東方淫魔伝 作:スイセン
腕を火の中に突っ込んだような刺すような痛みに目を覚ます。
見ると、右腕の肘の上あたりに酷い火傷の痕が出来ていた。動かすことすらままならない痛さに顔を顰めると金髪の少女が俺を覗き込んだ。
「ひっ!」
先程までの恐怖を思い出して、咄嗟に逃げ出そうとした俺を何かが押さえつけてくる。見ると、見覚えのある人形達が浮遊していた。
「火傷が酷いんだから無理に動いちゃダメよ」
同じ金髪であったから先程の俺を攻撃してきた少女だと思っていたら、それはアリスであったようだ。
あの少女じゃなかった……よかった……。
ほっとして力を抜くと、再び火傷した腕の痛みが襲ってきて顔を歪める。
「この火傷は跡が残りそうね……」
俺の火傷の様子を見ながらアリスは呪文を唱え始めた。
それに伴って、少しだけ痛みが和らぐ。
「これで痛みはマシになったでしょ」
「ああ。ありがとう。アリス」
「どういたしまして」
間近でにっこりと優しく微笑むアリスに気恥ずかしくなって周りを見渡すと、そこは先程までとは違う部屋であることに気づいた。
「さっきの子は?」
「さっきの……?」
「あの金髪の七色の羽の……」
「ああ。レミリアの妹ね。あの子なら今は喧嘩中よ」
「喧嘩中?」
「ええ。そろそろ終わるんじゃないかしら」
そう言いながらアリスは人形達に救急道具を持ってこさせて、そこから包帯を取り出す。
その際に、アリスの一部に切り傷があるのか目についた。
「その傷、どうしたんだ?」
「え、……ああ。ちょっと裁縫でミスしちゃったの。恥ずかしいからあまり見ないで」
言いながらアリスは傷跡を隠すように腕を押さえる。
裁縫であんな場所に切り傷なんて出来るのだろうか。そもそも今日は一緒にいた間はあんな傷なんて無かった筈だ。
つまり、俺が気絶している間にその傷はできた。
「……それ、俺がやったのか」
「…………」
否定も肯定もしないまま、アリスは無言で包帯を俺の腕に巻き始める。
魔法をかけてもらって痛みは和らいだとはいえ、触られるとそこにはまだ熱を持っていて酷く痛い。
長い沈黙の後に、アリスは俺の腕に綺麗に包帯を巻いてくれた。
先程までは動かすことすらままならないほどの痛みだったがこれならある程度は動かせそうだ。
痛みが和らいだ上にアリスが近くにいる安心感に少しだけ心に余裕が出てきた。
一家に一台アリス導入した方がいい。心の平穏のために。
アリスが救急道具を片付け始めた時、部屋の扉が開かれた。
見えたのは七色の羽。
相手が誰なのか想像がついて体が強張る。
「あ、起きたのね。よかったわ」
扉からぴょこっと顔を覗かせたあの金髪の少女は安心したように嬉しそうな笑みを浮かべる。
「なにも良くなかったわ。酷い火傷」
そんな少女にアリスはジトッとした視線を向けるが、その少女は気にした様子もなく部屋に入ってきた。
「思ったより人間って壊れやすいのね。勉強になったわ」
その勉強料は俺のこの右腕の火傷なんですけど……。随分と高い勉強代だ。
「喧嘩は終わったの?」
「ええ。お姉様の惨敗」
「……惨敗した記憶はないんだけど?」
むすっとした顔でフランの後ろから入ってきたのはレミリア。
それに従うように咲夜も入室する。
そのレミリアの服装はところどころ焦げていて穴が空いていた。よく見たら金髪の少女の方もところどころ服が破けてる。
「惨敗してなくても、お姉さまは負け犬ね」
ふふんと勝ち誇った笑みを浮かべるフランにレミリアは機嫌が悪そうにそっぽを向いた。
「これであなたは私の従者よ!」
嬉しそうなその言葉に思考が止まる。
「え……、どうゆうこと?」
「お嬢様と妹様は、あなたを殺すか従者にするかで喧嘩していたんです」
「えぇ……」
なにその俺にとってどちらが勝っても絶望しかしない喧嘩。
俺のために争わないで。仲良くどっちも諦めて欲しかった。
てか、アリスはなんで喧嘩しているのか知ってたのだろうかと見ると、首を横に振られた。
「知ってたなら止めたわよ」
この二人の悪魔に対しても俺の味方でいてくれるアリスは多分天使。
抱きつきそうになるが、思いっきり人形に止められた。心でも読めるの?
そんな俺を見て、レミリアは鋭い視線を向ける。
「フラン、従者にするといってもちゃんと躾は出来るの? 最後までお世話しないといけないのよ?」
俺をペットみたいに扱わないで欲しい。
そして、俺を攻撃してきた少女はフランと言うらしい。
「問題ないわ。ちゃんと躾もするし、壊さないように注意もするわ」
躾ってもしかしてさっきのあの攻撃も躾の一部とか言わないですよね? それ多分俺死んじゃう。普通に壊れちゃう。
無駄に自信満々なフランの言葉に諦めたようにレミリアはため息を吐く。
「勝手に話が進んでいるところ悪いんだけど、彼を従者にするなんて私が許さないわ」
そんな二人に割り込むようにアリスが言うと、フランは意外そうな顔でアリスを見た。
「あなたは意見できたのね?」
「……どういう意味かしら?」
フランの煽りのような言葉に、アリスは冷たい声色で返す。
「別にいいわよ? 弾幕ごっこで決めて」
フランの右手に魔力が溜まり始めていくのが目に見えてわかった。
そんなフランを見てアリスは首を振る。
「そんなことより彼の意思の方が重要でしょ」
「本当にそう?」
「他になにがあるの?」
「壊れた人形かしら」
「私の人形を壊すの? それなら容赦はしないわよ」
「あなたに容赦する余裕なんてあるかしら」
そのフランの言葉にアリスが無言で人形を展開し出す。臨戦体制だ。
楽しそうにフランは笑って浮かび上がり始める。
「弾幕勝負なら外で。掃除が大変なので」
「掃除が咲夜の仕事でしょ?」
そう言ったと思った瞬間、フランを中心に大量のレーザーのような弾が放出された。
「ああ……」
壁が焦げ、穴が空いていく様に咲夜が落胆のため息を吐く。
いやいや、俺、アリスの近くにいるからこれめっちゃ危険な立ち位置なんですけど!
従者になる以前に流れ弾で壊されかねない。
すぐさま逃げ出したいが、この弾幕の中では離れることもままならない。下手に動いてアリスから離れた方が危険だ。
アリスもそれはわかっているのか、俺の様子を伺うようにチラリとこちらを確認しながら人形を使って目の前の弾幕を処理していく。
「少し、キツイわね……」
俺を庇いながらというのもあり、捌ききれなかった弾幕がアリスの肌を擦り、白い肌に赤い跡をつけていくのが見えた。
少しずつアリスに火傷の痕が増えていく。
俺が後ろにいなければアリスはこんな狭い部屋から飛び出して広いところで闘えるのだろう。
俺が完全にお荷物になっている。
アリスの巻いてくれた包帯の下が酷く痛くなってきた。
頭に浮かぶのは先程見たアリスの傷跡。
……また、俺のせいでアリスが傷つくのか。ずっと守られっぱなしで、それなのに俺はアリスを気付かないうちに傷つけて……。
「待ってくれ!」
大きな声で叫ぶと、フランは弾幕を止め、アリスは驚いた表情でこちらを向いた。
「……わかった。わかったから。やめてくれ」
掠れた声で俺が言うとアリスは困惑した表情になる。
「俺が従者になればいいんだろ?」
「ど、どうしたの……?」
理解が追いついてないアリスが言うが、俺はそれに答えずゆっくりとフランに近づく。
「それがあなたの選択?」
レミリアがやけに冷たい目でそんなことを口にした。
火傷の痕が酷く痛む。それを強く押さえつけて誤魔化すように笑う。
「役なしから役ありに無条件で転職できるんだ。願ってもないことだろ」
そう言ってフランを見ると、呆気に取られたような顔でこちらを見ていた。
「人間って本当に複雑なのね」
「紅茶よりはな」
「あなたは取り分けね」
フランはそれだけを告げると、扉に向かって歩き出す。
「久しぶりにいっぱい動いたから疲れたわ。おやすみなさい、お姉さま」
「ええ。おやすみ、フラン」
そんな会話を交わしてフランは部屋から出て行った。
フランが居なくなった部屋でレミリアが静かに言う。
「あなたがフランの従者となったなら、紅魔館で働くということよ。今日はいいから、明日から咲夜に仕事について教わりなさい。咲夜も彼に仕事について教えてあげて」
「かしこまりました」
「それと……」
ふわっと羽を動かして優雅に浮いたレミリアは殺気を含ませた目で俺を見て、近寄りそっと耳打ちする。
「私の咲夜に手を出したことは死よりも重い罪で償わせるところなんだけど……、フランの従者になったからには仕方ないわ。フランに感謝しなさい」
言ってレミリアはそのまま部屋から出て行った。
咲夜もそれについて行き、残されたのは俺とアリスだけ。
「……どういうつもり?」
気まずい空気の中で先に口を開いたのはアリスだった。
静かな口調で問い詰めるかのような視線を向けてきている。
「……俺の能力はまだわかってないだろ。ここなら能力の解析が進むんじゃないかと思って」
「そんなこと従者にならなくても出来たじゃない。なんで急に従者になろうとなんてしたの」
それはアリスにこれ以上俺のせいで傷ついて欲しくなかったから。
それを口にすれば、アリスは今からでも再び俺が従者になることを取り止めさせるためにあの二人の下に行くかもしれない。
だから、この言葉は口には出来ない。
無言になって俯いた俺の視界の端で、アリスはゆっくり近づいてくるのが見えた。
ああ……、これはビンタの一発ぐらいはくるかもしれないな……。
そんなことを思っていたのに、アリスは俺に近づくと優しく抱き寄せた。
「あ、り、す……」
予想外の行動に驚いてたどたどしく名前を呼ぶと、アリスは困ったように笑う。
「全く……、無茶だけはしないでね……」
そう言って、小声で何かを呟くと、俺の顔に手を持ってきて、ゆっくりと唇を近づけた。
「んっ……」
短い間、柔らかい唇の感触を感じた後、アリスは恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「いつもよりちょっと恥ずかしいわね……」
照れたように言ってアリスはもう一度、今度はさっきよりも長く唇を合わせた。
「んちゅ、……ん、ちゅ」
舌を互いに絡ませ合い、唇を離した後には透明な糸が互いの間を伝っていく。
短い期間とはいえ、幻想郷に来てからはずっとアリスと行動を共にしていたのだ。
そのアリスと離れるのは不安だし、何より悲しくてつらい。
けど、それは俺が自分で選んだ行動だ。それに、アリスと永久に別れるわけでもない。すぐにまた会える。だから、俺は最後に幻想郷に来てから一度もしてなかったやり取りをアリスと交わす。
「それじゃあ、またな。アリス」
「ええ。また」
なんの変哲もない別れの挨拶。けれど、俺はこの瞬間だけは忘れない。
淫魔録その3
フランの能力は概念系のものは破壊できない