長干行 李白
十四にして君が
羞じし顔は未だ嘗つて
頭を
千たび喚ばるるも一たびも
十四歳でアンタの嫁になったけど
羞ずかしくてたまらないのよ
どう笑顔を向けていいかさえ分からない
俯いて壁に向かって
アンタに何回呼ばれても振り向けない
だってどうしようもなく恥ずかしいんだもの
◆
二人で話しながらだったからか、大体四十分ほどかけて、北の入江の小屋にたどり着いた。
アスカとシンジは小屋に入り、バックパックを床に下ろした。
小屋の中には小さな二人用のテーブルと椅子。やや大きめでなんとか二人でも寝られそうなベッドがあり、畳んだ清潔なシーツが積んであった。
「ふう、なんとか着いたわね……」
「うん……お腹すいたでしょ、アスカ。お昼にしようか」
「そうね、確かにお腹ペコペコ」
シンジはバックパックからラップに包まれた二人分のサンドイッチを取り出して、お茶を入れた水筒と一緒に、テーブルに置いた。
「これ、シンジが作ったの?」
「うん、出掛ける前にマリさんにキッチンを借りてね。カヲル君や綾波、マリさんの分も作って渡してきたよ」
「相変わらず、まめまめしいわねぇ。いいお嫁さんになれそう。アンタ、アタシのお嫁さんに来ない?」
「お嫁さんに来てくれるのはアスカの方なんでしょ……」
「あ、そうだった。嫁は嫁を貰えないか。うーん、ザンネン」
シンジの淹れてくれた温かい番茶を飲みながら、アスカはサンドイッチをパクつく。シンジが作ったのは、マスタードが程よく効いたキューリとハムのサンドイッチ、バターの薫りのするタマゴサンド、そしてみじん切りにした玉ねぎをマヨネーズとあえて混ぜたツナのサンドイッチだった。
「このぐらいならアタシでも作れるかな。パンを切って食材を挟むだけだものね?あ、でも、タマゴサンドはちょっと難しいかしら」
「大丈夫だと思うよ。なんなら僕も手伝うし」
「アンタは料理だけは得意だものね」
アスカはしばらく考え込んでいたが、ふっと顔を上げてシンジに言った。
「……ね、アンタの取り柄、奪ったらまずいかな?」
「え?」
アスカの顔が挑戦的に輝く。
「エヴァパイロットとしてアンタの才能に嫉妬して、挑戦したけど、けっきょく敵わなかった。でも対抗心を持って挑戦した事は間違いじゃないと思ってる。夫婦だからって甘えて依存するだけじゃ詰まらない。アンタを終生のライヴァルにしたっていいわけよね?」
シンジとの仲を男女の恋やセックスだけ限定した関係にしていくのは何だか、味気ない。アスカはもっとシンジと友達になりたかったし、シンジと色んな話をしたかった。ライヴァルになって、スポーツや料理、そんな色々なことで一生、張り合ったりもしてみたい。それは多分愉しい一生になる筈だ。
「ライヴァルだなんて大げさな。僕の料理の腕なんてただの素人に毛が生えたようなものだよ。」
「だったらアンタももっともっと研鑽しなさいよ!アタシは中途半端はイヤ。やるならトコトンやる。アンタにうちの嫁さんの料理は世界一だって言わせてやる」
アスカはニヤリと笑って宣言する。
「ありがとう。それなら僕も協力するよ。一日も早く『うちの嫁さん』の料理を食べたいからね」
とシンジは、そこで言葉を切り、
「でも、まずはちゃんと料理を作れるようになること。目標が大きいのはいいけど、世界一とか十年早い」
とぺしっとアスカの頭を軽くはたく。
「あいた。……むむむ、言ったわねぇ。後で吠え面かくことになるんだからね!」
シンジを一睨みして、それから、少し静かになって、アスカは前々から疑問に思っていたことを切り出す。
「……ね、シンジはどうして料理が出来るの?いつ始めたの?」
「先生の所に預けられていた時、自分の食べる物が出されるのを黙って待ってる訳には行かなかった。だって親じゃない人に負担をかけてるんだから」
「シンジ……」
そういう気持ちはよく分かる。母亡き後、順当に父の後妻に納まった義母の下、アスカも、子供の頃からいつだって身の置き所がない感覚だった。だからアスカはシンジと結婚するのかも知れない。十四で結婚は確かに現代では早婚だろう。でも、早く家族が欲しい。そういう感覚は恋情や色欲に立ち
「だから両親が揃ってる僕だったらきっと料理なんかしないよ」
「そっか。アタシも本当の両親がそろってたら、ちゃんとママに料理を教わってたかも知れないな。一応女の子なんだから……」
今時、男だからとか女だからとか時代遅れかも知れないけど、でもシンジやアタシの生まれ育ったみたいな大切なものが欠け落ちた家庭ではなくて、「ちゃんとした家庭」だったら、実はそういうのをキチンとしてるんじゃないだろうか。アタシは第三村でヒカリが立派な主婦をしていたのを思い出した。ヒカリのお母さんは残念ながら亡くなってしまったみたいだけど、ちゃんと母から娘には伝えたものがあったに違いない。アタシにはそれが正直うらやましい。
「けっきょく、人間って育った環境によって形作られているのよね」
(式波アスカはどうだったのだろう)
惣流・アスカ・ラングレーは自分でない自分の記憶を探り、今は彼女の心の一部になっている彼女の分身の生い立ちを想った。
式波アスカだって、生まれたときから料理なんかしなかった。糧食は所属する軍から支給されるし、空き時間は休養か生き残るための過酷な訓練に全て当てていたのだろう。料理なんて生き残るためには無駄な時間の浪費でしかない。
エヴァパイロットであることがアイデンティティのよすがだった自分とは違う。精神に病を得た母に自分を見てもらえなくなり先立たれ、父には裏切られた孤独の中でアタシのは単なる承認要求だった。だから、シンジがこうして、アタシのことを認めてくれるのなら、エヴァに乗らなくても生きていける。だけど、クローンだった式波には不成績は処分という名の死に繋がっていた。それは毎日吐き気を催したくなるほどの恐怖だっただろう、食欲なんてまともに生まれる筈もない。
ただ、生き残るため、自分に強制的に強いるだけの栄養摂取があるだけだった。しかし、彼女はその恐怖の日々の中を、最後に勝ち残った、最強の式波アスカだったのだ。そして、その環境を脱して、初めて知ったシンジたちとの共同生活。シンジの作ってくれた弁当はどんな味がしたのだろう。生き残って、勝ち残って、そしてシンジの料理の味を知って、ようやく初めて、人間になった気がしたのかもしれない。そして、また食事が取れなくなった時、彼女は人間でなくなっていた。アタシはその絶望と哀しみを想う。
本当はアタシではなく、式波がシンジと結ばれるべきだったのかも知れない。だって式波アスカはあんなにも、人間になりたかったんだから。シンジと共に歩む未来が、きっと人間らしさを与えてくれる。式波アスカはあんなに頑張って生きてきたのに、遂にそこまで手が届かなかった。アタシはそれがとても哀しかった。同じ一人の男であるシンジを想う同志として、抜け駆けするような後ろめたさを少し感じなくもない。
でも、アタシの想いだって負けてないはずだ。アタシの中にあるシンジへの想いは、たとえ傷つけあったとしてもいつもそばにいて欲しい人。人間は生まれた時は一人で、死ぬ時も一人だ。でも、その途中の道筋は必ずしも、一人ではない。誰かと一緒に喧嘩しながら人生という道を歩いて、殴り合ったり、怒ったり、怒鳴ったり、場合によっては首を締めあったり……というのが幾らか笑い話的に懐旧できるようになったのも、式波アスカの記憶を通して、シンジの凄惨な繰り返しと彼の幻滅や絶望を知ったからだ。束の間、二十八歳の式波に統合されて、シンジの過去形ながらも好きだったという告白を聞いたからだ。だから、アタシはシンジへの自分の想いを素直に肯定出来るようになった。
いざという時に、アタシが一番助けて欲しい時に助けてくれなかった男。でも、それだって、「その男に助けてもらいたかった」とアタシが思った時点で、もう答えは出てるんじゃない? そしてウンザリするぐらいの無数のループの中で、きっとシンジはアタシの事を助けたり助けなかったり沢山していたに違いない。究極の腐れ縁としか言いようのないもつれた関係に、アタシの胸はやっぱりどうしても疼くのだ。だってほら、前世からの恋人だとか、恋を夢見る女の子の憧れなんだから……ね。
アタシとシンジの間にはいずれ子供が出来るだろう。子供は自分のクローンではない、配偶者のクローンでもない。独立した人格だ。きっと親子で喧嘩もするだろう。夫や子供たちと喧嘩をしたらその日は落ち込むかも知れない。でも誰とも交わらないよりも、ずっと寂しくない筈だ。そして、自分もシンジも時の流れに負けてこの世から消え去る時─その時はどんな人間にも確実に来る─アタシとシンジがこの世に居て、愛し合って、二人の間に生まれた子供たちが、アタシたちがこの世にいた証拠として残ればいい。アタシとシンジの子孫が百年後には何人になるだろう。そして、千年後には、二千年後には。顔を見たこともない、名前を知ることも決してない、しかし自分とシンジが結ばれなければ、絶対に生まれることのなかったあまたの生命たち。宇宙に偶然のように生まれたアタシとシンジが、偶然のように出会って結ばれて、その組み合わせでしか生み出せないものが生まれる。
そんな風に、命を繋いで紡いで行くのが、何千万年と繰り返されてきた人間の人生なんだと思う。永遠なんかない。でもアタシたちが生きた証は、きっと永遠に残る。
(式波。アタシ、アンタの分まで幸せになってもいいの?アンタのものでもあったシンジをぜんぶアタシが貰ってもいいの?)
その問いかけは今日この日までにしか出来ないものだ。今夜は新婚初夜。そこからはシンジはすべてアタシだけのものになる。そしてアタシもすべてシンジだけのものに。
◆
小屋の小さな嵌め殺しの窓から、夕陽が入り込んでくると、アスカは少しソワソワし始めた。今夜はシンジと初めて夫婦として寝ることになる。惣流としてもあるいは式波の記憶としても、シンジの横で寝たことはあるが、今夜は当然違う展開になるだろう。
「そういえば、お風呂って」
当然シンジと寝るのなら、身体を清潔にしておかなければならない。アスカが連想した心配を始めると、シンジは言った。
「あ、さっき調べたら、小屋の裏にドラム缶と薪があったよ。川は近くだし、バケツもあるから水を汲んでこようか」
「えー……何往復するのよ」
「アスカは休んでてもいいよ。疲れたでしょ?」
「それはダメ。……これからは何でも二人でやろうよ、どんな些細なことだって。長い目で見たら、そういう姿勢が、多分とっても大事になりそう。アタシたちの人生、先はうんっと長いんだから」
「うん……それもそうだね。じゃあアスカも手伝って」
アスカの言うことは正論だったから、シンジも素直に頷いた。
小屋の外に出て、二人で裏手に回る。
「このブロックの上に、ドラム缶を載せれば良さそうだね。アスカ、手伝ってくれる?」
「もちろん」
二人で空のドラム缶を二つのブロックの上に固定して、倒れないかどうかチェックする。
「簀の子を底に入れてから入らないと足が火傷しちゃうね」
「あれなんじゃない?」
ちょっと離れた壁をアスカは指さした。丸い木の板のようなものが、折り畳み式の金属製の梯子と並べて立てかけてある。梯子は、ドラム缶風呂に入るときに使うものだろうか。
「あ、ほんとだ。マリさんが用意してくれたのかな?」
「そうかもね。まあこんな無人島に引っ張りだされてるんだから、そのぐらいの準備は当たり前の話だけど」
「アスカはもしかして、この島のこと、嫌いなの?」
「うーん。なんて言ったらいいのかな。アンタが周りから変な目で見られないで済む場所があるのは嬉しいよ。真希波マリがちゃんと考えてるんだな、というのは分かった。でも本当は普通にみんなの中で祝福されて一緒に暮らしたいと、ちょっとだけ思うかな。もう見果てぬ夢なんだろうけどね」
世界の人口が激減してしまった今、多数の死へのトリガーを引いてしまったシンジに、陽のあたる場所への復帰は難しい。
「僕がいると、そうなっちゃうだろうね……」
「ストップ。また別れるだの、アスカだけ村へ行けだのの話なら、やめてよね。今日のこの日からアタシたち夫婦の生活が始まるんだから」
「いや、もうそんな事は言わないよ。正直、僕も何だか疲れてるんだ。好きな人たちの中だけで暮らせるのなら有り難いよ。情けないけど、しばらくアスカに甘えさせてもらうよ」
「アタシに……甘える?」
アスカは目を見開き、呟いた。
「例えば、アタシに頭を撫でてもらって、いい子いい子してもらいたいとかそういう、秘められた願望の表明なの……?今、シンちゃんの大いなる野望が明かされつつあるの!?」
アスカはわざとらしく、わなわなと震えてみせる。
「はあっ!?ち、違うよ!!そうじゃなくて、本当は皆の中で暮らしたいのに、僕の為に我慢してくれるアスカの厚意に甘えさせてもらって、という意味で……そんないい子いい子とか絶対違うからねっ!」
「なんか妙に必死ねえ……」
アスカはニヤニヤとチェシャ猫みたいな顔で笑った。
「結婚したら、夫婦の寝室では何でもアリ、だから、まあ色んなプレイには応相談、よ。案外やってみたら愉しいかも知れないじゃない」
「だから全くの誤解だって!てか、完全にからかいの口調と態度じゃないか!勘弁してよ……」
ふふんとアスカは口許を緩め、
「ま、頭を撫でてやるぐらいなら、いつでもどうぞ」
と腕を広げてみせる。ほれほれとアスカはまるでシンジを挑発するようだ。シンジはそっと近づいた。
「いい子いい子とかじゃないけど、甘えさせてくれるなら、ちょっとだけ……」
シンジは腕を広げているアスカに近付いて、抱き締めた。アスカもそんなシンジの背中に両手を回す。
「おっと、どうしたのよシンジ……」
シンジはアスカの首の辺りに顔を埋め、深く息を吸い込んで、彼女の匂いを嗅いだ。若い女性特有のどことなく甘い匂いだ。
「アスカを勝手に送り出した後、僕の胸は痛かった。でも、僕の痛みは自業自得だけど、アスカも痛かった筈だ。僕に裏切られて。アスカを苦しませてゴメン。許してほしい」
その贖罪を聞きながら、アスカは優しい目をしていた。
「……許してるけど、忘れない。それは多分、アンタの自慰や首締めや多数のやらかしと同じよ。アタシの中の『シンちゃんやらかし伝説フォルダ』の中に大切に保管しておくの。いまわの際に、『アイツ、ひどい男だったなあ』と見返してあげる」
とアスカは笑って言った。
「……もうアスカには頭が上がらないよね」
「もともと上がってた時があったかしら?アタシの記憶にはないけどね」
アスカは愛おしげに、触れ合うシンジの顔を見つめる。
◆
小川からバケツリレーで水を汲み、ドラム缶風呂の準備をした。二人で交互に風呂に入り、一人はドラム缶風呂の焚き付けの火の番をする。
風呂から出て、身体をタオルと石鹸で洗い、木の桶でお湯で流すときだけ、もう一人は背中を向けている。
シンジの耳に、アスカが身体を洗い、お湯を流す音が飛び込んでくる。
「二人で入れるお風呂が欲しい」
「うん……そのうち作ろうか」
夕焼け空を眺めながら、シンジは「楽園」でのこれからの生活を思った。最低限のものしか無いから、やることは幾らでもあるんだよな。せめて、ミサトさんたちと暮らしたマンション・コンフォート17での生活レベルぐらいにはいつか持って行きたいのだけれど。
身体を洗い終わったアスカは梯子を上がって、もう一度ざぶんとドラム缶風呂に沈み込む。
ドラム缶の縁に肘を掛け、アスカはようやく振り向く事を許されたシンジに向かって言った。
「シンジ、次はアンタが洗う番だけど、あそこは呉々も清潔にしてよ」
「なんでそんな事、わざわざ言うのかな……台無しじゃないか」
「だってアンタのがアタシの中に入るのよっ!それに、男の清潔観念を信用する女は居ない」
「顔を真っ赤にするぐらいなら、言わなくてもいいのに」
シンジは耳まで赤くしたアスカを見て、くすっと笑った。
◆
そして、夜になった。
なぜ人は夜になると、男女で触れ合おうとするのだろう。無論、夜は睡眠の時間であり、どちらも寝台に横たわる、セックスと睡眠に密接な関係があるのも分かる。大抵の言語では、「寝る」はセックスの隠語だ。
だけど、きっと、それだけではない。
人間の日々は常に睡眠で断ち切れているのだ。人間は眠りにつく度に一度死に、また甦る。世界も一度死に、再生する。もし、明日の朝、目覚めないかも知れないとしたら─今日で世界が終わるかも知れないのなら─きっとその最期の時には愛する人と一緒に居たい。
つらかった1日が終わる。人と世界はそこで一度死ぬ。好きな人に痛みを慰めて貰いながら、束の間の死に向かおう。
楽しかった1日が終わる。人と世界はそこで一度死ぬ。好きな人と良き日の思い出話を交わしながら、束の間の死に向かおう。
愛する人をその腕に抱きながら、その日の世界の死を迎えよう。そうしたら、きっとその愛が、翌朝、二人と世界を甦らせてくれる。
式波アスカは
(式波、そんな世界でアンタ、最期までよく頑張ったね。それはシンジの為に頑張ったの?)
たぶん、そうなのだろう。
式波アスカはシンジを好きだった。でも、すでに彼女の世界は、シンジを求めても意味のない世界だったのだ。世界もシトも終わらない。終わらない、死なない世界に愛は容れられない。だから式波アスカはシンジを求めなかった。想いは過去形だった。
だけど、シンジにとってはそうではない。シンジはその時まだ、リリンもどきで、彼をヒトのままに留める為に、式波は戦っていた。ヒトとシト、種の垣根という永遠の二人の断絶を覚悟して式波はシンジの幸せの為に戦っていた。それがシンジには理解してもらえなくて、どんなにかつらかっただろう。
(だけど、それが愛なのよね……)
どんなにか一方的で、独善的でも、式波アスカはシンジの為に戦っていた。愛する人にこれっぽちも理解などされなくても。
(やっぱり少し後ろめたい)
式波アスカの覚悟の重さ、愛の深さに較べて、何だか自分の想いが中途半端なようで、惣流・アスカ・ラングレーは自信を喪いかける。先ほどまでは自分の想いも負けていないと思っていたのに。
(アタシは単にシンジが好き─なだけなんだものね。永遠に結ばれない事を覚悟して戦うとか、そんなストイックな
アスカにとって、碇シンジは初めて対抗心を燃やした同年代の男の子であり、シトだとかリリンだとかそんな大仰な世界は関係なくて、単に初めて同居し、初めて二人息を合わせて戦い、初めてキスをした相手、単にそれだけだ。
初めてづくしだから忘れたくない。手離したくない。手に入れたい。言ってみれば、ただ、単にそれだけの、切ない乙女心。
式波アスカの想いが、武人のものなら
惣流アスカの想いは、乙女のもの。
しかし、それでもアスカは進むしかない。シンジのように身を引くなんて発想は出て来ない。だって、アタシは惣流・アスカ・ラングレーなんだから。
でも、だからこそ、アスカはざわついている。落ち着かない。だって、シンジからも自分からもまだ告白がない。
小屋の中に一つだけある小さなテーブルで、シンジと差し向かいに座りながら、アスカは切り出した。
「……ねぇ、シンジ。今晩はどんな夜か、分かってるわよね」
「う、うん」
セックスを初めてする夜だということはお互いにとっくに承知している。だが、その夜の、人生における位置付けについて、シンジの覚悟はどうなのか。
─初夜、なのだ。
「ふ、夫婦として初めての夜……だと思ってるよ」
露骨に声を上擦らせて、シンジも返事をするから、かなり意識しているのだろう。
「シンジも、初めて……でいいのよね?」
改めて確認する必要もない気がするが、一応聞いておく。
「も、もちろんだよ!」
「よかった……やっぱり初めて同士。嬉しいねっ……シンジ」
しかし、そこから先に進むには、ちゃんとした手順として愛の確認が必要なわけで。だから、けっきょくアスカはシンジにこう水を向けるしかない。
「あのね、シンジはもうアタシに告白した積もりなのかも知れないけど、アタシは、惣流・アスカ・ラングレーとしてハッキリ聞いてないの。前にアンタがしてくれたのは、式波アスカの告白に対する、返しだったから」
「あ、そうか……ごめん……」
「アタシからまた告白してあげようか。シンジが自信を持てないのなら。アタシの気持ちを確認してから、アンタも告白すればいい」
そうは言いながら、アスカの本心は逆だった。出来れば男らしく、シンジから先に告白してほしかった。
でも、シンジが意気地なしなら、アスカからの告白でも仕方がない。─意気地なしでも今更アタシの気持ちは変わらないのだから。しかし、シンジが首を左右に振ったのでアスカはホッとした。
「僕は、アスカに幸せになって欲しいんだ。……それなのに、アスカに酷いこと沢山したり、するべきことをしなかったり、逃げ出したり、投げ出したり……そんな事をもう何十回となく繰り返してきた。僕は本当に酷い男だけど……」
「酷い男だけど……?」
「ねぇ、アスカ。本当に僕なんかでいいの?後から後悔しない?」
シンジは今泣きそうになっている。男のくせに心細くて、自信が持てず、先に進む力を持てないでいる。
(あ、やっぱり途中でヘタレたか……。ここはまあ、手助けしてやるか)
俯くシンジの様子に、アスカは軽く舌打ちをして、豊かな後ろ髪を掻いた。
円環の記憶をすべて保持するシンジはアスカ自身が記憶しているより、遙かに多くのアスカに対する贖罪意識を持っているのだろう。アスカに対しての卑怯な振る舞いや逃げ。本当は、たくさんの記憶の中には、アスカに優しくしたり、心を通わせたり、大切な気持ちを育んだりもしていたはずだが、シンジの性格から言って、自分を責める悪い材料ばかりが頭に浮かぶのだろう。
(シンジのあの告白は過去形だったし、どうせ死ぬと分かっていて、相手との未来も相手への責任もない告白だった。だから異常に綺麗な告白で。でも、本来はそんなの、シンジとアタシの愛憎入り混じった関係には似合わないと思う。シンジもそんなに上手く告白できるはずがない。二人には未来があるのだから。その重みがのし掛かってくるのだから)
だから、アスカがシンジの告白の為に引いてやる補助線はこうだ。
「アンタでいいのかと問われれば、まず見た目」
「え?」
「……とりあえず見た目が好き。シンジは可愛い」
まあ女顔といえばそうなんだろうし、美少年顔といっていい顔だろう。シンジは目をパチパチさせている。こういううぶな反応も可愛い。
「総合的には、やっぱアンタ可愛いのよ。見た目が好みだから、一緒になるというのも立派な理由じゃない?アンタだって、アタシに対してはそうでしょ?」
「そ、それはそうだろうけど……」
客観的に見ると、やや線が細く中性的なシンジより、極め付きの美少女であるアスカの容姿に軍配が上がる。それでも二人の間の愛憎たっぷりのいきさつをしらなければ、この二人の組合せは単なる中学生の美少年美少女カップルといって通用するかも知れなかった。
むろん、本当は見た目なんて二の次の話なのだ。シンジより美男子、アスカより美少女、当然探せば他に居るだろう。例えばこの島でアスカが初めて会った渚カヲル、フィフス・チルドレン。いかにも女子にモテそうな美少年だ。だからといって、アスカの趣味とは全く違うし、たとえ好みの顔だったとしても、シンジに取って代われる訳ではない。
だけど、シンジにはちゃんと目に見える理由で自信を持たせてあげなくちゃ、すぐに逃げ出してしまう。シンジにいくら二人の精神的絆を説いたって、好きだったと告白された後に「ケンスケによろしく」なんて言ってしまう弱気な男には、のれんに腕押しだろう。
だから「シンジは見た目が可愛い」なのだ。見た目の話なら、純然たるアタシの好みだ。いくら自虐的で自己肯定感の低いシンジでも、アタシの好みまでは否定することは出来ない。
「見た目がアタシのドンピシャ好みだからシンジでいいの!だからほら、自信持って、頑張って。ちゃんと、勇気を出して告白続ける」
たぶん男なのに可愛いとか言われて、内心あんまり嬉しくないんだろうけど、シンジは頬を紅潮させて言葉を続けた。
「あの、アスカが僕でいいのなら……」
「はぁん?何よまだそんな言い方して」
「いや、それはいいんだ。……今、話さなくちゃいけないのはアスカでなく僕の気持ちだものね」
アスカの手助けで落ち着いたのか、シンジは真剣な顔でアスカの白い顔に向き直った。
「僕は何十回と意識せずにやり直しを繰り返して、それでアスカのこと一度も救えなかった。いつも最後には、赤い海の浜辺か、南極決戦でアスカは傷付いている。そのそばに僕が居ることもあれば居ないこともある。でも僕がそばにいても、ずっとアスカは独りだった。寂しそうだった。笑顔を見たことがなかった」
「どうしてそうなったの?」
「それは僕が、自分のことしか考えなかったから」
「……」
「アスカに僕が救って貰うことばかり考えてたんだ。アスカに優しくしてもらいたかった。自分はアスカに一度だって優しくなんかしてないのに」
(そんな事もないと思うけどね……)
「アスカの心を見ないで、アスカの身体のことばかり考えていた。アスカが僕のこと好きだって何となく分かって自惚れてたから、受け身で好意に甘えてた。いつもアスカからキスさせてた。何回あの夜を繰り返しても自分からキスしたことはなかった。アスカが僕にしてほしいことは何なのかをちゃんと考えもせずに、いつも逃げていた。俺って最低だと言うたびにもっと最低な人間になっていった」
「……でも今は違うのよね。アンタはこうして世界を救えたんだから」
「うん。アヤナミレイと式波アスカが僕に教えてくれた。僕にも人に愛される資格があるんだって。単に情欲の対象ではなく、好きだったと言ってもらえて、僕は救われた。自虐を乗り越えられたら、するべき事も、出来る事もちゃんと分かった。不思議な感覚だったよ。もちろん、僕は今でも自虐的だし、何度も間違いを犯すかも知れないけど……」
「一つ大きな山を乗り越えても、ケンスケによろしく、だものねえ。人間そんなに簡単にはオトナになれないか」
「うん。それは、アスカの気持ちを無視した、卑怯な僕の独り合点だったかも知れないけど、アスカには僕じゃダメなんじゃないかっていう気持ちはずっとあったんだ……。僕が成長出来ないなら、成長した他の人に託すしかない、って。だから僕はそこでもまた逃げていた。自分の成長を諦めていた。でも……」
「別に成長しきっている必要はないわよ。だってアタシたち単なる中坊じゃない?アタシも夫に、そんな凄い人格者を求めてないわよ。必要なのは、相手を思いやり、昨日より少しでも前に進む姿勢だと思う」
うんとシンジは肯いた。もう、シンジの告白というより、二人で告白の方向性を考えてやっているようで笑えるけど、こういうのも良いな。シンジが独りで出来ないことはアタシが補ってやって。それはこれまでのシンジの逃げや甘えとは違う。ちゃんとアタシと向き合えている。二人でその都度、考えて支えあっていけば、生半なその辺のカップルよりずっと素晴らしい夫婦になれるはずだ。
「アスカ……本当に遅くなってゴメン。何回も時間を繰り返したから、十年も二十年も待たせたようなものだと思う。待たせた挙げ句に、相手が意気地なしの僕だなんてガッカリかな?……でも、僕にはもう我慢できない。アスカがすぐそばにいるのに、アスカと共に歩めない人生なんて。だから、アスカの残りの人生を僕にください」
そのある意味では定番で凡庸な定型文にアスカの気持ちは極まった。凡庸なシンジの凡庸な告白。それが本当にずっと欲しかったものだったのだとアスカには今分かった。
「ばか。ばかばかばか。本当に遅いわよ……」
アスカにはシンジのように繰り返しの何十年分の記憶全てがあるわけではない。惣流アスカ自身としての一年足らずの記憶に、他人の記憶のような、式波アスカとしての十四年分があるだけだ。でも、それは普通の人間なら一生かけても体験し得ないような壮絶な戦いと愛の記録で─アスカにとっても十分に「長い一年」だった。
空母オーバー・ザ・レインボーでの艦上の出会い。二人で行った使徒との初戦闘。同居して行ったユニゾン訓練で息と心を合わせた。心重ねたのは瞬間だけではない……。マグマに潜り、死を覚悟した瞬間にシンジに助けられた。シンジのお母さんの命日では、シンジとファーストキスをした。あのファーストキス、アタシとシンジは何回も何回も繰り返してたんだ。いつもアタシからキスさせてゴメンってシンジが言ってくれた。最悪のファーストキスだったけど、一生忘れることはない……
アスカの両の瞳から、涙がポロポロと零れ落ちてきた。
「でも、たとえ二十五年とか待ったって、聞きたい言葉が聞けたから嬉しい……よ、待ってた甲斐があった……シンジが、アタシと残りの人生を歩むと言ってくれた。やっぱり過去形の告白なんかじゃ満足出来ない。お別れなんかしたくない!……アンタが相手でガッカリはガッカリだけど、ずっと待ち望んできたガッカリだもの……人生でいちばん嬉しいガッカリなんだもの!」
そして、シンジがアスカを抱き、アスカもシンジを抱き返した。
「シンジィ……長かったね、長かったよ。ようやくアタシたち結ばれるんだね……」
「アスカ。僕の可愛いアスカ……。ごめんね待たせて本当にゴメン。男らしくなれなくて、最後の最後まで逃げようとしてゴメン。でもようやく一つになれる」
それから二人して抱きしめあったまま、一緒にワアワア泣いた。これが二人の初めての共同作業な訳で。こういう情けなさや女々しさが、アタシたち夫婦の基本スタンスになるのかも知れない、とアスカは思った。でも、ここは「楽園」なのだ。好きなように泣き、好きなように笑って生きていけばいい。もう二人に何かを強要する者は誰も居ないのだ。
「あの……アスカからも告白してくれるの?」
お互いの涙が引き、身体を離したシンジが尋ねる。アスカはじっと考えて、ゆっくりと首を横に振った。
「アタシからはもう何も。シンジの顔がアタシの好みだってもう言った。それ以外の部分も愛されてるかどうかは、日々の生活の中でシンジに実感してほしい。受け身も自惚れも少しはいいでしょ。もしアタシからの愛情その他、足りない事があったら遠慮なく言って」
それから、アスカは膝を折って正座し、シンジに向き直った。三つ指をついて、頭を下げ、
「ふつつかものですが、よろしくお願いします。……これでいいのかな、バカシンジ」
─日本の風習に則り、夫を立ててあげる。本当に最初の最初だけはね。後はもちろん、ずっとアタシが仕切るのだから。
「ね、二回目のキスは、シンジからして」
アタシからの仕切りの最初はこれ。年数はテキトーだけど、二十五年目?とかのセカンドキス。……間隔が開きすぎだっつーの。
そして、二人の唇はそっと重なる。
◆
アスカがベッドメイキングした寝台に、下着姿になって二人で潜り込む。下着姿を意識すると恥ずかしいので、服を脱いだらささっとベッドに入った。
そんなに広いわけでもないベッドの中では抱き合うしかなく、二人に逃げ場はない。
「もぞもぞされると、こそばゆい」
「ご、ごめん」
シンジがどうしていいか分からず固まってるので、ホックを外し、脱いだブラジャーを分かりやすくシーツの外に放り投げる。
「どうすればいいか分かった?」
けっきょく、シンジにはアスカの引いてやる補助線がこれからも必要なのだ。シンジには積極的、能動的に動いてほしい。でも、そのためにアスカは出来る限り、手を差し伸べる。
「う、うん。おっぱい……触っていい?」
「もちろん」
─おそるおそる、いちいち許可を取るシンジが、可愛い。まあ、まだ自分のものだっていう実感はないんだよね?
舌と手による稚拙な愛撫が、アスカの性感を刺激する。それはやがて、アスカの下半身も潤ませて。
「下はシンジが、脱がせて」
「う、うん……」
シンジは不器用ながらも、なんとかパンツを脱がせる。
「そこも触ってもいいよ……」
「うん……」
そこが湿っており、ぬめり始めてる事をシンジに知られるのは恥ずかしいが、アスカの稚拙な性知識でも、二人が交わる為に必要な事だと、理解している。
「なんだかもう昂奮してきた……あの、アスカ」
指先でアスカの入り口を愛撫するシンジが、情けない声を上げる。少し、早すぎるのでは、と不安もあるが、アスカにも適切なタイミングなど分からない。
「……うん、いいよ。シンジと一つになりたい」
「ありがとう、アスカ……」
そっと当てられるシンジのものの熱と硬さに、ハッとさせられ、声を上げようとする間もなく、シンジがジリジリと前に進んでくる。
「っ……痛いっ……」
「アスっ……カっ……」
シンジが少しずつ自分の中に入ってくる。思っていたよりも大きい異物感に、思わず呻いてしまう。泣き言みたいなことは言いたくない。だから、
「おずおず動かれると却って痛いッ……早く引導を渡し……なさいよっ」
しかし、シンジが腰を稚拙に動かす度に、大切な場所に痛みが走る。濡らし方が足りなかったのか。極度の緊張がいけないのか。理由は分からない。苦痛を訴える言葉はなくとも、表情がアスカの痛みを物語る。
「あ、アスカ……もう止めようか」
「アンタ、途中で中途半端に止めたら、許さない……わよっ……これは意味のある痛みなんだから。絶対に忘れたくない痛み……なのよっ」
アスカはシンジの肩につかみかかり、怯えて逃げ出しそうになるシンジを叱咤する。
「でも……」
「アタシの夫になったんでしょ!最後まで責任持ちなさいよっ、男でしょ!」
シンジは途方にくれたような顔をしている。ここで止めたら一生恨んでやるとばかりに睨み付けると、シンジは気弱な顔になってアスカに顔を近付けた。
「あの、最初から無理に、しなくてもいいと思うよ。一度抜いても……」
「……は、恥ずかしい事を言うなっ!……今やってること……意識させないでっ」
一度抜くというのは、すでに入っているという意味なのであって……誰の何が誰の何処に入ってるかという事を意識させられたらたまらなかった。
アスカは悔しそうに唇を噛み締める。
「とにかく最後まで……終わらせて……根性見せなさいよ……」
シンジが最後まで貫き通し、呆気なく果てたのは、それから僅かの事だった。
◆
「……あの、アスカ」
シンジがアスカの顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
大丈夫な訳がない。
「……痛かった」
「え?」
聞き返すシンジをきっと睨み付ける。涙が溢れる。
「痛かったって言ってるの!!ぜんぶシンジのせいだ!」
「ごめん……」
悄然としているシンジに、違うそうじゃないという気持ちが募る。
「謝らないでっ。アンタ、なんか悪いことしたの?違うでしょ!」
「……怒ってるのかと思ったから」
怒るわけなんてない。ずっとアタシが欲しかったものをシンジが呉れたんだから。痛みを欲してたわけじゃないけれど、その痛みが一生の記憶になるのなら本望だった。
だからこれは単にワガママを言ってシンジを困らせているだけ。
身体は純潔を喪ってオトナになったのに、心はまだ子供のままでいたい、だからシンジに甘えてる。そんなフワフワした境界線上の気持ち。
でもまだ、心が子供なら、甘えたっていいはずだ。一足飛びにオトナになんて成れない。シンジと一緒に少しずつ成長すると決めたではないか。
だから。涙混じりの甘え声に切り替える。
「頑張ったんだから、頭撫でて……シンジ」
シンジはアスカの反応に少し驚いていたようだが、すぐに頷いた。
「うん……よく頑張ったね、アスカ」
アスカの長い金髪を、シンジが櫛を通すように指で梳いてくる。髪がシーツの上を流れる。洗髪料の匂いがシンジの鼻をくすぐる。
「うん……アタシ頑張ったよ、シンジの為に頑張ったよ」
「ありがとう」
シンジはアスカの頬にちゅっとキスをした。
「とっても可愛いよ、僕のアスカ」
口吻を受けたアスカの頬がすぐに熱を持った。
◆
夜中にベッドから起き出したアスカは、バスローブを羽織って、小屋の片隅に行き、壁をじっと見つめていた。シンジはだいぶ前に寝息を立て始めたが、アスカはずっと起きていた。
(やばいやばいやばいやばい……)
まだシンジによって刻まれた疼痛は残っていて、何かが挟まっているような違和感さえ感じるが、アスカは痛みどころではなかった。
(アタシ、シンジと男と女の関係になっちゃったんだ……)
アスカにとって初めて結んだ異性との関係は、彼女をどうしようもなく高ぶらせ、簡単には眠りにつかせてくれない。
(シンジがアタシの初めてになって、トクベツになって、夫になってくれた!)
しかもこの関係は死ぬまで続くのだ……!
ものすごく嬉しくて、でも朝になったらシンジの前でもう、どんな顔をしていいのか分からない。笑えばいいのだろうか?昨日までと同じように、笑ってもいいのだろうか?羞ずかしくて死にそうだ。
自分がセックスをした相手、相手の一部が自分の中に入って、身体と身体が繋がった相手。自分の実体験として、もちろん、そんな相手をシンジ以外に一人も知らない。
一人小屋の隅で煩悶しつつジタバタしていると、足が壁に軽く当たって物音を立てた。眠りが浅かったのか、シンジが目を覚ました気配がする。
「……アスカ、起きてるの?」
「!!」
「眠れないの?……そんな所に座ってたら、いくら南国だって風邪引くよ」
シンジはベッドの中からアスカに声を掛けてきた。
アスカは何も言わず、シンジに背中を向けたままで、首を横に振った。
「アスカ、おいで? 朝まで一緒に寝ようよ」
(お、おいでって言ってくれてる……でもこんな変なにやけたような顔してたら気持ち悪いって思われるわよね)
アスカは今、自分の表情をコントロール出来ない。にやけたと思ったら、次の瞬間には難しい顔になっている。感情が不安定で、嬉しさと喜びとシンジとの新たな関係性への不安や期待で混乱している。
(ううう……シンジと抱き合ってなんて寝れないよ。羞ずかしすぎる)
しかし、シンジがベッドから立ち上がってローブ姿で近付いてくる。ゆっくりとアスカに近寄り、怯えないで、と言わんばかりに、そっとしゃがみ込んで身体を寄せてきた。
「明日の朝は、朝食をアスカに作ってもらうよ。僕も手伝う。朝から二人で頑張らなくちゃ」
背中からアスカを抱いて耳元でそう囁く。
「だから一緒に寝よ。アスカと朝まで寝たいんだ」
アスカは無言で壁を向いたまま、頷いた。小さな声で壁に向かって呟く。
「……アタシも、シンジと一緒に寝たい」
一緒に寝るのは、セックスとはまた違う。そういうことをしないで一緒に寝るのは、アスカとシンジにとってある種の出発点だった。だけど、あの夜とは違うこともある。向かい合って抱きしめあって、お互いがもう互いのものになったと実感しあって、眠りたい。
恥ずかしくても、そうしたい。羞恥心を乗り越えて、したいことをしたいと言いたい。ずっと素直になれなくて、回り道をしてきた二人だから、まっすぐに踏み出す勇気が大切だとアスカは思った。だから、アスカの言うべき言葉は。
「……お姫様みたいに抱っこして、ベッドに運んで」
「ん……ハイハイ、分かったよ。僕のお姫様」
シンジにとっても、そんなに軽くはないだろうに、とアスカが危なっかしく懸念するが、なんとかシンジはアスカを抱えてベッドに運ぶ。
優しく寝台に横たえられながら、アスカはまだシンジの顔が正面から見れない……