東方淫魔伝 作:スイセン
「ここどこ……?」
不安げな顔で部屋を見渡し始めたライカを見て、困惑したように妖夢が幽々子に尋ねる。
「こ、これってもしかして……」
「そうねぇ。記憶も消えちゃったのかもね」
「かもねって、ど、どうしましょう……?」
「放っておけば元に戻るわよ〜」
身体がこんなに幼くなっただけでも信じられないのに、精神すらも子供になってしまうという事態に妖夢は混乱を極める。
が、変な能力を持つ者も多い幻想郷だ。そういうのもあるのかも知れないと理解を放棄することにした。
「もしかしたらさっきの頭への一撃が原因かも知れないわねぇ。責任を取って、この子のお世話は妖夢が見てあげなさい」
「そんなぁ……」
どう考えても面倒ごとを押し付けようとしてくる主人に妖夢は情けない声を上げる。
そんな2人をライカは不思議そうな顔で見ていた。状況を全然理解していない様子だ。
困ったように妖夢は、ライカを見る。
普段は顔立ちが整っている青年という印象がある彼だが、幼くなっていても可愛らしい顔立ちをしていると思う。純粋そうな瞳が少し不安そうに揺れていた。
(不安、ですよね……)
記憶を無くなったということは、親が急に居なくなり、1人で変な場所にいるということだ。不安で当たり前だろう。
逡巡の後、ぐっと拳を握った妖夢は頷いた。
「わかりました。ライカさんが元の姿に戻るまで、私がこの子の世話をします」
「ええ、頑張ってねぇ〜」
自分では一切、お世話する気の無さそうな主人に少し不満を持ちつつ、妖夢はライカに視線を合わせる。
「私は魂魄妖夢。ここの庭師兼、剣術指南役……なんて言ってもわかりませんよね。えっと、貴方は能力で小さくなっていて、それで元に戻るまでは私がお世話します」
「……なに言ってるの?」
「うっ……」
子供に思いっきり危ない人で見られた妖夢は涙目になって、幽々子に縋り付いた。
「幽々子様ぁ、助けてください……」
「もう、妖夢ったら仕方ないわねぇ〜」
呆れたようにため息を吐いた幽々子が、ライカのことを抱き寄せると頭を優しく撫でながら口を開く。
「貴方の親に暫く預かって貰うように頼まれたのよ。もし寂しくなったら、あのお姉ちゃんに甘えていいから我慢してね」
さらりと嘘を交えつつ、幽々子は優しい声色で状況を説明した。
撫でられているのが恥ずかしいのか、少し顔を赤くしながらライカは小さく頷く。
「う、うん。けど、そんな甘えたりなんてしないよ」
「あら、偉いわねぇ」
「な、撫でるのやめて……!」
「ふふっ、それじゃあとりあえず、貴方の部屋に案内してもらいなさい」
そっと幽々子が妖夢に目配せした。こくんと頷いた妖夢が立ち上がって、ライカの手を取る。
「はい。私が案内しますね。えっと、どこの部屋が……」
どこの部屋に割り当てるのが良いのかと考えて、自分の隣の部屋にしようと結論づけた妖夢はライカと手を繋ぎながら歩き出そうとした。
「ねぇ、えっと……、ようむお姉ちゃん?」
「はい? なんですか?」
そんな折に、ライカから少したどたどしく名前を呼ばれる。
「別に手を繋がなくても歩ける」
「あ、そ、そうですね。すいません……」
見た目的には寺子屋に通っていてもおかしくないぐらいだが、それぐらいの年齢になればある程度のことは一人で出来る。とはいっても、放任するわけにもいない。
普段の主人にするのとは違う慣れないお世話とあって、どういう対応するのが正解なのか妖夢は掴みかねていた。
逆にライカは二人に対して多少の警戒心を抱いているようで、少し体が強張っている。
そんな少しギクシャクしている従者と幼くなった恋人の姿を見ながら、微笑ましそうに幽々子は頬を緩めつつ、今後の展開を愉しもうとするのだった。
「ここがライカさんの部屋です。隣は私の部屋なので、何かあったら来てくださいね」
「…………」
半霊と手分けして、ライカの部屋に布団などを運び込みながら妖夢は説明する。
しかし、ライカから反応が返ってこない。どうしたのかと見ると、その視線は半霊に釘付けになっていた。
「私の半霊が気になりますか?」
「お姉ちゃんの?」
「はい。私は半人半霊。この半霊も私の半身なんです」
そういえば、ライカは外の世界の人間だったことを思い出す。外の世界であれば、こんな風に半霊がいるというのも珍しいのかもしれない。
「へぇ……、変わってるんだね」
「か、変わってる……。そうでしょうか……」
あどけない少年の感想に妖夢は少し傷ついた。もっと食いついてくると思ったのに、反応は思った以上に淡白だった。
コホンと咳払いして、気を取り直すとライカに説明を続ける。
「私以外にも、幽々子お嬢様や、他の幽霊の方たちも良くしてくれるのでわからないことがあったらすぐに聞いてくださいね」
警戒心を与えないようにと優しい笑みを浮かべる妖夢にライカはおずおずと頷く。
その態度に心の距離を感じてしまう妖夢だった。
(やっぱり、簡単に心は開いてくれませんよね……)
手強さを感じつつ、妖夢はライカに尋ねてみる。
「えっと、今、なにか聞きたいことや、したいことはありますか?」
「ううん。大丈夫」
首を横に振られてしまった。
こんなところに急に放り出されたようなものなのに、聞きたいことがないわけがない。それを会話の糸口にしようと思っていたのに、それすらも掴ませてくれなかった。
「そ、そうですか……。それじゃあ、お布団敷きますね……」
会話をしようと思えば思うほど上手くいかず、落ち込む妖夢は布団を部屋に置いていた敷布団を持ち上げる。
「あ、僕も手伝うよ」
「え? あ、ありがとうございます」
手伝いを申し出たライカが半霊の上に載せてあった枕やらシーツやらを受け取って、妖夢が敷いた敷布団の上に準備をし始めた。
「偉いですね。家でも手伝ったりしてるんですか?」
「……どうでもいいでしょ」
感心した妖夢に対して、素っ気ない態度のライカ。
「うっ、すみません……」
そんな態度に、妖夢が少し狼狽えている間に、ライカは布団の準備をあらかた終わらせてしまった。
「はい。終わり。他にすることってあるの?」
「……いえ、ありません。ライカさんのおかげで早く終わりました。朝餉もまだですし、幽々子様がお腹を空かせて不機嫌になってそうなので早く戻ってご飯にしましょうか」
結局、あまり話せなかったと思いつつ、朝ごはんを食べる提案をすると、ライカは不審そうな顔をする。
「……どうかしました?」
「そのライカ、っていうのなに?」
「え? なにって言われても……?」
妖夢が幽々子から聞かされた青年の名前、ライカ。ただ、それは彼の本名ではない。
しかし、それを妖夢は知らない故に、ライカからの質問の意味がわからずに困惑してしまった。
「ぼく、ライカって名前じゃないんだけど」
「ええっ!? でも、大人の貴方はライカって……」
どういうことなのかと混乱する妖夢に対して、怪訝な視線を向けるライカ。
更に警戒されてしまうと、慌てて取り繕うように尋ねる。
「じゃ、じゃあ、貴方の名前はなんなんですか?」
「ぼくの名前は──だよ」
「え? すみません。もう一度お願いします」
ノイズがかったように聞き取れなかった声に妖夢が耳を近づけて聞き直す。
「だから、蓮だよ」
「……れん?」
今度ははっきりと聞こえた名前を妖夢は繰り返して呟いた。
(蓮が本当の名前なら、ライカってどこから……?)
ライカは記憶喪失で名前すら忘れた蓮に対して、フランが名付けた名である。しかし、そんなことを知らない妖夢は少し困惑した。
そんな妖夢の心境を読み取ったかのように、蓮は訝しげな視線を向ける。
「名前も知らないのに預かったの……?」
「うっ……、えっと、その……」
咄嗟の言い訳が思いつかず、言葉に詰まる妖夢に蓮は疑惑の眼差しを強めた。
「……そういえば、トイレってどこ?」
不意にそんなことを言い出した蓮。
「厠ですか? それなら、この部屋を出て突き当たりを右に行ったらありますよ」
「うん。わかった」
これ幸いと胸を撫で下ろしつつ答えると、蓮は部屋を出て行った。
「はぁ……、警戒されてるなぁ……」
重いため息を吐いた妖夢。
ライカもとい蓮が元に戻るまではなんとか上手くやっていかなければいけないのに、この短い時間でその自信がすっかり無くなってしまった。
「やっぱり幽々子様に任せた方が……」
自信なく呟いて蓮が戻ってくるのを待つ。
しかし、いくら待っても蓮が戻ってくる気配はない。
どう考えてもおかしいと思った妖夢が厠に向かい、扉を叩く。
「蓮さん、大丈夫ですか?」
しかし、返事はない。
(まさか、中で倒れて……!)
悪い想像が頭によぎった妖夢は扉に手をかける。
「蓮さん、開けますからね……って、あれ?」
扉を開けた厠の中には誰も居なかった。
もしかしたら、先に居間に戻ったのかもしれない。
駆け足で居間に戻ると、幽々子がのんびりと一人でお茶を飲んでいた。
「おかえり〜。あら? あの子は?」
「幽々子様、蓮さんを見てませんか?」
「蓮……?」
「あ、えっと、蓮というのは、ライカさんの名前で、私もよくわかってないんですけど……、それよりも、蓮さんが厠に行って戻ってこないんです」
妖夢の説明を聞いて、幽々子が小さく呟く。
「もしかして、逃げられた?」
「ええっ!? 逃げるってどこに」
「それはもちろん、外によ。でも、だとしたら不味いわねぇ」
不味いと言いつつ、慌てた様子のない幽々子がお茶を啜り、一呼吸置いてから妖夢を見て告げた。
「もし、冥界から出たらあの子、落ちていくわよ」
「ああっ!!」
幽々子の言ってることが理解できた妖夢は大声をあげる。
冥界と顕界の出入り口は空高くに浮いている。そのため、もし蓮が冥界から出てしまえば地面に真っ逆さまに落ちていくのだ。
その前に何としても捕まえなくてはと、妖夢が慌てて居間から飛び出した。
(急がないと……!)
見れば、白玉楼の出口に向けて白い雪が踏み荒らされた跡が続いていた。蓮が通った痕跡だろう。
空を飛びながら白玉楼から出て、顕界へと続く長い階段を下っていく。
どこかに少年は居ないかと注視していると、そこを転びそうなほどに慌てた様子で走る蓮の姿を見つけた。
「良かった……、間に合った」
最悪の事態を免れたことにほっとしつつ、少年の前に降りようとしたところで、少年とは逆に階段を登ってくる人影が見えた。
冥界に来るには珍しい客人だ。
金色の髪を揺らしながら人形と共に階段を登っていた少女は、急いで階段を駆け降りていて前を見ていなかった蓮と激突した。
「うわぁっ!?」
「きゃあっ!?」
二人の悲鳴が響く。
幸いにも転げ落ちるなんてことにはならなかったが、金髪の少女、アリス・マーガトロイドはぶつかってきた相手に不満そうな視線を向ける。
「もう、なんなのよ!」
「いてて……、ご、ごめんなさい」
「子供……? って、貴方、幽霊じゃないみたいね」
蓮の姿を見たアリスが肉体を持つ蓮に目を丸くした。
冥界で肉体を持つ者の存在は珍しい。
「こんにちは。アリスさん。珍しいですね。白玉楼に何か御用ですか?」
「ひっ……!」
二人の横に妖夢が降り立つ。
顕界と冥界の境界が薄くなり、簡単に行き来できるようになったとはいえ、花見など用事が無い時に来る者はあまりいない。
「あら、庭師の……、こんにちは。ちょっと確認したいことがあってね。ところで、随分と警戒されているみたいだけど」
そっと横目をやれば、アリスを盾にするように身構える蓮。妖夢が降りてきた瞬間にすぐに隠れてしまった。
「色々とありまして……」
「そ。まぁ、いいわ」
なんて説明したものかと困る妖夢に、対して興味はなかったのか淡白な反応を返すアリス。
「それで、確認したいことって?」
「あの人がここにいるんじゃないかと思って、探しに来たのよ」
「あの人? 探し人ですか? でも、どうして白玉楼に?」
「私の人形が魔力に反応したのよね。幻想郷中探しても居なかったから、てっきり外の世界に戻ったか、妖怪の餌になったのかと思ったけど」
アリスの言いたいことがよくわからない妖夢は首を傾げる。
余計なことを喋ったと思ったアリスはコホンと軽く咳払いをして、本題に入る。
「最近、変なことはなかった? 例えば、見知らぬ男の人が居たりとか」
「見知らぬ男の人……? 男性の幽霊なら何体も来てますけど」
「そうじゃなくて、肉体を持ってる……かはわからないわね。もしかしたら、死んでるかもしれないし」
「えっと……、よくわかりませんが、男の人を探しているんですか?」
「ええ。まぁ……、でも、その様子だとそんな男の人は見かけてなさそうね」
少し落胆したようにため息を吐いたアリス。隣の人形も落ち込むように頭を抱えていた。
対して、妖夢は少しの引っかかりを覚えていた。
(男の人……、変なこと……あれ?)
「それって、もしかして、ライカさんのこと?」
「ライカ……?」
名前を告げた妖夢だが、アリスの反応は悪い。
(違うのかな? てっきりライカさんのことだと……)
勘違いだったのかと思った妖夢だが、アリスは少し考えるように顎に手を添えた。
「ライカ……、どこかで……。その人ってどこにいるの?」
「どこにって、いま、アリスさんの後ろに……、あーっ!」
アリスの背後を指差した妖夢が叫ぶ。
いつの間にか蓮が居なくなっていた。
階段下を見ると、妖夢がだいぶ遠くまで行っていた。もうすぐ顕界との出入り口だ。
「あの子がライカ? なら、人違いね」
「そんなこと言ってる場合じゃないわ! 早く捕まえないと!」
慌てて自らも階段を駆け降りる妖夢。
駆け降りるより飛んだ方が早いのだが、だいぶ慌てているのかそこまで頭が回ってないらしい。
「……もう、仕方ないわね。行きなさい人形たち。あの子を捕まえて」
あれじゃ間に合わないと判断したアリスが人形を操作して、蓮へと飛ばした。
「うわっ、なにこれっ!?」
纏わりつく人形たちに蓮が驚きの声を上げる。
「私の人形から逃げれるとは思わないことね」
小さくても大人並みの力があるアリスの人形だ。子供の蓮が力でどうにかできる相手ではない。
「蓮さん、観念して大人しくしてください!」
「嫌だ!」
妖夢の呼びかけに首を振った蓮が、纏わりつく人形を剥がそうと右手で触れた。
「子供の力で私の人形が振り解けるわけが……」
「やった! 外れた!」
「ええっ!?」
容易く外れてしまった人形たちにアリスが驚愕の声を上げる。
人形を引っ剥がした蓮が再び走り出てしまった。
「えっ? ちょっと、アリスさんっ!?」
「ど、どうして……?」
想定外の展開に驚く妖夢だが、それ以上にアリスは動揺していた。
先程まで通っていた人形との魔力の糸が唐突に切れてしまっていて、動かすことすら出来ない。
「ああっ! それ以上は!」
階段を駆け降りた蓮が更に奥に足を踏み出そうとしてその姿を消した。
顕界へと出てしまった。きっと今頃は空から大地に向かって真っ逆さまだろう。
「ま、まだ間に合うはず!」
全速力で自らも冥界から飛び出した妖夢は、落ちていく蓮を探そうと下に視線を向ける。
「い、居ない……!? まさか、もう落ちて……」
視界の映る範囲全てに蓮の姿はなかった。それどころか、蓮が落ちていく悲鳴一つ聞こえてこない。
(間に合わなかった……)
つい先刻まで蓮のお世話をするなんて言ったのに、こんなことになるなんて思いもしなかった。
(幽々子様に怒られるだろうなぁ……、ううん。それよりも、せめて、亡骸だけでも探してあげなきゃ)
この高さから落ちたなら生存は絶望的で、肉体はバラバラになっている可能性が高い。
沈み込む気持ちのまま地上に降りて蓮の亡骸を探そうとしたところで、影が降りてきた。
「ふぅ、間一髪でしたね」
見上げると、蓮をお姫様抱っこした八雲藍が疲れたような顔で浮いていた。
なんとか無事に蓮を捕まえたところで場所を移動して白玉楼。
藍は蓮を妖夢に渡すと、蓮が再び白玉楼から出たらすぐに分かるよう結界を張り直して、居なくなってしまった。冬場は紫が寝ていることもあり、結界の管理や色々な諸事で忙しいらしい。
蓮はというと、空から落下するという体験で気絶したらしく、寝かされた布団の上で小さく寝息を立てていた。
(それにしても、藍さんはどうしてあんなところにいたのかしら? たまたま……にしては出来すぎてるわよねぇ)
そんなことを考えつつ、風邪を引かないようにと蓮に布団をかけてあげたところで、妖夢はアリスに向き直った。
「お待たせしました」
「別にいいわ。それで、その子がライカで間違いないのね?」
「はい。能力の反動で幼くなってしまって記憶もないみたいですけど、この子がライカさんです」
蓮が眠る布団を挟むように座り込んで話す妖夢とアリス。
アリスには白玉楼に戻る道すがらにことのあらましは説明していた。
じっとアリスが蓮の顔を覗き込む。
「言われてみれば、面影が無くもないかもね」
あまりにもおかしな状況に頭痛がしてきそうなアリスはこめかみを抑えて、ため息を吐いた。
「馬鹿らしいって一笑したいところだけど……」
アリスの頭によぎるのは、前に自分が子供化した時の記憶だ。
他人を子供化出来るなら自らが子供化してもおかしくはない。
「この子が人形みたいなもの持っていなかった?」
「人形ですか? あ! そういえば、すっかり忘れてた!」
言って、妖夢が一度部屋から出て行き、戻ってきた時には手に小さな日本人形のようなものを持っていた。
それは紛れもなくアリスが青年に渡したものであり、この小さな少年がアリスの探していた青年であることを示していた。
「確定ね。その人形はどこで? 彼に預けていたつもりだったけど」
「えっと、2週間前にちょっといざこざがありまして……、その時に雪の上に落ちていたのを拾って預かっていたんです。すっかり返すのを忘れてて」
「ちょっとしたいざこざねぇ……」
疑うようなジトリとした視線を向けられて、妖夢が視線を逸らす。
アリスの探し人と斬り合って大怪我を負わせたなんて口が裂けても言えなかった。
妖夢の態度の怪しさであったり、どうして2週間も前の出来事で、今更になって魔力を検知できたのかであったりと、アリスにとって気になることはいくつか存在したが、蓮の小さな寝息が聞こえてきて思考を中断する。
「まぁ、いいわ。ありがとう。全く、一度だけじゃなく二度も私の人形を落とすなんて……。それに勝手に居なくなって心配かけたりもして……、平手打ち一発じゃ済まさないから」
小さくアリスがぼやいた。
とはいえ、こんな小さい子に手を上げる気はなく、右手で寝ている蓮の頬に優しく触れる。
「あれだけ自分勝手な行動しておきながら、また厄介なことになってるなんてね」
フランの従者になると言い出したり、変なのを使い魔にしたり、紅魔館から逃げ出したりと、蓮の行動を思い出したら、徐々に腹が立ってきたアリスはむにっと蓮の頬を抓った。
「ん、んんっ……」
蓮がその刺激に顔を歪める。その表情に少しだけ溜飲を下げたアリスが、気になっていたことを妖夢に問いかけた。
「ところでさっきから、ライカとか、蓮とか呼んでるけど、どういうこと?」
「大きい時の蓮さんは、自分のことを望月ライカって名乗っていたんですけど、小さい時は蓮と名乗っていて……」
「ふぅん。そういうこと」
おおかたライカはあの我儘な吸血鬼が付けた名前で、蓮が彼の本当の名前なのだろうと察したアリスは頷くが、妖夢はまだわかっていないため、顔を傾げる。
「とりあえず、事情は把握したわ。それで、この子のことなんだけど……」
「あら、無事に見つかったのねぇ。良かったわぁ」
アリスが今後のことについて話そうとしたところで、ゆったりとした声に割り込まれた。
「人形遣いさん、お久しぶりね。博麗神社での宴会以来かしら?」
柔らかい笑みを浮かべる幽々子。
「そうだったわね。お邪魔しているわ」
幽々子が妖夢の隣に座り、蓮の頭を撫で始める。
それを一瞥してから、アリスが再び口を開いた。
「それで、この子のことなんだけど」
「ねぇ、妖夢、折角のお客人なんだからお茶菓子を出しましょう。ほらあったでしょう。どら焼き」
思いついたように言う幽々子がアリスの言葉を再び遮った。
「それは昨日、幽々子様が全部食べたじゃないですか……」
「そうだったかしら?」
「気を遣わなくて大丈夫よ。急に来てしまったわけだし。それよりも、今後のことを」
「それなら、お茶ぐらい出しましょうか」
「……いえ、お茶も大丈夫よ」
「あら、そうなの〜? 妖夢の淹れるお茶は美味しいのに〜」
ニコニコと笑顔の幽々子。
「蓮のことで話したいことが」
「妖夢〜、この部屋、寒くない?」
「あ、あの、幽々子様……」
流石の妖夢でも気づく。
幽々子は明らかにわざとアリスの言葉を遮っていた。
「ねぇ、どういうつもり?」
「なにがかしら?」
何度も遮られて不快そうに眉を顰めるアリスに対して、幽々子はふふっと挑発するように笑う。
「さっきからわざと話を被せているでしょう?」
「気のせいじゃないかしら」
「……そう。なら、いいわ。それで、この子の」
「そろそろおでんとか食べたいわねぇ」
「いい加減に……!」
我慢の限界だと言わんばかりにアリスが立ち上がって、口を開こうとしたところで、幽々子は唇に人差し指を添える。
「大きな声を出したらダメよ〜。折角寝てるのに起きちゃうでしょう?」
「くっ……」
幽々子の言葉を聞いて、幽々子に撫でられて心地良さそうに寝ている蓮に視線をやったアリスは、歯噛みして不満そうな顔で座った。
空気が悪いのを感じとった妖夢がオロオロと困ったようにアリスと幽々子を交互に見る。
「えっと、その、アリスさんから見て、蓮さんは元に戻りそうですか?」
「ええ。戻るわよ。方法も検討がついてるわ」
妖夢が耐えきれず、話題を振ってみると不機嫌そうな表情でアリスは答えた。
「その方法っていうのには……」
「あんた達に教える義理はないでしょ」
「そ、そうですか……」
アリスを完全に怒らせてしまったせいで、態度が冷たい。
それに対して、幽々子は余裕の表情を見せる。
「大丈夫よ〜。私も検討はついているもの」
「そうなんですか?」
「……へぇ、聞かせてもらおうかしら」
「あら、貴女に教える義理はないと思うけど」
「……ッ」
睨みつけるアリスの視線を幽々子は受け流しつつ、小さく笑う。
「まぁ、私はそんな心の狭いことは言うつもりはないし、今から見せてあげるわ」
「……今から?」
その言葉にピクンと反応したアリスを他所に、幽々子は蓮の寝ている布団をずらした。
「なにをするつもりですか?」
「見ていればわかるわよ〜」
妖夢が覗き込むと、幽々子は蓮のズボンへと手を伸ばした。そして、躊躇うことなくそれを下ろした。
「え、ちょ、幽々子様っ!」
蓮の下半身が布一枚隠すことなく晒される光景に妖夢が顔を赤くして声を上げる。
「小さくなっただけあって、ここも小さいわねぇ。それに、この年なら精通もまだかしら?」
「な、なにやってるんですかっ!」
「言ったでしょ。彼を戻すって。ね? 魔法使いさん」
そんな馬鹿なと妖夢がアリスの方を見ると、彼女は苦々しい顔をしていた。
「本当にこんな方法で治るんですか……?」
「……知らないわよ。試したことなんてないんだから」
そうは言うが、アリスは幽々子の取ろうとしている手段が間違っているとは否定しなかった。
実際、アリスが思いついていた方法も同じだった。前に自身が幼くなった時は、青年との性行為を終えた後にはいつの間にか元に戻っていた。なら、同じようにすれば戻ると踏んでいた。
想定外すぎる治療法に妖夢が動揺する中で、幽々子は蓮の股間に手を伸ばそうとする。
「ま、待ってください!」
その手を咎めたのは妖夢だった。
「本当にするんですか? もしかしたら、時間経過で元に戻るしれません」
顔を赤らめつつ進言する妖夢。その言葉にアリスと幽々子は頷いた。
「ま、そうね。これをすれば元に戻るという確証もないし」
「そうねぇ。妖夢がそう言うなら待ちましょうか。時間はたくさんあるのが私たちの特権だもの。……けど、その代わり、その待つ間の世話は妖夢、貴女が見ることになるのよ?」
「うっ……」
幽々子に言われて、妖夢が少し怖気付く。
先程、間に合わなかったことを気にしてしまっていた。
「アリスさんが預かるのはダメなんですか……?」
アリスなら子供の世話も得意そうと思い、妖夢は提案をしてみる。
「……残念だけど、それは無理ね。魔法の森の瘴気にこの子が耐えられないかもしれないもの。死者の国に置いておくのは不服だけど、ここなら人喰いの妖怪も現れないし、安全ね」
「そういうこと。貴女が世話を見るしかないのよ」
「そ、そんなぁ……」
がっくりとした様子の妖夢を他所に、幽々子は明るく手を叩いた。
「これで今後の方針は決定ね。それじゃあ、妖夢、私はご飯を食べてくるから、この子が起きるまでよろしくお願いするわね〜」
言って、幽々子は部屋から出て行ってしまう。
それを呆れたように眺めたアリスが、妖夢に向き直る。
「これ、渡しておくわね」
アリスが取り出したのは、彼女がよく操作している人形とよく似たものだった。
「これは?」
「間欠泉が湧いた時に使った人形の余りよ。あまり性能は良くはないけど、遠距離での通話が出来るように改良されてるから、もしなにかあったらこれで連絡して。……それと、彼のことお願いね」
最後に妖夢に聞こえないくらいの小さな声で付け足して、アリスは立ち上がる。
「それじゃあ、私は魔法の研究があるから。お邪魔したわね」
そして、アリスも出て行き、残されたのは眠る蓮と、妖夢だけになってしまった。
「はぁ……、どうしよう……」
妖夢のやけに重いため息が部屋の中に消えていく。
蓮を見ると、幽々子に脱がされたせいで下半身を丸出しで未だにすやすやと眠っていた。とりあえずと、ズボンを履かせ直してあげると、蓮がうっすらと瞼を開けた。
「あ、起こしちゃった?」
「ん……んんっ……」
身体を起こした蓮だが、まだ頭が覚醒してないのか、寝ぼけた様子で部屋を見渡し、妖夢のことを見ると、抱きついてきた。
「え、ええっ! ど、どうしたの!?」
「お母さん……もう一回寝よ」
「お母さんって、私は貴方の親じゃ……」
困惑する妖夢だが、蓮の布団の上に倒れ込む力に抵抗出来ずに、一緒に布団の上に横になる。
そのまま蓮は妖夢に抱きつくように再び眠り始めた。
(困ったなぁ……)
妖夢の身体に顔を埋めて、気持ちよさそうに寝る蓮を見ると、無理矢理に引き剥がす気にもなれない。
(甘えたりしないって言ってたけど……、まだまだ子供ってことね)
親が居なくて知らない場所だったにも関わらず、落ち着いた子供だと最初は思っていたが、この行動をみるに内心では不安だったり、親に会いたかったりしたのかもしれない。
だから、白玉楼から逃げ出すなんてこともしてしまったのだろう。
抱きつきながら眠る蓮の頭を妖夢はおずおずと優しく撫でた。
「ふふっ、可愛い……」
あどけない寝顔を見ながら横になってると少しずつ自らも眠気に襲われてくる。
この体勢なら蓮が起きたら気づくだろうと妖夢は一緒に昼寝をすることを選び、瞳を閉じた。
もぞもぞと動く感覚に、深くに落ちた意識が呼び出されて瞳を開ける。
(あれ……、わたし……)
少し寝ぼけた頭が徐々に覚醒し、そういえば蓮と一緒に寝ていたことを思い出した。
「ようむ、お姉ちゃん……、く、くるしい……」
胸元で蓮が小さく呻く。いつの間にか、自分も蓮のことを抱きしめて寝てしまったようだった。
「あ、ご、ごめんなさい」
解放すると、少し顔を赤くした蓮は妖夢から離れる。
「どうして一緒に寝てたの?」
「どうしてって、蓮さんが一緒に寝ようって」
「う……、本当に?」
「ええ。よく寝られたなら良かったわ」
寝ぼけてた時の記憶が少しあるのか、蓮は気まずそう身体を起こすと、顔を逸らして、小さく呟く。
「怒ってないの……?」
「なにに?」
妖夢も身体を起こしながら、なんのことだと首を捻ると、蓮はボソボソと不安げに続けた。
「勝手に逃げ出して……」
「ああ、そのこと……、怒ってなんかいないわ。それよりも、怪我とか大丈夫? 外傷はなかったけど、どこか痛くない?」
「ううん。大丈夫」
なら良かったと、ほっとする妖夢。
蓮を助けるのは藍が居なければ間に合いはしなかったが、結果的に怪我もないのなら万々歳だ。
「その、お姉ちゃん……」
「どうかしたの?」
なぜか少し言いづらそうに、恥ずかしさを滲ませて蓮は妖夢に向き直って頭を下げた。
「ごめんなさい。あと、助けてくれてありがとう」
「え? いや、助けたのは……」
「空から急に落ちた時に受け止めてくれたのお姉ちゃんでしょ?」
(それは私じゃないんだけど……)
微妙な顔をする妖夢。
蓮は助けられたのは覚えているようだが、誰に助けられたかまでは覚えていないようだった。
どうしたものかと考える。藍が助けたと言ってもわからないだろうし、かといって通りすがりが助けるというのも変な話だ。
「……それよりも、ご飯を食べましょうか」
結局妖夢は同意も訂正もしないで、誤魔化すことにした。藍の手柄を横取りするようで、気が引けてしまうが、蓮と上手くやるためだと自分に言い聞かせる。
立ち上がって、布団の脇に置いてあった刀も背負うと、蓮の手を取った。
「あ……」
小さく蓮が言葉を漏らす。
その反応に疑問を抱いた妖夢だが、その理由はすぐに思い出せた。
(そういえば、手を繋ぐの嫌がってたわね……)
慌てて手を離そうとしたが、手は離れない。
(あれ……?)
少し恥ずかしそうにした蓮が、妖夢の手を握り返していた。
顔を赤くしている蓮の様子に妖夢は優しく微笑む。
「行こっか」
「う、うん……」
顔が緩みそうになるのを必死に堪える妖夢だが、その傍に浮かぶ半霊は嬉しそうに飛び回っていた。
ちょっと長くなって、予定のところまで行きませんでした。次回こそは、妖夢お姉ちゃんとのあれこれを……!