さんの好きな場所である動物園(遊園地と異なり、のんびりぶらぶら出来るのと必要なのは入場料だけだから)とか、無料の都営公園にある芝生など交通費やほぼ入場の費用の掛からないところで弁当を持参して
のんびりと二人で過ごすくらいの本当にささやかなものだ。
もっとも溜息が出るくらいに凄く綺麗な女性である響子さんと一緒に仲睦まじくベンチや芝生に腰掛けて、恐らく彼女お手製であろう弁当を広げている光景は通りすがりの見知らぬ人達からも微笑ましく映るのは勿論であるが、
更に響子さんが幸せそうに微笑んで色々と健気に五代君の世話を焼く姿はかなりどころか相当に羨ましがられている。愛情の篭った美味しい手料理を気持ち良く平らげていく五代君とそれを幸せそうに見詰めている響子さん。
時間だけはたっぷりある響子さんと五代君にとって、それこそが実は最大に贅沢な時刻のひとつであろう。
「あら、でも子供が産まれたらそれこそ旅行なんて簡単に出来ないわよ。子供がね・・・」と母親の律子さんが今日実は聞きたがっていた核心の内容に触れていく。
「え、それはそうだけど・・」と響子さんも内心で『来たわね』と身構えていく。両親が聞きたがっていた内容とはずばり初孫のことだ。いくら超絶に鈍感な響子さんでもそれくらいは流石に想像がつく。
「うむ、響子。それだ、子供なんだが、その、どうなんだ?」
父親もお茶を濁す感じで余り露骨な表現では娘の気分を害するくらいは予想しているから、自分ではこれでもかなり自然にさり気無いつもりで尋ねる。
「もう、お父さんまで・・。まだ!・・まだよ。・・・だって結婚して4ヶ月足らずなんだから普通まだでしょう?」
響子さんも少し恥ずかしそうに口篭りつつ語る。
「だが裕作くんはどうなんだ?保父なんだから子供好きだろうけどな、仕事とは別でまさかあんまり欲しがっていないとか?」と父親の詮索が再度始まる。
「そんなこと無いわよ!だって絶対にあたしよりも元々子供欲しがっているし・・」
響子さんが即座に反論して夫の五代君を擁護する。
「だったら響子、頑張ってる?裕作さんも、どうなの?」と母親は思わず直接的な表現で露骨に質問をしてしまう。
「もう・・(かぁっ)・・もう、そんなこと言えないわよ。いくらお母さんとか、ましてやお父さんとかに。・・・秘密よ、秘密」
段々と響子さんの顔も赤く染まっていく。こういう話題はいくら親とでも話したくないのが響子さんの性格だ。
((頑張るも何も・・・裕作さんには毎晩・・簡単には寝かせて貰えないし、あたしも望んでるから・・お互いに・・かなりその・・頑張ってるわよ!昨晩だって・・・裕作さんたら・・もうかなり遅かったのにあんなに・・・何度も・・求めるんだから・・・素敵だったけれど))
((裕作さんばっかり・・なんて思っちゃったから・・・あたしからも求めてしまって・・・・色々、その・・・したら・・・とっても喜んでくれたし・・裕作さんも・・・だから・・なかなかね・・・終わらなくて・・・多分だけど・・二日分くらいは・・・しちゃった・・わ))
((避妊はしてないから・・裕作さんの精液って・・濃くて熱くて・・粘り気あって・・・でも・・・飲んじゃったし・・たくさん膣にも出されたから・・子宮の辺りがぷっくり膨らんだ気分を感じたし・・あそこが・・ドロドロでヌルヌルな感覚・・消えなかったのよね))
((お盛んとか言われそうだけど・・新婚なんだから・・絶対普通よね・・・普通。・・だってあたし・・・裕作さんと・・その・・エッチするの・・・心が伝わるから・・とっても嬉しいし・・・気持ちも良いから・・・正直・・・・好き・・だわ・・・うん・・そうよ・・・))
翌日には結婚以来初めて一緒の部屋で寝ない、同衾しない夜を迎えるかと思うと・・かなり遠慮なく貪欲に求め合ってしまった夫婦としての甘い営み。本当に1年前には有り得なかった愛に溢れた日常と夜の生殖行為。響子さんも流石にぐったりで五代君もげっそりだった・・。
そんな合体行為が今ではほぼほぼ毎晩のように営まれているのだから確かに感慨深い。こんなに夢心地で嬉しくて幸福になれるのなら、もっと早く結ばれていれば・・とは、お互いにやはり思わないでは無い。今更言っても考えても過去には遡れないから無意味ではあるけれど。
でもその反動は今の生活に対して影響は確かにある。二人きりで管理人室などで過ごせるならば本当に寄り添って離れたくないから体も心もずっと密着させたままだ。物凄く熱烈なエッチを存分に楽しんだ後でもピッタリくっ付いて、なかなか離れられないのは当然なのである。
一刻館の中庭で洗濯をして二人分の衣服を協力して干すだけの作業ですら嬉しいし、時計坂商店街へ買出しに出掛けたり銭湯に行くだけで本当にデートか逢瀬を楽しんでいる感覚が消えない。当初は結構そこで冷やかされたものだが最近では余り言われない。
見慣れたというよりは凄く仲睦まじくて自分たち二人だけの世界を構築している情景に・・ピンクか赤のハートマークが飛び散っているようで微笑ましいのを取り越しているから結果として周囲が圧倒されてしまっているのが原因だ。
長年の付き合いであるアパートの住人たちからも呆れられているくらいの五代君夫妻の熱々以上に強烈過ぎるくらい熱烈な仲の良い新婚ほやほやな生活。玄関先など人前ではしないが出勤する五代君と一緒に管理人室を出る前には互いに二度三度と挨拶のキスは欠かさない。
もっとも舌を入れるディープキスは朝だけ厳禁だ。響子さんから”これからお仕事なんだから駄目ですよ”と優しい口調ながら厳命されているのだ。それでも懲りない五代君が舌を入れてしまったり、そうしようとすると・・響子さんが美しい眉毛を少しだけ吊り上げて
ちょっぴり怒り顔(でも本気で怒ってはいない)をする表情がとっても可愛らしくて、五代君も”ごめんごめん”と謝りながらも時々悪戯みたいにしてしまうのだ。響子さんは基本的にスッピンなので朝も髪の毛など身繕いはするが脂取り紙で顔を拭くくらいで勿論口紅もしていない。
出掛ける時以外に響子さんが滅多に口紅を塗らないのは(唇のひび割れを防ぐリップクリームくらいはする時もある)夫の五代君に口紅を付けたくないのと下手に付けると綺麗に拭かないとキスしたのが住人たちにバレてしまうからだ。
ただし夕方、お帰りなさいのキスは遠慮無く舌を絡めたディープキスもOKなので・・夕食前だがついつい営みを開始して励んでしまうことも割と・・有ったりする。ただし布団を敷いてまでは行わない。着衣のままで下着をずらしたり下半身だけ裸の場合がほとんどだ。
普段から息がぴったりの五代君たちだが愛し合った直後などは完全に気分が同調していて仲睦まじいどころか雌雄同体のひとつの生物の如く体を密着させて離れない。直前まで性器で合体をしていたのだが直後は腕を絡めたり手をしっかり握って繋がっている気分に浸っている。
一の瀬さんからは”あんたたちって本当に・・物凄く仲が良いねぇ。食事どころか息すんのも同調して同時にしてんじゃないのかい?”、朱美さんからは”そんなにべったりね、ベタベタ出来るんなら最初っからさ、そうしとけばイイのに。あんなママゴト繰り返さずに、さぁ~あ”
四谷さんからは”ホントに管理人さんは五代君に甘い。エコヒイキも度が過ぎてますな。ま、昔からですが。夫婦になる前から弁当や洗濯や掃除とか全てが至れり尽くせりでしたからなあ”、二階堂くんからは”オレには目に毒なんですよ、いや、別にね、管理人さんはいいんですよ。
五代さんがね、目尻が下がりっぱなしなのは男としてどうかなって疑問なんですよ。ああ、管理人さんはいいんですよ、微笑みも優雅で女優さんみたいだから。五代さんもその、一家の大黒柱なんだからもうちょっと引き締まった表情見せて下さいよ~”などど言われ放題だ。
毎朝玄関でのお見送りだけでもイチャイチャ振りが強烈で住人たちから”あんたら見てたらタバコも酒も不味くなる!”・”朝食を食べたばっかなのにムカムカ吐き気がして胃から逆流しそうになる!”などと断言されている。
先日などは五代君がハンカチを入れ忘れただけで大騒ぎしてしまい、響子さんがちょっぴり嗜める口調で”もう、裕作さんたら世話が焼けるんだから”と言いつつも表情が機嫌良く頬も緩ませて綻んでいるから第三者から見たら”はいはい、ご馳走様”としか言いようが無い。
その時の会話内容が聞いているだけで恥ずかしくなる。五代君が”ゴメン、響子。でも君のエプロンに入れてるハンカチでいいよ”、響子さんが”え、駄目よ、これは。だってさっきもあたし、使っちゃったから”、五代君は”だからだよ、響子の香りが・匂いがするからイイんだよ”、
響子さんが”もう、だ~め。ちゃんとあたしがアイロン掛けたのが部屋に有るから取って来ます。奥さんのあたしが居るのに夫のあなたに使い掛けのなんて渡せません。ちょっと待ってて下さいね、裕作さん♪♪”、五代君は”うん、じゃあ、待ってるよ・・響子♪♪”などである。
これを聞かされた・・一の瀬さんは”二日酔いじゃないのに胸焼けしそう”、朱美さんは、”長年の知り合いじゃなきゃ殴ってる、いや殴りたい”、四谷さんは、”朝食まだですけど食欲が無くなりました”、二階堂くんは、”頭痛くて熱出そうです(羨ましいけど)”とのコメント多数。
響子さんは27歳、五代君も25歳、若い男女が体力も気力も精力も元々充実しているのだから夜の営みでそれらを思う存分に発揮しているのは当然であり、自然で健康的なことだ。
しかし五代君だって仕事で肉体的にも精神的に疲れてぐったりとした様子で帰宅することは本当に稀だが皆無ではない。そんな日には響子さんも心から心配してくれて、”裕作さん、大丈夫なの?無理しないで、ゆっくりゆっくり休んでね?”と寄り添って
彼の体力と気力が回復するまで待ってくれて、夕食の時刻などもそのまま遅らせて見守ってくれる。体調の悪さを確認すれば、そのまま布団を敷いてくれるし、病院に行くまでの事は無かったけれども検討もしてくれる。
そして顔色などで判断してほぼ完全な回復したと思えても・・そんな夜には五代君の生理現象を理解して彼女から目一杯色々とご奉仕して尽くしてくれる。”だってあたし、裕作さんの妻なんですから、ね♪”と・・とっても優しく微笑んで夫を愛してくれるのだ。
翌日以降に完全回復した五代君が看病のお礼にと普段以上に激しく逞しく、だが響子さんの身体を大切に考えながら夫としての務めを布団の上で立派に果たして、彼女が内心で狂喜乱舞するくらい愛し尽くして満足させている。
響子さんも激しく乱れさせられている間は快感による嬉し涙を滲ませているし、”裕作さんって・・凄く逞しくて・・愛しいの・・大好きよ”とも何度も告白してくれるのだ。
響子さんは五代君との新婚夫婦らしい濃密な営みを思い出してしまい、それこそ口に出して言ってしまいたいが決して言えないことを内心で呟いている。
だが両親の顔には『孫の顔はいつ拝めるのだ?』という気持ちが太い字で明確に書いてあるものだから・・・
「出来るわよ、そのうちにね。焦らせないでよ・・だって・・避妊なんてしてないし・・・!!」
響子さんは思わず禁断の語彙、いわゆる自分にとってのNGワードを使って夫婦の営みについて近況の一部を告白してしまう。
うっかり言いたくない言葉を言ってしまったことに気付いて響子さんはちょっと恥ずかしくなり赤くなって俯いてしまった。
実際に夫婦の営みも新婚4ヶ月では倦怠期どころか熱々そのもので飽きるどころか、ほぼ毎日に近い形で順調に営んでいる。どちらかが体調の悪い時や疲労していて気分の乗らない時に無理してまで行わないだけであるから週7日のうち実質6日以上だ。
夫婦としてと言うよりも若い男女として性的な快感を得たい気持ちは二人とも大いにあるが、それと同時に精神的な繋がりも確認できる喜びがあるので実際は性交渉は欠かしていないのが現状だ。
それに響子さんからすると結婚して嬉しいのはそういう営みが遠慮なく出来るということだけでなくて例えば食後に夫の五代君から料理の腕前を褒められて抱き締められ、ご褒美として髪の毛を優しくずっと撫でられる時などが妻としての本当に至福の時間である。
『響子みたいな綺麗で素敵な女性が毎日おれに食事を作ってくれて、その料理がしかも凄く美味しいから、おれって本当に果報者だなあ・・嬉しいなぁ。響子がおれの奥さんなのがホントに夢みたいだよ・・・』
普段でも熱烈な情事の前後でも五代君は響子さんの美しい漆黒の髪の毛を手の平で梳いたり撫でるのが大好きだ。『ずっと夢だったんだ。響子の髪の毛を自由に撫でるのが。とっても滑らかで芳しい香りがして気持ち良くて嬉しくなれるからね』と呟いたり・・。
いつも夫の五代君から飾らない正直な気持ちを『夢のようだ』などの枕詞で思いつくままに囁いてもらえるのが響子さんは本当に嬉しい。
もう正真正銘の夫婦なのであるからアパートの住人達から冷やかされても恥ずかしいなどとは思ったり意識する必要が無いこと、つまりは隠れての逢瀬など不要であることに二人は幸福な気持ちを心から噛み締めている。
確かに子供は早く欲しいとは思うが、響子さんからするとまだ今は二人きりで水入らずの甘い新婚生活に正直酔っていたい気分なのだ。
あんなに散々とママゴトのような痴話喧嘩を何年も数え切れないほどに繰り返してようやく結ばれて結婚したのだ。自分でも砂糖か蜂蜜かメープルシロップなのか分からないくらいベタベタに甘いなと思うが、それを味わいたいからこその結婚である。
妊娠したからといって決して苦くはならないが新婚ほやほやの新妻としては夫の五代君との二人だけの生活をもう少しは誰にも何にも掻き回されたくないのであろう。
「・・まあ、急かしても出来るもんじゃないしね。ちゃんと結婚したんだから期待しても大丈夫でしょ、響子?・・お父さんもね、もうこれくらいでいいでしょ」
母親の律子さんはこれ位で娘への追及をやめようとする。これ以上言うと怒り出すくらいは流石に承知しているのだ。
「うん・・まあ。仲良くやってくれているなら、まあ安心だからな・・・」と父親はもう少し言い足りないが仕方なくここは矛先を収めようとする。
「・・・もう・・勘弁してよ・・二人とも。・・・・あたしも少し飲み過ぎちゃったから、もうお腹一杯だし・・ちょっと休みたいな」
響子さんの機嫌だけでなく顔色も少し悪くなり、席を立って浴室にある洗面台の方角へ向かい歩き出す。
もう食事も終わりにするつもりで響子さんは歯も磨きつつ、自分の体調が夏の暑さもあるのか少しづつ悪くなるのが自覚できて懐かしい自室のベッドで休みたくなってくる。
「・・・?・・何かこう気持ち悪いな・・?・・・クーラーも利き過ぎてたしなあ」
普段住んでいる一刻館の管理人室には扇風機だけで空調設備などが一切無いため、最初は実家の室内が快適であったが体温調節が少し狂ってしまったかもとも思える。
歯磨きで口をゆすいだ時に胃液が逆流したような感覚も感じる。
「あれ?・・変だなぁ・・・吐き気、かな?」
「響子?大丈夫なの?・・久し振りの里帰りなんだから無理する必要ないわよ。片付けだってやっとくから何だったらもうベッドに行きなさいな」と心配した母親が気を遣ってくれる。
「うん・・・ありがとう、お母さん。・・ちょっとあたしも飲み過ぎてはしゃぎ過ぎたかなあ?・・・少し横になりたいからちょっとだけ・・」
少し青い顔のまま響子さんは母親に甘えることにする。
「お父さん、響子もちょっと飲み過ぎて疲れたようですから、はい、今日はもうお開き!ちょっと片付けしますよ」
「うん?そうか?・・もうちょっと話したいんだけどな」と父親はまだ少し未練がましい。
「いいじゃないですか、また後でも明日でも。もう横にさせましたよ」と律子さんはきっぱりと言い切る。
母親は残念がる父親を宥めながら片付けをしていると娘の様子が悪阻に少し似ていたので、食卓と台所を片付け終えるとベッドで横になる響子さんにこっそり確認をする。
「ねえ、響子・・大丈夫なの?ちょっと確認したいんだけど・・」
自室のベッドでタオルケットに包まって横になっている響子さんが母親に顔を向ける。
「うん、何?お母さん・・」
「もう聞くの止めようって思ってたけど・・さっきからあんたの様子見ているとね、何かこう・・・悪阻みたいなのよね?自覚ある?」と律子さんがズバリ確信を突く。
「え・・・?」と響子さんが思わず目を見開く。
「これでも経験者ですからね、あんたの母親という。ま、医者じゃないけどね・・どう?思い当たる節が最近無いこと無いんじゃないの」
母親である律子さんは自らの経験に基づいて娘に質問を続けていく。
「・・う~ん。あたしは全く初めてだからその、ピンとくる訳じゃないけど・・・ただ何となく、ね。今晩なんか特に自覚症状みたいな感じが少しだけ・・するかな?生理もちょっと無いし・・・」
「え?!だったらそれこそね。あんたのことだから病院にはまだ行っていないでしょ。でも今の時代は検査薬で結構正確に分かるらしいわよ。流石にウチには無いけど、あんた家とかに有るの?」
「有るには有るけど、今から帰ってなんて・・。それに・・・」
はっきりさせようとしない響子さんに母親は理由を糾す。
「何言ってんの、別に今からあたしが薬局に買いに行ったっていいわよ。何ならお父さんだって」
「え~?・・お父さんにはちょっと、遠慮して欲しい。変に期待持たせちゃうのも悪いし・・・」
「気にしないでいいわよ、お父さんなんてそれこそ孫しか楽しみが今後無さそうなんだしね。使い走りでも何でもさせるし、孫のためなら嫌がることなんて無い無い!」
母親の律子さんからの追求はなかなかちょっとやそっとじゃ終わりそうにはない。
心配と期待には感謝したいが、この場に夫の五代君がいないことに拘りたい響子さんとしては本心から言えば実はまだ確認もしたくはない。
「ね、お母さん。悪いけどお父さんには内緒にして!明日にでも裕作さんと一緒に病院に・・産婦人科に行って正確に診察してもらうから、それまで待って。・・お願いだから」
「そんな響子・・知りたいのはお父さんだけじゃないのよ。あたしだってそれこそ・・・」と律子さんは簡単に諦めたくない。
「お母さん、お願い。明日に結果はちゃんと伝えるから、ね?・・今晩はもうあたしも少し早く休みたいし」
響子さんは母親にかなり真剣な様子で懇願する。この雰囲気だと昔から言葉遣いは穏やかでも頑固に考えを変えないであろうことは母親には予想がついた。
「はぁ・・全くもう。はいはい、分かりましたよ。でも明日は絶対に病院に行くのよ!何ならタクシー代だって往復出すからさ」
「もう、そんなに大げさにしないで・・・。別に病気じゃないんだから・・それに一人じゃなくて裕作さんに付き添ってもらうつもりだし、大丈夫よ。だからお願い、今晩は秘密、ね?」
母親も響子さんに根負けし、とにかく明日は産婦人科に行くことだけは確約させて引き下がることにする。
「今晩だけよ、秘密なのは。それじゃあ響子、もうしっかり休んどきなさいよ。お休み」
「うん、お休みなさい、お母さん」
何とか母親を説得した響子さんはふうっと一息し安堵してベッドの上で仰向けからうつ伏せになり目を閉じて色々と考えを巡らせる。
((どうなんだろ?本当に妊娠かなぁ・・・。本当に?あたしが・・赤ちゃん身篭ったのかな・・あの人の、裕作さんの子供・・・・))
((去年の夏なんてまだ・・裕作さんとは恋人にも成っていなかったのに、あたし今では奥さんだものね。・・嬉しいけど本当かな?でもひょっとしたら違う可能性だってあるし・・・))
((赤ちゃん・・・あたしのお腹にいるかも知れない?もし事実なら・・本当なら、あたしもママになれる・・なれるんだ!・・う~んでも違ったらどうしよう・・・自分でも糠喜びしたくないし・・・・))
((あ、でももし赤ちゃんがいればうつ伏せは駄目よね。せめて横向きにしといた方がいいわよね・・・))
様々な思いが頭に浮かび響子さんはなかなか寝付けない。
結婚してようやく三ヶ月が過ぎただけ・・もっともその半年前から夫である五代君とは性交渉をしていたが妊娠の兆候などはこれまで全く見られなかったし意識することもなかった。
((あれ?・・そういえば一人だけで寝るのっていつ以来かしら??))
((エッチなことだけじゃなくて・・・裕作さんとキスどころか会話すらしない夜なんて・・・))
考えてみれば結婚以来、一人だけで就寝し翌朝も一人だけで起床するのは初めてで何故か自分にとって凄く不自然な気持ちになりどうにも調子が良くならず元気も出ない響子さんであった。
まどろんでも熟睡できず真夜中に一度気分転換を兼ねてシャワーも浴びたが・・その時に浴室で鏡を使ったりして自分の乳首や性器を確認したが色の変化も特に無く、乳房もしこりなどは感じられなかったので現時点で
妊娠の兆候を確認は残念ながら出来なかった・・・最終的に身体はさっぱりしたが精神的にはあまり効果が無くて残念な響子さん。
((やっぱり自分で見るだけじゃ分かんないか・・それはそうよね))
習慣で翌朝6時前に起床するも前夜より返って元気が沸かない。
一緒の布団やベッドでなくとも、常に真横に五代君が寝ている新婚の夫婦生活と比較して、懐かしの実家で自室での一人寝だと気分の晴れない響子さんは母親の律子さんと朝食の準備をしていても正直なところ気分が乗らない。
((何かこう張り合いが湧かないというか・・・ただの作業みたいであんまし楽しくない、な))
夫の五代君への精神的な依存具合を改めて自覚した響子さんは朝9時までに一刻館に戻るつもりであったのに、それすら億劫になってしまって何故か急に五代に甘えたくなり、産婦人科に付き添ってもらうことを口実にして
実家に迎えに来てもらうように電話で彼にお願いすることにする。
(次回へ続く)