アイズ(男)×ベル(女の子)
【剣姫】と【愛兎】
初めての出会いはその後の二人をあらわしていたように真っ赤なものだった。
「あの……だいじょ──」
投げかけられた声が止まる。
投げかけた声が止まる。
真っ赤な瞳が真っ赤に染まった髪の奥でその想いを発芽させている。
黄金よりも艶やかに輝く金の瞳が金の髪の奥で想いを感じ取っている。
一瞬の空白。
と呼ぶには長く、長考と呼ぶには大げさな。
お互いがお互いを見て、感じて、湧き上がるものに困惑した数秒の時間。
後ろから呼ぶ仲間の激しい口調が目の前の可愛らしい女の子を萎縮させたのをアイズは確かに感じた。
「ぁ」
悲鳴を上げながら脱兎の如く走り去っていく真っ赤な女の子にあわあわと水中を漕ぐように差し出した手は届かず見送るしかない。
逃げられた。逃げられた? どうして?
もしや自分の鬼気迫る冒険者としての顔色がそうさせたのか? それとも──。
「……ベートさんのせいでしょ」
後ろで大笑いしている狼人の仲間の尻を蹴飛ばして、アイズはムっとした表情で仲間と瞬時の間、にらみあう。
「「ぶちころす」」
二人して同時に拳がとんだ。
一瞬早く狼人の拳が届くが、それより強い力でアイズの拳が狼人を殴り返した。
結果としては痛みわけ。拳の勝負なら二人は五分だった。
「うわ! なにしてんの!?」
「またベートがなにかしたの?」
激しい殴打の音を聞きつけて地を跳ねるようにやってきたアマゾネスの双子が驚いている。
五分五分の殴り合いは見慣れたものとはいえダンジョンの中では初めてだった。
慌てて止めに入る双子に羽交い絞めにされ、妹のその慎ましいながらも柔らかい身体になぜか先ほどの女の子を思い出しながらアイズは思った。
──あの子が怖がったのは、私じゃなくてベートさんのせいだから!
不満を顔に表してそんなことを思っているので追いついてきたリヴェリアにこれでもかと殴られるのはいたし方の無いことであった。
◆◇◆
「あのね。……聞いてる?」
「はい。エイナさん」
脳裏に浮かんだ情景に意識を持っていかれながら、ベルはギルドで自分を担当してくれている受付嬢のエイナに反射で頷いた。
「ふーん? ならさっき私が言った言葉を復唱してみて?」
「いっ……あ、あはは、あーー……あのね。聞いてる? で、です。ああ、ご、ごめんなさい。そうじゃないですそうじゃないです! ごめんなさい。上の空でしたっ」
「はぁ。まったくもう」
眼鏡の奥で翡翠の瞳に怒りの色が漂えばベルは平謝りするしかない。
ベルはエイナから説明を受けた最初のほうですでに妄想の世界に入り込んでいて、エイナからの注意を聞いていなかった。
そしてそれはわりといつものことではあった。
ことダンジョンに出会いを求める話になると自分の担当している子がポンコツ気味だということをエイナはこれまでの付き合いでよく分かっていた。
「いい? もう一度言っておくからね。今度はちゃんときくように」
姿勢を正したベルの様子によろしいと手癖でメガネを動かしながらエイナは再度警告を開始する。
「君が出会ったその人は、君の言うとおり【ロキ・ファミリア】のアイズ・ヴァレンシュタイン氏だね」
「はい。そうなんです! あれこそまさに【剣──」
「すとっぷ! 意識を飛ばしそうな興奮はやめなさい!」
鼻息荒く、というよりは鼻血でも噴出させそうな色合いにそまったベルの頭を丸めた羊皮紙の束で遠慮なく殴りつけながらエイナはこの手の話題になればどうしてこの子はこんなになってしまうのかと、普段のまじめでやさしいベルを知っているがゆえにがっくりしてしまう。
話したことは数度しかないがベルの主神である神ヘスティアも似たようなことを言ってため息をついていたのを思い出した。
──こほん。
自分に喝をいれてエイナは再度鋭い目線でベルを釘付けにする。怒られていると思わせられればベルの背筋も伸びるからだ。
「そう。【ロキ・ファミリア】の! ヴァレンシュタイン氏ね? ベル」
「? は、はい」
「そう! 【ロキ・ファミリア】の!」
「はい……?」
この子、これまでの説明を頭から吹っ飛ばしてしまっている。
この話題に関しては二人でお茶をしたときにも何度も話題に上がっているため、ギルドの担当とその冒険者という関係以外でも友達として話し込んだことだ。
エイナは年下の友達の抜けた顔にもう一度ため息を漏らしながらもちゃんと警告する。
「いい? ベル。ファミリアが違えば恋愛事情も難しいの。まして相手は【ロキ・ファミリア】の幹部の一人なんだよ? ベルの望んだ王子様にはハードルが高すぎるんじゃないかな」
「あ、あ。そのこと……」
忘れてました、と素直にうなだれるベル。
ファミリアに入るとは神様の子になること、神様のルールに従うこと。
それは別のファミリア同士では相容れない壁が明確にあるということだ。
「ベルが神ロキの目にかなえば【ロキ・ファミリア】に嫁入りするってことは可能かもしれないけれど──」
そういう玉の輿が無いわけではない。
実力が天と地ほどファミリア間で離れていれば格上のファミリアに移籍するというかたちで恋愛が成就することもあるだろう。
「でも、それには【ヘスティア・ファミリア】を抜けなきゃいけない。……ベル、できないでしょ?」
「はい。ヘスティア様はわたしの家族ですから」
エイナの問いにはっきりと頷くベルの姿は凛々しさすら感じさせた。普段の可愛らしい少女の姿だけではなかった。そこには自分の主神を誇りに思う眷族の姿があった。エイナがサポートしてあげたいと心から思う冒険者ベル・クラネルの姿である。
だが、そんな頼もしさと支えたい保護欲をかきたてる凛々しさが瞬きする間に失われる。
うるうると赤い瞳に艶色を溜め込みながらエイナをすがるように見る目は姉を見つめる妹のものだ。
「うーー、あーーでもーーアイズ・ヴァレンシュタインさん、すきぃ。格好いい……」
「恋に盲目なのは良いけれど、無茶はダメだからね。はい。復唱。冒険者は?」
「うう……冒険者は冒険しない、です」
「よろしい。……冒険は女の子としてやろうね」
またお茶でもしながら応援はしてあげるから。
そういってエイナは可愛い妹分の頭をなでた。
とうとう運命の人に出会ったのだと血にまみれた姿で戻ってきたときは何事かとエイナは抜かしそうになったが、格違いとはいえダンジョンに運命の人を探しにやってきたのだと言い続ける、頭の中が砂糖菓子なベルに訪れた恋心だ。応援はする。それくらいエイナはベルという女の子を気に入っていた。
「難題だけど応援するからね」
「うん。ありがとう。エイナさん」
だらしないがやさしい笑みを浮かべるベルを見れば、たいていの男の人はころっと行きそうな気もするので、本当に玉の輿なら可能性もあるんじゃないかなと、エイナは兎を思わせるベルの愛らしさにほんの少しだけ可能性を見出していた。
◆◇◆
ベル・クラネルは神ヘスティアの現状唯一の眷属でありその寵愛を一身に受ける女の子だ。
女性というにはまだまだ幼い出で立ちは神ヘスティアにどこか似ている。おそらく10年後も同じような顔をしているだろうと予想できるものだ。つまりは童顔なのである。
似ている風体の主神と眷属ではあったが大きな違いはその胸のサイズだ。年相応のサイズを出ないベルのものに比べてヘスティアの双丘は暴力的であった。
「はやぁ~~」
ベルの視線がその暴力的な胸元に注がれて固定されている。
そのまじまじとした視線は世界にはこんなものがあるのかという驚嘆による衝撃が色濃かった。
「なんだいベルちゃん。そんなに目を回して」
そんな自分の眷属の視線をうけることにも慣れたヘスティアは自慢げに胸に手をまわして見せた。
まな板のような胸を持つ神とは違い、ベルの視線には素直な畏敬の念しかない。誇らしく感じるものだった。
「神様、いつみても大きくて。なんだか目が回る気分です」
「ふふーん。安心したまえよ。ベルちゃん。君はまだ成長期だ。おいしいものを食べて成長すればボクのようになれるかもしれないぜ。可能性は無限大さ」
「ほ、本当ですか? 神様」
ヘスティアと同じように一糸まとわぬ姿になりながら、ぺたぺたと自分の胸を触っているベルの姿は大変愛らしい。ヘスティアほどでは当然ないが無いというほどでもない柔肉が少女の手のひらのうちで可能性を秘めているように見えた。
「おうともさ。君の背中にはボクの血が流れてるんだぜ?」
「え、ま、まさ……神様の血には豊乳の効果が……?」
「あってもおかしくは無いさ。ボクの眷属なんだからね! ……ということにしたら、新しい子とも巡り合えたりするかな?」
「え、え? お、女の子は集まるかもしれませんが……ど、どっちなんですか?」
古びた室内にくたびれた寝台が一つ。そこで身を寄せ合うように眠る時間。
その間際に二人でお互いの身体を拭きながら裸で話し合う二人の姿があった。
「それにしてもヴァレン何某くんか……確かにイケメンだし? 君を助けてくれたわけだからボクとしても悪いイメージはないよ? ボクとしてはね」
二人で裸になって眠る直前、ヘスティアはついに運命の出会いをしたのだと興奮気味に一日中はなしていたベルの頭をなでながら、とうとう現れた自分の子の初恋相手を脳裏に思い浮かべた。
いろいろといがみ合う仲であるロキのファミリアの幹部の一人は【剣騎】と呼ばれて迷宮都市では知らないものはいない有名人だった。
女神に勝る美しさをもちながら男であり、よく都市の中を歩いていれば黄色い声をかけられているのを見かける。つまりはライバルが圧倒的に多い。惚れても仕方の無い相手なのかもしれなかった。
「だからボクとしては婿入りしてくれるならいいんだけど……ロキは絶対に許しはしないだろうね」
「うっぐ、そ、それはやっぱり格の違いでしょうか?」
「いや……それというよりはロキが自分の大好きな子を手放すなんて想像できないんだよ。難しいね。……ボクだって君を手放したくないしね。だから婿入りだっていってるんだから」
「神様……」
よしよしと白髪をなでるヘスティアの手は自愛に満ちている。
それは最愛の子を目いっぱい愛し、目いっぱい励ます親愛であった。
「でも、だからといって諦める必要なんて無いんだよ。ベルちゃん。君は英雄譚に憧れて相応しい運命の相手にめぐり合えると思ってここにきたんだ。君が運命を感じた相手なら君とヴァレン何某くんは相応な相手に違いないよ」
「そうでしょうか?」
「なにを自信なさげにしてるんだい? さっきも言っただろう。可能性は無限大さ。今は相応しいと信じれなくてもいずれはそうなれるよ。ベルちゃんならね。……というかこんなに可愛い君をふるような男は見る目が無さ過ぎる! 嫁にだけは行かないでおくれよ! うーーっ」
「か、神様、苦しいですぅ。むぎゅっとしてますぅ」
下界の存在ではたどり着けない至高の存在。絶対的な頂が神なのであればヘスティアの胸はその一つだろう。
ベルはこの胸は殺人的だと今夜も思った。
(こんな立派なものがあったらそれだけで相応しいって思えるのかも……)
やはり神様は偉大だと偉大な胸を胸を持つ主神の血が背中に流れていることにベルは感謝した。
願わくばその言葉通り豊乳の効果がありますようにと祈る。
運命を感じたあの人に好かれますようにと。
◇◆◇
目の前でナイフを構える少女にアイズは戸惑った。
頭の中を満たすのはこの子兎のように可愛らしい少女に手痛い攻撃などできないという一致団結した議会がだした議決のみ。
剣を振るうなどもってのほか。拳も蹴りも避けたい。
とはいえ投げ技、関節技では触ってしまうのでは?
剣を投げ捨て地面に押し倒すのか?
それはなんとも変態的な所業ではないだろうか?
──やっぱり変態な神様の子は変態なんですね。
脳内で冷たい、いや、失望して潤んだ紅瞳をむけてくるベルの姿に必死に言い訳している自分がいる。
(いや、違う。私はロキとは違う。そのえっと、あのえっと)
脳内でそれでも手洗い攻撃はダメだと議決が揺るがない中、視線の先では身構えたベルが少し戸惑い、動き出そうとしている。
アイズが動かないのを見て自分から動こうというのだろう。
それは間違いではない。技量には隔絶した差があり、ステイタスも同様だ。アイズが攻めに回れば訓練にならない。ベルが攻めるべきだ。
(これは訓練、訓練なんだから──)
ベルにとっては全力、これより速い動きなどない速度で繰り出されるナイフの一撃を羽虫が止まる思いで見つめながらアイズは冒険者の先達として、危険なことはしないという議決を出した議会を乗っ取り、手本になる暴力を選択させる。
(ごめん)
決めてしまったが最後。
瞬く間に翻ったアイズの身体が、蹴り上げた足が、ベルを捉える。
アイズができる限りの手加減をしたつもりでもベルは一切反応できていない。
命中と同時に吹っ飛び、目を回して気絶した可愛らしい少女の姿は自分を慕ってやまないレフィーヤを彷彿とさせた。
「またやりすぎちゃった……」
どうして自分はこんなにも教えるのが下手なのか。
フィンやガレスのようにどうしてできないのか。
まだ一日は始まったばかりだという朝靄に包まれた時刻から早速自己嫌悪に見舞われながら、アイズはおずおずとたんこぶを作ったベルの頭を膝に乗せてその目覚めを待った。
(可愛い……)
兎のような白くふわっとした髪を恐る恐るなでる。
このベルという少女の魅力は何なんだろうかとアイズは思う。とても可愛らしいと思ってしまうのは外見だけの話ですまないと感じていた。
(レフィーヤやティオナたちだって可愛い)
アイズの周りには美女があふれているといっていい。
母親のように想うことがあるリヴェリアを筆頭にロキの趣味で集められた【ロキ・ファミリア】の団員は美女ぞろいだ。
その中にベルを投げ入れればそれほど目立つような美女ではないとも、感じる。
客観視するアイズの冷静な部分がリヴェリアやアリシアのほうが美人なのではないかと、訴える。
にもかかわらず感じるこの愛おしさは何なんだろうか。
「……こんなの。はじめて」
撫でる手が優しさと愛おしさを伝えようとする。
感じたことのない想いがアイズを満たしていくのと同時に、白髪を膨らませる痛々しいたんこぶに申し訳なくなった。
【剣騎】として迷宮都市に名高いアイズ・ヴァレンシュタインは剣の腕前もそうだが、その外見でも迷宮都市の中で有名な存在だった。
女神より美しい男なのだから当然ともいえるその風評は男装の令嬢ではないのかといわれる有様で大いにアイズを不快にさせてきた。
男らしさをアピールするためにさまざまな機会をみつけては挑戦してきたが一向にその手の話題が尽きる気配は無かった。
そんな中、自分を何一つ疑うことなく格好いい男性だと慕ってくれる女の子がベルであった。
女性のように美しい男性と露ほども思われなかったのはアイズにとって経験の無い慕われ方だった。
レフィーヤやティオナですら、出会った当初は自分を女だと思っていたというのに。
初めての出会いから、酒場での出来事、小さなすれ違いを経て、一緒に訓練をするような間柄になった現在、ファミリアの垣根を越えた機会をともにしている理由にその慕われ方が嬉しかったという気持ちが無いといえば嘘になってしまう。
そほれど心地のいい好意の向けられかたであった。
「ベル。武器にだけ意識を持っていかれてるよ」
「は、はい!」
「自分の武器も、相手の武器も、そう。武器だけが手段じゃない」
「はい!」
最初に気絶させてしまってから、すでに何度倒しただろう。
言葉にして指摘するという時間をつくり何とか指導という体面を維持しながら、アイズは必死に言われたことを身に着けようとするベルの危なげな姿をみているとつい指導に熱が入りそうになるのを抑えなければならなかった。
(こんなに可愛い子が、まだ未熟な子なのに……)
アイズが経験したことが無い、仲間がいない環境。教えてくれる先達がいないファミリア。そこがベルの家だった。
ベルが守りたくて支えたい家族がいる場所だった。
何かあったときに助けてくれる人がいない。ベルが助けなければならない場所だった。
(あ──)
まだ不慣れさを消しきれないナイフを、その不慣れさゆえに強く切り返してしまい、ベルがナイフごと地面に吹っ飛んだ。
限界まで武器を手放さない強さも感じつつ、またやりすぎてしまったとアイズはベルに駆け寄ってその手をとった。
「ごめん。大丈夫?」
「は、はい。へ、平気です!」
握り返してきたその手は痺れきっていてとても弱弱しい。
とても平気ではない。
無理をさせていると感じるからこそ、余計に申し訳なく、アイズは休憩だとその場に座り込んだ。
「少し、休憩しよう」
まだやれますというベルを強引に隣に座らせて休憩する。
無理をさせないためにこうして休みをとろうとする自分に気がつき、普段との違いが浮き彫りになったようで動きが止まる。
無茶をするなと怒られている自分が、誰かの無茶をとめる立場になろうとは。
「君は──」
私を成長させてくれるのかな。
そんな言葉をのみこんだ。
フィンのように緻密に冷静でもなければ、ガレスのように大胆でもない。
場当たりで何とか体面を保とうと必死な指導しかできない自分が、大きなことを言っていいはずも無い。
「アイズさん……?」
不思議そうにこちらを見つめてくる紅の瞳に少し赤みがある。
恥ずかしそうにしているのだ。女性の顔を眺めすぎたとアイズはゆっくりと視線をはずした。
リヴェリアからもよく注意されていることだった。女性の顔を不躾に見つめてはいけない。
(またやってしまった……)
本当に大きなことは言えた身ではない。
アイズは陽光に照らされだしたつかの間の休憩時間にしっかりせねばと気合を入れなおした。
(ど、どどどうしようぅ)
ベルは現状をどうにかする必要は無いのになぜかどうにかしてしまおうとかと動いてしまう自分の爆発的な心臓の音を、どうか想い人に気づかれないようにと願った。
片思いを寄せる相手との訓練という心躍る時間の中にうまれた休憩時間。
そこでどういうわけかその相手の隣でベルは横になっている。
隣を見ればアイズが静かな吐息を発していて眠っている。
(うわぁ、睫毛綺麗。格好いい。素敵、ふあぁ)
ベルは初恋の相手のこんなそばで、それこそ片腕に抱かれるような距離で穏やかに眠れるほど男慣れしてはいなかった。
ともに過ごした異性など性別を意識したことが無いおじいちゃんだけだったのだから仕方が無い。
スーー、ハーー、スーー。
穏やかな呼吸音、胸が小さく上下し、神々が手掛けた造形物のように思えるほど整った顔立ちのなかで薄紅色で艶やかな唇が小さく開いている。
ベルは自分の唇を控えめに抑えた。
(綺麗……好き……格好いい、アイズさん)
指先で抑えた唇から声が漏れだしそうなほど初恋を抱えたベルの内側は過熱状態だった。
毎晩傍で眠るヘスティアから「暖かいなぁ。ベルちゃんは」と抱き着かれるほどにもともと体温が高い体質だったが、今では見るものが見れば施療院にでも運び込むような熱がはっきりと見て取れる有様だった。
ベルはそっとアイズの片腕に身を寄せてしまおうかと先ほどから逡巡している。
元よりファミリアの格が違う間柄。こんなふうに寄り添って眠れる機会は最初で最後かもしれない。そう思えばその腕にそっと手を重ねて身を寄せてしまいたい。
だが、そんなことをすれば高鳴る心臓の鼓動が伝わって、アイズを起こしてしまうだろう。
(アイズさんはこんなにも格好いいんだ。いろんな人から恋焦がれているに決まってる)
……迷惑に思われたら、やだ。
この時間が奇跡なのだ。
この距離でこうして見つめていられることが望外のご褒美なのだ。
そう思えば、これ以上の偶然や、奇跡を期待してはいられない。
だからベルは口を押える。
漏れ出しそうな自分の欲を押さえて、目を閉じる。
(今──)
この瞳を閉じている間に、この欲張りな唇を塞いでもらえたら。
そんなことが現実になればきっと幸せ過ぎて現実ではないのだろう。
──これが夢で終わるよりは今のままがいいな。
うん、それがいい。そんなことを考えながらベルはうとうとと眠りについた。
目が覚めてもう一度訓練を続けられるように、夢ではないようにと願いながら。
終
剣姫も雌雄もまた書きます。