輪廻の蛇 〜退魔兎姫ハヤテの世界で、TS転生者は日常を守りたい〜 作:黒庵
それから二週間後。
合間に軽い内容を挟みつつ、いよいよネネちゃんの本格的な修行がはじまった。
ちなみに退魔師の後継者、その指導のためということでこの期間中もちゃんと仕事の内に入るのだそうだ。つまり、これにもちゃんとお給金が発生するということ。
まぁ、常に人材が足りない業界らしいので次世代の芽をきちんと育てる土壌はしっかりしておきたいらしい。
それに、楓さんとネネちゃんのような直接の血縁者じゃなくても、本局側は現役の退魔師に後輩への慣れない指導を頼む場合もあるだろうから、そういう振れ幅を含めて考えると当然といえば当然なのだろう。
それはいい……のだが、正直気になるのが雪果ちゃんの様子だ。
本人の性格的にあからさまに表に出しはしないが、家事をいっしょに手伝っていると明らかに落ち込んでいるのが解る。というか、割と重症だ。
なんでもネネちゃんが初っ端からやらかした『基礎的な部分(詳しくはまだ言えない、とのこと)』は雪果ちゃんが3年ほど掛けてやっと出来るようになったスタート部分らしく、才能の格差に打ちひしがれているみたいだった。
まぁ、事実上修行開始20分で3年間の努力に追い付かれたらしいからね……
色々と負のオーラが漏れ出ている雪果ちゃんを宥めつつ、不思議にも思う。
詳細な説明をされていないせいで、それがどれくらい『差』のあることなのかは不明だが、楓さんの反応からしてみてもネネちゃんがやっていたことは退魔師の中でも一般的なものではないらしい。………知識の乏しい外野からの意見だと、そこまで落ち込む必要は無いように思えるが、もしかしたら実際に同じことをやれば解ることなのかもしれない。
それに、雪果ちゃんは楓さんを深く尊敬しているから、長年楓さんに師事してもらって結果を出せていないことをかなり気にしているようにも思える。だからこそ、ネネちゃんの規格外………らしい今回のことがクリティカルヒットしてしまっているのではないだろうか。
「うーん……私は雪果ちゃんのこと、すごいと思ってるんだけど」
「え?」
「だってそうでしょ? 学校に通いながら、退魔師の勉強もして、身体も鍛えて、ここでお掃除だとかお洗濯とか、料理もしてて……こんなこと、頑張り屋さんじゃなきゃできないよ」
ぶっちゃけ、雪果ちゃんは身体能力は『一般的な女学生』の範疇で考えると別に悪い方ではないと思う。というか、むしろ高い方だ。
加えて、学業の一切を疎かにせずに牙咬宅の家事代行サービスを難なく熟し、そこから楓さんとの退魔師としての修行時間を捻出していると考えると、基本的にこの子はスペックが高いと言っていいくらいだ。
成績も聞く限り悪くなく、高校の受験や資格試験などにも特に苦労らしい苦労はしたことがないらしい。
「それは……でも、それだけじゃ……」
俺の客観的事実に、しかし雪果ちゃんは満足しない苦渋に満ちた言葉しか溢せない。
どれだけ一般人の範疇として頑張り過ぎるくらいに頑張っていたとしても、未だにちゃんとした退魔師に成れていないという事実が、この子を苦しめている。
だからこそ思ってしまうのは、その事実が余りにも違和感があるということだった。
この子の一般人としてのスペックの高さと、退魔師としてのスペックのズレ。
(もしかして……一般人としてのスペックと、退魔師としてのスペックは別なのか?)
………いや。
どちらかと言うと、これは前提の問題か。
退魔師としての才能……恐らく命気に関する何かが満たされているかどうかが境目で、その上で一般人としてのスペック=素のステータスがブーストになる、みたいな具合なのだろう。
(雪果ちゃんは決して素の能力が低いわけじゃないけど、前提となる退魔師としてのステータスが伸び悩んでる感じか)
逆に、ネネちゃんは退魔師としてのステータスが高いから………いや、素の身体能力も並外れているから、余計にスタートダッシュに差が出ている。
……けど、それなら。
「………雪果ちゃん、もしかしたら………退魔師以外にはなれるんじゃないの………?」
「ッ………それは………!」
退魔師以外の、普通の一般人として働くのなら、この子は退魔師の道よりもずっと楽に生きられるんじゃないのか?
雪果ちゃんも薄っすらと………いや、気付いていて気付きたくなかったのか、俺が言ってしまったとたんに眼を大きく開いた。
「─────私は………私は………! 『特別』にならなければいけないんです………っ!」
それは大人になろうと急いでいるこの子の、何処か子供染みた────いや、唯一子供らしい意固地さだった。
「雪果ちゃん………その、ごめん………もしかしたら、私、ひどいこと言っちゃったかもしれない」
「ぁ……いえ………私の方こそ、ごめんなさい。マシロちゃん」
お互い、言ってしまったことに謝り合って気まずくなる。
………何か、『普通』に生きては駄目な理由でもあるのだろうか?
雪果ちゃんは楓さんたちと違って、一般人の家柄らしいが………この子が普段、あまり両親のことを話したがらないことと関係があるのだろうか。
「雪果ちゃん………雪果ちゃんはなんで『特別』にならなきゃいけないの?」
「え………?」
「もし………雪果ちゃんが、それで苦しんでるなら、なんで雪果ちゃんが苦しまなきゃダメなんだろうって」
「それは………」
無粋なのかもしれない、デリケートな部分だ、踏み込むべきではないのかもしれない。
それでも、訊かずにはいられなかった。
「………私には、兄がいたんです」
暫くの沈黙の後、彼女はぽつりぽつりと話し出した。
☆
西山雪果の家は裕福な家柄だった。
退魔師などという荒事に関わらずとも、一生を安泰に暮らせる……そういう家に生まれた。
幼い頃はそれを普通のことだと思い、育てられてきたが故にそれを嫌悪することは決してなかった。
彼女の生きることへの苦痛は、小学校に入学した後──────7歳から始まった。
─────────雪果、お前は何故■■のように成ろうとしない?
両親の失望が突き刺さった。
なんでも、雪果の兄は同じ歳で幾つも賞を取っていたらしい。
遊びの範疇で虫取りをすればこれまでの常識を覆すような論文で賞を取り、暇つぶしに描いた絵で賞をもらい、バイオリンを弾かされれば当然のようにコンクールで1位になり、外遊びの出来ない日に少しだけ齧った囲碁やチェスで、当たり前のように元プロに勝ってしまう。
兄は『特別』だった。
そして、雪果にも兄と同じ血が流れているはずだった。
どれだけ頑張っても、『普通』のことでは結局家族には振り向いてもらえなかった。
『普通』のことは出来て当たり前。
兄のように、『特別』にならなければ───────自分を、視てはもらえなかった。
西山雪果の努力に歯止めが効かなくなったのは、雪果自身が別に『一般人の範疇としては』凡庸ではなかったことも大きくあったのだろう。
大抵の凡人が40の結果を出すのなら、雪果は60の結果を出せる秀才だった。
ただ、実の兄が全てにおいて
9歳になる頃には………幼い雪果の心は、折れてしまっていた。
『───────もう大丈夫。怖い鬼は私が全て狩ってみせるから』
そんな時だった。
家出中に訪れたショッピングモールでの鬼の出現。
『普通』の人間の命が実に容易く消えてしまうものなのだと、今更ながらに知ってしまって、動かせない身体を怪物の前に晒してしまっていた時だった。
青い髪。
何処までも端正な顔と、凛とした力強い青い瞳。
白い犬の耳。
風を後ろにする尻尾。
紅白のヒーロー然とした衣装。
鬼に喰い殺されそうになっていた自分を魔法のように腕の中に抱えて、容易く空を駆けていく自由さ。
『………かっこいい』
黒い異形たちを素早く蹴散らし、巨体を誇る怪物でさえ欠片の陰りもなく堂々と足を進める一人の女退魔師。
────────彼女の『特別』の象徴は、悪鬼を貫く美しい光の閃光に容易く塗り替えられてしまっていた。