※この作品はR-18です。

楽園   作:しゅとるむ

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シンエヴァ・ラストランの特典冊子に収録されたパーカー姿の五人のチルドレンのイラストにインスパイアされ、執筆しました。

アスカ×シンジ、カヲル×レイです。ご留意ください。







第一話 La Rêve 夢

 美しい夢の中、ヤドヴィガは

 やさしく眠りに落ち、

 善意の蛇使いが奏でる笛の音を聞く。

 月が川(または花)、樹々に映え、

 野生の蛇が楽器の陽気な音に耳を傾ける。

 

  アンリ・ルソー

 

◆

 

 その島は楽園と呼ばれていた。

 

 かつて世界の命運を賭けた戦いを繰り広げてきた少年と少女たちだけが住まう島。

 

 島は最も近い大陸からも船で数日離れ、訪れる外界の者は誰も居ない。おそらくは、その場所を知るものさえ居ないだろう。

 

 岸壁から、装甲板だけの脱け殻となったエヴァンゲリオンが幾体も墓標として沖合に並ぶのが見える。少年と少女たちがそれを眺める度に、ちくりと胸を指すが日々薄れゆく痛みと、決して忘れ得ない思い出の数々を思い起こさせてくれる。

 

 この場所に他の四人の運命を仕組まれた子ども達……すなわち、シンジ、アスカ、レイ、カヲルを連れてきたマリは言った。

 

「もう、外の世界には煩わされなくていいんだよ。みんな沢山傷付けて、傷付いたんだから。ここには食べ物も水も最小限の電気も、なんならクレーディトの遺失技術による医療機械まで有る。およそ人として生きる為に必要なものは一通りは揃っている。だから、ここで皆で暮らそう」

 

 五人の少年と少女は、みな十四歳で、水着の上に揃って、白いフード付きのパーカーを着ている。後ろから眺めると、それはまるで、かつてのプラグスーツのようなデザインで。だが、戦うための機能を全く持ち合わせない純白のパーカーに少年たちの心は包まれ、安らいでいた。

 何より五人の誰一人としてこの場に欠けて居ないことがシンジには嬉しい。シンジの願った新世紀(ネオンジェネシス)がここにあった。

 

「でも、本当にそんな事をしていいのかな?皆から逃げるようなものじゃ……」

 

 マリの宣言に対して最初に反応したシンジには、まだ幾らか後ろめたい気持ちがある。

 

「ニアサーを起こしたのは僕なんだ。世界がそれで滅茶苦茶になって、やっぱり責任を感じるな……」

「でもフォースインパクトやアナザーインパクトを止めたのもあなたよ、碇君」

 

 シャギーにカットしたショートカットの少女、綾波レイが静かに、しかし、励ますようにシンジに言った。

 

「シンジ君には、充分、楽園に憩う資格があるさ。他の皆もそうだよ。皆でこの世界を救ったんだ。安らぎこそが今の君たち、僕たちには必要だ」

 

 白髪の美少年、渚カヲルもシンジの心を包み込むように、優しく微笑む。

 

「カヲル君……」

「そうよ、シンジ!アンタはそろそろ自分の幸せを考えてもいい」

 

 金髪の少女、アスカは力強く言葉を発して、自らの言葉に頷く。両の目に異常はなく、眼帯はしていない。髪を腰のあたりまで伸ばし、ちょっとふんぞり返って腕を前で組んでいる。それが、シンジにはアスカらしい態度だと思える。そして、その事がシンジの心を温かいもので満たしていく。やっと、アスカを取り戻したんだ、と。

 

「自分を幸せに出来ないなら、他人を幸せにすることも出来ないんだから」

 

 アスカの表情はまだ固いが、その青い瞳は、シンジだけを真っ直ぐに見つめている。

 

◆

 

 島はどこの国の、誰の所有物というわけでもないようだった。かつて持ち主は居たのだろうが、もう亡くなっているのだそうだ。

 

「沢山の人が亡くなって、土地もコア化されたけど、これからコア化があちこちで解けていく。最盛期の人口の十分の一程度かな……僅かに残った人類にとって、土地なんて何処にでもタップリあることになるよ。この島一つぐらいは拝借して誰も困らない、と思う。ま、エヴァパイロットとして遂に払って貰えなかった人類からの感謝状だね」

 

「みんなでここに住むって、5人で同じ家に暮らすの?」

 

 シンジが疑問の声を上げた。今居るのは、島のほぼ中央に位置する建物で、そこそこの広さのゲストハウスのような代物だった。この島に持ち主がいた頃には離島リゾートの中心地になっていたのだろう。

 

「いや……姫とわんこ君。渚君と綾波さんが、それぞれ一緒に暮らすのがいいと思うよ。もうその組み合わせで納得してるんでしょ?」

「そりゃ、ま、そうだけど……少しいきなり過ぎるっていうか」

 

 アスカは自慢の金色の綺麗な髪を弄りながら、戸惑い気味に言った。

 マリは訳知り顔で言った。

 

「男の子と女の子が一緒に暮らすのが自然だよ。それが人間なんだ。それに、人間いつどんな不幸があるかは分からない。幸せになれる時に幸せになって、不幸な時や辛い時には二人で支え合うのがいいよ」

 

 マリはそう言って微笑んだ。

 

「北の入江と南の入江に小さな小屋がある。寝具や最低限の食料、家財は置いてあるから、狭いだろうけど、当面はそこに住みながら、段々活動範囲を広げていけばいい」

 

 それからマリは二組に島の略地図を渡すのだった。

 

「なんか、宝島を探検するみたい」

「アスカ、こういうの好きなんだ」

「だって、面白そうじゃない」

 

 こういう場面で見せるアスカの年相応の無邪気さには屈託もない。

 

「滝があったり、洞窟があったり、みんなで探検しても楽しそうだね、カヲル君」

「そうだね、シンジ君。いいと思うよ」

 

 男子たちも少し胸をワクワクさせながら、新しい世界に期待を膨らませる。

 綾波レイは不思議そうに地図を逆さまにしたり、目を細めて、矯めつ眇めつしていたが、

 

「渚君。私も連れて行ってくれる?」

 

 とポツリと呟いた。

 

「もちろんさ。これからは、どこにでも一緒に行こう」

 

 渚カヲルが綾波レイに微笑みかける。

 

 それで、軽食を持参して、昼になる前に二組は出発することになった。シンジとアスカが、北の入江へ。レイとカヲルが、南の入江へ。マリは島の中央のゲストハウス風の建物に住むことになった。

 

「私だけ広い家で悪いけど、これでも結構仕事は大変なの。発電機やバッテリーや緊急時の無線のメンテナンスから、医療機械や医薬品のチェック、補充。必要なものがあれば、ヨットで定期的に大陸に行って買い付けてくる。物々交換になるだろうけど、ネルフやヴィレの隠匿物資をあちらこちらと、かなり押さえてるから」

 

 とマリは言った。かなり前からこの島を元エヴァパイロットのチルドレンたちの隠れ家にすることは準備していたらしい。だから迎えに行くのが遅くなった人もいる、と悪戯っぽく片目をつぶった。

 

「それから昼食は出来れば明日から、毎日みんなでゲストハウスで食べよう。食事当番を決めてね。朝食と夕食はそれぞれの御夫婦水入らずで。朝と夜はみんなゆっくりしたいだろうから」

 

 と言うと、二組のカップルはそれぞれにぎこちない反応を示した。シンジとアスカは顔を少し赤くし、カヲルとレイは小首を傾げるように不思議な顔をして。

 

 夫婦の時間、友人との時間、そういう大切な時間を織り交ぜて、楽園の時間は紡がれていく。そういう世界にこの楽園を形作っていきたい、私はそれを見守って行きたい、それが真希波・マリ・イラストリアスの願いだ。

 

「それじゃシンジ君。惣流さん。また明日の昼にでも」

「碇君。元気で。また明日。さようなら」

「んじゃね、渚カヲル、綾波レイ」

「うん、また明日、みんな」

 

 四人はそれぞれにしばしの別れを告げ、マリから与えられたバックパックを手に取って歩き始める。

 

「明日の昼の昼食当番はアタシが勤めるよー。お昼はカレーだよ~、楽しみにしててね」

 

 マリはそう笑いながら、善意たっぷりの蛇使いみたいな顔をして、大きく手を振って四人を見送った。

 

 アスカとシンジの二人はこうして、北の入江に向けて出発した。アンリ・ルソーの名画「夢」にでも出て来そうなむせかえるような甘い匂いと、緑の色濃い亜熱帯の森。そこに僅かに切り開かれた人の為の道を二人は手を繋ぎ、シンジを前に、アスカを後ろにゆっくりと歩いていく。

 

「なんだかマリさんに仕切られっぱなしだったね。前からあんな仕切り魔な性格なの?」

 

 シンジは手を引くアスカに雑談めかして、マリの事を尋ねた。まだ、真希波・マリ・イラストリアスという人物についてシンジはよく知らないのだ。

 

「アタシも知らない」

「え?」

「だから、知らないわよ。アタシは式波じゃなくて惣流・アスカ・ラングレーなんだから」

 

 厳密には式波・アスカ・ラングレーの記憶も引き継がれているが、それは彼女にとって、あくまでも他人の記憶というか、映画で見た情景のように現実感が薄かった。そんな実感のない記憶で、他人の人となりを説明するのも気の引ける話だろう。

 

「あ、そういえばそうだった……ね。ごめん、僕はアスカを二人とも知ってるけど、つい記憶が混乱して」

「別にいいけど。……シンジはシンジなんだよね」

「うん。僕はエヴァの円環に関する全部の記憶を保ってる」

「それなら、アンタと夫婦になる前に、やっぱり聞いておきたい。その事がすっきりしないうちはアタシは前には進めない」

「な、何を」

 

 アスカの余りにも真剣な表情に、シンジは僅かにたじろぎ、唾を飲み込んだ。

 

「ケンスケによろしく、ってのは、あれは結局なんだったわけ?」

 

 アスカはずばり核心を付いてきた。シンジの胸をズキリと心の痛みが走る。それは今、こうしてアスカと手を繋いでいても、あまり考えたくない記憶だった。シンジは稚拙な言い訳を返す。

 

「……そ、それは……第三村にいる友達だから、単によろしくって」

 

 アスカは厳しい顔で首を左右に振った。その間も繋がれた手は解かれず、二人の歩みも止まらなかった。

 

「あれは絶対そういう意味じゃないわよね。相田にならアタシを譲ってもいい、ってこと?もし、そうならこんなにアタシの意志を無視して、アタシを馬鹿にした話しはない!」

「……だ、だって、あの時は僕も戻ってこれない積もりだったから」

「死ぬ気だったってこと?」

「まあ……そうなる……」

 

 あの時、シンジはすべてのエヴァンゲリオンを消滅させ、エヴァのない世界を生み出そうとしていた。エヴァ初号機を自分自身と共に屠り、自分のして来た事、して来なかった事の全ての落とし前を付ける積もりだった。しかし、それを母ユイが救ってくれたのだ。

 

「で、だからって、なんで相田なわけ?」

 

 それこそが、アスカにとって極めて納得が行かなく、不愉快な点だった。シンジは何か勘違いしてやしないか。

 

「だって……アスカが仲良さそうだったし、アスカの居場所になれるって思ったから……」

「そりゃ式波は……あの子には、相田ケンスケは少しだけ特別だったのかも知れない。式波とアタシは違う─あの子は今、アタシの心の一部になってるけど、あくまで別人だから─勝手にアタシがあの子の心の内を暴露したり代弁していいのか、多少、躊躇いもあるけど、あの子にとっても、相田は決してそういう対象じゃなかった、とアタシは思うわよ。だってあの子、相田と何もしてなかったもの。アンタの事ばかり気にかけてたんだもの。アタシはシンジにあの子を信じてあげて欲しかったと思うわよ」

 

 そんな、同時に二人の男への想いを保持できるほど、あの子もアタシも器用な女じゃない。どうせシンジには分からないのだろうけど。

 

「……アスカ」

「まして、アタシ、惣流・アスカ・ラングレーにとっては相田なんて何の関係もないわよ。確かに一見して大人っぽく見えたし、こちらのアイツはアタシの知ってる盗撮魔のカメラ小僧だった頃から成長した、まあ……いい奴なんだと思う。でも変な勘違いさせたらかえってアイツが可哀想だと思った。だからエントリープラグがアイツの家の近くに打ち出された時、アタシは降り立って、キッパリ、あの家には入れないと言った」

 

 だから、シンジとマリが第三村に迎えに行った時、アスカはケンスケの家ではなく、鈴原ヒカリの家に厄介になっていたのだ。それがシンジをホッとさせた。アスカを連れ出す時に勇気を出せた理由でもある。

 

「相田は多分、式波アスカが好きだったのね。でも式波アスカはもう居ない。オリジナルの式波に吸収されて一度消え、アタシに統合されて、けっきょく惣流のアタシだけが残った。相田の好きだったあの子はもう居ない、そう言ったら、アイツ少し俯いて、寂しそうに笑ったな。そして、式波は精一杯頑張って生きたんだな、アイツらしい……と弔辞みたいに呟いていた。それにはアタシも胸打たれた。式波アスカはあの不器用な生き方に、最後に理解者を得られたんだな、って。でも、だからといって、相田の気持ちをアタシが受け入れる訳にはいかない」

 

 人間って、大抵の好意は一方通行で、だから実らない想いも殆どで、しんどい。でも、一方通行の好意がいつも迷惑な訳じゃない。アタシが相田の気持ちを受け入れられないのは純然たるアタシの都合で、相田が悪いわけではこれっぽちもない。たぶん、式波アスカは相田の優しさや、それ以上の感情に気付いていたのだろう。それはくすぐったくて、少し居心地のよい感覚だったに違いない。愛されるというのは確かに嬉しいものだ。だから、式波の曖昧な態度は必ずしも非難されるべきものだとは思わない。何より、幾ら想っても返ってこないシンジへの想いのようなしんどいものを返さなくていい相田からの一方的な想いは、たぶん、式波アスカにとっては一面では気が軽くなるものだったろう。でも、だからといって、式波が相田を愛していたとはアスカには思えなかった。

 

(あの子だって、アタシと同じだから、いつも心の奥にはアイツがいる)

 

 そのはにかむような笑顔がたまにしか見れないからヤキモキするけど、本当はいつだって、シンジの笑顔を見たいと思っているのだから。

 

 一つだけあの子が勘違いしていたのは、綾波タイプのように、式波タイプにもシンジへの好意がプログラムされていたと思い込んでいたこと。それは式波の絶望であり、自分の想いへの不信であり、シンジへの愛を成就に至らしめなかった原因であったが、恐らく式波の単なる誤解だ。

 

 綾波タイプには母親の子供に対する想いが刻み込まれていたのだろう。母性本能、母の子に対する無償の愛、それが予めプログラムされた愛の正体というわけだ。でも、式波タイプにそんなものが刻み込まれるわけがない。惣流にせよ式波にせよ、アスカはシンジとは他人なのだから。どうしようもなく赤の他人だからこそ、こんなにも恋い焦がれ、シンジを求めてきたのだから。アスカは、式波に今からでも言ってやりたかった。

 

 ─あなたの恋心は本物だったんだよ、と。

 

 クローンでない惣流・アスカ・ラングレー。

 クローンだった式波・アスカ・ラングレー。

 でも、どちらも人間であることに変わりはなく、シンジの事が好きだったのだ。そうだと言うのに、シンジと来たら─

 

「それなのに、アンタはアタシをアイツに渡そうとした。アタシやあの子を信用してなかったの?あの行動の意味を、理由を、ちゃんと説明してくれないなら、アタシはあんたを一生怨むと思う。許さないと思う」

 

 シンジは暫く返答に逡巡し、それから少しだけ拗ねたような声で答えを寄越した。

 

「……だって、ケンスケのこと、ケンケンとか呼ぶんだもの」

「は?何よそんな事なの?!」

 

 アスカの声が思わず跳ね上がる。

 

「だって、何だか凄く距離が近い気がした」

「確かにあの子は、色んな渾名を付けるのが好きだったみたいね。エコヒイキ、ナナヒカリ、コネメガネ、ガキシンジ……でも、多分、それは寂しいから。普通でない呼び方をして、親密さや特別さを演出し、少しでも周囲の他人との距離を縮めたかったんでしょう。だから距離が近く感じたのは当然よ。アタシなら、バカシンジ、の一つだけで十分なんだけどね」

 

 アタシには距離を縮めたい相手というのは一人しかいないから。だから、バカシンジだけで良かった。でも式波アスカは─クローンとして生まれたアタシの可哀想な分身は、色んな人との出会いの中から、人間らしさを見つけようとして、その距離感にもがいていたのかも知れない。

 

「で……でも、ケンスケの前で半裸でウロウロしてたり、僕が家に帰ると二人で話をしていたり、ビデオを取ってるときもなんだか夫婦みたいに見えて……」

「いや、半裸は確かにちょっとどうかと思うけど、シト化すると生殖力がなくなるから羞恥心もなくて……あと、別に話ぐらいはするでしょ……そんな子供みたいな事を言って……。要するに、アンタのその気持ちは何?」

 

 きちんと、自分の気持ちを分析し、腑分けしてみなさいよとアスカはシンジに水を向けた。たぶん、そこに二人でこれから進むために必要な答えはある。

 

「……嫉妬してたんだ。アスカが、もう僕のものじゃないなら、決して手に入らないものになったのなら……要らないんだって思おうとした。欲しがってすがりついて拒絶されたらと思うと怖くてたまらなかった。どうせ死ぬ積もりだったから、最後にアスカのいい思い出になって欲しかった。惨めな未練なんか見せたくなかった」

 

 つまりはあの時、シンジが最後にアスカに残したかったのは、本音をさらけ出したみっともない自分ではなく、綺麗にラッピングして取り繕った自分だったということになる。でもそれじゃ、駄目なんだよ……シンジ。見せたい自分を見せてるだけじゃ、相手の心には届かないの。だってそれじゃ相手が本当は何を考えてるのかいつまで経っても分からないもの。シンジは、やっぱり、こういう所が駄目なのよね。アタシは心の中でちょっと嘆息した。アタシが付いていないとシンジはやっぱり駄目な男の子。

 

「ばかね。あの子も、アタシも別に相田のものになんかなってない。リリンでなくなったシトにはそういう色っぽい事は出来ない……らしいけど、そもそもそんな積もりも端から無かった筈よ。アンタがそういう自棄を起こさなければ可能性すら芽生えなかった。どうして自分の気持ちに素直になれないの。アンタ、どうしていつもそんな風なのよ」

「……ごめん、でも、アスカは……僕には何だかいつも上手く行かない相手で、いつだってチグハグな事をしちゃって……」

 

 きっと、シンジにとっては、レイもマリもそつなく付き合える相手なのだと思う。しかし、そのそつのなさが、アスカに発揮される事は稀だ。いつだって、シンジはアスカ相手に失敗し、うろたえて、醜態を晒す。

 

(それって、要するにシンジにとって、アタシだけが特別なのよ。だから失敗する。好きな相手には誰だって上手に振る舞えないわよ、お互いまだ中学二年生なんだから)

 

 恋が上手く行かなくて、相手の気持ちとすれ違って、誤解して、拗ねて、少し自棄になって、勝手に気持ちを過去のものだということにして、それで好きな相手を親友にあげてしまおうとした……酷い話だが、中学生の未熟な恋愛として見れば、別に不思議な話でもない。年齢相応で、だから、アスカはシンジが成長している、大人になったなどとマリなどから言われても信用する事が出来ない。

 

 でもそれでいいのだ。二人はまだ十四歳、中学二年生だ。悲壮な恋に胸を張り裂かれ、破鏡を嘆き、永遠の惜別をこれからの人生で引きずっていく必要など全くない。幸い、式波アスカとシンジを悩ませた、時間の差、年齢の差は、惣流・アスカ・ラングレーと碇シンジの間には無かった。十四歳から同じ時間を刻みながら、少しずつ成長していけばいいのだ。

 

「ま、あらましは大体分かったわ。アンタはアタシと相田とのことで誤解をし、やきもちを焼いた。プライドも邪魔して、アタシに告白するのが関の山。綺麗なお別れとやらで、アタシの幸せを願ったってわけね」

「う、うん」

「じゃ、良いことを教えてあげるから、耳をかっぽじってよく聞きなさい。いいわね?」

 

 二人は立ち止まり、シンジは神妙な顔をして頷いた。アスカは耳元で思い切り大きな声を上げる。

 

「こんのぉ……大バカシンジ!!」

 

 突然の大声に、シンジはびくっと身体を振るわせ、目を見開く。しかしアスカの剣幕は止まらなかった。ちゃんと言って聞かせてやらなくては、シンジには到底分からない事がある。弱くて、いくじなしで自信のないシンジをアタシが叱咤激励してやらなくて、誰が出来るのだ。だって、シンジはアタシのバカシンジなんだから。

 

「好きな女の子の事でそんな風に弱気になるんじゃない!親友だろうが何だろうが女を譲ろうだなんて絶対に思うな!アタシは物じゃない、勝手に譲られる筋合いもなければ、本当に好きな男の事を諦めさせられる筋合いもない!以上!」

 

 手を片方では繋いだまま、片手だけでシンジの襟を掴みながら、一気に言ってのけて、まくし立てると、ようやくアスカは晴れ晴れとした表情になった。

 

「ああ、すっきりした。これで一生、アンタを怨まなくて済んで良かった。けっきょく、やきもち焼きのシンちゃんの情けない大暴走だったって分かったんだもんね」

 

 シンジはちょっと寂しそうに笑って、頭を下げた。

 

「アスカ……本当にごめん。アスカの気持ちも確認せず、きっと確認する勇気がなくて、アスカの回答を聞かないで済むような行動を勝手に取ってしまった。やっぱりアスカのことが僕にはとても不安なんだ」

「いいのよ。アタシの責任じゃないけど、式波も、メンタルの細いアンタをヤキモキさせた罪はある。アタシがそれに巻き込まれるのは堪ったものじゃないけどね。それに……」

「それに……?」

「アタシ、もちろん処女だよ。ファーストキスはアンタ。だから、まだ何も終わってないし、始まってもいないんだから。ちゃんと頑張んなさいよ……」

 

 そして、アスカはシンジに引っ張られている手に、そっと、先ほどまでシンジの襟元につかみかかっていた、もう一つの空いている方の手を重ねる。

 

「そういえば、もう一つ聞きたいことがあったんだ。真希波マリから聞いたけど、アンタ、エヴァが最初から存在しない世界に生まれ変われるっていう選択肢も示されてたのに、この滅びかけの世界に残ったんだってね、それはなぜ?」

「だって、僕はこの世界に生まれた人間だから。この世界で酷いことをしたからって、他の世界に逃げるのはやっぱり卑怯だよ」

 

 うーん、その答えだと四十点、かな。

 

「それに、ニアサーで文明の崩壊した世界にアスカを残して、僕だけがエヴァも戦争もない世界でのほほんと生きるのは、とても堪えられない」

 

 うん、少し良くなった。七十点。

 

「他にはないの?この世界に残った理由」

 

 シンジは大きく息を吸い込むように溜めを入れて、それから言った。

 

「……もう一度、アスカに会いたかった。たとえ、他の誰かとくっついていても、僕はもう一度アスカに会いたかった。アスカが幸せかどうか確認して、勝手に送り出してごめんと謝りたかった。そして、でももし、まだアスカが独りだったら、振り回してばかりで本当にすまなかったけど、一緒に来て欲しい、そう言いたかったから」

 

 ……そう、それでいいのよ。大負けに負けて百点満点にしてあげる。

 

 アタシはすごく嬉しかった。

 だって、アタシもシンジにもう一度会いたかったから。二人の想いが同じだって分かったから。

 そうと分かったら、もう二度と離れたくはない。

 シンジはほっとしたような顔で言うのだった。

 

「間に合って良かった」

 

 シンジは迎えに来るのが遅ければ、アタシと相田がどうにかなってしまうというのを恐れていたのだろう。だけど。

 

「間に合わない筈がないのよ」

 

 アタシはずっとずっと待ってるんだから。アンタが来てくれるまで、ね。

 

 北の入江の小屋が見えてきた。アタシたちはそこで今夜結ばれて、夫婦になるのだろう。不安はお互いにもう何もない筈だ。そして、それは単なる出発点にすぎない。おとぎ話の世界ではないのだから、幸せになれるかどうかは二人の努力に掛かっている。思いやりや優しさに掛かっている。

 

 アタシはお互いに愛の言葉を交わしあい、ベッドでいよいよ結ばれる二人の姿を想像した。女の気持ちの奥底を揺さぶるロマンチックな夢だ。

 

 愛の言葉……か

 

 あれ、そういえば、まだアタシ告白してないんじゃ?

 

 アスカは突然その事に思い至り愕然とした。

 

 式波アスカはシンジに過去形の形を借りて、好きだったと告白した。シンジもそれに応じて、やはり過去形の形で告白した。

 

 でも、この惣流・アスカ・ラングレー様は別にシンジに告白してもいないし、告白もされてないわよね─

 

 シンジは相変わらず、円環の全てを記憶するものらしく、惣流も式波もごっちゃになってるんだろうけど、アタシ、惣流・アスカ・ラングレーの主観では、式波アスカのような、シンジとの大告白大会はまだ行われていないのだ。

 

 そんな状態で、シンジとの初夜を迎えるのはちょっとマズいんじゃないの……夫婦になるというのに、告白もしていないなんて。

 

 惣流・アスカ・ラングレーは、にわかに焦りを感じ始め、北の入江を目前にして立ちすくむのだった。

 

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