輪廻の蛇 〜退魔兎姫ハヤテの世界で、TS転生者は日常を守りたい〜 作:黒庵
(今回の話は、直前に原作者さんに教えて頂いた内容を反映してたりします。………ギリギリの軌道修正で死ぬかと思った………)
時間はネネの冬休みのはじまり─────則ち、退魔師としての修行開始に戻る。
「ネネ、ではこれより獣降ろしの儀式を行います」
「う、うん………じゃなかった、はい!」
「よろしい。では、まずはじっとしていて」
楓は息を整える。
二人が現在いるのは、本局が保有している幾つかの退魔師の修練用に手入れが為された山の一つ。
幼い下の娘と更には幼い同居人が居ることもあり、基本的に修行期間であっても家からあまり離れることはしたくなかったが、この最初のステップだけは例外的に完全な泊まり込みとした。
──────ちなみに、その小さな同居人はその下の娘に元気に連れまわされ、埃まみれになっていたのは完全に余談である。
天気は快晴。
冬の山ではあるが、命気による寒さへの耐性がある退魔師ならば問題ない範疇だった。
また、本局の管理地だけあって、人気もなく儀式を行うにはもってこいの場所。準備は万全と言える。
この山を借りた期間は三日。
近くに建てられた宿泊用の山小屋に泊まることとなる。中を二人で先に確かめたが、小屋の中は観光用と遜色ないほどよく手入れされており、ネネもテレビで見たような避暑用の別荘のようだとはしゃいでいた。
命気を扱う修業は精神の健全性も重要となるため、こういった修行用の施設はしっかりしていたりする。
さて、本題となるのは小屋から少し離れた場所で行う儀式だ。
ネネが立っている赤い正方形の布を中心とし、周りには白い布のような円形の札が四つ置かれている。
見ればそれぞれが東西南北に正しく置かれており、札の表面には楓が数日間に渡って書き写した、古い祝詞がびっしりと書かれてある。
そして、その四つの円で囲われたネネの前には母であり、牙咬の現当主である楓の姿があった。
今回、楓が行うのは単独では儀式を行えない幼い後継者である娘の補助。
楓自身も初めての行いだが、学生時代に先代に一通りの固有術は叩き込まれ、年単位で毎日身体に沁み込むまで術詩を唱えさせられたこともあり、問題なく補助を行えるようになっていた。
加えて楓は外功の行使への適性があまりなかった牙咬らしい退魔師の先代よりも、ある程度の外功への適性が存在していた。固有術の習得も、先代より早く一族の歴史を継承した牙咬楓は優秀だったのだろう。
───────獣降ろしとは、守護者が基盤とする向こう側の存在との縁を結び、『門』を作るための術のことだ。
楓が普段日常的に行っている獣降ろしは、実は術としての獣降ろしではない。
術としての獣降ろしとは "切っ掛け" であり、牙咬の継承者が基礎とするそれは飽くまでも "結果" なのだから。
なぜそんな馬鹿げた芸当が可能かというと、そもそも『門』を含めた大本のシステムは既にこの世界に存在しているからだ。
牙咬の術者は神代の後に守護者の定めるそれを利用し、獣の力というリソースのみを降霊させる。
故に、術者が用意するのはそのための『器』のみを用意すればいい。だからこそ牙咬という女一族はその器こそを洗練させてきた。
………だが。獣を降ろすためだけに器を鍛える必要はない。
そもそも獣降ろしはそのシステム上、一般的な女退魔師ならば誰にでも可能なことだ。
名の有る獣は要求される容量も多いために器も分相応のものが必要とされるが、名のない下級の獣くらいであれば最低限の器でも降ろすことは出来る。
だが、それでも一般的な退魔師にとっては十分すぎるほどの成果ではある。
なんせ、向こう側の存在の力をその身に降ろし、強化と併用できる状態で戦えるようになるのだ。
最も低い位の獣であっても、下の下程度の実力しか持たない者が下の中の能力を確実に保有できるということ。分かり易く言えば、単独で数体程度の餓鬼に然程の苦戦をしなくなるということだ。
更に、降ろした獣が自身の退魔特性と相性が良ければ一気に中の下さえ狙うことも出来る。
故に、名のない家の生まれからすれば、大した才が無くとも普通の退魔師の仕事の範疇を余裕をもって熟せる様になるというだけでお釣りがくるほどなのだ。実際、東北のある退魔師の一族はそれを利用して地方の権力を握っているらしい。
では、降ろせる獣の強さは何で決まるのか。
言うまでもない。器の大きさだ。
中身を注ぐための器が大きければ大きいほど、降ろせる獣の強さも上がっていく。
問題となるのはその ”
コップ一つに注げるのは、コップ一杯の水まで。
凡人がただ生きるためだけに使う器では、プールに入れるほどの中身は入り切りはしない。
故に──────────目指したのはその『頂点』。
古き退魔四家が一つ、牙咬はその頂こそを命題としてきた。
はじまりが夢見たのは、星の海を注ぐこと。
12の大いなる願い、その体現者。
とまあ。
牙咬という一族が扱う【獣降ろし】とはこういった背景がある。
雲が流れ、唄うように古い言葉を連ねていた。
時間は半刻ほど、事前に説明を受けていたとはいえ、ネネがこの長すぎる儀式にじっとしていられたのは己の母がかつてないほどの真剣さで言葉を紡いでいるのを目の前で見ているからだ。自分の癇癪で失敗させていいものではないと、ネネは心で理解した。
それは、先祖から代々受け継いできた術詩の詠唱。
退魔師の術とは「命気を変化させる」ことが基本となるが、単に外界へと放出されるだけではあまりにも脆い。
強度を保つにはいくつかの手段があるが、そのどれもが『この世界との接合率を高める』ためのもの。
楓が紡ぐ言葉はある種の言霊を帯びている。
それは代々獣降ろしを行ってきたという一族の過去があってこそ成立する、『力のある言葉』。
たったの一代で到底成立するような代物ではないが、他でもない当主の楓ならばその術詩を確固としたものとして扱える。
詠唱は佳境に入り、四方に貼られた円形の札が光を帯び出し、それはやがて互いを結ぶ『陣』を作り出す。
「───────牙咬当主の名の下に、彼の者へ天道を開け」
その言葉を最後に、それは完成した。
それはある種の『異界への鍵』。
本来ならば、ある時代の特殊な霊山などでしか成立しない、狭間に近い性質を持つ場を人為的に再現する秘術の一端である。
時代とともに洗練され、進化と最適化を重ねてきた陣の作成。
しかし、こんなものは獣降ろしという儀式にとって、最初の一歩───────その手前でしかない。
その先に進むには、降ろす獣との『縁』を成立させることが必要となる。
ネネが今立っているのは成立したばかりの陣の中心。
則ち、ここからが本番の『縁結び』ということだ。
☆
先代の話によると、楓が降ろすことに成功した獣は歴代の牙咬の当主の中でも最高位のものだったらしい。
そもそもの話、世界単位で有名な神獣はその分、力も大きい。
高名な獣ならば、その獣の"逸話"によって加護も影響されるが、大抵の獣降ろしの術者が降ろせるのは無名の獣のみ。
厳密に言えば、それぞれの個々に名前はあるのだが、例えば古い時代に辺境の田舎で細々と祀られていた獣などの、現代に残らないほど現世への定着率が低いものは、その分力も弱くなる。そのような獣は逸話が無い分、加護もありきたりなものに変わってしまう。
そういう意味では楓は、凡百の獣降ろしの術者の中では例外だ。
楓の降ろす獣の加護は、その獣の逸話に因んだもの。
降ろす獣は守護者の敷いた盟約の関係上、術者という器に相応しい獣が自然に引き寄せられる。
だが、指向性は決めようと思えばある程度は決められる。
加えて、獣と出会っても、術者が求めなければ成立はしない。
術の結果成立する『獣との縁』とは、人間同士のそれと同じく互いの認識に依っても大きく決まるもの。
血縁や、土地由来の縁もあるが、軸となるのは相互の認識だ。
故に、術者側が予め降ろしたい獣への縁─────認知を強め、獣の選別をしておく。
ただ、注意点があるとすれば牙咬式の獣降ろしは術式の構成上、術者の器限度いっぱいの格の獣と繋がるという基盤ルールに逆らうことはしていないため、器よりも格の高い獣や、逆に器よりも格の低い獣との縁は無意味となってしまう。楓も実は予想から外れる形の獣降ろしを経験していた。
「ネネ、蛇だけは降ろすことを禁じます」
「蛇さんを? なんで?」
獣降ろしを始める2日前、ネネに厳しく教えたのは獣降ろしのために必須となる知識と決まり事だ。
具体的に言えば、牙咬が目指してきた獣への知識、彼女に相性のいいであろう逸話の有る獣の伝承などなど。
その中でも、これは先代が決めたことだった。
『蛇』は現代に生きる退魔師にとって、避けるべき要素を多く持つ。
これは、大昔の退魔師ならば兎も角、現代を軸にして考えるならば妥当なことではあった。
獣降ろしで降ろせるようになる獣は原則、一人に一つ。
過去の当主には獣の性質上による変則的な例もあったらしいが、基本は一つとなっている。
故に楓もこれを現代における、牙咬の一族が生きるための掟として受け入れていた。
理由を説明し、そうして納得した長女は今、『陣』の中にいる。
獣降ろしは歴代の当主の手によって、『補助なし』と『補助あり』の2種が作られた。
これはそもそも牙咬の一族が然程術に長けた一族ではないことが大きい。………いや、正確に言えば牙咬らしい内功の使い手に寄り過ぎている、と言った方が正しいのだろうか。
無論、歴代の当主全員がそういう訳ではなかったようで、そういった例外となった先達が牙咬の特異な固有術を開発したという。そのうちの幾つかの術は結界術に長けた退魔師の一族に手を貸してもらったとは聞いたが、それ以上のことは楓も聞かされなかった。
さて、話は戻る。
術者の獣降ろしを外部の助け─────則ち、『補助あり』で行う場合、まずは代々伝わる祝詞を書きこんだ札を四つと、対象となる者が横になる特殊な布を用意し、それを順に地に並べて『陣』と成す。
これにより、この『陣』の内部は結界の一種となり、これより先の儀式の助けとなる。
しかし、陣の作成自体は両方の手法でも共通しているのだが、この場合には陣のコントロール権は補助術者が持つこととなる。
要は本来一人ですべての工程を行うところ、この手法ならばメインとなる継承者の負担を極限まで減らすことが可能となる。
つまり、
【A】:陣を作成したうえで、陣の運用と儀式を同時に行う。
【B】:陣の作成と運用を別の
ということ。
今回、楓とネネが行うのは後者。
陣の作成と運用をまず楓が行い、その中にネネが入る。
『門』を作るのは縁。
獣との接触がまずは前提となる。
その為には『向こう側』へと
楓が先代から継承したこの陣地の作成は、言うなれば "アクセスポイント" を作る為のもの。
つまり──────獣降ろしの難所はここから先となる。
☆
「それで、ここから先はどうすればいいの?」
「………寝なさい」
「えっ」
「寝なさい」
「う、うん」
いや、こんなところで寝られるか?
内心で困惑しつつ、素直にいそいそとネネは先ほどまで自分が靴下の状態で立っていた、赤い布の上に横になる。
目を閉じて寝られたのは凡そ10分後。
外で母の前にじっとしていただけとはいえ、それが逆に慣れない行為だったこともあり、割とあっけなく寝てしまえた。
────────夢の中、ネネは気づけば宇宙にいた。
☆
暗い世界。
星々が輝く光がネネの瞳に映っていた。
(きれい………)
手を伸ばせば届きそうなほど、近いのに───────自分はまだ、手を伸ばしていない。
届け。
届け。
届け────────。
何故そう思ってしまうのかもわからないほど、しかし胸に抱いた光への羨望に少女は確かに手を向こう側へと繋いだ。
そのうちのひとつ、無数の光の中で一番大きい輝きが、形を変える。
(あれは………ねこさん?)
同時に星の海は剥がされていき──────────ネネは、いつの間にか三畳間の和室にいた。
『───────やあ、おめでとう。ここに来れたのは君で二人目だ』
幼く、のんびりとした声が響く。
ネネの前には、いつの間にか金色の猫が此方をちゃぶ台の上から見ていたのだった。
「…………猫がしゃべった!?」
驚く少女は、未だ自身の成した偉業に気づかず、目の前の猫が喋ったことに戸惑うばかりだった。