輪廻の蛇 〜退魔兎姫ハヤテの世界で、TS転生者は日常を守りたい〜 作:黒庵
「っ、いない!?」
居ない。
あの子が、マシロが居なくなっている。
先程思考してしまった最悪の可能性が脳裏を掠めて、恐怖する。
「ましろーー! どこにいるの!?」
どういうことだ……これだけ大きい声を出せばいつもなら直ぐに顔を見せてくれるはずなのに。
まさか、家に居ない?
あの子がオレに声をかけずに外に出るなんて間違いなく異常事態だ。いや、マシロの部屋がある方の家に行った? その場合でも、大抵はひと声かけてくれるはずなのだが……。
とりあえず、最有力候補の隣の家に歩いて行こうとして─────玄関で立ち止まる。
玄関に、靴がある。
……マシロは、まだ家の中にいる?
「ましろー! いるの!? いたら返事して……!」
なぜだ。
なぜ声が聞こえない。
この一年間にたったの一度もなかった異常に焦りが生まれる。
とりあえず、家の部屋のひとつ一つを隈なく探したが見つからない。普段は入らないようにしている父の部屋の中にさえ居なかった。どこに居ると言うんだ、それとも靴を履かずに裸足で出て行ってしまったのだろうか?
……いや、ひとつだけ残っている場所がある。
そのことに漸く気づけた。
一度は降りた階段を駆け上がり、更に階段を登る。
─────その先に、あの子は居た。
「ましろ……ッ」
「はやてちゃん」
その手には、本が握られていた。
屋根裏部屋の箱に入っていた古い本。
「これを、したの?」
「ッ……!?」
小さな指で示されたのは、数日前に見覚えのあるページ。
「牙咬一族の秘伝術式、【宿業回帰】─────忘れた記憶や、前世の一部を覗く術」
すらすらと内容を読み解かれていく。
「たぶんだけど、ハヤテちゃんが男の人みたいな話し方をこの数日間たまにしていたのって、前世の自分を覗いたからだよね?」
、──────。
母には退魔師としての真っ当な常識がある。
だから、自分の娘が修行もせずにいきなり退魔師の、それも本に書かれていた術式を使えるなんて思いもしなかったのだろう。
だけど、マシロにはそれが無い。
『退魔師としての常識』がないからこそ、母が気づかなかった『真実』に辿り着けた。辿り着いてしまった。
「けれど、ここに書かれている通りなら魂のバックアップストレージを少しだけ参照する感じになるはず」
マシロが感情のない声で語る。
そう。そのままの術式を使えば魂に刻まれた過去をほんの少しだけ覗く程度だ。読み込む内容にもよるだろうが、たったの一回程度では人格や話し方などにも大した影響などない。
「なら、この部屋でハヤテちゃんに起きたことは二つに一つ。何度も同じ術を使ったか─────ここに書かれている仕様とは違うことが起きたか」
その通りだった。
記憶を取り戻す直前のオレはこの術式をアレンジしてから、術として成立させて自身に使ってしまった。
そのせいで二十数年もの男としての前世を追体験し、幼女に戻った。長年染み付いた男としての話し方は今さら簡単に消えるものではない。
「私は退魔師さんじゃないし、なんでハヤテちゃんになんでそんなことが起きたかなんてわからない。けど、これだけは言える」
マシロが本を閉じて、見つけた時と同じように箱の中にしまう。
「ハヤテちゃんが、そうなって悩んでいるのは、これがきっかけなんだよね」
立ち上がり、俯いていた顔をこちらに向けた。
「なんで、そんなことしたの」
ましろは、泣いていた。
いや、オレが泣かせてしまっていた。
「ましろ……」
「はやてちゃんが、私と同じようになっちゃったんじゃないかって怖くなった」
思考が、止まる。
「目を覚ましたら、何も覚えてなくて。大切だった人たちがいたことも、その人たちがくれたものがあったはずなのに、何も覚えてないのが嫌で嫌で仕方がなかった……っ」
それはいつか聞いた話だ。
マシロの両親はオレの父と同じく鬼に襲われた。
そしてたったひとり生き残ったマシロは全ての記憶を失っていた。
「私はお父さんとお母さんの写真を見ても、何も思い出せない……! 写真の向こうで笑ってる私だったかもしれない誰かが、未だに自分だとは思えない……っ!!!」
「マシロ……」
この子が、こんなに苦しんでいたなんて知らなかった。
いや、表に出さないようにしてきたんだ。
両親は居なくなり、唯一生きている祖父も滅多に会おうとしないという。
だから、記憶を無くしたこの子が『家族』という概念に触れられるのはオレたちしかいない。だけど、血の繋がりがないからできるだけ迷惑をかけないようにしてきたんだ。
そんなことに、今さら気づいてしまった。
「だから、この本の中を見て、はやてちゃんが同じことになってるんじゃないかって……怖かった……!!!」
「……ごめん」
泣いているマシロを、いつもしていたように抱きしめる。
この子は頭がいい。
恐らく、半年前に見たときは然程興味がなかったのか、あるいはオレが持って行ってしまったから見なかったのか、ともかく先程この場所で本の内容を改めて把握して、オレが前世の記憶─────つまり、牙咬颯に転生する以前の莫大な記憶を追体験したことまで察したのだろう。
だから、怯えさせてしまった。
たった6年生きただけの少女が、下手をしたら数十年以上もの記憶に消しとばされているのではないかと。
それこそ、この子が鬼に襲われたショックで記憶が消し飛んでしまったときのように。
無論、そうはならなかった。だけど、ならなかっただけで、なっていてもおかしくは無かった。
実際、オレはほんの二十数年しか前世で生きていなかったらしいから助かっただけだ。流石にあれ以上の莫大な時間を追体験させられたら、幼女としての自分を簡単には思い出せなかったかもしれない。不幸中の幸いというやつだった。
「私は……はやてちゃんといっしょに暮らしている今が一番幸せだ。みんなと居られる今のためなら、何を犠牲にしてもいいって思えるくらいに」
それは、危うい言葉。
不安に揺れる瞳は、理性では抑えられない幼さがあった。
「何がはやてを傷つけているの? なんで、私をみると苦しそうな顔をするの?」
「ちがう、ちがうんだ。オレが……マシロを受け入れられてなかったんだ、時間がかかってしまったんだ」
「どういう、こと?」
「双子の妹だと本当に思っていたんだ。……だからその、混乱したというか、常識的に考えて……いや、常識的に考えれるようになってしまったから、分からなくなってしまったというか」
そう。
血が繋がっていないと言われていたのに、本当の妹だと思っていたのは記憶を取り戻す前のオレに真っ当な常識的な思考がまだ育っていなかったからだ。
だから、前世の記憶をインストールしてしまったら混乱して受け入れられなかった。自分がはじめたことなのに、この子を拒絶しようとしてしまっていた。
「じゃあ、これで終わり、なのかな」
「っ……それは、違う!!!」
「ひゃっ」
どうやらマシロもオレがなぜ悩んでいたのかを理解したらしい。だから、その結論に至った。オレが、この子との関係を終わらせるという、『真っ当な結末』を。
だけど、そんなのは冗談じゃない。
今さら、この子を妹じゃないだなんて言う?
一年も一緒にいたのに、いつも暮らしてきたのに、ご飯を食べて、お出かけをして、遊んで、お風呂に入って、いっしょの布団で寝て……なのに、今さら前世の記憶が戻ったからって、この子を、マシロを拒絶するのか?
ああ、それが真っ当な考え方なんだろう。
だけど、そんなのは……いらない。
「マシロはオレの家族だ。……だから、その、これからも……ずっといっしょにいて欲しい、です」
「────────」
肩を掴んで……真剣に、マシロの瞳を見て言う。
オレとそっくりで、だけど違う女の子を、ようやく受け入れた。血が繋がっていなくたって……マシロは、オレの妹だ。
……すこしだけ、恥ずかしくなって後半から声が小さくなっていったのは仕方ないだろう。
「……ぷっ、あはははは!」
「……おい」
「だって、はやてちゃん。なんか、プロポーズみたいだなって!」
「ちょ、ぷ、プロポーズ!? ちがっ、ちがうから!」
なんてことを言うんだ、いや、確かにそんな感じだったかもしれないけど!
ひとしきり笑ったマシロは、曇りのない青空のようだった。
「うん。─────はやてちゃんがいいなら、いいよ」
「……うん。ありがと」
この小さい身体を、もう一度抱きしめた。