輪廻の蛇 〜退魔兎姫ハヤテの世界で、TS転生者は日常を守りたい〜 作:黒庵
(2ヶ月前に初めて読んだんだけど、本当に素晴らしいからみんな読んで(宣伝))
もう一度、目を覚まして。
──────人間の最大の敵は自分自身である。
☆
その日、俺は「物語」を読んでいた。
休日の早朝。一通り今日やる事を予め終えていた俺は、暇を持て余していた。
そんな時、ベッドに横になって適当にスマホの画面を眺めていたら、開いていたSNSで流れてきたのは成人向け小説のリンクだった。
そのリンク先の小説を開いたのは、特別な理由があったわけじゃない。……ただ、その物語の名前と、SNSで流して来た相手が興味を持たせるきっかけになったというだけ。
なんとなくで開いてみた、なんでもない休日に浮かんだ一つのモノガタリ。
しかし気づけば、俺は夢中になって読み終えていた。そして、初めて読むその物語を、休日を一日丸々使って読み終えた頃には次の朝が来ていた。
「流石に一日中、ネット小説で潰すのはキツいな…」
疲れた目元を揉み解しながら、窓の外から漏れる朝日を目に入れても抜け落ちない疲労感。腹も減っているが、それ以上に睡魔が勝っていた。
取り合ず、今日は昼まで寝るか──そう思い、再びベッドに横になった瞬間。押し寄せて来た眠気に身を任せて、意識を手放した。
☆
『……──────。……────…──────』
☆
目が覚める。コレはいったい、なんだろう。
ぼうっとしながら見つめる。視線の先には「手」があった。
形の形状からして右手らしいソレを、左右に揺らす。当然、ソレも同じ動きをする。
つまり、コレは俺の手であるはずなのに、手の感覚は肯定しているのに、視覚が何よりも否定をする。
「こどものて…?」
子供の手。やたらめったらぷにぷにつるつるしてやがるその手は、なるほど、その持ち主が児童であれば何もおかしい事は無いのだろう。その道理がある。
だが、オカシイ。その道理は無い。
だって、俺は「児童ではないから」。
20年程生きた男の手は、普段ならもっと視界を堂々と占領しているハズだ。
なのに、目の前に在るこの手はどうだろう。いつもよりも小さく、余りにも頼りない。観ているこっちが不安になってくる。
段々と目が覚めてきた。覚めてきたということは、これは夢では無いのだろうか。
現実味が無い、嫌な予感。布団に横たわっていた上半身を起こせば、部屋の全容が視界に入り…それと全く同時のタイミングで自らの背後に、柔らかく、軽い何かがふわっと流れ落ちる。
視界の端で肩にも掛かった、美しく艶のある黒色のソレを指で摘めば、とても上質で触り心地のよい絹糸だということがわかった。
…そして、その「触り心地のよい絹糸」が自分の視界の横、具体的に言って頭部辺りから布団にさらさらと零れ落ちている。
ソレは本来、俺の髪と言うべきものが生えている場所でなければならない。いや、俺はこんなに髪は長く無いし、髪もこんなにさらさらしていない。
現実と認識の矛盾。その板挟みになった俺は、堪らすその矛盾を解消することのできる何かを探した。
…しかし見つからない。
この部屋は…病室だろうか? 余計な物が置かれていないのである。だから、自然と「そう」なった。
鏡は無い。故にふと、顔を上げてぼうっとする最中、不意打ち気味に視界がソレを捉えた。
言葉を忘れる、という事はこういうことなのだろうか。
…ソレは。美しい、少女だった。
目に飛び込んできたのは、余りにも整った、人形然としたとすら言って良いのだろう、その顔。
その表情が、何かに驚いたようなものになっている。
…彼女は、何に対して驚いているのだろう?
自然に、訝しむような表情に変わり、その後直ぐに、ピシリと固まった。
暗く沈黙した、テレビの画面。その中に、他人が映らぬその中に、その顔が此方を眺めている。
…つまり、その。このテレビの中に居る少女は、テレビが映した他人などではなく。
ただ、テレビの目の前に在る人物を映しているだけの現象なワケで…その肝心な「テレビの前に在る人物」は俺なワケで。
つまり、その。このテレビはだな。
……俺の姿を映して、いる?
「…きゅう」
思考は理解不能な現実にノックアウトされ、ばたん、と思わず背後のベッドに意識を手放した。
☆
…訳がわからない。解りたくもない。
気を失い、ベッドに沈んでいた俺は起きてもなお、覚めぬ夢に自分が放り投げられたままの状態である事を理解してしまい、固まってしまった。
「なんで戻ってないんですかね…」
相変わらず手はぷにぷにしてるし、髪は長いし、顔は別人だし…
「うぅ…」
…それだけじゃない…声もだ。
子供みたいな声が自分の喉から出ている事に対して、ひたすら違和感を覚える。
そして。股間も…ない。
男なら一生存在を主張しているはずの下着の中のモノが、存在を主張していない。
下着の中を手でまさぐっても、何も…ない。
「……………」
無言で見慣れない形をしたパンツの中を覗いてみる。
つるつるだった。
もう一度言おう。つるつるだった。
…ふぅ。おちつけー? これは夢だ。誰がなんと言おうと夢だ。俺がそう思っている限り夢に決まってる。
「………」
つるつるの丘を触ってみる。柔らかい、肉を触った感触。さっきまで布の中で守られていたからか、手の体温よりもほんのりとあたたかい。
そして、消えたモノの代わりに……線が一本だけそこにはあった。
…元々…その、…竿の根本あたりの…竿と球のつなぎ目あたりがあった筈の場所に。
割れ目らしきものが、あった。
「ははは…は」
え? これ夢だよな? リアル志向を目指しました的なアレだよな? まさか現実な訳ないよな?
ほ、ほら。早く目が覚めろよ。俺。
もう朝だぞ!? いや、目が覚めたら夜かもしれないけど朝だぞ!?
はっ! そ、そうだ。こういう時はお約束のあれだ、頬を引っ張って痛くなかったら夢じゃ無いって奴!
夢の中で試した事なんてないけど、多分夢だから痛くない!
ほら!こんなにほっぺた思いっきりつねってもぜんぜん痛くなんて…
……………………。
「……いたい…」
じわっと目から何かが溢れる。
思いっきり抓った場所が、痛い。
…それは、つまり。
「…夢じゃ…ない…」
…………っ
ええい! 泣いてなんかない! これは…アレだ! 目から出る汁だ!
…あれ、それってやっぱり涙だよね?目汁とかじゃなくてマジモンの涙だよね?…俺、もしかしなくても泣いてんのコレ?
HAHAHA! ナイスジョーク!
これは夢なので俺が泣く理由なんてないし、目を閉じてこの無駄にやわっこいほっぺた叩けば目が覚めるもんねーー!
はい3! 2! 1!
ぺちん!
「………」
じわっ…
「…くそがぁ…」
そうだよ涙だよ自分でも気づいてたよ!
…でも現実に戻れないんだからしょうがないだろぉ…
ばたん、とベッドに身体を沈め、身体を丸める。
そのまま横になっていると、手を広げて大の字になった。
……そうか。俺はもう、現実に戻れないのか。
戻れない…のか。
…はぁ。
「あー…うー…」
まるで言葉になってない知能指数0の呻き声をあげて、治らぬ感情を少しでも外に洩らす。
心の中で暴れる感情のダルさ。現実が受け入れられない自分。
何もしたくない。ずっと目を閉じていたい。
…でも、もう何もしたくないけど、このままずっとベッドに寝てたいけど。
「いつか」は、起きなきゃダメなんだろうなぁ…
「はぁ…」
そして、その「いつか」は早めに来て、早めに動かねばならない。
であれば、具体的にそれは何分後になるか。
…具体的に言って多分、数時間後の自分。
そこら辺の自分がなんとかしてくれているだろう。
なんとか…してくれると…いいなぁ。
いや、わりとマジで。
「………」
…あー…はぁ。
とりあえず今は、今だけは。
何も考えず、死体になりたい気分なので、誰からも放っておいて欲しい。
☆
ソレがこの5歳の少女の身体の…いや、俺の名前であるらしい。
祖父だと名乗る、ソレを告げた病室の来訪者は手短に俺に色々と一方的に告げ、「何か困った事があればここに連絡してください」と多分、祖父の電話番号を。「暇を潰せるように」と、雑誌らしきものを。後は…俺の私物だろうか? 自分の名前が書かれたキャンパスノートがはみ出した鞄を置いて、足早に病室を出て行った。
それに対して、俺は終始無言だった。どこか画面の向こうの出来事でも観ているような感覚だったのかもしれない。
俺は、俺の名前を思い出せなかった。
無くなっていたんだ。
身体だけじゃなく、名前も。
「…………はあ」
もう、さっきみたいに取り乱す気も失せて、ベッドに寝転んで頭を空っぽにすることにした。
めんどくさい。
かんがえるのは……面倒くさい。
「…………はあ」
先程、鏡代わりにしていたテレビが目に入り、近くに置かれてあったリモコンで適当な番組を垂れ流す。
……断じて、黒い画面の中に映った誰かが視界に入り込んでいたのが我慢ならなかったワケではない。
ふーん。なるほどニュースかあ。今月東都で活躍したヒーロー特集ねえ。
……今月東都で活躍したヒーロー特集……?
「…………はぁ!?」
え、ちょっとまってヒーローって何!? この世界アベンジャーな人達でも居んの!?
あんまりにも聞きなれない単語の並びが何気ないニュースで流れてきたことに驚き、飛び起きる。垂れ流されている番組の映像を見れば、そこにはコスプレめいた衣装の男性……如何にもなぴっちりしたヒーロースーツを着て、さもそれが当然ですよみたいな顔で複数の異形の怪物を手から放つビームみたいな技で消し飛ばしている姿が……。
「いやいやいやまってまってまって」
今日は間違いなくエイプリルフールとかじゃない。番組表で確認してもバラエティーとかじゃなくて、至って普通のニュース番組枠だし…。
どういうこと!? え、もしかして女児に成っただけじゃなくて、俺って今現在進行形でローファンタジー系統の世界に転生してんのこれ???? 所謂、日常に堂々と非日常紛れ込んでますよ的なあれですか????
……いや、まさか。そんなわけが……
そんな事、起きるはずがない。
…いや、自分の身体が「別物」に変わってる時点で今まで常識であった筈の「ファンタジーは現実で起こらない」という認識は現在進行形で崩壊してしまっているが、それは「自分が過ごしていた日常」の中で崩壊していたから、こんな姿でも一応なんとか平静を装えるのであって、自分の中で「前提としていた日常がある世界」自体が無くなっているとか完全に論外だ。
生物は世界に己を刻んで初めて生物となる。
故に、俺は「前提としていた日常があった世界」を否定する訳にはいかない。自分が今までしてきた事、世界に刻んできた事がまるっとなくなっているなんて、認める事なんて絶対できやしないんだから。
だから、コレはドッキリかなんかだ。仮に俺が百歩譲って…いや、千歩……一兆歩ほど譲ったとして。
俺が今「元の自分」がどうなっているのか知る手段が一切ない状況で、赤の他人の身体になっているとかいう意味不明な現状を……認めたくはない。認めたくないが…仮に、もしも……認めたと仮定しても!
今いる世界が「自分の一切知らない世界」であるなんて事だけは絶対認める訳にはいかない。自分がそういう「元居た世界とは別の世界に行ってしまう展開」を好んで観ていたから解る。
自分が、そんな展開になるなんて妄想の中で楽しむ事はあっても、現実で自分がそんな展開になるなんて絶対に望まないし、望む訳にはいかない。
そういう展開は「妄想」として自分の中で完結しているから、「してしまう」から安心して楽しめるのであって、「妄想」でなくなった「現実」なんて、文字通りの「認識外」だ。
「空想が現実世界に流出する」なんてのは、則ち自分が認識している「現実世界の否定」でしかない。
故に、そんな展開は何処までも「空想でなくてはならない」。
妄想は人の中、つまり「空想として成り立っている」からこそ安全なんだ。
だから、これはドッキリか…仮にだが、俺が元の身体でなくなってから、「今のこの身体」に成長するまで、この世界で時間が過ぎていた場合……最低でも5年は時間が過ぎていたという事になるのだから……ニュース番組でバラエティが流れる様になってしまった可能性も…
…いや、やっぱりどう考えてもニュース番組でやる意味が見つからない。
「現実で起こっている事をテレビを通して届ける」と「一般的に認識されている」からこそニュースを流す事に、ニュースを見ることに需要は生まれるのだから、その認識から外れた事をしてしまえばそれは最早ニュースとは言えない。
それはもう、「ニュースという名を借りただけの別の何か」だ。そして、今の俺にそんなものは必要無いし、「これはニュースとして流れている」事は、幾つか番組を変えてみる事で既に確かめた。
つまり、これは「現実で起こっている事だけを放送している番組」で、その上で俺は流れてきた情報を認識しなければならない。
「……ってそういえば」
『ヒーロー』という単語で思い出した、祖父から渡された雑誌の名前。「……コスプレ特集?」と表紙だけチラ見して、己の現状を客観した際に、まだ園児レベルの入院して意識を取り戻した孫に自分の性癖が詰まった雑誌を渡す祖父の図……という状況に突然放り込まれ、鞄の中に封印していたソレを、ちょっと戸惑いながら再び取り出して目の前に広げる。
目の前に広げられた雑誌のページ。コスプレをした女性が着なれた様子の自然体で紹介されている。
それは、まだいい。いや、よくないが、もっとよくないのがそこから更にめくっていくこと数ページに渡って綴られている内容だ。
「なに、これ…」
退魔師……鬼……東都……そのどれもが、創作なら兎も角、日常生活ではまず見掛けることはあまりないであろう単語の羅列。その羅列がどこまでも大真面目に書かれていた。
そして、その内容全てが先程流れていたニュースの内容と違和感なく合致する。…して、しまう。
…いや、まさか。
そういえば、この雑誌はこの身体の祖父が俺に、「孫に渡してきたもの」だった。
それを、当然の事だと。孫に渡しても……いや「これは孫に渡す方が世間では常識的だ」と判断した結果であったのなら…
…つまり。
この世界は━━━老人にも、ごく自然にそう認識し、行動させるほど『現実にヒーローが存在している』という常識が浸透している世界でなければならない。
祖父だけじゃない。ニュースにしたって、「退魔師とは何か」を説明するような流され方はしていなかった。
まるで、「この世界で一般的な職業として浸透している」かの様な、「そういう職業がこの世界に在って当然」とても言うかのような…
…そんな事、数年単位じゃ無理だ。
そういう物語を幾つも観てきたから現実に反映される難しさはある程度理解できる。
それこそ、数百年単位で浸透していなきゃ、ニュースで流れていたような「ヒーロー」は中々世の中で「在って当然」だなんて思われない。
「退魔師は、街に突然現れた鬼を倒して私たちを護ってくれる存在である」
…ニュースでは当然のように流されていたが、日常生活の中で突然戦闘が発生するなんて元の世界じゃあり得ない。
「戦闘が日常ではない世界」こそが、元の世界であり、「人間は集団で生きていく生き物」である以上、自分達の日常に発生するはずのない、「安定した生活」を壊しかねない存在をそう簡単には受け入れられない筈だ。
…しかし、それが現に「受け入れられている」。目に届く範囲以外には受け入れられていない人間も居るだろうが、逆を言えば「目に届く範囲には日常に在る職業として受け入れられている」。
つまり、その為の基盤がこの国には…いや、「世界」には無くてはならない。
『異世界』
蓄えられたサブカル知識のお陰で無事、弾き出された……あまりにも俗過ぎる単語。
それが……自分の現状と一致してしまうことは、認めたくはなかった。
……1話にしては少し長くなり過ぎたので、一旦区切ります。