メインヒロイン:リヴェリア
サブヒロイン:アリシア、春姫、アミッド。
になります。
この話は以前アンケートしたアイズの子供に関する話です。
※R18
時と場所にはそれぞれ決まった決まり事がある。
それは時が約束する定まったものであり。
それは場所が提供する備わったものである。
人はそれを運命と呼ぶこともあるだろう。
そんな運命は時と場合という言葉で表され多くの時間多くの場所で多くの者たちの選択を彩ってきた。運命とは人が関わり完成するのだ。
時間。場所、人。
人の欲、人の知恵、人に備わった余分なものが運命を彩り、それを眺める神たちを楽しませる。
その時、その場所に集まった人たちのその余分──余暇を彼ら彼女らの神、ロキが見ていれば笑い続けていただろう。
人の世界に降り立った神は同じ高さでしか存在しない、見下ろして降りてきて、いつでも堪能できるわけではない。
なので神ロキは「間に合わない? 間に合わない!? ロキ!! これは本当にロキのせいですからね!」と大騒ぎする自らの眷属を目の当たりにして一つ頷くと。
「うち、よばれてへんもーーん!」
と大いに拗ねて見せた。
翡翠の髪の美少年が大慌てで出立の準備にかかる。どうやっても通常の方法では間に合うはずもないのだが。
「うへへ、少年~? ええこと教えたろうか? 」
「なんですか? こっちはもう頭が回ってないんです。記念日をすっぽかすなんて、こんな不義理はダメなんです。姉さんや妹弟たちになんて言われるか……」
外見は
ロキはあの母親によく似た姿で情けないほどに狼狽してしまっている少年の姿に萌え死にしそうになっていた。
「アイズたんの息子やなぁ。小さい頃にそっくりや。ほんま、かわええなぁ」
「その父さんの記念日に間に合わないんですよ! ロキ!」
「はいはい。そう焦らんでも。ほれ、これもってヘルメスのところ行き。間に合うように手配しておいたわ」
「え?」
「どーーせ、往復の時間間違って計算してるやろ、思ってな? 最初から間に合うようにしておいたんや!」
ドヤ顔でそう告げるロキ。
なら最初からそう言え、と少年の両親なら怒るところだろうが子供受けは抜群だったロキにこの少年の世代たちは親たちよりも敬意が強かった。
「本当に? すごい。流石ロキ。ありがとうございます」
「そんな堅苦しい。うちと少年の仲やろ~~? その代わりな? こっちの記念日は一家そろって出てくるようにアイズたんたちによろしく伝えておいてな」
「はい。もちろんです。ではロキ、急ぎますので!」
そんなに慌てなくてもロキの計算ならよほどのことがない限り間に合うはずだが、あわただしく荷物を担ぐ少年の姿が幼き日のアイズを思い出させてロキに留める言葉を出させなかった。
「おう。行ってらっしゃい。きぃつけてなぁ!」
お供をしようと慌てて駆け寄ってくるエルフたちを置き去りにして急ぐ少年は敬愛する主神に一度振り大きく手を振ってホームを飛び出した。
「行ってきます。ロキ、みんな」
この場所、オラリオの【ロキ・ファミリア】ホームからはずいぶんと離れた場所に少年の実家がある。
少年は帰りを待つ姉や妹弟たちが急かすのを感じより一層足を速めたが、気をつけて帰ってきなさいと気にかけてくれる父や母達の姿も同時に感じて、ダンジョンに潜っているような緊張感も伴いながら帰路を急いだ。
少年の両親の結婚記念日が目前に迫っていた。
◇◆◇
場時と場所と人が定める約束事。
それがこの場所にも存在する。
ヴァレンシュタイン家は自然に囲まれた静かな場所にその屋敷を構えてる。
人里離れたとは言わないが周囲の住人たちからは一定の距離を保っているゆえに本来は住人の人数を考えれば静かな場所である。
だが、その日は賑やかな音色と声音がいたるところから聞こえ、時折やってくる来客の姿に歓声が上がっていた。
「お兄さまだぁぁぁぁ!」
「お兄さまぁぁぁぁぁ!」
「二人ともただいま。間に合っぇよかったぁ」
見るからに双子だとわかる金髪金瞳の美幼女が待ち望んでいた家族の帰宅に挨拶も忘れて飛びついていた。
双子の兄はそれを両腕でがっちりと受け止めてそのまま抱きかかえる。
細身でありながらもすでに昇華を重ねたその身体は遠慮ない飛びつきからの抱き着きにも小動もしなかった。
「「むふーっ。おにいさまぁ」」
大好きな兄の帰宅に双子の美幼女達は遠慮など何もせずに甘えに甘える。
甘えられるときに遠慮なく甘えられるのがこの双子の最も可愛いらしいところだと母親たちは口にするが、兄や姉の目線でもそうであった。
少年はそんな可愛らしい妹たちの様子がオラリオでの冒険者としての自分を霧散させていくのを感じた。
「少し背が伸びましたね。二人とも。お母様に一歩も二歩も近づいたのでは?」
「ほんと~?」
「うれし~!」
長く伸びた耳の端にかかる感触で少年は妹たちの成長を感じ取った。
抱きかかえるのも慣れていればかかる感触も馴染みあるものだが、久しぶりに抱き上げた感触は少々異なっていて双子の妹たちの背丈が伸びたのだと伝えてきた。
「あまりその子たちを甘やかしてはいけませんよ──おかえりなさい」
「シアお母様。ただいま戻りました」
美しい亜麻色の髪を嫋やかにまとめた母が出迎えてくれる。
ほら、こっちへ来なさい。まだ手伝いは終わっておりませんと、戻ってきた長男に突撃した双子を回収しながら、母親の一人──アリシアはこの家の長男の帰宅に笑みを浮かべていた。
オラリオに旅立って以来長男が家に戻るのはこれが初めてであった。
「あ! 今戻ったのですか?」
その後ろからぱたぱたとした軽くも丁寧な足音が続くと思えば、少年が真っ先に思い浮かんだ姉の姿があった。その後ろには姉と同じようにメイド服を着ている母が──春姫がいた。
姉の狐尾が左右に大きく素早く動いている。
昔から姉はお淑やかで頭の回転もよく度胸もある弟妹達の憧れの存在だが、欠点だと本人が思っているのがその狐尾だ。
春姫以外の家族皆が可愛らしいと評するその狐尾による感情表現は無意識のもので母親そっくりのものだった。
嬉しいときの狐尾の動きはまさに今のようであり、その動きを見ていれば迎えられているこっちが気恥ずかしさすら感じる。
そんな音が鳴りそうなほど振られている娘の狐尾を見た春姫が自身のものを後ろ手に一度抑えて確認している。この親子にとっては無意識の狐尾アピールは無遠慮に過ぎる失礼な行為にあたると思っているのだ。
「姉さん。春お母様も。ただいま戻りました」
「おかえりなさいませ。……まぁ、少し体が強くなられましたか?」
「どうでしょう……? まだ細いと思いますが」
「どれどれ……む、私の尻尾が告げております。立派になっておりますよ」
「姉さんの尻尾でしたら、間違いありませんね」
長男に長女の尻尾がくるっと巻き付いてなにやら計るようにもふもふと動いた。
まだ長男が先ほどの双子よりも小さい頃からこうして姉の尻尾で遊んでもらっていたのを知っている春姫は昔から変わらず続く仲の良い姉弟の姿を見て笑みを深くした。
「私たちは部屋の支度の確認をしてまいりますので、貴方は奥様のところへ。心待ちにしておられますよ」
春姫が長男に奥へ行くことを促す。奥の客間の一つで長男の産みの母であるリヴェリアが書き物をしているはずであった。
「そう、ですか?」
奥に母が待っている、と聞いて少し少年は気後れした。
迷宮都市で【ロキ・ファミリア】に加わり冒険者になると決めた際、家族の中で最も強く反対したのが産みの母である。
その意向は最後まで変わらず、無視する形で旅立っていた以上、相手にしてくれないかもしれないと思っていたのだ。
「何を不安そうにしているのです。離れていた分、素直になって甘えるように。いいですね?」
そんな少年の怯えを備に感じ取った姉が少年の頬を抓るように、優しくなでた。柔かなその指先の扱い方は人を傷つける使い方を知らない暖かなものだった。
少年はそんな姉の手つきや雰囲気が愛しかった。
昇華を重ねて少しは一人前近づいたのかもしれない、大人になれたのかもしれない。
そう感じて戻ってきてみれば自分は母や姉の前では昔のままの子供であり、弟であった。
それは産みの母とも違いないだろうと自然とそう思えた。
「……姉さんにはかないませんね。はい。そうします」
この場所では自分は長男でしかない。それでいいのだということがこんなにもありがたいのだと、少年は実家に帰ってこれた幸せを嚙み締めた。
◇◆◇
もうじきにあの子が帰ってくる。
五体無事に帰ってきてくれる。
その報告を受けた母親は手紙をよこしてくれた主神に素直に感謝していた。
「
先ほどまで長時間の衣装合わせを行っていたため、気疲れで目を抑えていた夫が顔を向けてくる。
外客向けの記念日のための衣装であるがため手は抜けないと、それ相応のものを用立てようとしたらこの有様だった。
彼女の夫──この家の当主アイズ・ヴァレンシュタインは自分の目元をぐっと押さえつけたのちに妻に向き合った。
「あと二日後にこっちに来るそうだよ」
「二日……でしたか?」
「うん。ヘルメス様の手を借りてるらしいから、遅くも早くもならないらしいよ」
「そう、でしたか……」
アイズの妻──リヴェリア・リヨス・アールヴ・ヴァレンシュタインは二日後という到着予定日に残念そうな気配を纏っていた。
リヴェリアの気分としては今すぐにでも扉を開けて「ただいま戻りました」と言いながら長男が入ってくるのではないかとそわそわしていたのだ。
それほど、追い出す形になった息子の帰宅が嬉しかった。
「リヴェリア」
「
妻の普段とは違ったそわそわした気配は当然夫にも伝わっていた。
アイズはリヴェリアの座るソファーに共に腰かけながら、妻の頭を抱き寄せた。
「──よかったね」
「はい。……本当に。無事で」
息子はこの家の長男であり、
ハーフでもおかしくない中、肉体としては完全に母親の血を色濃く受け継いだハイエルフの息子は親の色眼鏡を外そうとしなくても明らかな素質があった。
剣をとっても弓をひいても見惚れるほどの冴えがあった。魔法は言うに及ばず、性格も優しい姉に似て驕りを知らず、優しさを守るための力を研ぎ澄ます努力を厭わない強さも持ち合わせていた。
だからこそ迷宮都市には行ってほしくなかった。見聞を広めるために世界を回るのであればまだよかった。迷宮都市に行けば──英雄でも死ぬ。
素養があろうとも、それが花を咲かせる前に手折られていく様を何度見てきたことか。例え才能を発揮できても、だからこそより大きな危険が待つ場所だった。
──「私は絶対に認めないぞ。母を納得させられないまま行くというのなら……出ていけ!」
憧れ続けた場所で一人前になりたいと迷宮都市に行くことを譲らなかった長男に最後にかけた言葉が、後悔としてずっとリヴェリアの胸をざわつかせている。
夫の胸に抱かれながら自分の酷い言葉に深く傷つけられた愛しい我が子の姿が浮かんだ。
「……私は行かないでくれと頼むべきだった。自分の願いを、ただそのまま伝えるだけでよかった。それを私は……ただ拒絶して傷つけてしまった。自分のことを棚に上げて、情けない」
親に反対されたのは自分も同じだった。
自分だってそれを押し切って里を出た。
夢や願いを胸に宿した者に、親の希望を押し付けるような真似をしても無意味だということを理解していたはずなのに。
心配のあまり、手元にとどめておきたかった。
話し合いを拒絶したリヴェリアは長男の門出だというのに見送ることも、言葉をかけることもできなかった。
怒鳴りつけた夜が明けた朝、我が子は自分の手元から離れて行っていた。
以来、手紙を読むのが怖くなった。
誰からの手紙であっても封を破るのが恐ろしかった。
そこにもし痛ましい出来事が綴られていたらと思えば手が震えた。
あんな言葉を最後にして別れることになれば後悔で終われることではない。
夫や従者にもメイドにも、子供たちにすら、迷宮都市に行き直接話してみればいいのではないかとすすめられた。
だが自分が行けば連れ戻しに来たと思われるに違いない、そんな真似をすれば消えぬ傷をあの子に残してしまう。
なにより、冒険者として活動していれば傷つき、危機が迫る日々を生きる。そんな姿を見てどうして離れられるものか。
そんな雁字搦めに陥った思考の中でリヴェリアは迷宮都市に足を運べずにいた。
そうしてあの子がいない記念日が近づいてきた頃に、主神からの便りが届いたのだ。
「ロキに感謝しないとね」
「本当に。珍しいことだ……心からそう思う」
封筒の表にでかでかと『少年が家に戻るで』と書かれていた一通の手紙。
記念日にヘルメスに頼んで送らせたるわと書かれていた手紙を読んだ時の安堵は忘れがたいものだった。
「優しい子に育った。私にではなく姉によく似たのだろう。……あんな言葉を言われても、帰ってきてくれるのだから」
私なら絶対に帰らなかった、と夫を見上げて笑う。目元に少し浮いた涙を夫が左手を伸ばしてぬぐってくれた。
二度と戻ろうとしないかもしれないとすら思っていた子供が帰ってきてくれる。
あれだけ欲して子宝に恵まれたとわかった際の喜び、この手に抱いた時に誓ったことをリヴェリアは忘れはしない。
夫の腕を強く抱いた。あの子を抱いて並んで座っていた、かつての日々があったことを忘れてなどいない。
「あの子の幸せはあの子にある。……誰かに、私に与えられるものじゃない」
帰ってきたらいっぱい話をしよう。
そう言って夫が身体を回して抱きしめてくれる。
リヴェリアは今すぐ息子に会いたかった。
今なら、何も着飾ることなく言葉を紡げる確信があった。
◇◆◇
普段と変わらずメイド服で仕事中の二人と別れて少年は屋敷の奥へと進み、出会う家族皆に挨拶を交わしながら目的の場所へとむかう。
その途中、鼻歌交じりで歩いていた妹の姿を見かけて互いに足が止まった。
「あら、親不孝の兄さんではありませんか」
いつお戻りに? と冗談なのか本気なのかわからないその話しぶりで話すハーフエルフの妹。同じ母から生まれたこの家の三女は久しぶりだというのに今朝あったような雰囲気であった。
「今だよ。ただいま。父さんと母さんは?」
「奥で衣装合わせをされていましたが……そんなに私と話すのは気に食わないですか?」
「……そっちが気に食わないんじゃないかい?」
二つしか離れていない年齢差で兄と妹というよりは同い年の兄妹のように育った二人は両親への愛情の示し方や受け取り方が違っていて、よく衝突していた。
それは久しぶりに出会ったこの時ですら常と変わらなかった。
「気に食わないのは気に食わないですが、久しぶりに再会した兄さんにこうするくらいには会えてうれしいですわよ?」
「む──ありがと」
「ふふ、おかえりなさいませ。兄さん。ですが、お父様とお母様を裏切ったご自覚はお持ちくださいな」
兄の頬にキスをしてにこやかに笑う妹の目は怒っている。
妹は兄が許可をとらずにこの家を出たことをずっと怒っているのだ。
「別に……裏切ってない」
「お母様がお心を痛められた様子を見て、お父様も大変心苦しい思いをされておいででした。どうせ兄さんのことです。我が道を行くことがーとか、そんな英雄道を賢しげに語るのでしょうけれど、私はそんなものに興味がありませんので。家族を悲しませることをする輩は家族であっても軽蔑いたします」
「……母さん、怒っていたかい?」
少年の顔に先ほど長女に窘められたはずの怯えが顔を覗かせると、妹は露骨に軽蔑を顔にあらわした。
間もなく瞳に怒りの火が焚かれ、その声音が刃のように鋭さを持ち始める。
「──怒っていたか? そんなことを問うのですか? だから私にこんなことをさせるのです」
廊下に乾いた小綺麗な音が響いた。
見事な平手打ちだった。
振りぬかれた右手が少年の左頬を打ち抜いていた。
「心配で、不安で……兄さんの身を案じておられたに決まっているでしょう! 怒りなど、一度だって……一度だって見せなかったのに! なのにそんなこときくなんて!」
母親そっくりの翡翠に煌めく美しい髪を振り乱すほどの怒りで平手打ちを見舞いながら、妹は父譲りの金の瞳に怒りを燃やしてその可憐な顔立ちから想像もできないほどの鋭い声で兄を糾弾した。
妹が知っている本来の愛おしい母の姿は兄が家を出てから一度も見ていない。父と庭園を眺めているあの穏やかで愛しい空気を一度たりとも感じていない。
母の瞳にはいつも恐怖があった、小さな不安がいつも胸の中で燻っていた。
それもこれも兄が勝手に出て行ったからだ。そうとしか思えなかった。
母の愛を、母の気持ちを知っている妹には兄が夜逃げのように旅立ったのが許せなかった。
──話せばわかったはずなのに。どうして!
そんな怒りがずっと妹の中にあった。
そしてそんな妹の想いに撃たれたからこそ、兄はこの少年を知る人々からすれば驚愕するほどに怒りをあらわにした。
「……それは、お前の前だからだろう」
沸々と少年の胸に沸き上がったのは苛立ちだった。どうしようもなくムカつく激情は感情の大波だった。
妹の想いが、兄として少年にはイラついて仕方がなかった。
「なんですって……?」
兄のそんな怒りに気が付いて、妹はより一層鋭さを増した声で切り返した。兄の気持ちが妹には理解できていない。妹だから理解できないことだった。
「母さんはお前の前ではずっとそうだ。でも私の前では違うんだよ。怒りだってするし、話だってきいてくれない。長男だから、私の息子なんだから……言うことをきけ! それだけじゃないか!」
他の誰の前でも口にしたことがない、口にできなかった言葉が吐き出てきたのは、やはり最も近い兄妹だったからだろう。
少年の声は溜め込んでいた我慢で震えていた。
母への想いは怒りではない、寂しさだった。だが、妹への声は怒りだった。
──母さんの愛だけ知ってるお前が言うのか。
「お母様を悪く言わないで。優しさに甘えて、好きにしようとしているだけじゃないですか」
「その優しさを向けられ続けてるお前らしい言葉だよ」
兄と妹は至近距離でにらみ合った。
お互いがお互いにコンプレックスを抱えているこの二人は他の家族の目がないところではぶつかり合ってばかりであった。
兄である少年は妹の短い耳が羨ましかった。
ハーフだから、妹だから、母に甘えることを許されている。
自分には厳しい母が妹には明らかに甘い、何かにつけては兄だから我慢しろが常だった。
ハイエルフだから、家の跡取りだからと求められる決まりきった立ち振る舞いが嫌いだった。
自分が型にはまったような扱いを受ける中、自由気ままにハーブを奏で狩猟を嗜む妹が羨ましかった。
妹である少女は兄の長い耳が羨ましかった。
家にくるエルフの客人が揃って自分の中途半端な長さの耳を憐れんでいく。
父の血が混じって穢れたのだとほざいていく。
母達の耳に入らぬ場所で自分にだけ聞かせるような、浅はかな俗物に耳の長さだけで家族を馬鹿にされる。
ハーフだから何が悪いのだ。自分は素敵な父と母の間に産まれたのだ。その証なのに。
「恵まれてるくせに!」
「どっちが!」
お互いの耳を視界に捉えながら、しばらくにらみ合ってお互いに視線を逸らす。
この話題になったら終わりだと聡い二人はよく理解している。
どっちもお互いの意見を変えない、認めない。
どっちも相手が羨ましいのは変わらないのだ。
「……奥、客間の中でも、一番奥の部屋です。そこにおられます」
「………ありがとう」
「お母様を泣かせたら、怒りますからね」
「うん。……怒っていいよ」
羨ましい。
そう思うことをお互いに恥じてしまう。
そしてそれを分かっている二人はお互いのそんなところが嫌いで──そんな兄が、そんな妹が、大好きでもあるのだ。
交差してわかれるその間際、偶然重なり合った手を互いに握る。
影が重なって二人分の輪郭がなくなり、一つになった。
「また……背、伸びましたか?」
「まだ、見下ろせるくらいには伸びたかな」
先ほどのお返しを忘れていた、と少年が妹の頬に唇を渡す。
女誑しですね。ずいぶん手慣れてます、と少女は兄をからかった。
始末が悪いともいえるが、他の家族が知るこの兄妹の姿はこのように仲睦まじいものであった。
客間はもう少し先だった。
◇◆◇
当分、誰も来ない。
その確信がなければできることではなかった。
夫婦はそれぞれに家族の行動を把握している。
ゆえに夕食まではよほどの用件がない限り、扉を叩く音がすることはないと判断していた。
「リヴェリア、すこし、ひいて──うん。それで、いい。イっ──」
妻の長くてきれいな耳をその手に挟むようにしながら、その頭を抱え込んでいたアイズは零れ落ちることがないようにと調整して、愛妻の口内へ射精した。
舌の上に綺麗に迎えられていた逸物がゆっくりと精を吐き出して中を白く満たしていく。
小動物の頬袋のようにリヴェリアの頬が膨らんだ。その頬袋の中では注がれていく多量の精液が雄の匂いを鼻腔に広げて、リヴェリアの思考を奉仕する妻の物へと完全に切り替えさせる。
しばらく無言の時間が続いた。
アイズの射精は長く、濃い。ゆっくりではなおのこと堪能する時間があった。
そんな無言の数分間に響き続けたのは、喉を鳴らす音だ。
飲み物を飲み干す音ではない、絡みつく粘体を喉の奥へとすすませ、咀嚼する音がきれいなほど定まった間隔で響いていた。
──ゴクン。
いつしか頬袋もなくなって、最後の咀嚼を終えたリヴェリアが舌の上で小さく身じろぎする逸物を口内全てを使って吸い味わいながら、ゆっくりと引きだした。
「ず……ぅん。ちゅ」
精液で満たされていた口内にあったはずの逸物には白い名残など何一つなく女の吸い付けた涎のみが、部屋の明かりをうけててかてかと光っていた。
逸物の先に唇をつけ、中に残ったものを吸い出せば、一連の流れが終わる。
準備を一つ終えたと夫婦はここで一度耳を澄ませ、扉をみた。
「……大丈夫」
「問題は、なさそうだ」
続けようとアイズは妻の着衣をはだけさせた、手慣れた手際の良さは妻の服の脱がし方を熟知したもので、つまりはこの隙間時間に行為に及ぶことが慣れている証であった。
この客間のソファーが二つ合わさると絶妙にベッドのように重なると気が付いて以来、夫婦にとってこの場所は数えればきりがないほどに行為に及んだ秘密の逢引部屋であった。
「あ、またそんなことを──」
ソファーを合わせた即席ベッドに横たわったリヴェリアは夫の愛撫に、少しの恥ずかしさを感じずにはいられない。そしてそれを感じることがまた恥ずかしい。いい加減に慣れてしまえと自分で思っているのに、この感覚だけは慣れなかった。
「れろ……ちゅぅ、ん、なるべく、他は汚さない方がいいと思うから、今は口だけ」
アイズの舌が妻の花唇をなぞった。
両足を両腕でがっちり抱えるように抑えながら、逃げ場をなくしたうえで丹念に丹念に舐め上げていく。
はじめて身体を重ねた夜から長い年月が経った今では互いにたいていの行為に慣れている。だが舌でされる愛撫だけは、妻は生娘のような初々しい反応をみせる。
それが可愛らしくて、ついつい理由をつけては舌でなぞることを選んでしまう夫の思考を正確に理解して文句をつけたくなったリヴェリアだが、内緒にしているこちらの愉しみにはきがつくまい、と自分の溢れ出た蜜汁を吸い味わう夫に隠れて小さく笑った。
(相変わらず、この景色は──身震いするような変な感覚だ)
普段、女を組み敷くのが夫の役割だ。
メイドも従者も自分も抱かれる側、夫に奉仕する立場だ。
だが、自分は奉仕される側に回ることがある。正妻と内妻の違いだと羨ましがられるその機会が今のような景色だろうと、リヴェリアは自分の中の独占欲が満たされていくのを感じ取ていた。
「──っン」
「ん……じゅるっ、ん」
背筋を瞬間的に奔った快感に応じて溢れ出た蜜をアイズが全て飲み干して見せる。
こぼしてない、と頷いて見せるその様は女に奉仕する男の図だ。
アイズの女関係は広いがこうなるのは妻のリヴェリアだけだ。心底惚れきっている男は好きな女の前では無意識に跪くときがある。
それが今だった。
「
そんな惚れた男の跪く様が自分の前だけのものだと理解した時から、リヴェリアはこの瞬間が楽しくて仕方がない。
自分のためだけにみせる夫の可愛い様、これを独占できている女の喜びを感じられるその瞬間、上に覆いかぶさる夫の瞳が自分だけを見つめて、見惚れている。
「リヴェリア──いいね」
確認するようでその気のない焦らされた雄の情けないようで愛らしい顔色だった。
それに頷いて微笑み──耳に届いた足音に男女の情欲が吹き飛んでしまう。
「──!」
「!?」
ほぼ同時に気が付いた夫婦は瞬時に立ち上がる。
幸か不幸か本番直前。
「「──!!」」
だが、まっすぐこの部屋に向かってくる足音が到着する前にすべてを片付けるのは、不可能。
アイズが咄嗟に妻の着衣の前をしめ、カーディガンを羽織らせる。
リヴェリアが夫の着衣を直そう手を伸ばしかけて、あきらめる。
脱ぎ捨てられた上着に緩んだシャツの首元はともかく、行為直前で万全の体制だった逸物が邪魔でズボンが間に合わない。引っかかる。
慌てて即席ベッドを解体し、リヴェリアは座る。座って足を閉じていればそれほど目立つものでもない。
だが、アイズは下着を急いで上げたところで固まり……扉に背を向けた。
諦めたのだ。
(……ズボン、履けない)
こうなってはただ情けないだけのテントを張り続ける自分のちんぽを見ろして、アイズは背中で入ってくる家族をまった。
◇◆◇
「父さん、母さん、ただいま戻り──」
「──」
「──」
両親がいると聞いて訪れた客間の一つ。
その扉を開けて少年は固まった。
そこには両親がいた。
両親は仲睦まじい姿を『いつものよう』に見せていた。
「……」
「……」
「……ぁ──」
固まった親子の中で最初に声を発したのは下半身を露出させた父だった。
いつも穏やかなほほえみを絶やさない父ではあったが、こういう時は決まって視線が合わないのが常であった。今回でいえば背中を向けているのだが。
「おかえり」
「……ただいま戻りました。父さん、あの、えっと、お邪魔、でした、よね?」
「…………さ、さぁ?」
幼い頃からなぜか自分だけ『いつものよう』な両親の姿を目撃することが多い。
そのたびに流れるこの何とも言えないばつの悪い空気を少年はどうにもする術を持たなかった。
「こほん……おかえりなさい」
少年が視線をどこにむけたらいいのか迷っていると、沈痛な面持ちをしているのだろう母が声をかけてくれた。
どうしてこんなことに……という無念さをにじませた声に、姉や妹に注意されていた葛藤や悩みは何だったのだと思わずにいられない。
「はい……ただいまもどりました。母さん」
視線は合わない。変な構図に模様が変わっているからか、母の座ったソファーが背中を向けているからだ。
背中をむけて何かを──ナニを隠している父。
ソファーに座ったまま背をむけて動かない母。
そんな両親の背を見てどうしたらいいのかわからない息子。
親子の久しぶりの再会に際してお互いに考えていただろう言葉が全て無に帰していた。
どう言葉をかけていいのかわからない。
父はとりあえずはやく鎮まってほしい。ズボンをはかせてほしいと、そう思えば思うほど収まりつかぬものに半ばあきらめていた。
母は二日後だと言っていたではないかと夫を恨みつつ、息子の顔をみたいのに振り返れないジレンマを持て余していた。隠しているそのソファーにすわる下半身は何も履いていない上に、つい先ほどまで夫の逸物を咥えていた口元はまだ清めていないのだ。振り向けるはずがない。
息子は父と母の様子からおおよその事態は察したのですぐに退室をと思いはしたのだが足が動かなかった。それは思考が吹っ飛んだというのもあるのだが──会いたかった父と母の姿が目の前にあるのにその顔を見ずに去ることが嫌だったのだ。
せめてどちらかの──いや、母の顔をみて自分が帰ったことをどう思っているのか確認したかったのだ。
「「「…………」」」
気まずい。
どうしようもく気まずい。
そんな空気が流れ続ける時間は三人にとっては長すぎたが、実際には二分ほどであった。
「ちょっと、待ちなさいっ!」
「!? ──し、シアお母様……?」
慌てつつも恐ろしいほどの俊敏をみせて先ほどまで玄関先で働いていたアリシアが駆け込んできた。その表情には間に合わなかったことを理解した諦観が浮かんでいた。
──あら、機嫌がよろしいようで。その様子だと兄さんにはあいましたか?
──はい。シアお母様。一番奥の客間にいると伝えておきました。相変わらずの様子で安心したらいいのやら。
──はい? 一番奥……一番奥!?
この家の住人の中で奥の客間が夫婦の逢引部屋であることを知っているのは夫婦を除けばアリシアしかいない。
春姫すら知らなかったゆえに、客間は客間でも一番奥であることをアリシアに伝えきれていなかった。
母の様子に首を傾げる三女をその場においてアリシアは脱兎のごとく駆け出した。
この家の中で夫婦に次ぐレベルの存在として、その俊足で音もたてずに長男を追った。
──アリシアお母様?
──シアおかーさん?
──姉様?
──お母様?
途中すれ違った家族たちが皆何事かと目を見張るなかすべてを無視して突き進み、結果、間に合わなかった。
アリシアは間に合わなかったことをリヴェリアに心の中で謝罪しつつ、長男の肩を掴んだ。
「少し手伝ってほしいことがあるのですが──いいですね」
有無を言わせぬ口調は母親としてのものだ。
長男にとって産みの親ではなくてもアリシアは三人いる母の一人である。
その絶対的な口調と肩を握る強さを思えば逆らえるものでもない。
「は、はい。シアお母様。──父さん、母さん。じゃ、じゃあ、また」
「うん。……すぐに行くからね」
「先に、夕食の席で、待っているように……」
歯切れが悪すぎる両親に背を向けて扉を閉めるとアリシアが一息強く吐き出した。
「どうしてあなたはいつもこう、間が悪いのでしょうね?」
「ぼ、僕だって……私だって、しりたいですよぅ」
もっとちゃんとした形で再会したかったと少し泣きそうになっていた長男の頭をアリシアは優しくなでた。他の子供たちはおそらく一度もそんな場面を目撃したことがないというのに、昔から長男だけがばつの悪いところに顔を出してしまう。
リヴェリアに関わらず、春姫もアリシアも、母親たちは皆行為中に長男が突撃してきた経験があった。
その奇縁を不思議がりつつ、アリシアは春姫にも奥の部屋の秘密を伝えておく必要があるのかもしれない、と少し悩んだ。秘密はバレない方が競合しないのでアリシアとしては難しい話であった。
扉の前でそんな風に佇んでいた母と子は部屋の内側から飛んできた怒声に身を縮ませた。
「二日後じゃ、なかったのか!」
「ロキの手紙ではそうだった。……よ、と。……はいった」
「ええい、ロキめ! 適当なことを!」
その声を耳にして、少年は自分の間の悪さを再認識した。
確かにロキの都合に合わせて移動していれば二日後に着く予定だったのだ。
それを合間合間の移動を全力で駆け抜けて短縮した自分が狂わしていたのだ。
「…………すいません。ロキ」
自分の焦りがロキに謂れなき悪評を与えたかもしれないと、主神を尊敬している少年にさらなる後悔を与えたのであった。
一家そろって迷宮都市へ来る流れにするには難しい気がした。
◇◆◇
子供たちがその場にいる時間は普段の夕食と違いはない。
そのことを兄姉たちはしかと心得ていたし、妹弟たちはそんな兄姉たちをみて形だけでもまねていた。
長男が帰宅して二日後、とうとう迎えた夫婦の結婚記念日。
それを祝う夕食の席で複数の円卓を囲んだ子供たちが今、祝いの言葉を述べようとしていた。
「せーのっ、でございますよ?」
その時、長女のお茶目さがさく裂した。
ぱんと両手を合わせてわざとらしく首を傾げる。
姉兄妹弟と皆が声を合わせて父と母にお祝いの言葉を述べようとした際の口切り役を務めた長女は、大変可愛らしいがどことなくロキを思い浮かばせる微笑みを浮かべた。
勢いをくじかれて咳き込んだり、テーブルに身を倒した妹弟をみて嬉しそうに狐尾を揺らした姿は誇らしげである。悪戯は大成功であった。
「姉様ぁ」
「ひどーい」
「お姉ちゃん!」
姉妹たちが尊敬してやまない長女の悪戯に文句を伝えるが、その瞳は単純なのに見事な悪戯をしてみせた姉への尊敬と喜びを映していた。皆、ロキに遊んでもらった経験からこういった悪戯が大好物なのだ。
三女も文句をいいながら隣に座る姉に抱き着いている。
そんな姉妹たちを弟たちは羨みつつ、笑顔で文句を伝えた。
男女で別れた席順のせいでこういった席では長女の傍にいれないことを弟たちは皆寂しく感じるのだ。
「ふふ」
笑い声が響いた方を見れば母達が子供たちをみて笑っている。
アリシアと春姫が口元を抑えて笑い声をおさえようとしている中、アイズと並んで座っているリヴェリアは笑い声を抑えきれていなかった。
「ふふふ、ふっ。あはは──あまり、笑わせすぎてくれるな。愛」
リヴェリアに名を呼ばれた長女がこれまたお茶目さに拍車をかけるように「ぶい。で、ございます」と父と母達にむけて勝利のサインを指でつくって見せた。
普段お淑やかで愛らしく温かさで周囲を包む長女は臨機応変、機を見て俊敏である。ここぞという場面では自然に悪戯を挟むのだが、それが誰も傷つけずに皆を笑わせられるものであるのが親達や妹弟達の尊敬を集める理由の一つでもあった。
リヴェリアの笑い声につられるようにアイズも笑い出し、場が一気に笑い声に包まれる。
この場の主賓であるアイズとリヴェリアがわらっているのだからもう抑える必要がないと、アリシアと春姫も笑い声をあげた。
親達には一斉に転げるように倒れる子供たちの姿とそれを見て満足げな長女の笑顔がそれほど可愛らしかったのだ。
「こほんこほん。はい、皆。次こそ本当に、せーの、でございますからね?」
「姉さんが言いますか?」
「お姉ちゃんこそ、ほんとうにほんとうにする?」
「姉様の言葉なら皆信じてしまうのですからね?」
次は本当のせーのだと伝える長女の言葉に笑いながら妹弟達が文句を伝える様も本当に愛らしい景色で、親たちは頬が緩むのが抑えられない。
リヴェリアは笑いながら、この景色に長男がいてくれることの幸せを噛み締めていた。
(今年は……いないだろうと覚悟していた。ありがとう。ロキ)
長男として弟たちを代表として長女に抗議している姿は昔と変わっていない。幼い頃のままのような、子供でしかないというのに、ふとした瞬間にみせる佇まいや視線が所作が……もう子供というには大人びたように映り、その成長を際立たせているようだった。
間に合わないところをロキの手筈もあってこんなに早く着いたのだと伝えてきた長男の姿は一皮も二皮も剥けた立派なものだった。
子供の顔で迷宮都市に行きたいのだと伝えてきた一年前に比べれば一目瞭然な子供の成長に、母としてリヴェリアは迷宮都市でこの子を導いてくれている旧友たちへの感謝があふれていた。
「はい。では、参りますよ。……せーの!」
勢ぞろいした一家の子供たちが長女の口切に合わせて父と母のほうをむいて、口を大きく広げた。
『おめでとうございます!』
綺麗に揃った祝福に父と母は揃って頷いた。
毎年の約束事を今年も無事に過ごせる喜びが夫婦の穏やかな笑みから伝わってくるようだった。
◇◆◇
この日の夜は決して月が照らすような美しさには恵まれていなかった。
雲によって月の光も、星々の輝きも遮られて下界を夜の優しい暗闇で満たしていた。
だからこそ、その下界で営まれる人々の生活は夜空から見れば星々のごとく輝いていた、
「ここにいたか」
「母さん」
夕食が終わり、下の妹弟たちを風呂に入れ終わった長男が一人で中庭にいるとその背後からリヴェリアが声をかけた。
子供たちが皆幼い頃ならすでに終わっていた入浴時間も今では一応、男女別に分けられているためまだ終わっていなかった。他の家族は皆浴室か寝室であった。
「今夜は……優しい夜だな」
「……そう、ですね」
少年は咄嗟に他に誰かいないのか、周囲を確認した。
ほんの少しの気まずさが助け船があるかもしれないと願って無意識にそうさせた。
「……そんなに母が嫌いか?」
そんな長男の視線の彷徨い、逃げ道を探すような目に気が付かない母ではない。
リヴェリアは努めて
それは悔しさや悲しみであり少しの諦めも混ざった──愛情だった。
他の家族、他の母の前ではその目を純粋に喜びで輝かせる長男がリヴェリアと二人きりの時だけ、どこか逃げ腰なのは一年前と変わっていなかった。
リヴェリアが声に想いをのせようと努めるのは、決して理性的にも立場的にも頭ごなしに言いたくないと自分をいさめるためのものだった。
夫からそう助言されていた。
──「親子なんだからもっと想いを伝えた方がいい。わかりやすいほうが、いいと思う。……あの子は賢いけど、賢いだけじゃないから」
夫の意見はもっともだった。
自分は頭で考えすぎ、母として思いすぎている。
その自覚があったリヴェリアはただただ想いを口にした。
「すまなかった。謝る……私が、悪かった。嫌わないで欲しい。お前の身を、ただ案じて……それだけだったんだ。許してほしい」
ただ想いが口から溢れ出ると、予想外のものまで顔を見せた。
リヴェリアは自分でも驚いて目を拭った。
涙が、零れていた。
何の涙か、わからなかった。
悔しいのか悲しいのか、わからない。喜びではないのだけは確かだった。
「ぁ──母さん」
少年はそんな母を初めて見た。
いつも父の妻として、自分の母として凛とした立ち振る舞いを崩さない母がまるで自分より年下の娘のように泣いている。
その涙の色が、悲哀を映しだしていて長男は今すぐ妹に殴られたくなった。
それほどまでに母の姿は泣き崩れそうで、脆さを漂わせていた。
「私は、お前を愛してる。お前を誰より助けたい。お前を誰より応援しているぞ。私はお前を、お前を、愛してる。……心配してる。無事に、帰ってきてくれて、ありがとう──っ」
声が泣き声に変わって震える。
そんな声だけでは伝わり切らないと、リヴェリアは長男を抱きしめた。
胸に寄せて、頭を抱いて、どうか伝わってほしいと願いを込めた。
理屈などない、立場などない。
あるのは想いだけ。それだけあればいい。
「ずっと心配してる。ずっと愛してる。ずっと信じてる。……変わらないぞ」
長男を初めて抱いたあの日を思う。
種族を考えればそうはできない。もしかしたら恵まれずに添い遂げきるかもしれない。
そんな覚悟だってしていた中で分かった懐妊。
喜び勇んで夫ともに踊ったあの夜のひと騒ぎ。
本当に死んでしまうと思って産んだあの瞬間、聞こえてきた我が子の鳴き声。
その小さな小さな命をこの手に抱いたあの時から、我が子への愛しさが変わったことなどない。
「……嫌ってくれてもいい、とは言わない。嫌わないでほしい」
「母さん……」
「寂しいんだ。お前に気を使われていることが、悲しいんだ。もっと、もっと、お前の声を聞かせてほしいんだ」
「……母さん。おかあさん」
「何だって言っていい。私が下らぬこと言ったら、怒れ! いいな? もう……黙っていくなぁ」
あの夜明けに姿がないと知った時、長男が旅立ったとわかったときの、胸に穴が開いたような喪失感が今もリヴェリアを苛んでいる。
それを埋められるのは当人たちだけだった。
少年は幼い頃そうしたように、両手で母の腕を握った。顔を胸の下に隠すように密着させようとして──背が伸びた今では胸にうずめるように隠した。
リヴェリアにはそれが何を意味するか分かった。
幼い頃から家の長男として、男の子として、泣き顔を他人に見られるのを嫌がった少年がそれを隠そうとして抱き着いた時の物だ。
母の胸元に熱いものが広がっていっていた。
「おかあさん……ごめんなさい。ぼくが、僕がわるいんです。僕が逃げて……ぼくが……」
「いいんだ。お母さんが悪かったんだよ。お前は悪くない。ごめんなさい。ごめんね」
「おかあさぁん、おかあさん……!」
母の胸の中に隠した泣き声が静謐に包まれた夜の闇に溶けていく。
流した涙と、伝えられた想いの数々が、交わされた互いへの愛がお互いに生じていたズレを埋めて、喪失感の源である大穴を埋めていった。
「おかあさん、ぼくも、おかあさんが大好きです。大好きなんです。泣かせたくないんですぅ」
「うん。うん……お母さんもね、同じなんだ。お前が大好きなんだ」
お互いの想いを重ねて、抱き合う母と子の姿を覗く。そんなことが許されるのは残った父と妹しかいない。
中庭を見下ろせる部屋の中から、アイズとその三女は抱き合う二人の姿を見下ろして胸をなでおろした。
「……今度、ロキに会いに行かないと」
この景色を見せられてはロキの期待に応じないわけにはいかない。
アイズは家の主人として、一家でロキのもとを訪ねることを決めた。
わだかまりのない仲睦まじい姿を一家そろって見せられると、断言できた。
「綺麗な夜……」
娘が金の瞳をうるわせて、見下ろしていた視線を上にあげた。見下ろしていては涙がこぼれてしまいそうだった。
愛しい母と愛らしい兄がまた戻ってきてくれたのだ。
小さく鼻を鳴らした娘を胸に抱きよせてアイズは妻と長男を見下ろした。
その瞳は空に隠れた月の代わりのように黄金色に美しく輝いてた。
およみくださりありがとうございます。
以前アンケートで子供に関するもので、子供の名前を明記するかしないかというものをとらせていただきました。
その際の結果を参考にしつつ、一人だけ名前を一度だけという形でのせてみました。
ずっと当投稿作の中では長女として顔を見せている。アイズと春姫の娘。
愛姫さんです。
今回では想定している子供たちの中で新キャラ枠になりますが、三女(アイズとリヴェリアの長女)も登場しました。
一応子供の人数も決まっていて、歳の差や性別、名前とかも決まってはいます。
愛姫さんは、とてつもない器量よしで嫉妬するのが馬鹿らしく感じるほどのいい子なので、みんなに好かれています。
なのでベルの三男坊が結婚を申し入れた際にはアイズがブチ切れてベルと一緒に敷地外に追い返してます。手放したくない子。
今回私が発見したというか気に入った新しい表現が
「アイズ(あなた)」というリヴェリアからの呼び方で。
やはり、アイズと呼ぶイメージがぬぐえない中、しかし夫婦になれば呼び方も変わることもあると思っていてあなたと表記したのがアミッド編なのですが、こんかいルビであなたというのがすごくしっくりきて、これは好きだと。
どんどんリヴェリアに言わせたい。セリフです。
手が進んだのがこっちだったのでこちらを先に投稿させていただいてます。
次回は今の進み具合だと、アミッド編のエピローグか雌雄のどちらかだと思います。
よろしければ子供が関わる話はどうだとか、名前はどうだとか、いろいろご感想をいただけますと大変励みになりますのでよろしくお願いします~~。
ありがとうございました。